一
時刻にして夜の十時過ぎ、季節は二月のまだまだ寒さの厳しい頃。
連邦生徒会防衛室長の不知火カヤのクーデター事件が完結してからまだ間もないので、人々は圧政の終わりを祝して盛り場に出向き、飲めや歌えやの大騒ぎをしていた。
そんなD.U地区屈指の歓楽街を注意深く観察しながら一人の生徒が歩いて行く。
ヴァルキューレ警察学校の制服一式を着ていて、首にマフラーを撒き腰辺りまで伸びた白髪を一括りにし、制帽の後ろの隙間に髪を通している。
この生徒は名前を”藤波
警備局というのは中務キリノらが所属する生活安全局の隣に部署があって、日頃のパトロールや職務質問による犯罪検挙などを行うのが主な職務だが、事件発生時には初動捜査も担うという地味ながらも重要な役割を果たしている部署なのだ。
(あれがそうか・・・)
ナツメが目を付けたのは中年の犬の獣人であった。
片目が潰れていて如何にも堅気の者とは思えない雰囲気を周囲にばら撒いているので、通り過ぎる人々はぎょっとした顔になって避けるように歩く。
事実この獣人は堅気では無く、鬼熊と異名を取る悪党である。
犬の獣人なのに熊なのは名前が熊五郎と言う事と犬にしては大柄で、百四十センチ近くある熊のような真っ黒い毛並みだかららしい。
元は百鬼夜行の方の出だが強請り集りは言うに及ばず、弱みを握った相手が金が払えなくなると女子供を身売りさせてまで金を搾り取ろうとするというので裏社会とそこに近しい場所で暮らす者達からは恐れられていた。
強請られていた者の中には耐えかねて家族共々川に身を投げたのもいるという。
そんな奴にナツメは何の用があるのだろうか、尾行を始めた。
尾行をを始めると同時にナツメは腰のホルスターに幾つかあるポケットの中から長さにして九センチ近い長針を取り出して右手で隠すように持った。
左手には愛用の散弾銃を握っている。
この鬼熊とやらが道を曲がり、路地に差し掛かった所でナツメは尾行を止めて迂回した。
長い路地を鬼熊が半分辺りまで行った所で迂回したナツメが路地に入って来る。
そのまま二人はお互いに歩を進め、鬼熊は目の前からやって来るヴァルキューレ生を避けようと自身から見て左に寄った。
幾ら鬼と恐れられた悪党でも無闇に警察と関わり合いたくは無いのだろう。
また自身の左目が潰れている事から見える方の目でヴァルキューレ生を捉えておきたいという考えもあったのではなかろうか。
そのまま二人が通りすがろうとした時、ナツメの方がやや鬼熊の方に寄って来て身体の右側が接触した。
無闇に関わり合いたくは無いと思っていた鬼熊でも流石に身体を当てられたら文句の一つも言いたくなるだろうが、その一言目が出てくる事は無かった。
既にナツメの右手にあった長針は彼女の親指によってぐい、と鬼熊の心臓に深々と埋め込まれていたからである。
「あっと、これは失礼。」
ナツメはそう言いながら長針を引き抜いて路地を出て行く。
鬼熊はその場に数秒突っ立っていたかと思えば、つんのめるように倒れて動かなくなった。
人通りの少ない路地とは言えいつかは人が通り、この獣人の亡骸を見つけるだろう。
しかしその犯人がまさかヴァルキューレ警察学校の生徒だとはどのような知恵者も犯人を捕まえるまでは意地でも喰らい付いて離さないと噂の狂犬、尾刃カンナ公安局長であっても思いつかない事である。
何しろナツメは十六年の人生でこの獣人、熊五郎と関わったのは後にも先にもこの一度きりなのだから接点も何もあったものでは無い。
では何故殺人に至ったかと言えばそれも彼女の商売の内、表稼業の警察官では無く裏稼業の方面からの依頼で今回鬼熊を仕留める事になったのだ。
最早隠すまでも無いが鬼と謳われた獣人熊五郎が悪党ならば藤波ナツメもまた悪党、裏の顔は悪人専門の殺し屋である。
しかし学園都市キヴォトスの裏社会では金さえ貰えれば善人悪人の区別無く命を奪う者はそのまま殺し屋と呼ぶが、生かしておけない悪人に限り依頼を引き受けそれを始末する者は隠語で活人師と呼ばれていた。
「本来は忌み嫌うべき殺人という行為を生かしておけば世の為人の為にならない悪人に対して用いた時、それは数多の善人を活かす事になる。」
と一人の女侠客が唱えた事に端を発し、今の今まで連綿と続いて来た裏稼業の一つである。
どれだけ取り繕おうとも所詮は悪人、人殺しには違いないが”世の為人の為にならない者のみを仕留める”というこの一点を固く守り抜く事で人の命を奪う事に快楽を覚える殺人鬼や金の為に善人悪人の区別無く人の命を奪う者と活人師が截然と分けられ、似て非なる存在であると認識されるのだ。
(さあて、戻ったらシャワーを浴びて夜食でも・・・)
ナツメはやるべき事を終えたので、そのまま真っ直ぐヴァルキューレ警察学校に戻って行く。
”仕事”終わりに夜食を摂るのは彼女の数少ない楽しみであった。