……本日はインタビューに応じていただき、ありがとうございます。
わたしが話を切り出すと、目の前の女性は気さくに微笑んで答えた。
「いえ、こちらこそ、イチノセさん。こんな年寄りの話を聞いて本にまとめてくださるなんて、こちらこそ光栄だわ」
白髪を綺麗にまとめ上げた女性は、皺の刻まれた顔に穏やかな微笑みを浮かべながら、ティーカップを両手で包むように持った。窓の外に見える夕日が、彼女の青い瞳を暖かく照らしている。
わたしは言った。
「とんでもございません。世界中が注目している話です。世界で最も有名な女性探検家、『キングコングの恋人』として伝説となったエリザベス=アン・ダロウさんご本人にお会いできるなんて」
「……ああ、その呼び方」
『キングコングの恋人』という言葉がわたしの口から出た刹那、ダロウ女史の表情がわずかに曇ったのを私は見逃さなかった。
……何か気に障るようなことでもあったろうか。そんなわたしの不安に、ダロウ女史は目敏く気付いたようで
「あ、いえ、ごめんなさいね。マスコミが勝手につけた名前ですけれど、実を言うと、最初にそう呼ばれた時、私ったら悔しくて泣いてしまったのよ」
泣いてしまった、ですって?
意外な告白に、わたしは思わず身を乗り出した。ダロウ女史は肩をすくめて見せた。
「だって、そんな風に言われてしまったら、まるで私が単なるお姫様みたいじゃない? 私は命がけの冒険をしていたのよ。危険な地下空洞の奥まで進んで……それなのに世間の目には、私は『凶暴な野獣から一方的に愛されてしまった可哀想な女性』としか映らなかったみたいでね」
ダロウ女史の声に、当時の悔しさがよみがえったようだった。
……なるほど、複雑な思い入れがあるようだ。
では、今はどうだろうか。それを訊ねるわたしの質問に、ダロウ女史は少し考え込むような表情を見せた。
「今は……そうね、今ならその呼び方も悪くないかもしれないと思っています。確かに私は愛されていたし、私も彼を愛していた。ただし、世間が想像するようなロマンチックな意味ではなくて、家族のような……」
そう言って、ダロウ女史は窓の外に目を向けた。窓の外には、のどかな青空が広がっている。
家族のような……ですか? わたしがおずおずと訊ねると、ダロウ女史は微笑みながらこう答えた。
「ええ。私たち人間だって、血の繋がらない家族を持つことがあるでしょう? 養子縁組とか、結婚とか。種族を超えた家族というのも、きっとあるのよ」
そう言う彼女の表情は、とても温かかった。
……話を本題に戻そう。わたしは言った。
「今回の回顧録出版にあたって、これまで語られることのなかった真実を明かしたいとおっしゃっていましたが」
「ええ。私が今回、回顧録を出版することにしたのは、実は“彼”のためなの」
「……彼?」
わたしが聞き返すと、ダロウ女史はゆっくりとこちらに向き直った。
「ええ。世間では彼のことを『凶暴な野獣』として語ることが多いでしょう? でも本当の彼は全く違ったの。優しくて、賢くて、そして何より……孤独だった」
そう語ったとき、ダロウ女史は遠い目をしていた。まるで遠い昔を思い出すような口ぶりで、実際にそうなのだろうと思われた。今から語られようとしているのは、遠い昔の冒険譚だ。
「……あれから何年経ったでしょうか。四十年? いえ、もう五十年近くになりますか。でも昨日のことのように覚えています。あの地下空洞の美しさ、そして……彼の優しさを」
ダロウ女史の声が、懐かしさに震えていた。わたしは静かに次の言葉を待った。
やがてダロウ女史は立ち上がると、暖炉の上に飾られた小さな写真立てを手に取った。
「……これは私が密かに撮った唯一の写真なの。彼が眠っている時に」
わたしは身を乗り出してその写真を見た。薄暗い洞窟の中で、巨大な影が眠っている姿が写っていた。その表情は、確かに穏やかで平和に満ちていた。
「この写真を見るたび、思い出すの。彼がどんなに疲れ果てていたか。地下世界の王として、一人で重荷を背負い続けていたかを」
ダロウ女史は写真を胸に抱きしめた。
「だからこそ、最後に彼と別れることになった時……私は自分を許すことができなかった。彼の本当の姿を、その時にもっと多くの人に伝えることができていたら」
彼女の瞳に、深い後悔の色が浮かんでいるのがわかった。
……これは単なる冒険談ではない。一人の女性の、半世紀に渡る後悔と愛情の物語なのだ。
わたしは録音機がしっかりと回っていることを確認し、インタビューを始めることにした。
――では、最初から聞かせてください。あなたが地下空洞に向かうことになった経緯は?
「あれは、19xx年の夏でした。私はまだ二十五歳で、駆け出しのドキュメンタリー・リポーターだった。当時の私は、とにかく大きなスクープを掴みたくて必死でしたね」
――スクープ、ですか?
「ええ。国際機関モナークの調査により、南太平洋の
――危険だとは思わなかったんですか?
「もちろん危険でした。でも若かったから、恐怖よりも好奇心の方が勝っていたんですね。それに……正直に言うと、当時の私は自分の実力を過信していたんです。大学で地質学を専攻していたし、洞窟探検の経験もそれなりにありました。『私なら大丈夫』って思ってしまったんですね」
――地下空洞への入口は、どのようなものでしたか?
「……島の中央部に、まるで大地が裂けたような巨大な穴が口を開けていました。直径は百メートルはあったでしょうか。周辺には奇妙な霧が立ち込めていて、底が見えないほど深かった」
――参加したメンバーは?
「撮影隊は全部で八人。地質学者、生物学者、それに私を含めたジャーナリスト三人、そして案内人が二人でした。皆、興奮していましたね。『人類未踏の地』への第一歩を踏み出そうとしていたんですから」
――降下は順調でしたか?
「最初の百メートルほどは順調でした。ロープとピトンを使って慎重に降りていったんですが……突然、闇の奥から『それ』が現れたんです」
――……それ、とは?
「後で知ったことですが、それはモナークで『スカルクローラー』と呼ばれている怪獣でした。髑髏を被ったような頭部に、異常に長い舌と尻尾……鋭い牙と爪を持つ、地下世界でも特に危険な爬虫類だったんです」
「……一瞬の出来事でした。仲間たちの叫び声、ロープが切れる音、そして血の匂い……私は必死に逃げようとしましたが、そのスカルクローラーは明らかに私だけを狙って追いかけてきました。そして、足を滑らせて……」
――……落ちたんですね。
「ええ。底の見えない暗闇の中に、一人きりで落ちていきました。『これで終わりだ』と思いました。でも、その時……」
ダロウ女史の表情が、突然柔らかくなった。恐怖から解放されたような、安堵と驚きが混じった表情だった。
「巨大な手が、私を受け止めてくれたんです」
――その手の主が……?
「……最初は恐怖でした。目を開けると、洞窟の中に横たわっていて、傍には果実や清水が置かれている。体には傷一つありませんでした。そして洞窟の外に出ると……」
「想像を絶する光景が広がっていました。地下に広がる巨大な世界。天井は遥か高く、不思議な光に満ちていて……そして、その中央に『彼』がいたんです」
――最初に見たコングの印象は?
「……身長は、二十メートル以上はあったでしょう。確かに巨大で、圧倒的な存在感がありました。でも……」
「彼は、世間で言われているような『凶暴な野獣』ではありませんでした。その瞳には知性があり、そして何より……深い優しさが宿っていたんです」
――恐怖はありませんでしたか?
「……最初はもちろん怖かったですよ。でも不思議なことに、彼が私を見つめる瞳は、まるで心配そうで……『大丈夫か?』と問いかけているようでした。そして彼はゆっくりと手のひらを差し出してくれたんです」
「理屈では説明できませんが、恐怖よりも安心感の方が勝ったんです。私は思い切って、彼の手のひらに歩み寄りました」
――コミュニケーションはどのように?
「最初は身振り手振りでした。でも、彼の学習能力は驚くべきものでした。私が話しかけると、じっと聞いて、そして真似をしようとするんです」
「『エリザベス』という私の名前を覚えてくれた時は、本当に嬉しかった。彼の口から優しく響く私の名前を聞いた時、私の心は完全に氷解したんです」
――彼に名前をつけたのは?
「私は彼を『コング』と呼び始めました。最初、彼は戸惑っていましたが、やがて自分の名前だと理解してくれたようで……呼ぶたびに嬉しそうな表情を見せてくれました」
「今思えば、彼はずっと一人だったんですね。名前を呼んでくれる存在がいなかった。だからこそ、私が『コング』と呼ぶたびに、あんなに嬉しそうにしてくれたのかもしれません」
――地下世界はどのような場所でしたか?
「現代文明が忘れ去った原始の楽園でした。巨大なシダ植物の森、水晶のようにきらめく地底湖、そして様々な古代の生物たち……全てが美しく、神秘的で、まるで時が止まったような世界でした」
「コングは私に、その世界の全てを見せてくれました。彼の肩に乗って森を駆け抜け、高い岩山の頂から地下世界の全景を眺めました。その美しさは……言葉では表現できません」
――ところで、先ほど、キングコングを『地下世界の王』とおっしゃいましたが……?
「ええ。彼は単なる巨大な類人猿ではありませんでした。地下世界に住む全ての生き物たちの守護者だったんです」
――具体的には、どのような?
「ある日、地底湖で巨大なワニのような生物が暴れ始めたことがありました。他の小さな生き物たちが恐怖に震えている中、コングが現れると、その生物は大人しくなったんです」
「コングはその生物の傷を確認すると、薬草のような植物を持ってきて、傷口に当ててやりました。ワニは感謝するように、コングの手を鼻でそっと押したんです」
――まるで慕っているかのように?
「ええ、そうです。毎朝、コングは地下世界を巡回していました。病気の動物がいないか、争いは起きていないか、外敵の侵入はないか……常に彼の臣民たちの安全を気にかけていました。そして必要があれば、いつでも駆けつける。それが彼の日常だったんです」
「彼の統治は実に細やかでした。例えば、雨季になると特定の地域が水浸しになることを知っていて、事前にそこの動物たちを安全な場所に誘導していました。乾季には水場が干上がる前に、新しい水源を掘り当てていました」
「最も驚いたのは、彼が地下世界の生態系のバランスを完全に理解していたことです。草食動物が増えすぎれば植物が足りなくなることを知っていたし、肉食動物が減りすぎれば弱い個体が生き残って群れ全体が弱くなることも知っていました」
――具体的にはどのような調整を?
「ある時、草食恐竜の群れが異常に増えて、森の植物を食べ尽くそうとしていました。普通なら生態系の破綻につながるような状況でした。でもコングは、遠く離れた未開の谷に新しい植物の楽園を発見し、その群れの一部をそちらに導いたんです」
「彼は単に強制的に移住させたのではありません。まず数頭の好奇心旺盛な個体を連れて行き、新天地の素晴らしさを体験させました。そして彼らが群れに戻って仲間に伝えると、自然に移住が始まったんです」
――まさに賢王の統治ですね。
「ええ。そして何より美しかったのは、動物たちがコングを恐れるのではなく、心から信頼していたことでした。彼が現れると、まるで愛する家族を迎えるように喜んでいました。小さな動物たちは彼の足元に集まって甘え、大きな動物たちは敬意を込めて頭を下げていました」
「他にも時々、地下世界の巨大生物たちがコングに助けを求めてやってくることがありました。彼らは人間の子供が親に助けを求めるように、コングの足元で鳴いて訴えかけるんです」
――どのような時に?
「ある夜、巨大なミミズクのような鳥が、血相を変えて飛んできました。激しく鳴きながら、コングの前で羽をばたつかせている。コングはすぐに事態を理解すると、私を背中に乗せて鳥について行きました」
「到着したのは、地下世界の端にある深い谷でした。そこで若い翼竜が、崖の亀裂に翼を挟まれて身動きできずにいたんです。母親らしい翼竜が上空で心配そうに旋回していました」
――キングコングは?
「慎重に崖を降りて、翼を傷つけないように岩を取り除きました。その作業は一晩中続きました。コングの巨大な手で細かい作業をするのは大変でしたが、彼は一度も諦めませんでした」
「翼竜が解放された時、その子の両親だけでなく、群れ全体が感謝を示すために舞い踊ったんです。そして最も印象的だったのは、救われた若い翼竜が、恐る恐るコングの頭に止まって、くちばしで彼の毛を優しく整えたことでした」
「それは翼竜にとって最高の敬意の表現だったんです。王に対する、心からの感謝と愛情の証でした」
――このような出来事は頻繁に?
「ええ。コングは地下世界の動物たちにとって、絶対的な頼りになる存在でした。迷子になった子供、怪我をした動物、争いを起こした群れ……どんな問題でも、彼らはコングを頼りました。そして彼は決して期待を裏切らなかった」
「私は理解したんです。コングがなぜ一人でいるのかを。王であることの孤独と責任を、一身に背負っていたんです。でもその重荷を、決して不平を言うことなく背負い続けていた」
「私は六ヶ月間、真の王とはどのような存在なのかを目の当たりにしました。力ではなく愛で、恐怖ではなく信頼で、すべてを統治する存在。それがコングだったんです」
――しかし、スカルクローラーは別でしたね。
「ええ。あれだけは違いました」
「コングでさえ、スカルクローラーに対しては常に警戒を怠りませんでした。地下世界の生態系を乱す存在として、そして何より私を狙う脅威として、決して油断することはなかった」
――何度も現れたのですか?
「少なくとも三回は直接的な襲撃がありました。一度目は地底湖、二度目は洞窟の中で眠っている時、三度目は……」
「三度目が最も危険でした。スカルクローラーは学習していたんです。コングの行動パターンを読み、私が一人になる瞬間を狙って現れました。髑髏のような頭部から長い舌を伸ばし、私の足首を掴んで引きずろうとした時……」
――コングが?
「間一髪で駆けつけてくれました。その時のコングの怒りは凄まじかった。普段の優しい彼とは別人のように、激しい咆哮を響かせながらスカルクローラーに襲いかかりました」
「その戦いで、私は理解したんです。コングにとって私は、単なる保護対象ではなく、本当に大切な存在になっていたんだと」
「……でも同時に、私は彼が背負う重責の大きさも理解しました。私を守るために戦っている間、他の動物たちが心配そうにコングを見つめているのが見えたんです。彼らにとってコングは、絶対に失ってはいけない存在だった」
――具体的には、どのような様子でしたか?
「戦いが終わった後、地下世界中の動物たちが集まってきました。翼竜、古代象、巨大なカメ、色とりどりの鳥たち……まるで王の無事を確認するために、臣下たちが参集したかのようでした」
「小さな動物たちは彼の傷を心配そうに見つめ、大きな動物たちは彼の周りを警護するように立っていました。そして何より印象的だったのは……」
「年老いた巨大なカメが、ゆっくりとコングの前に進み出て、古い樹皮を口にくわえて彼に差し出したんです。それは薬草でした。この地下世界で最も高齢で賢いとされる長老のような存在が、王であるコングに薬を献上したんです」
――地下世界の巨大生物たちの間に、確かな秩序があったのですね。
「ええ。それは恐怖による支配ではなく、深い愛情と尊敬に基づいた秩序でした。コングが傷の手当てを受けている間、動物たちは静かに彼を見守っていました。まるで愛する父親の回復を祈る家族のように。そして彼が立ち上がると、安堵のため息が森全体に響いたんです」
「私はその時、確信しました。コングは単なる強者ではなく、この地下世界になくてはならない『王』なのだと」
――あなたとの関係も変わっていきましたか?
「……ええ。日を追うごとに、私たちの絆は深まっていきました。最初は保護者と被保護者のような関係でしたが、やがて……家族のような関係になったんです」
「夜になると、私たちは洞窟の入り口で並んで座り、地下世界の空を眺めながら時を過ごしました。言葉は少なくても、心は通じ合っていました」
――具体的にはいつごろから?
「具体的に変化を感じたのは、二週間目のことでした。私が高熱を出して倒れた時のことです。地下世界の湿気と寒暖差に体が慣れていなかったのでしょう。コングは一晩中、私の枕元に座り込んで看病してくれました」
「彼は冷たい湖水に自分の大きな手を浸して、それを私の額に当てて熱を下げてくれました。そして薬効のある木の実を見つけてきて、慎重に私の口元に運んでくれたんです。まるで病気の子供を看病する父親のように」
――その時のキングコングの表情は?
「心配そうで、でも優しくて……私が目を覚ますたびに、安堵したような表情を見せてくれました。そして私が少し元気になると、今度は嬉しそうに小さく鳴いてくれたんです。その声は、まるで家族の回復を喜ぶ声そのものでした」
「回復してからも、彼は私の体調を常に気にかけてくれました。疲れていると感じれば、無言で背中を差し出して休ませてくれる。雨が降りそうになると、事前に安全な洞窟に案内してくれる。まるで家族の一員として、私を守ることが当然になっていました」
――女史の方では、どのような変化が?
「一ヶ月を過ぎた頃から、私も彼の感情を読み取れるようになりました。彼が悲しい時、嬉しい時、心配している時……表情や仕草で分かるようになったんです」
「そして私も、彼を慰めることができるようになりました。ある日、コングが地下世界の見回りから帰ってきた時、とても疲れた様子でした」
「きっと何か大変なことがあったのでしょう。私は彼の大きな手を両手で包んで、『お疲れさま』と言いました」
「その時のコングの表情……今でも忘れられません。まるで『ありがとう』と言っているような、深い感謝の表情でした。そして私の頭を、とても優しく撫でてくれたんです」
――最も印象的だった出来事は?
「二ヶ月目のある夜のことです。私は故郷を思い出して、思わず涙を流してしまいました。家族のことや、仕事のことや……色々な感情が一度に溢れてきて」
「その時、コングは何も言わず、ただ私の隣に座り込んでくれました。そして大きな手で、とても優しく私の涙を拭ってくれたんです。その瞬間、私は確信しました。この方は、私の心を完全に理解してくださっているのだと」
「そしてコングも、その夜初めて、自分の孤独について語ってくれました。もちろん言葉ではありませんが……深いため息をつき、空を見上げながら、長い間一人だったことを表現してくれました」
――お互いの孤独を理解し合ったのですね。
「ええ。その夜から、私たちは本当の家族になったと思います。血の繋がりはなくても、種族は違っても、心で結ばれた家族に」
「翌朝、コングは私を特別な場所に連れて行ってくれました。地下世界で最も美しい花園です。そこで彼は、色とりどりの花で冠を作って、私の頭にそっと載せてくれました。まるで家族の一員として、正式に迎え入れる儀式のように」
「私もお返しに、地下世界で見つけた美しい水晶を彼にプレゼントしました。コングはその水晶を大切そうに胸に抱き、深く頷いてくれました。言葉はなくても、私たちは互いを家族として受け入れたことを確認し合ったんです」
――どのくらいの期間を地下世界で過ごしたのですか?
「六ヶ月と二十二日でした」
――毎日を数えていたんですね。
「ええ。あの日々があまりにも貴重で、一日たりとも忘れたくなかったから」
「六ヶ月目に入った頃、私は完全にあの世界の虜になっていました。文明世界のことなど忘れ、コングと共に一生を過ごしたいと本気で考えていました」
――しかし、それは叶わなかった……
「……ええ。運命は私たちに、永遠の別れを用意していたんです」
――……何が起こったのですか?
「ある朝、遥か彼方からヘリコプターの音が聞こえてきました。モナークの捜索隊が私を探しに来たんです」
――あなたはどう思いましたか?
「複雑でした。一方では、人間の世界が私を諦めずに探してくれていたことに感動しました。でも同時に……」
「このままコングと一緒にいたい、という気持ちが強くなっていました。でも、それは許されないことだということも」
――コングの反応は?
「彼は私の表情を見て、全てを理解しました。悲しそうに、でも優しく微笑んで、私の頬に大きな手を添えてくれました」
「『帰らなければならないの』私はそう言いました。『でも、あなたを忘れることは決してない』と」
「コングは深く頷くと、私を背中に乗せて地上への長い道のりを歩き始めました。途中、何度も立ち止まり、振り返りながら私を見つめました。別れが辛いのは、私だけではなかったんです」
――でも地上に近づくにつれて……?
「最初に見えてきたのは、地下空洞の入り口を完全に包囲した軍事キャンプでした。テント、装甲車、そして数え切れないほどの兵士たち……まるで戦争の前線基地のような光景でした」
「彼らは重火器を地下空洞の入り口に向けて設置していました。機関銃、ロケットランチャー、そして巨大な照明設備。明らかに『何か巨大なもの』の出現を想定した配置でした」
――それを見て、あなたは?
「最初は困惑しました。『生存者発見!』という叫び声が響き、兵士たちが私の周りに駆け寄ってきました。でも彼らの表情は安堵よりも警戒が勝っていました。『他に何かいるのか?』『怪獣は?』そんな質問が飛び交っていました」
「私は必死に説明しようとしました。『彼は私の命の恩人です』『攻撃してはいけません』と。でも指揮官らしい男性は、『民間人は下がっていろ。我々はプロだ』と取り合ってくれませんでした」
――そんな状況下で、コングが現れた……?
「地響きが始まった瞬間、軍隊全体に電流が走ったような緊張が走りました。『来るぞ!』という叫び声と共に、全ての銃口が地下空洞の入り口に向けられました」
「そしてコングが姿を現した時……兵士たちの恐怖は想像を絶するものでした。訓練を受けたプロの軍人たちが、実際に二十メートルを超える巨人を目の当たりにした時、理性よりも本能が勝ってしまったんです」
「私は叫びました。『撃たないで!彼は私の命の恩人よ!』でも……」
――……でも?
「コングの巨体を見た兵士たちは恐怖に駆られ、躊躇なく発砲しました。弾丸がコングの体を掠め、彼は苦痛の叫び声を上げました」
「弾丸がコングの体を掠める度に、彼は苦痛の声を上げました。でも驚くべきことに、彼は反撃しなかった。攻撃されているにも関わらず、最優先で私を安全な場所まで運ぼうとしてくれたんです」
「私は必死に制止しましたが、攻撃は続きました。『やめて!』『彼を傷つけないで!』私は泣き叫びました」
――そしてコングは……
「彼は私を安全な場所にそっと下ろすと、深い哀しみの表情で私を見つめました。血を流しながらも、最後まで私を守ろうとしてくれたんです」
「そして、私の頬に最後の別れのキスをすると……血を流しながら地下世界へと帰っていきました」
「叫び続けました。『コング!コング!』でも、彼の姿は暗闇の中に消え、二度と現れることはありませんでした」
「あの時の無力感、後悔……五十年経った今でも、夢に見ることがあります。あの時、もっと出来ることがあったのではないか、と」
――……その後の人生は、どのようなものでしたか?
「表面的には、普通の人生を歩みました。結婚もしましたし、娘も産まれました。孫にも恵まれました」
「でも、心の奥底では常にあの地下世界を、そしてコングを思い続けてきました。彼は無事だったのか、傷は治ったのか、まだ一人で地下世界を守り続けているのか……」
――ご家族は、あなたの想いを理解してくれましたか?
「夫は……最初は困惑していました」
「でも次第に理解してくれるようになりました。『君の心の一部は、永遠に彼と共にあるんだね』そう言ってくれた時は、本当に救われました」
「娘も、孫たちも、私の話を信じてくれています。特に孫娘は『おばあちゃんの冒険談』として、いつも目を輝かせて聞いてくれるんです」
――世間の反応はいかがでしたか?
「最初は大変でした。『キングコングの恋人』というセンセーショナルな呼び方で注目され、真実よりも憶測や脚色された話ばかりが一人歩きしました」
「映画にもなりましたが、あれは全く違う話です。コングを凶暴で野蛮な猛獣として描き、私を為されるがままのか弱い美女として描いている。本当の姿とは正反対でした」
――それが今回、回顧録を出版される理由ですか?
「ええ。もう私も七十五歳です。いつまで生きていられるか分からない。だからこそ、今のうちに本当のことを伝えておきたいんです」
「コングは決して凶暴な野獣でもなければ、危険な怪獣でもありませんでした。優しくて、賢くて、責任感が強く、そして深い愛情を持った存在でした。地下世界の王として、種族を超えた家族としての愛を持っていたんです」
――もし、もう一度会えるとしたら……?
「『ありがとう』と言いたい。そして『ごめんなさい』と謝りたい」
「彼を守ることができなかった自分を、五十年間許せずにいます。もしあの時、もっと説得力を持って軍隊を止めることができていたら……」
――でも、それは……
「分かっています。一人の女性にできることには限界があったことくらい」
「でも、心の整理はそう簡単にはつかないものです。だからこそ、この回顧録を通して、せめて彼の本当の姿を世界に伝えたいんです。それが、私にできる最後の恩返しかも、と」
「……時々、夢の中で彼に会うんです。変わらぬ優しい瞳で私を見つめ、大きな手を差し伸べてくれる。目覚めると、枕が涙で濡れています」
――夢、ですか?
「ええ。でも決して悲しい夢ではないんです。むしろ温かい。きっと彼は、私が幸せに暮らしていることを見守ってくれているような気がします」
「もし今でも彼があの地下世界にいるなら、私の想いが届いていることを信じています」
インタビュー取材から数ヶ月後の春の朝、エリザベス=アン・ダロウ女史は静かにこの世を去った。
看取った家族の証言によると、最期の言葉は「コング……ありがとう……やっと会えるのね……」だったという。彼女の表情は安らかで、まるで長年の重荷から解放されたような穏やかさがあったそうである。
出版されたダロウ女史の回顧録は世界中でベストセラーとなり、多くの人々にキングコングの真実の姿を伝えることとなった。特に、種族を超えた愛の可能性について語った彼女の言葉は、世界中の人々の心を打ち、人間と怪獣、そして自然との新たな関係について考える契機となった。
今でも時々、南太平洋の髑髏島に関するニュースを目にすることがある。研究者たちによる調査報告、そして時折報告される「地底からの不思議な音」について。それらのニュースを見るたびに、私はダロウ女史の言葉を思い出す。
「もし今でも彼があの地下世界にいるなら、私の想いが届いていることを信じています」
……きっと届いている。そして今頃、二人は再び一緒にいるのかもしれない。種族を超えた真実の愛は、きっと生と死の境界さえも超える。
わたしは、そう信じたいと思う。