世界を変えるのに、3分もいらない ―元トレーナー、現ウマ娘として走ってます―   作:うちっち

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10月からシンデレラグレイで1年目のジャパンカップやるらしいですね! と言いつつ、この話のキャラはアプリ準拠となっています。ご了承ください。

大体10話くらいで終わります。
今作の時系列としては、凱旋門賞が解放される前あたりを想定しています。


「トレーナーとして頑張っていたら、なぜか練習場に出入り禁止になりました」

 

 ――『ウマ娘』。人とは比べ物にならない身体能力を持つ彼女たち。

 

 トレーナーは、そんな彼女らと、時に涙し時にぶつかり合いながらも、ともに走り続ける、そんな関係。……の、はずだった。ただ、最近の私は、その部分にどうにも自信が持てずにいる。

 

 

 朝、一番にトレーナー室にやってきたのは、今日もグラスワンダーだった。そんなグラスは、どこかいたずらっぽい笑みを浮かべて、私の方を覗き込んでくる。

 

「さて、今日のトレーニングは……レースの1週前ですし、坂路で軽く流して、コーナーの具合を確認するためにコースを数周、といった内容でいかがでしょう?」

 

「問題なし。90点あげてもいいと思う」

 

「ふふ、私もだんだん正解率が上がってきましたね~」

 

「優秀な生徒を持って光栄だよ」

 

 実際、グラスは優秀だった。きっといいトレーナーになれるだろう。……もっとも、グラス自身は生涯現役にこだわるだろうけれど。

 

 

 私の担当バは3人。グラスワンダー、スイープトウショウ、ナイスネイチャ。

 たいていトレーナー1人が担当するウマ娘は1人なのだが、私は仕事が趣味みたいなものなので、無理を言って3人担当させてもらっている。3人とも、それぞれ癖が強くはあるものの、とってもいい子だと思う。4人で涙も笑いも分け合って、同じ時間を歩いてきた、のだけど……。

 

 

 

 ――最近。

 

 とある問題が、私たちの間には浮上していた。それは現在も、私のアイデンティティを毎日これでもかとばかりに揺さぶっている。

 

 さて、とある問題とは何か。一言で言うと、グラスも他の2人も、トレーニングを自分で考えるようになってしまったのだ。

 

 どうしてこうなっちゃったんだろう……。これが始まったのは確か、1か月ほど前のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(~回想始め~)

 

 ある日、トレーニング終了後。コンコン、とトレーナー室の扉がノックされ、静かに扉が開いた。顔を見せたのは、担当ウマ娘のグラス。そしてその後ろからひょっこりと顔を出す、ネイチャとスイープ。

 

「おはよう! あれ、今日は3人一緒?」

 

「ええ。トレーナーさん、少しだけお時間よろしいですか~?」

 

「もちろん。じゃあ座って。どうしたの、改まっちゃって」

 

 3人を室内に迎え入れる私を見て、ニコニコ笑いながら扉をそっと後ろ手で閉めるグラス。ガチャリ、と鍵がかけられる音がした。

 

「今日はですね、トレーナーさんのお仕事内容について少し確認したくて」

 

「うん、それはいいけど……なんで鍵閉めたの?」

 

「いちいちうるさいわね! とっとと座りなさいよ!」

 

「あはは、ごめんなさいトレーナーさん。少しだけなんで、ほら! いいから早く座ってくださいな」

 

 怒るスイープと、困ったように取りなしてくれるネイチャ。私はとりあえず、訳も分からないままに座った。

 

「でも、仕事内容について知りたいって言われてもなぁ……トレーニングを考えたり、準備したり、だよ」

 

 

 

 

 

 

「……それから? トレーニングが終わった後はどうしていますか?」

 

 笑顔を絶やさずに、グラスが口を開いた。終わった後……?

 

「あとはフリーだよ?」

 

「というと?」

 

「図書館で練習に役立ちそうな本を探してみたり、「あ、この子参考になりそう!」ってウマ娘がいたら積極的に声かけに行って練習を手伝ってくれないかお願いしてみたりとか。あとレースに出るなら一緒に走るウマ娘の過去のレースを全部見たり」

 

 すると、ネイチャが「はい」と控えめに手を上げた。

 

「早速さらっと変な部分があったんですケド……レースの度に、出てくるウマ娘全員の過去のレース全て見るんですか……?」

 

「私は10回くらい見ないと展開予想はできないなぁ」

 

「はは、しかも見るの1回じゃないんですね……」

 

「確かに怖いほど当たりますよね、トレーナーさんの展開予想」

 

「でもそんなんじゃ使い魔、時間いくらあっても足りないでしょ」

 

「本題はそこです」

 

 

 グラスがこちらにずいっと身を乗り出してきたので、私は思わずちょっと後ろに座ったまま下がる。

 

「な、なになにどうしたの?」

 

「トレーナーさん。先月なんですが、休みって何日取られました?」

 

「休み……ってなに……?」

 

「……」

 

 グラスがぴくりと片眉を上げた。やばい。怒ってるかもしれない。いや、違うよ? からかってるわけじゃないの! 怒らないで聞いて!

 

「言葉の意味は分かるんだけど! 私ってほら仕事が趣味みたいなとこあるから分けにくいというか、もはや生活と仕事が一体化してるというか」

 

 すると、グラスは再びにっこりと笑顔を浮かべた。

 

「ではこう聞きます。休みとは、お仕事やウマ娘に一切関わっておらず考えたりもしない、トレーナーさんの完全にプライベートな時間、ということにしましょう。……さて、何日休みました?」

 

 笑顔だけど、目が笑っていない。こういうときのグラスに嘘は通用しないのを私はよく知っていた。急いで頭を回転させる。

 

「えーっと、何日……何日かぁ」

 

「まさか、何時間、ですか?」

 

「ううん、さすがにそれはない。うーん、計算するとだいたい120時間くらいかな……?」

 

 ほう、という顔をされた。どうやら、グラスが思っていたより多かったらしい。……私、いったいどういう生活してると思われてたんだろう。私もさすがに24時間ウマ娘のことだけ考えて生きているわけじゃない。

 

「120時間というと、5日ですね。ちなみにどういう計算ですか?」

 

「1日4時間寝てるから、30日×4で、120時間。えっと、計算合ってるよね……?」

 

「……………………」

 

 グラスはしばらく黙った。沈黙は、およそほど2分続いた。

 

 そして、グラスは目を閉じ、額に手を当てた。うわ、眉間にしわがめちゃくちゃ寄ってる。

 

 

「よくわかりました。トレーナーさん。トレーナー業はいいと言うまで禁止です。ちなみにこれは理事長の許可も貰っています」

 

「なんでいきなり!? 横暴だよ!? 別に元気なんだからいいじゃん!」

 

「その生活で元気なのがまずおかしいんだよねえ」

 

 とネイチャがぼやく。

 

「バカなの!? 体壊してからじゃ遅いに決まってるじゃない!」

 

 立ち上がったスイープを、まあまあ、と手で制止し、グラスはニコニコと笑った。

 

「体も大切にしてほしいんですけれど、それだけではなくて。……実は、私達もそろそろ独り立ちしたいと考えているんです」

 

「えっ……? け、契約解除ってこと……?」

 

「いえ、契約解除とかそういうのでは決してなく。トレーナーさんに一生懸命育てていただいたおかげで、みんな十分強くなれましたし。これからは自主性を尊重して伸ばさせてほしいんです。契約解除ではないです*1

 

「……3人とも?」

 

「はい」

 

「私、トレーニング考えちゃダメなの?」

 

「はい」

 

「それってもう契約解除じゃない……?」

 

「解除は絶対しません。いいですね? 言ったら怒りますからね」

 

 ……もう怒ってるじゃない、って言ったらもっと怒られそうなので私は口をつぐんだ。代わりに浮かんできた疑問を尋ねてみる。

 

「……でも、トレーニングしないトレーナーって何するの?」

 

「担当ウマ娘の悩みを聞いたり、お話したり。その部分は今まで通りです。トレーナーさんは、いてくださるだけでいいんです」

 

 

 

 こうして、私は練習場に出入り禁止処分を下された。ちなみに練習場に入ることを許されないトレーナーは史上初らしい*2。そりゃそうだろう。

 

 さすがにあんまりだと思って理事長室に直訴しに行ったが、逆に「仕事をするなら君をクビにせざるを得ないかもしれない(意訳)」という意味の分からない対応をされ、煙に巻かれてしまった。仕事をするとクビっていったいどういうことなの……?

 

 

 

 

 とりあえずトレーナー室でずっと何もせず横になったりしてみたけれど、全然気が休まらなかった。仮眠室のベッドから降りたり布団に潜ったりを2分ごとに繰り返す私。

 

 最近はもっぱら、練習場の外からコースをぼーっと眺めながら、練習場に入れてもらえないトレーナーという矛盾した存在について思いを馳せつつ、毎日空虚な時間を過ごしているのだった。

 

 

 

 

(~回想終わり~)

 

 

 

 

 

 

 

 

 何度思い出しても悲しい記憶だった。

 

 さて、グラスが練習場に向かった後、続いて、トレーナー室の扉を開いたのはネイチャだった。……よし、今日こそ言おう。やっぱり私にメニュー考えさせてって。最近コースばっかり走ってるけど、そろそろネイチャもレースが近いからレース研究とかした方がいいと思うし!

 

「おいっすー。今日もぼちぼち頑張りまーす」

 

「おはようネイチャ、あのね」

 

「あ、ごめんトレーナーさん。今日はちょっとビデオ室に籠るわ。そろそろレースの相手も確認しときたいしね」

 

「あ、うん……いいと思う……。頑張ってね……」

 

 ……いや、ネイチャが成長するのは私も嬉しい。ちょっと寂しいけど。こうなったらあと1人に全力を注ぐのみ!

 

 私が気合を入れていると、ちょうど扉が開いた。……来た!

 

「おはよう! スイープ! あのね、今日のメニューはね! プー「やーだー! 今日はこっちがやりたいの! 使い魔のくせに口出ししないで!」

 

「うん……そっかぁ……」

 

 

 

 

 

 

 そして、1週間があっという間に過ぎ、グラスの出走するレース、天皇賞(春)の当日がやってきてしまった。やってきてしまった、とはあんまりな言い方だと思う。でも、だって私ほぼ何もしてない……。

 

 

 

 レース場の控室で待っていると、グラスがひょっこり顔を出した。その顔には心なしか苦笑のようなものが浮かんでいる。いつもの笑顔じゃない。やっぱり緊張してるんだ……! ここは私が何とかしないと!

 

 私は立ち上がり、グラスに駆け寄った。

 

「グラス、おはよう。早いね! 今日は頑張ってね! ほら座って!」

 

「おはようございます、トレーナーさん。いえ、たぶんもう来られているかなと思いましたから」

 

 私が淹れたお茶を口に運んだ後、グラスは笑って、座ったままこちらを見上げた。

 

「それで一応確認なのですが……今日のレースって何時からでしたでしょうか?」

 

「15時40分。もう、最近頑張りすぎて疲れてるんじゃない? そろそろトレーニングを私に任せてみたらいいと思うな」

 

「いえいえ。ところで、つかぬことをお伺いしますが……今、何時ですか?」

 

 私は後ろの時計を振り返った。ていうか、グラスからも時計見えるじゃない。なんでいちいち聞くんだろう。

 

「7時……? 正確には、7時6分」

 

「……なぜですか?」

 

 グラスの顔は、笑顔だけどなぜかちょっと怖かった。

 

 なぜ今は7時6分なのか。時計が7時を指しているから、という答えを求めているわけではなさそう。なぜこんなに早く来ているのか、という問いか。

 

「バ場状態を確認しておきたかったし、コースのどこが走りやすそうか見たかったから。ほら、レースが始まるとコース内に入れなくなっちゃうでしょ?」

 

 家にいてもどうせ落ち着けないから、という言葉は言わずに飲み込んでおいた。レース前の愛バに余計な心配をかけるのは、私としても避けたい。

 

 

 

 そして、私達の会話はそこで終わり、しん、と静寂がその場を支配した。私はその沈黙に耐え切れず、再び口を開く。

 

「3コーナーの手前、内側に穴がいくつか開いてた。ちょっと外を通った方がいいかも*3

 

「いつもありがとうございます。ところで朝食はもう召し上がられました? よろしければ一緒に食べに行きませんか?」

 

「ごめん、さっき軽く食べちゃった。私が荷物見ておくから、行ってきていいよ」

 

 私がそう言って手をひらひらと振ると、なぜかグラスは顔を少し曇らせた。

 

「ちなみに、どこで食べました?」

 

 私思うんだけど、最近のグラスってちょっと変な気がする。「なぜ」とか「どこで」とかすっごく詰めてくる。さて、どこで食べたことにしよう。

 

「もちろんここだよ?」

 

 するとグラスは控室の中を見回し、すん、と軽く鼻を鳴らした。

 

 ……まずい。いや、さっき食べた、ってのは嘘じゃないの。『さっき』が、正確に言うと『一昨日の昼』ってだけで。時間とは何なのかという壮大な観点からみると誤差だ。ただ、これを言ったら怒られそう。

 

「トレーナーさん?」

 

「嘘じゃないよ」

 

「まだ何も言っていません。……もう。意地っ張りは損ですよ?」

 

 意地の塊みたいなグラスが言うんだ、と思ったらじろりと睨まれる。顔に出ていたらしい。グラスの目が怖すぎてさっとノートで顔を隠すと、はあ、と大きなため息が聞こえた。

 

「今のトレーナーさん、とても苦しそうに見えます。辛いことがあるなら聞かせてください。それとも、私では、相談に乗れませんか?」

 

「私は……別に気になってることは、何もない」

 

「……意地っ張り」

 

 ぽつりと零された呟きは、どこか寂しそうだった。私は聞こえないふりをして、目を閉じる。真っ暗な視界の中で、声に出さずに囁いた。

 

 

 

 ……ねえ、グラス。私ね、最近、レースが近づくと、なんだか落ち着かないの。胸がきゅっと苦しいの。大きなレースであればあるほど、締め付けられるように苦しくなる。だから、ご飯も喉を通らないんだ。おかしいよね、自分が走るわけでもないのに。

 

 

 

「ほら、使い魔やっぱりもう来てるじゃない。早すぎよ! まったく、バカなんだから!」

 

「あ、ほんとだ。おはようございまーす」

 

「おはよう、スイープ、ネイチャ。今日は同じチームとして、グラスの応援頑張ろうね!」

 

「ふん! 待っててもつまらないから来てあげただけよ!」

 

「トレーナーさん、お弁当作ってきたんだけど……どう、かな」

 

 心なしか照れながら包みを差し出してくるナイスネイチャ。最近のネイチャはちょくちょくお弁当を作ってくれる。嬉しい。でもごめん、今は食べられそうにない。

 

「ありがとう。じゃあ、グラスが勝ったのを見届けてから美味しくいただこうかな」

 

「グラス先輩は今日も勝つと思いますよ。最近やたら気合入ってるから」

 

「負けたらどうすんのよ! 食べないの!?」

 

「もちろん泣きながら食べる」

 

「先輩がやる気なのも、だからでしょうねえ」

 

 ネイチャはそう言って、苦笑いした。

 

 

 

 

 

 そして、レース直前。レース場までの地下道で、グラスを見送る。

 

「そんなに心配なさらないでください」

 

「だって、結局ちゃんと見てあげられなかったし。ねえ、やっぱり私が練習見た方が、勝てる可能性は高いと思う。……まだ、駄目? ひょっとして、そんなに勝ちたくなくなっちゃった?」

 

 そんなわけがない。グラスが頂点に誰よりもこだわっているのを、私は知っている。

 

「いえ。私も勝ちたいですよ。……でも、ただ勝てたらいい、というのとはちょっと違うんです。少し前まではそうだったんですけれど」

 

「……ごめん。よく、わからないや」

 

 「でしょうね」とグラスは苦笑して、私にくるりと背を向けた。だから、次の台詞を彼女がどんな顔をして言ったかは、私にはわからなかった。

 

 

 

「きっといつか、トレーナーさんにも同じことを思わせてみせますから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウマ娘たちが第四コーナーから直線に走り込んでくる瞬間、私はスタンドから大きな声で声援を送る。すると、一瞬だけグラスはこちらを見て、笑ったような気がした。

 

 そのまま、あっという間に私の目の前を駆け抜け、ゴールまで一直線に走っていく。グラスがゴールに近づいていく一瞬ごとに、自分の鼓動が大きくなるのがわかる。苦しくなって、思わず胸を押さえた。しかし、全身のガタガタという震えはいつまで経っても収まらない。

 

 ……ああ、そうか。

 今、分かった。分かってしまった。

 なぜ、レースが近づくたびに心が揺れるのか。

 

 ……恐いのだ。

 

 

 だって、私が何もしなくても勝ってしまったら。それはまるで――。

 

 

 

 

 

 

 強豪ウマ娘が集った天皇賞(春)。全世代の長距離最強を決める、年に1度の大きな舞台。……その日、グラスは見事に1着でゴールを駆け抜けた。

 

 

 

 レースが終わった後。グラスは、真っ先に私のところに駆け寄ってきてくれた。顔は紅潮し、息は乱れたまま。今、3200mを走り切ったばかりだというのに、グラスは心底嬉しそうに笑っていた。

 

「トレーナーさんの声、聞こえました。苦しいレースでしたけれど、最後に背中を押してくれたんです」

 

「よかったね! グラス、本当におめでとう」

 

 声が震えていなかったか、自信はなかった。何もしてない私が、声援を送って、何か意味があったの? ……本当に?

 

 

 ……当たり前の話だけど、トレーナーはレースにおいては、見守ることしかできない。だから、せめてそばで見届けたい。成功したら手を取り合って喜んで、失敗したら一緒に悲しんで、どうすればいいか考えたい。ずっとそう思っていたし、そうしてきた。でも、何もしていない、何も一緒にできない私に、そんな資格があるのだろうか。

 

 

 声援が力になる、いてくれるだけで背中を押される、と担当ウマ娘みんなが言ってくれる。でも、私にはそれがどういうことかが、よく、分からないのだ。ふわふわとして、なんだか掴みどころがないというか。

 

 

 

 

 

 

 

 レース場から、どうやって帰ってきたかは覚えていない。家に着き、ベッドに倒れ込んで、泥のように眠った。

 

 起きた瞬間に、テレビをつける。レースがない日も、朝一で天気予報を見るのがトレーナーになってからの習慣だった。

 

 テレビの中では、天気予報士が張り付けたような笑顔を浮かべながら、今日の天気について話していた。今日の天候は、曇り。午後から一時的に雨。降水確率は午前20%午後30%。念のため鞄の中に傘を入れていきましょう。

 

 

 そして、天気予報に続いて、今日の占いコーナーが始まった。なんとなく、自分の星座の運勢を確認してみる。12位。凶。

 

 

 出勤し、学園の門をくぐると、向こうの方からアグネスデジタルがこちらに駆け寄ってくるのが目に入った。生粋のウマ娘オタクである彼女と私は、ウマ娘について熱く語ることが多かった。ちなみに私の中での愛称はデジたん。

 

「おめでとうございます。昨日のグラスワンダーさん、見事でしたねえ!」

 

「デジたん……」

 

「あれ、どうしたんです。元気ないですね」

 

 笑っているデジタルを見た瞬間、私の目からぶわっと涙が突然あふれてきた。下を向くと、ぽたぽたと涙がこぼれ、地面に黒いシミを次々と作っていく。

 

「どどどどどうしたんですか!? あたし何かしちゃいました!?」

 

 ざわざわと周囲の生徒が騒いでいるのが耳に入る。こんなところで泣くなんて、止めないといけないなんてわかってる。ただ、涙は一向に止まらなかった。

 

「デッ、デジたん……あのねっ……あのっ、私ねっ……最近変なの……っ!」

 

「ちょっ、こっち来てください!」

 

 ぐいっと腕を掴まれる。驚くほど強い引きに、身体がよろめいた。

 まるで助け舟のように、デジタルが私を引っ張っていく。制服の布がこすれる音と、砂利を踏む足音。

 

 そして、私たちは校舎の陰へと滑り込んだ。そこは陽射しの届かない、ひんやりとした空間だった。

 

 

 

「何があったんですか? ていうかトレーナーさん泣かせたとかあの子らにバレたらあたしヤバいんですけど」

 

「……っ……っ」

 

「わかりました。落ち着くまで待ちますから」

 

 コンクリートの壁に背を預けて、二人並んで腰を下ろす。地面の感触が冷たく、じんわりと体温を奪っていく。

 風が吹いて、制服の裾がわずかに揺れる。デジタルは何も言わず、私の隣でずっと空を見ていた。

 

 

 

 

 やがて、私の涙がようやく止まる。私は、今自分が感じている気持ちを形にしようと、心の中で言葉を探した。見つかったそれを、ぽつりと口にしてみる。

 

「私、もういなくてもいいのかも」

 

「……は?」

 

 デジタルの首がぐるんとすごい勢いで回り、こちらを向いた。

 

「…………なんでですか?」

 

「独り立ち、したいって」

 

「誰が」

 

「チームの3人とも…………っ」

 

「なんで!? ありえませんよ!?」

 

「わからないよぉ…………っ!」

 

 

 

 ところが……事情を説明すると、デジタルは微妙な顔をして黙り込んでしまった。

 

「独り立ちは、まあ置いておきましょう」

 

「置かないで! 一番大事なところ!」

 

「たぶんふつーに休み取ってほしいだけだと思いますけどね」

 

「休みは駄目なの」

 

「……なんでです?」

 

「何かしてないと、不安で」

 

「はい」

 

「昨日のレースも、怖かった。それで、グラスがせっかく勝ったのに、心から喜んであげられなかったのが、一番悲しくて……っ。ウマ娘のことを大事に思う気持ちは誰にも負けないって思ってたのに……!」

 

「あーあーはいはい、泣かないでください」

 

 また、ぽろぽろと涙が勝手に落ちてきたので、ぐいっと袖で涙をぬぐった。すると、デジタルがそっとハンカチを優しく手渡してくれる。

 

「ちなみに、いなくてもいいってチームのウマ娘ちゃんたちにまさか言ってませんよね」

 

「うん、まだ言ってない」

 

「永遠に! 言わないでください!」

 

「……わかった。そうだよね、こんなの聞かされたら誰だって嫌な気持ちになっちゃうもんね」

 

「たぶんあたしの想像してるのと違うニュアンスですが、その通りです。トレーナーさんがいなくなったりしたら、取り返しのつかないことになりますよ。……あの、あたし、トレーナー室まで送っていきましょうか?」

 

「いい。大丈夫。ありがとう」

 

 

 

 

 

 デジタルにお礼を言って別れ、いちおう、といった感じでトレーナー室に顔を出す。すると、スイープが本を読みながらなにやら足をバタバタさせているところだった。何か気に入らないことがあったらしい。

 

「また偽物の魔導書だったわ! もう!」

 

「残念だったね。ちょっと気晴らしに走ってみる? なんなら一緒に……」

 

「うるさい! ……ふふ、でもね使い魔。アタシ、いい情報手に入れちゃったのよ」

 

「なになに」

 

「図書館に、怪しい本があるらしいの。今から探しに行ってくるわ」

 

「私も行こうか? 2人で探したほうが早いよ」

 

 すると、スイープはぱあっと顔を輝かせた。

 

「いいこと言うじゃない! じゃあ……あ」

 

 しかし一転、気まずそうな顔になった。いきなりどうしたの。

 

「やっぱりアタシ1人で行くわ。アンタ、とろいから見つけられなさそうだもん!」

 

「私が見つけられなくてもマイナスにはならないんじゃ……」

 

「うるさいうるさいうるさーい! ついてこないで!」

 

 バーン! と扉を思いっきり閉めて、スイープは早足で出て行った。どうやらまだ私の謹慎期間は終わっていないらしい。……図書館、かぁ。

 

 私はしばらく天井を見上げ、スイープが出て行ってから30分が経過したときに、立ち上がった。

 

 

 

 やっぱり、スイープが探してたら手伝おう。もし私が魔導書を見つけたら、スイープも機嫌を直してくれるかもしれないし。

 

 

 

 

 

 ところが、予想に反して、図書館にはスイープの姿はなかった。

 

 いつものように、気まぐれにどこかへ行ってしまったのだろうか。辺りを見渡しても、利用者は誰ひとりおらず、カウンターにいる職員が1人、机に突っ伏してうつらうつらとしているだけだった。

 昼下がりの空気は静かすぎて、ページをめくる音すら聞こえてこない。

 

 私は足音を忍ばせながら、そっと書架の間を歩く。えーっと、怪しい本……だったっけ?

 でも、よく考えたら「怪しい本」って、どんな本? 光る? しゃべる?

 

 戸惑いつつ、本棚の背表紙に視線を走らせる。きちんと分類され、どれも整然と並んでいる。手に取りやすい高さに並ぶ本たちは、どれもごく普通で、怪しいどころか地味な印象すらあった。

 キラキラした魔導書のようなものは、当然ながら見当たらない。スイープが早々に飽きてしまった理由が、少しだけ分かる気がした。

 

 

 

 それでも、せっかく来たのだからと、私は足を奥へと進めていく。

 

 その時、不意に視界の端で、壁と壁の間にわずかな隙間があることに気がついた。

 近寄ってみると、その隙間は細い通路へとつながっていた。古びた本棚に隠れていたのか、目立たない場所だ。

 

 ……こんなところ、あったっけ?

 

 

 

 通路を抜けた先には、小さな部屋があった。

 

 壁は真っ白で、窓もなく、外の音も届かない。まるで現実から切り離されたような空間。右を見ても、左を見ても、視界を覆うのはただの白。蛍光灯の淡い光が無機質に反射し、目がちかちかした。

 

 部屋の壁際には、いくつかの本棚が並んでいた。私は一番手前の本棚に歩み寄り、背表紙に目をやる。目に付いた本の背表紙に書いてある題名を、私は心の中で読み上げた。……『選ばれた夢』。

 

 手に取ってみると、軽かった。表紙には、見たことのない茶色の動物に人がまたがっている写真が載っていた。開いてみる。

 

 

 ……白紙だった。

 ページをめくる。

 白い。

 めくる。

 白紙。

 めくる。

 白紙。

 

 

 最後までめくってみたけれど、結局全部、白紙だった。

 

 

 

 ……なんだ。グラス風に言うと「運命的な何かを感じます」って思ったんだけどなぁ……。私は、手にした本を棚に返す。そのとき、隣の本の題名が目に入った。……『真の勇者は戦場を選ばない』。

 

 

 その本も手に取ってみた。同じく、見たことのない動物が表紙に描かれている。中身はこれまた全て白紙だった。まさかここにあるのって、実は全部白紙? ただのメモ帳置き場なの? やたら軽いし。

 

 

 ――と、そのときだった。

 

 指先が、ひときわ重みのある背表紙に触れた。

 思わず手を止めて、タイトルを見やる。『世界が見上げた月』。

 なぜか心に引っかかる。

 

 ……しかし、手に取ってみようとして、やめた。月に手を伸ばすなんて、今の私にはおこがましいような気がして、気が引けたから。ゴルシあたりに聞かれたら末代までからかわれそうなポエムを内心詠みつつ、私は手を引っ込める。

 

 

 

 

 代わりに、私は本棚を端から順番にちゃんと見ていくことにした。淡々と背表紙をなぞり、重さを確かめ、白紙のページを何度も繰り返しめくる。

 

 

 

 そして、端から端まで見終わって。私は、気になる2つの本の背表紙を見比べた。この2冊は、どちらもちゃんと重い。

 

 タイトルはそれぞれ……『瞳に夢を*4』『空に描く衝撃の軌跡*5』。先に手に取るなら、どっちがいいだろう。どちらも、心惹かれるお洒落なタイトルだった。

 

 

 

 そのとき――。

 

 ばさり、と。

 

 棚の端から、本が一冊、音を立てて落ちた。

 

 私は驚いて身をすくめ、反射的に振り返る。誰もいない。風もない。

 にもかかわらず、本は確かに、勝手に落ちた。

 

 

 近づき、拾い上げてみると、こちらの本にも、ずっしりとした重みを感じた。えーっと、題名は……。

 

「『世界を変えるのに3分もいらない』……かぁ」

 

 開いてみると、この本は白紙ではなく文字が書いてあった。中を読み、しばらく考えた後、私はそれを手に取った。これ、スイープが喜ぶかもしれない。

 

 ……なぜか、複数の本を持っていく選択肢は頭に浮かばなかった。

 

 

 

 

 

「この本、借りていっていいですか?」

 

「……これ、どこにあったの?」

 

「奥の小部屋にありましたよ。ほら、狭い通路を抜けた先の白い小部屋」

 

「奥……? ここ、フロアは1つだけしかないんだけど……」

 

 係員は不思議そうに首を捻っていた。

 

 

 

 

 

 トレーナー室に戻り、あらためて本を開く。内容はシンプルだった。というかこの本、何か書いてあるのはたったの2ページしかない。書かれている内容は、ざっくり言うと、とある儀式のやり方だった。

 

 

 要は、夜、月が一番高く上る時間に、トレセン学園の南にある神社に行き、呪文を唱えれば、願いが叶うのだという。すごくすごく怪しいが、なぜか妙な信憑性があった。

 

 ただ、書かれている呪文がいまいち呪文っぽくないのはちょっぴり気になる。なんか時間も入ってるし。

 

 

 

 ″――躍り出ろ

 

  お前を知らない者達の隙を突いて躍り出ろ

 

 「世界を変えるのに、3分もいらない」

 

 ワールドレコード、2分22秒2という事件

 

 その馬の名は″

 

 

 

 2分22秒2。何の時間かはわからないけれど、ワールドレコードとあるので、思い当たるのは1つ。ウマ娘の2400mの世界記録が、確か2分25秒フラットだったはずだ。2400mを2分22秒2どころか、2分24秒台で走ったウマ娘すら、歴史上で未だかつて1人もいない。それがもし、2分22秒2で走ったとなれば、すごい。というかありえない。それは確かに事件と言って差し支えないだろう。

 

 ただ、最後の漢字が読めない。なんて読むの? ウマ、だろうか? ただ、点の数が違う。なんで4つもあるの。

 

 スイープが来たら一緒に唱えてみよう、と思ったところで私はふと考えた。……これ、何も起こらなかったら怒るか。……試してみた方がいい?

 

 

 

 

 

 

 その日の深夜、私はトレーナー室を抜け出した。

 午前2時。夜の底がいちばん深くなるころ。見上げれば、真っ白な月が空のてっぺんに浮かんでいて、まるでこちらをじっと見下ろしているようだった。

 

 

 

 学園の南端、草むらに紛れるようにして、小さな社がひっそりと建っている。

 鳥居をくぐって足を踏み入れると、しんと静まり返った空気が、肌にまとわりついた。明かりはなく、月明かりの下で見る社の輪郭は、まるで巨大な獣のように見えた。建物の影が、私に覆いかぶさるようにのしかかってくる。

 

 

 

 私は、小さく息を吐いた。

 

 何をしてるんだろう。

 …………いや、構うものか。最近、ずっと、何してるかなんてよくわからないんだから。

 

 私は胸に手を当て、呪文を紡ぐ。

 

 

 

 

「躍り出ろ。お前を知らない者たちの隙を突いて躍り出ろ」

 

「ワールドレコード、2分22秒2という事件」

 

「そのウマの名は」

 

 

 

 何か忘れているような気がして、私は月を振り仰いだ。……あ、そうだそうだ。タイトル。

 

 

 

 

「″世界を変えるのに、3分もいらない″」

 

 

 

 

 

 ここで終わり。もう1度、私は月を見上げた。……当たり前だが、何も起こらない。ため息をついて、視線を下ろす。

 

 すると、背中のすぐ後ろで、ふいに誰かの呼吸を感じた。さっき見回したときは、周囲に人影なんてなかったはずなのに。

 

 

 ……なにこれ。望みが叶うんじゃないの? 私の望みって背後に誰か立つことだったの? そんな馬鹿な。

 

 

 

 

 そして、しばらく息をひそめていても、背後の誰かがいなくなってくれる気配は、全くなかった。

 

「……だれか、いるの?」

 

 おそるおそる、私は振り向いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

≪~トレセン学園の怖い話~≫

 

 

「ねえ、知ってる? 不思議な本の話」

 

「なにそれ」

 

「居場所がないって思ってる人を、本が呼ぶんだって。こっちにおいで、って。で、呼ばれた人はふらふらっと近寄って行っちゃうの」

 

「それで?」

 

「本には儀式のやり方が書いてあって、この世の者じゃない存在を呼べるんだって」

 

「へえ……。で、呼んだらどうなるの」

 

「それがね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――代償として、呼んだ本人は、この世のどこにもいなくなっちゃうんだって」

 

 

 

*1
大事なことなので2回言った

*2
しかも担当ウマ娘から

*3
コース確認のため歩いて3周した

*4
アーモンドアイ

*5
コントレイル




トレーナー
実際この三人を同時にちゃんと担当したら過労死しそうだが、その部分は平気。その代わりに変な部分で調子を崩す


グラス
大和撫子の姿をした鎌倉武士。下手したら切腹させられる
独り立ち発言に至るまでには一応いろいろあった


スイープ
わがまま魔女っ子。やりたい放題、でも周囲に気を配れるいい子。なので曇らせるとたぶん健康に良い


ネイチャ
みんなのオカン


デジタル
自称平凡な、いろんな意味で規格外なウマ娘。オタクの鑑。いい子なので面倒見もいい。
トレーナーを泣かせたあと物陰に連れ込んだところを、大勢の生徒に目撃されている
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