移動した先は会議室でした。
普段は数十人ほどで会議しているのか、私達二人だけにしては机も椅子も多すぎるように感じました。
彼女はその中から椅子を二脚取り出して、向かい合わせに置きました。
「机、あった方が良いですか?」
「確かに、そうですね」
そう言うと彼女は机を一台持ってこようとしました。
「手伝いますよ」
「ありがとうございます」
机を椅子と椅子の間に置いて、扉側に彼女が、奥に私が座りました。
大きな窓から差し込んでくる光が、少しだけ眩しかったのを覚えています。
「……正直なところ、私はあなたがここに来た経緯をよく知りません。いえ、そもそもあなたが来るということ自体知りませんでした」
当然の話です。
こうした突然の転移に、前触れはありませんから。
「ただ……『キヴォトスの外から大人が来る』ということは、知っていました。その方の情報も、ある程度知っていました」
「その方、というのは?」
「……連邦生徒会長が、連邦捜査部『シャーレ』の『先生』としてお選びになった方です。プライバシー保護の観点から氏名は伏せさせていただきますが」
「言い方からして、その方は私ではないのですね」
「ええ。ですが……」
彼女はポケットから首掛けを取り出しました。
「……これは、あなたが倒れていたときに側に落ちていた物です」
「これが……?」
そこで疑問を抱きました。
確かに、私は普段から首掛けを二つ持ち歩いています。
片方は愛用の笛がついていて、もう片方は是非曲直庁に出入りするときに使うものです。
ただ……彼女が取り出したそれは、十字に円を重ねて、その上に円が配置してある紋章が描かれていました。
是非曲直庁の紋章はこれとは違いますし、勿論笛でもありません。
ふと気になって、いつも首掛けを入れている場所を確認してみました。
「ピヨちゃん、笛、あります?」
「ピ!」
ピヨちゃんは笛を高らかに掲げました。
ですが……
「……あれ?」
もう片方の、是非曲直庁用の首掛けが見当たりません。
「そっちにはありますか?」
「ピ……」
「ですよね……」
服のポケットというポケット、隙間という隙間を探し回りましたが、見つかりませんでした。
あれがないと、仕事が出来ないのに……!
「……ピ?」
「……確かに、そうかもしれませんね。その首掛け、見せてもらってもいいですか?」
「構いませんよ」
彼女から首掛けを受け取って、中を見てみました。
すると。
「……あ、あった!」
知らない紋章が描かれた紙と紙との間に、見慣れた紋章の描かれた紙がありました。
しっかり、私の名前が刻まれています。
その紙を首掛けに戻して、彼女に返そうとしました。
「いえ、それはあなたが持っていてください。もともとあなたの物でしょうし、これから生活するにおいても重要になりますから」
「? わかりました」
私は返ってきたネックストラップを首にかけました。
「……さて」
彼女は話を仕切り直しました。
その一言で、空気感が変わったような気がします。
「そのストラップに入っていた、今見えている方の紙。それは、もともと連邦生徒会長が『先生』としてお選びになった方に送ったもので、その方が、キヴォトスに来て所属する予定だった部活のIDカードです」
「どうして、そんなものが私の首掛けに……?」
「それは私にも分かりません」
ただ、と彼女は置きました。
「IDカードを読み込んでみたところ……庭渡久侘歌さん、あなたの名前が出てきたんです」
「えっ……?!」
思わず、声を上げてしまいました。
「私も確かなことは言えませんが、ログイン履歴からして、恐らく選ばれた方が何かしらの事情でキヴォトスに来ることができなくなり、何らかの方法であなたが代わりに送られた……と考えられます」
「な、なるほど?」
実際のところ、よくは分かりませんが。
多分、つまり、もともとここの地で『先生』になる予定だった方が私にその『先生』になる権利を与えた……ってところですかね。
「……そこで、ですが」
彼女は改まって、こちらに向き直りました。
「久侘歌さん、あなたにお願いがあります」
「なんでしょう?」
「……どうか、キヴォトスの『先生』に、なってください」
彼女は私に向かって土下座しました。
それほどまでに、「先生」という存在を希求しているのでしょうか。
その姿は、あの時の人間霊と似たものを感じさせました。
あの時。
霊長園の人間霊たちは、自らを動物霊の手から護ってくれる何かを希っていました。
動物霊たちはその姿を嘲笑い、自らに隷属する存在として扱い続けていました。
同情していた私ですらも、しかし、彼らの願いが叶うことはないと、そう思っていました。
しかし、現実はどうでしょう。
彼らの願いは叶い、霊長園には強大な力を持った神が現れました。
孤立無援が誂えた
人妖の願いの力というのは侮れません。
神という強大な存在が信仰によって成立していることからもそれは自明の理でしょう。
「顔を上げてください」
私は仮にも神ですが、こうして土下座している人を目の前にしたことは殆どありません。
なので、どう対応するのかが正解なのかはわかりません。
……わかりません、が。
今の私の決意を話すことは出来ます。
「というか、土下座なんてしないでください」
気まずいので、それだけ本当にやめてほしい。
そう言うと彼女は素直に土下座をやめてくれました。
「私はきっと、この世界の者ではありません」
「……」
「ですが、元の世界にはそう簡単には帰れないでしょう」
この転移の原因や仕組みが分からない以上、戻ることは偶然以外では不可能です。
恐らく、暫くは帰れません。
……ですから。
「……勉学を教えるのはあまり得意ではありませんが、進むべき道を示すことなら得意です」
「……!」
「これからよろしくお願いします、リンさん!」
そう言って、私はリンさんに微笑みました。
正直なところ、起こっている状況を完全に飲み込めたわけじゃありません。
小町さんがちゃんと仕事しているのか、映姫様はちゃんと休んでいるのか。
そもそも、私がいなくなっても大丈夫なのか。
不安なことも沢山あります。
早く帰って、みんなを安心させたいです。
ですが。
……私にこの紙を託した、『先生』。
彼か彼女かは、私に何らかの、強い思いをのせて紙を送ったのでしょう。
混乱していて気付きませんでしたが、あの紙にはそう思わせるほどの霊力がありました。
だから、でしょうね。
私がここまで、助けたいと思ったのは。
……もしかすると、リンさんたちの祈りの力も、加わっているのかもしれませんね。
「ありがとうございます……!」
リンさんは深々と頭を下げました。
よくは見えませんでしたが、顔が物凄く明るかったような気がします。
彼女は頭を上げると、すぐにキリッとした顔に戻りました。
「……では、早速ですが。久侘歌先生、私についてきてください」
そう言って彼女は扉の方へと向かいました。
「机とか椅子とかは直さなくても大丈夫ですか?」
「大丈夫です。後で今日サボってる生徒にやらせますので。それより今は、どうしても、先生にやっていただかなくてはいけないことがあります」
「わかりました! 任せてください!」
「まだ詳しいことを何も言ってませんが……」
「あ、本当だ……すみません。それで、私は何をすれば?」
「学園都市の命運をかけた大事なこと……ということにしておきましょう」
「……分かりました!」
結局詳しいことは言えないんですね、とツッコみたかったですが、そんな雰囲気でもないのでやめました。
私たちは昇降機に乗り込み、上の階層へと向かいました。
私たち以外には、無機質な壁しか見えませんでした。
昇降機はそういうものだからと一人勝手に納得していると、突然、眩しい光が昇降機に射し込んできました。
目を細めながら光の射しこんできた方を向いてみました。
……すると。
「……綺麗……」
思わず息を呑むような景色がそこに広がっていました。
それは、私の知る外の世界の都市と同じでありながら、どこか、あの透き通った世界とどこか似た雰囲気を感じさせるような……
夢の中と同じように、私が景色に見入っていると。
「改めて」
リンさんがそう言って窓に近づき、そして私の方に向き直りました。
「『キヴォトス』へようこそ。久侘歌先生」
キヴォトス……文脈からしてここの土地名かなと思ってはいましたが、どうやらそのようです。
「キヴォトスは、数千の学園が集まってできている巨大な学園都市です。これから先生が働くところでもあります」
「学園が沢山集まって、一つの大きな都市になっている、ってことですか?」
「都市とは言いますが、巨大な連邦、と言った方が正確かもしれません。学園一つ一つが国のような働きをしていて、それをまとめるのが私たち連邦生徒会、というわけです」
「なるほど……」
「……きっと、先生がいらっしゃったところとは色々な事が違っていて、最初は慣れるのに苦労するかもしれませんが……」
確かに、不安ではあります。
私、近代の科学技術がよくわからないので……。
「でも先生なら、それほど心配しなくてもいいでしょう。あの連邦生徒会長がお選びになった方が、託した方ですからね」
先程からちょくちょく話に出てる、この連邦生徒会長って人、そんなに凄いんですね。
私から見た映姫様みたいな感じに映ってるのでしょうか。
「……それは後でゆっくり説明することにして」
リンさんが話し終えたちょうどそのくらいに、昇降機が止まりました。
「ついてきてください、久侘歌先生」
「はいっ!」