やぁ……皆…………
私はシャーレの先生だよ…………
…………と、少しニヒルに言ってみる。
今回は、皆に少し『思想』の講義をしてみようと思うんだ。
皆は、『ニヒリズム』って知ってるかな?
『虚無主義』とか色々な呼び方があるね。
アリウスでは "vanitas vanitatum. et omnia vanitas." なんて思想を、小さい頃から生徒たちに植え付けていた。これも『ニヒリズム』の言葉だね。
『全ては虚しい。どこまで行こうとも、全てはただ虚しいものだ。』
私は全く共感しないし、今後も支持するつもりは無い。
この世界には、面白いことがそこら中に転がっているからね。全てが虚しい、なんていうのは愉しむことを最初から放棄したい人の言い訳さ。
私が今日、皆に伝えたいのはそんな『ニヒリズム』じゃない。
そうだね………少し昔話をしようか。
今から何百年も昔のことさ。
世の中ではまだ、『神秘』が当然のことだと信じられていた。
例えば『神』。『妖怪』や『魔法』『占星術』『霊魂』。
それらは何百年も、場合によっては何千年も存在するものだと信じられ続けてきた。
人々は、自分たちが説明出来ない超常現象を『神秘』によるものだと信じて憚らなかった。子供が生まれれば、『神』を崇めるよう教育を施し、『神』に殉ずる生き方を美徳と伝えていった。
『不死の薬』や『錬金術』『天動説』なんかも当然のこととして考えられてきたね。ある意味でこれらも『神秘』だ。
しかし…………時代が進むにつれ、かつては説明出来なかったことが人の言葉で説明出来るようになってきた。
超常現象には科学的な裏付けが取れてしまい、『神』が創造したはずの大地の中に、『神』の経典に書かれていない大地が見つかってしまった。
そうした矛盾が『神秘』を自ずと否定し、『神秘』無き時代が始まったのだ。
太陽が地球の周りを回っているなんて言えばたちまちクラスの笑い者、不死を夢見て水銀なんて飲んだら、病院で大目玉どころの騒ぎじゃない。
でも、となるとどうかな? これまでそんな『神秘』を当たり前だと信じてきた人たちは。
"お前が信じてきた『神秘』、間違いだから。明日から『科学』に取り替えてきてね"
こんなこと突然言われて、『はい分かりました』なんて言える人、どれぐらいいるのかな?
これだよ。
これこそがまさしく、私の唱える『ニヒリズム』さ。
今まで自分が信じて疑わなかったもの、心血を注いできたものがある日突然否定され、消失した時、人々が否応無く放り出される『大海原』。
これこそが『ニヒリズム』だ。
何もこれは、『神秘』がどうとか仰々しいことに限った話じゃない。
我々の社会には、そこら中に『ニヒリズム』が花咲いているんだ。
決死の思いで勉強し、ようやく受かった志望校。しかし、入学してから何をすべきか分からない。
ライバルたちを出し抜いて、何とか入社した大企業。でも、その後の目標が見つからないまま。
定年まで懸命に働いた。しかし、仕事一筋だったので、仕事を辞めてからどう日々を過ごすべきか分からない老人。
これらは全て『ニヒリズム』だ。
『ニヒリズム』に直面した人々は、自分がどう生きていくべきか分からなくなる。これまで時間をかけていたものにもう頼れないのだから、まさしく人生の『柱』を失ったグラグラの状態さ。
そして……………
それは『恋』においても同じこと。
好きで、好きで、仕方がない。そんな人との恋が実らなかったとしたら……?
その人との時間が、生活の中で一番幸せなのだったとしたら………?
その『絶望』は、計り知れないよね。
自分の感情に、どうケジメをつければ良いか、分からないよね。
そう…………
ユウカ。ノア。
君たちは今、『ニヒリズム』の渦中にいるんだ。
ノアは何とか踏ん切りがつきそうに思えたかもしれないけど………それも違う。
結局、私との時間を望んでしまう。私の声を求めてしまう。
『ニヒリズム』からの脱却を決意しつつも、結局はかつての『神秘』に縋ろうとした。それが君がいま『絶望』している理由だよ。
別に私は悪いこととは思っていないさ。
人はそう簡単に人生を切り替えられない。
だから美しい。
どこまでいっても、人間臭いのが人間なのさ。
さて……………
君たちの『ニヒリズム』。
私はしっかりとこの目に焼き付けておくよ。
私の『神秘』は、まだ恒星の如くに輝いているのだからね………
◆◆◆◆◆
「〜♪」
これまで、ずっと静かだった執務室。聞こえてくる音と言えばキーボードを叩く無機質な音ぐらいで、淡々と時が過ぎていくだけだった。
でも、今ではそんな静謐に私の鼻歌が上乗せされている。
鼻歌なんて歌ったこと、人生で一度も無かった。
そんなことをしても、合理性なんて無かったから。
それが今では、歌わずにはいられない。
満ちたグラスから溢れてくる水のように、感情が発散を求めている。
それが、こんな見たこともない私へと行き着いた。
人って………
人って、変わるものなのね。
「…………!」
モモトークの着信音が聞こえてきた。
私は作業を即座に中断して、スマホを手に取った。
先生からのメッセージが来ていた。
『しばらくこっちで仕事をしていたけど、またそっちに戻ることになりそうだよ』
……………!
またこっちに…………
思いがけない嬉しい知らせに、口もとの筋肉が緩んで仕方がない。
また、あの日々が始まる。
今度はご飯だけじゃないわ。恋人として、正式に側にいられる。
先生の声をいつでも聞ける。先生の肌にいつでも触れられる。
こんな。
こんな"幸せ"なことって、この世界にあるのね。
「フフ…………フフフフっ………………」
今日の夜が、楽しみね。
◆◆◆◆◆
先生との日常が再び始まった。
先生は、以前泊まっていたホテルの近くのホテルに滞在することになった。私の作業拠点からも近くて、お互いに密に連絡を取り合える距離。
…………というよりも。
「やあ、リオ」
「先生!」
先生は今、私の作業拠点にやって来ていた。
「どうしたの? お仕事は………」
「ここで出来る仕事だから、ここでやろうと思って来たんだ」
「…………!」
「なるべくリオの隣にいたいからね」
先生の光り輝く笑み。私はそれに圧倒される。
「で、でも………」
「ん……?」
「先生が隣にいたら…………私、感情が乱れて作業に集中出来ないかもしれないわ………」
「あぁ………」
そう………
私はミレニアムの生徒会長を務める身。
先生との時間はこの上なく幸福だけれども、それによって私の思考が乱れる事態は避けなければならない。
公私混同はしてはならないわ。
「リオは真面目だね………」
先生は微笑むと、私の頭に手を乗せて撫で始める。滑らかで柔らかい先生の肌がつむじをくすぐる心地良さに心が溶けそうになるけれど、同時に不満もこみ上げてきた。
「ちょっと………子供扱いしないでちょうだい……」
「おや………不服かな?」
「不服よ」
「ハハッ…………そんな風には見えないけどね」
…………もう。
そうやっていつも、人の心をコロコロと転がして楽しんでいるのね。
いけない人…………
でも…………
「…………もっとやって」
「あれ?嫌じゃなかったのかな?」
「いいから…………」
「全く………困った妹だ」
妹じゃないわよ………
……………
こうやって誰かに愛撫される経験は、今まで無かったわ。
私の知人は……当然、撫でてくることなんて無かったし。
自分で撫でることも無かった。
肌と肌が単純に摩擦を起こしているだけだというのに。
どうしてこうも、私は気持ち良さを覚えるのかしら。
人間って、不思議ね…………
「先生………」
私は目を閉ざし、顎を斜め上に向ける。私の今の熱くなった感情が身体に自然とこの動作を命令していた。
「おやおや………まだおねだりかい?今日のリオは、とても積極的だね………」
「だって…………これが"合理的"なのだもの」
「フフッ…………リオらしいね」
今、こうするのが私にとって一番"幸せ"。
つまり………一番"合理的"ということよ。
さあ、先生………
早く………
早くあなたの熱をちょうだい…………
「……………んっ!!?」
先生…………!
「ん…!……んんっ………ぅあ………」
熱い………
熱いわ……………
先生の熱が………全部私の中に入り込んでくる…………
とても………
とても気持ちいい…………
「ぷぁっ……………はぁ………………」
「フフッ………朝からこんなおねだりをするなんて…………いけない子だ」
「全部………あなたが教えたことよ」
私の知らないことが、先生から次々と教えられる。
そして、私という人間をどんどん変えていく。
でも、今の私はそれを求めている。
変わることが、全然怖くない。
「さあ…………仕事に取り掛かろうか」
「…………ええ」
少し前までの私に言ってあげたいわ。
『あなたはこれから、とても"幸せ"になるわ』……と。
◆◆◆◆◆
私たちの恋人としての生活は順風満帆に進んで行った。
「リオ、包丁を取ってくれるかい?」
「ええ」
私は引き出しを開けて、先生に包丁を差し出した。
「わ………怖いよリオ」
「え……………あっ」
よく見たら、包丁の先が先生に向いていた。
「ご、ごめんなさい…………」
「まだまだ慣れが必要だね」
先生は笑って、私から包丁を受け取った。こうした細かい部分で、私はいい加減な所が目立ってしまう。
先生と本格的に過ごすようになってから、私は先生と一緒に調理を行うようになった。
これまでは"トレビアン君"に任せていた。けれども、私本人の調理技術を磨くことが、さらなるトレビアン君の改良に役立って、私が志願した形になるわ。
………というよりも。
なるべく、先生の側にいたいから、ね。
そして、いつかは私の手料理を先生に食べてもらいたい。
あの時、先生が私に食べさせてくれたように……
「リオ、ちょっと火加減が強いね」
「あ………」
「強火でやれば早く済むからって、なんでも強火にするのは良くないよ。火力が強いと、逆に食材を傷めてしまうことも多いからね」
「そう…………そうね……………」
まだまだ甘いわ…………
先生に美味しい手料理を食べてもらえる日は、そう近くはないみたい。
でも、諦めないわ。時間をかけてでも、先生のために頑張らないと。
「それにしても…………」
先生は包丁を止めて、私の方を向く。頭から足先まで、じっくりと一筆書きのように眺めてくる。その視線に、ほんのりと羞恥の心が胸をくすぐった。
「先生………何かしら。そんな風に見られると、恥ずかしいわ………」
「ああ、ごめん…………でも………エプロン、よく似合ってるなぁって」
「………!」
「まるで花嫁修業みたいだね」
「っ!!!止めてちょうだい!!恥ずかしい…………」
もう…………
先生は何てことのない顔で、聞いているだけで恥ずかしくなるようなことを言ってくる。
それが私の心をどれだけ波立たせるのか………分かっているのかしら。
「………………フフっ」
でも………
それがまた、どれだけ私を"幸せ"にしているのか、計り知れない。
先生と過ごす時間、私は色々なことを体験した。
先生は私に『映画』をみせてくれた。映画館ではなく、先生の部屋に、2人きりで。
『アラビアのロレンス』というとても長い映画を観た。先生がキヴォトスに来る前によく観ていたらしい。
仕事で疲れていたこともあって、途中で眠ってしまった。先生の肩に、頭を乗せる形で。
先生はそんな私を起こさず、ずっとそのままでいた。起こしてくれれば良かったのにって言うと、
『リオの寝顔が可愛いから、見惚れてしまったよ』なんて返してきた。じっと何時間も寝顔を眺められたかと思うと急に恥ずかしくなって、肘で小さく先生を小突いた。
ある休みの日、先生が買い物がしたいと言ったから、一緒に外出した。
一体何を買うのかしら。先生は何も言ってくれなかったから、私には見当もつかなかった。
一般的なショッピングモールに行くのかと思ったら、それとは異なる所へと向かっていく先生。かなり高価な商品を販売する店が立ち並ぶ所に行き着いて、私は訝しんだ。
すると、先生は宝石店に足を踏み入れた。いよいよ何を買うのか分からなくなった私に、先生は店員から受け取った小さな箱を差し出してきた。
「何かしら、これ」
「開けてみてよ」
「…………?分かったわ」
先生に言われた通りに、私は箱を開けてみた。
そこに入っていたのは──
「え……………………」
汚れの欠片も見当たらない、小さな透明の石。そして、その下に麗しい輪を描く黄金。
あまりの美しさに、私は息をするのも忘れて見入っていた。
「先生………………これは…………………」
「指輪だよ。リオにどうしても渡したくて…………」
「……………!!?ゆ、指輪………!?」
先生からの思いも寄らない贈り物に、私は取り乱す。
恋人に指輪を渡すことがどれ程の意味を持つのか、私は先生との時間で学んでいたから。
「実は………私もお揃いのものを買ったんだ。ほら………」
先生は私に左手の薬指を見せる。さっきまでは無かった透明と黄金の交わりが、先生の指を囲って煌めいている。
…………って……
「お、お揃い……………………」
「………………」
「せ、先生……………そこまで………そこまで………想っていてくれたの………?」
「…………ハハッ。ちょっと重すぎた………かな?」
私の胸は、これ以上に無い程に高鳴り、熱が脳内の全てを支配した。
気が付けば、私は先生の胸に飛び込んでいた。
「嬉しい…………嬉しいわ………………先生にそうまで想われているのが嬉しくて堪らない…………」
「リオ…………………」
「大事にするわ…………一生………………」
先生も私の背中に手を回した。今この瞬間、誰が何と言おうとも私が世界で一番の幸せ者だった。
………その後、店内だと気付いた私は赤面と共に慌てて先生から離れることになる。こんなにはしゃいで、本当に子供みたいね……
「ところで先生、これ…………とても高価なんじゃないかしら」
「ん〜…………まぁ、そうかもね。でも、リオのためなら何てことないよ」
先生の屈託のない笑みに、私は胸に湧いてきた僅かな懸念が消し飛ぶのを感じる。
先生が私を想ってしてくれたこと。ならば、それに口を挟むのは野暮。
「フフっ…………でも…………ユウカが知ったら怒るかもしれないわね」
ユウカは特に、こうした出費にはうるさいでしょうから………
「……………………」
「…………………?」
その時、先生の表情が固まったことに気が付いた。
私は何かおかしなことを言ったかしら…………
「先生……………?」
「あ……………何でもないよ。確かにそうかもね……はは………」
先生は気を取り直すように笑いかけた。
この硬直の理由は何だったのか。そんな疑問は、幸福の絶頂にいる私からすれば些細なもので、すぐに忘れることとなった。
その日の夜。私は先生の温かい胸に抱かれながら、世界で一番の幸せ者として1日を終えた。
◆◆◆◆◆
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
私に届いたのは一通のメッセージ
『しばらく仕事でミレニアムを離れるよ。ごめんね、皆大変なのに』
先生はミレニアムを出て行ってしまいました
私はもう、何日も人との関わりを持っていません
先生だけでなく
ミレニアムの他の部活とも
……………ユウカちゃんとは、言うまでもなく
ただ孤独
ずっと孤独
そんな孤独の中でも
リオ会長やユウカちゃんが先生と交わる声だけが聞こえてくるんです
時間が過ぎても消えてくれない
むしろ時間が過ぎるほど声が大きくなっていく
その声を発した誰もが、私のことを見ていませんでした
どれ程の時間が経ったのでしょうか
空っぽのまま時間は過ぎていきました
ユウカちゃんは。セミナーのお仕事をこなしているのでしょうか
いいえ
きっと、今のセミナーには誰もいない
ミレニアムの運営は滞っているのでしょう
どうでもいい
そんなこと、もうどうでもいい
このまま消えてなくなりたい
もう私がこうして生きている意味って、あるんですか
友達も私を裏切った
先生も私を見てくれなかった
誰も私のことなんて、本当の意味では見てくれなかった
こんな世界に、これ以上居て何になるんですか
こんな世界、もうつまらない
こんな世界…………
………………
……………………………
………………………………………………
沈黙は程なくして黒い感情に変わっていきました
どうして私がこんな気持ちにならなければいけないんですか
どうして私が苦しまなければならないんですか
きっとこんな時にも
リオ会長は笑顔でいます
私の先生を、横から奪っておいて
許せません
そんなの許せない
私はこんなに苦しんでいるのに
リオ会長だけ幸せなんて
そんなこと
許せない
許せない…………
許せない…………………!
◆◆◆◆◆
先生は今日、日帰りで少し離れた所に仕事に行っている。帰りは結構遅いらしくて、今日は一緒に過ごせないみたい。
寂しい、と思ったけれど、私は左手薬指に嵌めた指輪を見ることで心を落ち着ける。
これは先生との繋がり。
どんなに離れていても、私たちは心で繋がっている。だから、少しぐらい会えないからって、私はめげないわ。
私は作業拠点を出て夜道を歩いている。ただ黙々と、前に足を進めている。
そんな時だった。
誰かが、私の前に立ちはだかるように立っていた。
「………………?」
その人は、微動だにせずただ俯いている。一体何がしたいのか。それを測りかねていると───
「リオ会長」
「……………!」
張りの無い声で、その人は私を呼んだ。
声に勢いや活力がまるで無いから一瞬戸惑ったけれど、この声は…………
「あなた…………もしかしてノア?」
「……………………………」
ボサボサで艶が少しも無いけれど、長くて白い髪。私の中で、当てはまる人物として真っ先に挙がったのはノアだった。
彼女は、ずっと下に向けていた顔を上げる。
「………………!?」
そこに見えたのは、私の記憶にあるノアとは似ても似つかない、虚ろな眼差しをした少女。
思わず息を呑んだ私の足は、勝手に後退りをしていた。
「あなた………………本当にノアなの…………………?」
「…………………」
「何があったの………?そんなになるまでやつれて………」
「……………………………全部」
「え……?」
「全部…………………リオ会長のせいです」
私のせい……………?
「リオ会長が………私から先生を奪ったからです」
「……………!?先生を…………………?」
ノアの口から出てきた言葉に、私の心臓が大きく脈動した。
奪う。物騒な言葉と先生を結びつけて話すノアに、私は困惑を隠せない。
「私は…………先生のことが好きでした」
「……………!!!」
えっ………………!?
「この世界の誰よりも愛していたと思います……………あなたよりも、ずっと、ずっと前から、ずっと愛していたんです」
「ノ………ア…………?」
愛していた………………?
ノアが、先生のことを………………………?
「なのに…………なのに……………先生はあなたを選んだ」
「ぁ………」
「私よりも、あなたのことを好いていた」
ノアから放たれる気配。
それには、人間が帯びる生気が感じられない。
死んでいる。
そう錯覚する程に。
「それ…………何ですか」
「え……………?」
ノアは私の手に……左手に目を向けた。
「前に会った時には、左手にそんなものはつけていませんでしたよね。私、はっきりと覚えているんですよ」
「これは……………………………」
…………………
「先生に、貰ったんですか」
「……………」
「まさか…………まさか………お揃い……ですか」
「……………」
「そうなんですね………………」
私はその眼差しに耐えきれず、思わず目を逸らした。
何も後ろめたいことなど無いはずなのに。
「……………………………………何であなたなんですか」
冷や汗が額から頬を伝って流れ落ちた。
今のノアは、冷静ではない。
どんな行動に出るか、予測もつかない。
だから、身体が危機を訴えていた。
「なんで………………なんで…………なんでなんでなんでなんで」
「どうしてあなたなんですかッ!!!!!」
「っ…………」
ノアは私に駆け寄ると、胸ぐらを掴んで私を壁に押し付けてきた。
力業に優れない私には、このノアの力は振りほどけなかった。
「どうして私じゃなくてあなたなんですかっ!!あなたの何が良かったんですか!!!」
「ノ………ア…………やめて……………」
「私の方が好きでした!!絶対!!間違いなく好きでした!!先生に振り向いてもらえるように努力しました!!先生に好かれるよう自分を磨きました!!なのにどうしてっ!!!どうしてあなたなのッ!!?」
苦しい。
こんなに荒ぶったノアを見たことは一度もない。
こんなに感情的になるノアなんて、全く見たことがない。
「先生に何をしたんですか!!?どんな手を使ったんですか!!?何かの間違いですよ!!!先生があなたを選ぶなんてっ!!!」
「やめてノア………私は何もしてない───」
「嘘を言わないでください!!!先生は私に笑ってくれたんです!!私を励ましてくれたんです!!私のことを見ていてくれたんですよ!!なのに!!なのにあなたが好きだなんて……!!!」
ノアの剣幕と腕力に圧倒されて、私は何も言えずにいた。
彼女の怒り様。彼女が先生に抱いていた感情が決して生易しいものではなかったと物語っている。その感情の圧力が、私を壁際に叩きつけていた。
けれども、そんな壊滅的な劣勢を前にして、私は胸の中にある感情が芽生えるのを確かに実感していた。
そしてそれは、先生への恋心と切っても切り離せない程に結びついていて、ただ押されるがままの私に不思議な力を授けてくれた。
『指輪だよ。リオにどうしても渡したくて…………』
左手薬指に巻き付く黄金の感触が、このまま黙って聞いていることを是としなかった。
この感情の名前は分かる。
この感情は。
私が今、ノアに抱いているこの感情は。
『反骨心』だった。
「………………いい加減にして」
「え…………………………」
喉から絞り出された声。
それは、最近の私が忘れかけていた、かつての自分の声。
合理性を何よりも重んじ、冷徹に殉じていた頃の私の声。
「あなたの言っていること………は…………全て憶測………妄想よ…………」
「……………っ!!」
「世迷い言も甚だしいわ……………」
ノアの表情が歪む。私はすかさず次の言葉を投げかける。
「先生は…………私を愛していると言ってくれた…………あなたではなく………私に言ったのよ………!!」
「そ、それが間違いだと言ってい──」
「間違いじゃないわッ!!!」
「!!?」
ノアの力が緩んだ。私は自分を押さえつける胸元のノアの手を掴み返した。
「先生は………先生は確かに私に愛の告白をした……………その先生の言葉に偽りは無い………!!」
「な………」
「あなたの発言は全て、先生に対する侮辱の発言でもあるのよ………そこを心得ているの?」
「せ、先生は」
「私を愛した。あなたではなく、私を愛したの」
「っ……!!」
「これ以上の侮辱は許さないわ。この指輪に誓って………先生の愛の告白に誓って、これ以上先生の気持ちを否定する言葉は認めない」
毅然としている。
さっきまで抵抗すらままならなかったノアを相手に、堂々と、臆すことなく自分の考えをぶつけている。
ノアがどこで先生と私の関係を知ったのかは分からない。
そんなことは今は重要な事柄ではない。
私の先生への感情を否定する言葉。
そして、先生の私への感情を否定する言葉。
私はそれらを許さない。
絶対に、一歩たりとも引いてはならないのよ。
「あ……………あぁ………………」
「分かったのなら退いてちょうだい。あなたとこの事について議論する合理性は皆無よ」
「どうして……………どうして…………………」
「……………………」
「………………っ…………うっ……………ううっ…………どうして………」
「…………ノア」
「どうして………あなたばっかり…………」
ノアは、怒っているのか悲しんでいるのか、否定的な感情が入り混じった複雑な表情を涙と共に私に見せると、その後は何も言わずに私に背を向けて離れて行った。
「……………………」
………………
これが…………恋、なのね。
誰かが笑顔になる一方で、誰かが涙を流す。
幸福と不幸のゼロサムゲーム。私が先生と結ばれたことで、ノアは涙を流すことになった。
……………
………見ていて気持ちのいいものではないわ。
けれども、私も自分の気持ちを抑えることは出来ない。
それは"合理的"じゃないと教わったから。
私は先生の気持ちに応えるため、最後まで彼の側にいるつもりよ。
あなたや………他の人が何と言おうとも。
そうよね……………先生。
◆◆◆◆◆
ええっと、ユウカのこの顔はこっちのフォルダに………
ノアのこの泣き顔はこっち…………
ユウカとノアの言い争いは………これはプレミアものだね。いくつかのデバイスにコピーして保存しておこう。
『どうして………あなたばっかり…………』
………このノアの顔は飛び抜けて良いね。
ん…………?
おっと……もうこんな時間か。
やぁ皆。
私はシャーレの先生だよ。
ユウカと絶交したノア。そんなノアだが、今度はリオに恨みの矛先を向けたようだね。
うん、実に良かったよ。やはり人間はそう変われない。現実を受け入れられない。
親友を突き放したとなっては尚更だね。
まぁ、今更リオにどうこう言ったところで現実は変わらないが、そんなどうにもならない現実に必死で抗う若い女性というのはどこの世界でも美しさ満点さ。
さて、今回のセミナーでのギスギスだが、アビドスの時のようにジワジワと湧いてくるものというより、ある時爆発的に熱を帯びるもののようだ。
人間関係の形態によって、様々なギスギスがある。それがギスギスの奥深い所だ。これだから止められないのだよ。
さぁ………そろそろ仕上げの時が来た。
ここから、クライマックスに向けて一気に畳み掛けていくよ。
ユウカ、ノア、リオ。
君たちの青春の煌めき、しっかりと味わっていくからね………
ノアが最後にリオに見せた表情は、『そんなの嫌だ!!ミカサに男ができるなんて…!』のエレン・イェーガーや、新英雄大戦終了後にネスと会話を終えたミヒャエル・カイザーの表情のイメージです。
次はどこのギスギスが見たい?
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風紀委員会
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RABBIT小隊
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アリウススクワッド
-
ティーパーティー
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百花繚乱紛争調停委員会
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正義実現委員会
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便利屋68
-
その他