世界を変えるのに、3分もいらない ―元トレーナー、現ウマ娘として走ってます―   作:うちっち

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「朝起きたらウマ娘になってたけど、それはそれとして仕事したいです」

「というわけで、朝起きたらウマ娘になってたんですが、それは置いておいて。そろそろ私をトレーナーの仕事に復帰させてください。もう十分休んだと思うので。あ、姿全然違いますけどわかりますよね。私です私」

 

「……」

 

「理事長?」

 

「当惑ッ! 君の言うことは意味不明だ!」

 

 理事長がバサッと勢いよく扇を開いた。そのまま背筋を反らし、豪快に天井を仰ぐ。柔らかな絨毯が敷かれた理事長室に、その威勢だけが妙に響いていた。私はそっと一歩だけ後ずさる。

 

 短くまとめたつもりだったんだけど、私の話はどうやら分かりづらかったらしい。

 

 

 

 理事長の傍らで控えていたたづなさんが、戸惑いの表情を浮かべながら、何度も私と理事長を交互に見比べていた。額に手を当て、まるで夢でも見ているかのような顔だ。私は改めて、なるべく簡潔に経緯を説明する。

 

 寝て起きたら見たことない芦毛のウマ娘になってました。以上です。

 

「あの、あなたがトレーナーさんだということは、いちおう分かりました。正直まだ信じられませんが、ご本人と私しか知らない話も全てご存じでしたし……」

 

「あ、よかった。ほら理事長、たづなさんは分かるって言ってくれてます」

 

「いえ、トレーナーさんがなぜ慌てていないのかは分かりません! 姿が変わってるってありえないですよ!?」

 

「たづなと全く同じ気持ちだぞ私は! なぜ置いておけるんだ! そんな大事な話をッ!」

 

「だって、後天的にウマ娘になる場合もあるのかなって……。そういえば、担当の子たちから『ウマ娘のこと以外も考えろ』ってよく言われてたんですけど、ひょっとしてウマ娘のことばっかり考えてる人はウマ娘になるんですか? だから注意されてた……?」

 

 すると、理事長とたづなさんは、そろって呆れた顔をした。どうやらそういうわけではないらしい。

 

 

「君があのトレーナーということはよくわかった! 中身が見事に一緒だからな! だがッ! 後天的にウマ娘に変わる例などこれまでない! 何か心当たりはないのか?」

 

「正直、昨日の夜からの記憶がどうも曖昧で……朝も気づいたら空き地で寝てましたし*1

 

「よくその状態で平常心を保てますね……まず若い女性としてどうなのかと……」

 

 

 

 

 そして、私達3人は、これからの対応について話し合った。これからの対応とは、つまり、私がウマ娘に変わったことを、他の人、特に担当ウマ娘の3人に伝えるかどうか。

 

「後天的にウマ娘に変わる、となるとおそらく世界初だ。当然、知れば研究者たちが黙っていないだろうし、良からぬことを企むものも現れるだろう。黙っていた方がいいのではないか?」

 

「ですが、トレーナーさんがこんな状態になったことは、きっとあの子たちも知りたいと思うんです。とても大事なことですから」

 

 どちらの意見ももっともだけど……担当ウマ娘に私のことで余計な心配はかけたくなかった。最近ただでさえ役に立てていないのに。練習場出入り禁止はまだ解いてもらえなさそうだし、少しの間いなかったところで問題ないだろう。最近みんな独り立ちしてるしね。

 

 私はとりあえず、理事長に向かってこくこくと頷いた。

 

「内緒にします」

 

「ならば、担当ウマ娘たちには、長期出張に行ったと私から説明しておくので安心するといい! 全て私の指示だと伝えてもらって構わない! 任せておきたまえ!」

 

 いちおう、私も手紙を残していこう。電話はなんか声まで変わっちゃってるから無理だし、メールだとさすがにあんまりな気がする。

 

「家に戻るわけにもいかないな! よしッ! 住む場所を私が手配しておくから、荷物を纏めてきたまえ!」

 

 

 

 

 

 

「……で、どうしよう……」

 

 トレーナー室の机に向かい、私は頭を抱えた。昨日レースがあったばかりだし、今日は全員1日休みにしてある。とりあえず、不在の間のトレーニングメニューはそれぞれ3か月分ほどまとめておいた。みんなが適宜修正するだろうし、私が折を見て追加すればいい。問題は……。

 

 

「今日からいなくなる理由って、何……?」

 

 だって「お前今日から長期で出張行ってこい」って、どこのブラック? って感じだし。こうなったら、仕事じゃない理由の方がいい? 私はつらつらと思いつくままにペンを走らせた。人が急にいなくなるのはどんな理由か。

 

 

『しばらく旅に出ます。探さないでください』

 

 ……うん、ボツ! 馬鹿なの!? なんでグラスはGI勝った翌日にトレーナー家出みたいなので水ぶっかけられなきゃいけないの。私は失敗作をぐしゃぐしゃっと念入りに丸め、ゴミ箱に放り込んだ。

 

 

『いなくなってごめんなさい。絶対戻るので、お願いだから何も聞かないで』

 

 書き終えると、力を込めてびりびりと真っ二つに引き裂いた。理由は前述。わかったこと。私には文才というものがない。

 

 

 

 

『みんなへ。急に今日から長期の出張に行くことになりました。詳しい話は理事長に聞いてください。自分で考えるかもしれないけど、トレーニングの見本になりそうなものをそれぞれまとめておいたから参考にしてね。また連絡します。急な話で本当にごめん』

 

『追伸……電話はちょっと事情があって繋がらないから、メールで連絡してね』

 

 

 ……うん。まあ、アリかな……。比較対象の前2つが論外すぎるってのもある。あとごめんなさい理事長、丸投げします。でもここは発案者として責任を取ってください。

 

 

 

 

 そして、家に帰り、荷物をまとめていると、さっそく電話に着信が入った。

 床に置いていたスマホが、小さく震える。ちらりと画面をのぞくと、表示されているのはグラスの名前。

 

 カチリ、とキャリーケースのチャックを閉めた手を止める。

 でも――取るわけにもいかないので放置。

 

 スマホの震えが止まったかと思えば、すぐにまたブルッと震える。

 今度はスイープ。

 続けて、ネイチャ。

 再びグラス、スイープ、ネイチャ……名前がリレーのように画面を駆け巡っていく。

 

 ……みんな、お願いだからよく読んで。電話は繋がらないから。私は今そういう設定だから。

 

 

 

 

 

 すると、私の思いが伝わったのか、次々にメールがやってきた。やはり念じれば想いは届くものらしい。とりあえず、一番最初に来たグラスのメールに目を通す。

 

『お疲れ様です。今日から出張とはずいぶん急ですね。ところで、トレーナーさん、今どこにおられますか?』

 

 と思ったら、早速答えにくい質問が来た。

 

 よし、「ごめん、理事長から言うのを止められてるから言えない」っと。

 

 すると、すぐに次のメールが来る。

 

『長く会えなくなるのが寂しいです。せめて、今の写真を送っていただけますか?』

 

 どしたの急に。ちょっとキャラ変わってない? でも無理。「ごめんね、ちょっとカメラが急に壊れちゃって」と。よし完璧!

 

『今、どこにおられますか』

 

 ……ヤバいこれ絶対怒ってる! だって2回目だもん! さっき聞いたばっかりでしょそれ!

 

 

 怖くなった私は、ネイチャからのメールに移った。グラスには後で返そうっと。

 

『トレーナーさん、大丈夫? 体調崩してない? いきなり出張とか理事長ひどいよね。昨日、しんどそうにしてたから心配デス。暇な時で構わないので、返信ください』

 

 うん、さすがネイチャ、優しい。元気だから心配しないで、ごめんね、と返信。

 

 

『ところで、今、どこにいます? 理事長に止められてるかもしれないですケド、アタシだけにこっそり教えてくれたりしません?*2

 

 だからどしたの急に。ネイチャお前もか。……次!

 

 

『バカ! 戻ってきなさいよ! 使い魔がご主人様のそばを離れるなんて許さないから!』

 

 あ、スイープがいつも通りでなんだかちょっと安心。「ごめんいっぱいお土産買ってくるから」と。ちなみにこのお土産がどこで買うものなのかは、返信している私もよくわからない。

 

 

 

 そして、とりあえず荷物を簡単にまとめた私は、トレセン学園の理事長室に戻った。

 

 すると、たづなさんがニコニコしながら何か手渡してきたので、反射的に受け取る。

 

「……鍵?」

 

「寮に君の部屋を用意した!」

 

「り、寮なんですか?」

 

「今の君はウマ娘だからな! なんなら登録しておくので、レースに出ても構わないぞ!」

 

 その瞬間、ふりふり、と私のしっぽと耳が揺れた。……ていうか当たり前だけど私しっぽあるんだ。付け根とかどうなってるんだろう……。

 

 恐々と触ってみると、ふわりとした柔らかい手触りが返ってきた。アヤベさんのファースリッパに加工したら喜ばれそうないい手触りだなぁと思ったら、ひゅんとしっぽが私の手から離れて行った。どうやら嫌われてしまったらしい。

 

 

「それより、理事長。私の担当の子たちがなんだか変です。ひょっとしたら明日あたり、ここに来るかも……」

 

 その時、ダダダダダダ、と地響きのような揺れとともに何かが近づいてきた。私はたづなさんと理事長と顔を見合わせる。いや、さすがに違うよね? いくら何でも早すぎ……。

 

 

 

 

「理事長、ちょっとよろしいですか~?」

 

 私の予想に反し、顔を見せたのはグラスだった。はやっ。スイープとネイチャもいる。……というかグラスがかついでる細長い袋ってあれ中に薙刀入ってるやつじゃない? 理事長室に来るときに薙刀って必要かな……? ニコニコしてるけど、私は知ってる。あれは本気でキレてる時の顔だ。

 

「ちょっと! 使い魔が出張ってどういうことよ!! アイツに命令していいのはアタシだけなんだから!!」

 

 スイープもすごい剣幕で叫びながら地団太踏んでる。理事長相手でもブレないんだなぁ……とちょっと感慨深くなってしまった。

 

「すみません、でもちゃんと事情を聞きたくて。聞かせてもらえたらすぐ帰りますから!」

 

 ネイチャがちょっと殺気立ってる2人を抑えながら、でも話すまでは絶対帰らないと宣言した。やばい、言い方変えてるだけで言ってること一緒だこの3人。

 

「謝罪ッ! すまないが、君たちのトレーナーには急な仕事を命じさせてもらった! 今言えるのはそれだけだ! 君たちには申し訳ないッ!」

 

 理事長が高らかに叫ぶが、その声にはやや焦りの色が混じっていた*3

 

「あらあら~。……そもそも仕事をさせるなと言いませんでしたか?」

 

「出張ってトレーナーさんどこ行ったんですか?」

 

「いつまでなの!?」

 

「それは……」

 

 畳み掛けるように3人が迫る。理事長の周囲の空気が、どんどん狭くなっていくように感じた。

 

 やがて、理事長が私の方をチラチラと見るようになった。視線の端で何かを訴えかけてくる。「助けて」という文字が読み取れそうな目をしている。明らかに困ってる。うん、私のことで困らせてしまってるんだから、私がフォローに入らなきゃ。

 

 

 ……と思ったら、先にグラスがこちらにゆっくりと振り向いた。まっすぐに、静かに、私を見つめてくる。

 

「ところで、こちらの方はどなたですか?」

 

「うむッ! 彼女は今日から新しくトレセン学園に転入してきた、新しいウマ娘だ!」

 

「そんなことより使い魔よ! 早く呼び戻して! ただでさえ最近元気ないんだから!」

 

 スイープが足をだんだんと踏み鳴らす。怒ってる。というか、こんなときなのに、後半部分にちょっぴり感動してしまった。私ってばスイープにも心配してもらってたんだ。

 

「すまない、それはできない!」

 

「なんでですか!?」

 

 ネイチャが血相を変えてこちらに詰め寄ってこようとし、それをグラスがそっと手で制する。

 

「つまり、今の話を総合すると……どこに行ったか、いつ戻ってくるかも言えない。呼び戻すこともしない。……こういうことでよろしいですか~?」

 

 ニコニコ笑っているグラスの顔に「お前あんまナメんなよ?」とデカデカと書いているのが見えた気がした。理事長これ気づいてるかな? 多分気づいてるよね? お願いそう言って!

 

「……だがこれは君たちのためでもある! どうか何も聞かず、納得してほしい!」

 

 それを聞いて、グラスは一瞬で笑顔を消した。そして、無表情のまま、すっと目を細める。やばい。長い付き合いの私にはわかる。あと1つ何かあればグラスはキレる。これ以上、何も言わない方が……。

 

 

 

 すると、そのとき理事長が、ぽんと手を叩いた。……おお! 気づいた?

 

「ちょうど良かった! せっかくだから、新入りの彼女の世話を君たちに頼みたいッ!」

 

 ……なんで今その話!? と思った瞬間、グラスの手がすっと袋に伸びた。……駄目!

 

 

 

「……さっきから聞いていれば「わーー!! わーーーっ!!!!!」

 

 反射的に思いっきり叫んだ。全力で。すると、部屋の中の空気がびりびりと震え、その場にいる全員が、そのままのポーズでぴたりと静止した。……うわ。自分でもびっくりした、私めちゃくちゃ大声出た。建物の外まで聞こえたんじゃないかってくらい。

 

  ……静まり返る部屋。

 耳としっぽを思い切り逆立てた3人。

 殺気をまとっていたグラスから、それがすうっと霧のように消えていく。というかグラス、理事長相手になんで殺気出してるの。

 

「驚愕ッ! どうしたんだ、急に叫んだりして」

 

 なんで叫んだか。ここが1分後には殺人現場になりそうだったから。……言えない! 考えろ私の脳! 

 

 

 すると願いが通じたのか、その時、天才的なひらめきが私の脳に舞い降りた。今の窮地を脱するとともに、私の希望も叶えられる、一石二鳥のそんな名案。死地に追い込まれると人間誰しも能力を発揮できるものらしい。

 

「理事長、私、ウマ娘です」

 

「あ、ああ」

 

「練習場に入って構わないですよね?」

 

「い、いや……それは」

 

 理事長が渋っているのを見て、「なんでこいつ入れないの?」って疑問が3人の顔に浮かぶのが見えた気がした。いやいや。本来ならトレーナーが入れないってのもおかしいんだよ? 気づいてみんな。

 

 

 そして、理事長は、これ以上拒否すると怪しまれると思ったのか、大きく頷いた。ふふ、計算通り……!

 

「仕方ないッ! わかった! 特別に認めようッ!」

 

 すると、私と理事長を見比べていたグラスは、少しだけ宙を見上げる。んー、と口元に手を当てて、何か考えている雰囲気。

 

「……。わかりました。では、また来ますね」

 

「グラス! なんでよ!?」

 

「帰って話します。……それで、そこのあなたも一緒に来てもらえますか? 私たちが面倒を見るんですよね?」

 

「えっ」

 

 そして私はそのままトレーナー室にずるずると引っ張っていかれた。なぜ連れていかれたのかはわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

≪第32回トレーナーさん会議≫

(題字:グラスワンダー)

 

 

 私はトレーナー室に掲げられた巨大な垂れ幕を見上げた。めちゃくちゃ力強い字だ……。32回だって。すごく歴史があるのか、頻繁に開催されてるのか。正直どっちでもちょっと嫌。担当ウマ娘に会議でこんなに話し合われるトレーナーってそれもう味方じゃなくて敵でしょ……。

 

 

 部屋の中央に据えられた大きなテーブル。その一番奥の席に、グラスがすっと静かに腰を下ろす。まるで議長のように背筋を伸ばし、軽く手を組んだ。彼女の動きに合わせるように、スイープとネイチャもばらばらと椅子を引いて座っていく。

 

 私はというと、できるだけ目立たないように、そそそ……と壁際の椅子に腰を下ろした。部屋の隅に置かれたポットの横あたり。すごく居心地が悪い。

 

「さて、では始めましょう。今日の議題は、トレーナーさんが最近悩んでおられたことについてです」

 

「レース前になるといっつもそわそわそわそわしちゃって! 見てらんないわ! レース中も何か手助けしたい、けどできない、とかバカなこと考えてる顔よあれは!」

 

 グラスの後にスイープが続ける。……すごい、私が思ってたことほぼそのまま。

 

「アイツ、自信ない癖に傲慢なのよね! だってレース本番中も何かできないかって、つまり全部自分で何とかしようって思ってるってことでしょ? 要はアタシ達を信頼してないってことじゃない! ちょっとはご主人様を信じなさいよ! それが使い魔ってもんでしょ!!」

 

 ぐさっ! とスイープの台詞がそのまま胸に突き刺さった気がした。というか、でもそっかぁ……言われてみたら確かに、私、傲慢だったのかも……。

 

 

 

「ちょっと真面目に考えすぎちゃったんだと思う。だってあの人いっつもあたしたちのことばっかり考えてくれてたもん」

 

 ……あっ、ネイチャ、やさしい……。優しすぎて泣きそう。

 

 私がさっき受けたダメージをネイチャの発言で癒していると、スイープが人差し指をピンと立てながら、口を開いた。

 

「ともかく、やっぱり失敗だったんじゃない? 仕事させないようにしたら休むかと思ったら、毎日コース脇の土手で膝抱えてぼーっと座っちゃってさ。で、たまに駆け寄ってきたかと思うと、『昨日ファインにおすすめのラーメン屋に連れていってもらったんだけど、その時いいトレーニング方法思い付いたの!』っていきなり叫ぶし」

 

「ヤバい人だ」

 

「ずっとトレーニングのこと考えてるんでしょうね……」

 

「ファインさん心配してましたよ。体壊しそうで見てられないって」

 

「仕事忘れてほしくて誘ってくれたんでしょうに……」

 

 3人は、そろって頭を抱えたまま項垂れた。なにこの会議、ほんとに32回も開催されてたの? 今まで気づかせなかったのってヤバくない? これ、最後まで聞いて大丈夫? 私たち、これからも仲いい担当トレーナーとウマ娘でいられるかな……?

 

 

 

 

「前、使い魔が妙なトレーニング唐突に始めたから、どうやってこんなの思いついたのか聞いたのよ。そしたら、『たづなさんと朝まで2人で話してたら思い付いたの!』って笑顔で言われて。さすがに脳が理解を拒否したわ」

 

「まさかのご本人からの朝帰りの報告ですか」

 

「あっちから誘って来たんだそうよ。お互い門限もない身だからどうですか、って。で、ホイホイついて行ったんだって。『すっごく楽しかった!』って言ってたわ*4

 

「……ふふ、どうしましょうか。私、冷静さを取り戻せないかもしれません」

 

 グラスが笑いながら頬にふわりと手を当てた。しかし、同時に部屋の温度が明らかに下がった気がする。……やばい。なんか知らないけど怒ってる。

 

 一方、ネイチャも複雑な顔で頬杖を突きながら、口を開く。

 

「まあ、その感じだと何もなかったんじゃ……。ずっと2人でウマ娘のことひたすら喋ってそう。なんでそれでトレーニングが思いつけるのかはわからないですケド」

 

「実際に効果があるのが一番意味がわからないですよねえ」

 

 つらい。なんかもう、つらい。でも誰も間違ったこと言ってないのがもっとつらい。

 

 

 

 

 

 その時、バンッ! とスイープがテーブルを両手で叩く。びくっと体を震わせたのは私1人だった。グラスとネイチャがスイープの方に視線を向ける。

 

「それにしてもさ、使い魔にもう少しはっきり言った方が良かったんじゃない? 働きすぎだから休めって」

 

「実は……以前、トレーナーさんに「仕事しすぎではないですか? 休みましょう」とストレートに言ったことがあるんです」

 

「どうなったの?」

 

「知らない言語で話しかけられた、みたいな顔でキョトンとしてました」

 

「理解できなかったかー」

 

 ネイチャがべったりと机に突っ伏した。それを横目で見ながら、グラスが懐から何かを取り出す。あ、あれ私が残した手紙だ。

 

 

「それでは、今日の本題です。前にこの会議で決めた独り立ち作戦が大失敗に終わった挙げ句、トレーナーさんが失踪しちゃったわけですが」

 

「しかもアタシ達の誰にも何も言わずにね」

 

 しーん、としばらく重苦しい沈黙がその場を支配した。

 

 

 コホン、と咳払いをし、グラスがもう1度仕切り直す。

 

「とにかく、戻ってきたらその辺はきっちりお話しするとして~」

 

「黙っていなくなろうなんて2度と考えられないようにしてやるわ!」

 

 スイープがテーブルをばしんと叩くと、ピシッと音を立ててヒビが入った。おかしい、トレセン学園の備品はすごく頑丈に作られてるはずなのに。

 

「あはは……お手柔らかにしてあげてね……」

 

「何よアイツ! 何なのよ! ネイチャは怒らないの!?」

 

 すると、笑っていたはずのネイチャの顔から、表情がすっと一瞬で抜け落ちた。

 

「怒る。めっためたにとっちめてやろうと思ってる」

 

 ひえっ……。私は思わず頭を抱え、できるだけ体を縮こまらせる。すると、ふわふわとした耳が手に当たる。私の頭の耳は、怖がってるみたいにきゅっと後ろに絞られていた。

 

 

 

「にしても、いきなり出張なんて突然すぎない?」

 

「そこです。…これはまだ表に出ていない情報なのですが、そもそもトレーナーさんに出張の指示なんて、実は出されていないらしいんです。さっき「失踪」と表現したのもそれでなんですけれど」

 

 ……理事長! 隠ぺい工作失敗してます! もうバレてる! 早すぎ!

「そもそも、トレーナーさんは理由もなく黙っていなくなるような方ではありません」

 

「そうね!バカだけどそんな薄情なやつじゃないわ!」

 

 やばい、真剣に心が痛い。3人の話を聞いていると、じくじくと胸が痛んだ。やっぱり薄情だった? 今からでも伝えた方がいいのかな……?

 

 

 

「この際、思い切って理事長シメちゃいます? 出張って言ってるのは理事長なんだから事情を知ってると思うし。そもそもトレーナーさんの労働時間知ってて放置してたんですよね。お給料とかちゃんと払われてるのかな……? 通報とかした方がいい?」

 

 ネ、ネイチャ? ネイチャさん……? 顔が怖いよ? 冗談だよね?

 

「ということはこの手紙は嘘ってことね!」

 

 目を吊り上げてテーブルの上の手紙に手を伸ばしたスイープから、さっとグラスが取り上げた。

 

「ええ。それが証拠に、ゴミ箱に少々気になるものがありました」

 

 ふ、普通ゴミ箱まで見る……? たまたま何か捨てようと思ったのかな?

 

 

 

 そして、私が今日生産したばかりの失敗作(2通)を見たネイチャとスイープの顔が、みるみるうちに曇っていった。ていうか両方持ってきたんだ。私が真っ二つにしてこの世から抹消したはずの2枚目は、ご丁寧にテープで補修されていた。

 

「旅に出るって、やっぱり仕事じゃないんだ……ひょっとして、もう疲れちゃった……? そりゃそうだよね。まさか、トレーナーさんこのまま辞めちゃうの……?」

 

「……! やだ、そんなの絶対やだ……!」

 

「いえ、それはないと信じたいです」

 

 グラスが新たにがさごそと紙の束を取り出す。あ、今度は私が3人に残したトレーニングのメニュー表だ。ていうかグラスどれだけ持ち歩いてるの? 制服にそんなにポケットないのに。

 

「この練習メニューを見ても、トレーナーさんが一生懸命作ってくださったのがわかります。3か月分もあります。きっと、日頃から作ってくれていたのでしょう」

 

「……やるじゃない。まあ、アタシの使い魔なら当たり前だけど!」

 

「ただ、ここで問題があります」

 

「少なくとも3ヶ月帰ってこないってことだよね」

 

 探さないでください、という手紙を3人は真剣な目で見つめた。そして、文章のとある箇所に、グラスは指をそっと滑らせた。

 

「そしてここ、電話ができない、というのが気になります。こんなことがあるんでしょうか?」

 

 うん、それはそう。でも仕方ないじゃない!? 着信あっても全然取らない方が問題だと思ったもん!

 

「怪しく思ったので、『寂しいので写真を撮って送ってほしい』と甘えて頼んでみたところ、カメラが急に壊れたというあからさまな嘘で断られました」

 

「さすがグラス先輩……」

 

「いつもの使い魔ならホイホイOKしそうなのに……確かに妙ね……」

 

 あ、スイープの中での私ってそういうイメージなんだ。というか、今更だけどこの会議、私は絶対参加しちゃいけなかった気がする。今更だけど。

 

 

 

 グラスは眉根を寄せ、真剣な顔でもう1度手紙を見つめた。

 

「何かあった可能性が高いです。例えば体を壊されて入院しているとか」

 

「ご飯あんまり食べられてなかったみたいですもんね」

 

「使い魔バカだし変なものに引っ掛かってもおかしくないわ」

 

「心配だよね……でも理事長は教えてくれなさそうだし」

 

 しーん、ともう1度、その場を沈黙が支配した。今度の静寂は、さっきよりだいぶ長く、重く、深かった。

 

 私は迷う。……もう、こんなに心配かけてるなら言っちゃった方が……! 立とう! もう立って言っちゃおう! 頑張れ私!

 

「もう……何なのよ! なんで黙って行くの! せめて一言だけでも言いなさいよ!!」 

 

 私が決心を固めていると、突如スイープが立ち上がり、どんどんと足を踏み鳴らした。それを苦笑いしながら眺めたあと、ネイチャはグラスを振り返った。

 

「今日は止めないんですね」

 

「私もちょっと、今は平常心でいられなくて。ここを去るしかない事情が何かあったのかもしれません。でも、黙って行ってほしくはありませんでした。そこは正直スイープちゃんと同じ気持ちです」

 

「落ち着いて見えますけど」

 

「今トレーナーさんを見たら反射的に斬ってしまうかもしれません」

 

「あ、めちゃくちゃ怒ってますね」

 

 私は黙って、浮かしかけた腰を下ろした。……今、理解した。名乗ったら下手したら私は死ぬ。バレた瞬間、殺人現場は理事長室じゃなくてここになってしまう。

 

 

 

 すると、グラスはそこで初めて私の方に振り向いた。ニコニコと満面の笑みを浮かべている。……え、これバレてる? 私は思わず背筋を伸ばした。

 

「そこでこの方です。どうやら理事長と仲が良いご様子でした」

 

 あ、よかった。違うみたい。……でも、この方です、ってなにが……?

 

「ここまで聞いておいて、断れる選択肢があると思わないでくださいね~」

 

「というと……?」

 

「トレーナーさんがどこにいるのか、さりげなく聞いてくださいますか? いいですね?」

 

「……。……はい……」

 

 

 

 

 

 私は黙ってうなずいた。他の選択肢なんて、取れなかった。

 

*1
4時間経ったら起きた

*2
なぜか理事長が止めていることを既に知っている

*3
明らかに得物を持ってきているので動揺している

*4
聞かれたので1から10まで全部話した




トレーナー
買い物や花壇の世話、果ては他人のお弁当からもトレーニングを思いつける天才
行方不明になったトレーナー自身の居場所を探るべく、スパイに任命される
絶対向いてない


グラス
キレてる
手紙冒頭の「みんなへ」←この時点でキレてる
たぶん年下の身内はちゃん付けするタイプ


スイープ
実はトレーナー過労疑惑を最初に発見した子
意外にチームで一番気が回るウマ娘かもしれない


ネイチャ
おおむね常識人だけどたまにしっとりする
グラスは先輩だから基本敬語だけどたまにタメ語、同期のスイープとはタメ語
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