すべての愛を、君に   作:北野ゆめおんな

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 帰宅早々、スティーブは神妙な面持ちで私をそっと抱き上げた。彼の視線はすぐに私の首元にある首飾りへと注がれ、じっとその宝石を見つめている。

 

 

「……これは、なんなんだ」

 

 

 前も見つめていたけれど、そんなに不思議な見た目をしているのだろうか。鏡越しに見たことはあったけれど、自分の首に付いていると長いふわふわの毛が邪魔をして、近くでじっくり見ることはできなかった。

 

 スティーブは指先をそっと宝石の表面に触れる。真剣な眼差しで首飾りを観察している。持ち上げられている私は、ただ彼の顔をぼんやりと眺めていた。

 もし、彼の顔がとびきりハンサムかと聞かれたら、正直そうは思わない。昔、人間だった頃に寄ってきた男性の中にはモデルのように整った顔立ちの人もいた。好意はなかったから、当時は「ハンサムだけど中身は残念ね」と思ったものだ。けれどスティーブは違う。独特の魅力がある。

 

 通った鼻筋、きらきら輝くブルーの瞳、そして彼の金髪と同じ色の長いまつげが、真剣に伏せられた瞼にかかっている。

 

 

「長いまつげね……」

 

「……ッ?!」

 

 

 無意識下で、うっとりと声を漏らすと、スティーブは突然びくりと肩を跳ねさせて私を守るようにして抱きかかえた。

 

 なに、なに?!

 

 突然抱き込まれたから何が起こったのか分からなかった。状況が把握できないまま、スティーブは辺りを見渡している。しかし私の見る限り、特に異変はない。匂いもいつもと変わらない。

 

 

「にゃあ」

 

 

 なんなのよ?そういうように彼を見上げると、驚いたまま私を抱き直すスティーブ。

 

 

「……今の、きみか?」

 

「にゃ?」

 

 

 何が? まったく状況が理解できずに小首を傾げるが、スティーブは私には返事をせずに考え込んでしまった。そうして、再び宝石へ指を触れる。

 

 

「ねぇ、何?何のこと?」

 

 

 彼の質問の意図が1ミリも理解できなくて、伝わらないと分かりつつも、彼に尋ねる。彼は黙ったまま、私を持ち上げて、じっと見上げた。

 

 なのに、なにも喋らない。

 

 

「変なスティーブ」

 

 

 別に、なにもしてないのに。

 スティーブの前では魔法は使わないようにしているのだから、おかしなことはしていないはずだった。スティーブは私をじっと見つめたまま、口を開く。

 

 

「きみの、飼い主はどこにいるんだ?」

 

「もう、またその質問?いないって言ってるじゃない」

 

 

 不可解な行動の意図をひとつも説明してくれない彼に少し呆れて、「いい加減しつこいわよ」と肉球で彼の頬を押した。

 

 

「いない?きみは、飼い猫じゃなかったのか?」

 

「ちがうわよ。だからいくら飼い主を探したってーーえ?」

 

 

 今、彼、私の言葉に返事をした?

 

 ぱちりと瞬きして彼を見る。彼もまたじっと私を見つめ返していた。その表情は硬く、眉間には深い皺が寄っていて、彼の思考の渦が見えるようだった。

 

ごくりと喉を鳴らしながら、私は耳を澄ます。確かに、彼は確実に

 

 

「……きみは、何者だ?」

 

 

 その言葉は鋭利な刃物のように、私の胸を突き刺す。

 

 彼のブルーの瞳が、今日は鋭く、私を突き刺すようだった。いつもの優しく穏やかな彼の面影はなく、まるで敵を見るみたいに。騙すつもりなんて一切なかったのに、結果的に誤解を生んでしまったことが、胸の奥を締め付ける。

 

 どうして急に言葉が通じるようになったのか、彼になんて言ったらいいのか。それから、それから。頭の中は混乱してぐるぐると回り、どう答えればいいのかまとまらない。だけど沈黙はさらに彼の警戒を深めるだろう。慌てて口を開いた。

 

 

「わ、私、私もどうしてこうなったのか、分からないの。けど、あなたを騙すつもりはない。ほんとう、本当よ」

 

「何者なんだ?」

 

「えっと、フレイヤ。ヴァナヘイムの女神、……そのはず」

 

 

 私の言い訳には一切触れない彼に、泣いてしまいそうだった。スティーブは怪訝そうに、「女神?」と呟き、眉間の皺を深める。

 

 

「……女神が、人間と生活するようになったのか?」

 

「違う、他のみんなはヴァナヘイムにいるはずよ。私は、例外なの」

 

「例外?」

 

「そう、私はーー……私は」

 

 

 あれ、そういえば私はどうしてヴァナヘイムに行かずに、ミッドガルドで過ごすことを選んだんだっけ?

 

 あの時の会話を思い出そうとするのに、どうしてこうなったのか、どうしても思い出せない。頭の中は霞み、断片的な映像が揺れている。

 内戦に巻き込まれて死んだと思ったら、綺麗な女の人ーー以前のフレイヤが私の前に現れて、それで"愛に溢れている"私は、フレイヤにぴったりだと言って……本当に?私、そんな素敵な人間、だったかしら。

 改めて思い返してみれば、私はいつも一人だった。物心ついたころには親もいなくて、特別仲のいい友人もいない。二十歳を過ぎても結婚せず、それどころか他人と交際関係に発展することすら一度もなくーーそんな、退屈な人生だったと思う。

 

 言葉を詰まらせた私に、スティーブの表情はますます険しさを増していった。

 ブルーの瞳の奥に、冷えた鋼のような警戒心が宿る。こちらの心を覗き込むようでありながら、容易には踏み込ませない壁がある。

 

 

「一体、なにが望みなんだ」

 

 

 低く抑えられた声が胸の奥に響き、背筋を凍らせる。

 疑念と警戒が織り込まれたその響きが、私の喉を締めつけた。

 

 

「違う!私……」

 

 

 そんな顔、させたくなかった。

 

 疑いの色を帯びた視線を向けられることが、こんなにも苦しいとは思わなかった。

 思考はうまくまとまらない。それでも、誤解だけは解かなければーーその思いだけが胸の奥で膨らんでいた。

 

 私は、スティーブに何かを望んでいるわけじゃない。ただ、ただ……

 

 

「あなたと、いたいの……」

 

 

 その一言を絞り出すのが精一杯だった。

 声は掠れ、かすかに震えている。それでも、心からの言葉だということだけは、どうしても伝えたかった。

 

 だが、彼はすぐには何も言わなかった。

 返事のない沈黙が、床下から冷気のように這い上がってくる。恐る恐る顔を上げると、スティーブは戸惑いを隠しきれない表情で、じっとこちらを見つめていた。

 

 

「……仮に、きみが神というのが嘘でないとして、……どうしたってぼくに」

 

「分からない、分からないのよ。わたし……」

 

 

  信じてもらえるかはわからない。けれど、この沈黙を放置すれば、彼の中の疑念は深まるばかりだと直感した。だから、全てを話すしかなかった。

 

 もとはただの人間だったこと。

 内戦に巻き込まれて命を落としたこと。

 その後、理由もわからぬままフレイヤという女神になったこと。

 しかし気がつけばヴァナヘイムではなく、このミッドガルドにいたのだということ。そこであなたに助けられて、ついて行こうと思った。楽しくて、離れられなくなってしまった。

 

 ごめんなさい。騙すつもりはなかったのに、結果的にそうなってしまったことを、何度も何度も謝った。

 

 

「内戦……?この七十年間、大きな戦争はなかったはずだ。きみは、いつ亡くなったんだ」

 

 

 低い声。彼の眼差しは、わたしの言葉のどこかに潜む虚偽を暴こうとするかのように鋭かった。

 脅されているわけではない。それでも、その視線が、私を試す秤のように感じられる。

 

 

「1945年。まだ戦争は終わってなかった」

 

 

 その瞬間、スティーブの眉がぴくりと震えた。

 

 

「1945年……?」

 

 

 反芻する声は、わずかに重く、何かを手繰っているようだった。

 

 

「……きみの他にも、同じような人がいるのか?亡くなって、その、"神"になった人は」

 

「きっと、いないと思う。確信はないけれど……」

 

 

 質問の意図はわからなかったが、とにかく正直に答えるしかなかった。

 彼は視線を落とし、顎に手を当てて黙り込む。スティーブは少し目を伏せて考え込む。

 

 重苦しい沈黙が、胸の奥を圧迫する。

 空気が冷え固まり、私の心臓はその冷たさにきしみをあげる。

 

 

「きみは、知っていたのか?」

 

「何を…………?」

 

 

 問い返す声がかすれる。だが彼はそれ以上言わず、再び黙り込む。

 何を考えているのか、分からない。いや、分かりたくないとも思った。

 

 耐えきれず、唇を湿らせて口を開いた。

 

 

「……私のこと、どこかに連れていく?」

 

 

 尋ねる声は自分でも驚くほど小さく、脆かった。返答次第では、今すぐにでも彼の前から姿を消さなければならないーーそんな覚悟が喉元までせり上がっていた。

 

 

「……いや。あそこは信用ならない。だが、おかしな真似をしたらそれなりの処置をとる」

 

 

 あそこってどこ……?そんなこと、聞く勇気はなかった。わたしは必死に頷く。動悸が耳にまで響いてくる。

 

 ようやくスティーブの手が、私を拘束するように握っていた力を緩めた。解放された瞬間、胸の奥まで酸素が流れ込み、ようやく息ができた気がした。

 

 

「……にゃー」

 

 

 それは「ごめんなさい」のつもりで出した声だった。

 けれど外から見れば、ただの猫の鳴き声にしか聞こえなかっただろう。

 

 わたしはそのまま彼のベッドへ逃げ込んだ。毛布の中の温もりに包まれながら、まだ抜けきらぬ緊張と安堵がないまぜになった心を、静かに落ち着けようとした。

 

 こうしてーー以前とは違う、女神の私と、スティーブとの共同生活が、静かに始まった。

 

 

 

 

 

 

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