東方煩悩漢   作:タナボルタ

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お待たせいたしました。

今回は説得(?)回です。
難産でございました……。

それではまたあとがきで。


第三十六話『ありがとう』

 紅魔館、正門前。そこに、空間の亀裂が現れる。まるで空に開いた黒い穴。それは紫のスキマだ。スキマからは紫を始め、レミリア達も姿を現す。皆の表情は一人を除いて明るいとは言えないが、どこか安堵した様な柔らかさは存在した。

 

「あ゛~~~、これで厄介な奴もくたばったし、ようやくゆっくり出来そうね」

 

 レミリアが首をゴキゴキと鳴らしながらそう言った。幼い容姿からは想像出来ない親父臭いその仕草に、皆は苦笑を浮かべる。だが、レミリアがそうする気持ちもよく分かる。あの『男』はかなりしぶとく、皆を窮地に陥れた。今回本気で全力を尽くしたレミリアや横島達は、かなり身体に疲労が溜まっただろう。

 

「永琳、あとでマッサージお願いしていいかしら?」

「ふふ、了解。任せておいて」

 

 永琳はレミリアの要求に機嫌良く頷く。胸に燻っていた蟠りが解け、少々テンションが上がっているらしい。実にニコニコとした笑みを浮かべている。その笑顔は見た目の年齢と非常にマッチしており、見る者に可憐な印象を与えている。

 それに対し、一人表情が優れない者がいる。いや、優れないというよりは呆とした様な、少し感情が読めない表情だ。それは蓬莱山輝夜の表情である。

 

「……」

 

 無論、永琳がそれに気付いていないわけがない。むしろ輝夜がそうなっている理由にも見当は付いている。それでも自分からは手を貸すことはない。輝夜が自分で考え、悩んで、それでも答えが出せず、相談を持ちかけてきた時に手を貸してやればいい。それまでは精々悩んでもらおう。それが、輝夜の成長にも繋がる事を信じて。

 

「さーて、まずはフランの治療。パチェと美鈴も一応診てもらった方がいいかな? それから横島と妹紅の事もあるし……。永琳と鈴仙は大変そうね」

「ま、何とかなるわよ。それより……何だか、紅魔館の中が騒がしいわね」

 

 その言葉に皆が紅魔館を仰ぎ見る。なるほど、確かに紅魔館から妖精メイド達が騒ぐ声が聞こえてくる。その様子にレミリアの機嫌が急降下する。

 

「私達が大変な目に遭ってきたってのに、遊んでいるとはいいご身分だな……」

「ま、まーまー落ち着いてお嬢様。それに、何だか遊んでいるって雰囲気でもありませんよ? これはむしろ……」

 

 美鈴が剣呑な雰囲気を纏い始めたレミリアを何とか宥めようとする。美鈴は館の中から多くの者が焦ったかの様な気を発している事に気が付いたのだ。一体、自分達が留守にしていた間に何があったのか。それを確かめてからの方がいいだろう。

 美鈴の言葉に落ち着きを取り戻したレミリア。すると、紅魔館の扉が開き、一人の妖精メイドが慌てた様子で飛び出してきた。

 

「みみみ皆さん!! 良かった、帰られたんですね!! こっちでは大変な事が起こってしまっててんやわんやだったんですよー!!」

「ちょちょちょ、何よそんなに慌てて」

 

 妖精メイドがレミリアの元へと駆け寄り、そのままの勢いで捲し立てる。その勢いは中々の物であり、あのレミリアでさえもタジタジになるほどだ。それを見かねた咲夜がレミリアと妖精メイドの間に割って入る。

 

「落ち着きなさい。大変な事って何があったの? ちゃんと説明しなさい」

「あっ……すみません、お嬢様。咲夜さんも失礼しました。……実は、妹紅さんの事なのですが……」

「妹紅に何かあったのか?」

 

 妖精メイドは何とか落ち着きを取り戻し、一言謝罪をしてから何があったのかを説明する。それによると妹紅に何か異変が起こったようだ。

 

「妹紅さんが……妹紅さんが、紅魔館から行方を晦ませたんです!!」

「何ですって……!?」

 

 妖精メイドの言葉に皆にざわめきが走る。横島、永琳、鈴仙は特に驚いている。永琳と鈴仙は直接処置を行ったから知っている。妹紅がいくら蓬莱人で常人よりも傷の治りが早いとはいえ、あの傷はほんの一時間~二時間で完治するような傷ではない。まさか、一度死んで復活(リザレクション)した? ……情報が少な過ぎる。とにかく詳しく話を聞くしかないだろう。

 

「どういうこと? 詳しく話してくれる?」

「は、はい。お嬢様方が紫さんのスキマを通って妹様を助けに行った後、皆で分担を決めて割れた窓ガラスの掃除をしていたんです。それで妹紅さんが眠っている永琳さんの部屋も含めて掃除をやり終えたんですけど……最後に皆で見落としが無いか確認の為に見回ってみたら、妹紅さんの姿がなくて。ベッドから窓まで、血が滴った様な跡がありました。館中を探しましたけど見つからず、これはどこかへ抜け出されたのでは、と……」

 

 妖精メイドは顔を伏せ、申し訳無さそうに説明を終えた。話を聞く限り、やはり妹紅の怪我は完治していないようだ。妹紅が怪我を押して向かった先、そこは一体どこなのだろうか。

 

「もしかして、入れ違いになったんじゃないか? 妹紅ならもう一度あの『男』の下へと向かいそうだけど……」

 

 レミリアは妖精メイドの頭を軽く撫でながら自らの考えを述べる。あまり気にしすぎない様にという配慮のようだ。皆はレミリアの考えに賛同する。彼女の性格を鑑みれば、ありえない事ではない。皆は紫に目をやり、紫もそれに頷く。再び竹林へのスキマを開こうというのだ。

 皆が妹紅の居場所は竹林だと考える。しかし、ただニ人だけ違う考えの者がいた。

 

「……すんません、竹林じゃないと思います」

 

 一人は横島だ。彼はどこか遠くの空を見ながらその考えを否定する。横島に皆の視線が集中するが、彼はそれを意に介していない。

 

「じゃあ、一体どこにいるって言うの? というか、何でそれが分かるの?」

 

 鈴仙が懐疑的な視線で横島に問う。だが、何やら横島の様子がおかしい。何か、戸惑いをその瞳に宿している。彼はまるで頭痛を抑えるかのように頭に手をやり、搾り出す様に声を出した。

 

「分かんねー。分かんねーけど、何となく分かるような気がする……」

「……? それってどういう……」

「――すんません。俺、行ってきます!!」

 

 そう言うと横島は皆の制止の声も振り切り走り出した。どこへ行くと聞いても分からない。だというのに場所は何となく分かるような気がする。横島の言っている事はメチャクチャだ。走り出した横島を止めようと美鈴が追いかけようとするが、そこで、思いがけない光景が目に飛び込んできた。

 

「え――?」

 

 横島の姿がない。あの一瞬でどこへ消えたのか。左右を見てもいない。後ろにも当然いるわけがない。ならば、どこに? 美鈴がそこでようやく気付く。視線をやや上方へと向けると、そこには猛スピードで飛行する横島の姿があった。

 

「と、飛んでる!?」

「あいつ、いつの間に……!?」

 

 これは他の皆も驚いたようだ。だが、驚いたからといってそのままにしておくわけにもいかない。美鈴や咲夜が横島を追いかけようと地を蹴ろうとしたその瞬間、待ったの声が掛かった。

 

「ちょっと待って、皆」

 

 声の主に注目が集まる。その主は輝夜だった。

 

「私が追いかけるわ。何というか、その方がいいような気がするの。……それに、心当たりもあるし」

「……何だと?」

 

 妹紅が向かったのは竹林ではないと感じていたもう一人は輝夜だったのだ。輝夜は横島の姿を見ながら宙に浮く。

 

「私が横島さんを追いかけるから、皆は紅魔館で待っていて。すぐに……か、どうかは分からないけれど、必ず妹紅を連れて帰ってくるから」

 

 輝夜はそれだけ言うと横島を追い、彼女もかなりの速度で空を飛んでいった。有無を言わさぬ展開に皆は戸惑うが、それでも最後には納得をするしかない。自分達の中で、妹紅の事をよく理解出来ているのは誰か。そう考えれば、横島と輝夜の二人が真っ先に思いつく。ここは、あの二人を信じて待っている他はなさそうだ。

 

「まったく……激動の一日だな」

 

 レミリアの溜め息交じりの言葉が、陽が落ち、夜となった紅魔館に響いた。

 

 

 

 

 

第三十六話

『ありがとう』

 

 

 

 

 

 人里にある寺子屋、その近くにある民家に上白沢慧音は住んでいた。既に陽も落ち、夜と言ってもよい時間。慧音は夕食の準備を進めていた。何やらまた竹林の方で何事か起こったらしいが、そこには白蓮や神子といった自分等より遥かに力ある存在が向かったらしい。前回のゴキブリ異変や大結界の亀裂の時に皆に頼られたせいか、率先して異変の解決に乗り出したらしい。……後日、実は完全に出遅れていた事が分かった二人は、互いに顔を見合わせ「解決していて良かった」と安堵の息を漏らしたという。

 

 鼻歌混じりに下ごしらえを済ませていく慧音。今日は客人も居るのでいつもより量は多少多めだが、それでも彼女は頻繁に妹紅の分も作っていたので慣れている。

 

「……そういえば最近妹紅にご飯を作ってないな。横島に教わって多少なりとも料理を覚えたらしいが……」

 

 思い浮かべるのは材料を切って焼くくらいしか出来なかった妹紅の料理。千年以上そういった食生活をしてきただろうから特に不満も無かったのだろう。それが最近になって料理を覚え始めたということはつまり……。

 

「ふぅ。愛されているなぁ、横島の奴」

 

 思わず溜め息を吐いてしまう。自分がどれだけ言っても覚えようとしなかったのに、横島と出会って料理を覚えるとは、慧音はそれがかなり悔しかった。

 

「――ッ!! ――音っ!!」

「……ん? この声は……」

 

 玄関の方から聞こえてくる声。これは間違いなく妹紅の物だ。だが、どうやらかなり様子がおかしい。声はそこまで大きくはないのだが、とても必死な物を感じる。また何かあったのだろうか? まだ火を使っていなくて良かった。慧音は調理を中断し、早足で玄関へと急ぐ。

 

「慧音っ! 慧音ぇっ!! 居ないのか!?」

「こらこら、あまり騒がしくしないでくれ妹紅――!?」

 

 らしくなく玄関引戸をガンガンと戸を叩く妹紅に、慧音は少々険が混ざった声で返す。異変が立て続けに起こっている中で、近所の迷惑になるような行為は控えて欲しいのだ。

 そうして慧音が戸を開く。そして彼女の目に飛び込んできた光景は、彼女を絶句させるに足る衝撃を持っていた。

 

「慧音……! 良かった、居てくれた……!!」

「お、おいちょっと待て!! 何だ、どうしたんだその怪我は!?」

 

 慧音を訪ねてきた妹紅の姿は、見るも無惨な物だった。腹からは衣服が赤黒く濡れそぼる程に血を流し、その傷は内臓にまで達しているのか、時々咳き込む様に吐血している。傷が完治する前にここまで飛んできた事の影響だろうか、傷が完全に開いてしまったようだ。

 妹紅は驚く慧音に縋り付き、自らの傷など微塵も意に介さず声を発した。

 

「お願いだ、慧音!! 横島を……!! 横島を、元に戻してくれ!! 頼む!!」

 

 妹紅は頭を三和土(たたき)に擦り付け、土下座する様に慧音に懇願する。

 

「も、妹紅……!? やめろ、どうしたんだ!? 横島に何があったんだ? ゆっくりでいいから、ちゃんと訳を話してくれ」

 

 慧音は血で汚れる事を厭わず、妹紅を抱き起こして落ち着かせる様に柔らかな声音で理由を問う。妹紅は失血で下がった体温に慧音の温もりを強く感じたからか、その瞳からぼろぼろと大粒の涙を流していく。

 

「よ、横島が……死んじゃう、くらいの、怪我をして……!!」

「何……!?」

 

 やがて妹紅がしゃくりあげながらゆっくりと事情を話していく。横島が瀕死の重傷を負ったらしいが、それにはこの妹紅の怪我が関係するのだろうか。もしかしたら、竹林で起こったという異変も何か関係があるのかも知れない。慧音は無言で続きを促す。

 語られたのは、決して起こってほしくなかったこと。

 

「だから、だから、私は……!! 横島に、死んでほしく、なかったから……!! 私は、私の……()()()()()()()()……!!」

 

「――!!?」

 

 慧音の呼吸が止まってしまう。今、何と言った? 横島に、自分の生き肝を食べさせたと言ったのか……? ならば、横島は――!?

 慧音の様子に、妹紅の目からは更に涙が溢れる。しかし彼女にそれを止める術は無い。今の妹紅に出来ることは、ただ慧音に縋る事だけだった。

 

「私に出来る事なら、何でもするから……!! だから、頼むよ!! 横島を、横島を、元の人間に戻して……!!」

 

 心を絞りきるかの様な、悲痛な懇願。それは、長い付き合いである慧音でも未だかつて見たことが無い。正直に言ってしまえば、慧音は横島に嫉妬している。自分は妹紅と親しくなるのに随分掛かったというのに、彼はあっさりと親密な関係になったからだ。

 慧音は横島に嫉妬している。ああ、それは認めよう。だが、今この時においてそれは無関係だ。横島は慧音にとっても掛け替えの無い存在となっている。それは偏に妹紅の想い人であり、また、自らも妹紅の伴侶として相応しいと認めた存在だからだ。

 

 ――だからこそ、慧音は自らの唇を噛み切ってしまった。

 

「――――無理だ……」

「――――ぇ」

 

 本当に小さい、それこそ本当に搾り出すかの様な小さな慧音の声。だが、妹紅にはその声が何よりも大きな衝撃と共に脳を揺さぶった様に感じられた。

 

「なん……なん、て、いったの……?」

 

 妹紅の表情が呆けた様な、何の色も感じさせない様な物へと変わる。それを間近で見た慧音は、血を吐くように、今度はより大きな声で断言する。

 

「私の能力では、無理なんだ……!!」

 

 慧音の能力は『歴史を食べる程度の能力』。これは簡単に言えばある出来事を『無かったこと』にする能力だ。それは、現実に影響を及ぼす事から神の如き能力だと思われるかも知れない。だが、厳密にはそう強力な能力でもないのだ。

 例えば古代の中国が国のトップが入れ替わる度に前代の歴史書を焼き捨てていた様に、『そんな歴史はなかったのだ』と広めるようなものなのだ。当然当時の事を知っている者にはそんなものが通用するはずも無く、永い時を生きる妖怪を始めとした人外の存在には通じず、人間にもかつて何があったのかを知っている者には『無かったこと』にされても、『実はこうだった』という認識の食い違いを自覚する。慧音の能力は、『その歴史がこうだった』という認識が無い者にしか通じない。完全に『無かったこと』にする事など、出来はしないのだ。

 

「それじゃあ、私は……ただ、横島の気持ちを裏切って……!!」

「……っ! 知っていたのか……」

 

 妹紅が呆然と呟いた言葉に、あの日の光景が甦る。

 

 ――上手く言えないんすけど、俺はこのままの方が俺らしくいられると思うんですよ。だから、永遠の命は、いらない……っすかね。

 

 あの時の横島の言葉を、妹紅はどこかで知ったのだろう。だからこそ、妹紅はここまで追い詰められている。横島が蓬莱人になったという歴史を『無かったこと』にしてもらう為に、妹紅は慧音を訪ねてきたのだ。

 

「……っ」

 

 最早身動ぎひとつせずにただぽろぽろと涙を流し続ける妹紅を見ているのが辛い。だが、だがしかしだ。慧音は奥歯をぐっと噛み締める。()()()()()()()()のだ。慧音は、今から妹紅の心を更に痛めつける決心をする。このような能力を持っている自分が言える様な事ではないのかも知れないが、だからこそ自分が言わなければならないような気がして。

 

「妹――」

「貴女はそこで何をしているのですか、妹紅さん」

 

 慧音が妹紅に語りかけようとしたその瞬間、幼い少女の声がそれを遮った。いつの間にそこに立っていたのだろうか。土間前の廊下に、客として招かれていた阿求がそこにいた。

 

「阿求……?」

「……妹紅さん。私は横島さんという方に会った事はありませんし、私が言う様な事ではないことも重々承知しています。……それでも、貴女には言わなければなりません。貴女は、そこで何をしているのですか?」

 

 戸惑う様な声を出した妹紅に対し、阿求は毅然とした態度で言い放つ。その内容に慧音は少々驚いた。自分が言おうと思っていた事と同じだからだ。阿求はじっと、妹紅を見つめている。

 

「私は……慧音に……」

 

 妹紅は阿求の視線に耐えられず、俯いてぼそぼそと呟く。それは自分の行いを恥じている様に見えた。きっと、妹紅も無意識下では理解しているのだろう。阿求は二人の普段の様子を見た事が無い。彼女が持つ情報は全ては慧音から聞かされたものだけだ。それだけでも二人の……妹紅の気持ちは痛いほどに理解出来る。否、想像か。ともかく、阿求は妹紅にこんな事をしている場合ではない事を伝えたい。例え、自分が嫌われようとも、だ。

 

「……妹紅さんが今するべき事はこんな事じゃないはずです。一度起こってしまった事は無かったことには出来ない。理由はどうあれ、妹紅さんは横島さんを蓬莱人にしてしまった」

「……っ!!」

 

 妹紅は阿求の言葉に反論はせず、黙って歯を食いしばっている。痛くないはずがない。抉られたくない場所のはずだ。それでも、妹紅はただ耐えるしかない。

 

「妹紅さんは……妹紅さんは、愛する人の命を、捻じ曲げてしまった」

 

 阿求の瞳に涙が溜まっていく。こんな事を好き好んで言いたくはない。妹紅の心を傷つける度、自分の心にも傷を負っていく。

 

「――ならば、何故妹紅さんは横島さんの命を背負おうとしないんですか……?」

「――……!!」

 

 妹紅の瞳が大きく見開かれ、ついに阿求へと視線を合わせる。阿求が泣いている。それをさせたのは誰だ? ……自分だ。

 

「妹紅さんは横島さんを蓬莱人にした。それは、横島さんの命を奪ったといっても過言ではありません。命は、終わりがあるからこそ命足りえると、私は考えています。……だからこそ、妹紅さんは背負わなければいけないんです……! 横島さんの命と、それを奪った責任を……!!」

 

 その言葉を境に、阿求は涙を堪えられずに膝を着き、泣き始めてしまう。慧音が妹紅から離れ、阿求を抱きしめる。彼女の目にも涙が光った様な気がした。

 痛かったはずだ。抉りたくなかったはずだ。人を傷つけるという事は、こんなにも自らを傷つけることなのだ。……妹紅は胸が締め付けられるような痛みを覚えた。

 

 ――痛い。

 

 慧音に全てを無かったことにしてもらおうとして。阿求に叱られて。阿求を大泣きさせてしまって。こんな、小さな女の子に、あんな嫌な役をさせてしまった。

 妹紅は情けなさからまた涙が溢れ出そうになる。だが、目を強く瞑り、それを押さえ込む。

 

 ――私は何をしているんだ……?

 

 親友に迷惑を掛け、小さな子供に諭され。こんなに情けないことはない。

 

 ――命と、責任を、背負う……。

 

 妹紅は未だ泣き止まぬ阿求を見る。彼女は御阿礼の子。彼女は一つの魂が転生を繰り返し、代々幻想郷縁起を編纂している。御阿礼の子は代々三十年も生きられず、その人生のほとんどを幻想郷縁起の編纂に費やす。阿求もそうだ。産まれて既に十年以上が経ち、そのほとんどの時間を捧げてきている。それが()()()()()だ。

 いくら一つの魂が転生を繰り返しているとはいえ、その全てが同じ人格を有していたわけではない。それぞれに違った心を持った、少年少女達だった。そう、同一の魂の転生体でも、同一人物ではないのだ。

 他にしたいこと、学びたいことなどいくらでもあるだろう。繰り返すが、御阿礼の子は三十年も生きられないのだ。好きな事を好きなだけしてみたいだろう。素敵な男性と恋をしてみたいだろう。

 

 ただ一人の女性として、家庭を持ち、子を生したいはずだ。孫の顔を見たいはずだ。――ただ、普通の女の子として生きたいはずだ。

 

 だが、それでも阿求は御阿礼の子の九代目としての生を全うする。それは御阿礼の子だからではない。それが()()()()()ではない。

 

 ――自分以外の、()()()()()の命と、責任を背負っているが故に。

 

「阿求……」

 

 妹紅はゆっくりとだが阿求に歩み寄り、その小さな身体を優しく抱きしめた。本当に、小さい。妹紅の心に、決意の火が灯る。

 

「ごめん……私のせいで、こんなにも傷つけちゃって……」

「……」

 

 阿求は自分が血で汚れようとも気にせず、妹紅に強く抱きついた。妹紅の言葉を、首をふるふると振ることで否定しながら。

 

「阿求……私は……、――っ!?」

 

 妹紅が阿求に自らが抱いた決意を語ろうとした瞬間、妹紅が何かに気付き、外から何やら重い物が墜落したかの様な音が響いた。

 

「なっ、今度は何だ……?」

 

 慧音が驚きつつも戸を開ける。開いた視界の向こう、そこには腹を押さえた横島の姿があった。

 

「横島……!?」

 

 彼の他に誰の姿も見えない。一体どうやってここまで来たのか。疑問が浮かんでくるが、どうやら今はそれどころではないようだ。横島の様子がどこかおかしいのである。

 

「……妹紅……」

 

 横島は慧音に目もくれず、妹紅の姿に言葉を失う。腹部を汚す赤黒い血の跡。よく見れば口からも血が吐き出された様な跡がある。こうして間近で見ることにより、横島は自覚した。

 妹紅がこうなってしまったのは、自分のせいであると。

 

 ――ヨコシマ……。

 

 ()()の姿がフラッシュバックする。()()は霊基構造が崩壊していく自分の為に、自らの魂を分け与え、そして死んでいった。全ては自分が弱かったからだ。

 妹紅は文珠の効力で何とか生きながらえる事が出来た自分を助ける為に、自らの内臓器官を食わせてくれた。今もその傷は治っておらず、その身を鮮血で染めている。全ては自分が弱かったからだ。

 強くなれたと思っていた。今度こそ守れるのだと思っていた。そんなものは幻想だ。俺は、()()()から一つも成長していない……!!

 

「妹紅……!!」

 

 横島の脇腹から血が滲む。その場所は、かつてルシオラの妹であるべスパに撃ち抜かれた場所だ。それはトラウマの象徴。蓬莱人とは肉体ではなく魂が主軸となった存在。取り分け横島の魂は複雑なものだ。トラウマを刺激された影響により、それを象徴する傷が甦ったのだ。

 

「横島、大丈夫なのか……?」

 

 妹紅は横島の平常とは明らかに違い過ぎる様子に戸惑いながらも彼へと駆け寄る。脇腹から流れる血は止まらない。それは魂そのものが流す、涙のように思えた。

 

「……俺が、弱かったから……」

「え……」

「俺が、少しも成長なんかしてないから……!! また、好きな女の子をこんな目に……!!」

 

 横島は両目を押さえて這い蹲る。妹紅は横島の過去の全てを知らない。彼の口から漏れた言葉だけでは全容を知れない。しかし、そのはずだというのに、妹紅には横島の過去に何があったのか、ぼんやりとだが()()()()()()

 

 強大な存在との絶望的な戦い。愛する者を助ける為に死に瀕し、逆に愛する者の命と引き換えにその命を救われた。結局、()()を救うことは出来なかった。

 伝わる。伝わる。彼の感情が、想いが。妹紅(じぶん)に対する悲しみ、苦しみ、後悔、諦念、罪悪感。どうして俺の為に、どうして妹紅がこんな目に。

 

 どうして伝わってくるのかは分からない。分からないが……妹紅の胸に、ぽつりと浮かんでくる感情があった。それは、『幸福』だった。

 横島はこんなにも自分を想ってくれている。私が傷ついたことに、私が苦しんだことに、私が悲しんだことに……。そして、それらの根底にある、確かな愛を、妹紅は感じる事が出来た。

 

「横島……」

 

 再度思う。自分は何をしているのか、と。愛する者が苦しんでいる。愛する者が悲しんでいる。ならば、自分は何をするべきなのか。

 妹紅は阿求をちらりと見やる。突如現れた横島とその様子に随分と驚いたのか、泣き止んで事態の推移を静かに見守っていた。その姿に内心小さな笑みを浮かべる。あの子の様に、自分も思いを伝えよう。

 妹紅はあやす様に横島の背に手を当てる。

 

 ――()()は、自分のせいなのだと自覚しながら。

 

「横島。そのままでいい。ただ、聞いていてくれればいい」

 

 妹紅は一度目を瞑り、大きく深呼吸をする。

 

「……私は、永遠の命はいらないっていう、お前の気持ちを知っていたんだよ。その方が自分らしいからって、そう言った時の横島を見てさ、いつの間にか好きになってた……っていうのは、前にも言ってたっけ? ……私は知ってたんだよ。その気持ちを。でも、私は横島を蓬莱人にした。お前の気持ちを裏切って、お前を『永遠』に縛り付けた」

 

 横島は動かない。それでも構わず妹紅は独白を続ける。ゆっくりと、ゆっくりと自分の気持ちを確かめながら。

 

「お前が『あいつ』に食われてるところを見て、頭が真っ白になった。お前の、血まみれの姿を見て、死んじゃったって思ったら、自分も死んじゃいそうなくらいに胸が痛くなって……それでも、横島は生きていてくれた」

 

 妹紅の表情がどんどんと翳っていく。これから話すことは最低の極み。決して許されないであろうことだ。それでも妹紅は語る事を止めない。横島の想いと、阿求の思いに報いるために。

 

「それでも横島はすぐに死んでしまいそうで……。私は……私は、死んでほしくなかったから、生きていてほしかったから……一緒にいてほしかったから、お前から死を奪ったんだ……!!」

 

 それは、一体どこまで利己的な想いなのかと妹紅は思う。ただ自分が嫌だったから、だから横島を蓬莱人にした。ただ、自分の傍に居てほしいというだけの理由で。

 妹紅は唇を噛む。妹紅は身体を震わせながらも、何とか言葉を紡ごうとするが、上手く呼吸が整わない。ゆっくりと、大きく深呼吸をする。横島に、自分の想いを伝える為の言葉を探しながら。

 

「……?」

 

 不意に、横島の意識に何らかの感情の波が揺らめく。それはまるで自分の感情ではなく、誰か他人の感情のように横島(じぶん)に対する数多の想い。それは、自分が妹紅に対して現在抱いている感情によく似ていて――。

 

「……」

 

 横島がゆっくりと顔を上げる。彼は血涙を流していた。自分の弱さのせいでかつての恋人と同じ事をさせてしまったことに対して、悲嘆にくれ、自らに失望し、絶望に堕ちた。それと同じ性質のものが、外から入り込んでくる。

 

 横島は、何となくだが理解出来た。

 

「妹紅……」

 

 この感情は、()()()()()()()()と。

 横島は史上初めての蓬莱人の生き肝を食して蓬莱人となった人間だ。それ故に、誰もその事実を知る者はいなかった。親とも言える蓬莱人と、その生き肝を食して変化した、子とも言える蓬莱人。その二者間に、特別な経路(パス)が通るという事を。

 その経路を通して、互いの想いが伝わってくる。互いが互いに、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 愛する者に死んでほしくないと望むのは間違っているのか。/間違いなんかじゃない。

 愛する者に生きていてほしいと願うのはおかしい事なのか。/おかしくなんかない。

 愛する者と一緒にいたいと思うのはいけないことなのか。/誰しもが思うことだ。

 

 愛する者と、永遠に。/それは、誰もが抱く幻想(ゆめ)だ。

 

 横島も、妹紅も。それは同じだ。しかし、彼らの特殊な事情がそれを阻む。永遠でなければ不幸というわけではない。それは二人も嫌と言うほど理解している。しかし、だからこそ、二人は永遠に一緒にいたいと思ってしまった。

 

「……妹紅は、裏切ってなんかねーよ」

 

 それはむしろ自分の方だと横島は自嘲する。横島は妹紅の目を真正面から見据える。妹紅は自分と横島の間で起こった謎の感情の交感に多少の戸惑いがあったようだが、それでも横島の視線を受け止める。

 

「妹紅。俺は、さ。妹紅が好きだ」

「……うん。私も、横島が好き」

 

 それは、或いは儀式のようなもの。

 

「妹紅一人じゃなくて、色んな女の子に惹かれてる」

「うん、知ってる」

「皆が傍に居てくれるなら、永遠だって悪くないんじゃないかと思うようになった」

「……私はお前の傍にいるよ。お前が嫌だって言うまで。それこそ永遠に」

「あんなこと言っておいて、速攻で意見を変える様な男だけど……」

「私も、人の事は言えないかな」

「……バカでスケベで、煩悩まみれで弱っちいこんな俺だけど――――ずっと、一緒にいてほしい」

「……自分の事しか考えてないない様な、こんな私で良いのなら――――ずっと、一緒にいさせてほしい」

 

 言葉と同時、二人はどちらともなく自然に互いを抱きしめあった。互いの耳元で、互いを傷つけるであろう言葉を囁く。

 

「妹紅、俺を助けてくれてありがとう」

「横島、永遠を選んでくれてありがとう」

 

 二人の唇が歪む。それは、苦笑の形をしていて。二人とも、とてもよく似た顔をしていた。

 二人の仲の蟠りはそう簡単に消えることはない。いくら互いの想いが伝わったとはいえ、それですぐに納得出来る様な事柄ではない。だからこそ時間を掛け、言葉を尽くし、時にぶつかり合いながらも折り合いを付けていくしかない。

 言葉にしてこそ伝わる事も存在する。容易な事ではないだろうが、それでもやはり二人ならば大丈夫なのだろう。これから先、二人には永い永い時間があるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 数分後。

 

「ぬおおおおおおお……!!」

「ぬあああああああ……!!」

 

 横島と妹紅の二人は揃って悶えていた。人前で色々とやらかした事が今になって効いてきたらしい。それを見つめる慧音は「相変わらず女の子らしくない声だなぁ」などとどうでもいい事を考えている。

 そんな二人を見るのに飽きてきたので、慧音は門の隙間からこちらを覗いている少女に声を掛けることにした。

 

「輝夜、そんな所で見てないで入ってきたらどうだ?」

 

 声を掛けられた輝夜は頭をぽりぽりと掻きながら、照れ臭そうに笑いながら慧音の言葉に従う。輝夜の姿を見た横島達はようやく悶えるのを止め、いつから見ていたのかと疑問に思う。

 

「いやー、何というか。実は横島さんと同じくらいには到着してたんだけどね? なんか訳分かんない内に二人が訳分かんない事になって訳分かんない事を言いながら訳分かんない内に解決したっぽい雰囲気になったから、出るタイミングを掴めなくて……」

 

 輝夜の言葉に横島達は視線を逸らす。確かに傍から見ていた者達には二人に何があったのかは理解が出来ないだろう。何せ当の本人達にもあの現象が何なのか理解出来ていないのだ。それを他人に解れというのも無理というもの。

 

「それにしても、これから大変そうね。横島さんの事もあるし、妹紅も色々キツそうだし。……はぁ、こっちもこっちでアンニュイなのに」

「……? 何かあったんすか、輝夜様?」

 

 深い溜め息を吐く輝夜の様子に、横島が疑問を持つ。今の輝夜から感じられる雰囲気は、どちらかといえば虚無的な物だ。

 

「うーん、そうね……。何というか、昔からの目的を果たす事が出来たんだけど、そのせいで胸にぽっかりと穴が空いた様な感じなのよね」

「……それって、まさか『あいつ』が……?」

「……?」

 

 どうやら妹紅は輝夜の言葉に思い当たる物があるらしい。横島にはそれが何か想像することも出来ないが、とにかく輝夜を元気付けようと声を掛ける。

 

「んー、俺にはよく分かりませんけど、穴が空いたのなら他の何かで埋めちゃったらどうです? 俺に出来る限りの事で協力させてもらいますし、永琳先生に相談したり、何だったら妹紅だっているわけですし」

「え、私も?」

「いや、だって何だかんだ言ってるみたいだけど二人って仲良いじゃん。たまに知らないところでケンカしてるらしいけど、少なくとも俺は見たことないし」

 

 それは横島にとって何でもない言葉だった。だが、その何でもない事を、輝夜は思いつけなかった。穴が空いたのなら埋めればいい。なるほど、確かにその通りだ。当たり前の事すぎて考慮もしていなかった。自然と、小さな笑みが浮かんでくる。

 

「そうね、埋める物を探すのもこれからの楽しみになるかしら?」

「いつでも頼ってくださいよ? 何だったら輝夜様の精神的な穴も肉体的な穴もこの俺が埋めて差し上げ――」

「子供の前で何を言っている貴様ーーーーーー!!」

「エ゛ト゛モ゛ン゛ッ!!?」

 

 輝夜に対して最低な下ネタ発言をぶち込む横島に、後ろから飛んできた慧音がスーパーな頭突きをかます。横島は謎の言葉を吐きながらもんどりうって吹き飛んだ。輝夜はその様に笑い転げ、妹紅は横島を助け起こす。何か普段よりも顔が近い。

 

「あはははは! ……ま、横島さんなら考えてあげてもいいけどねー?」

「なん……だと……!?」

 

 そして投下される輝夜の爆弾。慧音はやけにリアルな表情となって、愕然と言葉を発した。そんな事をしている内に輝夜は妹紅と同様に横島に寄り添い、彼の胸に『の』の字を書く。

 

「横島さんは私の難題をクリアしたしー? このまま頑張っていけば、私もゲット出来るかもねー?」

「ほああああああ!? いつ!? いつ俺は輝夜様の難題をクリアしとったんやー!!?」

「……本当に『あれ』がそうだったのか。ほら横島、訳は後で説明してやるから落ち着けって」

 

 その場は何ともカオスな様相を呈してきた。思わず阿求がメモ帳を手にするくらいには空気も弛緩している。慧音は横島の成し遂げた偉業に戦慄を覚えつつ、結局輝夜が出した難題が如何なる物なのか興味が湧いてきた。

 

「横島さんってヌカロク出来そうでポイント高いのよね」

「ヌカローーーーーーッ!!?」

「今度は輝夜から下ネタだと……!?」

「……慧音、阿求。ヌカロクって何?」

「ぅええええぇ!?」

「ふえぇええぇ!?」

 

 輝夜のからかい混じりの言葉が横島の理性を襲い、妹紅の純真度百パーセントな疑問が慧音と阿求の羞恥心を襲う。

 異変が解決した日とはまるで思えない程の馬鹿馬鹿しい騒々しさに、横島、妹紅、輝夜の頬が緩む。

 三人が抱く問題が解決したわけではないけれど、それでも一区切りがついたのは確かだ。今はただ、この時を楽しんでいてもいいだろう。

 

 これも、異変解決の宴というわけだ。

 

「横島、私にヌカロクが何かを教えてくれ」

「任せろっ!!」

「何で服を脱ぐっ!!?」

「よーし、ヤっちゃえ横島さーん!!」

 

 こうして夜は更けていく。この宴という名の騒ぎは、三人が慧音に頭突きを食らうまで続いたのだった。

 

 

 

 

 

 

第三十六話

『ありがとう』

~了~




お疲れ様でした。

輝夜の「訳分かんない内に~」は私の代弁であったりなかったり。
どうも上手く言葉に出来なかったんですよね……。

それはともかく、一連の展開で妹紅が横島の恋人になりました。
これから先、横島の恋人の数が増えていくことになります。酷く今更ですが、こういった展開が嫌いな方には申し訳ない。

輝夜にも大きめのフラグが立っています。恋人になるにはまだまだですが、そこはこれからの横島の努力次第ということで……。

次回からはどうしようかな。
天狗の三人を出すか、影狼を出すか。

それでは次回をお待ちください。

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