東方煩悩漢   作:タナボルタ

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大変お待たせいたしました。

今回で『男』との決着がようやくつきます。
ええ、ようやくです。

それではまたあとがきで。


第三十五話『いつかまた、竹林の中で』

 

 ――何故、こんなことになってしまったのだろうか。

 沈み行く太陽に照らされた『男』の頭の中は疑問で埋まっていた。不愉快な音を立てて変質していく我が身を感じながら、『男』は尽きることのない疑問に答えを求め続ける。

 核となっていた優曇華の木が消滅し、体が人に有らざる形へと変わっていく。否、それは、()()()()()()()と言った方が良いのか。『男』はそのことに気付いてはいなかったが、()()が『男』の本来の姿となっていたのだ。

 

「……何だ、ありゃぁ……」

 

 掠れた様な、呆然とした声が横島から漏れる。その言葉は、変質を終えた『男』の姿への感想だ。その姿は今まで『男』が繰り出したどんな物とも違っていた。それほどまでに異様な物だ。

 しかし、共通点が無いわけではない。無いわけではないのだが……それは、余りにも範囲が大きすぎるもの。即ち、()()()()()()()()()()ということが分かるぐらいだ。

 

 ――おおおおおぉ……ん。おおおおおぉ……ん。

 

 ()()から音が響いている。それは呻き声の様な、どこか別の空で鳴り響いている遠雷の様な、くぐもった重音。それは聞く者に悲哀を抱かせる様な音。その場の皆は沈痛な面持ちとなる。そして原因は不明だが、烈火の如く胸に怒りが沸いてくる。

 

 一言でその物体を言い表すならば、()()は醜悪な肉塊だった。

 もはや人の形はしておらず、歪ながらも丸みを帯びた肉の塊。筋肉なのか脂肪なのかは不明だが、時折蠕動し、見る者の嫌悪感を煽る。

 ぴくり、ぴくりと動くたび、その身の色が変わっていく。薄い桃色から赤、白、青と。それは生物が持つであろうありとあらゆる肌色を有していた。

 

「……境界が無くなっている」

 

 ぽつりと紫が呟いた。それにつられ、皆が一様に紫へと視線を向ける。

 

「恐らく、あの男は今まで様々な人間や動物、妖怪の命を取り込んできたはず。だからあの男は自分の腕を人の物から動物の物に変えたり、翼を生やすことが出来た」

 

 『男』にとって、『命を奪う』とはそういうことだったのだろう。『男』は蓬莱人の体を取り戻すべく、獲物達の(はらわた)を食らってきた。今にも尽きようとする命を永らえる為に、その身を食らい尽くしてきた。

 その中で、ついでとばかりに腕も一緒に食べたことがあった。脚も一緒に食べたことがあった。翼も一緒に食べたことがあった。時には体ごと全て平らげたことさえもあった。

 それからだ。自分の体を思う通りに変化させることが出来るようになったのは。それが()()()()()()()()()()とはいえ、自らの体がそうなってしまったのには言いようもない感情が募ってしまったが。

 

「……その()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。あれは、言わば今まで食らってきた物の融合体よ。あの男の中の何かがそうならないように防いでいたのだろうけど、それがなくなって、隔たりが消えてしまったのよ。……あれが、本来の姿ということになるわね」

 

 紫の言葉に皆は眉を顰めた。あの姿は自らの行いが巡り巡って帰って来たもの。因果応報のその結果。それは、『男』の醜い心の顕れなのである。

 

 ――どこだ。どこで間違ったのだ……!!

 

 肉塊と成り果てた『男』は叫びを上げながら過去を思い返す。あの日――心臓を射抜かれたあの日から。『男』は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――ひと……つ……?

 

 

 

 

 

 

 

第三十五話

『いつかまた、竹林の中で』

 

 

 

 

 

 

 

 

 肉塊にいくつもの亀裂が走る。それは口だ。大小様々な、様々な生物の口。肉塊の表面に口が現れ、その端からは血液と思しき液体が流れ落ちていく。その口が徐々に開き、その中の物を晒す。

 口の中にあった物。それは眼球だった。口と同じく、様々な生物の眼球。それは光を完全に失っている。口の中にそれがあった故に、『男』の叫びはくぐもり、口端から血を流していたのだ。

 話すことの出来ない口。光を映さぬ眼。

 誰にも届かぬ叫び――未だ開放されぬ命達の悲鳴。口端から流れる血――蹂躙された命達の血涙。

 肉塊から流れるそれらは、『男』に食われた者達が流す命そのものだったのだ。

 

「……ふん、胸糞が悪い。今すぐこの世から完全に消滅させてやろう」

 

 全身に魔力を滾らせ、レミリアが一歩前に出る。手には極大の魔力を圧縮して作られた球体があり、それは真実肉塊を滅ぼせる威力を内包しているだろうことが見て取れる。

 だが、レミリアが事を成す前に、レミリアの肩に手を置いてそれを遮る者が存在した。

 

「――……ッッッ!!?」

 

 瞬間、レミリアをして背筋に怖気が走る。それはほんの一瞬のこと。だが、一瞬とはいえレミリアは恐怖に囚われたことになる。それをしたのは一人の少女。――八意永琳だ。

 

「ごめんなさいね、レミリア。でも、ここは私達に譲ってほしいのよ」

 

 静かに語る声はどこまでも冷静だ。どこまでも冷たく、静かで、そして周囲を圧する何かがある。レミリアはそれに当てられたのだ。否、レミリアだけではない。その場にいるほとんどの者は永琳と、そして輝夜が発する形容し難い強烈なプレッシャーに全身を冷や汗で濡らしている。冷静さを失っていないのは、それこそレミリアと紫くらいのものだ。

 

「……分かった。ここは譲ろう」

 

 レミリアは永琳に道を譲る様に一歩分移動する。その横を通り、永琳と輝夜が肉塊へゆっくりと歩み寄っていく。

 

 ――分からない。解らない。判らない。わからない。

 

 『男』の中の命達もようやく死が訪れると悟ったからか、それとも境界が無くなったことで思考すらも出来なくなったのか、もはや『男』の思考に他の命の思念が混ざることはなかった。

 『男』は数十年、あるいは数百年振りにクリアな意識の中で必死に思考を巡らせる。

 自分はどこで、何を間違ったのか。それに対する答えは『わからない』。どれだけ考えても、どれだけ頭を回転させても。『男』には何がどこで間違っているのかがわからない。それどころか、自分が間違っているのかすらわからない。

 

 ――こんなはずではなかった。私は文珠を手に入れたかった。そうすれば蓬莱人の体を取り戻せると思った。そして、そうすれば()()()()――、……?

 

 『男』の動きが止まる。今、自分の脳裏を掠めたのは何だったのか。あの方……あの方とは何だ? その疑問により、『男』の思考に空白が出来る。何か大切なことを忘れている様な気がする。

 『男』が思考のループに入る。『男』には気付けなかった。既に永琳と輝夜による()()()が終了していることに。

 

 ――……?

 

 幾許かの時間を掛け、『男』はようやく気付いた。自らの周囲を、暗闇が覆っていることに。陽が沈んだ? 夜が来た? それはまだのはずだ。沈み始めてはいたが、つい先程までまだ陽は空に存在していたはずだ。これほど早く陽が沈むなど、ありえないはずだ。

 おかしいのはそれだけではない。音だ。周りから一切の音が消えてしまった。風の音も、揺れる草花の音も、竹林内の動物達の呼吸音すらも聞こえない。自らの呼吸も、鼓動も、静寂の音すら響かない、真に無音の世界。

 突然無音無明の世界に叩き落された『男』は、混乱の只中にいた。

 

 『男』は肉塊と化し、まともに動かない体で何とか周囲の様子を探る。そうやって数分の時間を掛けて自分の背後に視線をやれば、暗い闇の空間の中に、二つの亀裂を認めることが出来た。

 『男』はその亀裂を見て、月を連想した。それは弧を描いていたが故に。だが、月は二つと存在しない。では、あれは何なのだろうか。

 

 ――ッ!!?

 

 『男』が亀裂を呆と眺めていると、途端に体に激痛が走った。その痛みの出所、かつて腕があったであろう場所には、光り輝く矢が突き刺さっていた。刺さった矢の向きから射られた方向を割り出し、そこへと視線を向ける。そこには、いつの間にか存在していた淡い天頂の光に照らされた、二人の少女がいた。

 

「……まさか、本当に見つかるとは思っていなかったのよ。あれから千年以上経ってるわけだし、ここは幻想郷だからね」

 

 二人の内、長い黒髪の少女が辛うじて聞き取れる声で呟く。その少女の周囲には五つの輝く物体が浮かんでいた。それは彼女が持つ神宝。

 ――即ち、龍の頸の玉、仏の御石の鉢、火鼠の皮衣、燕の子安貝、そして蓬莱の玉の枝。

 その五つの神宝の中でも、一際光り輝いているのが蓬莱の玉の枝だ。これは本来月の都にしか存在しない植物であり、地上に蔓延る穢れを栄養として成長し、美しい七色の実を付けた物。

 穢れがほとんど存在しない月の都では、この『木』は穢れ探知機として育てられており、穢れを栄養として成長するこの木は穢れの度合いを測るのに重宝されている。

 その蓬莱の玉の枝の前身は()()()()()。『男』が失った心臓の代わりとして核にしていた木だ。輝夜の蓬莱の玉の枝が、『男』が内包する圧倒的な穢れに反応しているのである。

 

「でも、貴方はここに現れた。私の……私達の前に……」

 

 天頂の光が強くなっていく。その光に目が眩んだ『男』は一度視線を少女達から外す。目が光に慣れ、視線を戻すと、先程までよく見えなかった少女達の顔が鮮明に見えるようになっていた。

 果たして、二人のその顔は。

 

 ――ドクン、と。もはや存在しない心臓が大きく跳ねた気がした。

 それを皮切りに『男』の脳裏に様々な記憶がフラッシュバックする。

 

 

 

 

 ()()()によって心臓を貫かれる。始めはまるで理解が及ばなかった。何故、()()()が私を……? 胸に走る激痛に言葉も出ない。そのまま力なく倒れ伏す『男』が見たものは、一人の少女に仲間が皆殺しにされていく光景だった。

 ()()()が裏切った。その答えに行き着くのは簡単だった。()()()()を何よりも大切にしていたからだ。何よりも眼前の光景がその事実を如実に証明している。

 次々と、次々と倒れ伏していく同僚達。既に『男』は動けない。出来たことと言えば、自分達を皆殺しにした上司の姿を見つめるだけ。その少女が『男』を振り返ったが、そのまま踵を返し、闇の中へと消えていった。

 『男』の脳裏にはその時の光景が刻まれていた。淡く輝く月を背景に、長い銀の髪を三つ編みにしたその姿。それを見た『男』は――。

 

 ――射抜かれ、使い物にならなくなった心臓を抜き取り、地上の穢れの強さを調べる為に持ち込んでいた()()()()()を突き入れた。

 

 優曇華の木が変質していく。『男』が持っていた能力は、幻想郷風に言えば『あらゆる物を成長させる程度の能力』と言ったところか。

 知能を持った生物にはほとんど効果の無い、自分自身あまり使えない能力だと思っていたのだが、死に瀕したせいか、『男』の能力は強力になっていた。それこそ、()()()()()()()()()()()

 『男』の体内に優曇華の根が張られていく。それは『男』に発生した穢れを吸収し、それを栄養へと変え、生命を維持するほどのエネルギーを抽出する。

 だが、足りない。『男』の中に発生した程度の穢れでは、目の前の死を跳ね除けることなど出来ない。

 ――嫌だ。『男』はここで死にたくはなかった。しかし、どう足掻いても今の自分では死を免れない。ならば、どうするか。答えは決まっている。

 

 ――もっと、()()()()()()()()()()()()

 

 幸い、ここには死が満ちている。死とは穢れだ。穢れとは()()()()()()()

 

 『男』は、穢れに囚われてしまったかつての同僚達を、食らい始めた――。

 

 

 

 ……記憶にノイズが走る。

 

 

 

 蓬莱の薬。その在り処を知ったのはつい最近のことだった。()()()は都にいる帝とやらと、自分を匿ってくれていた老夫婦に蓬莱の薬を渡したらしい。尤も、帝は()()()がいない世界で永遠を生きたくはないなどと言って、薬を燃やしてしまったそうだが。

 『男』はその思考が理解出来なかった。一度死に臨んだ『男』からすれば、こうして生きることが出来ることが嬉しくてたまらない。それに、ついに()()()()()()()()()()()()()()()()

 『男』は満足そうに血で汚れた口元を拭う。『男』は薬の入った甕を手に、満腹となって少々膨れた腹をさする。『男』の足元には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 物は試しと(はらわた)だけを食してみたが、どうやら穢れは肝に溜まるらしい。老いとは穢れだ。穢れとはこの身の栄養だ。『男』は穢れに満ちた腸が大の好物となった。

 

 ――そうして、ここに新たな蓬莱人が誕生したのだ。

 

 『男』は、徐々に目的を見失いつつある。

 

 

 

 ……記憶にノイズが走る。

 

 

 

 それはありえないことだった。

 蓬莱人となった『男』は各地を渡り、穢れに満ちた生物……人間を食らってきた。蓬莱人となったその身にもはや穢れを取り込む必要など無いはずなのだが、身体の核となっている優曇華の木は体内で発生する程度の穢れでは維持が出来ないのだ。

 もはや優曇華の木は肉体ではなく、魂と癒着している。だから『男』は穢れた人間を食らい、穢れを取り込み続けた。

 

 それはありえないことだった。

 一度死に臨んだとはいえ、『男』は月の民だ。不老不死となった蓬莱人だ。その『男』が――ただ一人の男に追い詰められるなど、それはありえないことだ。

 

「テメーのその身体、肉体が主ではなく、魂が主となってんだろ? 魂とは永遠不滅の存在。魂が肉体を取り込み、肉体と言う枷から解き放たれた存在……蓬莱人ってのは、そういう物らしいな」

 

 その男は満身創痍だった。頭から、腹から、全身の至る所から血を流し、それでも尚霊波の篭手を具現化し、『男』を追い詰めていく。その男には予感があったのだ。この『男』を野放しにしては、自らの愛する(ひと)に災いが訪れるだろうと。

 だから必死に食らいついた。いくら傷を負おうと、いくら血を流そうと、全てはただ彼女と過ごす退廃的な生活の為に。男――高島は()()()を待っていた。

 

「薄汚い下賤な地上人の分際でぇ……!!」

「ハッ、今のテメーの方がよっぽど薄汚れてんだろーがよ」

 

 『男』の言葉に高島は即座に挑発で返す。『男』は高い自尊心を持っている。月の民特有の選民意識と、追い詰められていたことによる焦り、そして格下と見ていた相手に虚仮にされたことによる怒りにより、『男』の堪忍袋の緒はあっさりと切れた。

 

「貴ぃ様ぁぁぁああああああああ!!!」

 

 激昂してただ真っ直ぐに向かってくる『男』の姿に、高島は思わず笑ってしまう。こうも上手くいくとは恐らく神でさえも予想できまい。沸点が低すぎる相手というのも滑稽なものだ。

 

 高島は手の中に()()()()()()()()()()()を忍ばせる。その数は四。既に文字も刻まれている。後は、タイミングだ。

 

「死ぃぃぃいいいねぇぇええええええええええええ!!!」

 

 視野狭窄に陥った『男』は、高島の策に気付けない。高島は『男』の攻撃を紙一重で掻い潜り、すれ違い様に宝珠を叩き付けた。

 

「……っ!?」

 

 『男』の動きが止まる。その顔には驚愕が満ちている。歯がカチカチと鳴り、全身も激しく震えだした。

 

「……何をした……!!?」

 

 高島はその言葉に答えず、霊波の篭手を刀状へと変化させる。その刃は半ば物質化しており、高島の比類なき才の程を窺わせる。

 

「私の身体に何をしたァッ!!」

 

 『男』が憤怒の表情で高島へと振り返る。それと同時、高島も『男』へと振り返る。そこに違いがあるとすれば、どちらが狩る者で、狩られる者かが決定したこと。

 

「別に。大したことはしてねーよ」

 

 高島は思い切り霊波刀を振り抜いた。腕に走る肉と骨を断ち切った感触。高島の視線の先、『男』の頭部がくるくると宙を舞っていた。

 

「俺の文珠で――()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 静かに語りかけるように、何でもないことのように、高島は『男』へと解説をしてやった。ドスッ、という音を立て『男』の首は地面へと落ち、その勢いのままに地を転がっていく。その表情は、酷く醜い驚愕に彩られていた。

 

「肉体と魂の主従が逆転しているのなら、それを戻してやればいい。文珠と、大陸の……道教だったっけか、あれの知識が無けりゃ無理だったろうけどな」

 

 冥土の土産とばかりに高島は『男』の死体にタネを明かす。聞いているかは定かではないが、さしたる意味も無い。ここに勝敗は決したのだ。

 身体はボロボロ、霊力も枯渇。しかし、それでも高島はこうして立っている。勝敗は決したのだ。

 

 

 

 ――――『男』の身体から、禍々しい霊波が噴出する。

 

「何っ!?」

 

 それは『男』の身体から溢れ、やがて周囲を覆い尽くす闇となる。

 それは穢れ。それは『男』が現在まで取り込んできた、動物の、人の、妖怪の、全ての穢れの集合体。

 

「こいつ……まさか、悪霊化しやがったのか!?」

 

 その圧倒的な邪気。圧倒的な霊波。禍々しく、強大な気配。それは人が到達出来る領域を遥かに超えた次元――神の領域。

 

 高島は動けない。その身は闇に囚われ、自由を奪われた。目の前に存在する祟り神級の悪霊に対抗する術など、もはや残されていなかった。

 

 ――勝敗は決した。狩る者と狩られる者は決まっていたのだ。『男』は怨嗟の唸りを上げ、自らの永遠の生を奪った高島の身体を手に入れんと迫る。

 

「――永琳さん」

 

 悪霊と化した『男』に飲み込まれる直前に零れた声は、愛する人の名前であった。

 

 

 

 

 ……記憶にノイズが走る。

 

 

 

 

「よくも……!! よくも私の高島を……!!」

 

 目の前の中性的な容姿をした少年――陰陽頭(おんようのかみ)――が憤怒を宿した眼で『男』を睨む。高島の身体を奪い、復活を果たした『男』はその視線を無いも同然に受け流し、周囲を探っている。

 彼等が相対しているのは陰陽寮でのとある一室。そこはある程度以上の役職の者しか知らぬ、極秘の研究室だ。

 それは名付けるならば蠱毒の部屋といったところか。様々な毒虫や動物、果ては人間に妖怪等、あらゆる生物を使って呪いを創り出す部屋。現在の陰陽頭はここの事を初めて知ったようだったが、そこらへんの事情は『男』にとってはどうでもよい事だ。

 『男』の目的は、高島が葬った最強の呪的生物。巨大な熊の様な『獣』だ。高島の記憶によればあれは陰陽寮が創った可能性が高いらしく、それを探す為に『男』は陰陽寮へと入り込んだのだ。

 何せ蠱毒によって創り出された獣だ。それが内包する穢れは今まで食らったことが無いほどの美味であろうことが推測される。

 

「――!! ――、――――ッ!?」

 

 それにしても喧しい。『男』は思わず耳を塞ぎたくなった。ここに来るまで誰も自分の正体に気付く事は無かったのだが、この少年には一目で看破された。それに関しては感心を覚えたが、その後がいけない。ただひたすらにこちらを罵倒し、喧しく騒ぎ立てるだけ。『男』は高島の記憶によって少年の大凡の力量は把握出来ているのだが、これではそれを八割も発揮出来ないだろう。そもそも、何故この少年はこれほどに怒っているのか……。

 『男』の鼻がとある匂いを察知する。

 

「……ああ、なるほど。()()()()()()()()()()()()()()

 

 陰陽頭から匂った()()に気付いた『男』が呟いた瞬間、陰陽頭の理性が切れた。

 

 

 

 

 ……記憶にノイズが走る。

 

 

 

 

 千年の間、あらゆる穢れを食らってきた。その度にその身に内包される穢れが強まり、元の存在から外れていった。

 あの日、死から逃れる為に穢れを生んだその身は、寿命という死に囚われた。そしてそれから逃れる為に蓬莱の薬を欲した。

 死から逃れるには、死を受け入れねばならない。ようやく手に入れた蓬莱人の体も、すぐさま失ってしまった。高島の身体を奪ったはいいが、魂に癒着した優曇華の木は高島の身体でもその存在を主張してくる。

 老いとは穢れだ。死とは穢れだ。――そして、穢れとはその身の栄養だ。生きるために、死を受け入れねばならない。

 

 何故、そうまでして生を欲した? 何故、そうまでして永遠を欲した? 『私』は、一体何を欲していたのだ?

 

 目の前の少女、銀の長髪を三つ編みにした、赤と青の服を着た少女。月に似た光に照らされた、その姿はまるで、()()()()()()()()()()――。

 

「――わ、たし……は……」

 

 あの時の光景が甦る。月を背に、月に照らされ、私達を殺したあの時に。

 

「わた、しは……わたし、は、ただ……」

 

 ああ、そうだ。あの時の貴女は、月の姫よりも、他の誰よりも――。

 

「――ただ、××様と、永遠を過ごしたかった……」

 

 ――ただただ純粋に、何よりも、美しいと思ったのだ――。

 

 

 

 『男』は永琳にその腕らしき部分を伸ばす。触れようと思っての行動ではない。それはまるで太陽を求めるかの様に。そうやって差し出されている手を、永琳は――。

 

「……ぅ゛あ゛あ゛ああぁっ!!?」

 

 輝く矢で、射抜いた。

 

「……私が永遠を共に過ごしたいと思った男性は、後にも先にもただ一人だけ。それは、断じて貴方ではない」

 

 また一矢、また一矢と『男』の身体を矢が貫いていく。その度に『男』の身体が激痛に跳ね、蠢き、今にも意識が断絶しそうになる。だと言うのに、()()()()()()()()()()()()()()()。ただ『男』は射られ、痛みに悶えるのみだ。

 どういうことなのか、『男』には理解が及ばない。視線は空間を彷徨い、やがてある少女に向いた。その少女は()()()()()

 

「この結界は、()()()()()()()()()()()()()()()。内部と外部の時間を切り離し、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 少女が『男』に手を翳す。すると、数え切れぬ程の弾幕が『男』を撃ち貫いた。しかし、やはり死は迫らない。

 

「貴方は、私達の大切な人の命を奪った。だから、私は貴方を()()()()()。何度も何度も、貴方の心も精神も魂も殺して、絶望すらも枯れ果てるまで、殺して殺して殺し尽くしてあげる」

 

 二人の顔には笑みが浮かんでいる。それはまるで亀裂の様な、恐ろしくも美しい笑み。『男』は何も出来ず、永遠と須臾の間、ただそれを眺めるしかない。

 

 暗い闇の中に浮かぶ、二つの血に映える三日月を――――。

 

 

 

 

 

 

 眼前の黒い結界が消失する。その場に存在したのは永琳と輝夜の二人のみ。それが意味するのは一つだ。

 

「……終わった、のか?」

 

 レミリアが二人に問う。それは皆が抱えている疑問。それに対する返答は、、永琳の無言の首肯であった。

 明らかに普段と違う様子に、鈴仙も戸惑ってしまう。永琳から漂うのは遣る瀬無さや諦観、そして迷いといった感情だ。他の誰も気付くことはなかったのだが、横島だけはそれの()()に気付くことが出来た。

 

「……あれは」

 

 横島の霊感が察知したのは、永琳の視線の先に存在する、最早消滅寸前の魂。永遠不滅の魂の消滅とは、即ち存在の書き換えによる完全な自己の崩壊。自らを存在していると認識出来ない場合、魂は()()()()()()

 その魂は、『男』の中で穢れに汚染されすぎたのだ。

 

「……」

「ちょ、横島さん?」

 

 横島は無言で永琳の元へと歩を進める。彼の胸に宿るのは確かな確信。その魂を一目見て、()()()()()と自然に理解出来た。

 やがて、横島は永琳の隣へと並ぶ。眼前の魂はやはり今にも消えてしまいそうで。横島には永琳の迷いが解るような気がした。彼女の迷いとは、恐らくこの魂が消滅する前に自らの手で輪廻の輪に還すかどうか。それによって疲弊しきったこの魂が消滅してしまわないか、といったところだろう。

 彼女が発する遣る瀬無さは、どうやってもこの魂を救う方法が存在しないこと。そして諦観は結末が容易に想像出来るからだ。

 

 ――永琳に出来る事と言えば、この魂を殺して(らくにして)やる事くらいだ。

 永琳もそれが解っている。どうしようもなく理解出来てしまっている。だが、それでもやはり彼女は考える。この魂を……『高島』を救う方法を探す。

 

 

 

 それは、まるで()()()のようで。

 

 

 

「――横島君、何を……!!?」

 

 横島は徐に高島の魂を栄光の手を解除した右手で掴んだ。永琳から、そしてそれを見ていた皆から驚きの声が上がる。しかし、横島はそれを聞かない。意に介さない。

 隣の永琳が静止するよりも早く、横島は高島の魂を自らの胸に押し込んだ。

 

「ぐぅぅ……か、はあぁぁぁ゛……!?」

「横島君!? 貴方一体何をして……!!?」

 

 がくりと地面に膝を突き、苦しみ始める横島に永琳は戸惑いの声を上げる。永琳は横島の苦しみように容態を確認しようとしゃがみ込み、横島の身体に手を触れる。

 

「え……?」

 

 すると、横島がその手を優しく握り返してきた。一体どうしたのかと一瞬動きを止める永琳だったが、彼から零れた言葉に思考すら白く染められる。

 

「――()()()()

 

 永琳の胸が跳ねる。その、呼び方。横島の物とは少々違うイントネーション。

 彼は永琳に笑顔を見せる。横島の物とは少々違う、今も鮮烈に記憶に焼きついている、あの笑顔。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()――」

 

 それは、彼が別れ際にいつも言っていた言葉。あの最後の手紙にも締めに用いられていた言葉。自然と、永琳の口からその名が紡がれる。

 

「――高島、さん……」

 

 永琳に名を呼ばれ、『高島』は満足気な笑みを浮かべた。『彼』の身体が発光する。もう、お別れの時間だ。

 高島の魂は横島の身体から抜け、輝きを放ちながら天へと昇っていった。……輪廻の輪へと、還る事が出来たのである。

 永琳は呆けた様な顔でそれを見ていることしか出来なかった。ゆっくりと横島の元へと視線を戻せば、彼は少し苦しげな顔で、それでも申し訳無さそうに苦笑を浮かべていた。

 

「……どう、して」

 

 永琳から零れる要領を得ない言葉。それでも横島は彼女が何を言いたいかを理解し、一つずつ話していく。

 

「永琳さんの顔を見た時、何をやろうとしてたのかが解った様な気がして。……だから、それをさせない為に」

 

 横島が顔を俯かせる。

 

「誰がそれをやるべきなのか、なんて聞かれたら、それは永琳さんなのかも知れませんけれど。……それでも、永琳さんには()()()()()をしてほしくなかったんです」

 

 そこで、ようやく合点がいった。確かに、あの時と状況が似ていただろうと言うことに。しかし、それでもまだ疑問は残っている。

 

「何故、高島さんを憑依させる事が出来たの……? あの状態じゃ、そもそも表に出ることも出来ずに貴方の魂に食われるだけのはず……」

 

 今の横島と高島の魂では、もはや強さの格が違っている。神魔級の霊力を持つ横島の魂と消滅寸前の高島の魂では、比べるべくもなく横島の方が強い。それでも高島の魂が横島の魂に押し潰されなかったのには、ある理由が存在した。

 

「それは……高島は、()()()()()()()()()

「え……?」

「いや、より正確に言うなら、俺の前世と同じ……ですかね」

 

 その言葉を聞き、徐々にだが永琳の顔に理解の色が浮かぶ。今の様な状態でも瞬時に答えを導き出すその姿に、横島は尊敬の念を抱く。

 

「俺の前世は平安時代に陰陽寮に所属していた陰陽師。『高島』って名前でした」

「……じゃあ、貴方は」

「ええ。多分ですけど、『向こう』の高島と『こっち』の高島は、平行世界の同一人物……って感じでしょうね」

 

 横島は『こちら』の高島の魂を一目見た瞬間からそれが解った。あれは、自分と同じだと。だからだろうか、高島の魂を救う方法も理解出来たのだ。

 高島の魂を自らに憑依させ、自らの魂の力を以って高島の魂を癒す。

 他の者では不可能だっただろう。もし横島が蓬莱人以外の人外の存在だったならば、横島が経験した通り霊基構造を譲り渡せば何とか助ける事が出来たかも知れない。しかしそれはもしもの話であるし、あそこまで壊れかけた魂を癒すとなれば、それこそ横島自身が危険に陥るかも知れない。

 だから、横島が取れたのは最善の策だったのだ。霊力とは魂の力。同一の存在だったからこそ起きた、一種の『同期合体』とも言える作用が発生した。それは高島の魂を活性化させ、穢れを祓い、輪廻の輪へと還れる程にまで活力を得る事が出来たのである。

 

「……」

 

 永琳は高島が消えた、空を見上げる。陽もその姿のほとんどを隠し、竹林は夜を迎えようとしている。辺りが闇に包まれようとする中、永琳は一滴だけ涙を流す。

 眼を閉じ、瞼の裏に甦る高島との思い出をより心に深く刻み、飲み込んでいく。やがて眼を開けた永琳に飛び込んできたのは、夜の空を彩る満天の星と、淡い輝きで夜の竹林を照らす月。

 もう、永琳の瞳に涙はない。永琳は微笑を浮かべると、心の中で『彼』に言葉を贈る。

 

 ――ずっと待っているわ。千年でも、一万年でも、ずっと貴方の事を。だから、また逢う事が出来たら、その時は……。

 

 それが永琳の、高島への愛の告白であった。

 永琳は一つ深呼吸をすると、横島へと目線を合わせ、「ありがとう」と感謝を贈る。横島はそれに頷きを返し、永琳の肩へと手を置いた。

 

「戻りましょうか、皆のとこに」

「そうね。……輝夜、行きましょう」

「……うん」

 

 そうして三人はレミリア達の所へと戻る。途中から話に付いて行けていない皆は少し困惑している様子。

 

「えーっと……何かよく分かりませんけど、これで一件落着なんですか?」

 

 鈴仙は永琳へと疑問を投げるが、その永琳は少々困った顔をする。まだ全てが終わったわけではないからだ。

 

「……あいつ、どうなるかな」

「あいつ……? ……あっ!」

 

 横島の言葉に鈴仙は思い至る。確かに、一件落着とは言い難い。

 

「……とにかく、紅魔館へと帰ろうか。フランのちゃんとした治療もそっちの事も、全ては帰ってからにしよう」

 

 レミリアの言葉に皆は一も二も無く頷いた。紫が紅魔館へのスキマを開き、順番に入っていく。

 横島はちらりと輝夜を見て、彼女の様子に苦いものを飲み込んだ。まだまだ、一件落着には至らない。

 

 

 

 

 

 

第三十五話

『いつかまた、竹林の中で』

~了~

 

 

 

 

 

 

 

 紅魔館の永琳の部屋。今そこには誰もいない。

 意識を失い、治療の後にベッドで寝かされていたはずの妹紅の姿も消えている。

 その部屋の窓は大きく開け放たれており、ベッドから窓まで、血が滴ったかの様な跡が残っていた。

 

 




お疲れ様でした。

はい、『男』の目的はああいうのでした。
目的を忘れてしまい、手段が目的になってしまったんですね。

高島が『男』に使用した文珠の文字は『魂』『魄』『逆』『転』です。
蓬莱人は肉体ではなく魂が主となり、生と死の境界が無くなっている。
だったらまた逆転させればいいだろ!! という正論なのか暴論なのか微妙な理論で押し通しました。

ちなみにこれでいくと、ゴキブリ異変の時にもう少し時間が経っていたら不老不死のゴキブリ軍団が誕生していたことになります。何て恐ろしいんだ……!!



そうそう、横島君は輝夜の難題を達成いたしました。
あとは本人同士の気持ちですね。

次回で『男』編は終了です。


以下、本編で出そうと思っていたけど出せなかった陰陽頭の設定

見た目は14歳~16歳位の少年。実年齢は32歳。

昔街中で妖怪に襲われた際に高島に助けられ、彼に惚れる。
その時には既に陰陽師として陰陽寮に所属していたのだが、高島は何故か彼の正体に気付かず。

それから数年、彼は陰陽頭となり、組織を纏めていく。
陰陽師としての実力や知識などは当時でも並ぶ者なしの天才だったが、高島が絡むと途端に組織を私物化して使う困ったさん。

実は男装の麗人。
『男』が察知した匂いは経血の匂いです。



最後に。
新しく連載を増やしました。
一つでこんなに時間を掛けているのに、更に連載を増やして本当にすまない。
でも、書きたくなっちゃったんだ。(てへぺろ)

そちらの方もよろしくお願いいたします。(ダイマ)

それではまた次回。

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