ヘリキャリアの内部は、金属と機械の塊だった。
床も壁も天井も、無数のパネルや配管、見たことのない計器で埋め尽くされている。私の知っている飛行機とは比べものにならない広さと規模。むしろ、これは空を飛ぶというより、空に浮かぶ要塞だ。現実の産物というよりも、誰かの空想をそのまま形にしたように見える。
フューリーが言っていた"面白いもの"がこれなのだと、すぐに分かった。確かに、面白い。あの、トニーのラボをもっと巨大にして、機能だけでなく威圧感まで備えたような場所だ。
「いずれ全員この場に集まる。それまで、君にはここで待機してもらう」
「……私も戦うの?」
「まさか。力の使い方も分からん女神様を、戦場に駆り出すほど人材不足ではない」
皮肉混じりに言い放つ声は、相変わらず感情が読めない。
でも、スティーブやトニーは戦うのだ。
"アベンジャーズ計画"――そうフューリーは呼んでいた。
トニーのラボで見たものが、今実現されようとしている。スティーブもトニーも、その計画に選ばれたヒーローだという。今、地球は絶滅の危機に瀕しているのだと。だから彼らは戦わなければならない。
話は現実離れしていた。けれど、私自身の存在がそもそも現実離れしているのだから、そこは突っ込むまい。これはいわゆる特殊部隊のようなものだろう。そう理解すれば、彼らが選ばれたことは喜ぶべきなのかもしれない。
……喜びきれない私の気持ちは、きっと隠した方がいい。口を出す立場ではないと分かっているから。
「ここで、ソーと会ってもらう」
「ソー……"アズガルド"の雷神さん?」
「そうだ。彼は君を引き渡すよう求めている」
初めて聞いたのは、アベンジャーズ計画の説明のすぐあとだった。
アズガルドーーミッドガルドともヴァナヘイムとも違う場所。けれど、その名に聞き覚えはない。そこにいる雷神が、私の身柄を求めているらしい。
同じ種族。だからこそ、私のことを私以上に知っている可能性はある。彼もまた、この計画に参加するヒーローだという。悪い神ではないはずだ。そう思うと、不思議と強い抵抗感はなかった。
「だが、我々もはいわかりましたと言って引き渡すわけにはいかん」
「……つまり?」
「今回は面会するだけだ。君とソー、二人きりでな」
二人きり。確かにその方が話しやすいかもしれない。けれど同時に、余計に緊張する。
強気に頷いたものの、会わなくてもいいなら会いたくない。そもそも"アズガルド"なんて得体の知れない場所に行きたくもない。だから今は、フューリーの「引き渡さない」という言葉が心強くすら思えた。彼の、私を所有物のように扱う態度は横に置いておくとして。
そんなとき、ふと懐かしい匂いが鼻を掠めた。落ち着く、あの匂い。
弾かれるように振り返ると、規則正しい靴音が近づいてくるのが聞こえた。間違いない、この足音を私は知っている。
フューリーの腕から飛び出し、近くの手すりに軽やかに着地する。そこから足音のする方を目で追うとーーちょうど彼の姿が見えた。
「にゃあ〜!(スティーブ!)」
「うわっ?!」
胸の奥から湧き上がる安堵が、緊張や気まずさを一気に吹き飛ばす。
私は迷わず彼に飛びついた。スティーブが反射的に両腕で受け止めると、私の喉がごろごろと小さく鳴っているのが自分でも分かった。
「シロ……」
スティーブだけが呼ぶ、私の名前だ。彼の大きな手が私を撫でる。けれどすぐに脇に手を入れて持ち上げられ、彼と向き合う形になる。
「どうして、無茶な真似をしたんだ」
彼は、少し怒っているように見えた。反射のスピードで、「ご、ごめんなさい」と溢れる。
「私、スティーブがむりやり危険なことさせられてるんじゃないかっておもって、それで……あなたを、助けたかったから」
結局、それは勘違いだったのだけど。スティーブは、言葉を探しているように思えた。その間が怖くて、私はまた情けない声で、「ごめんなさい」と俯く。
「……いや、僕が悪かったよ」
「スティーブ……」
「君に怖い思いをさせた。すまない」
「スティーブ!」
仲直りできたのが嬉しかった。彼の両手から抜け出し、ふわふわの両手で彼の首に抱きつく。ずっと不安だった。彼に嫌われてしまったのではないかと思った。けれど今日の彼の声色は優しく、笑みを含んでいた。これから何が起こるのかわからなくて怖いけれど、それで十分だった。
と、物珍しそうにこちらをみる二つの目に気づいた。はっとして、その二人の方を向く。
「にゃうにゃ、にゃ(フレイヤよ、あなたことはフューリーから聞いたわ)」
「首飾りに触れて」
「えっ?あ、あぁ……」
「こほん……フレイヤよ。よろしく、バナー博士」
「よ、よろしく。……驚いた、喋れるのか?どういう仕組みになってるんだ?」
握手を求めると、バナーは困惑と好奇心が入り混じった表情のまま、私のふわふわとした前足を恐る恐る包み込むように握った。
「特殊なの。……エージェント・ロマノフね。よろしく。フレイヤよ」
「よろしく、フレイヤ。ナターシャでいいわ」
「ナターシャ。女性がいてくれて安心するわ」
ごろごろごろ、と喉が鳴る。それを聞いてナターシャは固い表情をふっと緩めた。この姿じゃ、到底嘘もつけそうにない。
やがて、バナー博士は"ロキ"の居場所を突き止めるための装置を作るべく、ナターシャの案内でラボへと向かっていった。二人の後ろ姿が角を曲がって消えるのを見送り、私はスティーブの腕に抱かれたまま、きょろきょろと周囲を見渡す。
広いフロアには低く唸る機械音が絶え間なく響き、S.H.I.E.L.D.の職員たちが忙しなくコンピューターを操作していた。そのモニターには"ロキ"の顔が鮮明に映し出されている。
「君はロキのことを知っているのか?」
視線を画面に釘付けにしていると、スティーブが静かな声で尋ねた。
「ううん、何度見てもやっぱり分からないわ。……ただ、神でも悪いことを企む者もいるんだなぁって……"アズガルド"で、上手くやっていけるかなぁって思っただけよ」
ミッドガルドにだって、悪人や犯罪者は後を絶たない。神々が治める国だからといって、争いが皆無というわけではないはずだ。ロキがたまたまミッドガルドに現れただけで、アズガルドにもきっと彼以外の闇を抱えた者がいる。
それでも慣れ親しんだ世界から離れることには、抗いがたい恐れと躊躇が伴う。
「……君は、"行きたい"のか?……アズガルドに」
スティーブの瞳を見上げる。彼は真剣な表情で私を見ていた。
けれど今の私には、それは少し意地の悪い質問に聞こえた。だって、そんなはずがない。けれども同時に、自分はここにいるべきではないとも思うのだ。自分が何者なのか、何ができるのか、何をするべきなのか。その答えはきっとミッドガルドにはない。そしてきっと、アズガルドにいた方が多くを知れる。
きっと、スティーブの元に落ちてしまったのがいけなかったのだ。
彼と過ごす日々はそんなに長くなかったのに、楽しくて、ずっとこのままこうしていたいと叶わない願いを持ってしまったから。私は彼から視線を逸らし、もう一度モニターに映るロキの顔に目を戻す。
「きっと私にはその方が似合ってる」
それは答えになっていない。わざとそうした。これ以上、彼の優しい声で問い詰められたくなかったから。
話を逸そう。そんな私の思惑を後押しするかのように、すぐそばでそわそわと落ち着かず、こちらの様子を伺っている男性に気づいた。背筋を伸ばし、きちんとスーツを着こなしているが、その視線は妙に所在なく揺れている。私と目が合うと、彼は少し頬を緩め、「こんにちは、少しいいかな?」とはにかんだ。
「スティーブ、お客様よ」
「どうも、フレイヤさん。僕はコールソン。お噂はかねがね……本当に、お美しい」
「そう?ありがとう」
「それで、あなたは……本当に?……彼と?」
スティーブがすぐそこにいるのに、気を遣ったのか、コールソンはわざわざ声を落として尋ねてきた。恐らく、一緒に暮らしていたのかという確認だろう。「そうよ」と頷くと、彼はわずかに目を見開き、「わぁ、そうですか。それはすごく……すごい」と、言葉を探しながら口ごもった。どうやら、頭の中で用意していた言葉が全部吹き飛んでしまったらしい。
ちらりとスティーブの方へ視線を送るコールソン。スティーブは私とコールソンの会話に口を挟まず、ヘリキャリア内の様子を静かに眺めている。だが、コールソンの目には「話しかけたい」という衝動がありありと浮かんでいるように見えた。
「スティーブ、コールソンが話したいみたいよ」
「あっ、僕は……」
スティーブに言葉は伝わらないが、手を伸ばして彼の頬に触れると、「ん?」とこちらを向いた。コールソンはその様子に一瞬息を飲み、それから少し緊張を帯びた声で切り出す。
「あの、もしよければ、あとで、キャプテン・アメリカのトレーディングカードにサインしてくれないかな?」
「サイン?……構わないが」
「本当に?……もし、迷惑でなければという話なんだけど」
「いや、いいさ」
なるほど、彼のカードなんて存在しているのね。コールソンが妙に落ち着かない理由が分かった。彼はスティーブの熱心なファンなのだ。
「ヴィンテージものでね、数年かけて集めたんだ。……ほとんど新品同様さ。変色はあるけど……」
彼の声には誇らしさが滲み、コレクションを宝物のように大事にしているのが伝わってくる。
その時、突然、ピピピピと鋭い機械音が室内に響き渡った。コンピューターの前に座っていた職員のひとりが声を上げる。
「ヒットした。適合率67%……いや、79%です」
「位置は?」
「ドイツ、シュツットガルド、ケーニッヒ通り28……全く隠れていません」
コンピューターにはカメラに捉えられたロキの画像が写し出されている。
バナー博士がラボに入ってから一時間も経っていないのに、もうロキの居場所が分かったなんて。これが人間の叡智と技術の進歩というものなのだろう。
「キャプテン」
背後からフューリーの低く響く声が飛ぶ。
「出番だ」
スティーブは無言で頷く。その横顔を見上げると、彼もまたこちらを振り返った。
「すぐに戻る。だから……」
「うん、待ってる」
その言葉に、彼の青い瞳がわずかに見開かれる。だが次の瞬間、決意を宿した力強い頷きが返ってきた。
彼はヒーローなのだ。もう、無理に止めたりはしない。