5月7日 8:54 地方裁判所 ロビー
「本当に、これでいいんだよね?」
僕は、義門府刑事に尋ねた。
「あぁ、多分・・・。」
「た、たぶん!?」
本当に、大丈夫なんだろうか?
僕が今、手にしているのは、刑事がまとめた冒頭陳述の資料だ。
なんとかまとめ上げたようだが、最後の最後まで犯人が誰かの決断に悩んだようだ。
彼の判断、本当に・・・いや、疑っちゃだめだ! 刑事の判断を信じよう!
同日 9:00 地方裁判所 第6法廷
「それでは、これより、平院修吾殺害事件に関する裁判を執り行います。」
そう言って木槌を叩いたのは、この前の裁判でも担当だった鯖樹裁判官だ。
「では、検察側は冒頭陳述をお願いします。」
「はい。 本件の事件は、同年5月6日、追田クリニックの手術室で発生しました。
被害者は、平院修吾(27)。 そして、被告人は、鱒井拓海(28)です。」
そう、結局僕らは、鱒井医師を犯人として起訴したのだ。
「・・・被害者は、事件当日、胃にできた腫瘍の摘出手術中に死亡しました。
当初は、手術中の医療ミスによる事故死と思われましたが、被害者が死亡した段階で行われていた操作は、開腹と麻酔のみ。
医師の話によれば、普通に手術を行った場合、これらの操作だけで死に至ることはあり得ないそうです。 つまり、被害者の死には、何者かの意図的な操作が加わったことになるのです。
そして、現場の状況から被害者を死に至らしめることができた方法は、麻酔薬に毒物を仕込み、被害者を中毒死させること。
それができたのは、麻酔医の鱒井拓海氏です。 よって、検察側は、鱒井拓海を起訴いたしました。」
「なるほど、わかりました。 被告人、今の検察側の冒頭陳述に何か問題は・・・」
「その前に、1ついいかい?
・・・道比木検事、だったかな? 君の発言に医学的コンキョはあるのかな?」
「あ、あなたは・・・どなたですか?」
ありゃ? 今度も弁護側は見たことのない人だ。
奇抜な色のシャツの上に、白衣を羽織っている。
この前の生倉弁護士以上におかしな人の気配がするんだけど・・・。
「あぁ、自己紹介がまだだったね。
私は、曽口 漁輔(そくち りょうすけ)。 この事件の担当弁護士だ。」
「そ、そくち・・・ですか? もしや、あなた・・・お医者さんではありませんか?」
「え・・・い、医者?」
「あぁ、昔はそうだったよ。 でも、もう辞めちゃった。 今は普通の弁護士さ。」
元医者って・・・。 何で辞めたんだろう?
「ま、医者も弁護士も“先生”って呼ばれて、人助けをする仕事。
大した違いはないさ! 気にしないでよ。」
そういうもんなんだろうか?
「ところで、検事くん・・・話は戻るけど、君の発言には、医学的コンキョはあるのかい?」
「え・・? いや、ですから、今言った通り、死因は中毒死で・・・
その毒は、麻酔薬に仕込まれていたと・・・」
「違う、違う! 聞いてるのは、そういうことじゃないよ。
君が、麻酔薬に仕込まれた毒物で被害者が亡くなったと主張したいことは十分に分かった。
ならば、君がいうその毒物とは、何という物質なんだい?
その毒物は人体にどう作用する? 仮にその薬物が被害者の人体に作用していたとして、それが死因とつながると言い切れる可能性は何%だ? 君の結論は、他の医学・生物学的可能性を消去した結果に得られたデータなのかな?
・・・そう言ったことが、君の冒頭陳述では述べられていなかった。
そこを明確にしてもらわなければ、私の依頼人の鱒井くんが犯人だとは認めがたいんだけど。」
「・・・・・・・・」
僕は何も反論できなかった。 ・・・というか、この人何言ってるのかよく分からないんだけど・・・
「言葉が出ないということは、やはり、君の主張には医学的コンキョは伴っていないようだねぇ。」
「むむ・・・そうなのですか? 道比木検事? そりゃ、いけませんぞ!
・・・どおりで、おかしいと思ったのですよ。 被告人、名前が鱒井ですからなぁ・・・。
こんないい名前の方が犯罪など犯すはずがないのですよ!」
でたよ。 裁判長名物、魚のえこひいき! だが、この流れに負けちゃだめだ!
「た、確かに、医学的コンキョは、あまりしっかりと揃えられていません。
・・・で、でも、僕は検事だ。 そして、ここは法廷です!
この場で必要なのは、法であり、医学ではない!」
「なるほど。 君の言い分は最もだ。
・・・でも、今回の事件で、鱒井くんが僕に依頼した理由を考えてごらんよ。
それでもまだ、同じことが言えるかな?」
鱒井医師が、曽口弁護士に依頼した理由?
「私は、さっきも言った通り、元医師の弁護士だ。
一応、弁護士なんて名乗ってるけど、正直、最初から法曹界にいる他の弁護士たちに法で勝てる自信はないよ。 もちろん、君にもね。
・・・だが、今回に限っては違う! 今回の事件現場は手術室だ。
この場所は、私にとってはホームグラウンドみたいな場所だ。
おそらく、法曹界の中では私が一番、今回の事件現場の状況を的確に判断し、事件当時の状況も予測できると自負している。
鱒井くんもそれを理解してくれたようだ。 それが、今回私が依頼された理由だよ。
つまり、今回に限っては、法より医学が重要だ・・・鱒井くんはそう考えたんだろうね。」
な、なるほど。 手術室で起きた事件だから、その道に長けた人物に弁護を依頼したわけか。
これは、なかなかしんどいな。
でも、僕らだって、しっかりと捜査を行ったんだ。 自信を持って臨めば大丈夫!
「・・・それと、理由はもう1つあるんだ。」
「えっ!?」
「私は真犯人を知っている。 それが、鱒井くんが私に依頼した、もう1つの理由だろうね。
お呼びしよう。 私が告発する真犯人だ!」
そんな・・・まさか!?
出てきたのは、予想通りあの人だった。
刃崎英利医師だ。 やはり、義門府刑事は最後の最後で判断を間違ったのか?
9:14 弁護側告発 ~真犯人は刃崎英利~
「彼が、私の告発する真犯人・・・外科医の刃崎英利氏だ。
道比木検事、君は、鱒井くんが麻酔薬に毒物を仕込んで被害者を死に至らしめたと主張したね?
さっきは、医学的コンキョがないとか、ちょっと意地悪なこと言ったけど、まぁ、君は君なりに考えた結果、その結論に至ったんだろう。
だから、君の主張は、1つの可能性として一応認めておいてあげる。
だが、私は、君の考える主張が真実だという結論には至らなかった。
私が至った結論・・・それは、刃崎英利が、開腹中に被害者を殺害した、ということだ。」
曽口弁護士がいま口にしたことは、僕と義門府刑事も捜査の途中までは考えていたことだ。
でも、あの証拠がある限り、刃崎医師が犯人であるはずはない。
それでも、曽口弁護士は、刃崎医師を告発した。 これは、どういうことなんだろう?
「おや、道比木検事、ずいぶん不思議そうな顔をしているね。そんなに私の主張が認めがたいかな?」
「いや・・・だって・・・・・」
「何か言いたいことがあるなら言ってみなさい。
患者の疑問や不安を取り除かずに治療を進めれば、医師として失格だからな・・・」
いや、僕は患者じゃないし、あなたも、もう医師じゃないでしょう。
だが、せっかく、曽口弁護士が機会を与えてくれたので、僕は一番気になっていたことを言った。
「僕は、刃崎医師が真犯人だということには納得できません! それは、これがあるからです!」
「ん? それは何ですか?」
裁判長が興味深そうに、席から身を乗り出してきた。
「これは、『医師のタブー100選』という医学書です。
ここには、医師が手術中に行ってはいけない、患者を死に至らしめてしまう可能性が非常に高い行為が書かれています。
この中の、執刀編のページを見ると、主に手術中に行ってはいけないメスさばきについてイラストと共に書かれています。
このイラストをご覧になればお分かりのとおり、今回の手術で刃崎医師が行った開腹時のメスの使い方は、この禁忌行為のどれにも当てはまっていないことは明らかです。
つまり、今、曽口弁護士がおっしゃったように、『刃崎医師が開腹時に被害者を殺害した』という主張に、検察側は異議を唱えます!」
「ふぅむ・・・なるほど。
私は、医学に関してはほとんど知識がありませんが、このイラストを見る限り、道比木検事の主張は筋が通っているようですね。
どうでしょうか、曽口弁護士?」
「なるほど・・・。
その本は、私も利用したことがある由緒ある医学書だ。 難癖をつけるつもりはない。
だが、私の考えは変わらない。 やはり、刃崎医師が開腹中に被害者を殺害したのだ。」
「えっ? でも・・・」
「但し、殺害方法についての考えは少し違うよ。
道比木検事・・・君は、私が、刃崎医師が真犯人だと言ったとき、その殺害方法は、メスによって致命傷を負わせたことだと考えたんだろう。 だから、すかさず、その本を持ち出して否定した。
もちろん、殺害方法がそれならば、今の君の発言で彼が犯人である可能性はゼロになる。
だが、そうではないのだよ。
刃崎医師は、メスに毒物を塗り込み、それによって被害者を中毒死させた。
これが、私が考える、殺害方法だ。」
「それなら、僕の主張と同じじゃないですか! 僕だって中毒死を主張しました!」
「いや、違うね。・・・・・・・・・・・・・・・メスッ!!!」
「!?」
「な、何をしているのですか!? 法廷でそんな危ないものを出さないでください!!」
裁判長の慌てっぷりはさすがに大げさすぎる気がするけど、さすがに僕も少なからず驚いた。
いきなり懐からメスを出すなんて・・・。
「おっと、こりゃ失礼! 別に驚かすつもりはなかったんだけど・・・。
このメス・・・これが、刃崎医師が真犯人だという決定的な証拠さ。
このメス、刃に液体が付着しているんだよ。 解剖記録がまだ提出されてないから、確かなことは言えないけど、僕の医師の経験からして、これはある薬物だ。 人間を死に至らしめるね・・・。
普通に執刀する場合、こんな薬物がメスに付着しているはずがない。」
「だから、刃崎先生が真犯人だと言いたいのですね?
でも、そんな薬物どうやってメスに付着させたっていうんだ?」
「・・・道比木検事、さっきから私の発言に対して、やけに反論が多いね。
いい加減、いちいち答えているのが面倒臭くなってきたよ。」
「う・・・それは・・・・すみません・・・。」
「まぁ、いいよ。 君の疑問は、彼が全て解決してくれる。 さぁ、先生、ようやく出番ですよ。」
9:31 弁護側:証人の証言① ~手術中の刃崎医師について~
証言台の前に立ったのは、五河趙二副院長だった。
あいかわらず、呑気な雰囲気を漂わせている。
「彼は、今回の事件が起こった手術中に副執刀医として立ち会っていた五河趙二医師だ。
彼は、刃崎医師が手術中にとった不審な行動の一部始終を目撃している。
そのことを証言してもらおうと思うのですが、よろしいでしょうか、裁判長?」
「えぇ、構いませんよ。 では、証言をどうぞ。」
「わしは、今回の手術で副執刀医を担当した、五河趙二じゃ。
手術中に行ったことは実際には何もなかったのだが、手術前の打ち合わせでは、常に執刀医である刃崎医師の動きを見守り、刃崎医師が手に負えない状況に陥った時やミスをしそうになった時に補助をするのがわしの役目ということになっていた。
だから、手術中は、他のことはさておき、最初から最後までずっと刃崎医師の動きに注目していたのじゃ。 その動きを振り返ってみると、どう考えてもおかしな動きをした場面があったのじゃ。
あれは、研修医の真田クンが刃崎医師にメスを渡したときじゃ。
なんと、刃崎医師は一度受け取ったメスを床に落としたのじゃ。
その時にはもう、真田クンは次の器具の準備に取り掛かっていたし、看護師の石野クンは心電図の方を見ておったし、鱒井医師は終わった麻酔の後片付けをしておったから、おそらくそれに気づいたのはわしだけじゃろうな。
わしはかなり不審に思ったが、手術中はそんなことで動揺している場合ではない。
落ちたメスを拾い、真田クンに新しいメスを渡すように言おうと思ったのじゃ。
だが、そこでそれ以上に不審なことが起きたのじゃ。
なんと、刃崎医師はすでに別のメスを持っておった。 しかも、そのメスは、刃崎医師の手術着のポケットから出てきたのじゃよ。
あの時は、刃崎医師は、何がしたくてあんなことをしたのか見当もつかんかった。
だが、今ならわかる。 刃崎医師は、手術のために用意されたメスと、自分が用意していた毒物を塗ったメスをすり替えていたのじゃ!
石野クンたちは、なぜわしだけ鱒井医師が犯人だと疑わないのか不思議に思っていたようじゃが、そういうことじゃ。」
な、なんだってぇぇ!!
こんなこと証言されたら、もはや、僕の主張は成り立たない。
刃崎医師が真犯人ではないということを裏付けるはずだった、唯一の証拠の医学書も、これで価値を失った。
僕の役目は、刃崎医師の無実を証明することではないが、刃崎医師の無実を証明できなければ、
鱒井医師が無罪ということになってしまう。
だから、ここはなんとか、刃崎医師の無実を証明しなければならない!
「どうかな、道比木検事? これで、君の疑問は解決されたかい?」
「いえ、解決されていません!」
「こんなにしっかりとした証言があるのに?」
「証言は、あくまで過去の記憶・・・そこには間違いや勘違いだってあるかもしれません!
僕は・・・検察側は、その間違いや勘違いがないと明らかにならない限り、弁護側の主張は認められません!」
「つまり、尋問がしたい・・・ということかな? なるほど、生粋の検事らしい考えだ。
それで気が済むなら、私は構わないが・・・裁判長はいかがですか?」
「まぁ、いいでしょう。 ただし、条件があります。」
「えっ?」
「今の証言をお聞きになって、お分かりのとおり、内容が非常に長い!
その上、証人はとても呑k・・・じゃなくて、穏やかな性格であられるため、話す速度がゆっくりでした。
途中から、退屈してきたので時間を計っていましたが、今の証言は約5分かかっていました。
これをもう一度繰り返されるとなると、非常に効率が悪い!
・・・ですから、道比木くん。 尋問を行うことは認めますが、手短にお願いします。
具体的に言えば、制限時間は3分です。 もし超えたら・・・・・・」
そう言って、不敵な笑みを浮かべた裁判長の手には、タコが握られていた。
今度は何をするつもりか分からないけど、こりゃ、約束を破るわけにはいかないな。
でも、制限時間3分って・・・・・五河医師の証言だけで5分かかるんだから、普通にやったら尋問なんて全くできない。
ここは、必要そうなところだけ、ピンポイントで攻めていくしかないようだ。
9:39 検察側尋問 ~手術中の刃崎医師について~に対して
「それでは、証人、尋問を始めます。」
「なるほど。 では、もう一度証言をすればいいんじゃな?
・・・わしは、今回の手術で副執刀医を担当した・・・・・・・・・・」
「いえいえ、そこはもういいです! 僕が質問しますので、それに答えてください。
・・・五河先生、あなたは先ほど、刃崎医師がメスを落としたと証言されましたが、それは、落とそうと思って落としていたのですか? それとも、落としてしまったのですか?」
「あれは、絶対にわざとじゃよ。
わしは、確かに、刃崎医師がメスを一度しっかりと握ったのを見た。
そのあと不意に、その手を開いて、メスを落としたのじゃ。」
「なるほど。 ・・・で、新しいメスを用意しようとした時にはもう、刃崎医師は別のメスを握っていたということですね?」
「あぁ、そうじゃよ。」
「そのメスは、刃崎医師の手術着のポケットから出てきたと証言されていましたが、それは間違いありませんか?」
「間違いない。 わしは、ひと時も刃崎医師から目は離さんかったからのう。
ちょうど、わしが、新しいメスを用意するように真田クンに声をかけようとした時に、刃崎医師のポケットから別のメスが出てきたんじゃ。」
「それで、そのメスに毒物が塗られていたということですか?」
「あぁ、そういうことじゃ。」
まずい、どこにも付け入る隙がない・・・。
「道比木検事、2分経過しました。 のこりは、あと1分ですよ。
1分以内に尋問が終了しない場合は、ペナルティを受けてもらいますからな!」
裁判長の言葉で、ますます焦ってきた。
だが、何か答えを出さなければ、刃崎医師が犯人だということを認めることになってしまう。
「・・・五河先生、そのメスには本当に毒が塗られていたんですか?」
「だから、今、そう言ったじゃろう。 わしが嘘をついておるとでも言いたいのか?」
「そうは言っていませんが・・・メスに塗られた毒なんて、見てわかるものなんですか?」
「・・・・それは・・・・そのぉ・・・・・・」
ん? 五河医師が言葉に詰まったぞ。
もしかして、五河医師は、本当はメスに毒が塗られていたなんて、気付いていなかったんじゃないか?
いや、そもそもメスに毒が塗られていたというのは、五河医師が思い込んでいただけのことなんじゃないのか?
それなら、話は振り出しに戻せる!
「裁判長、検察側の答えは決まりましたよ!」
「!? ・・・な、なんですとぉ!!!」
えっ? なんで、裁判長がそこまで驚くんだ?
「残り時間、あと3秒・・・もう少し・・・もう少しだったのにぃ・・・・・」
裁判長は、残念そうな表情で、手に握っていたタコをどこかへ片づけた。
そんなにあのペナルティ食らわせたかったのかよ・・・。
「・・・おほん。 まぁ、いいでしょう。 それで、道比木検事、検察側の答えというのは?」
「はい。
五河医師は、今の証言で、刃崎医師がメスをすり替える現場を目撃したと言いました。
そして、すり替えられたメスには毒物が塗られていたとも証言されました。
ですが、五河先生・・・あなたは、メスに毒物が塗られていたことに気付くことなどできなかった。
いや、そもそも、メスに毒物など塗られてはいなかった。
・・・それが、検察側の答えです!」
「何ですと!? そうなのですか、証人?」
「そんなわけないじゃろうが、裁判長殿! わしは、確かにこの目で見たぞ!
メス先がキラリと光っておったわ。 ありゃ、確かに有毒な物質じゃ!」
「後からなら何とでも言えるでしょう。 しかし、一度言った言葉は取り消せない。
あなたは、先ほどの証言でこうおっしゃられました。
『あの時は、刃崎医師は、何がしたくてあんなことをしたのか見当もつかんかった。』 とね。
もし、本当に、メスに毒物が塗られていることに気付いていたならば、この発言はあり得ない。
なぜなら、刃崎医師はその後、そのメスで被害者の開腹を行っているのです。
毒物の存在に気づいていたのなら、メスのすり替えは、被害者を殺害するためにおこなったことだと、すぐに理解できたはずです。」
「ぐ・・・確かに・・・・・」
「つまり、あなたは、メスに毒物が塗られていたことを目撃したのではない。
事件が起きた後で、刃崎医師のメスのすり替えのことを思い出し、おそらくメスに毒物が塗られていて、それが原因で被害者は亡くなってしまったのだと、勝手に思い込んだだけなのですよ!
そうではないですか、五河先生?」
「・・・・・・そ、そうじゃ。 そう言われれば、そのような気がする。
わしも、とうとう老いぼれてきたということかのう・・・。 メスのすり替えは確かに目撃した。
じゃが、そのメスに毒物が塗られていたかどうかはよくわからん。 思い込みだったようじゃ。
すまん。 どうやら、わしのせいで裁判をややこしくしてしまったようじゃな。」
なんとか、五河医師の証言は崩せたようだ。
これでもう、曽口弁護士も、刃崎医師が真犯人だなどとは主張できまい。
「・・・五河先生、謝る必要はありませんよ。 あなたの証言は、間違っていません。」
この声は、曽口弁護士!?
曽口弁護士は堂々とした態度で、そう言い放った。
ここまで証言を崩したのに、一体、何があるというんだ?
9:45 弁護側反論 ~メスに塗られた毒物について~
「一体どういうつもりです?
メスに毒物が塗られていたのは思い込みだったと、五河医師は認めたんですよ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・メスッ!!!」
「うわっ!」
またもや、曽口弁護士が、おもむろに懐からメスを取り出した。
「それは分かっているよ。 五河医師は、思い込んでいただけだと言った。
だが、このメスに毒は塗られていなかったなどとは言ってないよね?」
「えっ? ・・・・それって、まさか!?」
「そう、私はまだ、自分の主張を撤回するつもりはないよ。
今もまだ、メスには毒物が塗られていたと信じている。
そして、その考えが正しいか間違っているかもすぐに分かるよ。」
そう言うと、曽口弁護士は弁護士席の裏側から、何やら色々なものを取り出した。
紙の束とビーカーに入った液体・・・。
・・・って、あの色はまさか、ソクイックWか?
「ここにあるのは簡単な検査キットさ。
詳しいことまでは結果が出ないけど、この試験紙を使えば、液体の致死性の有無が調べられる。」
そう言って、曽口弁護士は薄緑色の小さな紙切れを手に取った。
「・・・例えば、私の唾液・・・致死性のないものに浸しても色は変化しない。
・・・・・だが、このように致死性のある液体に浸すと・・・・・・」
薄緑色の試験紙がソクイックW(だと思われる液体)に浸される。
すると・・・・・
!? ・・・い、色が、赤紫色に変わった!
「この試験紙の効果はわかってくれたかな?
・・・さて、では本題だ。 この試験紙を、このメスに付着した液体に浸すとどうなるかな?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・!?
またしても、色が赤紫色に変わった。
ということは、メスには本当に毒物が付着していたんだ!
「これで、わかってくれたかい? 道比木検事?」
悔しいが、ここまでされたら、もはや反論できない。
「どうやら、ここまでのようだね。
初勝利の舞台が、私のホームグラウンドのような最高の法廷で嬉しいよ。
裁判長、もはや真相は見えましたよね? 判決をお願いします。」
「うむ。 刃崎医師には魚の文字も入っていません。 もはや、疑いの余地はないでしょう。
それでは、被告人に判決を・・・・・」
「・・・ん、この期に及んでなんですか?
道比木検事、文句があるなら判決の前に言ってください!」
「えっ? いえいえ、今の待った!は僕じゃないですよ!」
そう、僕じゃない。 あれは・・・・・
「それ以上、刃崎先生をいじめるんじゃない! 天罰下っちまうぞぉ!!!」
研修医の真田勉さんだ!
9:51 真田勉の証言 ~メスのすり替えの真実~
「あなたは、どなたですか?」
「刃崎先生の無実を証明する者です!
僕に証言をさせてください! 刃崎先生が犯人ではないと、僕は知っている!」
「な、なんだと!?」
珍しく、曽口弁護士が不安の表情を浮かべた。
よく状況が呑み込めていないが、確か、真田さんは鱒井医師が犯人だと主張していた1人だ。
曽口弁護士の表情から察するに、ここで刃崎医師が犯人ではないと、はっきり証明できれば大打撃を与えられる。
ここがチャンスだ。 僕は、裁判長に例の言葉を投げかけた。
「裁判長、証言をしたいという人物がいる限り、判決を下すわけにはいきません。
彼が証言することを認めてください。 “裁きを公平に”成すために!」
「むむっ・・・“裁きを公平に”・・・ですか!
分かりました。 では、証言台のあなた・・・氏名と職業を名乗ってから、証言してください。」
よかった。 とりあえず、判決は免れたようだ。
「僕は、真田勉。 追田クリニックの研修医です。
さっき、五河先生もおっしゃっていましたが、事件の起こった手術中に、刃崎先生に手術器具を渡す役目を務めていました。
五河先生は、メスのすり替えだとか、メスに毒が塗られていただとか証言されましたが、あれは全て先生の思い違いです! これから、僕がお話しすることが、手術室で起きた出来事の真実です。
・・・あの日は、僕にとっては研修の最終日であり、初めて手術に立ち会わせてもらった日でした。
だから、僕、すごく緊張していたんです。 だから、あんな失敗してしまったんだ。
刃崎先生の『メス!』の言葉が聞こえたとき・・・夢にまで見たメスを執刀医に渡す瞬間・・・・・
僕は、緊張のあまり、メスを手から滑り落としてしまったんです。
初っ端からミスをしてしまった僕は、余計に焦った。
焦りと緊張で汗が吹き出しました。 その汗が、まだ台に乗っていたもう1本のメスに落ちてしまった。
刃崎先生に渡せるメスはもうこれしかないのにぃ・・・。 僕の焦りは最高潮に達しました。
急いで汗を拭きとろうとしたところ、焦っているから力が強すぎて、おまけに手汗もひどくて滑りやすくなっていたから、メスは手をすり抜け宙を舞ったんです。
それが、偶然、刃崎先生の手術着のポケットに入ってしまって・・・。
あとは、五河先生もおっしゃったとおり、刃崎先生はそのメスを取り出し、開腹されたんです。
でも、これで分かったでしょう? 刃崎先生はメスのすり替えなんてしていないんです!
毒なんてついていないんです! 犯人なんかじゃないんですよ!!!」
なんか、この研修医すごくドジだな・・・。 こんなんで、医者になれるんだろうか?
だが、これが真実なら、刃崎医師が犯人ではないということになる。
「えっ?」
「『えっ?』じゃないよ、道比木検事。
君、今、『これが真実なら、刃崎医師が犯人ではないということになる。』 とか思ったんじゃないの?」
ぐっ・・・なぜ、それを?
「どうやら、その通りみたいだね。
これが真実なら?・・・そんなわけ、ないじゃないか! 今の彼の証言は嘘だよ。」
「な、何を言うんだ! 僕の発言のどこに嘘があるっていうんだぁ!!!」
真田さんは必死に食って掛かったが、曽口弁護士は何食わぬ顔のままだ。
「なら、教えてやろう。 ・・・裁判長、弁護側に尋問の機会を与えてくれませんか?」
「わかりました。 いいでしょう。」
9:58 弁護側尋問 ~君、医者になる気はあるのかい?~
「・・・では、まずは、証人が発言した内容を整理してみたいと思う。
今の発言をまとめると・・・
まず、第一に、五河医師が目撃した出来事は、証人の度重なるミスの連続によって引き起こされた偶然の出来事であり、メスのすり替えではなかったということ。
そして、第二に、メスに付着していた液体は、毒物ではなく、証人の汗だということだ。
これで、間違いないね?」
「えぇ、その通りですよ!」
「わかった。 ならば、色々と指摘しなければならないことになるよ。」
「えっ?」
「まず、君の最初のミス・・・メスを滑り落としてしまったというのは嘘だ。
先ほど、五河医師が、『刃崎医師は一度受け取ったメスを床に落とした』と確かに証言しているからね。」
「なっ!? ・・・・そ、それは五河先生が見間違えたんじゃないですか?」
「さらに、君の2つ目のミス・・・汗を拭きとろうとしたところで、メスが宙を舞い、刃崎医師の手術着のポケットに入ってしまった・・・これも嘘だ。
このメスは、最初から刃崎医師の手術着のポケットに入っていたのだよ。」
「な、なんで、そんなことが言えるんです?
あんたは、刃崎先生を犯人に仕立て上げたいのかもしれませんけど、そんな証拠ないでしょう?」
「君には悪いけど、証拠ならちゃんとあるよ。
このメスには、君の指紋が付いていない。
汗を拭きとろうとしたならば、君の指紋が付いているはずなんだけど?」
「ははっ、指紋なんて付くわけないじゃないですか!
僕がそのメスに触ったのは、手術中ですよ。 僕は手術用の手袋をしていたんだから、指紋が付く方がおかしいですよ!」
「残念だが、それも嘘だね。 ・・・『手汗がひどくて滑りやすくなっていた』のではなかったかい?」
「!?」
「理由は知らないが、手術中はしっかりと手袋をしたまえ! 基本中の基本だ!
・・・まぁ、今は裁判中であり、手術中ではない。 それについては後で説教を受けるがいい。
とりあえず今は、君が手術中に手袋をしていなかったことが明らかになった。
おまけに、手汗もひどかったんだ。 そんな手でメスに触ったのなら、くっきりと指紋が残るはずだよ。
だが、指紋は一切見つからなかった。 つまり、君はこのメスには一切触れていないわけだ。」
「く、くそぉぉ・・・・・で、でも、それで弁護士さんが証明できたのは、やっぱり刃崎先生はメスのすり替えを行っていたってことだけでしょう?
毒がついてなければ、すり替えなんてしても刃崎先生は犯人じゃない!
そう、毒なんて付いてなかった! だって、あれは・・・」
「僕の汗だったから・・・と言いたいのかい?」
「そうですが・・・まだ何か?
・・・あっ! わかった! メスに触れずにどうやって汗を付着させたのかって言いたいんでしょう?
それなら、ちゃんと説明が・・・」
「いいよ、いいよ、説明しなくて!
確かに、メスに触れずにどうやって汗を付着させたのかも疑問だよ。
だが、そこは100歩譲って、ちゃんと付着させる方法があることにしておこう。
私が、疑問なのは、そこじゃない! ・・・・君も見ただろう、これを?」
「そ、それは・・・ナントカ試験紙!?」
「そ、そうさ。(研修医なら、名前くらい知っておいてほしいな。)
メスに付着した液体が何の物質かは判明していないが、この結果がある限り、ここに付着した液体は致死性のある物質なのだよ。
君、自分の汗に致死性があるとでも言うつもりかい?」
・・・くっ、さすがは元医師だ。 やるな、曽口弁護士。
ここまで、黙って2人のやり取りを見守っていたが、明らかに真田さんがやられっぱなしだ。
曽口弁護士、ここまで強力だとは思わなかった。
・・・いや、それとも、真田さんの証言が滅茶苦茶なだけか?
どちらにせよ、このままでは真田さんの証言が崩れてしまう。
僕も何か発言しないと!
そう思ったとき、真田さんが先に口を開いた。
「ふっ・・・ふふふふふ。
ははははははははははははは。
あっはっはっははははははははははははは!!!」
ん? 何だ、この不気味な笑い方は?
「そうですよ。 よく気づきましたね、弁護士さん。
僕、真田勉の汗には致死性のある有毒物質が含まれてるんだよーんwww」
な、なんだってぇぇぇ!?
何を言っているんだ、この人は? 僕は、その場で卒倒しそうになった。
10:07 真田勉の証言② ~触るな危険! 僕の汗は致死性アリ!~
「な、なんですとぉ!? し、証人、それは・・・嘘・・・ですよね?」
「嘘じゃないですよ、裁判長さん!
何なら、触ってみます? ほらw ほらほらwww」
「ひ、ひえぇぇぇぇ!!! や・・やめ・・・やめてくださぁい!!!」
面白がって汗を振りまく真田さんに対し、裁判長は席の隅に縮こまりながら、鞭のようなもので防戦している。
・・・ってあれ、鞭じゃなくて、ウナギ・・・じゃないか?
「へえ、君なかなか面白いね。 私は冗談のつもりで言ったのに・・・。」
こんな状況の中で、曽口弁護士は平然としていた。
「冗談? そんなわけないでしょう。 僕の汗には、本当に毒性がありますよ!」
裁判長は、あんな様子で怯えているが、これは絶対嘘だ。
そんなことは見え見えなのに、真田さんはそれを主張し続けている。
一体、何のメリットがあるというのだ? こんなこと証言したって、逆に・・・・・
「おや、弁護士さんだけじゃなく、そこの検事さんも僕のことを疑っているみたいですね。
・・・だったら、証明して見せます。 次の証言で、僕の汗には致死性があることを・・・・・」
「はいはい、異議あり。」
な、なんだ? このやる気のない異議ありは・・・。
「真田くんだったかな? そんなことを証言して何の意味があるんだい?
君は、刃崎医師が犯人ではないことを証言するんじゃなかったのかい?
そう言うから、手続きもしていない証人の君に証言の機会を与えたんだ。
無駄話をするつもりなら、証言の権利は剥奪させてもらうよ!」
「なるほど。
裁判長さん、弁護士さんはこう言ってますけど、どうします? ぴゅっ、ぴゅっ!」
「・・・・わかりました。 真田さんの証言を認めましょう。」
裁判長、ただ汗が怖かっただけだろ・・・。
「よし、じゃあ、僕の汗がいかに危険かということを証言させていただきます!
さっきも言った通り、僕の汗には致死性があります。
最近、巷で話題・・・流行語大賞にもノミネートされるんじゃないかと期待の“ソクイックW”という毒物がありますよね? あんなもの、僕の汗に比べたら、ただの水みたいなもんですよw
僕の汗はひっじょーうにおっそろっしーーーい毒性です!
まず、指なんか触れたら、即溶けます。 目にかかったら、即失明です。
耳についちゃったら、耳が聞こえなくなります。 舌にのせたら、味を感じなくなります。
えっ? どうしてそんな毒性があるって言い切れるかって?
そりゃ、かくかくしかじか・・・ああなってこうなって・・・○×λε%*+¥・・・・・てな感じで。
まぁ、これは僕が医者の卵であるから分かるわけであって、一般市民のみなさんに伝えるのはちょっと難しいかなって感じです。
とりあえず、僕の汗には致死性があるんで絶対触らないでください! ・・・以上です!」
最初の証言以上に滅茶苦茶だ。 ・・・てか、意味わからん。
ツッコミどころ満載だけど、ツッコむ気にもなれないよ。
「・・・あの、失礼なのかもしれませんが、私には今の証言の内容がイマイチ理解できなかったのですが・・・結局、証人の汗には致死性があるのですか、ないのですか?」
ウナギを構えながら、裁判長が恐る恐る尋ねる。
「裁判長、ご心配なく。 今の証言は、元医者の私にもさっぱりでした。
しかし、こんな証言などあてにせずとも、証人の汗に致死性があるかないかはすぐに分かります。」
そう言うと、曽口弁護士は証言台の方へ歩み寄り、真田さんの首元から汗をすくい取った。
そして、例の試験紙にこすり付けた。
色は、変わらなかった。 まぁ、当然の結果だけど・・・。
「これで、満足したかい、真田くんよ?
とんだ茶番で時間を無駄にしてしまったが、これで分かったはずだ。
君の汗には致死性はない。 しかし、メスに付着した液体には致死性がある。
つまり、メスに付着した液体は、君の汗ではなく、刃崎医師が塗りつけた毒物なのだよ。
わかったら、さっさと退廷したまえ。」
それを聞き、真田さんはしばらく黙ってうつむいたままだった。
しかし、突如顔を上げると、こう叫んだ。
「・・・いやだ。 僕はまだ引き下がらない。 刃崎先生の無実が証明されるまで引き下がらない。
刃崎先生が殺人なんてするはずがない! 刃崎先生は、僕の尊敬する素晴らしい医者なんだぁ!
そんな先生が、殺人を・・・それも、大事な患者さんを殺すわけはなんだぁぁ!!!
間違っているのは、あなたたちだ! 正しいのは、僕だ!
いかに刃崎先生が素晴らしい医師かを証言してやる!
これを聞いたら、もう誰も刃崎先生が犯人だなんて言えない! いや、言わせないっ!!!」
すると、真田さんは、裁判長の許可も得ずに勝手に証言を始めた。
10:12 真田勉の証言③ ~刃崎先生は素晴らしい医師なのだ!~
「刃崎先生は、追田クリニックでの研修で、一番、僕を気にかけてくれた先生だった。
目つきが鋭くて、顔は少しいかついけど、とても優しい先生なんだ。
10人の研修医の中で、僕はびりっけつの10番・・・ぎりぎりで研修医と認められた存在だった。
だから、何となく他の9人に対して劣等感を感じていて、上手くなじめなかったし、それが原因で研修でも失敗ばかりだった気がする。 それで、たくさん怒鳴られた。 もちろん、刃崎先生にも・・・
でも、他の先生たちは怒鳴って、注意してそれで終わりだったけど、刃崎先生は、怒鳴った後にフォローしてくれて、次につながるようなアドバイスを丁寧にしてくれた。
それだけじゃない。 刃崎先生は、僕が失敗しそうなときに事前にそれを防いでくれたりもした。
一番、印象に残っているのはあのときだな・・・。
ある日、何のためだったかは忘れたけど、空のビンを持ってきてくれと頼まれて、器具置き場のような部屋へ行って、手頃なビンを見つけたんだ。 そして、何の気なしにビンのふたを開けたら・・・
『真田、早くそのふたをもとに戻せぇ!』って刃崎先生の大声が聞こえたんだ。
その時は、何が何だかわからず、とりあえず指示に従ったんだけど、あとで真相を知って震えが止まらなかった。
なんと、僕が器具置き場だと思って入ったのは、薬剤師さんの研究室で、僕が空ビンだと思っていたのは、調合に使うための有毒な気体が入ったビンだったらしい。
もし、あそこで刃崎先生が通りかかってくれなかったら、僕は今、生きていなかったかもしれない。
その時、僕は思ったね。 刃崎先生、本当にありがとう。
そして、あんな通りがかっただけなのに、有毒な気体のビンだと見破るなんて、刃崎先生は本当に素晴らしい医師だってね。
だから・・・だから、そんな命の恩人ともいえるような刃崎先生が、殺人なんて犯すことは絶対にありえないんだ!!!」
これで、終わりか?
なんだか、これは、証言というより、単なる思い出話って感じなんだけど。
「なるほどねぇ。 確かに、刃崎医師が立派な医師であったことは十分に分かった。
しかし、人間というものは、よく分からない。
昨日まで善人だった人物が、今日コロリと悪人に変わってるなんてことも珍しくはないよ。
今の思い出話、楽しませてはもらったけど、刃崎医師が無実だという証明には全くなっていないよ。
・・・道比木検事、君もそう思うだろう?」
確かに、今の真田さんの証言は、事件とは何ら関係のない思い出話だ。
だが、今の思い出話の中に、僕は今回の事件の真相を解き明かす糸口を見出していた。
ここまでたどり着くのに時間はかかってしまったが、真田さんの証言は無駄ではなかった。
彼の証言が、刃崎医師の無実を・・・そして、僕の勝利を確かなものにしてくれる。
「いえ、僕はそうは思いません。」
「な、何だって!?」
「今の証言を聞き、気になる部分がありました。
その疑問を解消するため、別の人物を証言台にお招きしたいのですが、裁判長いかがでしょうか?」
「気になる部分・・・ですか?
私は、純粋にいいお話しだなと感じておりましたが、何か気になるのであれば許可しましょう。
・・・で、どなたをお呼びするのですか?」
「彼です。」
僕の指さす先を見て、法廷中がざわめいた。
僕が指名したのは、真犯人の汚名を着せられている刃崎英利医師だ。
10:19 検察側尋問:刃崎英利に対して ~あの日のこと~
証言台の前に立った刃崎医師は明らかに元気がなかった。
そりゃそうだ。 身に覚えがないのに、勝手に真犯人に仕立て上げられてしまったのだから・・・。
だが、それもここで終わりだ。
「刃崎先生、心配することはありません。 僕は、あなたを責めるつもりはありませんから。
いや、むしろ、あなたを助けたいと思っているのですよ。」
「えっ!」
その瞬間、かすかに刃崎医師の表情が和らいだ気がした。
「ただ、そのために少し僕の質問に答えていただきたいのです。
・・・先ほど、真田研修医がお話しされた、あの日のことについて・・・。」
「あの日のこと?」
「えぇ。 真田研修医が、あなたのおかげで命を救われたと語ったあの日のことです。
彼の話によれば、あなたは、彼が有毒な気体の入ったビンのふたを開けているところを、偶然その前を通りかかって気づいたそうですね。
そして、大声を上げ、彼にビンのふたをすぐに閉めるように言った。 間違いありませんね?」
「えぇ、そうですが・・・それが何か?」
「偶然通りがかっただけなのに、なぜ、真田研修医が開けていたビンの中身は有毒な気体だと、瞬時に判断できたのでしょうか?」
「えっ・・・あぁ・・・あれは確か、匂いがしたからですよ。」
「におい・・・ですか?」
「そう。 匂いです。
そりゃ、気体ですから、目で見ただけなら、私にも空ビンにしか見えませんよ。
でも、匂いがしたから中に毒物が入っていると分かったんです。
まぁ、こんなことを言うのは自慢みたいで恥ずかしいんですが、私は人より嗅覚が鋭いみたいでねぇ。
いつもは些細な匂いも鼻について嫌だったんですが、あの時ばかりはそれが真田の命を救うことになってよかったと思っているよ。」
「そうですか、わかりました。 ありがとうございます。」
「ちょっと待ってよ、道比木検事! 何が、『わかりました。』なんだい? 私は何もわかっちゃいないよ。
君が、刃崎医師を呼び出すから、彼と直接対決でもするのかと思って期待して見ていたのに、さっきの下らない思い出話を掘り下げるとはどういうことかな?
そんな茶番に付き合うために、この裁判はあるんじゃないんだよ!」
曽口弁護士が苛立ち始めている。 ここは早く、結論を述べた方がいいな。
「茶番かどうかは、これから僕が言う言葉を聞いてから決めてください!
先ほどの真田研修医の証言、そして、今の刃崎医師の発言・・・これらは、今回の事件の真相に大きくかかわってくるのです。」
「ほう。 そう言うからには、もう後には引けないよ。
私は、長年、1分1秒が生死に関わる現場で過ごしてきた身の上、無駄な時間というのが大嫌いなんだ!
今日は、ここまででも散々無駄な時間に付き合わされ、何とか我慢してきたが、もう我慢の限界だ!
君の発言次第では、私の対応もどうなるかは分からない。 そこは覚悟していただきたい!」
そう言う曽口弁護士の手には、証拠品のメスが力強く握られていた。 まさか・・・・・!?
こりゃ、本当に後には引けないよ・・・。
だが、大丈夫だ。 僕にはもう、真相が見えているんだから!
10:27 検察側の主張 ~今度こそ、メスのすり替えの真実~
「なら、曽口弁護士のために無駄な時間を作らないよう、簡潔に述べましょう。
曽口弁護士が今、手にしているそのメス・・・それは、刃崎医師が開腹時に使用したものではありません!」
「な、なんだって!?」
「そのメスは、刃崎医師が一度受け取った後に落としたと言われているほうのメスです!」
「道比木検事、それは一体どういうことですか? 私にはさっぱり、わかりませんが・・・」
「僕たちは勘違いをしていた。・・・逆だったということです。」
「ぎゃく? 何がだね?」
「すり替えられたメスの順序です。
これまでの審理の内容をまとめると、刃崎医師は、真田研修医が渡したメスを受け取った後に落とした。
そして、自分のポケットの中から別のメスを取り出し、開腹した。
そのメスには、致死性のある毒物が付着していた。 だから、被害者を殺害したのは刃崎医師だという論理でした。
しかし、すり替えられたメスの順序が逆だったとしたら・・・
つまり、今、曽口弁護士が手にしている毒物の付着したメスが、最初に真田研修医が渡したメスであり、刃崎医師が自分のポケットから取り出したメスが、今まで真田研修医が渡したと思われていたメスだったとしたら、刃崎医師はそのメスで開腹したところで被害者は殺せない!」
「ふっ、なるほど。 君の言いたいことは分かったよ。
その論理が本当に成り立っていれば、君の言う通り、刃崎医師は被害者を殺すことはできない。
だが、その論理が成り立っていたなどと証明できるわけがないじゃないか!」
「いえ、できるんですよ。 曽口弁護士、先ほどの刃崎医師の発言をお聞きになっていましたよね?
彼はこう言いました。 『人より嗅覚が鋭い。』『些細な匂いでも、鼻につく。』とね。
つまり、刃崎医師は、真田研修医からメスを受け取った時、その鋭い嗅覚で、メスに付着した毒物の匂いを嗅ぎ取ったのです。 そして、危険を感じ、反射的にその手を離した。
それが、五河医師には、故意にメスを落としたように見えたのでしょう。
だから、刃崎医師は別のメスを取り出し、そのメスで開腹を行った。 患者を殺さないために!
これは、鼻のいい刃崎医師だから行えたすり替えなんです。
そして、その目的は、被害者を殺すためではなく、守るためだったんですよ!」
「・・・ふふっ、それで証明した気になっているのかい?
まぁ、普通の弁護士だったら、それで誤魔化せるかもしれないね。
だが、私は元医師だ。 医学的・科学的コンキョを示してもらわなければ、証明したとは認めないよ。」
「もちろん、そう言うと思っていましたよ。 ありますよ、科学的コンキョなら!
僕の主張はただ1つ・・・刃崎医師は、毒物の付着したメスは開腹時には使用していない。
だから、刃崎医師は、被害者を殺すことはできなかったということです。
その主張が正しいなら、メスには被害者の血液は付着していないことになりますよね?
ならば、血液反応の有無を調べればいい。 血液反応がなければ、僕の主張が正しいということです。
そして、それを調べるのは簡単だ。
ルミノール試薬・・・毒性の有無を調べられる試験紙をお持ちのあなたなら、こちらもお持ちなのではないですか?」
「な、なんと・・・普通の検事が、このような反撃をしてくるとは思わなかったよ。
だが、面白い。 試してみようじゃないか! ルミノール試薬なら、もちろん持っているよ。」
曽口弁護士は、弁護士席の裏側から霧吹きに入ったルミノール試薬を取り出した。
そして、証拠品のメスに吹き付けた。
間隔を開けて、もう一度吹き付けた。
さらに、今度は2回連続で吹き付けた。
意地になりながら、5回連続で吹き付けた。
メスは、一度として青白い光を放たなかった。
「わかってくれましたか、曽口弁護士?」
「く、くそぉ~・・・こ、この私が、こんな若造にやりこめられるとはぁ・・・・・」
「私には、“るみのーるしやく“なるものはよく分かりませんが、曽口弁護士の表情を見る限り、道比木検事の主張が正しいようですね。
つまり、刃崎医師が真犯人である、という弁護側の主張は完全に崩れた。
そう解釈してよろしいですかな、曽口弁護士?」
「・・・悔しいが完敗だ。 刃崎医師が真犯人だという、弁護側の告発は取り下げさせていただく。」
「うむ、よろしい。
・・・で・す・が、曽口弁護士よ。 無実の人を罪人呼ばわりした罪は大きいですよ。
まずは、その謝罪の意味を込めて、ペナルティを受けていただきます!」
「え? は? え・・・えぇぇぇぇ!?」
「“鯖樹は、公平をもってよしとする!”ですぞ! ・・・うむ、これであなたの罪は晴れたでしょう!」
裁判長、さっきのウナギで曽口弁護士を殴ったぞ。
裁判長よ、あなたのほうがよっぽど罪人だと思うのですが・・・。
10:40 判決へ(?)
「さて、刃崎医師への疑いも晴れ、曽口弁護士の罪も晴れ、ようやくペナルティを与えられて、私の気分も晴れたところで、判決と行きましょうか!」
「待ってくれ・・・いろんな意味で異議ありだ。
裁判長、なぜ謝罪としてペナルティを受けなければならないんです?
なぜ、そのペナルティが、ウナギで殴られることなんです?
そして、なぜ、ペナルティを与えて、それほどまでにすがすがしい表情をされているんでしょうか?」
曽口弁護士が言うことは最もだ。
可哀想に、頬が若干赤くなっている。
「・・・だが、そんなことはどうでもいい。
私が一番言いたいことは、君に対してだよ・・・道比木検事!」
「えっ? 僕ですか?」
「君、私が告発を取り下げて、嬉しそうにしているが、何か勘違いしていないかい?
私の使命は、依頼人である鱒井くんの無実を証明すること。
そして、君の使命は、鱒井くんが犯人で間違いないと証明すること。 そうだよね?
だが、今、私が認めたのは、刃崎医師が真犯人ではないということだけだ。
鱒井くんの無実を証明するためのカードを1つ失ったに過ぎない。
誰も、鱒井くんが犯人だなどとは認めていない。 君も、鱒井くんが犯人だなどということは何一つ証明できていない。 そうだろう?
だから、今、君がなぜそんなに嬉しそうにしているのか、私には不思議なのだが、なぜそんなに嬉しそうなんだい?」
この言葉を聞き、僕は我に返った。
そうだ。 僕の使命は、刃崎医師の無実を証明することではない。
鱒井医師が犯人だと証明することじゃないか!
つい、刃崎医師の無実を証明することに一生懸命になってしまい、自分の中で目的がすり替わってしまっていた。
「なるほど、確かにそうでしたな。 危うく、私も騙されて、判決を下してしまうところでしたよ。
いけない、いけない・・・。」
「まぁ、いいでしょう。
なんとか、みなさん、本来の目的を思い出してもらえたようですから・・・。
では、ここからが核心だ。 鱒井くんが犯人か否か? これについての議論を始めよう!」
「いえ、それはまたの機会にいたしましょう。」
「はい? な、何をおっしゃられているのですか、裁判長?」
「今日の審理で、刃崎医師が真犯人だと疑いをかけられ、そして、無実であったと認められた。
その過程で、私には、どうしても納得いかなかった点が1つだけあるのですよ。
刃崎医師が、開腹に使ったというメス・・・毒が付着していなかったことは証明されましたが、なぜあのメスは刃崎医師の手術着のポケットから出てきたのでしょうか?」
「そ、それはぁ・・・」
曽口弁護士が言葉に詰まったが、確かにそこは僕も疑問だった。
「曽口弁護士は初めから、毒が付着したメスを渡されることを予測していたのでしょうか?
それとも、何か別の理由があるのでしょうか?
よくは分かりませんが、私が言いたいのは、この事件、表面上に見えるほど単純ではない気がするのですよ。 ですから、このまま被告人についての審理を進めても効率が悪い気がするのです。
また真田研修医のような頓珍漢な証言をされても困りますのでね。
よって、本日の法廷はここまで。 検察側、弁護側双方、再捜査を行い、証拠を確かにした上で、明日、再審理と致したいと思います! 両名とも、よろしいですかな?」
僕は異論はなかった。
曽口弁護士も同じのようだ。 裁判長の言葉に対し、軽くうなずいた。
「うむ、よろしい。 では、本日はこれにて閉廷!」
裁判長の木槌が、軽やかに響いた。
つづく