ノアとハンドクリームを分け合う女先生
約束された当番の集合時間。その少し前に着くように私はシャーレに訪れた。
本当はもう少し早くシャーレに訪れて先生と一緒にいる時間を少しでも増やしたいところだけど、そうすると先生がほんのちょっぴり気に病んでしまうからそうならないギリギリのラインを見極めて訪れるようにしている。
少し浮かれ気味の心に気が付きながらも、別にそれを抑えようとはせずに廊下を進む。今日はどんな先生の姿が見られるんだろう。どんな行動が見られるのだろう。今日の先生の、そのすべてをこれから観察し記録できることに心躍らせているといつの間にか先生がいるオフィスの目の前まで来ていた。
わくわくした思いのまま扉を開ければそこには椅子にすわったまま私の方へ華のような笑顔を向けてくれている先生の姿があった。
「おはようノアちゃん」
「おはようございます先生」
優しい声色で迎えてくれる先生。その姿は昨日と変わらない安心する心地よさをあたえてくれる。
そんな先生の姿を毎朝目に焼き付け、一日を過ごしている私は今日も同じように先生の姿を目に焼き付けようとして気が付いた。
「――先生、リップ替えたんですね」
そう声をかければ一瞬目を丸くして、いたずらがばれた子どものようにたははと笑った。
「やっぱりわかっちゃうか。流石ノアちゃんだね」
「えぇ、先生の事なら何でも記憶していますので♪」
「バレないように同じような色のを買ったんだけどなぁ」
先生はたまに私の観察力と記憶力に挑戦するかのようにこっそりとなにかを替えたりしてくるけど、今のところ私の全戦全勝だ。懲りないなぁとは思いつつもなんだかんだ私と先生だけの秘密のゲームみたいで結構楽しいし嬉しい。
とはいえ私が先生の変化を見逃すわけがないのだからこれからも勝ち続けさせてもらいますと内心で勝利宣言をしてみる。
そんなことを考えながら先生の姿をじっと見つめてみるが、パッと見はほとんど変わっていないように見えるし、気付ける人も私以外にいないのではないか。じっと観察しても気付ける人は数人いるかどうかだろう。そう思えば私のこの観察力と記憶力がこれほど頼もしく、そして有り難いものなのかと実感する。
そんな風にちょっとした優越感に浸っていると先生がにやりと笑った。
「でもね、実はリップだけじゃないんだよ替えたの」
「? そうなんですか?」
まさか二段構えとは。初めてのパターンでちょっと面食らってしまった。
「ふっふっふ。どうやら初めて白星をとれそうだね」
「そう簡単にはいきませんよ」
とはいったもののもう一度じっくり先生の姿を確認しても替わったところは見つからない。前髪をほんの少し切っただとか、少し爪を削っただとか、そういったわずかな変化ではなさそうだ。着ている服のブランドが替わったとかでもない。
目に見えているところに変化はない……なら。
「先生、少し失礼しますね」
「どうしたの……てひゃぁ!?」
先生に密着するほど近づいてすんすんと鼻をならす。
「……? なるほど……」
いつもの匂いとはべつになにか嗅ぎなれない匂いが混ざっている。
「――シャンプーや香水じゃない。洗剤、でもありませんね」
髪や首筋、服など、一つ一つ確かめるように鼻を近づけ吟味してみるが、どれも嗅ぎなれた安心する匂いだった。なら……。
先生の前に傅くようにひざを曲げ、白くきれいな先生の手を取り、鼻を近づける。
「――あぁ、なるほど」
これだ。この匂いだ。私の知らない先生から香る初めての匂い。
「ハンドクリーム、ですね」
確信をもって先生の顔を見上げてみると、先生は少し頬を染め横目でどこか遠くを見ていた。
「……先生?」
「え!? あ! そうだよ! よくわかったね!」
「先ほども言いましたが、先生の事なら何でも記憶していますので♪」
「やっぱりノアちゃんにはかなわないな」
なにに動揺していたのだろうか? 先生はたまにこんな風に動揺することがあるけれどその原因ははっきりとはわかっていない。
この疑問もまた記録し、記憶の中にしまい終えるともう一つ記憶すべきことがあることに気が付いた。
「そうだ先生。そのハンドクリームって今も持ってますか?」
先生が新たに使い始めたハンドクリーム。それもちゃんと記録しておかなければ。
「持ってるよ」
「でしたら私にも少しわけていただけませんか?」
「うんいいよ。ちょっと待ってね」
やった。先生と同じ香りをつけることが出来る。それも新しい香りを、誰よりも早く。
「はい、手だして」
先生はカバンから取り出したハンドクリームのキャップをポンと外し、私は手のひらを先生に差し出す。先生が私の手の真上にハンドクリームを持ってきてそのまま軽く押すが、思っていたよりも力を入れすぎたのか勢いよくヌルッと私の手のひらにクリームがあふれ出てきた。
「ちょっと出しすぎちゃった。ごめんね」
手のひらに出された一人で使うには多すぎるクリームを見て、私はあることを思いついた。
「もしよろしかったら、先生もご一緒にどうですか?」
「え?」
「一人分の量ではありませんし、それでしたらいっそのこと二人で分け合ったほうがいいと思ったのですが……ダメ、ですか?」
「そっ、そんなことないよ!」
「それでは――はい」
両手を先生に差し出すと、先生は少し不思議そうな顔をした。
「先生が塗ってくださらないと分け合えませんよ? それとも私が先生の手を塗りましょうか?」
「そ、そっか。そうだね。うん」
しどろもどろになりながら先生はおずおずと私に向かって手を伸ばしてくる。
「そ、それじゃあ、やるよ?」
「はい、おねがいします」
私の差し出した手を先生がつかみ、手のひら同士を合わせる。先生が弧を描くように手を動かし、クリームが手のひらの中心から手のひら全体へぬるぬると広がっていく。クリームの少しひんやりとした温度と先生の体温が混ざり合い、心地よい温度へと変わっていくクリームはあっという間に私と先生の手のひらを覆ってしまう。
手のひらに広がるぬるりとした感触は、次に指の間へと場所を移していく。先生と私の指が絡み合い、撫で合い、求め合う。塗りのこしがないよう入念に、執拗に、ねちっこく、何度も、何度も、何度も絡み合わせる。
やがて先生の手は私の手の甲を包み込むように触れ、撫でまわし始める。優しく、ゆっくりと、丁寧に、私の手の甲を撫でまわす。宝物に触れるみたいに慎重に。
私の手の甲を這う先生の手はくすぐったく、けれど気持ちいい。手の甲に浮き出る骨の間を先生の指先が川の流れのようになぞるたび体の内側に快楽が溜まっていく。
最後に先生の手が私の手首をつかみ、左右にまわし、上下に動く。親指の腹でくにくにと私の手首を責め立てる。
クリームが塗り終わっても私と先生の手は絡み合ったままだった。
絡み合ったまま、また最初から繰り返す。
もう一度繰り返す、何度も繰り返す。
手のひらを、指の間を、手の甲を。
繰り返す。
求め合う。
先生の手を。
何度も、何回も、何度でも繰り返す。
すでにクリームが広がり切って残っていないことに気が付くことはなかった。
いや気が付いているのかもしれないけれど、気が付かないふりをして求め合った。
「…………ん」
途中でこぼれた声は誰のものだったのだろうか? 私の声だったかも知れないし先生の声だったかもしれない。そのことが判別つかないぐらい私は絡み合う私と先生の手に気を取られていた。
「…………せん、せい」
思わずこぼれ出た声。何か用があるわけでもないのに呼びかけた私の口はあつい吐息を何度も吐き出していた。
「ノア、ちゃん…………」
そしてそれは先生も同じで、湿っぽい先生の吐息を私は体内に取り込むと体の奥底から多幸感があふれ出し、私の脳はそれに酔い始めてしまう。
先生の目を見ればとろんと蕩けた目をしながら私を見つめていて、先生の目に映った私の目も同じように蕩けているのだろうか。
手で感じる先生の体温と感触は、手で感じるだけでは物足りなくなってきてしまっていた。
もっと先生を感じたい。先生と触れ合いたい。そう思った時には体は動いていた。
椅子に座る先生の上に跨いで向かい合わせになるように座る。指と指を絡め合わせた私たちの腕はくっつき、やがてお互いの胸と胸が重なり押し付け合う。
顔を近づけ、おでこを重ねる。
荒く吐き出された私たちの息は唇と唇のわずかな隙間で混ざり合い、そのまま二人で分け合って取り込む。
このまま唇を――――。
『キーンコーンカーンコーン』
「「!!??」」
シャーレに響くチャイムの音に体がビクッと反応する。気が付かないうちにどうやら相当時間が経っていたらしい。
手を放し勢いよく離れる。先生と触れ合っている箇所がなくなったからか体中に冷たい空気が襲ってきている感覚をおぼえた。
「そっ! それじゃあ仕事始めよっか!」
「え、えぇ。そうですね」
火照った体を冷ますように体の中にこもった息を吐きだすが、興奮した体は冷えることはなかった。
先生の向かいの席に座り、書類を広げ内容に目を通しても、憶えることが出来ない。一度見たものは憶えることが出来るのに憶えることが出来ない。そんな異常な自身の状態に気が付くことすらできないほど私の頭の中には先生のことでいっぱいだった。
落ち着かないからかもじもじと太ももをこすり合わせて、ちらりと向かい側に座る先生の方を見る。
「――っ!」
目が合った。
パッとそらされてしまったけど、先生の目はどこか物寂しそうにしていた。
そんな目を見てしまったからか、私の内側から衝動が湧き出し、気が付けば口を開いていた。
「先生」
「は! はいっ!」
「今日の午前中の予定はシャーレでの書類仕事だけでしたよね」
「そっ、そうだけど?」
「先生も知っての通り私、書類仕事は得意なんです」
「うん」
「この量を見るに予定より1時間は早く終わらせることが出来ます」
「……えっと?」
「なら、始めるのが1時間遅くなっても問題はないということです」
「の、ノアちゃん?」
「私も先生もこのままじゃお互いに集中できないと思うんです」
「ちょっと、まってね?」
「ですので、一度スッキリしませんか?」
「あのー?」
「大丈夫です。人が来ないよう鍵は閉めますので」
「大丈夫じゃないよ?」
「シャーレは防音対策もバッチリです」
「なんでそこを気にする必要があるのかな?」
「おや、先生は人に聞かれながらするのが趣向なんですか?」
「そういうわけじゃなくてっ!」
「先生、私もう我慢できないんです」
「ちょ! まっ――!」
夢中になってスッキリした私たちは結局2時間遅れで仕事を始めることになってしまい、二人で必死になって時間内に仕事を終わらせた。
これにて書きだめていた短編小説は底をつきました。
これからは月一更新になります。
もし更新がない時は単にサボっているか、もしくはR18に手を出しているかです。
というか今月書いたのがそうなのでそっちも見ていってね。
エッチなブルアカ小説短編集↓
https://syosetu.org/novel/414349/