世界を変えるのに、3分もいらない ―元トレーナー、現ウマ娘として走ってます―   作:うちっち

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「内緒にしているはずなのに、私がいなくなったことを皆が知っています」

  デジタルに電話した後、私はもう1度、トレーナー室をぐるりと見回した。……みんなは、私が辞めるんじゃないかと思って、不安になってる。辞めない、ってメールは送ったけど、それだけじゃ足りない気がする。なら、手紙を書く? グラスみたいに? それで、元に戻ってから、みんなに会いに行くの? 辛いって言ってるのを知ってて、放っておいて?

 

 ……そんなの、トレーナーじゃない。

 

 

 そのまま飛び出し、練習場に走る。走るのがずっと早くなったはずなのに、一瞬で着けないのが、もどかしかった。

 

 

 

 

 

 練習場にいたのは、スイープだけだった。日が落ちて暗くなったコースで、1人黙々と走っている。他には誰の姿もない。私の姿を認めると、スイープは怪訝そうな顔で足を止めた。

 

「スイープさん。話したいことがあるんです」

 

「いいけど、練習が終わるまで待ってなさい。もうラスト1周だから」

 

 そう言ってスイープは汗をぬぐった。真面目に練習してくれるスイープは嬉しいけど、ちょっと意外というか……魔法が理由じゃなければ、居残り練習するイメージがあまりないというか。

 

「何」

 

「いえ、熱心だなって」

 

「そりゃそうでしょ」

 

 スイープはキッと目つきを鋭くした。レースが近いから、負けたくないから、とかだろうか。スイープの目指す「面白い世界」にするためには、勝ってみんなに魔法をかけることが大切だから。

 

「もうすぐレースだからよ。絶対負けないわ」

 

 予想通りの台詞が出てきたので、私は思わず頷いた。なんだかんだ言われるけど、スイープもちゃんと真面目に勝負に取り組んでいることを、私は知ってる。しかし、言葉はそこで終わらなかった。

 

「……だって、使い魔がいないせいで負けたとかつまんないこと言われたら、あの馬鹿が戻って来づらくなるでしょ? アタシが勝ったら、きっとアイツにも『いつ戻ってきてもいいよ』って伝わるはずだもん!」

 

 そう言うが早いか、スイープはぴゅーっと走って行ってしまった。その後ろ姿には、何も言わせないという決意があった。自分の不甲斐なさと申し訳なさで、胸がぎゅっと押しつぶされそうだった。私も、覚悟を決める。

 

 

 

「で、何? つまんない用だったら承知しないわよ」

 

 駆け寄ってくるスイープを、私は思わず抱きしめた。

 

「ごめん、ごめんね……!」

 

「えっ? えっ? 何!?」

 

 

 そして、私が事情を一通り説明し終わるまで、スイープは何も言わずに聞いてくれた。話が終わると、スイープは大きく目を見開いたまま、こちらを見つめる。

 

「使い魔、なの……? ほんとに?」

 

「うん……今まで黙っててごめんね。許してもらうためだったら何でもする」

 

 

 つかつかと足音を立ててスイープが近寄ってきたので、私は思わず目を閉じた。引っぱたかれるくらいなら、いくらでも。

 

 しかし、私の想像とは裏腹に、スイープからは、ふわっと優しくハグされたたけだった。いつもより優しい声が、耳元で響く。

 

「……だったら、もう、どこにも行かないでよ。使い魔なんだから、ずっと隣で言うこと聞いてないと、許さないんだから」

 

「うん」

 

「……で。何か、申し開きはあるかしら?」

 

 肩にがっしり両手を置かれた感触がしたので目を開けると、青筋浮かべて怒ったスイープの顔が至近距離にあった。いつもみたいに駄々をこねてるんじゃなく、静かに怒ってる感じがかえって怖かった。

 

「いや、すぐ戻ると思ったから……」

 

「はあ? ……で、他の2人には?」

 

「今から言いに行く。でも、グラスもここにいると思ったんだけど……」

 

「誘ったけど来なかったわ。最近、練習が終わるとすぐにどっか行っちゃうし」

 

 その時、トレーナー室で見つけた手紙の破片の文字を私は思い出した。「会いたい」。……なら、ひょっとして……。

 

 

 

 

 

 

 学園からしばらく走り、街の喧騒を抜けた先。街灯の光がまばらに照らす、住宅街の外れの道端。道沿いに並ぶ街路樹の陰に、その姿はあった。グラスはひとり、静かに佇んでいた。背筋を伸ばし、動かず、まるで誰かを待っているかのように。

 

 私は息を整えながら手を振った。遠くからでも、彼女のシルエットがはっきりと分かったから。こちらに気づいたグラスが、ほんの少しだけ首をかしげる。あの、困ったような、けれど優しい微笑みを浮かべながら。

 

「あら……? どうされたんですか~? こんなところで」

 

「グラスさんはここにいる気がしたんです」

 

 ……そう。ここは、グラスと私が初めて会った場所だ。道に迷った私を、たまたまここで会ったグラスが学園まで連れて行ってくれて……。その数日後、私は選抜レースで、グラスと再会した。最初のたまたま、がなければ、私が担当したのは他のウマ娘だったかもしれない。想像もつかないけれど。

 

「ここで、トレーナーさんと初めて会ったんです。あの時は迷っておられたみたいで……。今も、おそらくどこかで迷子になっていると思いますから。ここで待っていたら、またお会いできるのではないかと」

 

  グラスは視線を空に向ける。曇り空のその先に、きっと何かを探すように。まつ毛が微かに震え、長い髪が風にさらわれる。彼女の表情はやわらかく、けれど切なげで。……毎日、ここで待ってたの?

 

 

 

 

「あの人、1人だとよく迷うんです。迷子の子供って感じで、いつもわたわたと、とっても可愛らしくて。ですから、どこかへ行くときは、私がいつも隣にいました。トレーニングの時とは逆に、私が手を引いているみたいで、それがどこか心地よくて」

 

 くすくす、と手元を隠して、グラスは嬉しそうに笑った。そして、ふっと笑うのを止め、目を閉じた。

 

「『人はみんな寂しがり屋だ、だから1人きりじゃ歩けない』。……それはきっと『一緒に歩いてくれる者さえいれば、どこまでも歩いて行ける』ということだと思います。私も、トレーナーさんと一緒なら、どこまでも行けると、信じていました。いえ、信じています。……今も、ずっと」

 

「……グラス」

 

「そういえば、手紙は届けられました? 何か言っておられましたか?」

 

「……『私は絶対みんなのトレーナーを辞めない』って」

 

 グラスは何も言わず、わずかに頷いたのみだった。たぶん、メールを見ていたのだろう。そして、寂しそうに少し笑う。

 

「あら、会えたんですね……。私には一向に会いに来てくれないのに。ちょっぴりあなたに嫉妬してしまいそうです」

 

「ごめんね」

 

「いえいえ~、別に謝らずとも……? あら? 何か……」

 

 グラスが再び、首をかしげた。私は、その両手を思わず握りしめる。

 

「私も、ここであなたにあの時会えた幸運を、ずっと感謝してる」

 

「はい?」

 

「ごめん、グラス、私。ちょっとなんでかは分からないけど、こんな姿になっちゃったの」

 

「……はい????」

 

 

 

 

 全てを説明し終わると、グラスはそっと顔を覆った。私はその前で直角に腰を曲げ、ひたすらに謝った。ところが、グラスは両手で顔を隠したまま、全然顔を見せてくれようとしない。

 

「ごめん! 言わなかったこと、本当に後悔してる!」

 

「お願いです。ちょっとこちらを見ないでくださいますか?」

 

「お願い! まだグラスの隣に立ってたい……」

 

「1分だけあっち向いててください。あっちです。あれでも見ててください」

 

 グラスは顔を両手で隠したまま、そっと器用に横へ指をさす。振り向いてみると、そこには「ウマ娘飛び出し注意」の看板があった。……え? これ? これ見たらいいの?

 

 

 

 

 

 

 グラスの言う「1分」は、15分くらいあった。なんか、ずっと木の幹に額を押しつけたまま微動だにしなかったり、ぐるぐるその場を小さく歩き回ったり、謎にいきなり屈伸とかしてる……。

 

 

 

 

 

「どうして私が怒っているか、わかってます?」

 

 その声が聞こえた瞬間、私はすぐに振り返った。

 

「……言わなかったことと、……私がいなくなってもみんなが平気だって、思ったから」

 

「…………よろしい」

 

 その返事に、私は胸を撫で下ろす。グラスの目が、ほんの少しだけ細くなった。

 

「本当にごめんね。帰ろう、グラス」

 

「……はい。もう迷っちゃ駄目ですよ、トレーナーさん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 グラスは寮の自室に戻ってからまたトレーナー室に来るらしい。スイープも同じことを言っていた。後はネイチャだけど……。どこにいるんだろう? 商店街? ……ひょっとして、小倉とか? まさか。

 

 

 

 するとその時、誰かが突然、勢いよくトレーナー室の扉を開けて飛び込んできた。

 バタン!と大きな音を立てて開かれた扉の隙間から、薄暗くなりかけた廊下の光が差し込む。

 その中に現れたのは、見慣れた姿――ナイスネイチャだった。

 

 ネイチャは室内の様子を一瞥し、私の姿を目にした瞬間、明らかに肩を落とした。

 

「……なんだ、アンタか……電気が点いてたからてっきり……」

 

「ちょうど良かった! ネイチャあのね! 聞いて!」

 

  私は立ち上がり、駆け寄るようにして声をかけるが、ネイチャは私の言葉を無視するかのようにするりとすれ違い、部屋の奥のテーブルへ。

 

 そのまま椅子に体を沈めると、勢いよく突っ伏した。頬をテーブルに押しつけながら、スマートフォンを取り出し、黙々と操作を始める。

 

 私は袖口を引っ張ってみたり、そっと肩を揺らしてみたりしたが、ネイチャは一向に反応を示さない。顔すら上げようとしなかった。

 

 

 

 

「あー駄目だ……この『3人の担当降りる気は絶対ないからね!』っていうのがもうフリにしか見えないもん……」

 

「そのまま受け取っていいと思いますけど。で、あの!」

 

「トレーナーさんの1着だけは譲らないから、って言ったじゃん……」

 

「すみません、ちょっと話したいことが」

 

「ごめん、パス。アタシ今そんな気分じゃないから」

 

 駄目だ、やさぐれてる……。テイオーに若駒ステークスでぼろ負けした時*1より暗い。まず慰めないと! でも、どうすれば……? 折り紙でトロフィーでも折る? いや、さすがに唐突すぎる。だいたい何の賞品なの。たぶん今のネイチャは新入りの子からトロフィーを貰っても笑顔にはなってくれない*2

 

「どうやったら元気が出ますか。トレーナーさんに、してほしいこととかありますか?」

 

「トレーナーさんがいたら、ぎゅっとして、慰めてほしい」

 

「……わかりました」

 

 

 

 私はすぐに立ち上がり、テーブル越しに回り込んで彼女のそばに膝をつき、そっとその頭を抱き寄せる。

 ネイチャの髪は柔らかく、体温は穏やかで、私の胸の中にすっぽりと収まる。

 まるで真綿のように温かい。彼女の心の鼓動が、近くで静かに脈打っていた。

 

「ネイチャが頑張ってること、私は知ってるから。大丈夫だよ」

 

「あ…………」

 

 ネイチャの声が、小さく漏れる。

 一瞬、ぴくりと体が揺れたかと思うと、彼女は唐突に私をぐいっと押し離した。

 

「駄目でした?」

 

「ううん、ぽかった。完璧だった。だから嫌っていうか……。いっつもやってもらってるんだろうなって」

 

「ないです」

 

 

 しかし、どうやらネイチャは私と会話する気になってくれたらしく、ようやくこちらを見てくれた。ハグってすごい。……いや待て。でもなんか、睨まれてる気がする。

 

「そういやさ、アンタ、前にトレーナーさんのこと『人間として駄目で最低でほんとどうしようもない人』って言ったよね」

 

「たぶんそこまでぼろくそには言ってません……」

 

「個人的な意見だからさ、別にどうこう言うつもりはないんだけど……。なんか、嫌だった。……なんでかな……」

 

 そこで言葉を切り、ネイチャはしばらく考え込んだ。その隣で、言い出すタイミングが測れなくてそわそわする私。

 

 

 

「……トレーナーさんさ」

 

「はい。なんでしょう」

 

「アンタじゃない。……あの人さ、能力がウマ娘関連に偏ってるっていうか。一緒にいるとたまに変な方に突っ走るから、何かと振り回されることが多いの。で、たぶん、一番振り回されてるのがアタシ」

 

 ……やばい。さっきとは違う意味で、名乗り出づらい。正直、振り回してる自覚はあった。チア衣装の勝負服持ってきたときは1か月くらい文句言われたし。でもあれ絶対似合ってたと思うんだ……。

 

「でもね。それ以上に、トレーナーさんに一番迷惑かけてるのもアタシ。グラス先輩はきっちり勝つし、スイープも天才だけど、アタシはそうじゃないから。だから、トレーナーさんの文句を言っていいのはアタシだけ、譲ってチームの2人までなんだ。ごめんね、めんどくさいこと言って」

 

 ネイチャすっごい喋る……。でも、私のために怒ってくれてるのはわかった。私は、手を上げてまだ喋り足りなそうなネイチャを制する。

 

「ネイチャさん、実は黙っていたことがあるんです。それをどうしても、伝えたくて」

 

「トレーナーさんの話?」

 

「はい」

 

「……大事な話?」

 

「はい!」

 

 真剣にうなずく私に、ネイチャは少し目を細めて私を見つめた。

 その瞳の奥には、覚悟を決めたような光が宿っていた。

 

「……あー、やっぱりそっか…………うん、わかった」

 

 覚悟を決めたような表情で深呼吸するネイチャ。これは、ひょっとしたらもう分かってるのかもしれない。だって前アパートで会った時も言ってたじゃない。「もしかしたらと思ったんだけど」って!

 

 

 

「トレーナーさんがアタシの担当外れたいって?」

 

「いやあり得ないです」

 

 私が手と顔をぶんぶんと左右に振ると、ネイチャはあっけにとられたような顔をした。いやいや。

 

「へ? 違うの?」

 

「そうじゃなくて、もう少し現実的な話というか、現状の報告というか」

 

「……待った! ちょっと待って。まさか……いや、無理! そっちの覚悟はできてない!」

 

 手を突き出してストップをかけられる。……いや、担当外れるよりハードル高いことってなに……?

 

 

 

 ネイチャは突然、手のひらを突き出し、こちらをストップさせた。

 その必死な様子に、私は戸惑いながらも、その手をそっと押し下げようとする。

 

 すると今度は逆の手を前に突き出してきた。断固拒否のポーズ。

 私はもう片方の手を取ろうとするが、ネイチャは全力で抵抗してくる。

 そしてお互いに腕を掴み合い、静かに、けれど激しくわちゃわちゃと揉み合うという、はたから見たら意味の分からないであろう時間が過ぎた。

 

「ちょっといいですか。言いたいことがあるんです」

 

「だから聞きたくないんだけど」

 

「聞いてほしいんです」

 

「……なんで押してくるかな。そんなとこまで似ないでよ」

 

「実は」

 

「はいはいわかったわかりました。……つまり、トレーナーさんとアンタが付き合ってるんでしょ」

 

「……? いや、ネイチャ、私。私なんだけど」

 

「へ?」

 

 どうやら聞いてもらえそうだと判断し、ネイチャにも事情を説明すると、ネイチャの顔色は赤くなったり青くなったりを繰り返した。数えてないけどたぶん4回くらい変わったと思う。

 

「え? え? トレーナーさん?」

 

「えーっと、ごめんね、ネイチャ」

 

「……聞いてない!」

 

「ごめん。……それで……付き合ってる、って何……?」

 

「にゃああああああっ!! ごめん、忘れて!!」

 

 ネイチャは悲鳴を上げると、顔を覆いながら仮眠室へと走り去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 ネイチャはその後、仮眠室にこもったまま、しばらく出てこなかった。ドアの向こうからは物音ひとつ聞こえない。私はしばらく椅子に座り直し、腕を組んで小さく深呼吸を繰り返した。時間だけが、ゆっくりと過ぎていく。

 

 やがて、カチャリとドアノブが回る音がした。静かに扉が開くと、ネイチャはやや俯きがちに顔を出し、軽く咳払いをして室内に戻ってきた。そのうちに、グラスとスイープもトレーナー室に顔を見せたので、私はあらためて3人に話をした。

 

「ていうか何ですかその状況。そもそも人がウマ娘になるとか聞いたことないんですケド」

 

「バレたら実験台にされそう? ならなんで言ったの。ま、言わなきゃ許さなかったけど」

 

「ごめん、みんなにあと1つだけ、言っておきたいことがあるの。大事な話。これからの、話」

 

 部屋の空気が一瞬で静まり返る。

 誰も言葉を発さないまま、私は背筋を伸ばし、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

 

「みんながいらないって言われない限り、私は絶対に、みんなの前からいなくなったりしない。それを直接言いたくて。だから、みんなが許してくれるなら、私はみんなのトレーナーを続けたい」

 

 グラスはしばらく宙を見上げ、じっと何かを考えた。そして、そっと目を閉じる。

 

「許します」

 

「ありがとう。よかった……。もう、許してもらうためなら何でもする! って思ってたから」

 

「……なんでも……?」

 

 くるりと2人を振り向くグラス。目が、「聞いてる?」と語っている気がする。そっとネイチャが手を上げた。

 

「その条件はアタシも初耳です」

 

「アタシは聞いたわ! 『使い魔なんだから、これからもずっと隣で言うこと聞いてなさい』って約束したもん!」

 

「……あら……」

 

「へー……そうなんだ……」

 

 グラスとネイチャは、顔を見合わせた。今、2人の間で、いくつかの言葉が口に出されずに交わされた気がする。

 

「やっぱり、今すぐ許すのはやめにしましょうか~」

 

「なんで!?」

 

「トレーナーさん。お願い事、ちょっと考えてもいい? 真剣に吟味したいから」

 

「何させられるの!? 怖いんだけど!」

 

「……ネイチャさんいっぱい傷ついちゃったなー」

 

「何でもどんと来い! 私頑張る!」

 

 そこで、グラスがぱんと1つ手を叩いた。そして姿勢を正し、静かに笑う。

 

「それでは、本格的に、トレーナーさんを元に戻す方法を考えましょうか~。それで確認なのですが、この話は内緒なんですよね?」

 

「ごめんね。たぶん、知らないふりするのとかすごく面倒だと思う……」

 

「いえいえ~、『我が物と思えば軽し笠の雪』ですよ。謝る必要はありません」

 

 

 

* * * * * * * * * * * *

 

 

 その時、不意に、コンコン、と扉がノックされる音が聞こえた。私たちは顔を見合わせる。グラスが不思議そうに首をかしげた。どうやら、予定された来客ではないらしい。

 

 

 私が扉を開くと、そこにいたのは、やたらにニコニコした男女の2人組だった。若いのか、年配なのか、年齢が読めない。両方とも、ピシッとしたスーツを着ている。珍しい。男の方が、笑顔を崩さないまま口を開く。

 

「……おや? あなた、見ない顔ですが、最近入られたウマ娘ですか? おっと、ところで。こちらのトレーナーさんは、ご不在でしょうか?」

 

「ええ。確か、出張に出てるらしいですよ」

 

「そうですか」

 

 一瞬、男が目を細めた。なんとなく、嫌な感じ。

 

「どこに行ったとか、ご存じですか?」

 

「えーっと……確か、地方に調査に行ったとか。でも明日あたり帰ってくるらしいです」

 

「ほう! それは初耳ですが……もう少し詳しく」

 

「ちょっといい? 片付けは新入りの仕事だってのに、全然終わってないじゃない! お喋りより先に仕事しなさいよ!」

 

 ガンガン、と音が背後で鳴ったので振り返ると、給湯室を指さしながら、スイープが怒ったような表情を作っていた。どうでもいいけど、テーブルの脚を蹴る仕草が堂に入りすぎてる。

 

 

 

「というわけですみません、この子まだ新入りなのでー」

 

 続いてネイチャが私の肩に手をかけ、くるりと向きを変えた。そのままぐいぐいと手を引っ張り、給湯室まで私を連れてくる。

 

「……まずかった? 適当に言って帰ってもらおうかと」

 

「いやトレーナーさんが前面に出ちゃ駄目でしょ。明らか怪しいですもん。危機感持ってください危機感」

 

 そっと私とネイチャが給湯室の陰から様子を窺うと、グラスがニコニコと相手に応対してくれているところだった。

 

「昨日、トレーナーさんから連絡がありまして~。もう帰ってこられるそうですよ。すみません、ミーティング中なので、今日はこれで」

 

「そうですか、お騒がせしました。……では、また来ます」

 

 くるりと背を向け、男は何かを思い出したように、ひょいとこちらへ向かって振り返った。

 

「……そういえば。念のため、そちらの新入りの方のお名前、教えていただいてもいいですか?」

 

 

 

 

* * * * * * * * * * * *

 

 

 

 

 

「……というわけで、すっごく不審な人たちが来たけど、みんなのおかげでなんとか切り抜けたの」

 

「それ怪しまれてますよ」

 

「……やっぱり?」

 

「名前聞かれたんでしょう? 見ない顔って、ウマ娘ちゃんが新入生かどうかなんて関係者しかわからないはずじゃないですか。絶対理事長さんの言ってた調査ですよ」

 

 

 翌朝、デジタルと待ち合わせし、お決まりとなりつつある校舎裏に、2人で並んで腰かける。

 

「ともかく、担当のウマ娘ちゃんたちに言えて良かったです」

 

「……デジたんのおかげ。ありがとう」

 

「いえいえ、ウマ娘ちゃんの幸せがあたしの幸せなので」

 

 

 デジタルは、私が渡した紙パックのジュースにストローを差し込みながら、ニコニコと笑った。私たちは、あらためて現状について対処の方法を話し合う。

 

「でも結局さ、なんでこうなったのかが分からないと対処なんてわからないんだよね」

 

「……記憶がない、っていうのがまずおかしいんですよ。姿が変わった前日、何人かのウマ娘ちゃんと話した後、トレーナー室に行って、そこから先に何かがあった」

 

「でも、覚えてないならどうしようもなくない? だいたい、こんなことができるのなんて……」

 

 私とデジタルは顔を見合わせた。私達2人の脳裏には、同じ1人のウマ娘がふわふわと浮かんでいる気がする。私の脳内で彼女は、「シャカール君の友人と名乗ると彼女は本当に嫌な顔をするんだ」と切ない台詞を呟き、消えた。私はぶんぶんと首を振る。

 

「ただタキオンなら絶対データ取らせてくれとか言ってくるはずだから、違うと思う。練習頼みに行った時も普通だったし」

 

「ですね。……どこに行ったとか、思い出せませんか?」

 

「トレーナー室で、スイープと何か話してた記憶はあるんだよね」

 

「……スイープさんと? なら、聞いてみればいいのでは?」

 

 

 私とデジタルはそのまま練習場へ向かった。その途中で、私はすれ違ったばかりのウマ娘を振り返る。

 

「どうしたんですか?」

 

「……ちょっと待っててくれる?」

 

 私がその子に駆け寄ると、彼女は不審そうな顔をした。うん、そりゃそうだ。だって知らない相手だもんね。

 

「足、引きずってる。痛めてるでしょ」

 

「え?」

 

「来て、そのままじゃ治りが遅くなっちゃう」

 

「あのっ……」

 

 無理やり座らせ、自己流っぽい巻き方をしていたテーピングをほどき、くるくると巻きつける。痛む自覚はあったのか、相手は困惑したように黙り込んだものの、大人しく手当てを受けてくれた。

 

「テーピングの方法、知りたかったら放課後もう1度ここに来て。教えるから」

 

「……え?」

 

「保健室に行ったら一番いいと思うけど、行きたくないなら、自分で応急処置くらいできないと。変な風に治ったら後で困るから」

 

「……」

 

 

 

 手当てが終わると、ぺこっとお辞儀をして、その子は足早に去っていった。木の幹の陰から、そーっとデジタルが顔を出す。見事な気配の消しっぷりだった。

 

「……今のもトレーニングの助っ人探しの一環ですか?」

 

「そりゃあ、いずれは手伝ってくれるようになったらいいなーくらいはあるけど」

 

 だって新しく入った子っぽかったし。あの子が手伝ってくれるとしても、トレーニングの助けになるのは、ずっと先のことだろう。

 

 

 

 デジタルはもう1度、後ろを振り返った。もうさっきの子は見えなくなっていた。

 

「あの子、来ないかもしれませんね」

 

「それはそれで、別に構わないよ。でもね、多分来ると思う」

 

「なんでです?」

 

「……なんか、悩んでるって顔してた。どうしたんだろう……」

 

「今、誰よりも悩むべきはトレーナーさんでは……」

 

 

 

 

 

 その後、練習場にいたスイープから、私がいなくなる前日にトレーナー室でした会話について聞くことができた。何やら、新しい魔導書が図書館にあるという話をしていたらしい。

 

 図書館に行くと、職員がその日、私を見たという。……私が謎の本を借りて行った? 全然覚えてない。

 

「覚えてないということは、関係があるということじゃないですか?」

 

「私初めて知ったんだけど、記憶がないのってすっごく怖いんだね」

 

「今更ですか……? ともかく、理事長の話によると、トレーナーさんがいなくなったことは広まっちゃいけない感じですよね。あまり聞いて回るのも、目立ってよくないかもしれません」

 

「確かに。でも今のところ、うちの子たちとデジたんくらいしか知らないし」

 

 

 

 

 しかし、トレーナー室に近づくと、ざわざわと何やら騒がしい。私はデジタルと顔を見合わせた。

 

 室内を覗いてみると、グラスが難しい顔をして、議長席に座っている。

 そして頭上に掲げられた「第42回トレーナーさん会議」。

 ……なんか知らないうちに10回も増えてる……。

 

 座っているのは、エルコンドルパサーにマックイーン、あと商店街のおじさん。ていうか関係者しか入れないはずなのに、なんでおじさんここにいるの。

 

 

 

 

「で、トレーナーの嬢ちゃんの行方だ」

 

 あれ? 私ってここにいるけど? 言ったよね?

 

 入口正面にちょうどネイチャが座っていたので視線を送ると、ネイチャは糸のように目を細めて困ったように笑った。

 

 ……あ、これひょっとして、招集したはいいけど忘れてた感じ? まあ確かに、昨日の今日だもんね。

 

「……だいたい、その日ネイちゃんのトレーナーを見た奴なんていねえんだよな。駅に行くなら商店街通るはずだってのに。ま、河原から抜ける道もあるけどよ」

 

「早く見つけないといけまセン! グラスがここ最近ずっと変デス。昨日もやたらニコニコしながら帰ってきたと思ったら机に突っ伏したり布団に潜ってずっと出てこなかったり。きっと頭がおかしく「エル?」……いえ、なんでもアリマセン」

 

「グランマから、もう少し魔力を補充しないと使い魔の行方は見られないって返事が来たわ。でも、できる限りすぐやってくれるって……どう言えばいいかしら……」

 

 ……絶対困らせてる! というか、あれ? スイープのお祖母ちゃんまで知ってるの? ちょっとこれは、どこまで話が広まってるか確認しておく必要がありそうだ。

 

 

 

 私とデジタルが目立たないように端っこの方に腰を下ろすと、アドマイヤベガがひょっこりと入口から顔を出した。……まだ増えるんだ……。

 

「トレーナー、見つかった?」

 

「アヤベさんも。すみません、ありがとうございます」

 

「別に……前、猫を助けるのを手伝ってもらったから」

 

 

 

 マックイーンが、高価そうなティーカップを優雅に口に運ぶ。あれトレーナー室には絶対なかった。自前なのかな。私は現実逃避気味にそう思った。

 

「捜索については、メジロ家に協力をお願いしてみようと思います。こちらのトレーナーさんには、カロリー控えめのメロンパフェを考案してもらったご恩がありますので」

 

 いや待って。なんかさらりとやばい発言が聞こえた気がする。メロンパフェってそんなに重いの?

 

 

 

 そしてその後も、トレーナー室には続々とウマ娘達がやってきた。ターボ、ブルボン、テイオーにタンホイザ。カワカミプリンセスもいる。

 

 私とデジタルは、ひそひそと耳打ちしあった。

 

「……なんか思った以上に広まってません? めちゃくちゃいっぱいウマ娘ちゃん集まってますけど」

 

 しかも私が失踪確定みたいな。よし、聞いてみる。

 

 

 

 私がそっと手を上げると、全員の視線が一斉にこちらに集まった。圧を感じる。たじたじとなる私。

 

「その……トレーナーさん、ただ単に出張に行ってるだけ、とかは? 他にも、うっかり無人島で遭難してるとか」

 

 ごめん、ヒシアケボノ担当トレーナー。この前あなたが言ってた話、利用させてもらっちゃった。そして、少し引きつった笑顔のネイチャがすかさず話に乗っかってくる。

 

「そ、そうそう。そうだよ!」

 

「なんで!? おかしい! ネイチャ言ってたじゃん。送ってきた石の写真をリッキーに見せたらこの近所の石だったって! 絶対出張なんかじゃないって。ターボ覚えてるもん!」

 

 少々ひきつった笑顔でネイチャがとりなしてくれるも、ターボがすぐに反論した。そして後半の無人島は華麗にスルーされた。にしても……え? なんて? リッキーって石見たらどこのか分かるの? ウマ娘的にはそれが普通なの……?

 

「ステータス『衝撃』を感知。いかなるフローを辿ってその結論に至ったかを追うことができません」

 

 あ、よかった。エプロンをつけたブルボンが驚いたって言ってる。表情変わらないから、全然そうは見えないけど。

 

「それに出張の話、カイチョーも知らないって! 言ってるの、もう理事長だけなんじゃないかな?」

 

 続いて、いつもの制服じゃなく、カラフルな三色の服を着たテイオーが。ていうかテイオー、なんて服着てるの。どこに売ってるのその服。そして私の話はどこまで広まってるの。

 

 

 

 

「スイープさんを悲しませるなんて許せませんわ! 帰ってきたらトレーナーさんにはお説教ですわね!」

 

「でもおかしいんだよね……」

 

 困ったように眉をひそめて、タンホイザがあごに指を当てた。じっと、手に持ったメモ帳を見つめている。

 

「おかしい?」

 

「その日、午前中はカレンチャンが校門前でファンと握手会してたし、午後はキングが取材を受けてたらしいんだよ。裏門はウインディ先輩が落とし穴を掘ってて、1日中埋め直させられてたから……トレーナーさんが出て行けば誰かが見てるはずなんだけど」

 

「前日にもう出てたんじゃない?」

 

「でも、手紙は朝にはなかったんでしょ? なら、いなくなったのはその日じゃないとおかしいよ」

 

 お願いだから論理的な感じで追い詰めてくるのやめて。

 

「使い魔のことだから、人がいっぱい集まってるのが怖くて、塀でも乗り越えて出て行ったんでしょ。アイツ臆病だから。よくあるのよ」

 

 スイープが表情を変えずにさらりとすごいことを言った。カワカミも「なるほどですわ」じゃないの。そして、驚くべきことに、その場の誰一人として「トレーナーさんはそんなことしないと思う」と言ってくれる気配はなかった。私の学園内でのイメージがどうなってるのか、知るのがちょっと恐ろしい。

 

 

 

 

「……その~……これまで捜索を手伝っていただいていて大変申し訳ないのですが……いったん、トレーナーさんを探すのは、お休みにしませんか?」

 

「なんでデスか? 休日も遊びにも行かず、あんなに探してたのに。やっぱりグラス、おかしいデス」

 

 眉をハの字にして、グラスが止めようとすると、すぐにエルに反論された。ちょっとグラスの笑顔がひきつる。

 

「……その……」

 

 やばい困ってる。だってグラス嘘苦手だもん。そして、ざわざわとした困惑の空気がしばらくその場を支配した。不思議そうに囁きあうウマ娘達の視線は、ほぼグラスに向かっている。……ここは、私が何とかしなきゃ!

 

「大丈夫です!」

 

 私が立ち上がると、全員の目がこちらに向いた。視界の端で、なぜかデジタルが諦めたようにそっと目を閉じ、ネイチャが頭を両手で抱えるのが見えた。

 そしてその場を代表して、マックイーンが恐々と手を上げる。

 

「……それで、いったい何が大丈夫なんですの?」

 

「トレーナーさんなら、明日、帰ってきますから!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、迎えたデビュー戦。朝の空気は澄んでいて、ほんの少し肌寒い風が袖口から入り込む。控室では、3人が私の肩に手を添えたり、背中を軽く叩いたりしながら、それぞれの言葉で励ましてくれた。その声を背に、私は初めて、ウマ娘としてレースのコースに足を踏み入れた。

 

 足元で揺れる芝は、朝露をまだ少しだけ残していて、靴裏がやや湿った感触を伝えてくる。緊張のせいか、それとも気圧の影響か、胸の奥が少しだけ重たい。鼻をくすぐるような青い草の匂いに、思わず深く息を吸った。

 

 

 

 ふと振り向けば、観客席は人で埋め尽くされ、遠目にも分かるほどの熱気が渦巻いていた。揺れるプラカード、頭上に掲げられたタオル、響き渡るような名前のコール。ざわざわとした喧騒は、距離があるにもかかわらず、重低音のようにどん、と胸に響く。熱に似た空気が、風に乗ってこちらまで届いた気がした。喉が乾き、ほんの少し、足元が震える。

 

 観客席の最前列に、3人の姿が見えた。手を振っているのがわかる。少しだけ離れた位置には、デジタルの姿もあった。

 

 ……勝つ。勝つ! 絶対勝つ!

 勝って、みんなのところに戻るんだから!

 

 

 

 スタッフに促され、あっという間にスタート地点へと案内された。整列した他のウマ娘たちの足音が砂を蹴る。位置についてから数秒後、ゲートの中に身を収めると、急に周囲の音が遠く感じられた。

 

 そして――ガチャン、と金属音が響き、扉が一斉に開く。視界の端でバーが跳ね上がるのが見えた、その瞬間、胸の奥で心臓が大きく跳ねた。血が一気に逆流するような感覚とともに、足元から冷たいものが這い上がってくる気がした。吐く息が妙に遠く、自分の体が自分のものじゃないような感覚。

 

 

 

 それでも私は、両足に力を込めて、ぐっと踏み出す。スタートの瞬間に張り詰めた空気が一気に裂け、景色が前方へと引き延ばされていく。芝を蹴るたびに、背後の景色が猛烈な速さで流れていき、すべてがあっという間に後方へと消えていく。

 

 

 風が、耳元をすさまじい音を立てて通り抜けていく。ごうごうとした風切り音以外、何も聞こえなかった。隣を走るウマ娘たちの荒い息遣いも、自分の足音さえも、スタンドから湧き上がっていたはずの歓声すらも。

 

 世界が、風と速さ、ただそれだけに満たされていく。

 

 

 

 ああ、そうか……。

 ウマ娘のみんなは、普段こんな風景を見てるんだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――私はその日、1着を取った。しかし、元には戻らなかった。

 

 

 

 

*1
7バ身差

*2
普段でも笑顔にはならない可能性が高い




マックイーン
砂糖を減らしても甘さをキープしたメロンパフェは確かに恩に感じているが、さすがにそれだけだとメジロ家を動かすほどじゃない。他にもいくつか借りがあると思っているらしい


エル
グラスの同室。最近のグラスの様子に一番気を揉んでいた1人。他の同期から、グラスの様子を報告する任務を密かに指示されている


アヤベさん
布団乾燥機愛好家。布団じゃなくて布団乾燥機というところが良い。常識人ポジションだと思うけど、たまに言動にオペラオーと似た空気を感じなくもない


ターボ
会議にはネイチャ繫がりで来たと思われる


テイオー
トレーナー行方不明事件についてはターボ師匠から聞いた
私服のセンスは世間の一部でちょっと疑問視されている


ブルボン(バレンタインver)
テイオーに声を掛けられて来た
テイオーとは有馬記念を一緒に走った仲
以前、マックイーン用のメロンパフェの試作に味見役として協力したことがある


タンホイザ
努力家の理論派。トレーナーとはよくトレーニングの話をしていた
口調から受けるイメージの3倍くらい頭がよさそうなウマ娘


カワカミ
会議にはスイープ繫がりで来た
ストレートの素振りの腰の入り方が明らかに経験者のそれ
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