「ぷはぁ〜、疲れた〜」
ジルクニフたちが立ち去ったのを確認した後、トンヌラはぐったりと玉座の背もたれに深く寄りかかった。
「お疲れ様です、トンヌラ様。見事な演技でした」
先程まで殺気を放っていたデミウルゴスが打って変わって心から労いの言葉をかける。
「アインズ様におかれましても、私などの発案を受け入れてくださり、感謝いたします」
「何を言う、デミウルゴス、お前の案は完璧だったぞ」(まぁ内容の半分も理解できなかったんだけどね……)
「もったいなきお言葉、ありがとうございます」
主からの称賛を受け、悪魔は歓喜に満ちた声で深々と頭を下げるのだった。
そんな中、口を開いたのはシャルティアだった。
「アインズ様、トンヌラ様。恐縮ながら、一つご質問させてくんなまし。なにゆえ、あのような人間の皇帝を協力者などに据えられたのでありんすか?」
純粋な疑問を向けるシャルティア。同じように平伏する他の守護者たち──この計画の全容を把握しているアルベドとデミウルゴスを除いた面々──もまた、彼女と同じように腑に落ちないといった様子で、玉座の二人を見つめていた。
その視線を一斉に浴びたトンヌラは、あからさまに目を泳がせた。
「うぇっ!? ……あ、あー、そういう難しいことはアインズさんの方が詳しいから! うん、あとはよろしく、アインズさん!」
「えっ!?」(コ、コイツ!? 全部俺に丸投げしやがった……!)
突然話を振られたアインズは、内心で悲鳴を上げる。しかし守護者たちの期待に満ちた視線を一身に浴びている手前、支配者としての威厳を崩すわけにはいかない。
「……コホン。大義名分が必要だったのだよ」
「大義名分、でありんすか?」
シャルティアは不思議そうに首を傾げる。
「力で支配するのは容易だが、それでは敵を作り過ぎてしまう。廃墟となった国ではアインズ・ウール・ゴウンの名が泣こう」
「ナルホド……」
「そ、そんなお考えだったんですね」
コキュートスが感心したように冷気を吐き出し、マーレが尊敬の眼差しで感嘆の声を漏らす。
アインズも内心で密かに安堵の息を吐き、隣のトンヌラも『さすが先輩』とばかりに頷いていた、その時。
「くふふ」
「……君たちは本当にアインズ様の計画がそれだけだと思っているのかね?」
「「えっ!?」」
意表を突かれ、守護者たちが一斉にアルベドとデミウルゴスを見つめる。
だが、その場にいる誰よりも──一番驚いていたのは、他ならぬアインズとトンヌラの二人だった。
「やれやれ、アインズ様、トンヌラ様。シャルティアたちにも真の狙いを告げていたほうがよろしいのではないでしょうか。今後の方針にも関わってきてまいりますので」
「さ、さすがはデミウルゴス! それに守護者統括たるアルベド。私の狙いの全てを看破するとは……な、トンヌラ君!」
「う、うんうん! やっぱり二人は天才だね!」
すかさず話を振られたトンヌラも全力で同意する。
「いえ、遥か先を見通されるお二方の叡智に比べれば、我々の浅知恵など取るに足らないものです」
「どういうことでありんすか?」
謙遜するデミウルゴスに、待ちきれないといった様子でシャルティアが口を開く。
アインズとトンヌラは、すがるような思いでお互いの顔を見合わせる。
そして、アインズは伝家の宝刀を抜いた。
「デミウルゴス。お前が理解したことを他の者たちに説明することを許す」
「畏まりました」
◆
帰りの馬車は重い空気が支配していた。
ジルクニフは苦虫を噛み締めたような顔で俯いている。
(………あれは──魔王の城だ)
常識を凌駕する化け物どもの巣窟。そして、その最奥でそれを従える規格外の存在。
──王座に座った『死』。
握りしめ過ぎて白くなった手を見つめる。
(……いや、まだだ。まだ決定的な敗北ではない)
ジルクニフは不敵に笑ってみせた。帝国の頂点に立つ『鮮血帝』に相応しい、力強い笑みだ。主君が絶望に呑まれていないことを確認し、同乗していた近衛たち──バジウッドをはじめとする部下たちの表情が、目に見えて安堵に変わる。
「さて、状況を整理しよう。まず、アインズ・ウール・ゴウンは死の騎士《デス・ナイト》を容易く生み出せる化け物の中の化け物だ。敵に回せば間違いなく帝国は滅びる。だが、敵対しなかったとしても、奴がアンデッドである以上、生者である我々が面白半分に殺される可能性は極めて高い。これに異論は?」
「ありません」
「間違いねぇな」
側近たちは揃って頷いた。誰もが、あの玉座の間で目にしたこの世ならざる光景を思い出していた。
「そして、もう一人の支配者であるトンヌラ。彼女は奇怪な異形の姿をしているが、言動から推測するに、中身は見た目通りの幼い少女だ。しかしながら、部下からの忠誠心はアインズに勝るとも劣らないほど厚いとみえる」
「そうですねぇ……。実際、『こらっ』ていうあの一言だけで、あのヤバい悪魔を瞬時に止めてみせたんですから」
バジウッドが先ほどの光景を思い返しながら、感心したように呟く。
「あぁ。そして何より重要なのは……トンヌラが、あの化け物の巣窟において、希少な『平和主義者』であるということだ。彼女は同格であるはずのアインズの意見に口を出し、対立してまで、人間の国を滅ぼすことを止めてみせた」
「あの少女の発言がなければ王国は滅びてたわけですよね、なんだか今になって鳥肌が立ってきました」
「ある意味あの嬢ちゃんは世界の救世主ってやつかもなぁ」
「ふっ、確かにそうだな。いや、彼女にそうなってくれないと困る」
「どういうことですか?」
側近の一人が怪訝な顔で首を傾げると、ジルクニフはニヒルな笑みを浮かべた。
「完璧で、いかなる勝機も見出せないあの怪物、ゴウン……その唯一の『弱点』だと言っているんだ」
「弱点、そんなものがあるんですか?」
「奴が絶対的な力と権力を有する支配者であるならば——王国を滅ぼそうとした際、トンヌラというあの少女に止められて、何故素直に矛を収めた?」
「確かに……」
側近は息を呑み、深く頷く。
「単に、あの嬢ちゃんが骸骨より強かったってオチじゃないですか?」
バジウッドの冗談めかした発言に、ジルクニフは失笑してしまう。
「もしそうだとしら、笑えないな」
軽く息を吐き、ジルクニフは再び話を続ける。
「だが、そこから導き出される仮説は一つ。おそらくあの連中は決して一枚岩ではないと私は見ている。考えてもみろ、あんな多種多様の化け物たちが、何の軋轢もなく一つの組織としてまとまっている方が不思議だ」
「同意見だな」
「そこが奴らの弱点だ」
「つまり仲間割れさせるということですか?」
「そうだ、だが簡単にはいかないだろう。ゴウンとトンヌラは決して仲が悪いようには見えなかった。それにゴウンがトンヌラに強く出れない理由も不透明だ。そこさえ知れれば、さらに勝機が見出せるのだが……」
「陛下がいつもの色仕掛けをしたらどうです?」
「はっ、相手は少女だぞ? そうでなかったとしても、触手女はごめんだ」
◆
「──といったように、あの皇帝はこのように考え、実行に移すだろう。まぁ今回は、ある程度賢い者ならそう考えるように仕組ませてもらったのだがね」
デミウルゴスが、まるで既にジルクニフの思考を完全に掌握しているかのように説明を終えると、アウラが疑問を口にした。
「それって、アインズ様とトンヌラ様の演技のこと?」
「そうよ。アインズ様が残酷無比な魔王役、トンヌラ様は平和主義のお姫様。要はアメとムチね。あえて対照的な姿を見せることで、あの皇帝に『ナザリックは一枚岩ではない』と思わせたというわけ」
アウラが納得したように頷く中、マーレがアインズへ視線を向けた。
「あ、アインズ様はとてもお優しいのに……」
「ありがとうマーレ。ただ私は気にしていない、敵に誤った情報を流せるならどんな役でも演じてみせよう」
その言葉を見逃すアルベドではなかった。
「っ! な、なら今度は私の旦那役に!!」
「はぁ!? なんであんたが妻役でありんすか! 適役は私でしょうが!!」
「あぁ!?」
毎度お馴染みとなった二人の言い争いに、アインズは深々と頭を抱える。その隣では、トンヌラが「またか」とでも言いたげな苦笑いを浮かべていた。
「御身ノ前ダ、少シ黙レ」
コキュートスが口から冷気を吐き出しながら、二人を睨みつけている。声を荒らげているわけではない。それでも、その一言に込められた怒気は十分すぎるほどだった。
「も、申し訳ございません!」
「お許しをアインズ様!」
「……はぁ、よい。デミウルゴス続けよ」
「はっ」
デミウルゴスは一礼すると、改めて守護者たちへ向き直る。
「先程申し上げたように、あの皇帝は我々を分断しようと、これから様々な手を打ってくるでしょう。そして、その裏では人間の国々に手を組ませ、我々に対抗する連合を作ろうとするはずです」
守護者たちは黙って耳を傾ける。
「しかし、実際にはアインズ様とトンヌラ様は対立などしていない。それどころか、これから我々が作り上げる国は、平和で豊かな国となるでしょう」
デミウルゴスはそこで一度言葉を切り、口元に悪い笑みを浮かべた。
「そうすると、どうなると思いますか?」
「……?」
「仲睦まじいお二人を引き裂こうとし、平和に暮らしている国を潰そうとする。そうなれば──悪となるのは、我々ではない」
デミウルゴスの声が、静かに玉座の間へ響く。
「お二人を引き裂こうとする者たち。平和を脅かそうとする者たち。つまり、人間側のほうが『悪』として認識されるわけです」
「なるほど〜」
「ソウイウコトカ」
「理解したでありんす」
守護者たちが納得する中、アインズとトンヌラの二人もやっと意味を理解して安心した。
そして──。
「…………」
「…………」
玉座に座るアインズとトンヌラも、ようやくその意味を理解した。
(なるほど、そういうことだったのか!)
(ちゃんと演技の練習しておいてよかった〜)
アインズとトンヌラは、ほぼ同時に胸を撫で下ろした。
これでようやく、二人もデミウルゴスの計画の全容を理解することができたのだった。
「まさに我々の掌の上、これを滑稽と呼ばずなんと言いましょうか」
「これらすべてはアインズ様の計画によるもの、ですよね?」
「……ぇ?」
思わぬ方向から飛んできた言葉に、アインズは一瞬だけ固まる。
そして、ゆっくりと隣へ顔を向ける。
「…………」
そこには、露骨に顔を逸らしているトンヌラの姿があった。どうやら、これ以上この話に巻き込まれるつもりはないらしい。
(お、おい……!)
アインズが視線だけで訴えかける。
しかし、トンヌラは頑なにこちらを見ようとしない。
(し、仕方ない……)
「……そ、その通りだ」
苦渋の決断だった。
アインズが威厳を保ちながら肯定すると、守護者たちから次々と感嘆の声が上がる。
そこにもう一人。
「さ、流石アインズさんですね〜!!」
トンヌラが満面の笑みを浮かべながら、アインズを褒め称えていた。まるで、僕は何も関係ありませんよ、とでも言いたげな態度である。
(き、きたねぇ! 作戦とか立てる役目を全部俺に押し付けるきか!?)
アインズが心の中で叫ぶ。
トンヌラも同じく目線で訴える。
(しょうがないじゃないですか! 僕は先輩みたいにポーカーフェイスは苦手なんですから!)
(それだけ!?)
(先輩なら出来ますよ!)
(できるかぁ!?)
二人は守護者たちか尊敬の眼差しで見つめる中、目線だけで幼稚な言い合いを繰り広げるのだった。
真夜中。
ナザリック第九階層。
コンコンコンコン。
静まり返った廊下に、扉を四度叩く音が響いた。
そこはかつて至高の四十二人が使用していた部屋の一つ。現在はアルベドの自室として使われている場所だ。
しばらくして。
コンコンコンコン。
再び、四度。
それは偶然でも、来訪を知らせるためのものでもない。あらかじめ決められていた、秘密の合図だった。
「お入りください」
室内からアルベドの声が返ってくる。
ゆっくりと扉が開かれ、その向こうから一人の少女が姿を現した。
「お待ちしていました、トンヌラ様」
「………うん」
短く返事をしたトンヌラが、静かに部屋の中へ足を踏み入れる。
アルベドの黄金に輝く瞳が、トンヌラを捉える。
そして、扉はゆっくりと閉まった。