「・・・・・それでは、これから手術を始める。 皆、準備はいいか?」
「はい、準備完了しています。」
「うむ、では、まずは麻酔を頼む。」
「はい。
・・・・・・・・・・・・・・麻酔、完了です。」
「それでは、始めよう。 ・・・メス!」
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
「!?
・・・せ、先生、大変です! 患者の様態が急変しています!!
心拍数が、みるみる下がっていっている!」
「な、なんだと!?
そんなはずはない! まだ、開腹しただけだぞ!
・・・一体、どうなっているんだ!?」
5月6日 13:36 追田(おった)クリニック 診察室
「・・・というわけで、まぁ、異常はないじゃろうな・・・ウシシ・・・」
「は、はぁ・・・そうですか。」
僕は今日、ここ追田クリニックに健康診断に来ていた。
僕が検事だと知った受付の方の好意で、院長先生に診てもらうことになって、
今ここで診察してもらうことになったのだけど・・・・・この人、本当に院長か?
「あの、もう終わりですか?」
「そうじゃよ。 あんたは健康じゃ!
いろいろ調べたが、何も問題はない。 安心しなさい!」
「いや、安心できませんよ!
いろいろ調べたって、適当に聴診器を服の上から当てただけじゃないですか 」
表情も、言っちゃ悪いが、なんだかいやらしい感じだし・・・
「わしゃ、名医じゃからな! それだけで、なんでもお見通し・・・」
「あっ、こら、おじいちゃん!
いなくなったと思ったら、また院長の真似なんかして!
・・・すいませんね、今、本物の院長が来ますから、もう少し待合室でお待ちください。」
やっぱり、偽物だったよ・・・
おじいさんは看護師さんに引っ張られながら去って行った。
仕方がないので、僕は待合室に戻ることにした。
・・・が、診察室の外へ出ようとした瞬間・・・・・
「急げ、時間がないぞ! 一刻を争う事態らしい!」
「一体なんで・・・・・あの手術はそんなに難しいはずはないだろ?」
「詳しいことは知らん!
だが、そんな理由を考えてる暇はないっ!とにかくまずは、患者の命だ!」
2人の白衣を着た男が、医療器具の乗った荷台を押しながら、駆けていった。
僕は、危うくひかれそうになった。
緊急事態なのか、かなり急いでいる様子だった。
医者ってのも、大変だなぁ・・・。
そんなことを考えながら、待合室に戻ろうとしたとき、何かが足に当たった。
・・・ん、これは? それは、酸素マスクだった。
おそらく、さっきの荷台から落ちたんだろう。
なら、届けたほうがいいよな?
確か、2人が駆けて行った方向に手術室があったはずだ。
そこに行けば、彼らはいるんじゃないかな?
僕は手術室に向かうことにした。
同日 13:42 押田クリニック 手術室
ここが、手術室だな。
・・・だが、そこには誰もおらず、その扉は固く閉ざされ、静まり返っていた。
さっきの2人が、酸素マスクを探しているかと思ったんだけどな・・・
まぁ、扉が閉まってちゃ、どうしようもない。
手術が終わって誰か出てきたら、渡すことにしよう。
そう思った瞬間、扉が開いた。
えっ? 手術終わったのかな?
手術着に身を包んだ体格のいい男性が出てきた。
だが、その表情は暗く、うつむいていた。
「くそ・・・おれが執刀するオペでこんな結果になっちまうとは・・・・・」
その言葉から察するに、どうやら手術は失敗してしまったようだ。
彼はすぐに、僕の存在に気付いた。
「!? ・・・あなたは・・・・・・
も、申し訳ありません! 今回のオペ、失敗してしまいました!
彼は・・・彼は・・・残念ながら・・・・・・・・」
そう言いながら、男は土下座をした。
どうやら、患者は亡くなってしまったようだ。
そして、僕は患者の関係者と間違えられてしまったようだ
僕を患者の関係者だと思い込んでいる男は、なおも続ける。
「でも、今回の件、あなたに泣き寝入りはさせません!
・・・もう、私が警察に通報しました。
この事件、必ず、警察が暴いて、やつを罰してくれるはずですから!」
えっ!? ちょ、ちょっと待った!
警察? 事件? 一体どういうことだ?
患者は手術のミスで亡くなったんじゃないのか?
「これは、医療ミスなんかじゃない! ・・・奴が、意図的に彼を殺したんだ!」
どうやら、今日は健康診断を受けるだけでは、帰れそうにない。
14:10 追田クリニック 手術室前
間もなく、見覚えのある手帳を掲げながら、こちらにやってくる男が現れた。
「ただいま、到着しました! 警察です! ・・・警察局刑事課の義門府です!」
義門府・・・ギモンフ・・・その名字に、僕は聞き覚えがあった。
義門府といえば、前警察局長が例の不祥事で解任になった後、
地方警察局長となった、義門府 直志(ぎもんふ なおし)の名字として僕は聞き覚えがあったのだ。
だが、警察局長直々に、事件現場に出向いてくるはずはない。
・・・とすると、もしかして、今こっちに向かって来ているのは・・・・・
やっぱり、そうだ!
「ハテナくん・・・だよね?」
「な、なんで、その呼び方を知ってるんだ!?」
刑事は大げさに驚いた様子を見せた。 やっぱり、彼で間違いないみたいだ。
今、目の前にいる男・・・義門府と名乗った刑事は、
警察局長、義門府直志の息子、義門府 孝志(ぎもんふ たかし)だ。
実は、僕は彼のことも知っていた。
・・・といっても、会ったのは今日が初めてだけど、彼は大学で有名人だったからな・・・。
彼、義門府孝志は、僕と同じ、戸亜留大学法学部を卒業した同級生だった。
彼は、身長180cmの長身で、運動神経が良かったし、確か、剣道では有段者だったはずだ。
学習面でも、法学部の中では常に上位層に位置していたし、いわゆる、万能人間・・・エリートってやつかな?
しかし、そんな彼についたあだ名が、“ハテナくん”だった。
その理由は、彼の性格にあった。 彼は、かなりの優柔不断な男だった。
・・・というか、自分の判断に自信が持てないらしかった。
「・・・今までの推論をまとめれば、結論はこうだ!
・・・いや・・・でも、待てよ?
これは、ここがこうだと信じたからであって、もしこれが間違っていたら・・・・・
うーん・・・はてな・・・全く分からなくなってしまった。」
こんなことを口にすることが日常茶飯事だったらしい。
(もっとも、彼の結論は、悩まずとも、いつも間違いなどなかったらしいのだが・・・。)
そして、悩み始めたときに出る口癖、「はてな・・・」から、いつしか彼はハテナくんと呼ばれるようになっていた。
実際の能力と性格がムジュンした人物・・・そんなわけで、彼は法学部の有名人だったのだ。
今日初めて、実際に会った僕がここまで語れるのだから、彼のことがどれだけ法学部中に知れ渡っていたかは想像できると思う。
「あっ、君は、道比木正義くんか!」
おや、彼もぼくを知っていたのか?
「特別卒業をして、検事になったっていうのは、君だよね!
いやぁ、すごいやつがいるもんだと思ってたんだよ!
・・・それに引き換え、僕なんて、この前の3月に卒業したばかりで、4月にやっと警察官になれた、ド凡人だ。」
いやいやいや、謙遜の仕方間違ってるよ!
僕は、卒業後に3年間、頑張ってやっと検事になれたけど、義門府くんは、卒業後1か月足らずで警察官になったって、どうみても君のほうがすごいでしょ!
「・・・って、こんな話をしてる場合じゃないんだよ!
事件だ! 事件があったって通報で、僕はここへ来たんだ。 一体、何があったというのです?」
義門府刑事は、急に表情を変え、手術着の人物のほうを向いた。
その眼は真剣な刑事そのものだった。 やっぱり、彼、優秀なんだろうな。
「えぇ、お話しますよ。
まず、私は、刃崎 英利(はざき えいり)(52)。
ここ、追田クリニックの外科医で、今回の事件となった手術で執刀医を担当した医師です。
その手術の内容についてですが・・・
患者の氏名は、平院 修吾(びょういん しゅうご)(27)
胃の中に腫瘍ができていたので、それを取り除くことが、今回の目的でした。
腫瘍といっても、良性だったんですが、彼は健康に関しては異様に不安を覚える性格のようでしてね・・・
我々としては、身体を傷つけるほうが、負担がかかると申し上げたのですが、
平院さんがどうしても、とおっしゃったので、今回の手術に至りました。
この手術のリスクはそれほど高くはありませんでした。
我々も何度も行ってきた手術ですし、今までに失敗したことは一度もなかった。
しかし、今日、初めて失敗が起こってしまった。
手術中に突如、彼の心拍数が低下し、彼は、残念ながら亡くなってしまった。
・・・だが、これは決して医療ミスではないのです!
彼の心拍数が下がった時点で行っていたことは、麻酔と開腹だけです。
それなのに、平院さんは亡くなってしまった。
ならば、考えられる理由は、ただ一つ!
麻酔に何かが仕込まれていたんだ・・・平院さんを死に至らしめる何かが!
これは、麻酔医が意図的に仕組んだ事件なんですよ!
だから、私は、刑事さん・・・あなたに麻酔医を事件の犯人として、突き出します!」
「・・・な、なるほど。 しかし、あなたは、麻酔医が犯人だと断定する証拠はないんですよね?」
「えっ?・・・それは、そのぉ・・・・・まぁ、ないですが・・・・・」
「ならば、とりあえずは捜査をしてみないことには分かりません。
あなたを含めた、手術関係者への事情聴取・・・手術室の科学捜査・・・その他聞き込み・・・。
そういったことを踏まえたのち、これは事件なのか・・・
そして、事件ならば、誰を犯人として起訴するのかを決めたいと思います!」
義門府刑事はとても冷静で、要領を得ていた。
なんか、ハテナくんとか本当に呼ばれていたのかな?ってくらい、しっかりしている。
ここはもう、僕がいる必要はないな。 僕は、待合室で健康診断を待つことにしよう。
「さぁ、じゃあ行きますよ、道比木検事!」
「えっ!?」
「これから、他の検事を呼ぶと時間がかかってしまう。
君が、ここにいてくれたのは、運が良かったよ! すぐに捜査が始められる!
・・・僕は、道比木正義検事・・・君を今回の担当検事に任命します!」
あの、普通は逆じゃないかな? 検事が、刑事を任命するんじゃあ・・・
だが、僕に反論の余地はなかった。 無理やり腕をつかまれ、手術室の中へと連れていかれた。
14:20 押田クリニック 手術室内
手術室の中は騒然としていた。
「・・・だから、俺じゃないんだって!」
「じゃあ、他に誰がやったっていうのよ?」
「刃崎先生だって、患者に接しただろ? だから、先生だって・・・・」
「き、君・・・刃崎先生を疑っているのかい? あれほどの名医を疑うなんて、君は罰当たりだよぉ!!」
「これこれ、チミたち! 今は、そんなことで言い争ってる場合じゃないじゃろうが!
まずは、平院どのの遺体を病室まで運び、安らかに眠れるよう処置を施してやることが優先じゃ!」
そう言って、一番年配の医師が患者を、外へ運び出そうとした。
だが、それを義門府刑事が止めた。
「お待ちください! 僕は、警察局刑事課の義門府孝志です。
執刀医の刃崎医師から通報を受け、今回の手術について、事件性を視野に入れた捜査をすることになりました。 ですから、みなさん、この場を動かないように!
そして、手術室内のものは一切動かさないように願います!」
「あぁ、あなた、刑事なのね? だったら、話が早いわ! 平院さんを殺したのは、この男よ!」
女性の医師が、向かい側に立っている男性医師を指さした。
「だ、だから、俺じゃないって!」
「君、嘘はよしたほうがいい! そのうち、天罰下っちまうぞぉ!!」
「な、なんで、みんなして俺を犯人に仕立て上げるんですか!」
「だって、あなた・・・」
「黙ってください!」
その一喝で、手術室内は静まり返った。 今の声は、義門府刑事・・・だよな?
「犯人が誰かを決めるのは、僕とこの道比木検事です。
あなた方が、誰が犯人だ・・・いや、違うなどと主張しても、何の意味もない!
捜査をしなければ、何もわかりません。
だから、まずは冷静になって、僕らの捜査に協力してください。
・・・とりあえず、皆さんの氏名と、この手術での役割を教えていただけますか?」
やっぱり、彼、すごくしっかりしてる。 番刑事なんかより、よっぽど安心して見ていられる。
ホントに彼が、ハテナくんなのか?
「・・・取り乱して、失礼しました。
俺は、麻酔医の鱒井 拓海(ますい たくみ)(28)。
まぁ、その名の通り、手術では、平院さんに全身麻酔をかけました。」
彼が、さっきから散々犯人扱いされている、麻酔医か・・・。
「私は、石野 香織(いしの かおり)(32)・・・看護師です。
この手術では、手術器具の準備や、患者の平院さんを手術室まで連れてくること・・・
それから、手術中は、心電図や血圧のモニターの確認を行っていたわ。
だから、平院さんの異変に最初に気付いたのは私だった。」
女性医師だと思っていた彼女は、看護師だったのか・・・。
「僕は、研修医です。 名前は、真田 勉(まだ まなぶ)(24)。
今週が研修の最終週ってことで、今日は刃崎先生のお許しを得て、手術に参加させていただきました。
僕がやったのは、刃崎先生に指示された器具を、先生に渡すことだけでしたよ。」
24歳って、僕より年上だけど・・・
まだ研修の身とは、医者になるのって本当に大変なんだな・・・。
「わしは、五河 趙二(いつかわ ちょうじ)(65)。 この追田クリニックの副院長じゃ。
・・・じゃが、この手術での肩書は、副執刀医・・・刃崎医師の部下という役回りだった。
(副が好きだなぁ・・・とかは思わんように!)
と言ってもまぁ、今回の手術でわしがしたことは何もないんじゃがな・・・。
わしは、消化器が専門の医師だから、今回は胃の手術ということで、緊急事態に備えて呼ばれたんじゃが・・・その緊急事態に対応できなかったんじゃから、面目がないわなぁ・・・。」
この人が、副院長?
僕には、呑気なおじいさんにしか見えないんだけど・・・。
「・・・なるほど、あなた方自身については大体わかりました。
では、我々はこれから、この手術室を捜査させていただきますので、
みなさんは、どこか別の場所でお待ちください。
また後で、お呼びしますから・・・。」
そう言われて、4人は手術室を後にした。
「じゃあ、道比木検事、捜査を始めよう!」
「うん・・・じゃあ、まずは遺体を・・・」
「いや、遺体を調べるのは後でいいよ。
まずはこっちを調べよう。 犯人を特定することが先決だ。」
そう言って、刑事は手術室のある場所を調べ始めた。
どうやら彼にはもう、犯人の目星がついているようだ。
今回の事件、義門府刑事がいれば安心だ。 その時の僕は、そう思った。
14:31 手術室内
義門府刑事は、手術器具が並べられた台のほうへ向かっていった。
そして、いくつかの器具に触った後、こう言った。
「うん、わかったよ。」
「わ、わかった・・・って、もしかして・・・犯人が!?」
「あぁ、1人に特定はできないけど、候補の2人は絞れたよ!」
刑事が器具に触れたのは、ものの数十秒だ。
それだけで、本当に2人に絞れたというなら、彼はやっぱりエリートだ!
「その2人っていうのは、誰なの?」
「執刀医の刃崎英利と麻酔医の鱒井拓海さ。
今、手術器具を調べたけど、使われた形跡があったのは、このメスと、この注射器だけだった。
さっき、刃崎先生が、『麻酔をして、開腹した時点で患者の様態が急変した』と言っていたけれど、どうやらその通り、この手術では、麻酔と開腹しか実際には行われなかったようだ。
それなら、普通に手術が行われた場合、医療ミスが起こって患者が亡くなるなんて事態にはならないはずだ。
鱒井先生は、麻酔に特化した麻酔医なんだし、刃崎先生の行った開腹だって、外科医にとっては初歩的な操作だからね。
つまり、平院さんが手術中に亡くなった理由は、次の2つのパターンしかありえない。
①刃崎先生が、開腹の際、意図的にメスで致命傷となる部位を傷つけた。
②鱒井先生が、麻酔薬に何か死に至らしめる物質を混入させて、麻酔を行った。
医学の知識が豊富な彼らなら、どちらにしても実行は可能だったはずだよ!」
「な、なるほど・・・。 でも、それなら、他の3人はどうなの?
例えば、研修医の真田さんは、刃崎先生に渡す時にメスに触っているから、そこで何か細工をできたかもしれないし、そもそも、手術器具を用意したのは看護師の石野さんだし、平院さんを連れてきたのが彼女だって事実から、彼女も怪しいと思うんだけど・・・」
「まぁ、それも否定できないのは確かだよ。
ただ、その中でもかなり、可能性が高いのがさっきの2人なんだよ。
他の3人については、事情聴取もするし、これから、鑑識が手術室を調べれば明らかになるはずさ。
とにかく、僕らは、刃崎先生と鱒井先生に目星をつけて捜査を続けよう。 いいかな、道比木検事?」
「あ・・・はい、いいですよ。」
なんか、完全に立場が逆転しちゃったな・・・
14:43 ナースステーション
「ウシシ・・・カオリちゃんはいつ見ても、やっぱりかわいいのぉ・・・どれ、ちと、わしが診察を・・・・・」
「いい加減にしてくださいっ 」
「!? ・・・な、なんで、怒るんじゃ? ・・・でも、怒ったカオリちゃんも、たまらんなぁ・・・」
「ふざけるな、エロジジィ!! 」
「ちょ、ちょっと・・・石野看護師! 患者さんに暴言吐いちゃだめでしょう!」
「はぁ? 人を殺しておいて、あたしに説教しないでよ! 」
「だ、だから、俺は犯人じゃないって!!」
ナースステーションは非常に騒がしくなっていた。
僕らは詳しい話を関係者から聞こうと思って、ここへ来たのだが、どうやら事情聴取など、できそうにないな、こりゃ・・・
「おや、あんたたちは、刑事さんだったのぉ! 捜査とやらは終わったのかね?」
良かった。 副院長の五河先生は、僕らの存在に気づいてくれた。
「いえ、まだ途中ですが・・・先に、皆さんに詳しい事情聴取をしたいと思いましてね。」
「なによ、そんなの必要ないわ! こいつが犯人だから!」
「だから、俺は・・・」
また、始まったよ 何回このやり取りを聞かされるんだろう・・・。
「君はとりあえずいい。 まずは、刃崎医師にお話を伺いたいのですが・・・」
「おぉ、刃崎先生なら、今は回診中じゃ。」
「えっ? 皆さんには、一緒に待ってるように言ったじゃないですか!」
「そうは言っても、ここは病院じゃ。 患者のことを優先せねばならん。
心配しなくてもいい。 あと10分もすれば、戻ってくるじゃろうから・・・。」
「そうはいっても・・・」
計画がくるったのか、初めて、刑事の顔に不安の色が現れた。
14:56 ナースステーション
あれから13分が経った。 だが、刃崎医師はまだ戻ってきていなかった。
刑事の不安の色は不満の色に変わっていた。 そして、とうとう我慢ができなくなったらしい。
「あの、もう僕らのほうから伺います。 刃崎先生はどこを回っていらっしゃるんですか?」
「おそらく、外科病棟じゃろうな。 あっちの棟の3階か4階にいるはずじゃ。」
「ありがとうございます!」
そう言うと、刑事は一目散に走って行った。
僕も急いで後を追いかける。 そんなに待つのが我慢できなかったかな?
14:59 外科病棟 廊下
「では、大場さん、お大事に・・・」
おっ、いたぞ。 刃崎先生だ。 ちょうど、ある病室から出てくるところだった。
すかさず、義門府刑事が近づいていくので、僕も急いで後を追う。
「見つけましたよ、刃崎先生っ!」
「おっ・・・あぁ???」
いきなり刑事に叫ばれ、刃崎先生は困惑した表情だ。
だが、僕に気付くと、表情を変えた。
「!?・・・あなたは、さっきの・・・・・この度は本当に申し訳ないことを・・・」
「いえ、僕は平院さんの関係者じゃありません。 検事です。」
「け、検事さん・・・ですか? ・・・ということは、そうか! 鱒井のことが聞きたいんですね?
えぇ、間違いなくアイツが犯人ですよ!」
だが、それに刑事は首を横に振る。
「いえ、僕が話を聞きたいのは、あなたです。 犯人の、刃崎英利さんっ!」
「えっ、えぇぇ!?」
思わず声を出してしまったのは、僕だ。
そんなこと聞いてないぞ。 一体、どういうことなんだ?
15:02 外科病棟 廊下
「事件の起こった手術で行われた行為は、麻酔と開腹のみ。
そこから導き出される、被害者の死因は、麻酔時に有毒な異物が混入したことによる中毒死か、開腹時に致命傷となる部分が傷つけられたかのどちらかです。
ですが、麻酔は看護師の石井さんがあらかじめ用意していたため、鱒井医師が細工を仕掛けることはできなかったはずです。となれば、残る可能性は、あなたが致命傷を負わせたとしか思えないのですよ。」
「なるほど。 それで私を疑うわけか・・・。 だが、それでも死因は前者だろうな。」
「えっ?」
「君の推理によれば、鱒井には細工ができなくとも、石井には細工はできる。
石井が共犯者だったのかもしれないぞ。」
「いや、あんなに仲悪そうなのに共犯って・・・」
僕は思わず口にしてしまった。 そして、それに刃崎先生が反応した。
「フッ、確かにそうだな。 彼らが協力するとは思えんな。
これはあくまで予測だ。 鱒井が一番怪しいと思うが、犯人とは断定できない。
・・・だが、私が犯人でないということは自信を持って言える。」
「・・・・・」
予想外の展開に刑事は口ごもる。
「君たちに、これを渡そう。 読みたまえ。 これで私が犯人ではないことがわかるだろう。」
渡されたのは、分厚い本だった。
表紙に『医師のタブー100選』とタイトルが書いてある。
「それは、手術におけるやってはいけないことリストみたいなものだ。
そこに書かれていることは、間違って行ってしまった場合、どんな処置を施しても、患者の命を救うことは非常に難しいという行為だ。」
中を開いて見てみると、イラストと長々とした文章が書かれていた。
「執刀編のページを見てみたまえ。
そこに書かれている、どの禁止事項も今回の開腹とは似ても似つかぬ状況だろう?」
そういわれて、そのページを見てみた。
長々書かれている文章は、危険な理由などが記されているらしいが、専門用語ばかりでよくわからない。
しかし、ざっとイラストを見た限りでは、刃崎先生が言う通り、今回の被害者の状態とは全く違うもののようだ。
「どうだね? 私が犯人ではないと理解してくれたかね?」
どうやら、この事実は認めるしかないみたいだな。
あんなにきっぱりと、刃崎先生が犯人だと言い切ったのに、推理が外れて、義門府刑事はさぞがっかりだろう。
「分かりました。 ご協力ありがとうございます。 それじゃあ、これで。 いくよ、道比木検事!」
「えっ、あ・・・うん。」
あれ、推理が外れたのに、やけにさっぱりしてるな・・・。
15:20 ナースステーション前
「あの、こんなこと言うのも変だけどさ、義門府刑事、何かやけにさっぱりしてない。
・・・その、推理が外れたのにさ・・・・・」
「えっ? 推理が外れた?
ははっ・・・推理は外れちゃいないさ。 むしろ、今の刃崎先生の話で確信が持てたね。
・・・鱒井先生が犯人だってことにさ!」
「えっ!? じゃあ、さっき刃崎先生が犯人だって言ったのは・・・・・」
「あぁ、それはね・・・ああ言えば、自分が犯人ではないって証拠を僕らによこしてくれると思ってさ。
ほら、現に、この本を証拠として手に入れられただろ?」
そう言って、刑事が取り出したのは、さっきの『医師のタブー100選』という本だ。
「さっき、手術室で言ったとおり、僕が犯人として目星をつけたのは刃崎先生と鱒井先生の2人。
現場の状況から、2人にしか犯行は可能ではなかったからね。
そして、今の証言とこの証拠品から、刃崎先生が犯人だという可能性は消え去った。」
「つまり、犯人は鱒井拓海で決定ってわけか!」
「あぁ、そういうことさ。 つまり、被害者・平院修吾は麻酔薬に混入された毒物による中毒死。
この可能性が非常に高いと思うよ。 おそらくそろそろ司法解剖も終わっているはずだ。
もう一度手術室へ戻って、確認しよう。」
まさか、消去法を使って犯人特定に至るとは・・・。
おそるべし、義門府孝志。 この事件、難なく解決できそうだな。
15:25 手術室内
「警察の義門府孝志です。司法解剖の結果を知りたいのですが・・・」
警察手帳を掲げながら、刑事が呼びかける。
だが、手術室内に人影はなかった。
「あれ・・・誰もいないのかな。 そんなはずは・・・」
・・・と思ったら、奥から人が現れた。 ・・・って、ん? もしや、彼女は・・・・・
「あっ、刑事さんですか。 すみません、司法解剖の結果は・・・・って、あれ?
!? み、道比木さんっ!?」
「やっぱり、そうだよね? 君、レイちゃんだよね?」
「はい、そうです! 覚えていてくれたんですね!!」
「・・・あのぉ・・・誰???」
事態を呑み込めない刑事は、きょとんとしている。
「こちら、七篠レイちゃん。
僕が以前扱った事件で、証人だった子なんだ。」
「はぁ、なるほど。 ・・・で、七篠さん・・・だっけ? 何で君がここにいるのかな?」
「なんでって、司法解剖を行ってたからですよ!」
「えっ? えぇぇぇ!?」
驚いたのは僕だ。
「なんで、道比木さんが驚くんですか?」
「だって、レイちゃんは大学生だったよね?」
「大学生が司法解剖やっちゃいけないんですか?
わたし、こう見えても優秀なんですよ。
生物学科に入ってるって言いましたけど、その理由は検視官になるのが夢だからなんです。
それで、猛勉強しましたから、特別研修生として、この事件の検視を担当させてもらうことになったんです。」
「レイちゃんは検視官が夢だったのか。 ・・・いや、でも、だからって学生が検視しちゃダメでしょ!」
「これを見てください!」
「・・・えっ? 何これ・・・!? これは、警察局長のサインが入っている!」
「えっ、父さんの? 一体、何が書いてあるんだよ、道比木検事!」
「『只今、多数の凶悪事件の同時発生により、警察は鑑識、及び検視官の人員不足に陥っている。したがって、追田クリニックにて発生した殺人事件の捜査に関しては、戸亜留大学の特別研修生に、検視の権限を与える。 地方警察局長 義門府直志』 だって。」
「ほら、わかったでしょ? この事件の検視官はこの私なんです!」
そうは言ってもなぁ・・・。 僕は、納得できなかった。
僕も研修生としての経験があり、検事の資格を取る前に法廷に立ったこともある。
だから、それと同じだと言われれば、言い返せないが、でも、検視は人の命に関わることだ。
そう簡単に、認めていいものなんだろうか?
「まぁ、父さんのお許しがあるならいいんじゃないかな。 道比木検事、彼女に任せよう!」
「え・・・」
刑事にそういわれると、否定しづらかった。 仕方なく、僕はレイちゃんに任せることにした。
「それで、七篠さん、司法解剖の結果は?」
「それがその・・・研修生の至らないところでして・・・・
結果は確実なものをお渡しする技術は備えているんですが、プロより時間がかかっちゃうんですよね。
まだ、結果が出せていないんです。」
「・・・あー、そうか・・・まぁ、しかたないね。
じゃあ、結果が出るころにまた来るよ。 いつごろ出来そうかな?」
「明日の午前中には、終わると思います。」
「あ、明日ぁ!?」
思わず、刑事は大声を上げたが、僕も同じ気持ちだった。
明日といえば、裁判当日!
つまり、司法解剖の結果なしで・・・死因の特定ができないままに裁判に臨まなければならないということだ。
「そんな・・・そんな・・・死因がわからなければ、犯人を1人に絞れない!
確かに、鱒井医師は限りなく犯人らしいけど、刃崎医師の疑いもまだ完全に晴れたわけじゃないんだ。司法解剖の結果で死因がわかれば、どちらが犯人か特定できたのに・・・・
これじゃ、誰が犯人かわからない! 鱒井か? 刃崎か?
ハテな? 犯人はどっちだぁ?」
ついに出た。 彼の名台詞ともいえる「ハテな?」。
それまで、素晴らしい分析を進めながらも、最後の最後で決断に迷う。
この優柔不断さは、まさしくハテナくんといわれるゆえんだ。
僕は急に、義門府刑事が担当刑事であることに不安を覚えた。
つづく