転移から数ヶ月。
トンヌラは自室の机に向かい、今日も書類と格闘していた。
机の上には紙の束。
羽ペン。
インク瓶。
そして、飲みかけのお茶と開封済みのお菓子。
本来なら優雅な執務風景になるはずなのだが、机の端にはぬいぐるみが座っており、可愛らしいクッションまで置かれているせいで妙に締まらない。
「うぅ……多い……」
ぺたりと机に突っ伏しそうになりながら、トンヌラは書類を一枚めくる。
内容はナザリック内の勤務状況について。
誰がどれくらい働いているのか。
休憩時間は取れているか。
精神的負担はないか。
そんなものをまとめた報告書だ。
アインズとの話し合いの結果、トンヌラの役職は最終的に“人事部”ということになっていた。
「ナザリック、思ってた以上にブラック企業だこれ」
しかしトンヌラは頭を抱える。
「問題は……本人たちが苦痛に思ってないことなんだよなぁ」
改善しようにも、当の本人たちが現状に満足している。
いや、満足どころではない。
むしろ“もっと働きたい”と思っているのだから、普通の労務管理が通用しない。
根本的に価値観が違う。
至高の存在への奉仕が人生の喜びであり、生きる意味そのものなのだ。
だから労働を止められると、本気で落ち込む。
「これ、下手に改善したら逆にストレスなんじゃ……」
人事部として致命的な疑問に、トンヌラは気付いてしまった。
頭を悩ませるトンヌラ、そこに扉をノックする音。
「はーい、どうぞー」
「失礼致します」
静かに扉を開けて入ってきたのは、一人の女性だった。
黒と白を基調としたメイド服。だが、一般メイドとは纏う空気がまるで違う。
洗練された立ち振る舞い。
一切の隙を感じさせない姿勢。
そして、内に秘めた戦闘能力。
戦闘メイド《プレアデス》の長女──ユリ・アルファである。
彼女は銀のトレイを丁寧に机へ置いた。
そこには冷えたジュースと、小さく可愛らしく盛り付けられたお菓子が並べられている。
「トンヌラ様。ジュースとお菓子をお持ちいたしました。少し休憩してはいかがでしょうか?」
「ありがとうユリ!」
ぱっと顔を明るくするトンヌラ。
さっそく手に取り口いっぱいに頬張るその様子を見て、ユリは優しい笑みを浮かべていた。その表情は、まるで“微笑ましい子供を見守る姉”そのものだった。
「んぐっ」
トンヌラの顔がじわじわ赤くなる。
自覚した瞬間、一気に羞恥が押し寄せてきた。
「ごほんっ……こ、これはねユリ。決して僕が子供っぽいわけではなく、業務効率を上げるため糖分補給をだね」
「はい、理解しております」
(絶対理解してないよこの人!)
トンヌラはストローを咥えてジュースを飲みながらユリをチラ見する。
ユリはアンデッド系種族“デュラハン”でありながら、物腰は柔らかく、知性と落ち着きを兼ね備えた人物だ。
今回、彼女はトンヌラの補佐役として抜擢されていた。
理由はいくつかある。
まずアルベドは守護者統括としての業務が多すぎる。
デミウルゴスは外部工作や情報収集でナザリックを空けることが多い。
他の守護者たちに関しては……、事務作業という点では不安が残る。
そこでアルベドが推薦したのがユリだった。
冷静。
真面目。
事務処理能力も高い。
さらに戦闘メイド隊のリーダー格でありながら、比較的常識人寄り。少なくとも、ナザリック基準ではかなりまともな部類である。
(……実際かなり助かってるんだけど)
「いかがなさいましたか?」
「う、ううん……なんでもない」
慌てて視線を逸らす。
(なんていうか……ドSの家庭教師みたいで、ちょっと怖いんだよなぁ)
そこに、不意に頭の奥へ声が響いた。
『トンヌラ君、今大丈夫かな?』
アインズからの
「せんp……アインズさん、どうしたんですか?」
危うく癖で"先輩"と呼びそうになるが、二人きりの時以外はアインズと呼ぶように言われている。
『デミウルゴスからある計画について話があるんだ、トンヌラ君も聞いて意見がほしい』
「計画ですか?了解です、すぐに向かいますね」
『よろしく頼む』
そこで
静かになった部屋でトンヌラはゆっくり椅子から立ち上がる。
「何かございましたか?」
「うん、ちょっと急用が出来て、今日の業務は終わりにしようか」
「はい、畏まりました」
「僕はもう行くけど、そこの資料は触らなくていいからね」
「………」
沈黙。
「……ユリ、すぐに休むこと、絶対!」
念押しするように指を向ける。するとユリはわずかに目を丸くしたあと、柔らかな笑みを浮かべた。
「……承知いたしました」
「絶対だからね!」
そう言い残すとトンヌラは転移の指輪を発動する。
淡い光が身体を包み込むと、次の瞬間にはその姿は部屋から消えていた。
あとに残されたユリは、静かな部屋の中で一人、小さく息を吐く。
机の上へ視線を向けると、食べ終えたお菓子の袋、飲みかけだったジュース、散らかりかけた書類。つい先ほどまでそこにトンヌラがいたという痕跡が、部屋のあちこちに残っていた。
ユリは慣れた手つきで片付けを始める。
余っているお菓子をトレイへ戻し、空になった包装紙をまとめ、机を軽く整えていく。
そして。
ふと、その手が止まった。
視線の先にあったのは、グラスに残された一本のストロー。
先程までトンヌラが咥えていたものだ。
「…………」
静寂。
ユリは無言のまま周囲を見渡す。
誰もいない。
当然だ。
トンヌラは転移した。
一般メイドも今はいない。
確認を終えたユリは、極めて自然な動作で懐から透明な袋──ジップロックを取り出した。
そして、丁寧に。
そのストローを中へしまう。
空気を抜き、封を閉じる。
「……よし」
満足げに小さく頷くユリ。
そのまま何事もなかったかのようにトレイを持ち上げ、静かに部屋を後にする。
──────
────
──
「えっ、ナザリックに侵入者を?」
執務室へと到着したトンヌラは、開口一番そう声を上げた。
重厚な机の向こうでは、アインズがいつものように威厳ある姿勢で座っている。その傍らにはアルベドと、そして赤いスーツに丸眼鏡の悪魔──デミウルゴスが静かに一礼した。
「はい、トンヌラ様」
穏やかな笑み。
だが、その瞳の奥にはいつもの危険な知性が見え隠れしている。
「現在、我々はナザリックを表舞台へ引き上げる段階へ移行しております」
「表舞台……?」
「ええ。そのためには“正当性”が必要です」
デミウルゴスは机の上へ一枚の地図を広げる。
帝国。
王国。
そして大森林周辺。
「そこで我々は、バハルス帝国のワーカーたちをナザリックへ誘導します」
「誘導って……つまり不法侵入させるの?」
「はい、彼らは墓荒らしです。欲に目が眩み、自ら死地へ足を踏み入れる愚者。実に扱いやすい駒かと」
「わざわざ呼び込む必要あるの?」
「ございます。彼らがナザリックへ侵入し、我々へ敵対行為を行う。すると外部から見れば──」
デミウルゴスは恭しく両手を広げる。
「“ナザリックは帝国から先に攻撃を受けた被害者”となります」
「うわぁ……」
トンヌラは思わず顔を引きつらせた。
「その大義名分を用い、アインズ様は堂々と表舞台へ立たれる。やがて国家を樹立し、世界へ覇を──」
「ストップストップストップ」
トンヌラは慌てて両手を振る。
「なんか話が大きくなってない!?国家!?え、僕がいない間に世界征服ルート入ってない!?」
「おお、さすがトンヌラ様」
デミウルゴスが感嘆したように目を細めた。
「既にそこまでお見通しでしたか」
「違う違う違う」
「やはりアインズ様の盟友……恐るべき慧眼でごさいす!」
「人の話聞いて!?」
トンヌラの悲鳴にも似た声が執務室へ響く。
一方でアインズはというと。
「…………」
玉座のような椅子に座ったまま、沈黙を貫いている。
「ちなみに侵入した人間たちはどうするの?」
恐る恐る尋ねるトンヌラにデミウルゴスはにこやかに答えた。
「もちろん、有効活用いたします」
「……有効活用」
「はい。実験、情報収集、忠誠確認、精神耐久試験、繁殖研究、階層別防衛訓練など用途は様々かと」
「こわっ」
やはり悪魔なデミウルゴスにビビりつつも、沈黙を貫いていたアインズへ、トンヌラはそっと視線を向けた。
「アインズさんは、どう思ってるんですか?」
執務室が静まり返る。
デミウルゴスも、アルベドも、主の言葉を待っていた。
「そうだな……デミウルゴスの言う通り、メリットは多いと感じている。これまでのように、こそこそと暗躍する必要も薄れるだろう。ナザリックという存在を公にし、国家として振る舞えば、外交も支配もやりやすくなる」
「はい」
「それに──シャルティアを洗脳した敵が存在する以上、防御に徹し続けるのは悪手だということも理解している」
トンヌラが不在の間に起きた事件。ナザリックのピンチに何も出来なかった不甲斐なさに小さな手を握りしめる。
「敵がどこにいるか分からない以上、こちらから情報を集め、力を示し、警戒させる必要はある」
「……」
「ただ……」
そこでアインズは僅かに言葉を止めた。
空洞の眼窩が静かに伏せられる。そこには僅かな躊躇いが滲んでいた。
四十一人の仲間たちと築き上げた、唯一無二の場所。
思い出の結晶。
宝物。
──だからこそ。
たとえ計画のためであっても、薄汚れた欲望を抱えた者たちが土足で踏み込むことを、アインズは本能的に嫌悪していた。
トンヌラは、その感情に気づいていた。
(あぁ……)
アインズは計画自体の有効性も理解している、だが感情が納得していない。ナザリックを穢されたくないのだ。仲間との思い出が詰まったこの場所へ、下卑た侵入者を入れたくない。
きっと、それが本音。
トンヌラはそんなアインズを見て、小さく苦笑した。
「……アインズさん、ちょっと潔癖なところありますもんね」
アルベドとデミウルゴスが驚いたように目を見開いた。だがトンヌラは気にせず続ける。
「大事なんですよね、ナザリックが」
「…………」
「嫌なんですよね」
アインズは答えない、だが否定もしなかった。
その沈黙だけで、トンヌラには十分だった。
「でも先輩、ナザリックが一番輝く瞬間を思い出してください」
「一番、輝く……?」
「馬鹿な侵入者たちを、徹底的に叩き潰してる時ですよ!」
「……」
一瞬、執務室の空気が止まった。
デミウルゴスの眼鏡が怪しく光る。
アルベドも「おお……」と言わんばかりに目を見開いていた。
「だってそうじゃないですか。ナザリックって“攻略不可能の大墳墓”でしょう?」
「うむ……」
「侵入者が来て、絶望して、悲鳴上げて、“なんだここは!?”ってなって、各階層守護者が出てきて蹂躙する」
トンヌラは拳を握る。
「それがナザリック地下大墳墓じゃないですか!」
「お、おぉ……?」
アインズが若干押されはじめ、トンヌラはさらに畳み掛ける。
「みんなで協力して、配置考えて、誰をどこで迎撃するか決めて。それって、なんだか昔みたいじゃないですか?」
その瞬間。
アインズの脳裏に、かつてのユグドラシル時代がよぎった。
侵入してくる大規模ギルド。
迎撃に沸く仲間たち。
罠。
奇襲。
阿鼻叫喚。
そして。
『ナザリックはヤバい』
そうプレイヤーたちに恐れられていた黄金期。
「…………」
空洞の眼窩が揺れる。
(おぉ……! アインズ様がご興味を……!)
「どうですか、先輩。僕たちのナザリックを見せてやろうじゃないですか」
「……ふっ」
小さく。
本当に小さく、アインズが笑った。
乾いた骨の顔では表情など分からない。
だが長年付き合ってきたトンヌラには、それがはっきり分かった。
今のは、“モモンガ”の笑いだ。
「……トンヌラ君には勝てないな」
どこか呆れたように、だが楽しげにアインズは肩を竦める。
「アルベド、デミウルゴス」
「はっ」
二人が即座に跪く。
アインズはゆっくりと立ち上がった。
漆黒の法衣が揺れ、絶対者としての威圧感が執務室を満たしていく。
「ナザリックにおける全ての者たちへ伝達せよ、今回の計画を正式に承認する」
「「御意」」
「さらに──」
アインズの眼窩に赤い光が灯る。
「アルベド、デミウルゴスの指揮の下、侵入者迎撃の準備をせよ」
「「はっ!」」
デミウルゴスの口元が大きく歪み、アルベドも恍惚とした表情で胸の前に手を組む。
「そして侵入者たちには、“理解”してもらう」
ゆっくりと両手を広げるアインズ。
「自らがどれほど恐るべき場所へ足を踏み入れたのかをな」
その様子を見ていたトンヌラは。
(ちょっと興奮して演説したけど、あれ……これって────世界征服ルートに行ってね?)
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ものすごく意欲になります!
さて至高の御方々、フォーサイトの処遇はどうなさいますか?
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皆殺し 慈悲はない
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あ、アルシェだけは、助けて……
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全員生存ルート……存在するか?