今回はとある人物が活躍します―。
もうちょっとだけでも更新ペース速めたいなぁ。
それではまたあとがきで。
頬に走る違和感に意識が覚醒へと向かう。
優しさと温もりと、少しの痛み。頬を摘ままれている。
「ん……」
薄っすらと眼を開ければ、目の前には少し意地悪そうに微笑んでいる少女の顔。
緩やかにウェーブが掛かった金の髪に、翡翠のように綺麗な瞳。髪から覗く尖った耳。
僕を助けてくれた、女の子。
「……おはよう、ございます。パルスィさん」
あの日から毎日、パルスィさんは僕の寝顔を眺めているらしい。正直恥ずかしいので止めてほしいのだが、どうしても止めてはくれないのだ。
照れくささやら何やらを込めた朝の挨拶も、パルスィさんは分かっているのかいないのか、「ええ。おはよう、横島さん」なんて微笑んで返してくる。
――――僕は、その微笑みを見るのが辛い。
だって僕は。
僕は、そのパルスィさんの微笑みが――――嫌いなのだから。
第八十三話
『三界一の調査官』
……いや、嫌いは言い過ぎだな。だってパルスィさん凄く可愛いし。凄く可愛いし。当然笑顔だって物凄く可愛いし。
……うん。むしろ好きだね。僕はパルスィさんの笑顔が大好きだ。だって本当に可愛いんだ。
でも、だからこそ笑顔を見るのが辛いのは本当だ。
だって、
――――記憶を失う前の僕。一度会って、少し話をしただけだというのにパルスィさんの心に強く残った、
パルスィさんが見ているのは、そっちの僕の方だ。
その笑顔を見る度に胸が痛くなる。僕は笑えているだろうか? 自然に振る舞えているだろうか? パルスィさんの望む『僕』に、少しずつでも近付けているだろうか?
胸に湧き上がってくる様々な想い。それはパルスィさんへの物でもあるし、以前の僕に対しての物でもある。この思いの名は何というのだろう?
パルスィさんには僕を見てほしい。『僕』じゃない、僕だけを見てほしい。『本物の僕』じゃない、例え偽物なのだとしても、この僕だけを見てほしいのだ。
――――ああ、そうか。ようやく合点がいった。思えば簡単なことだった。いつもパルスィさんが口にしているじゃないか。
僕は、『僕』に。『本物の僕』に対して――――嫉妬、しているのだ。
だってそうだろう? 僕はパルスィさん以外の誰かを知らない。僕にとってパルスィさんは“全て”なのだ。パルスィさん以上に優しく、温かく、綺麗で可愛い女の子を知らない。
これで好きにならないなんて嘘だ。だから、僕はパルスィさんに対して酷く利己的な想いを抱いてしまっている。
パルスィさんとずっと一緒にいたい。パルスィさんを僕だけのものにしたい。
この“初恋”を――――実らせたいのだ。
横島が行方不明となってまた一日が過ぎた。既にレミリアの機嫌は最悪と言っても良い程に悪く、朝から言葉一つ発さない。
だが、彼女はその怒りを抑えつけ、その身からほんの一滴たりとも激情の雫を零さない。
地霊殿には多くのペット達が存在している。いくら旧地獄で生まれ育ち、通常の動物達より心身共に強靭であるとはいえ、至近からレミリアの怒気を当てられればショック死は免れない。
それを分かっているからこそレミリアは今にも噴火しそうな感情に蓋をし、厳しく己を律しているのである。
同じく機嫌が最悪と言っていいのは妹紅だ。彼女もレミリアと同様に一言も発さず、ただじっと自分の腕を抱いて静かに横島発見の報を待っている。
ただ、一つ付け加えるとするならば。妹紅の服には血が滲んでいた。腕を強く握り締めすぎ、爪が服と肉を突き破っているのだ。
傷の治りが速い蓬莱人であるが、妹紅の傷は一向に癒えない。否、治った端から傷ついていっているのだ。
皮膚を食い破る爪をそのままに、ずっと、ずっと、ただ静かに佇んでいる。
妹紅は己のことを理解している。今ここで動き出そうものなら、彼女は旧地獄を更地にしてでも横島を探そうとするだろう。
だからこそ、妹紅は動かない。動けない。激情に走ろうとする身体を、痛みで以って押さえつけているのだ。
「……」
そんな妹紅の様子に、輝夜や横島の恋人達も当然気付いている。フランも、美鈴も、小悪魔も、てゐも、それぞれが今にも爆発しそうな激情を秘めている。しかし、レミリアと妹紅の二人の様子に冷静さを取り戻した。取り戻さざるを得なかったのだ。
正直に言ってしまえば、彼女達はレミリアと妹紅に恐怖を抱いている。二人の内に秘めたる感情の強さ、重さを察し、本能的な恐怖を感じてしまっているのだ。
故に頭を冷やすことが出来た。そして自分達がするべきは横島を求めて土地勘の全く無い旧地獄を当てもなく探し回るのではなく、“もしも”の際にレミリアと妹紅を抑えることだと結論付けた。
これは四人の心に己に対する情けなさと悔しさを抱かせるに十分だった。本音を言えばすぐにでも横島を探しに行きたい。しかし、旧地獄に於いて自分達に出来ることは余りにも少ない。何より地上と地底の関係やさとりの面子のこともある。
様々な事情が絡み、横島の恋人達は横島を探すことすら出来ない状態に陥ってしまっているのだ。
「妹紅……」
妹紅の隣に佇み、心配そうに名を呼ぶのは輝夜だ。これほどまでに追いつめられた姿を輝夜は見たことがない。
だからこそ、なのだろう。妹紅は再び失ってしまうことに心が軋みを上げている。ようやく見つかった幸せをまたも奪われようとしているのだ。本当にそうなってしまった場合、妹紅の心にはいったいどれほどの傷が出来てしまうのか、まるで予想がつかない。
妹紅は幸せを手に入れ、その分脆くなってしまっていた。それは決して悪いことではない。幸せを手に入れたからこそ、人はそれを失わないように努力し、強くなっていくのだから。
だが、今回はそれを待つ時間すらなかった。
輝夜は妹紅から視線を外し、ある人物に向ける。その人物は目を閉じ、顎に手を当ててじっと何事かを考え込んでいる。
――――永琳、どうして何の行動も起こさないの? ……何か、特別な理由があるの?
有事の際には永琳の判断を第一に置いている輝夜はそれを口に出して言うことはない。だが、永琳に対する疑心を募らせ、不審を抱く。しかし
故に輝夜は動かない。結果的にそれが横島を助ける最善の手になるのだと信じて。
さとりはこの場の全員の胸中に渦巻く様々な想念を受け、胸と胃を痛める。悲痛なまでのその思いに、圧し潰されてしまいそうだ。
かつてこいしが『瞳』を閉じて地霊殿から出ていったときに、この場の皆ほど心を痛めていたのかという自傷染みた考えも浮かんでくる。それほどまでに皆は横島を心から心配していたのだ。
その中で、一人異様な者が存在する。何十、何百にも思考が分けられ、その奥の真実を見通すことが出来ない。心の奥底で一体何を考えているのか、さとりは不安に思う。
更にもう一つ心配なことがある。こいしがお燐をお目付け役に横島を探しに出ているのだ。
ぐるぐるとネガティブな感情が渦巻き、胃に更なる痛みが走ったその時、さとりの感覚が空間の歪みのような物を捉えた。
「……?」
視線をそちらに向ければ他の皆も同じくそこに注目している。やがてその空間に亀裂が生じ、“スキマ”が開いた。中から現れるのは紫と藍、橙の三人……そして、見慣れない奇抜な格好をした女性が一人。
「――――っ!?」
その場の誰もが、強い圧迫感を覚えた。彼の龍神にも匹敵する巨大な存在感。それを女性から感じ取ったのだ。
その女性の名は“ヒャクメ”。横島と同じ世界から来訪した、神の一柱である。
瞬間、レミリアや美鈴、鈴仙など、数人が警戒から戦闘態勢を取る。場に緊張感が満ちる――――その前に、紫が大きく手を広げてヒャクメの前に立った。
「警戒する気持ちは分かりますが、まずは私の話を聞きなさい。この方が誰で、目的は何か。全て説明します」
「……分かった。ごめん、どうも殺気立っちゃって」
紫の言葉に臨戦態勢を解き、頭を下げる。そんなレミリアに紫は微笑みを浮かべ、皆に席に着くよう促す。部屋の中央には全員が座れるような長方形の大きなテーブルがある。皆もそれぞれ思うところはあるようだが、逆らわずに席に着く。何か、決定的な何かが起ころうとしている。そんな予感に動かされた。
余談だがヒャクメはレミリア達の迫力に圧されて藍の尻尾に隠れ、「ひーん、怖かったのねー」と涙目になっている。橙に頭を撫でられているその姿からは、ただそこに在るだけで圧し潰されそうな存在感が性質の悪い冗談の様に見える。
皆が席に着き、紫がまず大きく深呼吸。そしてまずは頭を下げた。
「ごめんなさい、みんな。横島君が大変な目に遭っている時にすぐに駆けつけられないで」
「いや、あんたの事情は藍から聞いてたから問題ないよ。こっちに来れたってことはもう大丈夫なんでしょ?」
紫の謝罪にレミリアが代表で答える。横島が行方不明になってすぐ、レミリア達は紫に応援を頼もうとしたのだが、その時に藍から紫が昏倒し、意識が戻らないと伝えに来たのだ。考えられる可能性はスキマの中に入り込んだ“何者か”によるものである、と。
「……で、そっちの何か目がいっぱいある奴が……?」
懐疑的、というよりは困惑が籠った視線をヒャクメに寄越す。格は圧倒的だが、それに見合う力は感じられない変な格好の女。正直な話、紫が庇わなければ即殲滅に移行してもおかしくない程度には怪しい存在だ。今も皆がヒャクメを警戒した目で見つめている。
紫もレミリア達の気持ちは理解出来るので、簡潔に事実を話す。
「この方は“ヒャクメ”様。横島君が元居た世界から来訪された、神族の調査官なのです」
その効果は絶大だった。
「よ、横島さんの世界から……!?」
「どうやってこっちに!?」
ざわめきが場を支配する。それを紫が手を打ち鳴らし、制止する。ちらりと視線を送られ、ヒャクメはこくりと頷き、咳ばらいを一つしてから口を開いた。
「えっと、紫さんから紹介にあったように、私は横島さんが元々居た世界の神族である“ヒャクメ”なのね。私達の世界から横島さんが消えた日から、“私達”は横島さんを探し続けていたの」
ヒャクメは余計なことは語らず、皆にとって重要な部分のみを語っていく。
自分達の世界には
その際に自分達の世界では既に痕跡が消滅してしまっていたのだが、とある
そしてその異空間に、横島の霊気の残滓を感知したこと。
それを辿ってこの
「こほん。そんなわけで、今横島さんがどんな状況にあるのかは紫さんから聞いているし、ちゃっちゃと横島さんを見つけちゃうのねー。とりあえずはさと――――」
取り繕うようにそう告げるヒャクメだが、全てを言い切る前に椅子から立ち上がる音によって言葉を遮られた。妹紅が勢いよく立ち上がったのだ。
妹紅のヒャクメを見つめる瞳は凄絶なまでに激しい色彩を放っている。それでいて弱々しい、縋るものを探している幼子のような力の無さが同時に感じられた。
「本当に、見つかるのか……? あんたなら、横島を見つけてくれるのか……?」
覇気の無い、弱々しい声だ。それでも、その声には今までにはない力が籠っていた。ヒャクメの言葉に希望を見出したのだろう。だが、ヒャクメの言動にはいささか不安が募る。有り体に言えばポンコツの気配がするのだ。しかし、それも――――。
「まーかせて! 探ることと探すことにかけては私の右に出る者はいないのね! すぐに見つけちゃうんだから!」
己に胸を叩いてのその台詞に、妹紅はヒャクメを信じると決めた。その“格”に見合うだけの自信とプライドを感じ取り、不安が払拭されたのだ。
事実、ヒャクメは土偶羅のサポートがあるとはいえ、無限の平行世界から僅か数ヶ月で横島が墜落した世界を特定し、自らも訪れる事に成功している。
更にはこの場の誰も知らぬことだが、神魔の最高指導者の密会を盗み見ることもしてのけた。(そして本人達にバレ、小竜姫にものすごいおしおきをされた)
最早ヒャクメの『視る』事に関する力量は神魔に並ぶ者無しである程に高まっている。
それは、ヒャクメが自らの能力を鍛え抜いたからだ。
あのアシュタロスとの戦いの折、ヒャクメは絶対の自信を持っていた己の『眼』を、いとも容易く欺かれた。それも、取るに足らないはずの人間の手によって、である。
しかもそれを指摘し、あまつさえ助言を寄越したのが敵であるアシュタロスだったのだ。
全ての戦いが終わり、慌ただしくも日常が戻ってきたわけではあるが、ヒャクメのいつもの軽い笑顔の裏に潜む感情は、一体どのような色をしていたのだろう。
元々能力は高かった。才能も十分にあった。そこに、欠けていた努力が加わったのが今のヒャクメだ。
神、魔、そして人間界。
ヒャクメは少し落ち着いた様子の妹紅に微笑みかけると着席を促した。どこか呆気に取られた様な表情をしていた妹紅も素直に席に着く。
妹紅だけではない。この場の誰ものヒャクメを見る目が変わっていた。最初の頼りない雰囲気はどこへやら。今のヒャクメから感じられる覇気は、本物のそれである。
「さて、それじゃあさとりちゃんの心を見せてもらうけど、いいかしら?」
「え?」
ヒャクメの言葉にさとりが少々驚いた。ヒャクメは読心に対して何らかの対策を施してあるのか、その内を読むことが出来ない。
それに調査をするのだから地底の都市へ繰り出すのだと思っていたため、自分の心を読む、という行為に何の意味があるのかが分からなかったのだ。
「ダメ?」
「え、いえ……はい。大丈夫です」
何の意味があるのかは分からないが、それでもさとりは頷いた。
元々横島を見付ける為なら何でもすると決めている。それに心を読まれるなど、さとりにとって何の痛痒にもならない。むしろ懐かしいという気持ちすらある。
かつて“瞳”を閉じる前のこいしとは、当たり前であるが互いに心を読み合って日常を過ごしていたのだ。己の能力を最高の能力だと思っているさとりにしてみれば、ヒャクメの存在は持論の確信を更に深める相手でもある。
「それじゃ、失礼するのねー。私が『視る』のは横島さんが消えてから、さとりちゃんが都市を探し回った時の記憶。そこに手掛かりが潜んでいるはずなのねー」
「……?」
さとりにはよく分からなかった。当時の記憶を読み取ったとしても、手掛かりなど何も得られていなかったのだ。もちろん主観、客観両方の視点から己の記憶を精査したことなど何度となくある。
さとりにも分からない以上、他の者もヒャクメの意図が分かるはずもない。
だが、一部の者にとってはその限りではなかった。紫、藍、そして永琳がヒャクメのやろうとしていることに気が付き、畏れにも似た感情を懐いたのだ。
さとりは三人のその感情に気付き、そちらに意識を割きそうになるが、瞬間、ヒャクメの全身に存在する『眼』の様な器官が輝きを放ち、途切れそうになった集中を再びヒャクメへと戻した。
「ふむ……何人か
「――――え?」
それは、ありえないはずの情報だった。
「う~~~ん、流石に断片的すぎるけど、要点だけ抜き取ると……“若い男の人間だった”“ふらついていた”“怯えていたように見えた”“逃げているように見えた”――――ってところかしら。
時間は夜遅く。あー、当人が酔ってたのか、曖昧な情報しかないかー。でも、橋に向かっていったのは確かみた――――」
「ちょ、ちょっと待って!! 待って下さい!!」
まるで、洪水の様に溢れ出るありえない情報の波に、思わずさとりは制止の声を上げる。
ありえないことだ。
さとりは誓って情報を隠していたわけではない。レミリアに、永琳に、そして皆に己が持つ全ての情報を伝えたのだ。これはさとりの意向もあり、
では、ヒャクメが今口にした情報は一体何だというのか。その答えは、やはりヒャクメの口から明かされる。
「うん。まずさとりちゃんの能力なんだけど、これはオンオフの切り替えが出来ず、効果範囲の心は勝手に見えるし聞こえちゃう……で、合ってるよね?」
「は、はい」
「でも、強い感情を伴う心と、そうじゃない心とでは、どうしても前者の方が優先されてしまう」
「……はい」
ここでさとりの声に翳りが見えた。そして、決してありえるはずがない一つの予想が脳裏を過ぎり、とある感情がどんどんと膨れ上がっていく。
「これは仕方のないことなんだけど、さとりちゃんは自分に向けられた悪意を広く感知してしまうみたいなのねー。同じく、他者への悪意も。これまでの人生でそういう風に能力が安定しちゃったみたいなのね。
……だから、敵意も悪意もない心は、敵意や悪意ある心に塗り潰されて、さとりちゃんに届かない」
「……」
「でも、
「――――!!!」
――――これまでの永き生で感じたことがない程の怖気が背筋を駆け抜ける。
「たとえ他の心に塗り潰されても、能力に触れたのは変わらない。
「……」
さとりは何も発することが出来ない。何なのだ、それは。心を読む、などというレベルの話ではない。これでは心を、精神を、魂を、“古明地さとり”という存在そのものを解析されたようなものではないか。
他の者も、よく分かっていないようではあるが、とにかく凄いということは伝わったらしく、ポカンと大きく口を開いていた。
紫や藍、永琳に至っては冷汗を流している程だ。それほど、ヒャクメが行った読心は凄まじいのである。何せ、本人の認識など度外視し、能力に触れたというだけで情報を引き出したのだ。今のヒャクメには如何なる手段を用いても隠し事は出来ないだろう。
そう、
「話を戻すけど、どうやらその不審な男性は地上との出入口の一つである橋に向かっていたみたいなのねー」
「橋、ですか? ……いえ、でも」
「橋に居る、パルスィ、だっけ。その人もただお兄様を見ていない……っていうか、パルスィもお兄様を探してたんじゃなかったっけ?」
さとりが挙げようとした内容を継ぐ形で声にしたのはフランだ。彼女はヒャクメの凄まじさが伝わり切っておらず、動揺が少なかったらしい。
「え、ええ。その通り」
フランの言葉にさとりは頷いた。確かにあのパルスィは横島について何も知らなかった。
「それなんだけど、そのパルスィって子の方が一枚上手だったみたい」
「……え」
「
「な――――っ!!?」
ありえない。それこそ本当にありえない!!
さとりは確かに心を読んだ。確かに横島の事を知らなかった。だからパルスィとは情報交換の約束をして早々に別れたのだ。しかし――――。
「うん。さとりちゃんもそうだけど、
「な、何を……!?」
揺らぐ。ヒャクメの言葉に、彼女の『眼』に、己の全てが揺らいでいく。誰も声を出すことすら出来ない。
「パルスィとは情報交換の約束をしたんでしょ?
「――――っ!!?」
まるで、心臓が凍りついたかのようだ。
「それに、
「……ぁ、あ。まさ、か……分、身……!?」
眩暈がする。ともすれば気を失ってしまいそうだ。それほどに、さとりを襲った衝撃は凄まじい。
己の馬鹿さ加減に頭に血が上り、血管が、神経が焼き切れてしまいそうだ。視界が滲み、唇を血が伝う。激情のままに唇を噛み切ったのだ。
――――全て、何も気付けなかった自分のせいだ。心が黒く染まっていく。そんな時、さとりの耳にレミリアの声が聞こえた。
「さとりだけの責任じゃないでしょうに」
「……レミリアさん?」
レミリアが席を立ち、さとりの横に立つ。労わる様に肩に置かれたレミリアの手は、さとりの心を柔らかく解きほぐしていく。
「ヒャクメが言うには私達全員がアイツにはめられたってんでしょ? 私にはどういうことかよく分かんないけど、それはこれからヒャクメが説明するんだろうし……そうだな、ヒャクメ?」
「も、もちろんそうなのねー」
噛み付かんばかりのレミリアの迫力に、ヒャクメが怯えてしまう。
どうやらレミリアにはさとりが虐められているように見えたらしい。ヒャクメからすれば堪ったものではない。ガクブルと震える己の心を叱咤し、ヒャクメは口許を拭うさとりへと向き直る。
「えっと、さっきも言ったけど、みんなはパルスィの張った罠に掛かってるのね。考えてもみて? どうして約束したのにパルスィと会いたくないのか。どうして心を読んだのにおかしなところに気付けなかったのか。そもそも――――パルスィの能力は、何だったのか」
「――――っ!!!」
さとりの脳裏に、閃光が迸った。
「そう、か。あの子の能力は、嫉妬心を操ること……!!」
「……なるほど。私達の嫉妬心を操作・増幅して視野を狭くしていたのか」
分身を生み出した理由。分身の偏った思考の理由。パルスィの能力使用の理由。
「ただ、みんなは変わらずパルスィの能力の影響下にあるのね。私もその状態を解除出来るけど、そういうのは専門とは言えないから一人一人時間が掛かっちゃうの」
と、ヒャクメは鈴仙を見やる。
「でも、それを一度に解除する能力がある」
「――――っ! そうか! みんな、こっちを見て!!」
ヒャクメの言葉を受け、鈴仙が皆の視線を集める。赤く光る眼で視れば、なるほど、確かにこの場の多くに糸の様な何らかの能力的な繋がりが視える。これを伝い、皆の嫉妬心を操っていたのだろうと鈴仙は当たりをつける。
視えてしまえば、理解してしまえば問題は無い。一方向に向かわせるその能力の波長、完全に、完膚なきまでに
「散符『
パルスィの能力を受け、嫉妬心を増幅された感情の波長と逆位相の波長をぶつけ、能力の影響を消滅させる。増幅された嫉妬心という名の偽りの月を砕き、真実の
「いっ」
「つっ」
パチッとした痛みが皆の頭に走る。強引な能力解除の代償にしては安いものだ。
「……さて、話を聞きに行こうか」
頭を軽く振れば、今までの苛立ちが嘘の様に気分が落ち着きを見せている。レミリアの言葉を皮切りに皆は立ち上がり、各々気合を入れている。
パルスィの元へ向かう為に。大切な人を取り戻す為に。
だが、その中で一人席に座ったまま俯いている者がいる。フランだ。フランは己の掌を見つめ、何事かを深く考え込んでいる。
「フラン……? どうかした?」
レミリアが問う。
「……嫉妬って、すごく怖い感情だったんだね」
返ってきた言葉は、怯え、震えていた。
「私、前は色んな人が羨ましかった。いっぱい嫉妬してた。私はこんななのに、なんでみんなはって」
「フラン……」
「でも、さっきまでみたいにずっと怖い感じじゃなかった。受け入れることが出来てた。だけど、だけど……」
今は本人やレミリア達の努力もあって治まりつつあるが、元々フランの心は不安定だ。その能力故に、破壊衝動が高まっていた時期も確かに存在する。
もし、その時に先の様な嫉妬心に囚われていたら。自分は、目に映る全てを破壊していたかもしれない。
それが、たまらなく怖い。
思えばあの龍神が異変を起こしたのもその原因は嫉妬故だ。
人も、妖怪も、そして神も――――。その全てを狂わせる、巨大で、強大な感情。それが、嫉妬である。
「……フランさん」
さとりはフランの心を知り、我が事の様に胸を痛める。そう、嫉妬は怖い。さとりはその能力故にそれを嫌というほどに思い知っている。
確かに嫉妬は己の心を灼き、その炎は他者をも焼き尽くす程の大火となりえる。だが、何も嫉妬とは悪性だけの感情ではないのである。
そのことを伝えようとさとりは一歩を踏み出し――――。
「キャーーーーーー!? ヒャクメ様ーーーーーー!!?」
盛大に、躓いた。
振り返ればヒャクメが仰向けに倒れ、全身の目(のような器官)をぐるぐると回してビクンビクンと痙攣をしている。
どうやら鈴仙の狂気の瞳を全身の目(のような器官)でまともに視てしまったらしく、その影響をモロに受けてしまったのだ。
これには紫も大慌て。鈴仙に能力の解除を急かし、彼女の背中をペシペシと叩いている。
さっきまですごく有能だったのに。何故おまえはいつもそうなのだヒャクメ。
「ぅあ゛うっ!!?」
バヂンッ! と脳内で激しく火花が散る音がした。地底に訪れた横島の関係者に掛けていた能力が、一斉に
パルスィは痛みの衝撃のままに仰向けの姿勢から弓なりに仰け反り、びくびくと痛みに悶える。呼吸が出来ない程の激しい痛み。数秒、或いは数十秒だろうか。ようやく呼吸が出来るようになったかと思えば、今度は口内に粘ついた血が流れ込んできた。
「ぅえっ!? げほっ! げほっ!」
血を吐き出しながら、何とか身を起こすとぼたぼたと夥しい程に大量の血が鼻から流れ出てくる。能力が強制解除された影響か、脳に莫大な負担が掛かったらしい。
視界が安定しない。形状を変えることがないはずの畳や壁が、ぐねぐねとその姿を波立たせる。激しい耳鳴りが起こり、周囲の音など何も聞こえない。
視界も利かない、聴覚も同様。しかし、それでもパルスィは彼の姿を認識出来たし、その声も聞き取ることが出来た。
「パルスィさん!? どうしたんですか、パルスィさんっ!!?」
「よ、ごじ、まざ、ん……?」
声が出ない。否、声は出ているが、それを言葉とするには聊か濁り過ぎていた。
横島はつい先ほどまで熟睡していた。だが、不意に意識が浮かび上がった。それはパルスィの身に異変が生じたのとほぼ同じタイミングだ。今は記憶を失っているが、霊能力者としての彼の霊感が働いてくれたのだ。
「パルスィさん……!!」
目も虚ろで夥しく鼻血を流すパルスィの肩を抱き、どうすればいいかを必死に考える。いや、考えるまでもない。自分ではどうすることも出来ない。ならば助けを呼びに行くしかない。
「待っててください! すぐに誰か連れて来ます!」
「ま゛……、だ、め゛……!! ぞど、にで、だら……!!」
力無く、本当に力無く、それでも必死に自分の服を掴んで引き留めようとするパルスィの姿に、横島の胸は極大の痛みを訴える。
パルスィは己の身に甚大な危機が迫っているというのに、それでもなお横島の心配をしているのだ。
横島はパルスィの手を優しく包み、そっと引きはがす。パルスィの心配を裏切るのは心苦しいが、彼女の命が脅かされている現状を思えばそんなことを言っていられない。
すぐに立ち上がり、玄関へと向かう。時刻は午前十時を過ぎた所。人通りは多い。きっとすぐに助けを呼べることだろう。
「――――あの、大丈夫ですか!? 何かあったんですか!?」
都合の良い事に、先程の横島の声を聞きつけたのか、玄関の戸の向こうから誰かの声が聞こえてきた。大人ではなくまだ子供と思しき声であったが、今は藁にも縋りたい気分である。大人を呼んできてもらう事だって出来る。
そうして横島は激しく脈打つ胸を押さえ、戸を開いた。パルスィも安否、訪れた者の協力の有無、様々な不安。しかし全てはパルスィの為に。
「――――――――――――」
「……っ!!」
目を、見開いた。
戸を開けた先には少女が居た。
「横島さんっ!? こんなところに居たんだ!!」
少女の背後から驚きと歓喜が混じった叫びが聞こえる。赤い髪をおさげにし、猫の耳と人の耳を持った少女がそこに居た。
緑髪の少女の表情が歓喜に染まっていく。それは、探し人に会えた喜びからだ。
「――――
その少女が、その口を開き、その名前を呼んだ。
「――――――――――――ひゅっ」
小さく、息を吸う音が、横島の喉から聞こえた。
地底のある一画にスキマが開く。中から現れたのはさとり、紅魔館一行、そして紫達三人とヒャクメだ。
「こちらです!」
スキマから出ると、さとりが先導し、パルスィの住処へと走り出す。直接移動しなかったのは、横島の恋人達が即時殲滅行動に移らないようにワンクッション置くためだ。
地上の者と地底の者が表立って諍いを起こすのは非常によろしくない。以前異変が起こり、それを解決したことが地上と地底の友好の切っ掛けにもなったわけだが、だからといってここでまた似たようなことが起きればその友好も白紙に戻りかねない。
だから頭を冷やす為に、地底の住人達の事を認識してもらう為に離れた場所にスキマを開いたのだ。警戒のし過ぎと言えるかもしれないが、それをせざるを得ないほどの爆弾を抱えた者がいる。下手をすれば地底が燃やし尽くされてしまうかも知れないのだ。
「永琳さん」
皆がパルスィの住居へと急ぐその最後尾。ヒャクメと永琳が並んで走っている。ヒャクメは永琳へと話しかけ、永琳は黙って話の続きを促す。
「永琳さんの心は読ませてもらったのねー。貴方が考えていることも、横島さんをどうしようとしているかも」
「……」
永琳は応えない。ただ真っ直ぐに前を見つめ、ヒャクメの言葉を聞くのみだ。
「横島さんに対する、
「……え?」
それは、永琳をしても予想外……いや、確率は低いだろうと予測していたものだった。思わずヒャクメに視線を移すと、彼女の表情はやや憮然としたものになっていた。
「……ヒャクメさ――――」
永琳が何事か声を掛けようとした瞬間、前方より、爆光が瞬いた。
「――――なっ!!?」
高まった霊的な力による爆発。爆音が地に響き、爆光が地を照らし、爆風が地を揺らす。爆心地は、パルスィの住居であった。
そして一度の爆発では収まらない。幾度も幾度も、霊的な爆発が巻き起こる。
「……ちっ! 急ぐぞ!!」
一行のリーダー的存在であるレミリアが声を上げ、速度を全開にした。嫌な予感がする。
今もなお起こり続けている爆発は
「横島さん……パルスィ……!!」
二人を心から案じる声が、さとりの口から零れた。
第八十三話
『三界一の調査官』
~了~
お疲れ様でした。
古明地こいし、どこまでも間が悪い子……!!
これも作者が悪いんや。許しておくれ。
煩悩日和と言い煩悩漢と言い拙作内のヒャクメは活躍する傾向にありますね。だってヒャクメは凄いんだから……!!
さて、どんどんえらいことになってきてますがこの先一体どうなってしまうのか。
それではまた次回。
ロストワードはぬえちゃんはよ実装して。