東方煩悩漢   作:タナボルタ

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お待たせいたしました。

今回横島君がわりとシリアスです。
きっと、シリアスに耐えられる程に成長したのでしょうね(白目)

では、またあとがきでお会いしましょう。


第十三話『フランちゃんと晴れ』

 

 ある館に、孤独な少女が居た。

 

 その少女は精神を少々病んでおり、情緒が不安定な為か館の外に出してもらえず、また自分でも外に出ようとはしなかった。

 

 それは彼女の持つ『能力』のせいでもあり、当然彼女もそれは承知している。だからこそ出歩こうとしなかったとも言える。

 

『ありとあらゆる物を破壊する程度の能力』

 

 それが、孤独な少女の持つ力―――。

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 昨夜から降り出した雨は陽が昇って朝になっても止むことはなく、光を遮り、大地をまんべんなく濡らしている。

 

 そんな憂鬱な空を窓から見上げるのは、執事服を着た少年。横島忠夫だ。

 

 彼は昨日、紅魔館の住人達からとある少女の話を聞いていた。『悪魔の妹』フランドール・スカーレットについてである。

 

 彼はフランにちょっとした違和感を抱いており、その事について皆から話を聞いたのだ。

 

 そうして様々な事が分かった。そして、不用意に踏み込んではいけない事であることも理解したつもりだ。しかし、彼はどうしても気になってしまうのだ。

 

「……やっぱ、こんなに考え込むのは俺らしくないかなぁ」

 

 自他共に認める女好きな彼。彼は美少女の笑顔が特に好きだ。泣き顔も好きではあるのだが、やはり可愛い女の子には笑っていてもらいたい。

 

 だから、彼は真正面からぶつかってみることにした。元来小難しい事を考えるのは苦手であるし、彼はいつだって煩悩と直観と感情と本能に従って動いてきた。今回もいつも通り、自分らしく行動してみることにする。

 

「さて、行きますか」

 

 彼は、フランが心から浮かべる笑顔を見てみたいのだ。

 

 

 

 

 

 

 今横島が目指しているのは、紅魔館の地下にあるフランが長きに渡って引きこもっていた部屋……ではない。

 

 長い廊下を歩き、ある意味では紅魔館の最奥とも言える場所。館内に存在する個室の中で、『一番』大きな部屋。そこが、現在のフランの私室である。

 

(何だかんだ言っても、お嬢様って結構いいお姉ちゃんしてるんだよな)

 

 横島は苦笑を一つ浮かべるが、それもすぐに消えてしまう。ドアの前で深呼吸し、気分を落ち着かせる。何せ今から行うのはフランの心に土足で踏み込むかの様な事だ。あらゆる意味で横島の心身は緊張してしまう。

 

 繰り返すこと十回。いつまで経っても緊張がほぐれる気がしない彼は、両頬をパンと叩き、無理やり気合いを入れる。

 

「……よし!」

 

 頬は赤く腫れてそこがヒリヒリと痛み、目には涙が滲んでいる。何とも情けない姿だが、それでも先程までよりは大分緊張もましになった。横島はゆっくりとドアを四回ノックする。

 

「……はーい?」

 

 返事はすぐに返ってきた。『いつも』とは違う、感情の起伏を感じさせない様な声音。横島は咳払いを一つし、まずはドア越しに挨拶をする。

 

「おはようございます、妹様。横島っす」

 

「っ!? お、お兄さん……!? ど、どうしたの、急に……何かあったの?」

 

 最初の声は先程と同じように平坦なものだった。だが、それも次の言葉までには、いつも通り明るさを感じさせるものになっていた。

 

 ドアが開き、フランが顔を覗かせる。横島はもう一度「おはようございます」と挨拶をした。

 

「……おはよう、おにーさん!」

 

 フランは最初戸惑ったようだが、やがてにっこりと笑い、横島に挨拶を返す。その笑顔を可愛らしく、天真爛漫といった風情だ。

 

「はい。実は、ちょっと妹様とお話がしたくて」

 

「お話……? いいよ、ちょっと恥ずかしいけど、お部屋でお話しよっ」

 

「失礼しまっす」

 

 ころころと笑って横島を部屋に招き入れるフラン。

 

 言ってしまえば、横島は彼女のそんな笑顔があまり好きではない。

 

 部屋の中は思っていたよりも殺風景だった。女の子らしい物はベッドの上にいくつかあるぬいぐるみ、小さな机の上にある手鏡ぐらいだろうか。その手鏡も特に装飾はなく、シンプルな物だ。

 

 フランは机の近くにある椅子ではなくベッドに腰掛け、近くにあった茶色い熊のぬいぐるみを抱きかかえる。

 

「それで、フランと何をお話したいの?」

 

 今のフランの目は純粋に輝いている。横島との会話に期待しているのだろう。横島はフランに気取られぬ様に、深くゆっくりと深呼吸をする。鼓動が早くなり、胸が痛む。今から、この輝きを失わさせてしまうのだ。

 

「……紅魔館の皆から、妹様の事を聞いてみたんですよ」

 

「―――え?」

 

 最初は呆けたような表情。それが次第に困惑に変わり、最後には恐怖や怯えを孕んだ表情へと歪んでいく。

 

 横島は胸と胃がキリキリと痛む感覚を覚えるが、それを無視し、次の言葉を放つ。

 

「色々と聞きました。普段の様子、今までの生活、妹様が持つ能力の事も」

 

「……!!」

 

 フランが抱いた感情の表れか、体が小刻みに震え始める。ぬいぐるみをぎゅっと強く抱き締め、顔を俯かせている。

 

「ありとあらゆる物を破壊する程度の能力……。確か、物体の壊れやすい『目』を掌に移動させて、握ることで壊すんでしたよね」

 

 フランは横島の言葉を聞き、小さく、だがはっきりと頷いた。体の震えも徐々に止まり、顔を上げる。その表情は昨晩浮かべていたものと同じ、暗いものだった。

 

「……そうだよ。それが私の力なの。あの椅子を見て?」

 

 感情の起伏を感じさせない、平坦な声。恐らくは、それこそが彼女本来のものなのだろう。横島はその声に従い、フランが指差した椅子を見る。

 

 フランが、手を握り締めた。

 

「……!」

 

 それと同時に粉々に椅子は破壊された。何の予備動作もない、横島の感覚ですら何も感知出来ない破壊の力。

 

「こんな風にね、手を『きゅっ』てしたらみんなドカーンってなっちゃうんだ。だから、私はずーっと地下室に居たの」

 

 自分の掌をじっと見つめるフランの目は、先程よりもずっと暗い。意図して踏み込んだ横島としても、その目に吸い込まれてしまいそうになる。何かを超越した者の目とは、それだけで何らかの力を持っているものなのだ。

 

「地下室に居たら何も壊さないで済むしさ、誰も傷つかずに済むしさ、だったら私もその方が良いかなって」

 

 それらは誰かに言われたことなのだろうか、普段とはイントネーションが違っていた。恐らくではあるが、きっと横島は知らない人物であろう。

 

「私は壊すしか出来ないんだもん。なら、どこかに引きこもってないと危ないから……」

 

 その言葉は、諦観に満ちていた。『どうしようもない』『仕方のないことだ』……そう自分に言い聞かせてきたのだろう。

 

 横島はそういった気持ちを理解しているつもりだ。自分にも、同じ様な経験はあるから。

 

「妹様……」

 

 横島の頭に過ぎるのは後悔の念。分かっていたはずだと、どうして踏み込んだのかと、今更ながら押しつぶされそうになっている。

 

 いつだってそうだ。彼は煩悩と直観と感情と本能に従って行動し、失敗しては泣きを見る。今回もそうだ。不用意に彼女の心に踏み入り、傷つけてしまった。

 

 もっとやりようがあったのではないか、他に方法はなかったのか。渦巻くのはそんな疑問ばかりだ。

 

 だが、彼はそうやってぶつかっていくことしか出来ない。彼は、他の方法を知らないから。相手を傷つけてしまう。それでも、迷いながらでも、全ての美女と美少女の為を思い、行動に移す。

 

―――それが、彼が一番『自分らしい』と思える事だから。

 

「……」

 

 横島は大きく、深く深呼吸をする。フランが不思議そうに眺めているが、彼は気にしない。やがて肚が据わったのか、フランと視線を合わせる。

 

「なあ、フランちゃん。これは俺の師匠の一人の受け売りなんだけどさ」

 

「え……?」

 

 今までの彼と雰囲気が違ったせいか、フランは戸惑ってしまう。または、急に口調が変わったせいか。横島はやはりフランの様子を気にせずに続けることにする。

 

「勇気や愛や思いやりの無い力は滅びるんだそうだ」

 

「……」

 

 その言葉に、フランは自らの掌を見つめる。その目は、自嘲に満ちていた。

 

「……私は壊すしか出来ないから、勇気も愛も思いやりも、きっと何も無い。お兄さんの師匠って人は、きっと私とは正反対な人なんだろうね……」

 

「ま、簡単に正気を失って修行場を完全に崩壊させちゃったりしてたけどな」

 

「うん……え?」

 

 思わず頷いてしまったが、何やら聞き捨てならない台詞が聞こえた様な気がした。驚愕のままに横島をまじまじと見つめるフランを、やはり横島は気にせずに話を進める。

 

「確かに、勇気や愛や思いやりの籠もってない力は俺の師匠みたいに壊すしか出来ないかもしんないけどさ」

 

「う、うん……」

 

 少々横島の師匠が気の毒に感じてきたフランではあるが、彼はそれに対する言及を許してくれそうにない。ひとまず相槌を打ち、話を続けてもらうことにした。

 

「ならさ、その力に勇気や愛や思いやりを込めるのは、何だと思う?」

 

「え? えっと……」

 

 フランは咄嗟には答えられなかった。彼女は横島が言うようなものとは無縁だと思い込んでいたから。

 

 横島はフランの前に跪き、彼女の手を優しく握る。少々の驚きと戸惑いの視線が横島の視線と絡み、息が詰まる。

 

「力なんてものはさ、それ自体は良いも悪いも無いものなんだよ。要は使い方次第で決まるもんなんだけども……」

 

「……」

 

「フランちゃんの能力もな、それ自体には何の色も付いてないんだよ。無色の力に勇気や愛や思いやりとかっていう色を付けるのは、その力を使うフランちゃん自身なんだ」

 

「……私が?」

 

 要領を得なかったのか、フランは首を傾げている。横島は説明が下手な自分に苦笑めいたものを浮かべるが、自分の言葉でフランを諭していく。

 

「さっきフランちゃんは自分には勇気も愛も思いやりも無いなんて言ってたけど、そんなことはないんだよ。それは俺でも分かってるつもりだ」

 

「でも、私は……」

 

「『でも』じゃないの」

 

 横島の言葉に納得がいかなったのか、途中で言葉を遮ってしまう。だがそれも更に彼に遮られてしまい、口を出せなくなる。

 

「皆から話を聞いたって言ったろ? 普段のフランちゃんって、実は大人しくていつも落ち着いた感じなんだってな」

 

「……」

 

 そう、フランは元来大人しい気性の持ち主であり、『普段』彼女が見せている溌剌とした明るい姿は取り繕ったものなのだ。それを見せるのは大多数の者達。本来の自分を見せるのは、実の姉であるレミリアのみ。だがそれも、久しくその顔を見せていない。

 

 では、何故フランは普段の自分を取り繕う必要があったのか。

 

「フランちゃんはさ、怖かったんじゃないかな? 嫌われたり、怖がられたりするのが」

 

「……っ」

 

 フランの顔色が変わる。図星だったのだろう。

 

 誰だって、他人には良く見られたいものだ。そうすれば友人も得られるし、寂しさを覚えなくてもいい。特にフランは五百年近くも孤独に過ごしているのだ。得られた絆を失ってしまうかもしれないという恐怖は、彼女には耐え難いものなのだろう。

 

 彼女の普段の姿は、ああ振る舞えば嫌われないで済むかもしれないという考えから齎されたものだった。事実、それは成功したと言っていい。妖精メイド達を参考にしたそれは、周囲の不興を買う様なものではなかったから。だから、横島は思うのだ。

 

「そうやってフランちゃんは怖がりながらでも、頑張ってきたんだよな。……それはさ、きっと凄い勇気が必要なことだと思うんだよ」

 

「……!」

 

 そのフランの行動は横島も理解出来るし、それを謗るなど、彼には考えられなかった。むしろ尊敬していると言ってもいい。彼は煩悩が絡むと執着が強いが、それ以外では諦めたり身を引く事の方が遥かに多い。

 

 もし横島がフランと同じ様な状況に陥った場合、フランの様に自分を変えようとせずに周りに当たり散らし、更に孤立化していたことだろう。だから横島はフランのその行動にどれだけの勇気が必要かが想像出来るし、それを成功させているフランを尊敬しているのだ。

 

 そして、フランが周囲に嫌われたくないと思ったのは、その周りの皆が好きだからに他ならない。好きだから嫌われたくない。それは至極当然のことだ。

 

「さっきの話を聞く限り、フランちゃんは皆に迷惑を掛けない様に自分から引きこもったんだよな? 皆の事が好きだから、皆を傷付けたくないからって。なのに、自分は誰かに対する愛情を持ってないって言うのか?」

 

「あ……」

 

 そう。フランはただ気付いていないだけなのだ。今までの人生のほとんどを孤独に過ごしたのではそれも仕方がないが、彼女の心に刻まれたトラウマが、彼女自身を大きく歪ませる原因の一つとなっている。

 

 そして、気付いていないことはまだまだある。

 

「あの時……俺が元の世界の話をした時さ、俺を思って泣いてくれたんだろ? フランちゃんは誰かを思いやる心をちゃんと持ってんだよ」

 

「―――っ!」

 

「それだけじゃねーさ。フランちゃんは妖精メイドの皆にも色々話しかけたり、手伝ったりしてたんだろ? 俺が執事になった日とかさ、フランちゃんが勇気を出して話しかけてきてくれたから今の俺達の関係があるんだ。……それを作ったのは、フランちゃんなんだよ」

 

「私……が……?」

 

 フランの脳裏を過ぎるのは、今までの妖精メイド達との会話。確かに自分から話しかけてみた。それは羨ましかったからだ。

 

 多くの友人と話し、遊び、働き、日々を忙しくも楽しげに過ごしている姿が、堪らなく羨ましかったからだ。

 

 自分は彼女達に邪険にされないか? 邪魔にならないだろうか? 自分に付き合ってくれるだろうか? 疑問は尽きない。それでも、皆と同じ様に過ごしてみたかった。

 

 怖かった。自分が受け入れられるか、ちゃんと返事を返してくれるのか、怖がられないだろうか……。考えれば考える程に胸は痛み、足は竦む。何日も、何日も悩んだ。

 

 そこで、まずは一言だけの挨拶から始めてみることにした。ただ近づいて、「おはよう」と言ってみる。最初は相手も驚いたようだが、すぐに微笑んで「おはようございます、妹様!」と、挨拶を返してくれたのだ。

 

 その時はすぐにその場から離れ、部屋へと戻った。自分には理解出来ない高揚と、何故か目から溢れる涙を誰にも知られたくなかったから。

 

 その日から、彼女は笑顔の練習をした。「どうせ壊してしまうから」と、装飾も何も無い手鏡をレミリアに貰って、心に焼き付いたレミリアやメイド妖精達の笑顔を参考にして。

 

 初めはやはり上手くいかなかった。笑顔は引きつり、話題も無く、毎度部屋で涙を流していた。それでも、諦めたりはしなかった。やがて自然と笑顔を作れる様になり、メイド妖精達の話にもついていける様になり。徐々にではあるが、それがフランの中に本物として根付いていった。

 

 横島の言葉を聞いてかつての事を思い出し、どうしても気になる事が生まれた。衝撃に心が揺さぶられるなか、それでもフランは横島へと疑問を投げかける。

 

「どうして……」

 

「ん?」

 

「どうして、お兄さんはそこまで私の事を気にかけてくれるの……?」

 

 フランの瞳は揺れている。今までこれほどまでに自分に踏み込んできた者を知らない動揺から、何か不安の様なものを覚えたようだ。正体不明の居心地の悪さ。それは、横島も抱いたことのある感情である。

 

 横島は頭をポリポリと掻き、「ん~……」と唸る。どうやら言葉を探しているようだ。

 

「最初はさ、ちょっと気になった程度だったんだよ。皆に向ける笑顔と俺に向ける笑顔が違うからさ。……まあ、今まで女所帯の所に俺みたいな男が入ってきたら、そりゃまあ別物になるだろうけど」

 

「……」

 

「そう思ってたんだけど、何日も過ぎる内にどうやら違う事に気付いてさ。多分だけど、不安になったんだよな? 昔みたいに」

 

「……分かるんだね」

 

「まあな。人の顔色を伺うのは俺もよくやってることだしな」

 

 彼の場合のそれはまた色々と意味合いが違うのであるが、フランがそれを知る由もない。逆に、不思議な親近感を覚えた。

 

「意外と分かるもんなんだぜ、本当の笑顔かどうかってのはさ。だからさ、見てみたくなったんだよな。フランちゃんの本当の笑顔を、真っ正面からさ」

 

 そう言って笑う横島の顔に、フランに今まで覚えの無い感情の衝撃を味わった。思考は鈍り、何やら体の感覚はふわふわと頼りないものとなる。

 

 何かを話さないといけない。そう思って声にした言葉は、自分が思っていた事とは違うもので。

 

「……お兄さんって、じこちゅーさんなんだね」

 

「うっ」

 

「自分が見たいからってさ、嫌な事を思い出させて、ぷらいべーとな事に首を突っ込んで」

 

「ぐっ……」

 

「……それじゃあ、モテないよ?」

 

「がはぁっ!!? やはりワイの行動は空回りする運命なんか……?」

 

 容赦のないフランの口撃に、横島はついに吐血をしてしまう。特に最後がキツかった。

 

 しかし、フランはフランで焦っていた。こんな事が言いたいわけではなかった。胸に去来する、正体不明の感情を表す言葉を掛けたかったのだ。だが、口から出たのは横島を責めるものばかり。

 

 フランは情けないやら泣きたいやらで、きつく目を閉じてしまう。

 

―――そして、気付く。

 

 自らの手を優しく、柔らかく包んでいる温もりに。

 

 フランは目を開く。その温もりの正体は知っている。知っているはずなのだ。だというのに、それは今まで体験したことが無いかの様に熱を帯びている。掌と、胸と。

 

 だが、その熱さは決して不快なものではなく、何物にも代え難いものに思える。気付けば、ぽつりと言葉を零していた。

 

「手……」

 

「え?」

 

「お兄さんの手、私の手と全然違うね」

 

「ん……? そりゃ、俺は男だし、体もフランちゃんよりデカいしな」

 

「そうじゃなくて……」

 

 フランは横島の手を、自らの頬へと持っていく。頬へと触れる彼の手に、自分は何だか不釣り合いな気がして。

 

「大きくて、暖かくて―――とっても、優しくて」

 

 それでも、その手の温もりに縋りたくて。フランは横島の手に頬を寄せる。姉と似ている様で違う温もりに、次第にその感情は増大し、頬だけでなく全身で感じたいと思うようになった。

 

「……ねぇ、お兄さん」

 

「ん、何?」

 

「ぎゅって、してほしいな」

 

「ぎゅっ、て……つまり、抱っこ?」

 

「うん。……ダメ?」

 

 不安に揺れる瞳で上目遣いに尋ねるフランに、横島は軽く頷いた。立ち上がり、ベッドに腰掛けているフランに覆い被さる様にその小さな体を優しく抱き締める。

 

「……こんな感じ?」

 

「ん……、もうちょっと強く」

 

「分かった」

 

 フランの言葉に応える様に少しずつ力を強め、苦しくならない程度に強く抱き締める。フランはそれに満足そうに息を吐き、自らも横島の背に腕を回す。まだまだ小さなフランではその手は回しきれないが、彼の体の大きさがフランには心地よかった。大きく、暖かい彼の胸に顔を埋める。

 

 どうすれば、この温もりをいつでも感じられるようになるのだろうか?

 

 フランは考える。この温もりを離したくない。彼に側に居てほしい。ならば、それはどんな関係が望ましいのか。

 

 執事では駄目だ。彼は姉であるレミリアの執事であり、フランの執事ではない。もっと、近い関係。側に居るのが当たり前で、それこそ家族の様な―――。

 

「……そうだ」

 

「ん?」

 

 どうやら答えに行き着いた様だ。フランはもぞもぞと顔を動かし、横島の胸元から顔を見上げた。

 

「お兄さんのこと、お兄様って呼んでいい?」

 

「うぇっ?」

 

 フランの突拍子もない言葉に、横島は驚いた。

 

 彼女の考えはこうだ。

 

『お姉様と同じ様に、兄弟姉妹ならずっと一緒に居られる。だからお兄様と呼んで、兄になってもらおう』

 

 フランの年齢からは考えられない様な思考だが、周囲の環境によって多くの事を学べなかった彼女には、それが最善の方法であると信じられた。横島に与えられた温もりも、彼へと芽生えた感情も、それを知らないが故の言葉だった。

 

「いや、流石にそれは……お嬢様に殺されるというか、咲夜さんに殺されるというか……」

 

「あー……」

 

 フランは横島から返ってきた言葉に「確かに」と頷いてしまうが、それでも諦めきれるものではない。なので、妥協案を示す事にした。

 

「じゃあじゃあ、二人きりの時だけにするから。それならいいでしょ?」

 

 その必死な様子に横島は圧されてしまう。少しばかり考え込んでしまうが、ここで断るのは可哀想に思えた。二人きりの時だけならば……と、承諾を返すことにする。

 

「あー、分かったよ。二人っきりの時だけな?」

 

「……! うんっ! これからもよろしくね、お兄様!」

 

 横島の言葉に、フランは表情をパッと明るくして答える。それは、彼の前で初めて見せた表情で……。

 

「……思った通りだったな」

 

「ん、何がなの?」

 

 首を傾げるフランの頭を優しく撫で、横島も微笑んで告げる。

 

「いやさ、フランちゃんの笑顔は可愛いなーって」

 

「えぅ……っ!?」

 

 今のフランにその笑顔と言葉は効果抜群の様で、顔を一瞬で真っ赤に染め、何も話せなくなった。あわあわと慌ててみせるフランだが、結局どうすることも出来ずにまたも横島の胸に顔を埋める事になる。

 

 激しく高鳴る鼓動に、燃え上がる様に熱くなる頬。だが、フランはそれを不快に思わない。もっと、もっと感じていたいと思えてならない。

 

 だが、今のフランに出来ることと言えばそれを横島に悟らせない様にしようということ。彼女にとって正体不明な感情であるが、何故だか恥ずかしいという感覚が湧き上がってきていた。

 

「……お兄様のお名前は『横島忠夫』だよね?」

 

「そうだけど……?」

 

 ぼそぼそと呟く様なフランの声に、横島は訝しがる。それが自分に対する照れ隠しなどとは夢にも思わないのだろう。

 

「横島お兄様……は、よそよそしいし。忠夫お兄様も言いにくいし……」

 

(言いにくいかな……)

 

 少しだけショックを受ける横島だったが、突如フランは顔を上げて彼の顔を見つめる。その勢いに少々体がビクついてしまった。

 

「あのね、『ただお兄様』はどうかなっ?」

 

 フランの瞳は輝いている。彼女の目が『これ以外に考えられない』と如実に語っている。

 

「……まあ、フランちゃんがそう呼びたいなら」

 

 何となく、いまいち釈然としない横島だったが、フランがそう呼びたいと言っているのだ。今更否定する要素など何も無い。

 

「えへへ、さっきも言ったけど……。よろしくね、ただお兄様」

 

 フランの笑顔は繕ったものではなく、横島の前でも本来の輝きを発揮している。以前までの笑顔が曇りだとすれば、今の笑顔は正に『晴れ』と言えるだろう。

 

 無邪気に澄み渡る青空の様に晴れた笑顔を浮かべ、フランは横島へと甘える様に頬を擦り寄せる。窓の無い部屋故に二人は気付いていないが、昨夜から降り続いていた雨はとうに止んでいる。

 

 空と同様に、フランの心にも晴れ間が訪れたようだ。

 

「よっし、とりあえず今日はいっぱい遊ぼうか!」

 

「え、でもお仕事は?」

 

「いや、実は昨日お嬢様に話を聞きに行った時に『今日は休みにするから、フランちゃんと遊ぶように』みたいな事を言われて」

 

「……そうなんだ」

 

 どうやら、レミリアにはこうなる事が予想出来ていた様だ。フランは今更ながらに姉の凄さを再認識する。

 

「……じゃあ、何でいつもお仕事の時に着てる服なの?」

 

「……これ以外にはパジャマしかないんだよ。元々着てた服はズタボロになったし、浴衣は永琳先生に返したし……」

 

 横島の頬に、熱い雫が流れ落ちていた。フランはそっと視線を外す。

 

「そういえば、もうすぐ朝食の時間だし、そろそろ食堂に行こうか。その後で色々と遊ぼう」

 

「うん。色々教えてね、ただお兄様」

 

 二人は連れだって歩き出す。部屋から出れば、互いの呼び方は普段通りに戻っていた。今までと異なるのはフランの表情。自然な、可愛らしい笑顔である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 フランと仲良く歩きつつ、横島は内心安堵の息を吐いていた。正直に言えば、ここまでスムーズに事が済むとは思っていなかったのだ。

 

 皆から話を聞いた中で共通する事項はいくつもあったのだが、特に気を付ける様に言われたのがフランの精神状態だった。

 

 長きに渡る孤独な生活と、持って生まれた能力。諸々の事象が重なって不安定となったフランの精神は、狂気を宿していると言っていい。

 

 だが、今のフランにはその片鱗すら伺えない。その秘密は、レミリアの誘導とフランの行動にあった。

 

 レミリアは永琳と出会う前からパチュリーの知恵を借りてフランのメンタルケアを長い間施しており、それによってフランの心には余裕が生まれるまでに回復していた。そしてその余裕がフランの孤独を埋める為の願望に繋がり、結果妖精メイド達との交流を持つに至る事となる。

 

 フランの心は、既にかつてより遥かに安定している。それを成したのは、紛れもなくレミリアのフランに対する愛情だ。

 

 フランは、まだその事に気付けていない。また気付いたとしても、レミリアは知らない振りをするだろう。横島は何となくだが、今回フランと絆を深める事が出来たのは、レミリアのお陰だと察している。それは単なる勘であり確証などはないのだが、そう思った方が嬉しくなるので、そう思うことにした。

 

「……一応、お嬢様にお礼を言っておくかな?」

 

「どうかしたの?」

 

「いえ、何でも。……お嬢様も遊びに誘います?」

 

「……うん、そうする」

 

 横島の提案に是と答えるフランも、レミリアに何かを感じているのかもしれない。いつかフランがそれに気付く日まで、レミリアもまた何も語らない。

 

「何して遊びましょうかねー?」

 

「皆で楽しく遊べるのがいいねー?」

 

 二人は仲良く、楽しい遊びの時間を夢想する。勿論、その顔には笑顔を浮かべている。

 

 今日は、快晴となりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

第十三話

『フランちゃんと晴れ』

~了~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すっかり陽も沈んで夜も更けて、フランはお気に入りの枕を持ってパジャマ姿でレミリアの部屋を訪れていた。

 

「しかし何年ぶりかしらね、フランが一緒に寝たいだなんて」

 

「うん、ちょっと思い出せないけど……たまには、いいよね?」

 

「ふふ、あんまり多いと姉離れ出来ないかもね?」

 

「そんなことないもーん」

 

 レミリアとしては「いつでもウェルカム!」なのだが、そんな事はおくびにも出さない。姉としての意地がそこにはあった。

 

「さ、もう夜も遅いし早く寝るわよ。……吸血鬼としては間違ってる気がするけど」

 

「はーい。……お姉様、今更ー」

 

 レミリアは部屋の明かりを消し、フランの待つベッドへと入る。途端、フランはレミリアに抱きつき、姉の腕を枕にし、小さな肩に顔を寄せる。

 

「ちょ、何? 寝づらいんだけど」

 

「えへへへへ~」

 

 レミリアの問いには答えず、ただ幸せそうに笑う。何を言っても無駄と理解したのか、レミリアは枕にされた手でフランの頭を優しく撫でる。そうして益々深まる妹の笑顔に、レミリアも同じく微笑んだ。

 

 昼間に遊び過ぎたのか、ほどなくフランは眠りについた。その顔は久しく見ていないくらいに明るいものであり、今日という日が余程楽しかったのだろう。

 

「んん……、お姉……様……」

 

 フランの寝言にレミリアは頬をだらしなく緩ませる。ここまで素直に甘えられたのは本当に久しぶりだった。可愛らしく擦り寄るフランの頭を、再度撫でる。すると、フランはまたも口をむにゃむにゃと動かし始めた。

 

「んふふ……ただお兄様ぁ……」

 

 フランの口から出た言葉に、レミリアは少々驚いた。

 

「全く……どんな夢を見てるのかしらね」

 

 そう言いつつ、安心を与える様にレミリアは最愛の妹の頬に口付ける。今度はフランの頬がだらしなく緩んだ。レミリアはフランを起こさないようにそっと身を離し、ベッドから出て部屋を後にする。

 

 長い廊下を歩き、辿り着いたのは横島の部屋だ。レミリアは音を立てずに部屋へと入り、既に熟睡している彼の寝顔を拝見する。幸いな事に、メイド妖精は一人も居ない様だ。

 

「ふむ……中々可愛い寝顔じゃないか」

 

 そう言ってレミリアは優しく微笑んだ。右手に極限までに凝縮させた魔力球を出現させ、握り潰し長大な槍と成す。それを高々と振り上げた。

 

「死ぃぃいいいねぇええぇええぇーーーーーーっ!!!」

 

「お止めくださいお嬢様あああああああっ!!!」

 

「ふがっ!? 何っ!!? もしかしてバインバインな美人のねーちゃんが夜這いをかけに来たんか!?」

 

 突然の大声に有り得ない事を宣いながら飛び起きた横島が見た光景は、何か巨大な槍をこちらに向けて振り回すご主人様と、それを必死に止めている職場の先輩の姿だった。寝起きにこれは流石にカオス過ぎるのか、横島でもまるで着いていけない。そもそも咲夜はどこに居たのだろうか。

 

「離しなさい咲夜!! こいつ、『ただお兄様』! 『ただお兄様』よ!? 何でたった一日でそんな仲良くなってんのよ!! 私なんか影で『あいつ』呼ばわりされてたのにっっっ!!!」

 

「お気持ちは重々承知しています! とにかく落ち着いて……っていうかまだ根に持ってたんですか!?」

 

「何かよー分からんが堪忍やー! 多分仕方なかった事なんやー!!」

 

 ここで横島はミスを犯した。彼はレミリアが何か自分に対して怒っているのでとにかく謝ることにした。だがそれはタイミングを誤ったせいか、レミリアに盛大な勘違いをさせることになる。

 

「私がフランに『あいつ』呼ばわりされてたのが、仕方なかった事ですって……!!?」

 

「う゛ぇえっ!?」

 

「貴様っ! そこに直りなさい!! 今宵のグングニルは血に飢えておるぁあああああ!!」

 

「アッー!? 嫌ぁあああああ!!?」

 

「お嬢様あああああああ!!?」

 

 こうして、紅魔館の夜はやかましく更けていくのだった。

 




お疲れ様でした。

正直に言えば、一番書きたかったのは最後のやりとり。

そして、ついに出ましたね、横島の犠牲者(笑)が……。

そう、皆様の予想を超えてフランちゃんです。(ツッコミ待ち)

まさか、フランちゃんが横島に……(ツッコミ待ち)

フランでこれなら、妹紅とかもっとちょろくなってしまいそうだ……。
そうならないように気をつけよう……。



そして言い訳のコーナーです。
ぶっちゃけ構成をミスりました……。

なので、いつか小話を挿入してフランとメイド妖精達との交流や、フランと横島の交流を書きたいと思います。
このままでは唐突感が拭えませんので……。

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