すべての愛を、君に   作:北野ゆめおんな

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 お気に入りのワンピースに、下ろしたてでまだ一つも傷のない白いハイヒール。お母様からもらったバッグにベレー帽の色は合わせて、早起きして巻いた髪が崩れないようにちょこんとおく。お気に入りのリップを塗れば、今日はだれよりも可愛い!……くらいの気持ちになれた。

 

 

「えぇと…………おはよう、キャロン」

 

 

 ……今朝までは、ね。出会って開口一番、それだけ? その次の言葉をほんの少し待ってみるも、彼の視線はもはや灰色の雲の奥のほうに向かってる。

 

 

「おはよう、スティーブ。……それから?」

 

「えっ?……あぁ、えっと、今日は夕方から雨が降るらしい。あっ、けど安心してくれ!ぼくが、傘を持ってきたから!二本だ」

 

「うん、ありがとう。助かるわ、スティーブのそういうとこ好きよ……!」

 

 

 わざと八つ当たりして強めに言ってみるけど、彼は「う、うん、どうも」としどろもどろに答えるだけだ。

  

 いい、分かっていた。スティーブ・ロジャースはさらっと女の子を褒められるような男ではない。そういうところも含めて、彼のことを好きなのだ。デートだと思いもせず、相合傘のチャンスだとも思わず、律儀に女の子の分の傘まで用意する。そんな彼が好きなのだ。そうよ、分かっていたはずでしょう、と自分を慰める。

 

 

「そう、そうだ!昨日バッキーが、うちに来たんだ。話を聞いたら、女の子に追われて逃げてきたんだって。匿ってくれって言われたから、中に入れてやったんだ」

 

 

 落ち込んで無意識な言葉数が減る私に、気まずく思ったのかスティーブはこれだと言わんばかりにバッキーの話題を振る。

 

 

「あぁ、また他の女の子と遊んでたのがバレたのね。特定の人と付き合ってるわけじゃないみたいだけど、おかげでみんなを誤解させてる。……バッキーも懲りないわね」

 

「全くだよ。……うん、でも昨日の子は違ったな。きみに、嫉妬してるみたいだった」

 

「私に?」

 

 

 自分には関係のない話だと決め込んで聞いていたら、急に自分が登場するものだから吃驚してしまった。スティーブは面白おかしそうにクスクス笑う。

 

 

「そうさ。君ら仲良いから、付き合ってると思ったみたいで……付き合っては、ないんだろう?」

 

「スティーブまでバカなこと言わないでよ。あんな浮気性の男いやよ」

 

 

 ついつい捲し立てるように言うと、スティーブは「ごめん」と指で頬を掻きながら謝った。

 

 

「スティーブだって仲良いじゃない。一緒よ。それならみんなスティーブにも嫉妬するべきだわ」

 

「それは、どうかな。もし仮にぼくが女性でも、きっと彼女たちはぼくには見向きもしないと思うよ」

 

「どうして?」

 

「彼女らが負けるところなんて一つもないだろうから」

 

 

 その言葉の意味を理解して、はっとして彼をみる。そこで私はやっと、彼がもはや私とは反対方向に目を向けたまま会話していたことに気がつく。

 

 

「スティーブ!スティーブ・ロジャース!」

 

 

 私はそんな彼の細い両肩を、しっかりと両手でつかんだ。私の突然の行動に、彼はびくりと肩を揺らした。自分より少し背丈の高い私を、彼はおずおずと見上げる。

 

 

「しっかりなさい!あなたはかっこいい!」

 

「えっ?」

 

「それにだれにでも分け隔てなく優しくて、未知に立ち向かう勇気もあって、自分の芯を絶対に負けない強さもあって、人の悪口は絶対に言わなくて……とにかく!」

 

 

 スティーブは吃驚した顔で私を見つめる。私の剣幕に圧倒されているようだ。

 

 

「あなたは魅力的な人よ、スティーブ。自信をもって」

 

「……ありがとう。そんなこと言ってくれるの、君だけだよ、キャロン」

 

「あなたを知れば、みんな同じことを言うわ。絶対よ」

 

 

 ……あぁ、でも知ってほしくは、ないかもしれない。 そんな狡い気持ちはぐっと喉の奥に押し込めた。

 

 気恥ずかしくなってやっと彼の肩から手を下ろす。「さ、行きましょ」なんてなんでもないように振る舞ってまた歩き出したけれど、大胆な行動に自分でも驚いている。彼の自分の魅力の気づいていなさに、そして彼の鈍さに、私はだいぶ痺れを切らしているらしい。

 

 彼にばれないように小さく息を吐く。落ち着きなさい、キャロン。焦ってはだめ。気まずそうにほんの少し後ろを歩く彼と並べるように、少しだけ早歩きを緩める。

 

 

「そうだわ、ニューヘイブン出身の兵隊さん。4回目の志願、どうだったの?」

 

「あぁ、うん……お察しの通りだよ」

 

 

 彼はもう、4回も軍隊に志願している。志願書をちょっと誤魔化して、4回も。

 

 

「また志願するの?」

 

「するさ。何度でも、受かるまで」

 

「……あなたらしいわ」

 

 

 さっきまで背中を丸めていたのに、今はもう真っ直ぐな瞳だ。視線を逸らすためではなく、真っ直ぐに、濁った雲の向こうの、真っ青な空を見ているようだった。

 

 その瞳は彼の意思がそう簡単に変わることとがないことを示している。私はほんの少し視線を落として、不安を悟られないようにいつもの調子で会話を続ける。

 

 

「バッキーも志願するって言ってた。寂しくなるわ」

 

「バッキーは体格もいいし、腕力も脚力も体力もある。喘息もないし……決まるのも時間の問題だろう」

 

「そう、そうよね。スティーブ。向こうで彼と喧嘩したらダメよ」

 

「あぁ、喧嘩するのはぼくたちじゃない……きみは、信じてるの?」

 

「何を?……二人が帰ってくること?そりゃあ……」

 

 

「そうじゃない」珍しく、彼が私の言葉を遮った。いつも、私の考えがまとまっていない時でも、うん、うん、と頷いて聞いてくれる彼だ。じっと彼を見つめると、今日はまた珍しく、彼も私を見つめ返した。

 

 

「ぼくが、軍に受かるって」

 

 

 口には出さないが、彼もまた、不安に思っていたのだろう。出身地を誤魔化してまで志願しているのに、いつか本当にその日が来るのだろうか、と。

 

 私はまた彼の両手をひとまとめにしてぎゅっと包み込んだ。

 

 

「もちろん。あなたほど勇敢で、この国のことを想ってる人はいない。こんなに適任な人、アメリカ中探したってどこにもいないわよ」

 

「キャロン……」

 

「なんだか泣きそうになってきちゃった。ハグしてもいい?」

 

 

 二人がいなくなるなんて、考えられないし、考えたくなかった。彼の返事をほとんど聞く前に、ぎゅっと彼を抱きしめた。おずおずと彼の手がわたしの背中に回る。私の背中を撫でる彼の手は、優しくて、温かい。

 

 

「あなたは信じてる?」

 

「……あぁ、信じてる。いつか必ず戦うんだ。この国の平和のために」

 

 

 やっと落ち着いてきて、彼からそっと離れる。さっきより幾分か自信を取り戻したみたいだ。私を守ってくれる時の、強い顔つきの彼の頬に手を当てる。

 

 

「絶対帰ってきて。そうしたらスティーブと、バッキーと私、三人でまた映画を見に行きましょ」

 

「あぁ、もちろん」

 

 

 なんだか、気恥ずかしくなってきてしまった。名残惜しさを感じつつも、手を離す。スティーブも少しだけ気まずそうに、「まだ今日の映画も見る前なんだけどね」と言った。まったく、その通りである。時期尚早すぎるというか、そういうことだ。

 

 

 

***

 

 

 

「ーーそれで、彼女に告ったのか?」

 

「ッ?!!ゴホッ、ゴホッ、なんっ、ゴホッ……」

 

 

 驚いて食べていたハンバーガーの玉ねぎが変なところに入って咽せてしまった。それを防ぐためにでた咳が、なかなか止まらなくなって、バッキーが謝りながら慌ててスティーブの背中をさする。

 

 

「ちょっと、待ってくれ。一体どこがどうなってそういう話になったんだ?!」

 

「そりゃお前、そんなの戦場に行く前のカップルだ。俺だってそんな話してもらったことない」

 

「違う、あれは、ぼくにじゃなくて、ぼくたちにだ」

 

「どうだか」

 

 

 バッキーはそう言って肩をすくめる。その仕草を見て、何を誤解したのか、スティーブは「安心しろ」と彼に諭すように言うのだ。

 

 

「彼女はきっと、きみのことが好きだ」

 

「あー……はい?」

 

「キャロンは、きみのことが好きだって言ったんだ。ずっと一緒にいるんだ、直接言わなくても分かる。表情とか、話し方とか」

 

「……彼女は俺のことなんて?」

 

「…………"あんな浮気性の男いや" って言ってたかな」

 

「そりゃないぜ」

 

 

 バッキーはスティーブの肩をこつんと拳で殴る。スティーブは笑いつつも、「うん、でも、本当さ。嘘はつかない」と確信を深める。

 

 

「もし仮に本当にキャロンが俺のことを好きだとして、スティーブ、お前はどうするんだ?」

 

「どうするって……どうするもこうするもないだろ」

 

「あるよ。スティーブ、キャロンのこと好きなんだろ」

 

「ぼくが彼女を?!とんでもない!僕なんかが彼女を好きだなんて、烏滸がましいにも程がある!」

 

 

 まるで自分に言い聞かせるみたいに早口で捲し立てる様は、肯定しているのとさほど変わりなかった。ほんの少し微笑んでいるかのような表情を変えないバッキーに、スティーブはばつが悪くなって、ごほんと一つ咳払いをした。

 

 

「とにかく、彼女はぼくにとっては高嶺の花だ。けど、きみとってはそうじゃない。だれから見たって理想のカップルだ」

 

「うん、それで?」

 

「……キャロンの恋を応援する。幼馴染として、それが僕のやるべきことだ。軍に行く前に彼女と話せ」

 

 

 スティーブは言い聞かせるみたいにバッキーに告げる。彼は至極真剣だった。自分にその経験がなくとも、幼馴染たちの恋の応援をしたかったのだ。心から二人の幸せを願っていた。それに、キャロンに緊張してしまうのは、異性だからだ。ーーたとえそれが、もう十年以上続いているとしても。自分がキャロンに抱く気持ちは、バッキーに対するそれと同じだと、スティーブは本気で信じて疑わなかった。疑う術を知らなかった、というほうが適切かもしれない。

 

 バッキーの方は、スティーブの主張が的外れなのを知っている。客観的または主観的な意見ではない。散々キャロルから相談を受けているからである。もう十年以上はスティーブのどういうところがかっこよかっただの、なんと話したら気を持ってくれるかだの、そんな話ばかり聞かされているのである。

 

 だけれども、こうなったスティーブは嫌になるくらい真っ直ぐで折れないこともまた、バッキーは知っていた。そうしてついに肩をすくめ、テーブルに札を置いて立ち上がった。

 

 

「そっくりそのままお返しするよ」

 

「なっ……バッキー!まだ話は終わってないぞ!それに食事代くらい自分で……!」

 

「その金でデートにでも誘え」

 

 

 「バッキー!」とスティーブの呼びかけに手をひらひらとするだけで返し、バッキーは店を出ていってしまった。閉まったドアに何か言うのも気まずくて、感じる視線に会釈をしながら座り直す。

 

 キャロルは勇敢だって言ってくれたけど、実際は彼女一人デートに誘えない小心者だ。

 

 スティーブは心の中で自身に悪態をつく。バッキーみたいに、スマートに女の子を誘って楽しませてあげるだけのトーク力があれば、少しは違っただろうか。またネガティブに考えてしまう。悪い思考を断ち切るように頭を横に振る。バッキーが置いていった札はポケットにしまい、レジでは自分の財布から代金を支払った。これで自分はバッキーに奢られていない、だからお金を返せばこの話は無効になる。そう信じたかったのだ。

 

 ……デートに誘うくらい、ぼくだってできる。

 キャロルはきっと笑顔で頷いてくれるだろう。

 でも彼女にとって迷惑だったら?

 バッキーが好きなのに、ぼくを傷つけたくないから無理をさせてしまっていたら?

 

 そう考えたら、彼女を目の前にしても言い出すことができなかった。

 

 結局、彼女をデートに誘うことも、バッキーに金を返すこともないままーーむず痒さだけを抱えて、五回目の志願を迎えた。

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