すべての愛を、君に   作:北野ゆめおんな

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 町はまるで地獄のようだった。

 

 空は黒い裂け目のように穿たれた異世界の門から、次々とチタウリの艦隊が吐き出されていく。戦闘艇は金属の羽虫の群れのように散り、ビル群を縫うように飛び回り、光線弾を降り注がせる。高層ビルは爆炎に包まれ、崩れ落ちるコンクリートの破片が通りを塞ぐ。道路に投げ出された車は無残に炎上し、避難しきれなかった市民の悲鳴が遠くから木霊する。

 

 アベンジャーズが必死に応戦していた。ソーの雷が空を裂き、ハルクが怪物のようにビルから飛び降りて敵を叩き潰す。ホークアイは矢を矢継ぎ早に放ち、ブラックウィドウは群れを散らしていく。それでも、倒しても倒しても敵の数は減らなかった。まるで際限なく溢れ出す軍隊が、街の人口をはるかに上回るほどの勢いで押し寄せてきていた。

 

 その一方で、S.H.I.E.L.D.本部の上層部は冷酷な決断を下していた。チタウリの侵略を止める手段はもはや核攻撃しかないーーたとえアベンジャーズを巻き添えにし、ニューヨークという都市を犠牲にするとしても。

 

 フレイヤはチタウリの戦闘艇から、その惨状を無表情に眺めていた。夜風が白金の髪を絹のように揺らし、その姿は人ならぬ威容を放っている。異形の軍勢の中にあっても、彼女の存在は際立っていた。通りすがるチタウリでさえ、その女神のような姿に一瞬息を呑み、次いで膝を折るように頭を垂れて従い始める。彼女を守ろうと、周囲のチタウリが次々と彼女の元へと集結していく。

 

 

「なんだあれ……」

 

 

 異変に気づいたのはホークアイだった。敵の動きが不自然に一方向へと集中している。その視線の先に立つ存在に、眉間の皺が深く刻まれる。弓を構え、戦闘艇に乗るフレイヤへと狙いを定める。

 

 

「やめろ」

 

 

 しかし、矢が放たれるより早く、キャプテン・アメリカがそれを制した。

 

 ホークアイは怪訝な顔でキャプテンを見上げる。だがキャプテンは無言で、遠くに立つフレイヤの後ろ姿を凝視していた。懐かしむように、愛おしむように、そして痛ましく。だがその奥に、覚悟を決めた光が宿っていた。

 

 

「彼女は仲間だ。僕が止める」

 

「……分かった。ナターシャは俺の洗脳を解くために殴って記憶を補正したと言っていた。できるか?」

 

「……」

 

 

 キャプテンは答えず、ただ遠くを見つめる。その沈黙に、ホークアイは即座に悟った。情があるのだ。ためらいが、彼の心を縛っている。

 

 

「お前にできないなら俺がやる。幸いなことに俺は彼女を知らない」

 

 

 提案にキャプテンは目を伏せ、短い沈黙の後、低く言葉を落とした。

 

 

「ーーいや、やる。彼女は、僕が救うべきだ」

 

 

 その声音には確かな決意があった。ホークアイは一瞬疑いかけたが、キャプテンの眼差しに嘘はなかった。強い意志が宿っていた。それを見て彼は口を閉ざし、強く頷いた。

 

 

 キャプテンがフレイヤの元へ辿り着くのは容易ではなかった。彼の行く手を阻むように、数えきれないほどのチタウリが押し寄せる。ビルの影から飛び出す兵、空から襲いかかる戦闘艇。シールドを構え、敵弾を弾きながら一歩ずつ前進する。金属が砕ける音、肉を打つ衝撃、焦げた匂いが鼻腔に焼き付く。仲間の援護射撃が背後から飛び、時折雷鳴や爆発が道を切り拓く。それでも進むたびに新たな軍勢が湧き出し、彼の足取りは幾度も遅れた。

 

 それでも彼は立ち止まらなかった。胸の奥にある後悔と、必ず救い出すという誓いだけが、シールドを振るう腕に力を与えていた。

 

 やがて、フレイヤは己の後方で響く騒ぎーーキャプテン・アメリカが迫ってくる気配に気づいたかのように、ゆっくりと振り返った。紅に染まる瞳が妖しく細められ、微笑が浮かぶ。

 

 その刹那、群れを切り裂いて進むキャプテンの姿が現れる。シールドの一撃ごとにチタウリが宙を舞い、彼の道を拓く。

 

 戦闘艇の上に佇むフレイヤへと視線を上げたキャプテンは、一瞬だけ瞳を揺らした。そこに在るのは、自分がかつて守れなかった面影。

 だが、彼女はキャロン・エヴァンズではない。そう理解して、奥歯を噛み締め、強く彼女を見上げた。

 

 そのとき、インカムが割り込む。

 

 

『装置にフレイヤの魔法がかかってて、ロキの杖だけじゃ止められないの!止めるためには……彼女をーーフレイヤを殺さなきゃいけないって……!』

 

 

 装置のもとにいるブラック・ウィドウからの緊迫した報告だった。

 

 

『キャプテン、今フレイヤがどこにいるかわかる?』

 

「……目の前にいる」

 

『えっ?』

 

 

 返答にブラック・ウィドウの声が一瞬途切れる。そのとき、フレイヤは艶やかに笑みを歪めた。

 

 

「装置を、止めるんだ、フレイヤ。このままじゃ地球が滅びる」

 

「ふふふ。じゃあ、私を殺すのね、スティーブ」

 

「殺しはしない。君の洗脳を解く」

 

 

 その宣言は、戦場の轟音の中でも凛として響いた。

 

 フレイヤが手を緩やかに動かすと、チタウリの軍隊が一斉にキャプテンに向かって動き出す。戦闘艇の上で紅い瞳を細め、彼女はくすくすと笑った。すぐさま、彼女を乗せた戦闘艇はキャプテンから遠ざかるように浮かび上がっていく。

 

 

「待て、フレイヤ……!」

 

 

 追いかけたい。だが、間髪入れずチタウリが波のように押し寄せてきた。鉄のような槍が振り下ろされ、金属の装甲がぶつかり合う。キャプテンはシールドを高く掲げ、迫る衝撃を受け止めるが、両足が地面にめり込むほどの重圧に耐えねばならなかった。息をつく暇もない。横から突進してきた敵を蹴り飛ばすと、すぐ背後から別の兵が槍を突き立ててくる。

 

 反射的に身を沈め、シールドで薙ぎ払う。だが、倒したはずの一体の上に、さらに二体三体と降りかかる。どれだけ打ち倒しても数は減らず、むしろ増え続けるかのようだった。

 

 

「……っ、キリがない!」

 

 

 キャプテンは歯を食いしばり、シールドを力一杯振り投げた。回転する円盤は唸りを上げ、数体のチタウリを薙ぎ払い、壁に叩きつける。その一瞬だけ生まれた隙に、彼は視線を上げた。

 

 視界の彼方、上空を滑る戦闘艇。その上に立つ白金の髪の女神。フレイヤは冷ややかに地上を見下ろし、薄い唇を歪めていた。

 

 シールドが手に戻ってきた瞬間、キャプテンは躊躇なく振りかぶり、戦闘艇に向けて全力で投げ放った。

 

 衝撃音が轟く。円盤は戦闘艇の装甲に直撃し、機体は大きく空中で揺れ動いた。

 

 

「……ッ!」

 

 

 次の瞬間、小さな影が宙に放り出される。

 

 抵抗する術を持たず、フレイヤの身体が真っ逆さまに落ちていく。

 

 狙い通りに戦闘艇を止めたはずなのに、キャプテンの胸を激しい動揺が突き上げた。あの高さから墜落すれば、彼女は無事ではいられない。考えるより早く、彼の身体は動いていた。

 

 

「キャロン……!」

 

 

 亡き彼女の名を、無意識に叫んでいた。己の足を弾丸のように地面へと叩きつけ、ビルの瓦礫を踏み越え、必死にその落下地点へと駆ける。

 

 一歩、一秒でも遅ければ間に合わなかった。だが、伸ばした手が奇跡的に彼女の身体を掴んだ。

 

 重力に引かれるまま、二人は激しく地面に転がり込む。キャプテンはその衝撃をすべて背中で受け止め、フレイヤを必死に抱きしめて守った。

 

 建物の壁に叩きつけられ、背骨に痺れるような痛みが走る。目の前では制御を失った戦闘艇が墜落し、爆炎と砂埃が周囲を覆った。

 

 だが、そんなことよりも彼が気にかけたのは彼女の無事だった。

 

 

「キャロン……大丈夫か……?」

 

 

 腕の中で小さな身体が硬直している。恐怖に耐えるようにぎゅっと瞳を閉じていた。彼女の息遣いを感じた瞬間、キャプテンの胸に安堵が広がる。

 

 だが、やがて彼女はゆっくりと瞼を開けた。

 

 覗き込んだその瞳はーー血濡れのような紅に染まっていた。

 

 

「ッ離して!」

 

「っ……!」

 

 

 フレイヤの両手がスティーブの胸を突き飛ばす。瞬間、紅の魔力が爆ぜた。

 

 壁を貫通する衝撃波に吹き飛ばされ、キャプテンの身体は瓦礫に叩きつけられる。肺から空気が絞り出されるほどの衝撃。しかし、倒れ込んだ彼の視線の先で、フレイヤが頭を抱えていた。

 

 現実に、引き戻されようとしているーー。

 

 

「目を覚ますんだ、フレイヤ!」

 

 

 キャプテンは血を拭いながら立ち上がり、彼女へ向かって歩み出す。

 

 

「っ……ふふ、目を覚ますのは、あなたのほうよ、スティーブ」

 

 

 彼女の声は震えていたが、その瞳はなお紅く染まりきっていた。迷いと狂気がせめぎ合う瞳。

 

 フレイヤが再び手を翳す。放たれる魔力の奔流に、キャプテンは咄嗟にシールドを掲げる。直撃と共に空気が爆ぜ、地面が抉れ、二人の間に深い亀裂が走る。凄まじい力が彼を押し返し、必死に耐える足元が軋んだ。

 

 距離は広がる。彼女はなおも挑発するように、妖艶な笑みを浮かべた。

 

 

「闘って、スティーブ。私を止めたいのなら」

 

 

 その声は、女神のように美しく、しかし血に染まった刃のように冷たい響きを持っていた。

 

 

「君とは、闘えない」

 

「闘うの!」

 

 

 混乱している。フレイヤの中で、現実に呼び戻そうとする意識と、ロキの洗脳が激しくぶつかり合っていた。彼女は怒りに身を任せるように叫び、力任せに魔法を放つ。

 

 紅に輝く光弾が、爆ぜるように飛び散る。制御を知らないその力は、まるで子どもの癇癪のように感情だけで暴れ狂い、敵味方の区別なく襲いかかる。迫る魔力の奔流が、チタウリの兵士さえも吹き飛ばし、建物を抉った。

 

 キャプテンはシールドを掲げ、足を踏ん張る。激しい衝撃に腕が痺れる。叫びながら迫る魔力の嵐を耐え抜き、ただ必死に彼女を見つめた。

 

 

「やめるんだ、フレイヤ!」

 

 

 声は届かない。彼女の耳に届いても、心まで届かない。弾き飛ばされた瓦礫の破片が頬を掠め、血が滲む。だが、それでも彼は拳を握りしめた。傷つけたくなかった。けれど、このままではーー。

 

 インカムが悲鳴のように響く。

 

 

『早く閉めないと、チタウリの数がどんどん増えてる!』

 

 

 ブラックウィドウの声が切迫している。キャプテンは歯を食いしばり、紅い光に包まれた彼女を見据えた。

 

 

「キャロン……やめてくれ、キャロン!」

 

 

 叫んだ名は、かつて失った彼女のもの。だが、それを聞いたフレイヤの顔が大きく歪んだ。

 

 

「キャロンは死んだのよ!……死にたく、なかった!"フレイヤ"になんて、なりたくなかった!」

 

 

 怒りと悲しみが混ざった声。魔力の奔流がさらに荒れ狂う。

 

 

「ッ!」

 

 

 キャプテンの胸が鋭く抉られるように痛む。彼女の本心だ。恐怖と絶望に支配され、ロキの呪縛に絡め取られている。

 

 

「スティーブ……闘って。闘いたくないのなら、あなたは負けるの」

 

 

 挑発でも命令でもなく、切実な声だった。

 

 

「負けない。僕は……!」

 

 

 地面を砕く一撃をシールドで受け止める。衝撃に足元が崩れるが、横へ弾き飛ばし、必死に隙を探る。フレイヤの攻撃は荒れ狂うが、その一瞬の間隙が訪れた。

 

 キャプテンはもう、迷わなかった。

 

 全力でシールドを投げ放つ。唸りを上げて飛んだ円盤が、彼女の腹に直撃した。

 

 空気が止まる。

 

 フレイヤの身体が吹き飛び、地面に無防備に投げ出される。衝撃が砂埃を巻き上げ、戦場が一瞬、静寂に包まれた。

 

 

「……キャロン!」

 

 

 弾かれたように走り出す。喉が張り裂けるほど彼女の名を叫びながら。

 

 瓦礫を飛び越え、彼女のもとへ膝をついた。

 

 その瞬間、インカムが弾むように響いた。

 

 

『ワームホールが閉じたわ!』

 

 

 ブラックウィドウの報告が、勝利を告げる。だがキャプテンには返事をする余裕などなかった。

 

 目の前で気を失っているフレイヤにすべてが向かっていた。

 

 ……息は、ある。

 

 震える指先で確かめた。安堵と同時に、胸を締め付ける痛みが広がる。

 

 彼女を救いたかった。傷つけたくなどなかった。それなのに、自分の手で倒してしまった。

 

 瓦礫の上に座り込み、彼女をそっと抱き上げる。白金の髪が肩に流れ、呼吸の温もりが胸に伝わる。それが救いであり、同時に胸が裂けそうに痛んだ。近くにいることを望み続けてきたのに、いま彼を満たすのは喜びではなく、罪悪感と悔恨ばかりだった。

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