朝起きたときノゾミから穏やかな顔で「おはよう」と言われたい人生だった
「…………ん、ぅん……」
まどろんだ意識が少しずつはっきりとしてくる。ぼんやりとした視界の中に映るのはシャーレの休憩室の天井。
枕の横に置いてあるスマホを手に取り時間を確認すると、6時を過ぎていた。
「……そろそろ、おきないと」
そう思うものの体に力は入らず、布団をどかすことが出来ない。
時間には余裕があるからもう少しぐらい眠っててもいいかなと体だけでなく意識も二度寝の状態へと移行していく。
意識がまどろみの中へと落ちかけた時、休憩室の扉が開いた。
「あ、起きたんだ先生。おはよう。コーヒー飲む?」
聞き覚えのある声が聞こえ、視線を向けるとそこには長い薄緑の髪をルーズサイドテールにし、フリルとリボンがついた水色のワンピースパジャマを身に着け、優し気な金色の瞳でみつめてくる生徒の姿があった。
「……ノゾミ?」
ハイランダー鉄道学園のCCCに所属している生徒、橘ノゾミがコップを手にして休憩室に入ってきていた。
「……なんでここに?」
どうしてここにノゾミがいるのか、昨日のことを思い出そうとしても思考がうまく回らない。
「なんでって……そんなの私たちが結婚してるからに決まってるじゃん」
そう言ってノゾミは左手を見せ付けてくる。そこにはシンプルながらも銀色に輝く指輪が薬指につけられていた。
「そっか……結婚……けっこん…………ケッコン……結婚!!??」
一気に頭がさえる。急速に動悸が激しくなる。
ノゾミと結婚した記憶はない。お酒を飲みすぎた? それとも記憶喪失? そもそも生徒に手を出したのか? と、いろんな考えが頭の中を駆け巡る。
「……え、っと……ノゾミ……? ちょっと……え……?」
もしそうだとしたら責任を取らないと、なんて考えていた時だった。
「…………パヒャ」
「え?」
急に笑ったノゾミを不思議に思い見てみればにんまりとした笑顔を浮かべていて、声を上げ笑い出した。
「パヒャヒャッ! 先生慌てすぎー!」
「え? え?」
可笑しそうに笑うノゾミ。その手に持ったコップは飲み物が入っているからかこぼさないようにと小刻みに揺れている。
「ジョーダンだよ、ジョーダン!」
「じょーだん?」
「そっ。この指輪もただのおもちゃだから」
笑いはおさまったもののその顔はニヤニヤとこちらを見ている。どうやらからかわれていたらしい。
「ビックリしたー! そっか、よかったー」
「なにそれー。私じゃ不満ってわけー?」
ほっと胸をなでおろしていると、ノゾミが不機嫌そうに詰め寄ってきた。
「いっ、いやそうじゃなくてね! ノゾミはとっても魅力的な女の子だよ! だからよかったっていうのはノゾミが相手じゃなくてよかったって意味じゃなくてねっ!」
「――――――プっ」
しどろもどろになって説明していると、またノゾミが笑い出す。
「パヒャヒャ! ほんと―に先生って面白いよね!」
どうやらまたからかわれていたらしい。そのことがちょっと面白くなくそっぽを向く。
「――つーん」
「ごめんってば先生。はい、コーヒーあげるから機嫌直して」
香ってくるコーヒーの香りが鼻腔を突き抜け、気持ちを落ち着かせてくれる。
「ありがとねノゾミ」
コップのふちに口をつけ、流れてくるコーヒーを受け止め飲み込む。熱すぎず、けれどぬるくもない丁度いい温度のコーヒー。程よい苦みの中にある少しの甘さが脳に伝わり刺激する。
「……おいしい」
コーヒーの味にすっかり気分を良くした私はノゾミに感謝の言葉を伝えた。
「……ちょっろ」
「なにか言った?」
「いや別にー。パヒャヒャ」
「それにしてもなんでノゾミがシャーレに?」
下手に突けばまたからかわれてしまうだろうと思い、話題を変えるとともに気になっていることを聞いてみる。
「あれ? ほんとに憶えてないの?」
「うん、ごめんね」
「いーよ別に、そんなたいした理由じゃないし」
たいした理由もなくこんな朝早くにシャーレに来るだろうか。というかノゾミの恰好的にシャーレで寝泊まりしたことは間違いないはずだ。生徒が寝泊まりしているんだからそれなりの理由があるはず……。
「先生の仕事を手伝ってたら夜遅くになったっちゃからシャーレに泊っただけだから」
「――本当にごめんなさい」
近くの机にコップを置き、すぐに両膝、両手、おでこを床につける。
思い出した。完全に思い出した。昨日の午後に急ぎの仕事がいくつか舞い込んでてんやわんやになっていたところ、その処理を当番だったノゾミが手伝ってくれたんだった。
自分の仕事を手伝ってくれたから寝泊まりすることになったのにそのことをすっかり忘れていたなんて。流石に寝ぼけすぎだ。
「いいって別に、そもそも今日の午前は暇だったからね」
なんてことないかのように笑うノゾミ。それは先ほどのからかうような笑みではなく、本当に気にしていないのだというかのように、しょうがないなぁと思っているかのように笑っていた。
「それよりも先生、なにか言うことない?」
「? 言うこと? あぁ、仕事手伝ってくれてありがとう」
「んー、そうじゃなくてさ。ほらっ」
そう言ってノゾミは両手を私の方へ広げる。その姿はまるで我が子を迎え入れる母親のような、穏やかで儚いような、優しくすべてを受け止める、そんな包容力に溢れていた。
「……………………ノゾミママ?」
「…………へ?」
思わず口をついて出てしまった言葉に思考が止まる。
今私は、なんといってしまったのだろう。
……ママ?
……ノゾミママ?
…………なぜ?
どうして私は生徒に、年下の子供にママと……?
「……あ、えっと……ちょっとまって……その……」
「――ムフー」
ノゾミの顔がにやけ始める。それも、過去一のにやけ具合だった。
「はーい、ママですよー♪」
「違っ、落ち着いて! 話をしよう!」
「うんうん、大丈夫。ママはちゃんとお話を聞くからねー♪」
「あああああぁぁぁぁぁ!!!」
この後十分ぐらいずっとからかわれ続け、結局ノゾミがどんな言葉を求めていたのかはわからずじまいだった。
そんな風にノゾミとすごしていると何やら食欲を誘う香ばしい匂いが漂っていることに気が付き疑問に思う。
「なんだか良い匂いするね?」
「うん、朝食つくったから」
「つくった!? ノゾミの手料理ってこと!?」
「そうだよ。先生の分もあるけど、食べる?」
「もちろん!」
ノゾミに誘われ食堂に訪れるとご飯に味噌汁、目玉焼きにソーセージと王道ながらもどこか完成された食事がテーブルの上に用意されていた。
「ちょっと冷めちゃったかも。温めよっか?」
「いや、このままで大丈夫だよ」
正直この献立を前にして、私の食欲は我慢が出来なくなるほど暴れていた。
椅子に座り、手を合わせ、挨拶をする。
「「いただきます」」
箸を持ち、ほんのりと焦げ付いたソーセージをつかんで口元へ運ぶ。プルンとしたその身を前歯で挟み、嚙みちぎる。パリッとした触感、口の中であふれ出す肉汁、ホロホロと崩れるお肉のジューシーな味わい。これだけでも十分なほどだが、もう一品のおかずがその身を光らせながら待っていた。
広大な白い大地の真ん中に黄色く輝く山、そしてその大地に振りかけられた色づいた雪は溶け始め大地をうるわせている。そんな大地の端の一部を箸で切り取り掴む。プルプルと震えるそれを白米の上に乗せ、白米と一緒に口へ運んだ。
しっとりとしながらもあたたかなお米の感触とプルンとした白身にかけられている塩コショウの塩味が脳を刺激する。目玉焼きというただ卵を焼いただけとは思えない美味しさに舌鼓を打つ。
最後に味噌汁。豆腐とわかめのみというありきたりな具材でありながらもそのシンプルさが朝食という寝起きの体を優しく刺激し、全身でうま味を味わう。
特別な食材を使っているわけでも、凝った料理というわけでもない単純な料理だ。それでもノゾミが作ってくれた朝食はどれも美味しく、箸を動かす手が止まらなかった。
「ねぇ先生」
夢中になって朝食を味わっているとノゾミが声をかけてきた。口の中で料理を噛みしめている最中で応答が出来ず首をかしげて返事をする。
「こうしてるとさ、本当に夫婦になったみたいだよね」
「!? ゴホッ! ゴホッ!」
ノゾミの発言に思わずむせてしまう。慌ててコップを手に取り勢いよく水を飲み干す。ごくごくと喉に詰まりかけた料理を水で押し流し、空になったコップをコンとテーブルに置く。
「――プハッ! ふぅー」
「先生、大丈夫?」
「うん、平気」
危なかった。料理を飲み込む直前だったから噴き出さずに済んだ。ノゾミの発言がもう少し早ければこのテーブルも対面に座るノゾミも大惨事になっていただろう。
「食事中にあんま変なこと言わないでよ」
「私は思ったこと言っただけなんだけどなぁー。先生にとっては変なことなんだー?」
この後もからかわれながらも楽しい朝食の時間を過ごした。
食後の余韻を楽しんでいるとノゾミが使った食器をシンクに持っていく。そのまま洗い始めようとしていたところを急いで止め「このくらいは自分でやるから」と説得し、すでに7時を過ぎていたためノゾミに着替えを促す。
いくら午前は暇だといってもシャーレからハイランダーまではそれなりに時間がかかる。急ぐほどではないにしろそろそろ帰る準備をしなければいけない時間だ。
食器や使ったフライパン等を洗い終わると、とてとてと歩いてくる足音が聞こえた。
「それじゃあ先生、私ハイランダーに戻るね」
声をかけてきたほうを見るとノゾミはいつものハイランダーの制服に身を包んでいて、なんだか安心感を憶えた。
「朝食ありがとね。美味しかったよ」
「パヒャ! それならまた作ってあげるね!」
「うん、期待して待ってるね」
「あっ! パジャマはシャーレに置いていくけど変なことに使わないでよー?」
「使わないよ!」
「それと行ってらっしゃいのチューは?」
「しないよ!?」
「パヒャヒャッ! 泊めてくれてありがとね先生!」
元気よくシャーレを後にするノゾミを手を振って見送る。今日は朝からノゾミにからかわれていろいろと疲れた。けれど別に悪い気はしなかった。むしろその疲れから元気が湧き出てきている。
「……さてと、今日も一日頑張るか」
支度を済ませシャーレのオフィスへと向かった。
シャーレから少し離れたところでノゾミは立ち止まり、スマホを手にする。暗い液晶ををタップするとそこにはだらしない顔をしている先生の寝顔が表示された。
「……パヒャ」
ポケットにスマホをしまい歩き始めるその歩幅は、いつもよりほんの少し広かった。
ノゾミママのポスターが欲しいです。
20連して当たりませんでした。
諦められません。
寝室のドアに張って毎朝起きたときにノゾミママに「おはよう」って挨拶したいんです。
ノゾミママは私のお母さんだ!