ギルド長が過保護すぎる   作:ピロリ菌ex

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4.目覚めと再会/帰還

 

 

「っ?」

 

 瞼を開ける異形の少女トンヌラ。

 朦朧とした意識のまま体動かすと、自分が何か柔らかいものの上に横たわってることに気づく。包み込まれるような感触に、反射的にそれがベッドであると理解した。

 

 その瞬間、直後の記憶が一気に蘇る。

 

 ユグドラシルのサービス終了。モモンガと過ごした最後の時間──。

 

「っ、会社!!」

 

 完全に寝坊したと勘違いして勢いよく起き上がるトンヌラ。

 だだ、遅刻だと思い焦っていた脳はさらに困惑することになる。

 

「………ここどこ?」

 

 そこは見覚えのある自室ではなくとても豪華な部屋だった。

 壁には精巧な装飾が施され、豪奢な額縁に収められた絵画がいくつも飾られている。家具も一つ一つが高価そうで、生活感よりも“見せるための空間”という印象が強い。

 

 そして何より。

 

「ベットに屋根がある……」

 

 トンヌラが寝ていたベッドには、四本の柱と布で覆われた天蓋がついていた。漫画やアニメでしか見たことのない、いわゆる“貴族の部屋”そのものだった。

 

 混乱したまま周囲を見渡しながら、トンヌラは必死に状況を整理しようとする。

 

(誘拐、はあり得ないよね?僕からとれるお金なんて無いし。そもそも誘拐ならこんな豪華な部屋で監禁なんてしないもんね)

 

 と、考えるも。

 

(……ますますこの部屋で寝てる意味がわからんのですが?)

 

 その時、ふと違和感を覚える。

 

「……あれ?」

 

 視線を落とした先、自分の手。

 

 だが、それは見慣れたものではなかった。

 

 指は短く、全体的に小さい。骨張った成人男性の手ではなく、丸みを帯びた幼い手。

 

「……え?」

 

 腕を見る。細い。

 

 身体を軽く動かしてみる。軽い。

 

 違和感が、確信へと変わっていく。

 

(ちょっと待って……これ)

 

 恐る恐る自分の身体を触りながら、トンヌラは結論にたどり着いた。

 

「……子供、ていうか、僕のアバター?」

 

 すぐに首を振る。

 

「いやいや、いやいやいやいや……」

 

 あり得ない、と否定する。

 

(完全に夢。疲れてるだけだって……)

 

 自分に言い聞かせるように何度も繰り返す。

 

 だが。

 

 ベッドの感触も、空気の温度も、肌に触れる布の質感も──すべてが妙に現実的だった。

 

「………」

 

 混乱のあまり、トンヌラはしばらくその場から動くことができなかった。

 

 状況を整理しようとしても、情報が少なすぎて思考が空回りするばかりである。自分の身体が子供のように変化していること、見知らぬ豪華な部屋にいること、そのどれもが現実味を欠いていた。

 

 そんな沈黙を破るように、部屋の扉が静かに開いた。

 

「っ!?」

 

 トンヌラは肩をびくりと震わせ、反射的にそちらへ視線を向ける。

 

 誘拐犯や怪しい人物の姿を一瞬想像したが──。

 

 入ってきたのは、まったく予想外の人物だった。

 白い髪を丁寧にまとめた、美しい女性。整った顔立ちに、きっちりとしたメイド服を身に纏っている。

 どう見ても“普通ではないが、危険そうでもない”存在だった。

 

(……め、メイド?)

 

 あまりにも現実離れした光景に思考が止まる。

 そして、入ってきたメイドのほうもまた、同じように動きを止めていた。

 

「えっ」

 

 小さな声が漏れる。

 その視線は、まっすぐにトンヌラへ向けられている。

 お互いに、言葉が出ない。

 

 数秒。

 

 いや、体感ではもっと長く感じる沈黙が流れる。

 謎の間が生まれる。

 

「あ、あ、ああ、アインズ様〜!?」

 

 次の瞬間、メイドは顔を引きつらせたまま叫び声を上げると、そのまま慌てて部屋を飛び出していった。

 

 扉が勢いよく閉まる。

 再び、静寂。

 

「……………訳がわからん」

 

 とにかく、このわけのわからない空間から離れなければならない。そう判断したトンヌラは、ベッドから慌てて降りた。

 

 足が床に触れた瞬間、違和感が走る。

 

 視線の高さが、明らかに低い。

 さきほど確認したとおり、自分の身体が子供のものに変わっているという事実を、嫌でも実感させられる。

 

(……マジかよ)

 

 思わずそう呟きそうになるが、すぐに首を振る。今はそんなことを考えている場合ではない。

 

 あのメイドが戻ってくるかもしれないし、そもそもここがどこなのかも分からない以上、危険な場所である可能性のほうが高い。

 

 トンヌラは小さな身体を動かし、急いで扉へと駆け寄った。

 

 ──その時。

 

 廊下の向こうから、足音が聞こえた。

 規則正しく、迷いのない足取り。

 

(っ……まずい!?)

 

 心臓が跳ねる。

 逃げ場を探そうと視線を泳がせるが、この部屋には身を隠せるような場所がほとんどない。クローゼットに入るべきか、それともベッドの陰に──そんな判断すらまとまらない。

 

 あたふたと動くうちに。

 無情にも、扉の前で足音が止まった。

 

 そして。

 

 ゆっくりと、扉が開かれる。

 軋む音がやけに大きく感じられた。

 反射的に、トンヌラはそちらを振り向く。

 

 ──次の瞬間。

 

 思考が、止まった。

 

「ひぃっ!?」

 

 目に映ったのは、人間ではなかった。

 皮膚がない。

 肉もない。

 ただ、白い骨だけで構成された顔。

 空洞の眼窩。

 そこに宿る、不気味な光。

 生き物としての“何か”が完全に欠落している存在。

 理屈ではなく、本能が告げる。

 

 これは──この世のものではない。

 

 化け物だ。

 腰から力が抜けて足が支えきれず、その場に崩れ落ちる。

 逃げなければならないのに、身体が動かない。

 

 ただ骸骨はその場から動こうとしない。

 襲いかかってくる様子もなく、ただその場に立ったままトンヌラを見つめている。

 

 その不自然な静止にトンヌラの中で恐怖とは別の違和感がじわじわと広がっていく。

 

 逃げなければならない状況のはずなのに、なぜか視線を逸らせない。

 よく見ればその立ち方や雰囲気に、どこか見覚えのようなものを感じる。

 

(というか……この骸骨、なんだか……)

 

 あり得ない、と否定しながらも記憶の中の何かと重なりそうになる。

 

「……トンヌラ君」

 

 骸骨の姿で自分のことをトンヌラと呼ぶ人は一人しかいない。

 

「…………先輩?」

 

 そう呟いた次の瞬間、骸骨が一気に距離を詰めてきた。

 反応する暇もなく、そのまま強く抱きしめられる。

 

「っ……」

 

 触れた感触は、当然ながら人間のものではない。硬く、冷たい骨の感触がはっきりと伝わってくる。

 本来ならば恐怖を覚えてもおかしくないはずなのに、不思議と嫌悪感はなかった。

 

「よかった、本当によかった……」

 

 耳元で聞こえる声は、先ほどまでの落ち着いたものとは違い、わずかに震えていた。心から安堵していることが、その声音だけで伝わってくる。

 

 それを聞いた瞬間、トンヌラの中に残っていた恐怖は嘘のように消えていった。

 

 理由ははっきりしない。だが、この骸骨が“先輩”であると分かったことで、すべてを受け入れてしまっていた。

 固く冷たい身体に抱きしめられているにもかかわらず、その腕の中は不思議と温かく感じられた。

 

「えっと先輩……モモンガさん、ですよね?」

 

 恐る恐る確認するように問いかけるトンヌラに、骸骨──モモンガは小さく肩を揺らした。

 

「はは、その名前で呼ばれるのも久しぶりだ」

 

 どこか懐かしむような口調だった。

 ゆっくりと身体を離したモモンガは、まだ床に座り込んだままのトンヌラに骨の手を差し出す。

 

 一瞬だけその手を見つめるトンヌラだったが、やがて意を決してそれを掴み、引き上げられるように立ち上がった。

 改めて見上げると、やはりその姿はどう見ても人間ではない。皮も肉もない骸骨の顔が、こちらを見下ろしている。

 それでも、不思議と恐怖は湧かなかった。

 

「先輩、この状況って……」

 

 何から聞けばいいのか分からず、それでも言葉を絞り出す。

 モモンガは一度小さく頷いた。

 

「ああ、一から説明する」

 

 そう言ってから、扉の方へと視線を向ける。

 

「おい。この部屋には私とトンヌラ君以外の入室は許可しない。誰も近づけるな」

 

 支配者然たる先輩の姿に驚くトンヌラ。

 扉の外に控えていたメイドがすぐに反応し、恭しく一礼する。

 

「かしこまりました」

 

 静かに扉が閉じられ、部屋の中には再び二人きりの空間が戻る。

 トンヌラはベッドの縁に腰を下ろし、モモンガはその向かいにある椅子へと座った。

 ほんの少しの沈黙のあと、モモンガが口を開いた。

 

「まず確認したい。トンヌラ君のユグドラシルでの最後の記憶はどこまでかな?」

 

「えっと……」

 

 トンヌラは視線を落とし、記憶を辿る。

 

「先輩と別れて、それからナザリックの中を見て回って……外に出て……」

 

 そこまで言って、言葉が止まる。

 

「あれ……」

 

 違和感。

 その先が、思い出せない。

 

「そこからの記憶が……ないです」

 

 自分でも不思議そうに呟く。

 モモンガは顎に手を当てるような仕草をして、しばらく考え込む。

 

「なるほど……」

 

 低く、思案する声。

 やがて顔を上げた。

 

「では、今度は俺の方から話すよ。君と別れたあとのことから、順を追って説明する」

 

 モモンガは急がず、ゆっくりと語り始めた。

 

 サーバーの終了時間を迎えてもログアウトが発生しなかったこと。その直後、ナザリックに存在するNPCたちが、それまでのプログラム的な挙動ではなく、自ら意思を持って動き出したこと。

 

 そして何より──ナザリック地下大墳墓そのものが、丸ごと見知らぬ世界へと転移していたこと。

 

 さらに、この世界にはユグドラシルと同じような体系の魔法が存在していることや、これまでに調査して判明した周辺の情報についても、細かい部分は省きつつ要点だけを丁寧に説明していく。

 

 最後にトブの大森林と呼ばれる場所で、トンヌラを発見した経緯を話し終えると、部屋の中にしばしの静寂が流れた。

 

 あまりにも現実離れした話に、トンヌラはすぐに言葉を返すことができない。

 

 ようやく口を開いたときには、困惑がそのまま声に出ていた。

 

「え、えっ? つまり僕は、転移してからずっと森で寝てたってことですか?」

 

 自分でも信じられないといった様子で問い返す。

 モモンガはすぐに首を横に振った。

 

「いや、それは違うようだ」

 

 短く否定し、少しだけ間を置いてから続ける。

 

「俺がこの世界に来たのは、サービス終了と同時。だが君が見つかったのは、それからかなり時間が経ってからになる」

 

「え……?」

 

 理解が追いつかず、トンヌラは眉をひそめる。

 

「つまり、君は俺よりもずっと後──つい最近、この世界に転移してきたらしい」

 

「で、でも……」

 

 思わず言い返す。

 

「僕、先輩と同じで最後までナザリックにいたはずですよ?」

 

 そこは確信があった。だからこそ、この説明には違和感が残る。

 モモンガはその言葉に小さく頷いた。

 

「ああ、その点については俺も引っかかっている」

 

 そして、少し考えるように視線を落とす。

 

「これはあくまで推測だが……」

 

 そう前置きしてから、トンヌラを見る。

 

「さっき君は、最後の瞬間に外へ出ていたと言っていたよね?」

 

「は、はい」

 

 トンヌラは素直に頷く。

 

「それが原因かもしれない」

 

 モモンガは静かに結論を述べた。

 

「ナザリック内部にいた者と、外にいた者とで、転移のタイミングや座標にズレが生じた可能性がある」

 

「ズレ……」

 

 トンヌラはその言葉を繰り返す。

 

「場所だけでなく、時間も含めて……まぁ、あくまで推測だよ」

 

 モモンガは最後にそう付け加え、ひとまず説明を締めくくった。しかし、その言葉を聞いたトンヌラは、ふと小さく首を傾げる。

 

「……あれ?」

 

 何か引っかかる。

 

 さきほどの会話を頭の中でなぞりながら、ゆっくりと口を開いた。

 

「さっき僕、最近転移してきた“らしい”って言いましたよね」

 

 視線をモモンガへ向ける。

 

「でも先輩、それをどうやって知ったんですか?」

 

 純粋な疑問だった。

 だが、その一言に対するモモンガの反応は、明らかに不自然だった。

 

「うっ……あ、あぁ、それね」

 

 わずかに言葉に詰まる。

 いつもの落ち着いた様子とは違い、どこか歯切れが悪い。

 その態度に、トンヌラは逆に嫌な予感を覚える。

 

「……?」

 

 沈黙が一瞬だけ流れる。

 

 やがてモモンガは小さく息を吐いた。

 

 何かを覚悟したように。

 

「……じ、実は」

 

 ゆっくりとした口調で、事実を告げる。

 

「君は転移した直後、ある連中に連れ去られていたんだ」

 

「……え?」

 

 言葉の意味がすぐには理解できない。

 

「連れ去られたって……」

 

 頭の中で言葉を組み立てながら、トンヌラは確認する。

 

「ゆ、誘拐……みたいなことですか?」

 

「う、うん、まぁそんな感じだ」

 

 モモンガは苦いものを飲み込むように頷いた。

 そして、はっきりと告げる。

 

「トンヌラ君。君はトロールの集団に捕まっていた」

 

「えっ?」

 

 一瞬、時間が止まる。

 

 その直後、トンヌラの顔から一気に血の気が引いた。

 

「ま、まさか……!」

 

 何かを想像したのか、ぶんぶんと首を振りながら叫ぶ。

 

「エロ同人みたいなことにっ!?」

 

 それを聞いたモモンガは、思わず吹き出す。

 

「っっっ!?なんでそうなるっ!?」

 

 張り詰めていた空気が、一気に崩れた。

 

「だ、だって異世界でトロールって言ったらそういうイメージあるじゃないですか!」

 

「い、いや、それは分からんくもないが……と、とにかく、そういう感じで捕まっていたわけじゃない」

 

 モモンガは深くため息を吐き、椅子に座り直す。

 

「それに君の身体には傷一つなかったから安心するといい」

 

「えっ、先輩がTS幼女化した後輩の身体を隅々まで調べてくれたんですか!?」

 

「なんで君はそっちの方向に持っていきたがるかなぁ!?」

 

 昂った感情にブレーキがかかる。

 モモンガの身体に備わっている"感情抑制"が働いた。

 

「……はぁ」

 

 息を吐き、いつもの落ち着きを取り戻す。

 

「ペストーニャが君を診てくれたんだ」

 

「ペストーニャ……確か犬の頭のメイドですよね」

 

「そうそう、後でお礼にでも会いに………あっ」

 

 突然モモンガは頭を抱える。

 

「どうしたんですか?」

 

「重要なことを言い忘れてたよ」

 

「……重要」

 

 その声音にただならぬものを感じ、トンヌラは思わず息を呑む。

 ごくり、と喉が鳴った。

 

「多分これから先、俺含めて……君は苦労することになる」

 

「そ、それは?」

 

 

 

「NPCたちの、忠誠心だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────

 ────

 ──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 玉座の間。

 

 神々しい空間。

 その最奥、高く設けられた壇上に──アインズ・ウール・ゴウンが座している。

 黒と金で構成された玉座に身を預ける骸骨の王。

 

 ──そして、その視線の先。

 

 赤い絨毯の上に、幾重にも連なる影。

 

 ナザリックに仕えるNPCたち、そして配下のモンスターたちが、一切の乱れなく整列し、深く跪いている。

 

 頭を垂れ、背を低く落とし、誰一人として顔を上げない。

 それは命令されたからではない。

 “そうせずにはいられない”という、絶対者への本能的な服従だった。

 

 鎧を纏う者も、異形の肉体を持つ者も、その姿形は様々だ。

 だが共通しているのは、全員がただ一つの存在に忠誠を捧げているという事実。

 

「面を上げよ」

 

 低く重厚な声が響く。

 配下たちはゆっくりと顔を上げる、事前に練習したかのように完全に統制された動きだった。

 

「皆、よく集まってくれた。そして早速だか皆に伝えるべきことがある」

 

 アインズの声は静かだったが、その一言だけで玉座の間の空気がさらに張り詰めた。

 

 誰一人として動かない。

 ただ次の言葉を待っている。

 

「……我がアインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーの一人」

 

 ほんのわずかに、空気が揺れる。

 

「トンヌラ君が──無事、帰還した」

 

 まるで時間が止まったかのような一瞬。

 

『──ッ!!』

 

 空気が爆発する。

 抑えきれない感情が一斉に噴き出した。

 驚愕。

 歓喜。

 そして──熱狂。

 跪いたままの者たちの背がわずかに震え、顔を上げた者たちの目には、はっきりとした光が宿る。

 

「な、なんと……!」

 

「トンヌラ様が……!」

 

「至高の御方が……もう一人……!」

 

 ざわめきが広がる。

 だがそれは無秩序なものではない。むしろ抑え込もうとしてなお漏れ出た感情だった。

 

「静まれ」

 

 アインズが低く告げる。

 

 その一言で、ざわめきはぴたりと止んだ。

 再び訪れる静寂。だが、その空気は先ほどとは明らかに違っていた。

 

 熱を帯びている。

 

 期待と興奮が抑えきれず、場の密度が変わっているのが分かる。

 

「──入れ」

 

 直後。

 玉座の間の扉がゆっくりと開き、全員の視線が一斉にそこへと集中する。

 

 光が差し込む入口に伸びる影。

 

 控えめな足取りで入ってきたのは一人の少女。

 腰ほどまだ伸びる触手の髪と幼い外見。

 

 配下たちは統制された動きで少女の道をあける。

 

 支配者の帰還を讃えるように。

 

 そんな中、トンヌラは。

 

(うわぁ……めっちゃ見られてる)

 

 完全に圧倒されていた。

 

 左右から突き刺さる視線。

 

 一つ一つが重い。

 いや、重いどころではない。

 尊敬とかそういうレベルを通り越して、信仰に近い何かが向けられているのが分かる。

 

 緊張で足と腕が同時に出るトンヌラ。

 それでもなんとかアインズの元まで歩く。

 

(やばい、もう体力ミリなんですけど)

 

 アインズは静かにトンヌラへと顔を向けて小さく頷いた。

 トンヌラにとっては逃げ場のない開始の合図でもあった。

 

(いや無理無理無理無理!?)

 

 全力で拒否したいが、ただこの場の空気がそれを許さないことも理解していた。

 

「……あ、アインズ・ウール・ゴウンのメンバー、トンヌラでしゅ」

 

 噛んだ。

 

 おもっきり。

 

「………」(トンヌラ君!?)

 

 顔を真っ赤に染め、目尻に涙を浮かべながら、必死にその場に立っていた。

 

(やばい、帰りたい……)

 

 羞恥で意識が飛びそうになるのをなんとか堪えながら、続ける。

 

「な、ナザリックが大変な時にいなくてごめん。でも、これからは精一杯頑張るから、よろしく!」

 

 一度息を吸い。

 そして小さく。

 

「……それと、ただいま」

 

 静まり返りる。

 その沈黙は、数秒にも満たないはずなのに、ひどく長く感じられた。

 

 そして。

 

『ウオォォォォォォオオ!!』

 

 爆発した。

 

 抑え込まれていた感情が、一斉に解き放たれる。

 そのすべてが混ざり合い、玉座の間の空気を震わせた。

 大気がびりびりと揺れ、床すら震動しているかのような錯覚を覚える。

 

「トンヌラ様ぁぁぁ!!」

 

「お帰りなさいませ!!」

 

「オオォォ……!!」

 

 歓声が重なり合い、空間を埋め尽くす。

 

 統制されていたはずの配下たちですら、この瞬間ばかりは抑えきれなかった。

 

 一方で。

 

(いや怖い怖い怖い怖い)

 

 トンヌラは別の意味で限界だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自室へと戻ったアルベドは扉が閉まったのを確認すると、ようやく小さく息を吐いた。

 

 それは緊張が解けたからではない。むしろ、張り詰めていたものを一度だけ緩めたような、意図的な呼吸だった。

 

「……まさか、本当にアインズ様以外の至高の御方が戻ってくるとはね」

 

 静かな独白。

 その声音には驚きと、そして僅かな警戒が混じっている。

 

 かつてアインズの手によって書き換えられた設定──“モモンガを愛している”。

 

 それはアルベドの存在そのものを歪めるほど強烈なものであり、同時に彼女の思考にも大きな影響を与えていた。

 だからこそ、他の守護者や配下たちとは異なる感情が彼女の中には存在している。

 

 至高の存在に対する絶対的な忠誠。

 

 だがそれとは別に。

 自分たちを置き去りにし、何よりも愛する方を残して去っていった者たちへの、拭いきれない感情。

 

 それは、憎悪に近いものだった。

 

 ゆえにアルベドは、ある計画を密かに進めていた。

 

 アインズのための。

 

 そして、自分自身のための。

 

 だが。

 

「……トンヌラ様でよかったわ」

 

 ぽつりと漏れたその言葉には、はっきりとした安堵が込められていた。

 

 トンヌラは違う。

 

 最後までアインズと共に残り、ナザリックを去らなかった存在。つまり、裏切り者ではない。

 少なくともアルベドにとっては、排除すべき対象ではなかった。

 

 それどころか。

 

「それに……」

 

 わずかに口元が緩む。

 

「上手くいけば、こちら側に引き込めるかもしれないわね」

 

 誰に聞かせるでもない、小さな呟き。

 思考はすでに次の段階へと進んでいる。

 

 計画は修正が必要だ。

 

 だが、より良い形に組み直す余地が生まれたとも言える。

 そのために必要なのは──観察と、接触。

 

 アルベドは軽く髪を払うと、表情をいつものそれへと戻した。

 

「……時間ね」

 

 独り言のように呟き、扉へと向かって歩き出す。

 

 その顔には、もはや先ほどの感情の揺らぎは一切残っていなかった。

 

 

 

 

 

 






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