世界を変えるのに、3分もいらない ―元トレーナー、現ウマ娘として走ってます― 作:うちっち
⇒『……トレーナー室で、担当の子たちと話そう!』
『そういえば、タキオンは何を言いかけてたの……?』
『あれ? 何かメッセージが来てる?』
「いやぁ、もうすぐレースだねえ。こりゃ、トレーナーさんに負けないよう、いっちょ頑張りますか!」
「いっぱい声援送るからね!」
トレーナー室の窓から差し込む夕陽が赤く壁を照らす中、私は練習を終えたネイチャとグラスとお喋りをしていた。リラックスした空気の中で、ネイチャはニコニコと私の方を見つめる。どうしたの? と首をかしげると、彼女はいたずらっぽく、くすくすと笑った。
「うん、前のトレーナーさんも可愛かったけど、やっぱりこっちの方が……いや! 深い意味はないんだけどね!」
「……」
「あれ? トレーナーさん顔赤くない?」
「ごめん恥ずかしいから今ちょっと見ないで……」
不思議そうな顔で、グラスとネイチャが顔を見合わせる。
「どうしたの? いつもなら流してるじゃん」
「私、わかったことがあるの。ここにいていいんだ、って少しだけ思えたというか」
「わかったこと?」
「大げさに言ったら、真理、みたいになるのかなぁ。私、そんなこともわかってなかったんだ、とも思うけど」
「いや、それでなんで恥ずかしがるの……?」
でも、今回のことがあったからこそ気づけたことだ。担当の子達と、遠い空の向こうから来たあの子に、私はもう1度、心の底から感謝する。あー、それにしても頬が熱い。
ぱたぱたと手で仰いでいると、グラスがスタスタと歩み寄ってきた。なんだろう、凄く真剣な顔してる。じーっとこちらを見つめてる。じーっと。
「トレーナーさん。私、最初、マルゼンさんに勝つことを目標に頑張っていましたよね」
「うん」
「だから、逃げウマを差すタイミングだけは逃さないように、これまでも気を付けてきたつもりです。……今、でしょうか?」
「えーっと。ごめん、意味がよく……」
グラスはそのまま私の隣にすとんと腰を下ろし、穏やかな笑みを浮かべた。息が触れそうなほど近い距離で、彼女は視線を逸らさない。
「1つ、トレーナーさんに参考意見をお伺いしてもいいですか?」
「どうしたの?」
「逃げウマが1人いたとして、非常にマイペースに逃げているとします」
「ふむふむ」
いきなりけっこう話変わるなぁ、と思いながらも頷く。
「こちらがいくらプレッシャーをかけても、気づいていないのか、それとも気づいていないふりをしているだけなのか、一向にペースを崩しません」
「まずいね」
「……どうします?」
「こっちから積極的に捕まえに行くしかないかな」
「やはりそう思われますか」
「マイペースな逃げウマって好きに走らせてると逃げ切られちゃうから。まずは真後ろからつっついて、自分のペースを崩すところからだね」
「同感です。私も、さすがにそろそろかと思っていました」
「距離は?」
「3年、でしょうか?」
「……もう、グラスってば! 3年は距離じゃなくて時間だよ」
「あらあら。ふふ、そうでしたっけ?」
明るく笑ってるグラスの様子に、ちょっと不安になる。だって、今回の件ではすっごく心配かけちゃったから。
「……大丈夫? 疲れてない? ちょっと休む?」
「ところで、トレーナーさんって脚質で言うとぜったい逃げですよね~」
あ、スルーされた。あと、ウマ娘の私はどちらかと言うと先行だったけど……。
「また急に話変わるね」
「さっきからずっと、変わってませんよ?」
ていうかさっきからグラスちょっと距離近くない? もう顔と顔が10センチくらいしか離れてないけど。
そのとき、額の辺りを押さえながら、ネイチャが口を挟んできた。
「あー、気づいてないに1票。そういえばさ、さっきトレーナーさんがわかったことって、結局何だったの?」
「んー……。でもちょっと、口に出すのは恥ずかしいかも……」
「トレーナーさんが恥ずかしがるのって珍しいですね」
それだと私に恥って概念がないみたいじゃない? というのは置いておいて。なぜ恥ずかしいのか。
「だって……『愛』とか……『好き』とか……言うの慣れてないから」
隣で、ガタッと立ち上がる音がした。
「今でした」
「いやいや待ってください! ここにアタシもいるんですケド」
そして私の正面にグラスが陣取ったかと思うと、そのままがっしりと両肩を掴まれる。
「トレーナーさん、言ってください」
「えー……だから言いにくいってば」
「わかりました。では、私もトレーナーさんに伝えますから。一緒です」
「一緒、かぁ……。ふふ、でもいいかもね。……ねえ、もし私達の話が同じだったらさ。それって、魔法みたいじゃない?」
「その通りです。では、さっそく、答え合わせを始めましょうか~」
そのとき、ネイチャがそろそろと手を上げた。こちらも視線は真剣だった。
「あのー、アタシは……? この際アタシも言いたいこと、あるんですケド。グラス先輩と言えど、こればっかりは譲るつもりとかないんで」
「ネイチャにも関係あるから、今、一緒に伝えるよ。わかったこと」
すると、ネイチャはあちゃー、みたいな顔をして、がりがりと頭をかいた。髪に結んだリボンが大きく揺れる。
「……あー、わかっちゃいました。たぶん、『私やっぱりウマ娘が大好き!』みたいなことですよ。グラス先輩、掛からない方がいいと思います。がっかりしちゃいますって」
「問題ありません。正解扱いにします。だって広く言うなら、意味は同じですから~」
「強い……」
「なんで私がズレてるの前提なの……?」
「だって……ねえ?」
2人に向き合い、私は大きく深呼吸をした。
窓の外には、夕陽に照らされた校舎が赤く染まっている。遠い空の向こうから来たあの子が教えてくれたこと。ネイチャの言ったことも半分は正解だ。私はやっぱり、ウマ娘が好き。そしてもう半分は、かつてグラスがどこかで口にしていた言葉だった。耳の奥に、それが鮮明に響く。
――「表裏一体、ですよ」。
ずっと、片思いだと思ってた。どこか遠い存在で、あの夢みたいにいつか離れてしまうような。でも……そうじゃないのかもしれない。事実、私とあの子は一緒で……確かに同じ、夢を見た。
今から私が伝えることは、二人の言おうとしていることと、同じか、それとも違うか。同じだといいな、と、空の向こうのあの子に願う。空の向こうのあの子が「頑張って」と囁いた気がした。
そして、私は覚悟を決め、口を開く。
私がわかったこととは、つまり――。
――”人がウマ娘を愛するように、
ウマ娘も人を愛している。”
『世界を変えるのに、3分もいらない』
――グッドエンド "君の愛バが"――
* * * * * * * * * * * *
『……トレーナー室で、担当の子たちと話そう!』
⇒『そういえば、タキオンは何を言いかけてたの……?』
『あれ? 何かメッセージが来てる?』
部屋でゆっくりしていると、私が元に戻ったときのあのことが、妙に気になった。面白いことが分かったよ、みたいなこと言ってたけど……。あれってなんだったの? せっかく休みなんだし、聞きに行ってみる?
静かな午後の光が部屋のカーテン越しに差し込んでいた。ふと立ち上がり、私は薄手の上着を羽織って扉を開けた。
タキオンの研究室に向かっていると、途中でデジタルを見つけた。デジタルにも今回すごくお世話になったよね。
「本当にデジたんには感謝してる。で、今日私休みなんだ。よかったらケーキ一緒に食べない? ちょっといいやつ買ってあるの」
あの子を思い出しながらジャパンカップ勝ちのお祝いを1人でしようと思ってたんだけど、きっとデジたんならあの子も納得してくれるだろう。
「あたしなんかがお邪魔していいんですか……? でも、そうですね。ちょっと念押ししたいことありますし、ご一緒させてください」
そして、私はデジタルと一緒に、タキオンの研究室を訪れた。すると、タキオンは上機嫌でふかふかの椅子を出してきてくれた。まだ私は研究対象らしい。さっそく、気になっていた件を切り出す。
「それで、何がわかったの?」
「今回、君はウマ娘に変わったことで体の変異が起こったわけだが……。君の細胞を調べた結果、変異は2回起こっていることがわかった」
タキオンはどこか得意げに腕を組み、資料の山を背後に語り始めた。
「段階があるってこと?」
「いや。1度目の変異は、おそらく何年も前だ。そして、今回が2回目。だから、ウマ娘になった君の頑健さは、変異が重ねて起こったことに由来していたのだろうねえ」
「そういえばトレーナーさん、1年休んでないって言ってた時もピンピンしてましたもん。あたしトレーナーさんならあり得るのかなって思っちゃってましたが」
とりあえず、私とデジタルは連れ立って私の家に戻った。
薄暗くなりかけた部屋に明かりを点け、テーブルの上にはケーキと紅茶を並べる。カップから立ちのぼる湯気と甘い香りが、少しだけ緊張を解いた。
デジタルは、紅茶を一口飲み、ふう、と息をついた。
「それにしても、長かったですね。6月から11月ですから……ほぼ5か月ですか」
「それがね、あんまり長かった気がしないの」
「しないですか。どうでした? 振り返ってみて」
「なんだか『夏休みが終わった!』みたいな感じ。まるで、長い夢を見てたみたい」
「全然休んでなかったのは変わらなかったですけど。でも、よかったのかもしれませんね。トレーナーさんがそう思ったなら」
デジタルは、これまで見た中で一番優しい顔をして、微笑んだ。
紅茶のカップを両手で包み込むように持ちながら、そっと私に目を向ける。
「――だって、みんなあなたに休んでほしいって思ってたんですから」
あのジャパンカップで。
遠い草原のような芝生の上、私とあの子は確かに同じ夢を見た。
きっと、ずっと忘れない。
私とデジタルは、リビングの方を振り返った。そこには、チームの子たちの写真が飾ってある。その中に1枚だけ、あの子も写っている写真があった。
スイープに抱き着いて、担当の子達が3人とも驚いている写真。その中で、今日もあの子は笑っている。
そして、デジタルは、すっと背筋を伸ばした。あ、そういえば。何か念押ししておきたいことがあるって言ってたっけ。
「それにしても、もっとトレーナーさんも気を付けないといけませんよ。まず、おかしなものは手に取ったりしない。はい、どうぞ」
「おかしなものは手に取らない。わかった。大丈夫だよ、あんなこと何度も起こるわけないんだし」
「そもそも普通は1度も起こったりしないんですよねえ……」
「……でも、さっきのタキオンさんの話、不思議でしたよね。2回、ですって。まるで……」
私がしばらく宙を見上げて、あの子のことを考えていると。怖い話をするときみたいな口調でデジタルが話題を変えた。デジたん、変なところで切らないで。気になっちゃうから。
「……まるで?」
「もう既に1度、トレーナーさんがウマ娘ちゃんに変わったことがあるみたい、なんて」
「もっと前に、私が別の魔導書を見つけてた、ってこと? そんなことがあれば、さすがに覚えてると思うけど……」
私とデジタルは顔を見合わせた。……覚えてない……? そういえば、デジタルと前に話したっけ。最初、魔導書に関することは私の記憶から消えていた。だから逆に、覚えてないことが、証拠だって。……いや、まさか。
「それに、人がウマ娘に変わったのは今回の私が初めてだって、理事長も言ってたし」
不意に電話が鳴り、私とデジタルは同時にびくっと体を震わせた。……理事長から? 珍しい。ちょうど今あなたの話をしてたところです。
癖になってしまったスピーカーモードで、そのままデジタルと一緒に聞く。
「今、話しても構わないか?」
「問題ありません! このたびは色々と申し訳ありませんでした!」
「不要ッ! 謝らずとも……いや……やはり謝罪は必要だな。まあいい! いいものを見せてもらったしなッ! ジャパンカップでの走り、見事だった!」
「ありがとうございます」
直角にお辞儀をしながら私は頭を下げる。うん、怒られる感じじゃないみたい。何の用? と心の中で首をかしげる。すると理事長曰く、報告しておきたいことがあるんだって。
「実は、大きなレースの門戸をもう少し開放しようと思っている! ……何せ、登録から半年足らずの君がジャパンカップを制したわけだしな!」
「大きなレースということは……ジャパンカップ以外だと、有馬記念とかですか?」
「うむッ! さらに海外のレースもだ! 君のなったホーリックスは、海外ウマ娘らしいではないか。もっとこちらも積極的に打って出て、高め合うべきだと思ってな」
「海外、というと……手近なところだと、香港ですかね」
「”凱旋門賞”も対象にしようと思う! あのレースを勝つのが、我が国の悲願だしなッ!」
その時、何かが轟くような低い音が聞こえた。ゴロゴロという、地鳴りのような、雷鳴のような。そのせいで、理事長の声がとっても聞き取りづらい。
「今は確か、宝塚記念制覇とURAファイナル優勝が出走条件なんでしたっけ」
来年、エルあたりが行きそうだけど。グラスも行ったら面白いかもしれない。結局、理事長の話はそれを伝えることが目的だったらしく、あっさりと切れた。
「理事長、外からかけてたのかな。音がうるさくて後半うまく聞こえなかった」
「……いえ、静かでしたよ? たぶん室内におられたのかと」
しん、と静寂がその場を支配した。あれ、なんだか嫌な予感が……。それを察知したのか、デジタルが明るい声で話を戻した。
「そういえば、さっきの話の続きですが。確かに、トレーナーさんの記憶がなくなってようが、ウマ娘ちゃんになったら周囲の人が気づきますよね」
「私に友達がいないとはいえ、さすがにそうだと思うの」
「そういうの、リアクションに困るんでやめてください」
あ、でもそういえば。誰かが、呪文を唱えても姿が変わらない場合がある、みたいなことを言ってた……? 誰だっけ? 確か、スイープのお祖母ちゃん……?
また電話が鳴る。今度はスイープからだ。私が通話ボタンを押すと、落ち着いた声が聞こえてきた。スイープのお祖母ちゃん。
ナイスタイミング。今ちょうどあなたのことを思い出してたんです。あ、まずはお礼!
「お世話になりました! おかげで無事に戻って来られました!」
「ほら、いるじゃない! グランマがね、使い魔は本当に無事なのかって心配してたの」
スイープの弾んだ声がする。隣にいるみたいだ。
「どうしてですか?」
「乱れが、収まっていないのです」
「乱れ?」
……どういうこと、なんだろう。
「そういえば、ちょうどよかったです。聞きたいことが……」
「器が足りない場合は、呪文を唱えても姿は変わりません。ただ、縁が消える訳ではなく。所持者が相応しくなる時を魔道書が待つ、それだけです。そして、決して逃げられません。避ければ大きな災いを呼ぶだけでしょうね」
「へえー……」
デジタルが、これなんだかまずい流れじゃないですか、みたいな顔でこちらをちらちら見た。私も同じ顔してると思う。
……で、でもほら! 私って器が足りないみたいだから! 仮に他の本にもう巡り合ってるとしても、これまで出てこなかったってことは、条件が揃ってないってことでしょ? いや、そもそもそんなこと、あるわけないけど!
「そうそう。グランマに了解貰ったから、アンタと本契約しようと思ってるの。目離したらどこ行くかわからないから。いいわよね。パパは泣いてたわ」
「いいけど。……ところで、本契約って何?」
スイープのお父さんが泣くのはいつものことだとしても。使い魔としてはご主人様の言うことは絶対だし別に構わないものの、いちおう確認しておきたい。
「そうだ! そのパパがね、使い魔にちゃんと挨拶したいんだって! 今からこっちに来なさいよ!」
「スイープのお父さんが?」
あ、スルーされた。そういえば、スイープのお父さんって会ったことないな……。私の中では、あんみつ好きで電話で泣いてるイメージしかない。
「さっき、いきなり言い出して。急にそうしなきゃいけない気がしたんだって。待ってるわよ! じゃあね!」
そして、電話が切れたのとほぼ同時。視界の端で、本棚から、1冊の本がガタンと落ちるのが見えた。私とデジタルは、びくりと身を震わせる。
本が落ちてきたのは、ちょうど、私が書類を乱雑に突っ込んでいるあたりからだった。本はばさりと音を立て、開いた状態で床に転がる。ここから見ても、しっかりした表紙の、重厚な作りのようだった。まるで……あの魔導書みたいな。
隣のデジタルの目が皿のように丸くなっている。
やがて、私とデジタルは顔を見合わせる。
「……違いますよね」
「違う違う。あの子がまた戻ってきたとか、そういうやつだよきっと」
「本、あそこにしまったんですか?」
「ううん、トレーナー室に飾ってる、はず……」
開かれた状態で、背表紙を上にして、本は床に落ちている。表紙には、金色にも似た綺麗な栗毛の、不思議な動物が描かれている。綺麗で、どこか見覚えがある姿だった。遠い夢でかつて見たのと、瓜二つなそれ。
私とデジタルが遠巻きに眺めていると、本はひとりでにガタガタと震え始めた。完全にホラー。「あまり余を待たせるな……!」みたいなこと絶対思ってる……! なんかそんな感じする!
私とデジタルは、どちらからともなく手を取り合って、そっと寄り添った。
「お、怒ってますよ」
「う、うん」
でも、このまま放っておくわけにもいかない、か。
私は一歩、そしてまた一歩と本へ近づき、そっと拾い上げてみる。掌に感じる重みと、皮表紙のすべらかな感触。……間違いない。新しい魔道書だ。逃げられない、というさっきのお祖母ちゃんの言葉が耳元で蘇る。
しかし、やがて私は覚悟を決める。うん。だって、あの子も大人しくてとってもいい子だったし、今度もきっと、穏やかにうまくやっていけるはず……! 要は望みを叶えて、帰ってもらえばいいんでしょ?
すーはーと、何度か大きく深呼吸。よし。
……じゃあ、まず。
あなたの、名前を教えてくれますか?
私は声に出して、題名を読み上げた。初めて聞くフレーズなのにどこか懐かしい、そんな不思議な響きだった。
「『金色の暴君』」
……ひょっとしたら。
夢の続きは――これから始まるのかもしれない。
『世界を変えるのに、3分もいらない』
――????エンド "夢への旅路のその先に"――
* * * * * * * * * * * *
『……トレーナー室で、担当の子たちと話そう!』
『そういえば、タキオンは何を言いかけてたの……?』
⇒『あれ? 何かメッセージが来てる?』
ウマ娘でなくなった私は、もう二度と、あの速度では生きられない。けれど私は、彼女と走った日々を糧に、今日を歩いている。
私自身が風を裂いて進むことは、もうできないけれど……あの子の背中が、今も私の胸で走っている。そう考えるだけで、どこまでも進んでいける気がした。
――しかし、退院して現在。
とある問題が、私の前に立ち塞がっていた。それは今も、私のアイデンティティを毎日ちょっぴり揺さぶっている。
さて、とある問題とは何か。
私は、担当の子達との話を思い出す。変な物を拾っては駄目だと言われた。これはいい。ただ、その後に続いた条件その2。これが、問題だった。
「えっ!? 私、知らないウマ娘に声かけちゃ駄目なの……!?」
「そうです。新しい子に声を掛けるのは、しばらく禁止です。危ない目に遭いかねません」
トン、とお湯呑みを置き、グラスが真面目な顔で言った。他の2人も頷いた。私はいちおう、精一杯の抵抗として首を傾げる。
「……ウマ娘に声掛けて危なくなるなんて、そんなことあるかなぁ」
「危ないまではないかもしれないけど、面倒に巻き込まれることはあるでしょ。というか、トレーナーさん、ウマ娘の知り合いが多すぎるから過労になってたところもあると思う」
ネイチャが言う。苦笑しながらだったけれど、言ってることはグラスと一緒だった。
「使い魔なんだから、ご主人様以外を見るのは駄目に決まってるでしょ!」
スイープも膨れっ面のまま、腕を組んで宣言した。無茶言わないで。練習ができなくなっちゃう。
まあ、確かに、すっごくすごく心配もかけちゃったし……「しばらく」禁止、らしいし。また3人が落ち着いたら、あらためて話し合いをしよう。
私は力いっぱい頷いた。
「わかった。知らないウマ娘には、絶対に声掛けない! 約束する!」
ということで、今の私は、新しいウマ娘に声を掛けることができない、のだが……。
やってきたメッセージは、幸いにも(?)友達のウマ娘からの相談だった。私で何か力になれることがあれば、と思うし……そうでなくても、一緒に悩んで、一緒に考えたかった。
窓の外はすっかり暮れて、日が落ちていた。遠くで虫の音が聞こえる。
外に出ると、秋の夜の空気が肌に心地よく、澄んだ空に丸い月が浮かんでいるのが見えた。
人気のない練習場まで歩くと、そこにはポツンと立つひとつの人影。照明の届かない場所だったが、月明かりに照らされて、その姿はぼんやりと浮かび上がっていた。
私は、その姿を見つけるなり、足取りを早めた。もう来てくれていたらしい。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
~第77回 トレーナーさん会議~
「使い魔、この世の終わりみたいな顔してたわね……」
「念のため、です。今回で、何があってもおかしくないと分かりましたから」
「ちょっとトレーナーさんかわいそうだったような……。ウマ娘と関わるくらいで危険になることなんて、あります? さすがにないでしょ」
「……ちょっと、夏合宿の時に知り合ったマーチャンのトレーナーさんから、妙な話を聞いたもので。『転ばぬ先の杖』ですよ」
「ま、トレーナーさんの知り合いなら大体知ってるし。この半年で、ヤバい誰かに新しく声かけてなかったら大丈夫だよね。……まさか、ないよね? さすがにね?」
「デジタルさんはトレーナーさんの近くにいらっしゃったと思うのですが、この半年、いかがでした? 何か気になることなどは?」
「あたしが知る限りは別に……あ」
「なんですか、言ってください」
「そういえば……変って言ったら大げさですけど、ちょっと不思議なことはありました」
「トレーナーさんが声を掛けたウマ娘ちゃんなんですが……。あたし、気づかなかったんですよ。トレーナーさんが話し掛けるまで、いることにすら。そんなこと今までなかったから、逆に気になって」
「どんな方ですか?」
「トレーナーさんの新しいお友達です。大人しくて、気弱な感じで、よく一緒にいて」
「ああ、アイツでしょ、知ってるわ。トレーナー室にも何度か来てたじゃない。確か……」
「選抜レースで最下位になった、って子」
・ ・ ・ ・ ・ ・
「と、そんなことがあって。だからごめん、実は私、トレーナーなの」
私が歩きながら説明を終えると、同期(仮)のウマ娘の子は、くすっと控えめに笑った。
私の少し後ろを歩く彼女。後頭部までふわりとかかるヴェールのような薄い布が、夜風に揺れている。あいかわらず、童話から抜け出してきたような姿だった。
赤いリボンで結ばれた栗毛の髪、水色の耳カバーにクロスした赤い飾り――どれも、初めて会ったときと少しも変わっていない。右前髪の三ツ星の飾りが、月光にかすかにきらめいていた。
それにしても、仲良くしてくれていた彼女とも縁を続けたかったから、ちょうど連絡をくれてよかった。
というか、説明してもなぜか全然びっくりされなかったし、疑われたりもしなかった。心広い。
「姿が違うのに、よく私だって分かったね。嬉しかった」
「わかります。貴方、目立っておられますから……」
「そ、そんなに……? 私、地味だってよく言われるけどなぁ」
正確には、「地味だと思ったらヤバかった」みたいな。でも後半は心の中にとどめておいた。今回重要なのはそこじゃない。
彼女は小さく息を吸い、ゆったりと頷いた。
「ええ、器の形が変わっているので、すぐわかります……。すごく、強固で、とても不思議な器……それに」
胸元をぎゅっと抑え、微笑む。指先にかかる布越しに、彼女の体温がほんのり伝わってくるようだった。
「私も最初に声を掛けていただいたとき、とても、嬉しかった……。怪我をしていた私を、1人だけ、気にかけてくださって……」
「ううん、私こそ。あの日あなたを見つけられて、よかった。そのおかげで、今も一緒にいられるんだから」
夜気に溶け込むように、2人で控えめに、そっと笑い合う。
足音だけが並んで響く中、彼女が続ける。
「それより、お誘いを受けていただいて、ありがとうございます。
私は確かに、ひとつの身体で、ふたり分の夢を見た。もう走れない今になって、それがどれだけ幸せだったかを知る。
「月を見に行きたい、だっけ。ゆっくりお月見しながら話そうか。私、コーヒーとお菓子持ってきたんだ! ……それで、相談って、やっぱりレースのこと?」
「それも、あるのです、けれど……その……」
彼女は未だに選抜レースで思うような結果が出せていない。追っている途中で、いつも抑えるように減速してしまうのだ。彼女曰く「はしたなくて」駄目らしい。うーん……でも……。
月に照らされる横顔を見て、私は思わず口にした。
「私、あなたの走り、綺麗で好きだよ。ずっと見てたくなる」
言葉を受けた瞬間、彼女は頬を染めて俯き……やがて顔を上げると、妖艶な笑みを浮かべた。
その笑みは、いつものお淑やかさとは違う色を帯びていて、ぞくりと背筋を撫でるような感覚が走る。
紅い目が、じっと私を射抜くように見つめてきた。
「……どうしたの?」
「……」
なんか今、『染まったら綺麗そうな目』みたいなこと言った気が……。ど、どういう意味?
小さな声でよく聞こえなかったから、違うこと言ったのかも。私のウマ娘の耳が恋しい。
そして、彼女は踵を返して、スタスタと早足で歩いていった。珍しい。いつもは、こちらの後ろしか歩こうとしないので、私が無理に隣に行くのに。
私は慌ててその背を追いかける。
「――待って! スティル!」
それにしても……。
――今日は、本当に……紅くて綺麗な月――。
『世界を変えるのに、3分もいらない』
――????エンド ”Still in……”――
ということで、完結です!
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。読んでいただいた皆様に感謝申し上げます! また、感想や評価、お気に入り、ここすきしていただいた皆様、本当にありがとうございます。とても励みになりました。
グッドエンド、トゥルーエンド、プロローグ(?)みたいな感じになりましたね。グッドエンド以外はまだこれからいろいろありそうですが……グッドエンドもごちゃごちゃしそう? はい。