東方煩悩漢   作:タナボルタ

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大変お待たせいたしました。

頭の中の映像を上手く文章に出来ず、戸惑い、迷い、それでも魔術王は間違っていると人理修復を達成して。

ありがとう、レベル100! 宝具レベル5! オールスキルマ! フレンドのマーリン!
ありがとう、レベル100! 宝具レベル5! オールスキルマ! 絆礼装! フレンドのヘラクレス!

……申し訳ありませんでした。

それではまたあとがきで。


第六十四話

 

 横島の暴走も収まり、夜が明けて翌日。妹紅が朝から紅魔館を訪れていた。……と言っても皆の朝食が終わってから一時間~二時間後のことであり、それほど早い時間というわけでもないのだが。

 妹紅は中庭で優雅にくつろいでいた永琳と合流し、雑談に興じている。

 

「昨夜遅くに、突然横島君に会いたくなった……ねえ」

「そうなんだよ。何か、自分でも驚くくらい横島のことが頭の中でぐるぐる回ってさ。それで、こう……なんだ。妙に目が冴えて全然眠れなくて……」

 

 昨夜自身の身に起こった不可解な衝動を永琳に話し、何かの病気ではないのかと不安がる妹紅。永琳からすれば「付き合い始めなんだし、ただ単にイチャつきたくなっただけなんじゃないの?」という感想に尽きるのだが、実は真相は異なっている。

 妹紅が横島に急に会いたくなった時間は横島が煩悩の昂りを抑えきれなくなっていた時間と一致しており、妹紅が横島に会いたくなったのは逆説的に言えば()()()()()()()()()()()、と言える。経路(パス)が繋がっている二人だからこその現象と言えるだろう。

 ちなみに今も横島は目を覚ましておらず、深い眠りについている。それを知った妹紅は「そうか……」と静かに落ち込み、そわそわと身体を揺らしたりし、永琳から生温かい視線を頂戴していた。

 

「あれ、妹紅だ!」

「いらっしゃいませ、妹紅さん」

 

 と、そこに現れたのは日傘を差したフランを肩車している美鈴。フランは元気よく妹紅に手を振り、そのせいで少々日差しを浴びてしまったのか、羽や手から煙が上がる。自分の肩の上でフランが灰になりかけているなど、美鈴としては堪ったものではない。何とかフランを落ち着け、美鈴はフラン共々妹紅達と同じ席に着く。

 どうでもいいが、今日の美鈴の仕事はお昼からだ。

 

「いやー、何かこうして私達三人が揃うのは随分と久しぶりな気がしますね」

「本当だねー。実際はほんの数日なのにね」

 

 横島の恋人達三人が揃った。こうなると話題はもう一つしかない。今も眠る横島についてだ。

 

「そういえば何で横島は寝込んでるんだっけ?」

「えっとね、食べ過ぎと飲み過ぎかな?」

 

 妹紅の疑問に答えるのはある意味当事者の一人であるフランだ。肉に対するトラウマを解消するためにミスティアの屋台に行き、そこでちゃんとトラウマを払拭したのだが、そのせいで食べ過ぎてしまい、体調を崩したのだ、と。

 実際には精の付く物ばかりごちそうになったから煩悩が滾りに滾り、その後レミリアに失神するまで血を吸われたせいなのであるが……それを知るのはレミリアから事情を聞いた永琳のみである。

 流石の永琳も空気を読み、真実を話さない。幽香は怒ると怖いが心優しい少女であり、彼女の実力やいじめっ子気質なところから誤解されることが多い。そのことを知っていたため、これ以上彼女のイメージを低下させないためにも秘密にしているのだ。

 何よりも今回は幽香のうっかりが引き起こしたこと。永琳はうっかりには寛容なのだ。だって自分もうっかりさんだから。

 

「……そっか。肉、食えるようになったのか」

 

 フランから話を聞き、ほっと安堵の息を吐く妹紅。それを見る皆の目は微妙ににやついている。

 

「な、何だよその目は……?」

「いえ、別に。ただ、随分と愛されてるなぁ……と、ね」

 

 その永琳の言葉に、妹紅の頬が朱に染まる。

 手段や行動の是非はともかくとして、横島は一刻も早くトラウマを解消したかったのだ。本人は肉を食いたいからなどと言っているが、それが誰のためなのかは明白である。こうして皆の視線がにやついてしまうのも仕方がないことなのだ。

 

「やふー、妹紅。こっちに来てたんだ」

「お邪魔するわね」

「ん……? 輝夜に、パチュリー? 珍しい組み合わせだな」

 

 皆にいじられる羽目に陥りそうな妹紅であったが、それを助けるかのように新たな客がやってくる。輝夜とパチュリーだ。

 この二人、意外なことに読書仲間なのである。……といっても、輝夜が読むのはもっぱら漫画であり、パチュリーはそんな彼女からオススメを貸してもらうだけなのだが。どちらも引きこもっている時期が長いせいか、少々オタク気質なところがあるようで、それが仲良くなる切っ掛けだったのだろう。

 

 さて、ここでこの二人が混ざることにより、話は妙な方向へと進み始めることになる。

 何せパチュリーは横島を苛めて涙目にすることが好きなのであるし、輝夜は輝夜で横島を弄ることに楽しみを見出している人物である。

 横島の涙目、何かに追い詰められた表情、ビクビクオドオドと震える姿……そんな横島の魅力について話し始めたのだ。正直どうかと思う。

 この二人の話についてこれるのは永琳しかいない。妹紅は「駄目だこいつら……」とドン引きし、フランは頭に疑問符を浮かべつつも「そういうのはいけないと思う」と三人を窘め、美鈴は涙目の横島を想像し、「……可愛いかも」とちょっと洗脳されかけている。

 何とも不憫なことであるが、横島には愛のある弄りであると納得をしてもらうほかない。事実、輝夜もパチュリーも横島に好意を抱いているのだ。それが恋愛的な意味か、それとも親愛的な意味かはまた話が別であるが。

 

「それにしても、横島さんって色んな意味で愛されてるのねー」

「あー、うん。お前がそれを言うのか」

 

 自分の恋人を弄って楽しむ奴にそういうことを言われたくないのか、輝夜の言葉に対する妹紅の声は少々固かった。輝夜はごめんごめんと手をパタパタと振るが、ここでふと思いついた疑問を口にする。

 

「愛されてるといえば……横島さんは、みんなのどういうところを好きになったんだろうね?」

 

 その疑問に、周囲は口を閉ざす。確かに気になるところである。横島は皆を「可愛い」と評し、真摯な好意と愛情を示してくれるが、一体どのようなところが彼の琴線に触れたのか、興味が湧いて来る。

 

「……まあ、美鈴はそのプロポーションかしらね。よく朝の鍛錬で薄着でくっついてたって聞くし、横島ならイチコロでしょ」

「おおう……!!」

 

 パチュリーの言葉に美鈴は顔を両手で覆って恥ずかしがる。非常に今更な話であるが、彼女も立派な乙女。そういうことをしていたという事実は彼女の羞恥心にそれなりの傷を付けていたのだ。

 妹紅は美鈴の胸を見た後、自分の胸に目を落とす。彼女とは比べ物にならない。ちゃんと膨らみはある。あるのだが……その差は、あまりにも大き過ぎた。深い深い溜め息が自然と出てしまう。

 フランは「やっぱりおっきいおっぱいが好きなんだー」と自分の胸をふにふにと揉んでいる。彼女は妹であるが、既に姉のレミリアよりも胸が大きい。将来性は中々のものであると言えよう。

 

「妹紅は……何だろうね。親しみやすさ? 横島さんと最初に仲良くなってたし、性格の相性が良かったとか?」

「むぅ……確かに初めての相手だったかもしれないけど……」

「もこたんのエッチ」

「何が!? あともこたんは止めろ!!」

 

 少々誤解を招きそうな発言をする輝夜に妹紅の容赦のないツッコミが入る。そしてじゃれあいの始まりだ。

 

「美鈴、妹紅ときて妹様だけど……何でかしら? 健気さに惹かれたとか……?」

「えーっと……何でだろうね?」

 

 パチュリーの言葉に、皆の視線がフランへと集まる。フランはそれに気後れし、あまり気の聞いた言葉を返せない。そもそも横島も妹紅を始めとする三人のどこに惹かれたのか、曖昧な言葉でしか語っていない。直接聞いたフランでさえ「しっかりとした理由が出てこない」と言われているのだ。

 暫くの間あーでもないこーでもないと話し合う五人。横島の恋人である三人も気分を害した様子もなく、むしろ積極的に自分の推測を語っていく。「自分達が可愛いからじゃないか」という自画自賛気味な推測も飛び出す。

 しかし、結局推測は推測。真実ではなく、ちゃんとした理由を知っているのは横島ただ一人だけなのだ。いや、横島自身も理由を分かっていないそうなので、真実を知る者は誰一人としていないという状態なのであるが……輝夜は一人だけ会話に参加せず、静かに事の推移を観察していた永琳に話を振る。

 

「……永琳は何か心当たりとかある?」

「……そうねぇ」

 

 ここで、ようやく永琳は会話の輪に入る。しかし、その表情は真剣そのものであり、他の皆とは明確な温度差が生じていた。

 

「本来なら私が話すようなことでもないんだけど……横島君も自覚していないようだしね。話しても良いのだけれど」

「分かるのか?」

 

 横島が妹紅達に惹かれた理由を知っているらしい永琳の口ぶりに期待が高まる。だが……。

 

「ただし」

「……ただし?」

「……あまり、()()()()()()()()()()()かもしれないわよ?」

「え……?」

 

 その言葉に、ドキリとさせられる。そこまで深刻な内容だというのだろうか。まず第一に、と永琳は人差し指を立て、横島の真実を語り始める。

 

「横島君はね。……はっきりと言ってしまえば、()()()()()()()のよ」

「え――――」

「と言っても、本当に誰でも良いわけではなくてね、()()()()()()今の横島君には明確な理由が存在しているわ」

「ええ……?」

 

 何とも紛らわしい言い方をするものだ。美鈴などあからさまにほっと息を吐いている。横島からの愛情を感じてはいるが、それでも誰でも良かったと言われるのは辛いものがある。では彼の明確な理由とは、一体どのようなものなのか。

 

「そうね……それじゃ、フランちゃんから話していきましょうか」

「私から?」

「そう。そもそも、横島君はフランちゃんに対してお兄さんとして接してきてた。()()()()()()()を見せるでもなく、普通に年上のお兄さんとしてフランちゃんの傍にいた」

 

 永琳はこれまでの横島とフランのやり取りを思い浮かべながらそう語る。皆も、フランもその言葉に頷く。永琳の言葉は正しい。だからこそ、横島がフランに惹かれていることが分かった時は皆が驚いたのだ。

 では横島がフランに惹かれた理由とは一体何なのだろうか。

 

「――――フランちゃんが、横島君を本気で好きになったから」

「え……?」

「それが、理由の一つよ」

 

 フランが横島を好きになったからこそ、横島はフランを好きになったのだという。

 永琳の声に迷いはなく、完全に確信を得ているような断定具合だ。理由の一つと言うぐらいだから他にも何かしらの理由があるのだろうが、まず、一つ目からして理解が難解なものである。

 

「フランちゃんみたいな可愛い子に、あれほど慕われたらね。横島君にもかなりの葛藤があったけれど……それでも尚、貴女と共に在りたいという気持ちがそれを上回ったの。だから受け入れた。自らの身を……命を懸けても仇を討とうとする、貴女の愛に応えたのよ」

「う……」

 

 フランとしてはあまりほじくり返されたくない出来事ではあるが、それが現在に至る切っ掛けの一つとなっているというのなら、それも甘んじよう。

 文字通りの命がけの愛――――これが、横島がフランに惹かれた理由の一つであるのだ。

 

「それじゃあ次は美鈴ね」

「妹紅は最後のお楽しみかー。それにしても美鈴に身体以外で惹かれるところって何だろうね? 顔?」

「さっきから微妙に私への当たりが強くないですか……!?」

「まあその豊満な身体による誘惑も理由の一つだけれどね。やりたい盛りの男の子にあんなことしたら……ね?」

「いやあああああ!? まるで私がいたいけな少年を堕落させる悪女みたいじゃないですかー!!?」

 

 やっていたことはそれに近いような気がするが、今は置いておこう。

 横島が美鈴に惹かれていく切っ掛けとなったもの。それは毎朝欠かさず修行を続けている太極拳――――拳法だ。

 

「え、あれがですか?」

「ええ。それが貴女と横島君の始まりだもの」

 

 始めはただ気を紛らわせるためだった。次にはちっぽけな“自己”を保つためだった。美鈴の優しさから勧められたものであったが、次第に実力が付き、美鈴と時を過ごしていく内に、その認識は変わっていくことになる。

 ――――期待に応えたくなったのだ。何事にも自信が持てず、自分を信用することさえも出来なかった己を、美鈴は褒めてくれた。認めてくれた。

 それは、卑屈な横島に強烈な“鍛錬の意義”を与えてくれた。美鈴に褒められたい、美鈴に認められたい、それが、今の横島の原動力である。

 

「同じことは魂魄妖夢にも言えるけど……そこは、アプローチの差が物を言っているのかしらね?」

「はうぅっ!?」

 

 オチをつけるのも忘れない永琳の勤勉さには頭が下がる思いだ。美鈴のアプローチも、こうして実を結んでいるのだから、その努力は報われるべきである。

 

「さて、それじゃあ最後に妹紅だけど……」

「う、うん……!!」

 

 ごくり、と生唾を飲み込み、妹紅はずいと身を乗り出す。彼女が浮かべる表情は散々焦らされたせいか不安が浮かんでおり、それに加えて他の二人の話を聞いたせいか、頬を赤く染めてやや興奮状態といったところだ。相反する感情を同時に表出させているが、こうした精神状態は人間でもそう珍しいものではない。

 例えば告白前の状態。例えばギャンブルをしている時の状態。期待と不安、興奮と焦燥が入り混じる感覚は、えも言われぬ精神状態を作り出す。

 そんな妹紅の顔を見る永琳は紅茶を一口飲み、ゆっくりと息を吐く。タメを作って相手を焦らすのは永琳の得意技である。しかし、その隣を見ればこちらは期待に目を輝かせる輝夜の姿が。永琳は話を進めることにした。

 

「妹紅は友人関係から始まったのよね。話し、語らい、そうして日々を過ごしていって、徐々にお互いのことを理解していった」

「ふんふん」

「お互いの認識のズレもあったみたいだけれど……口紅を贈られてからが、転換期かしらね?」

「あああああああああ……!!!」

 

 口紅の話題を出された瞬間、妹紅が顔を両手で覆って悶絶する。思えば人前でかなり恥ずかしいことをしていたように思える。

 バーベキューの時には周囲のことなんて目に入らず、知らずに桃色な雰囲気を放っていたり、時計塔ではやはり周囲のことなんかこれっぽっちも気にせずに、大胆にも自分から唇を重ねた。

 横島と出会い、初めて恋を知った彼女には、やはり恥ずかし過ぎる思い出である。もちろん、その分、大切な思い出とも言えるわけだが。

 

「そして、貴女の想いを決定付けたのは図書館でのことね。横島君は、貴女が思っていた以上に貴女のことを理解していた。余人からは歪んでいると断じられてしまう貴女の価値観を、彼は許容し、そして受け入れていた」

「……」

 

 妹紅は未だ顔の大部分を隠しているが、それでも目を出し、永琳を見つめている。その様子は輝夜がちょっと興奮するくらいには愛らしかった。

 

「……貴女は毎日を懸命に生きているわ。他の誰よりも、ずっと楽しげに、感動し、感謝して、生と死の境界を往復して――――他の誰よりも、他の何よりも……()()()()()()()()

「……」

「横島君は、それに気付いたから貴女に惹かれたのね。その姿に、その心に魅せられて……」

「……そんな大層なもんじゃないと思うんだけど……」

 

 今まで頬を赤くし、照れていた妹紅が戸惑ったような声を上げる。それは確かに横島にも(直接ではないが)言われたことだ。しかし、そういったものが本当に誰かを惹きつけるのか、妹紅には自信がない。何せ自分でも歪んでいると思っているのだ。そんな歪んだ己が、彼を魅せることが出来るのか――――?

 

 ――――出来る、と永琳は言う。しかし、だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()。しかし、それは横島のトラウマであり、決して軽々しく口にする事は出来ない聖域だ。流石の永琳もそこまではしない。

 だから、今ここで永琳が語るのは他の理由。フランと少々被ってしまうが、己の命を懸けるほどの愛を示す行動だ。

 

「貴女は自らの生き肝を横島君に食べさせ、彼を蓬莱人にした。()()()()()()()()()()()()

「え……?」

 

 それが昨日までの横島のトラウマならば、妹紅にとっては未だ残る傷跡。永遠を望んでいなかった男から死を奪い、永遠に縛り付けた行いだ。それがトドメになったとは、それが意味することはつまり――――。

 

「言っておくけど、諦観とかから来る感情じゃないからね? 貴女ならそれを理解しているでしょうに」

「……言われてみればそうだった」

 

 そう。横島と妹紅は経路(パス)が繋がっている。そういった感情を持っていれば、多少なりともそれが妹紅にも伝わってしまうはずなのだ。

 では、何故なのか。それは、()()()()()()()()

 

「自分の身を裂くことも厭わず、ただ死んでほしくないから、生きていてほしいから……共に在りたいから。そのために貴女は横島君を蓬莱人にした。――――それこそ、彼の心を裏切ってまでね」

「それは――――!」

 

 永琳の物言いにフランが反感を覚えるが、真剣な眼差しに射抜かれ、何も言い出せず、結局は口を噤んでしまう。それでもその瞳は永琳を睨んでいるが、あまり役に立っているとは言い難い。

 確かに永琳の言葉は妹紅の心を抉っているが、重要なのはそこではない。これからなのだ。

 

「――――それほどまでに、自分は愛されてると知った。()()()()()()()()()()()()

「え……?」

 

 それは、妹紅には理解することが出来なかった。

 

「彼はコンプレックスの塊。自信家に見えて自己評価は恐ろしく低い。……よほど()()()()()()に飢えていたのでしょうね。妹紅の行動は――――横島君の心を、強烈に揺り動かした」

「……」

 

 蓬莱人になったことにより、横島はいくつもの可能性、未来を奪われた。しかし、だとしても、横島は妹紅を愛しく思った。愛しているのだ。

 蓬莱人である妹紅は死ぬことはない。身を裂かれても、病を得ても、決して死ぬことはない。故に、孤独となってしまう存在だ。人と交わることは出来ず、人と関わることも出来ず、やがて、()()()()()()()()()()()()

 命を繋ぎ止める為とはいえ、永遠の孤独を生きる彼女が、唯一、死なせたくないと、共に在り続けたいと願った。願ってしまった。

 そんな彼女の想い(わがまま)を――――横島は、心の底から嬉しく思った。

 

「――――貴女達は、それまでの横島君の在り方を変えた存在なの」

 

 永琳はフランを、美鈴を、妹紅を見やる。その視線に込められた思いは、感謝と期待だ。

 

「フランは横島君の感性を変え、庇護の対象から恋愛の対象へ」

 

 それは横島の今までの価値観では絶対に在り得なかったこと。フランは自らの命をも懸けた愛を以って、横島の愛を勝ち取った。

 

「美鈴は痛いのも苦しいのも嫌いで、努力をするのが大嫌いな横島君の思想を変えた」

 

 自らを褒め、期待を寄せてくれた。愛を以って指導し、横島の愛を手に入れた。

 

「そして妹紅。永遠を厭う横島君が、永遠を生きる決断をした。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 定命の者が、望まぬ永遠を手にする。それは呪いと呼べるものだろう。だが、横島はそれを受け入れた。呪われることを良しとしたのだ。それほどまでに――――愛されていると知ったから。限りある命の尊さを知る彼女を、愛したのだ。

 

「貴女達の愛が横島君を変えたのよ。だから、貴女達は横島君に愛されてるの。貴女達の想いは、確かに彼の心に響いた」

「……」

 

 目を見開いて互いの顔を見合わせる妹紅達を見ながら、永琳は紅茶を飲み、喉を潤す。

 ――――()()()()()()()()()()()()。しかし、注意はしておくべきだろう。

 

「……でも、今のままでいては駄目よ」

「え?」

「確かに貴女達の想いは横島君に届いたわ。――――でも、彼の心には、大きな(ひず)みが存在している。それこそ()()()()()()()()()()()()()程の歪みが、ね」

「……!!」

 

 それは、()()()()()()によって生まれた歪み。彼女達の想いは、期待は、愛は――――()()のことを思い起こさせる。

 妖怪、吸血鬼、蓬莱人――――永遠を生きる者達。()()の対極である彼女達。

 

「横島君は強い……でもね、強いからと言って、決して傷つかないわけではないの。例え芯が丈夫でも、それを支える土台が崩れては意味がないわ」

「……」

「……だからこそ、貴女達には横島君を支えてほしいの。もし()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、貴女達が寄り添い、支えてくれていたら――――横島君は、崩れ落ちずに済むかもしれないから」

 

 永琳が彼女達に望み、期待すること。それが横島を支えることだ。それは他の誰にも出来ぬ、彼の恋人達だからこそ出来ること。()()()()()()()()()()()と言われた彼女達だからこそ出来ることだ。

 

「こんなことを私が言うのは本当におかしいのだけど――――横島君を、お願いね」

 

 微笑みを浮かべ、横島のことを三人に託す永琳。そんな彼女の姿は、どこか母親を思わせるような、そんな慈愛に満ちていた。だから、三人は永琳を真っ直ぐに見つめ――――

 

「――――はいっ!」

 

 ――――と、心から応えた。永琳はそれに満足そうに頷いている。全てを話すことは出来ないが、それでも今話せることは話すことが出来た。

 彼女達の幸せな時が、永く永く、永遠に続くようにと願わずにはいられない。そんな永琳の隣から、疑問の声が上がる。

 

「ふむー、みんな凄いのねー。……でも、“本気で愛されたから”っていうのが理由の一つなら、これからも横島さんが誰かを新しく受け入れることもあったりするのかしら?」

 

 その疑問は輝夜が出したものであり、またこの場の誰もが気になるものでもあった。皆の視線が永琳に集まる。永琳はその視線を全て受け止め、一つ息を吐くと。

 

「……まあ、ありえるわね。最初に言ったでしょう? ()()()()()()()って」

「……ああ、なるほどね。つまり――――」

 

 永琳の言葉にパチュリーが得心が行ったとばかりに手を鳴らす。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「そうね、それこそてゐや妖精もその範疇に入るでしょう。誰かに愛されるということは、それだけで横島君が誰かを愛する理由になる……節操がないと言えるけど、それでも彼はみんなを強く深く、平等に愛するでしょう。()()()()()()()()

 

 その言葉は、確かな説得力を持って皆に届いた。横島ならば、という謎の説得力があったのである。

 本気で愛するならば誰でも受け入れる……そのことを知ったフランは、一人の少女を思い浮かべる。それは、自分にとってレミリア以外のもう一人の“お姉ちゃん”――――小悪魔だ。

 

 ――――小悪魔お姉ちゃんも、ただお兄様と……。

 

 かつて二人で共謀し、横島に“長生き”してもらおうと考えていた。それは横島が蓬莱人になったことによってある意味で叶えられたわけだが……同時に、二人の心に深い影を落とした事柄でもあった。

 思い違いも甚だしいが、自分達がそんなことを考えたから横島があのような目に遭ったのではないか、と。自分はすぐに暗い闇から大好きなお姉様とお兄様が引き上げてくれた。……では、お姉ちゃんは?

 小悪魔はばつが悪いのか、横島とあまり顔を合わそうとしない。『男』が倒れた後、横島が妹紅と恋人関係になった時のこと。小悪魔は妹紅がハーレム容認派と知り、てゐと共に喜んでいたと後にフランは聞いた。その時には今のように横島を避ける兆候はなかったのだ。その後に、何かがあったのだろうか?

 

「――――お姉ちゃん……」

 

 紅魔館を見つめながらのその呟きは誰にも聞かれぬまま、風と共に解けて消えた。小悪魔が再び横島を挟んでフランと共に笑い合える日は、来るのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

第六十四話

『初めて会った、あの日から』

 

 

 

 

 

 

 

「はー、やれやれ。こっちは忙しいっていうのに、美鈴は優雅にお茶なんかして」

 

 紅魔館の数少ない窓から中庭を見やり、鈴仙が溜め息と共に言葉を吐き出す。現在鈴仙は三階の廊下の掃除中。ヒラヒラのメイド服に身を包み、掃除道具を両手に持って佇むその姿はもはや立派なメイドさんだ。

 中庭で仲睦まじくお茶をする彼女達の姿には嫉妬を抱かずにはいられない。それと理不尽な怒りもだ。要は「私だってみんなとお茶がしたい」ということである。

 鈴仙は紅魔館のメイドになったわけではない。なので自分から混ざりに行っても何も問題はないのだが、根が真面目な鈴仙は紅魔館に住まわせてもらっている礼として、お手伝いをすると言った。だからその手前、こうした掃除などを放棄して遊び呆けるのはどうも落ち着かない。彼女も立派にワーカーホリックの気があるようだ。

 

「……美鈴に妹紅、それにフラン……。それに姫様とパチュリーか。師匠を除けば、横島さんとかなり親密なメンバーよね」

 

 何せその五人の内三人は恋人であり、一人は難題をクリアしたお婿さん候補、お姫様抱っこをする仲である。鈴仙の師匠である永琳も横島には何やら特別な思いを持っている様子。鈴仙としては横島の意外なモテっぷりには驚きを隠せない。

 

「横島さんといえば……またぞろ無茶をやらかしたみたいね」

 

 横島が行った無茶なこと――――言うまでもなく肉に対するトラウマの克服である。

 鈴仙から見て、彼の肉に対するトラウマは決して軽いものではなかった。それも当然だろう。いくら意識がなかったとはいえ、彼が食した肉は“蓬莱人の生き肝”。簡単に言えば人肉であり、後の恋人の内臓だ。むしろトラウマにならないほうがおかしい。肉を見るのも触るのも、彼に相当なストレスを与えていたはずだ。

 

 だというのに――――。

 

「……それでも真っ向から向かっていって、また食べられるようになったんだもんね。食べ過ぎで寝込むなんてオチがついちゃってるけど――――それが出来たのは、妹紅のことが本当に大切だから、か」

 

 寝込んだ真実は伝わっていない様だが、それでも無茶の理由は同じである。それほどまでに誰かに思われる妹紅のことを、鈴仙は少々羨ましく思う。今まで、それほどまでに自分を愛してくれた者はいただろうか。

 

「……あ。でも横島さんなら私相手でもそのくらいはして――――」

 

 頭にすっと浮かび上がるのは、横島の顔。その情けない、締まりのない、でも優しい彼の笑顔。

 

「――――いけないいけない、何を考えてるのよ私は」

 

 しかし、鈴仙は頭に浮かんだ映像を振り払う。自分は彼と恋人同士ではない。ましてや自らの名前を呼ばせることすらしていないのだ。確かに横島のことを好ましく思う気持ちもあるが――――それが恋愛感情かどうかは、分からない。

 

「……でも、やっぱり凄いよね。横島さんは……」

 

 ぽつり、と。憂いを言葉に乗せ、小さく呟く。

 トラウマと向き合う……それが、今の彼女に出来ているかと言えば、判断は難しいところである。

 鈴仙は臆病だ。戦争が起きると聞き、その真偽も確かめず仲間を見捨てて地上へと逃げ出したのだ。月の使者――――綿月姉妹から期待を向けられるほどの戦闘能力がありながら、心が伴わなかったのである。

 それゆえか、鈴仙は自らの能力を用い、平常時と戦闘時の性格を変更することにした。自らの高い戦闘能力を遺憾なく発揮出来るように、挑発的で、好戦的で、高圧的なものに。しかしその弊害か、心に掛かる負担が強いのか、ストレスが耳に表れ、すぐにしおしおと萎れるようになってしまう。戦えるようになるだけマシではあるのだろうが、それでも辛いものは辛い。

 しかし――――しかし、だ。それは、トラウマと向き合っていると言えるのだろうか。鈴仙は、近頃そう考えるようになった。

 確かに対処は出来たと言える。能力は遺憾なく発揮出来る。だが……疑問は尽きない。

 人は多くの仮面(ペルソナ)を持つ。それぞれその場に見合った仮面を付け、対応を決める。だが、鈴仙はそうではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それは――――やはり、逃げているのではないだろうか。

 

「……あれだけ美鈴を焚きつけておいて情けない。思えばあの時も狂気に頼ってたのよねー。私に必要なのは狂気じゃなくて、勇気ってことかなー……」

 

 思わず深い溜め息が出てしまう。今更な話ではあるが、告白の手助けをするのに狂気に陥らせてどうするんだと今は思う。上手くいったので結果オーライではあるが、これで失敗していれば目も当てられない。

 ふと、自らの手指が視界に入る。綺麗に手入れがされたそれは、日々の弛まぬ努力のお陰かとても美しく整えられている。横島からの贈り物の効果もあり、その可憐さは以前よりも上を行っている。輝夜にも勝るとも劣らない……かもしれない可能性を秘めているような気がしないでもないと思い込みたい、自慢の手指だ。

 

「……昔は、肉刺もいっぱいあったんだけどねー。ま、やっぱり綺麗な手の方が好きなわけだけど」

 

 昔のことを思い出すのも、随分と軽く行えるようになっている。逃げ出した当初等は月のことを考えるだけで胃の中の物を吐き出しそうになったものだが……長い年月が、彼女の心を多少なりとも癒してくれたのだろう。

 

「……少しは、向き合えてるといいんだけどね。意識しだしたのは最近だし、いきなり横島さんのようにっていうのも無理かな。……こんなんだから私はまったくもう」

 

 ()()()()()のことを思い出し、溜め息を吐きつつも中庭のお茶会を眺める。何事かを話し、時には何やら呻き声が聞こえてくる。……主に妹紅の。話題はやはり横島なのかな、などと考えつつ、ここで腐っていても仕方がないと仕事に戻ろうとした鈴仙であったが、とある一団を目にし、動きを止めた。

 

「……あれ? あの人達って――――」

 

 彼女の視界に入ったのは門番をしていたはずの二号。そしてその後ろをついてくる、幻想郷における数々の派閥のトップ達。

 

「……え、何あれ。何の用なの……?」

 

 その疑問に答える者は、とりあえず鈴仙の近くにはいなかった。

 

 

 

 

「――――んあ?」

 

 深い闇に沈んでいた意識が覚醒する。確か昨夜は何故か煩悩が高まりに高まって――――そこからが思い出せない。目を覚ました横島は少々ふらつく頭を振って無理矢理眠気を追い出す。はて、自分は何故自室にいるのか、何時ベッドで寝たのか……昨夜のことはよく思い出せない。

 それでも横島には確かな確信がある。昨夜の自分は大変危険な状態であった。そして、そんな状態の自分を救ってくれた人がいる。そしてそれこそが――――レミリアお嬢様だ、と。

 横島は自分でも何故そう思うのかが分からない。分からないが……そうだ、という確信だけは抱いていた。それによって横島の胸に、確かな感情が宿る。

 その感情こそ、レミリアに対する崇拝にも近い心。もはや敬愛や尊敬のレベルを超えた何かになりつつあるようで、このままいけば崇拝どころか信仰心まで抱きそうなほどである。

 日本人は昔から化け物や妖怪といった存在を崇め奉り、逆に神として祀ることが多い。代表されるのは狐や狸といったところだが、レミリアという吸血鬼に神格が与えられる可能性が顕れた。長い時間は掛かるだろうが……横島は永遠を生きる存在である。

 

「……何かよく分からんが、お嬢様に助けられた気がする……。でも、同時に何か顔を合わせ辛いような……?」

 

 記憶ははっきりしなくとも、何か後ろめたいことをしてしまったことだけは覚えているらしい。横島は気分を変えるためにも、寝起きの頭をはっきりさせるためにも、とにかく部屋から出ることにした。

 

「つーか今何時だ? 時計は……げ」

 

 時計を見れば昼はとうに過ぎ、窓から外を見やれば陽が傾き始めている。随分と長い時間眠っていたらしい。横島は少しの間絶句してしまったが、それも収まり、折角なのでこの時間帯に楽しめる場所に行くことに決めた。

 ある意味この紅魔館でも一番思い出深く、印象的であり、お気に入りの場所――――時計塔の文字盤前だ。

 

 

 

 

「ふいー、何か誰にも会わなかったな。珍しいこともあるもんだ」

 

 文字盤の前に腰を下ろし、一息つく。上手い具合に仕事の切れ間に廊下を通ったらしく、喧騒は聞こえても人に会うことはなかった。本当ならレミリアの元に向かうのが良いのだろうが、やはり何となく顔を合わせ辛かったのでこちらを優先したのだ。

 眼前に広がるのは地平線に沈み行く真っ赤な太陽。その光は横島の目を優しく焼いていくが、それでも横島は目を細め、じっと夕焼けを見つめている。

 

「昔は太陽が地面に沈んでいってると思ってたんだよなー」

 

 誰に言うともなしに独り言を呟く。季節は秋も終わりが近付き、そろそろ本格的に冬が到来しそうである。今も全身に感じる風は冷たくなってきている。冷たい、と言えば。

 

「チルノ……どんどん冷気が強くなっていってんな。やっぱり季節が秋から冬に変わるからか?」

 

 思い浮かぶのは昨日もいっしょにいた妖精、チルノのこと。彼女が放つ冷気は強力になっていき、昨日の夜の時点でかなりのものだった。横島は自らの霊波でチルノを包むことで冷気の噴出を避けていたが……これ以上強くなれば、それも出来なくなるかもしれない。

 

「そーいや肌も黒くなってきてるんだよな。褐色……日焼け……いいなぁ、ぐふふ」

 

 頭に浮かべるのはグラマラスに成長したチルノが健康的に日焼けした肌を惜しげもなく披露してくれる場面。本気の想いであればフランのような幼く見える少女にも応えるようになった横島であるが、それでも基本的な女性の好みは変わっていないらしく、最も煩悩を刺激するのはやはりチチシリフトモモが成熟したお姉さんタイプであるようだ。

 

「……はぁ。寝込んでるはずのお前がこんなとこにいるから何してるのかと思ったが、また妙な妄想をしてるんだな」

「うぇっ!?」

 

 突然横合いから掛けられた声に、横島は驚いて思い切り身体を跳ねさせる。その方向を見れば、そこにはその顔に呆れを浮かべた妹紅がいた。

 

「も、妹紅!? いつからそこに……!?」

「褐色、日焼け、の部分からだな。……隣、座っていい?」

「お、おう。もちろん」

「ん」

 

 横島の了解を取った妹紅は横島のすぐ隣に腰を下ろす。肩が触れ合う距離……というより、妹紅が横島の腕を自らの肩に回し、すっぽりとその中へと収まった。横島は彼女の大胆な行動に面食らったが、なに、二人は恋人同士。横島は少々鼻息を荒くしつつも妹紅の肩を優しく抱き、より自分へと密着させる。妹紅もそれを望んでいたようで、その表情には穏やかながらも花のような笑顔が咲いていた。

 

「……」

「……」

 

 しばらくそうやって二人で夕日を眺めていたが、妹紅は横島の顔を見上げると、おずおずと口を開く。

 

「……あの、昨日のこと」

「ん?」

「……肉、食べられるようになったって、聞いた」

「おう。食えるようになったぜ。いやー、俺も食いたい盛りだからさ。もう肉が食べたくて食べたくて。それでちょっと無理をして食ってみたら意外といけてさ、それで調子に乗って食いすぎちゃってさっきまで寝てたんだよなー!」

 

 聞かれてもいないことをぺらぺらと捲し立てる横島。その顔、その声、妙な早口。横島の真実はそうではない。妹紅もそれは分かった。よく理解出来た。やはりそれは――――妹紅(じぶん)の為なのだ、と。

 嘘が下手――――というよりはすぐばれる嘘しか吐かない、と言える横島。今回のこともそれは当てはまる。妹紅は横島の肩に頭を置き、横島の空いている手を自らの頬に持ってくる。愛おしそうにその手に頬を擦り合わせ、柔らかな温もりを堪能し。

 

「……ありがと」

 

 と、そっと呟いた。

 やがて、自然と重なり合う二つの視線。潤んだ瞳で最愛の少年を見つめる妹紅。それを受け、少々緊張しながらも真っ直ぐに愛する少女を見つめ返す横島。

 ごくり、と生唾を飲み込み、横島が動く。妹紅が頬に当てていた手で彼女の顔を上向きにし、ぐっと身を乗り出す。妹紅はそれで何をされるのかを察し、視線が少々彷徨うがそれでも最後にはまた横島を見つめなおし、やがてゆっくりと目を閉じた。それを見た横島は内心ボルテージが急上昇していくが、「ぐおおーっ!!」とは迫らない。女の子はムードとかシチュエーションなどを大事にする。それは散々身体に刻み込まれた。(病院に入院するレベルで)

 しかもこの場所は東京タワーの展望台上よりも遥かに危険な場所である。「ぐおおーっ!!」と迫ってしまえば二人とも真っ逆さまだ。だからこそ横島は落ち着いて、ゆっくりと妹紅に迫ることが出来る。

 お互いの前髪が重なり合い、鼻先が触れる。ぴくりと身を捩る妹紅に胸を高鳴らせながら、横島はそこから唇を寄せる。

 鼻孔をくすぐる妹紅の匂い。重なり合おうとする互いの唇。そんな二人のすぐ隣、興奮した様子でその光景を眺める輝夜――――。

 

「………………え?」

「………………あ、いっけない。ついつい美味しいシーンだったから」

「……ん? え? ――――えぇっ!!?」

 

 

 

 少々お待ちください――――。

 

 

 

「あああああああ゛あ゛……!!」

「その呻き声は止めなさいって」

 

 またも恥ずかしさから両手で顔を覆う妹紅。悶えるその様子は女の子らしさという言葉から遠く離れた姿である。

 

「いつからいたんすか、輝夜様……」

「えっとー……横島さんが褐色ー、日焼けー、って言ってた時からかな」

「私と同じ!?」

 

 妙な偶然もあったものだ。どうやら輝夜は妹紅とは別の場所から横島を見つけ、二人にばれないようにこっそりと様子を窺っていたらしい。その目的はラブシーンのデバガメである。

 

「また随分と悪趣味な……!」

「あはは、ごめんごめん」

 

 表面上謝ってはいるが、どうにも反省は見られない。こういうときの輝夜に何を言っても無駄なことを、妹紅は嫌というほど理解している。非常に遺憾ではあるが、妹紅は輝夜への説教を早々に諦め、ぐでっと横島の肩に背中を預ける。

 輝夜は妹紅の隣に腰掛ける。――――両手に花とはいかないようだ。

 

「……」

 

 三人を沈黙が包む。何故か、話題が出てこなかった。三人はただ静かに消えゆく夕日を眺め続ける。そこに気まずさはなく、むしろ沈黙すら心地よいと言えるほどに三人の空気は落ち着いていた。

 三人を包むもの。三人が共有しているもの。それは、“復讐”というシンパシー。それぞれが理由は違えど復讐を成し遂げ、今を生きている。その中でも一番の後輩である輝夜は、先達である二人に問い掛ける。

 

「……前にさ、復讐を終えて胸にぽっかりと穴が空いたみたいって言ったよね? 二人もそういう感覚に陥ったことはあるの? もしそうなら、その穴はどんなもので埋めたの?」

 

 今の輝夜が抱えているのは焦りである。何をしても熱が入らず、何をしても満たされない。自分を構成する何かが抜け落ち、機能不全を起こしているかのような嫌な感覚。復讐を成し遂げたことで確かに胸の痞えは取れた。大切な二人の仇を取り、今までの人生に決着を付けることが出来た。しかし……妙に、落ち着かない。

 だが、それも仕方がないと言えるだろう。何せ“あの日”から数えて千年以上もの年月を共に生きてきた感情なのだ。それが無くなった今、早急に代わりのもので心の空隙を埋めたい衝動に駆られるのも無理はない。

 

「んー……胸の穴、か」

 

 横島がぽつりと呟く。彼は気付いていない。妹紅も輝夜も、横島が何らかの復讐を終えていると気付いていることに。その復讐の根源があの夜に語っていた蛍の化身であると感付いていることに。そして、横島と蛍の化身の本当の関係を察していることに。

 

「正直な話し、そんなすぐに埋まるようなものでもないんだけどな。私だってそういう感覚は最近までずっと持ってたし」

「え、そうなの?」

「ああ」

 

 妹紅の答えは、輝夜からすれば意外の一言に尽きた。妹紅が輝夜と出逢い、()()()()()()()()()()()()()()。それだけの間、妹紅は輝夜が抱いた焦燥感と付き合い続けたのだ。

 

「お前と()()()()()で殺し合ったのは最初の一回だけ。私はそれですっきりしたからな。それからは竹林の巡回や永遠亭への案内、竹炭を作ったり売ったり、慧音と遊んだり……輝夜とのじゃれあいとか、そういうので少しずつ埋まっていった感じかな。私の場合はけっこう時間が掛かったけど、最近はそういう感覚はもう全然ないよ」

「……そうなんだー。まあ、確かに初めて会ったときの妹紅って物凄く怖かったもんね」

 

 過去を回想しながらの妹紅の言葉に輝夜は頷きを返すが、その視線は横島を向いていた。輝夜は思う。「……やっぱり男か」と。横島の存在が妹紅の心を埋めたのは間違いないだろう。よく見れば妹紅の髪は以前と比べるべくもないほどに艶やかな輝きを放ち、サラサラと風に揺られている。

 ――――好きな男の子のため。そのための努力が妹紅の今を、そしてこれからを充実したものに変えていく。それこそ、心に空隙など生じることがないほどに。

 

「うーん、羨ましい」

「何が?」

「こっちの話よ。……それで、横島さんは?」

 

 次いで横島へと話を振る。横島は顎に手をあて、既に黒く染まりつつある空を見ながら「んー」と唸り、やがて答えを見つけたのか、輝夜と、いつの間にか肩から離れ、すぐ隣に座りなおしていた妹紅へと微笑みかける。

 

「確かに俺もその感覚には覚えがありますね。でも、俺の場合は――――そんなの、考える必要はなかったんすよね」

 

 彼の微笑みは――――。

 

 

 

「だって、俺の心の穴は――――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――――二人の背筋に、どこか冷たいものを走らせた。

 

「……ど、どした?」

「……っ」

 

 気付けば、妹紅は横島に抱きついていた。横島のあの顔を見て、あの言葉を聞いて、妹紅は“そうしなければいけない”、という衝動に駆られた。

 永琳の言葉がようやく実感出来た。横島の中の歪み――――それは、確かに狂気に匹敵するほどの何かなのだということが。そしてそれは、輝夜も同様に。

 

「横島さん……」

「ふおぉっ!!? な、何事っ!!? モテ期!? モテ期が来たんかーっ!!?」

 

 妹紅が横島の身体を、輝夜が横島の頭を優しく抱き締める。何故かは分からないが……二人は、この行動を取った。自らの心がそう叫んだからだ。こうすることで癒されるかはまるで分からない。だが、それでもこうすることで何かが彼を支えると信じて。

 ――――二人は、やがて空が闇に覆われるまで横島を抱き締め続けた。

 

 

 

 

 

 それを見たのは偶然だった。

 傍にいると温かい気持ちになるお兄さんに会いたくて、館の中を散策していた。お兄さんが寝込んでいるという部屋にお見舞いに行ったとき、そこは既にもぬけの殻であり、どこかに遊びに行ったのだ、とアタイは結論付ける。

 ゲストルーム、食堂、トイレ、お風呂場、中庭、洗濯場、キッチン、パーティーホール――――色んな場所を探しても、お兄さんの姿は見つからない。ぷくり、と。不満で頬が膨らんでしまう。

 もう一度、お兄さんの部屋に戻ってみよう。そう考えて来た道を戻りはじめる。数少ない廊下の窓からは赤い陽射しが入り込み、ただでさえ赤い館の装飾を一層鮮やかな紅に染める。何気なく時間が気になり、確か時計塔があったな、と窓から外を見やる。

 

 ――――そして、それを見てしまった。

 顔を寄せ合う二人の男女。白い……銀色の髪の、火を操る女の子……妹紅と、嫌われ者の自分の傍にいてくれる、自分に触れて温もりを与えてくれる“お兄さん”――――横島の姿を。

 

 

「――――――――」

 

 

 何故か、視界が揺れた気がした。何故か、急に寒くなった気がした。アタイが――――氷精である自分(チルノ)が、寒さを感じるはずがないというのに。

 

 気付けばアタイは霧の湖の前にいた。頭の中はぐしゃぐしゃで、自分が何を考えているのかも分からない。ただ分かっていることがあるとすれば、今、アタイが寒さを感じているということぐらいだ。

 何故こんなところにいるのか。あの場から逃げ出したのだろうか。では、何故逃げ出したのだろうか。自分は何がしたくてここにいるのだろうか。自分は何かがしたいのだろうか。

 ……分からない。心の中はぐしゃぐしゃで。自分が何をしたいのか、何を考えているのかも分からない。

 

 

「――――自分が本当は何を考えているか、私がそれを引き出してあげよっか?」

 

 

 その声は、不思議と心の奥にまで響いてきた。

 

 

「……そっか。それでここまで出てきちゃったんだね」

 

 

 心の中の理解出来ないぐちゃぐちゃな感情を打ち明ける。それだけで少し楽になった気がするが、それでもやはり心は晴れない。何か、胸に大きな穴でも空いてしまったかのような気分だ。

 

 

「うんうん、大丈夫だよ。私の能力を応用すれば、あなたの()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 それが本当ならありがたいことだ。アタイが本当は何を思っているか、何を考えているか――――お兄さんへの気持ちは何なのか、分かるかもしれない。

 ああ、そうだ。お礼をしなくちゃいけない。それにはまず、相手のことを知らないと。

 

「ねえねえ、アタイはチルノ。アンタはだぁれ?」

 

 目の前の少女はにっこりとした笑みを浮かべ、アタイの額に人差し指を当ててきた。

 

 

「――――()()()()()()()()()

 

 

 え、という声も出せぬまま、アタイの目の前は真っ暗になる。でも、何故だろう。不思議と、心の穴が埋まったような気がして――――。

 

 

 

 

「……そろそろお嬢様に顔を見せんとなー。フランちゃんや美鈴にも会いたいし。部屋に居てくれてればいいんだけど」

 

 横島はレミリアの部屋を目指し、一人寂しく歩いている。妹紅と輝夜は横島と別れ、永琳の元へと向かった。横島の精神状態を聞くためである。妹紅は横島との経路を通して何かしらの感情が流れ込んできてもいいはずなのだが、何故かその兆しがない。まるで、何かがせき止めているかのようだ。

 

「あー、横島さんだー」

「大丈夫なのー?」

「おー、大丈夫大丈夫。お前らも食いすぎには気を付けろよー」

 

 妖精メイドとすれ違うのもこれで何回目だろうか。皆が自分の心配をしてくれることに、横島は快感を禁じえない。一つ皆に感謝の口付けを贈りたいような気分になる。まあそれをすると何か危ない未来が確定してしまいそうな気がするので本当にしはしないが。

 そうして廊下を進んでいると、最近いつも一緒にいる……しかし見慣れない様相になっている妖精の少女が前方に佇んでいるのを発見する。

 

「……チルノ?」

 

 自分の前方に存在する少女がチルノかどうか、横島は今一つ確信が持てなかった。服装は同じであるが、長く伸びたサラサラの髪、昨夜までとは違う、()()()()()()()。横島は「幻想郷に日焼けサロンなんてあったのか?」などというバカなことを考えているが、それを口に出すにはチルノの雰囲気がいつもと違い過ぎた。

 

「どうしたんだ、チルノ? その髪と日焼けはイメチェンか? 似合ってて良いと思うぞ。うん、可愛い可愛い」

 

 普段とはまったく違うチルノの姿に新鮮な可愛らしさを見つけ、横島は頷きながらチルノを褒める。褐色の肌になったことでより活発な印象を強調しているのだが、さらりと流れる髪がそれを真逆のお淑やかな雰囲気に変化させている。こういうチルノもいいものだ、というのが横島の感想だ。

 ただ、気になるところがあるとすれば、ずっと俯いていることと向日葵の髪留めを付けていないところか。いつも付けていてほしいというわけではないが、随分と気に入っていたようなので外していることが意外に思える。

 チルノは俯いたまま横島に近付き、横島の手を取って、そこでようやく顔を上げた。横島をまっすぐに見つめるその視線には、何らかの熱が込められているようで、不意に――――横島は、恐怖を覚えた。

 

「――――凍符『パーフェクトフリーズ』」

「――――なっ……!!?」

 

 ビキリ、と。チルノに掴まれた手から全身が凍り付いていく。それは周囲の水分を纏め上げ、横島を包む氷の牢を形成するかのように。

 

「う、ああああぁぁぁっ!!? なに、チルノッ、何を――――!!?」

「お兄さん……」

 

 氷に包まれ、また自らも凍っていく横島の頬を、チルノが両手で優しく包む。そしてゆっくりと息を吸い、氷の力を蓄えて――――チルノは、横島の唇に自らの唇を重ね合わせ、絶対零度の呼気を吹き入れた。

 

「……っっっ――――!!? ……――――――――――――」

 

 ()()()()()()()()()()()()()、横島は氷の彫像と化した。横島を包む牢もついに完成を見せ、それは、一つの芸術作品のようにも見える。

 

「……あ、ははははは。あははははははははははは。――――あははははははははははははははははははははっ!!!」

 

 哄笑が響き渡る。アタイから吐き出される凍気は廊下を凍りつかせ、容易く壁を破壊する。深く、暗い闇が支配する幻想郷の空を、アタイは()()()()()を抱えて空に舞う。

 

 

 

 やっと。そう、やっとだ。ついに目覚めた。アタイはついに表に出ることが出来た。この気持ちを我慢せず、抑え付けず、あるがまま、思うままに表現する。

 アタイは氷像のお兄さんに頬を擦り付ける。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ずっと焦がれていた、あの温もりが。

 

 そうだ。アタイは、(アタイ)は――――。

 

 

 

 

 ――――幻想郷(アタイ)は、あの日からお兄さんに恋していたのだ。

 

 

 

 

 

 

第六十四話

『初めて会った、あの日から』

~了~

 

 




さあ、始まるザマスよ(超展開が)
行くでガンス(超展開へと向かって)
ふんがー(超展開への気合の咆哮)
まともに始めなさいよ!(普通の展開を望む声)

……はい。煩悩漢におけるチルノの正体は次回に明かされます。

次回はちょっと時間が巻き戻って各派閥のトップ達によるお茶会と小悪魔とてゐの話し合いも含まれます。

ロングチルノ可愛い。日焼けしたチルノ可愛い。じゃあ混ぜてみよう……そうして出来たのが最後に出てきたチルノです。
ちなみにですが、今回出てきたパーフェクトフリーズという名のデスキッスの元ネタはぬ~べ~のゆきめさんです。

次回はもっと早く更新しないと……。

それではまた次回。

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