転生者達の新エリー都、二足のわらじ生活 作:フライパンソルジャー
一応目は通してはいるのですが、感想の返信が遅い作者で申し訳ありません……!
自分は無意識に周りの心を引っ掻き回す展開が好きです!(謎告)
幾日かが過ぎた。
かつて暴力と恐怖に支配されていた郊外の集落の一角では鉄骨の枠組みと重機の音が響いていた。
ホロウが存在していた跡地には新たな基礎が築かれ始めている。
陽光を浴びて光る金属梁の上を作業員たちが忙しなく動いていた。
その中心でエレグ・マックスは腕を組み、立ち上がる建造物を見上げていた。
「……順調だな。想定よりも早い」
隣で書類端末を確認していた男――建設会社マックス・コンストラクションの社長、ヨシダ・セイジが笑みを浮かべた。
「ええ、エレグさん。郊外だから普段必要な手続きもスキップできる。それにこっちはこの土地の住民たちが協力的で助かってますよ。皆、昼も夜も働いてくれる。まるで――何かを取り戻そうとしてるみたいに……」
ヨシダの視線の先ではかつて廃墟同然だった小屋群が臨時の食糧配給所へと変わっていた。
配られるスープと簡素なパン、それに包帯や薬。
それらはエレグたちが運び込んだ支援物資の一部だった。
「敬称は不要ですよヨシダ社長。……まずは食料と医療の確保を優先しました。治療が必要な者には手当てを、働ける者には仕事を――」
エレグは淡々と続ける。
「労働は強制ではありません。ですが、彼ら自身が“役に立ちたい”と望んだのです。……支援は施しではなく契約であるべきでしょう。まあ自分としては些か張り切り過ぎだと思いますが……」
ヨシダはその言葉を聞きながら作業員たちを見つめた。
中にはかつて“浸食”に侵され、まともに身体を動かすことすらできなかった者たちが多い。
それが今では陽を浴び、汗を流し、笑っている。
誰もが信じられないほどの回復を見せていた。
「……あの薬、まさか本当にここまで効くとは……」
思わず漏れたヨシダの呟きにエレグは小さく頷いた。
「“外部の技術者”が開発した薬品です。私たちはそれを正式に発注し、供給の管理を行っています。ありがたいことに本人から正式に我々の企業特許として登録することも承諾してもらいました。エーテルによる浸食に苦しんでいた住民たちも今ではほとんど影響を残していません」
「外部から……って、まさか発電施設に置かれた機械類も“発注先”が?」
「ええ。ただし、同じ方ではありません。今回の発電施設に関する装置はまた別の技術提供者によるものです」
ヨシダはしばらく黙って現場を見つめた。
作業員たちは互いに声を掛け合い、支え合いながら資材を運んでいる。
その表情にはどこか“生まれ変わった”ような清々しさがあった。
「……確かに、君の言う通りだな。あの人たちにとってこれは“生き直す機会”だ」
エレグはわずかに目を伏せ、柔らかく微笑んだ。
「ええ。私はただ彼らにその最初の一歩を渡しただけです。選んで進んだのは彼ら自身ですよ」
ヨシダは感心したように笑ったあと、肩をすくめて続けた。
「いやはや……君はCEOだけじゃ飽き足らず、自分の宗教団体でも開くつもりかい?」
エレグは一瞬だけ眉を動かし周囲を見渡した。
確かに現場のあちこちから「エレグ様~!」と呼ぶ声が飛んでくる。
どう反応していいか分からずに彼は小さくため息をついた。
「……彼らが勝手にそう呼んでるだけです」
「いやいや、あの目を見れば分かる。完全に信仰の域だ。もはやCEOというより教祖様だな……」
それを聞いてエレグは肩を落として、どこか遠い目で呟いた。
「……これ以上仕事の掛け持ちをするなら私は仏になれるでしょうね」
その皮肉にヨシダは思わず笑いかけたが、すぐにその笑みが凍りついた。
頭の中に浮かんだのは――
マックスグループの本社業務、複数支社の調整、資金管理、開発部門、そしてこの発電所の総監督までを一人で抱えるエレグの姿だった。
想像するだけで笑えなくなる。
「……なんか、すまない。君の仕事量を考えたらまったく笑えないな」
ヨシダは小さく頭を下げた。
エレグは一瞬だけ目を細めかすかな笑みを浮かべる。
「気にしないでください。仏になるより、まだ人間でいたいのでね」
「……はは、それなら頼もしい限りだ」
二人の間に風が抜けた。
鉄骨がきしむ音とともに遠くでは子どもたちの笑い声が聞こえる。
それはほんの少し前までこの地では決して響かなかった音だった。
エレグはその音に一瞬だけ表情を和らげ、再び工事現場の方へと歩き出した。
「そういえば……一つ気になってたんだが、いいかな?」
「なんでしょう?」
「この発電所の設計図……屋上のソーラーパネルは分かる。でも、この施設の中央部に造る予定の“この装置”一体何なんだ?」
ヨシダの指が図面の中央をなぞった。
そこには、
「マックスグループの特許技術というのはいつも革新的だが……これは常軌を逸している。正直、見ただけで震えたよ」
ヨシダは感嘆を隠せずに笑った。
しかし、エレグはただ静かに頷いた。
「……実はですね、その技術も外部から発注しているんです」
「やはりそうかい?」
「ええ。とある技術者に試作を依頼しました。本人から正式に我々の企業特許として登録することも承諾済みです」
ヨシダの目が見開かれ、呆然と呟く。
「……外部の技術者が、これほどのものを……うちに?」
「はい。ただし――」
エレグはそこで言葉を切り周囲に目をやった。
作業員たちの声が遠くで響く中、彼はそっと声を潜める。
「――このことはまだ誰にも言わないでください。その中央装置がこの計画の“核”です」
「……核、だって?」
「ええ。言葉どおりの意味です」
エレグは淡々とした口調で言った。
その瞳には静かな確信が宿っている。
「郊外でなければこの装置は絶対に許可が下りません。行政の審査を通すにはあまりにも“未知”すぎる。だからここに建てる必要があったんです。余計な手続きも干渉もない」
その一言にヨシダは思わず息を呑んだ。
「……つまり都市じゃ動かせない装置を……ここで?」
「そうです」
エレグは穏やかに微笑む。
「ただ心配はいりません。これは試験的なものです。稼働が確認できればそれで十分。それがもし成功すれば新エリー都のエネルギー構造は変わるでしょう」
ヨシダはしばらく黙ってエレグの横顔を見ていた。
やがて静かに笑みを浮かべて頷く。
「……君がやることなら、きっと正しい。私はそう信じてるよ、エレグ」
エレグは一瞬だけ表情を緩め深く礼をした。
「ありがとうございますヨシダ社長。あなたのような方がいてくれるから私は前に進める」
風が吹き抜け未完成の建造物の骨組みが軋む音がした。
遠くの空では雷鳴のような低い音が響いたが、それがただの風のいたずらなのか誰にも分からなかった。
ーーーーーーー
アキラたちは工房でヴィジョンによる爆破事件の裁判報道を見ていた。被告はパールマン、そして訴訟代理人は我らが邪兎屋の皆である。
「パールマンは黒だし、裁判はすぐ終わると思ってた」とリンが言えば、アキラは「でも法廷は何が起こるか分からないからね」と応じる。
そこへ勢いよく扉が開き、ニコとアンビーが現れた。
最高裁に向かうはずの彼女たちがなぜかここに来ていた。
「パエトーン!相談したいことがあるの!」
焦りと決意の混じった顔をしながらニコは切り出す。
以前アキラが依頼した“白祇重工の記憶素子の解析”。そのためにニコに紹介を頼んだハッカー、『レイン』に異変が起きたという。
二週間ほど前からレインの知人たちが内容のない空のメッセージを受け取るようになり本人とは連絡が途絶え、蒸発したように消息が無くなったという。
メッセージの頻度は増えており、何やら陰謀めいた匂いのする話である。
フェアリーが確認した結果、送信元は新エリー都市内の“バレエツインズ”というツインタワーだった。
「バ、バレエツインズですって!?」
その名前を聞いた途端にニコの顔色が一変した。
いつもの軽快な調子は消え、明らかに動揺している。
「どうしたの?」
リンが怪訝そうに問うと代わりにアンビーが口を開いた。
アキラとリンがその反応に疑問を抱くとアンビーが説明をするため口を開く。
「お二人は都市伝説に興味ないみたいね。……バレエツインズは最近心霊現象が起こるって噂になってるツインタワーのことで――」
「ストップ! アンビー、そこまでよ!」
ニコが慌てて制止した。
声は少し上ずっていながらも慌てた様子でニコが説明を止める。どうやら彼女はこの手の話題は苦手らしい。
バレエツインズは数年前にホロウに呑まれた建造物で、
それでもメッセージが届いているなら何か異常が起きている。
リンはゆっくりと立ち上がった。
「レインの助けは私たちに必要だからね。いっそ、直接バレエツインズに調べに行こうよ」
彼女の行方を確かめるためにアキラたちはニコの相談を受け入れて、ニコを除く邪兎屋のメンバーと共に現地調査を決めた。
最高裁にはニコ単独で行くことに。
「ありがとねプロキシ、あそうそう。顔が分かってた方が何かと都合がいいでしょ。これを持ってて」
去り際にニコから渡された写真には黒いフードを被った桃髪の少女──レインの姿があった。
この少女には見覚えがあり、兄妹が営むビデオ屋に何度か足を運んでいたお客さんであった。
ーーーーーーー
そしてアキラたちは慎重に足を進め、バレエツインズの内部へと足を踏み入れる。
「着いたよ」
アキラの声に猫又とビリーが思わず感嘆の声を漏らす。
「ここが……バレエツインズ……」
「立派なもんだぜ……」
中は異様なほど静かだった。
床は磨かれ、足音がやけに響く。それなのに空気は凍てつくように冷たい。
壁の奥から何かがこちらを窺っているような微かな気配が漂う。
知能機械人であるはずのビリーが体を擦りながら小さく呟いた。
「うぅ……なんかここ寒くね……?」
「確かに……中はピカピカなのに、みょーに居心地悪いぞ……」
猫又も同意する。
「ん……警戒して。霧が濃い。何か潜んでるかも」
アンビーが皆に注意を促した直後、“ガタン”という重い音が響いた。
数名が悲鳴を上げ、全員が一瞬身を固くする。
視線を向けると入り口のボンプの彫像が倒れ、床を転がっていた。
ビリーは大げさに胸を撫でおろし、安堵のため息を吐く。
「ふぅ、ビビったぜ……は、はは……」
「……先を急ごう。長居はしない方がいい」
アキラが静かに整え、進行の合図を出した。
彼もホラー耐性があるわけではないので一刻も早くここを離れたかった。
白い霧が彼らの姿を呑み込み、音も気配もやがてすべてが霞の中へと溶けていった。
プロキシとして皆を先導するアキラが小さく呟いた。
「うーん、思ったよりも難しいな、中のホロウデータも随分古いみたいだ……」
闇の中ではエーテリアスが蠢いていた。
形を定めぬ影が音もなく床を這い、天井の奥でざわめく。
一行は苦戦しながらも何とか敵を退けて少しずつ前へと進んでいく。
アキラの言う通りホロウの内部データは古く、構造図も断片的だった。
フェアリーのナビゲーションにも誤差が生じ、どこが通路でどこが壁かすら曖昧だ。
おまけに視界は最悪。黒い闇がイアスのカメラレンズ越しにまとわりつき、数メートル先も判別できない。
「ライト……全部死んでるみてぇだな」
ビリーが天井を見上げて消えたままの照明器具を見つめる。
バレエツインズの照明は何年も前にホロウへ呑まれたまま。
光源はほとんどが機能を失っていた。
アキラは通信を行い、短く指示を出す。
「フェアリー、照明端末の制御ラインを開いて生きてる電源を探して」
『了解しました。……信号検知、再起動試行します』
ほどなくしてカチッという音が響いた。
天井の一角が微かに点滅し、青白い光が闇を裂く。
その瞬間、闇の奥に蠢いていたエーテリアスたちが一斉に後退した。
影が引き、壁のひび割れに逃げ込むようにして消えていく。
猫又が目を丸くする。
「……今の、見たか?」
「光を嫌がってるみたい……」
アンビーが呟くとアキラは頷いた。
「そうみたいだね。照明を増やせば少なくとも接近は防げる」
敵の特性を理解した皆は懐中電灯の光を手分けして当てて進路上の敵を追い払い、壊れた照明端末をフェアリー経由で再起動する。
やがて通路に淡い光の筋が並び、わずかに空気が和らいだ。
「このデータを取っておこう。エーテリアスの行動特性に関連してるかもしれない」
フェアリーに指示を出し、データを集めながらホロウ内部の解析を進めていく。
光に守られながら一行は奥へと進む。
やがて一行は広いロビーへと辿り着いた。
天井は高く、闇の奥まで見通せない。
踏みしめるたびに靴音が冷たく反響し、空気は薄氷のように肌を刺した。
「……広いな」
アキラの声がわずかに震えを帯びる。
そんな中、ビリーが隣のアンビーを見て眉をひそめた。
「どうした、アンビー。浮かない顔して」
アンビーはしばし迷い、低い声で答える。
「……誰かに見られてる気がする。建物に入ってからずっと視線を感じているような――」
言われてみればビリーもその感覚に覚えがあった。
背後の闇が息を潜めてこちらを窺っているような、“何か”が足元を通り抜けていく気配――
「それはあたしの尻尾だ!」
正体は猫又であったためビリーは勘違いかと胸を撫で下ろす。
その瞬間、咆哮が轟いた。
風を裂くような低音がロビー全体に響き、照明の微かな光が一瞬揺らぐ。
霧の奥からエーテリアスたちが姿を現した。
荘厳な像と同化した形の崩れた獣のような輪郭。金属の残響をまとい、黒い膜を引きずっている。
「来るッ!」
アキラが叫ぶや否や、全員が構えた。
閃光。銃火。
アンビーのブレイドが青い弧を描き、ビリーの二丁拳銃が結晶を貫く音が響く。
猫又は素早く側面に回り込み、鋭い爪でエーテリアスの核を切り裂いた。
衝撃音が幾重にも重なり、白い光が霧を裂いた。
エーテリアスは苦悶の咆哮を上げ、形を崩しながら霧の中へと消えていく。
一瞬の静寂。
残ったのは焼けた空気の匂いと微かに震える照明の光だけだった。
「……終わった、か?」
ビリーが息をつき、武器をしまった。
戦いが終わり、アキラたちはようやく呼吸を整えた。
焦げた金属とオゾンの匂いが漂い、ロビーの空気はまだ微かに震えている。
互いに顔を見合わせ、無言のうちに安堵の息を吐いた。
――先ほどから感じていた視線。
あれはこのエーテリアスのものだったのだと誰もが思った瞬間だった。
その安堵を断ち切るように、
カツ、カツ、カツ……
規則的な足音が暗闇の奥から響いてきた。
その音は金属的で、冷たく、まるで時間の刻みそのものが近づいてくるかのようだった。
アンビーが即座に武器を構える。
「誰!」
彼女の声が室内に反響し、静寂を切り裂く。
全員の視線が一斉に闇の奥へと注がれた。
その瞬間――。
空気が変わった。
風もないのに黒い羽根がひとひら宙を舞った。
次の瞬間、闇を切り裂くように“それ”が飛び出してきた。
羽音はなく、ただ空気のうねりだけが耳を打つ。
黒い翼が夜気を裂き、光を吸い込む。
着地の瞬間、風圧が足元を叩き、空気がふわりと舞い上がる。
その動きは猛禽のようでありながら一片の無駄もない優雅さを備えていた。
「……君は……」
アキラが思わず声を漏らす。
闇に溶け込む黒のメイド服、艶やかな長髪、そして広げられた漆黒の翼。
彼女はまるで“夜そのもの”が形を成したかのようにそこに佇んでいた。
照明の欠片が彼女の翼に反射し、微かに銀色の光を宿す。
クロエは静かにスカートの裾を摘み、深く、完璧な所作で一礼した。
その一挙一動は戦場の緊張を塗り替えるほど洗練され、まるで劇場の幕開けのように空気が張りつめる。
「ようこそお越しくださいましたお客様。本日はどのようなご用件でお越しでしょうか?」
その声は冷たくも優しい。
ロビーの壁面に反響し、金属と霧の世界を透き通るように包み込んだ。
誰もが言葉を失い、ただその存在の“異質な美”に見とれていた
ーーーーーーーーー
静かな声がロビーに響いた。
「ようこそお越しくださいましたお客様。本日はどのようなご用件でお越しでしょうか?」
その声を聞いた瞬間、アキラの胸の奥が跳ねた。
忘れるはずがない――この響き、この抑揚。
視線を向けるとそこに立っていたのは黒衣をまとった一人の女性。
金糸を織り込んだ布地が薄明かりを受けて淡く光を返している。
クロエ。
あのときの彼女が目の前にいた。
猫又と目を見合わせ息を呑む。
まさかこんな場所で再会するなんて。
「君は……「クロエ……!」」
僕と猫又の声が重なった瞬間、クロエの瞳がわずかに見開かれた。
その表情には驚きと……どこか安堵の色が混ざっている。
「調査員様……猫又様……?」
小さく息を呑んだ後、彼女はすぐに穏やかな笑みを浮かべた。
黒い翼をゆっくりとたたみながら周囲を見渡すと彼女の後ろには数人の人影。
その場にはヴィクトリア家政の面々が控えていた。
狼の執事、フォン・ライカン。ヴィクトリア家政執行責任者であり、その背筋の通った佇まいはまるで刃のような威厳を帯びている。
その後ろにはメイドたち──カリン・ウィクス、エレン・ジョーが佇んでいた。
「あ、カリンちゃんも!」
「ね、猫又様。それに調査員様まで……!」
猫又はカリンの姿を見つけるとぱっと顔を明るくして声をかけた。カリンも少し驚きながら嬉しそうに応じた。
「皆さん、大丈夫です。この方たちは敵ではありません」
クロエの一言に、「あら、そうなのですか」と突如自分たちの背後から声が返る。
振り返ると白髪の女性が静かに浮かんでいた。
思わず息を呑む。まるで幽霊みたいだ。
「うわあ!?」
「いつの間に……!」
幽霊のようにふわりと漂うその人物はメイド長アレクサンドリナ・セバスチャン(通称リナ)である。
その微笑は落ち着いていて、どこか底知れない気品がある。
「ふふ……鋭い子ですわ。一時は見破られるかと」
『まだまだ甘ェな!!』
『甘ェな、甘ェな!』
金髪ぱっつんボブのボンプと茶髪のおさげのボンプ、ドリシラとアナステラがリナの後ろから顔を出す。
どちらも浮遊する小型ボンプで、ピコピコと目のライトを瞬かせながら喋っている。
緊張がわずかにほどけ、ロビーの空気が柔らぐのを感じた。
「……顔見知りなのでしたら、手間が省けます」
低く落ち着いた声とともに、ライカンが一歩前へ出た。
その背後で、ヴィクトリア家政の面々が整然と並ぶ。
「申し遅れました。我々は──ヴィクトリア家政でございます」
クロエも続いて一歩前に出て静かに頭を下げた。
「お久しぶりです、お二方。まさかこの場所で再会するとは思いませんでした」
黒い羽根が静かに揺れ、薄明かりの中で鈍く光る。
その光はかつての再会の記憶を映すかのようだった。
ーーーーーーーー
「ヴィクトリア家政……聞いたことのない名前ね」
アンビーが半ば呟くように言った。声がロビーの奥へと吸い込まれていく。
「ちょっとアンビー! 正直あたしもカリンちゃんとクロエさんに会うまで知らなかったけど……言い方ってものがあるでしょ!」
猫又が慌ててフォローするもアンビーは腕を組んだまま肩をすくめる。
しかし、当のリナさんたちはまるで気にしていない。
その白銀の髪を指先で整えながら、浮かぶように微笑んだ。
「まあ優しい子ですわね。ですがお気遣いは不要ですわ。私たちは新エリー都におけるほんの少数の富める方々にお仕えしております。ゆえに、世間一般にはほとんど知られておりませんの」
「むむ……あたしたちがビンボーだって言いたいの!?まあ、反論できないけど……!」
猫又の抗議にリナさんはふふ、と喉を鳴らして笑った。
ロビーの空気がほんの一瞬柔らかく和らぐ。
そんな中執事のライカンさんが一歩前へ出て胸に手を当てて頭を下げた。
その動作には軍人のような正確さと威厳があった。
「皆様、どうか従業員の失言をお許しください。ヴィクトリア家政の執行責任者フォン・ライカンが代わってお詫びを申し上げます」
その声は低く、重く響いた。
狼耳がわずかに伏せられ誠実な気配が伝わる。
「それで……、なぜあなたたちはここに?」
僕が尋ねると、ライカンさんは淡々と答えた。
「私共は本日、バレエツインズのオーナー様のご指示で設備のメンテナンスに参りました」
「バレエツインズの……オーナー?」
アンビーが眉をひそめ、猫又が疑問を呈する。
「でも、このビルを建てたバレエ兄弟ってとっくに破産してるはずじゃ?」
「左様でございます。おっしゃる通り長らく抵当に入れられておりましたが──」
ライカンさんは視線をわずかに宙へ向けて言葉を続ける。
「現在、当局がラマニアンホロウの活性低下に乗じ、共生ホロウの鎮圧を図っています。それが実った暁にはビルの価値が向上すると踏み、ご主人様は手付金を振り込まれました」
「……ホロウの中にあるビルに投資するなんて……さっすが金持ち。発想がぶっ飛んでるわ……」
猫又の呟きに、僕も思わず苦笑した。
「ところで、皆様はどうしてこちらに?」
カリンが不思議そうに首をかしげる。
「ここはご主人様の私有地ですから、協会のお仕事に来られたわけでもないですよね?」
「ギ、ギクッ……」
猫又の肩がピクンと跳ねる。
僕も頭をかきながら目をそらした。
その様子を見てライカンさんは苦笑を漏らした。
「……そのように警戒なさらずとも結構。ホロウでご活躍されている“非公式”の方々に無礼を働くつもりは毛頭ございません。胸の内を明かしてくださるなら、私共もお客様として最大限の協力を致します」
その声に僕と猫又は顔を見合わせた。
もう隠し通せない。
「……うん、もう調査員のフリをするのは無理そうだね」
僕は息を吐き、クロエたちに向き直る。
「あーその……カリンそれにクロエ。実はね、僕たちは調査員でもなんでもないんだ」
「ええっ!?そうだったんですか!」
カリンは目を丸くしたが、クロエやエレン、リナは静かに見つめているだけだった。
──最初から察していたのだろう。
僕は失踪した人物、レインを探していること。そして自分が“パエトーン”であることを話した。
その名が出た瞬間ライカンさんの瞳が鋭く揺れた。
「なんと……あなた様がかの伝説のプロキシ、『パエトーン』だったとは。そしてここへは、失踪されたご友人を探すためにいらしたのですね」
ライカンさんはゆっくりと頭を垂れた。
どうやらアキラのボンプを通じた通信からすでに推測していたらしい。
「ライカンさん、この建物の中に手掛かりになりそうなものはなかったかい?」
「手掛かり……」
ライカンは僅かに顔を曇らせクロエに目をやる。
「確かに、人がいた形跡をクロエが発見しました。向かっていた先はアトリウムのようで……もしや――」
その時、ボンプから少し雑音が混じった声が割り込んだ。
「──お兄ちゃん?聞こえる?」
「リン?」
通信越しのリンの声は焦っていた。
「ごめんね急に。実はニコの方でちょっと面倒なことになってて……」
リンの説明によれば、裁判用の書類に邪兎屋の四人全員で出廷と記載してしまったらしい。
つまりアンビーたちは今すぐ戻らねばならない。
「てことは俺らも飛行船に乗んなきゃいけねぇのか!?」
ビリーが頭を抱えた。
「でもよ、そしたら店長の人探しはどうなっちまうんだ?」
状況はかなり厄介になってしまい、僕は頭を抱える。
その時クロエが静かに声を上げた。
「……申し訳ありません。聞き耳を立てておりました。不躾ながら提案をお許しいただきたいのですが──プロキシ様、私共と行動を共にされてはいかがでしょう?」
「え……僕とかい?」
「あなた様は人探しをしており、私共は古いデータゆえ探索に難儀しております。互いの目的を重ねれば、きっとより深くまで踏み込めましょう」
クロエの瞳を見つめた。そこに映る光はあの頃と同じ。誠実でまっすぐだった。
「……いいのかい?僕みたいな部外者が、ご主人様のビルに入っちゃうことになるけど」
クロエはライカンへ視線を送る。
しばしの沈黙の後、ライカンは静かに頷いた。
「──もちろんでございます。設備のメンテナンスを行うあいだ、ご主人様より全ての裁量をお預かりしておりますゆえ」
僕はほっとして笑い、軽く頭を下げた。
「ありがとうクロエ、ライカンさん。とりあえずアンビーたちの見送りをしてくるね」
「ええ。用がお済み次第、共に建物の奥へ向かいましょう」
クロエの黒い羽根が、静かに舞い落ちる光を受けてゆらめいた。
それはまるでこの先に待つ暗闇への道標のようだった。
ーーーーーーーーー
ホロウの外へ邪兎屋の三人を送り届けたあと、そう時間を置かずに僕はヴィクトリア家政の面々と“ボンプ越しではなく直接”会うことになった。
待ち合わせ場所はバレエツインズのすぐ近く──白い石畳が交じる静かな広場。
夕陽が沈みかけ、街灯が淡く灯り始める時間。
風が一枚の落ち葉を転がし、金色の光が石畳を照らしていた。
そこに長身の影が立っていた。
黒の執事服を纏い、金の懐中時計を手に佇む男──狼の執事のライカンさん。
僕は歩み寄り、声をかける。
「こんにちは。待たせてしまったかな?」
ライカンさんは顔を上げてわずかに目を見開いた。
明かりに照らされたその瞳が驚きに揺れる。
「……貴方様は──もしや、パエトーン様であらせられますでしょうか?」
その声音には驚きと敬意が入り混じっていた。
僕は少し肩をすくめて苦笑を浮かべる。
「ええ、まあ。お会いできて光栄です」
ライカンさんは深々と一礼し、まるで儀式のように整った動きで言葉を返す。
「これはこれは──礼を尽くしていただき、幸甚の至り。私共の方こそ、こうしてあなた様にお会いできたことを大変光栄に存じます」
その声音には一切の打算がなく、ただ純粋な忠誠と誇りが宿っていた。
僕は頬をかすかに掻きながらどこかむず痒い気持ちになる。
けれど同時に胸の奥にじんわりと温かいものが灯った。
「あなた様はヴィクトリア家政の協力者であり──そしてお客様でもあります」
ライカンさんは静かに姿勢を正し光を受けた銀のボタンが淡く光る。
「快適で、安全なホロウの旅をお過ごしいただくため、私共は最善を尽くすことをお約束いたします」
僕はその真摯な言葉に頷き、少し笑って言った。
「ありがとう。……それと、ひとつ訊いてもいいかな?イアス──あのボンプは今どこに?」
「リナがお傍で仕えております。イアス様はどうやら多湿の環境が大層に不快だったご様子でしたので……」
ライカンさんの答えに僕は礼を言い、軽く会釈して歩き出した。
その背に穏やかな声がかかる。
「──カリンとクロエがあなた様に深く感謝しておりました。ホロウで迷っていた際、あなた様に道を示され、助けていただいたことを今でも誇りに思っております。彼女たちは再会を切望しておりました。もしよろしければ……二、三お言葉をかけてやっていただけませんか?」
僕は振り返り少し照れくさそうに笑った。
「もちろん。彼女たちには僕のほうこそお礼を言いたい……」
そう言って広場の灯りの中を歩き出す。
オレンジ色の陽が沈みかけ、ホロウ外縁の街並みが茜に染まっていた。
ビルの影が長く伸び、風に乗って古い看板がきぃと軋む。
イアスの無事を確認したあと、僕は深く息をついた。
ボンプの青い光が夕暮れの陰に滲み、ほんのり揺れて消える。
その微かな光を背に僕はクロエとカリンのいる方へ向かった。
すぐに二人の姿が見えた。
クロエさんは黒いメイド服を端然と着こなし、背筋をまっすぐに伸ばして立っている。
その隣には少し緊張した面持ちのカリンがいた。
僕の足音に気づいたのか、カリンが顔を上げてそして目を見開いた。
「……もしかして、調査い──あ、いえ、プロキシ様……!?」
クロエさんもわずかに眉を上げたがすぐに穏やかな微笑を浮かべる。
「まさか……本当に、あなた様だったとは」
「そんなに改まらなくていいよ。久しぶりだね、カリン、クロエ」
「ひ、久しぶりですっ!」
カリンは慌てて頭を下げ、声を震わせながら続けた。
「あ、あのときは……助けていただいて……ほんとうに、ありがとうございました……」
クロエさんはそんなカリンをそっと支え、一歩前へ出た。
「プロキシ様。改めてここに心からの感謝を申し上げます。あなた様のお力添えがなければあの時、私たちは無事ではいられなかったでしょう」
その所作はまるで舞台の一幕のように優雅で完璧だった。
僕は少し肩の力を抜き、微笑を返した。
「こちらこそ、あのとき道を切り開いてくれて助かったよ。」
クロエさんの瞳がやわらかく光り、カリンも小さく頷いた。
そしてクロエさんが再び静かに言う。
「──ご友人の捜索の件、伺っております」
「私たちは全力でお力になります。ヴィクトリア家政はあなた様の“誠実な意思”に敬意を払います」
その言葉に僕は息を呑んだ。
ほんの数刻前まで敵も味方も曖昧だったホロウの空気。
だが今確かに“味方”の灯がひとつ増えたのだと感じた。
「ありがとう。君たちが一緒ならきっと見つけられる」
僕が手を差し出すとクロエさんはその手を軽く取り、丁寧に一礼した。
背後でカリンも慌てて真似をする。
ふと、彼女に会った時から気になっていた疑問をぶつけてみることにした。
「……君は、以前どこかで入院してなかったかい?」
それは妹と共に急に倒れたドクのお見舞いに向かった時のこと、確か隣のベッドには彼女がいたはずだ。
アキラの脳裏に白い光の差し込む病室の情景が蘇る。
カーテン越しに聞こえた小さな咳、淡い香水の匂い。そして――
慌てた様子のナースが急いで駆け込み、アキラとリンは咄嗟に一歩下がった。
その瞬間目が合ったのだ。
ベッドの上で静かに横たわる黒髪の女性──今、目の前にいるクロエに。
僕の質問にクロエの動きが一瞬止まった。
長いまつげの影が頬に落ち、静かに揺れる。
「──ええ。覚えていてくださったのですね」
「やっぱり……あの病院で見かけた気がして。友人のお見舞いに行った時、君が隣のベッドにいたんだ」
「はい。その方の隣で療養しておりました。そのときは……少し容体が不安定で、騒がせてしまいましたね」
「もしかして……その……何か体が良くなかったりするのかい?」
僕が心配そうに問うとクロエはすぐに首を横に振った。
「ご心配くださりありがとうございます。ですが大丈夫です。あれは少し……不運が重なっただけでして」
その言葉のあとカリンが一瞬だけ視線を逸らした。
どこか気まずそうで、どこか複雑な表情。
僕が首を傾げてもカリンは何も言わずに口をつぐんでしまう。
(あの“入院の理由”。本当のことは……言えませんよね、クロエさん)
──あの日のことをカリンははっきり覚えていた。
リナさんが「新しいレシピを試してみたんです!」と得意げに出した晩餐。
カリンとライカンさんが駆けつけたときには、クロエさんはほぼ完食しており、テーブルに突っ伏して静かに倒れていた。
その後の数日間、リナさんは料理禁止を命じられ、クロエさんはしばらく療養を余儀なくされた。
けれど、そんな経緯をアキラに話せるはずもなく──
「………っ!」
カリンは沈黙を選択した。
カリンの妙な反応に戸惑う僕に、クロエはただ微笑を崩さずに「もう大丈夫です」とだけ答えた。
夕風がふっと吹き抜け、三人の間をやわらかく撫でていく。
僕は一先ず安心したように息をつき、空を見上げた。
群青から橙へと変わりゆく空の下、どこか温かな静けさが広がっていた。
ーーーーーーーーー
僕とヴィクトリア家政の一同は、バレエツインズの再調査へと向かっていた。
目的地はB棟の屋上。レインがいる可能性が最も高い場所だ。
リナさんが差し出した建物の見取り図を受け取り、クロエからは途中まで集められたホロウのデータを受け取る。
「ありがとう。……!これ……かなり正確だね」
僕が感嘆すると、クロエは静かに微笑み、「恐縮です」と答えた。
アトリウムまでのルートがほぼ明らかになっていたため、僕たちはそこを目指して進む。
「こちらです、ガイド様」
先頭を進むリナさんが懐中灯を掲げる。
足音が静まり返った廊下に反響していく。
途中、何度もエーテリアスが現れた。
ノイズのような声を上げ、闇から滲み出てくる。
けれどヴィクトリア家政の動きはあまりにも滑らかだった。
エレンとカリンが刃を繰り出すたび、リナさんが敵の動線を制御し、ライカンさんが鋭い一撃で仕留めていく。
一切の無駄がなく、まるで舞踏のように息の合った動き。
その連携の精緻さは人間離れしていた。
僕はただその背を追いかけながら圧倒されていた。
――これが、ヴィクトリア家政の実力。
ホロウの中にあってなお、彼らは“従者”としての誇りを失っていない。
クロエは僕の安全を第一に考え、常に傍でエーテリアスを薙ぎ払っていた。
ボンプの小さな身体ではどうしても足が遅れがちで、周囲に散らばった瓦礫を越えるのも一苦労だった。
そんな様子を見たクロエがふと僕に近づいて言った。
「失礼いたします、プロキシ様」
そう言うなり、いきなり僕を軽々と抱き上げた。
「え、ちょ、クロエっ!?」
思わず声が裏返る。
クロエの腕に包まれる瞬間、感覚共有が過敏に反応した。
ふわりと香る花の匂い、柔らかな感触。一定の心拍――すべてが生々しく伝わってくる。
ボンプ越しとはいえ完全に動揺していた。
「お足元が悪うございますので、このままお運びいたします」
クロエの声はあくまで冷静。
けれど僕の心拍はボンプの駆動音と一緒にどんどん速くなっていった。
そのとき天井の換気口から黒い靄のようなエーテリアスが突然降りかかってきた。
「上から!?」
叫ぶより早くクロエが動いた。
僕を抱いたまま瞬時に身をひねって壁を蹴る。
光が閃き靴先がわずかに開いた。
そこから飛び出した薄刃が空中でエーテリアスのコアを正確に切り裂く。
蒸気のように霧散する敵。
だが――跳躍の反動で僕の背中に”何か柔らかいもの”が押し当てられた。
「――っ!?」
あまりの衝撃に声にならない悲鳴を飲み込む。
意識の奥まで火花が散ったような感覚だった。
クロエさんは平然と着地し、何事もなかったかのように言う。
「ご安心ください、プロキシ様。道中の脅威はすべて私が引き受けます」
「い、今の……いや、その……」
「ええ、危険は排除いたしました」
「……!(いやそうじゃなくて!)」
僕が心の中で頭を抱えていると近くにいたエレンがその様子に気づいた。
眉をひそめながらクロエに声をかける。
「クロエさん、ちょっと。……その状態、戦いづらそうだし。あたしが代わるよ」
不機嫌そうな声音。
けれど、本人はその理由にまったく気づいていない。
ほんの少し眉間にしわを寄せ、クロエさんの腕の中の僕を見つめる視線はどこか複雑だった。
クロエは一瞬だけ考え込み、柔らかく微笑んだ。
「お気遣いありがとうございます、エレンちゃん。でも……あなたには大きな鋏を使ってもらう場面があるから、両手を空けておいた方が良いと思うの」
彼女は少し間を置き、まるで思い出したように続ける。
「それに、失礼かもしれませんが――プロキシ様の感触が、とても心地よくて」
「……!?」
脳が真っ白になった。
僕はもちろん、エレンの動きも一瞬止まった。
息を飲む間もなくエレンの顔から血の気が引いていく。
胸の奥に焼けつくような痛みが走ったのが見ていても分かった。
エレン自身、その感情の正体を理解していないようだった。
ただ――どうしようもなく悔しそうだった。
「……そう」
短く呟いた声には微かな棘があり、こちらを鋭く睨みつけていた。
アキラはその空気を察し、心の中で悲鳴を上げる。
――これ、絶対あとで尾を引くやつだ……!
ーーーーーーーー
エレンが引き下がった後もクロエは変わらぬ穏やかな表情で僕を抱きかかえたまま歩を進めていた。
しかし、抱えられている当の僕は内心で大いに困っていた。
(このままは……いや、別に嫌ってわけじゃないけど……これは非常にまずい……!)
クロエの腕の中にいるとどうしても心拍が上がってしまう。
ボンプ越しとはいえ、感覚共有のせいで彼女の体温や柔らかい感触までもがリアルに伝わってくる。
ヴィクトリア家政の皆は気にしないふりをしてくれているようだが、視線を今もチラチラと感じている。
このままでは集中どころか思考まで危うい。彼女の親切心が僕が持つ理性を急激に溶かしていく。
何とかしなければ……!――そう焦りながらもどう切り出していいか分からず言葉を詰まらせていたその時だった。
「……コホン。クロエ、もしよければ私がプロキシ様を」
低く落ち着いた声が響いた。
振り向くとライカンさんがこちらを見ていた。
エレンの恨めしそうな表情と僕の現在の焦りを見抜き、彼は穏やかに言葉を続ける。
「私なら足技が主でして、両手は空いております。抱えていても動きには支障ありません」
まるで助け舟のような申し出に僕の胸が一気に軽くなる。
(ライカンさん……神様なのか……!)
心の中で涙を流しながら僕は全力でその案に賛同した。
「そ、そうだね!戦闘中にクロエが動きづらくなると危険だと思うから……!」
クロエは一瞬だけ考えゆるやかに首を傾げた。
そして、静かに僕をライカンさんの腕へと渡す。
その指先が離れる瞬間、彼女はふと目を伏せ――まるで名残惜しむように微笑んだ。
「……そうですか。ではお願いいたします、ライカンさん」
その声音はいつもと変わらぬ穏やかさだった。
けれどほんの一瞬だけクロエの睫毛が伏せられ、薄く開いた唇が息を含むようにわずかに震える。
まるで“惜別”を帯びた仕草。
なのにそこにはなぜか甘やかな艶すら漂っていた。
その瞬間、場の空気がわずかに変わった。
「………っ!」
エレンもカリンも、そしてリナさんまでも、一拍遅れて動きを止める。
誰も言葉を発しないままクロエの表情に視線を奪われていた。
表情の変化はごく微細。それでも見ていた者の心を強く揺さぶるものがあった。
「……お、お願いするよライカンさん」
「……え、ええ。お任せください」
ライカンの腕に移された僕はようやく精神の安定を取り戻しつつも、クロエの“……そうですか”と悲しそうに呟いた表情が妙に心に残って離れず、妙な動悸を抑えながらライカンさんの腕の中で姿勢を正すふりをして必死に彼女から視線を逸らした。
ーーーーーーーーー
ようやく全身から力が抜けた。
クロエの仕草で一度張りつめた空気も今は少しだけ落ち着いている。
エレンは前を向いたまま何も言わない。
カリンが気まずそうに指先をいじり、リナは淡々と歩を進めていた。
誰も口にしないけれどあの一瞬、確かに場の空気は妙な温度を帯びていた。
(あ、危なかった……いろんな意味で……)
僕は心の中でため息をつきながら気を取り直す。
クロエはもう表情を整えていてさっきまでの艶めいた仕草が嘘のようにいつもの穏やかな顔に戻っていた。
ほんの少し視線が合うと彼女は小さく会釈する。
どうやら本当にもう切り替えてくれたらしい。
僕もそうしなきゃと意識を前に向けた――その時だった。
天井の照明がバチバチと音を立て激しく点滅した。
「また照明が……ここに来るまでも、何度か同じことがあったよね?」
僕が言うとすぐ後ろのカリンが小さく肩をすくめた。
「ふぇっ?そ、そうでしたか……?あ、あはは……」
乾いた笑い。
声が上ずり、手にしていた武器がわずかに震えている。
「……確かに何度もあったね。やっぱあの噂、ホントだったり?」
エレンが振り返りながら口を開いた。
その声はどこか軽い。けれど、口にした“噂”という言葉が廊下の空気をぴんと張り詰めさせた。
「え?噂って、どんな?」
思わず尋ねると、エレンが気だるげな視線をこちらへ向ける。
「なんだ、聞いたことないの?」
「エ、エレンさんっ!」
カリンの制止がすぐに飛ぶ。だがエレンは肩をすくめた。
「え、これ言っちゃダメだった?だってさ、リナがいるんだし……よくない?もしプロキシが知りすぎちゃっても――パパっと片してくれるって」
“片す”――その言葉に、僕の背筋がぞくりと冷えた。
冗談にしては妙に生々しい響きだった。
「ごめんよ……どうやら聞いてはいけないことだったみたいだね」
自分でもわかるほど声がかすかに震えていた。
リナが穏やかに一歩前へ出る。
その笑みは優しいのに、どこか背筋が伸びるような冷たさを帯びていた。
「ふふっ、エレン?カリンちゃん?お客様に誤解を与えてしまいますわ。ガイド様――私から改めて説明させてくださいまし」
空気がすっと引き締まる。
リナの声は静かでそれでいて妙に通る。
「このバレエツインズで最近、心霊現象が起こるという噂はご存知でしょうか?」
「いいや、聞いたことはないな」
僕は首を横に振る。
「実は……この施設がホロウに呑まれた日、有名な舞踏家の姉妹がこの場所で命を落とされたのです。以来、姉妹の怨念が“主”となり、不届き者が足を踏み入れると灯りを点滅させて警告するのだと――そう、言われております」
「その……警告を無視するとどうなるんだい?」
「停電を起こし、闇をつくりだすのです。その闇から現れ、侵入者の魂を刈り取るために――」
その瞬間、照明が一度に消えた。
真っ暗な廊下に、リナの声だけが静かに響く。
そして、わずかに遅れて灯りが戻る。
視界が戻ったとき、カリンの顔も僕の顔も蒼白だった。
「そのような話はあくまで昔の噂……だったのですけれど」
リナは静かに表情を曇らせる。
「最近、同じ現象に襲われたという報告が相次いでいます。ご主人様はこの建物が“事故物件”という不良債権として扱われることを危惧されまして。私たちはその真相を調査しているのです」
「……なるほど。確かに初対面で言える話じゃないな」
僕が呟くと、ライカンさんが前方を睨みながら口を開いた。
「プロキシ様。当初は我々も与太話と侮っておりましたが、先ほどの停電の頻度……偶然とは思えません」
「停電するとどうなるんだい?」
「アトリウムの入口にある防火シャッターが自動で閉鎖されます。そうなれば、B棟へ進む道が完全に遮断されます。――急ぎましょう」
その言葉を合図に僕らは走り出した。
だが点滅はさらに激しさを増し、壁の影がゆらりと動いたかと思うと――。
霧の中から黒い腕が無数に飛び出した。
「く、エーテリアス……っ!」
アトリウムまではもうすぐだ。だが防火シャッターが閉まれば終わりだ。
こんな時に、と思ったのも束の間。目の前にいたエーテリアスのコアは飛来した銀の光に貫かれた。
「……え?」
消滅したエーテリアスに驚いている僕の前へ、クロエが一歩進み出る。
「ここからは――私にお任せください」
そう言うや否や彼女はスカートの裾を翻す。
彼女の手にはいつの間にか細身のナイフがいくつも握られていた。
「今の私は両手が空いています。
言葉は淡々としているのにどこか断固とした響きがあった。
一瞬の静寂。
その言葉にエレンが口を開きかけて――何も言わずに口を閉じた。
彼女らしくない。だが理解したのだ。止めるべきではないと。
ライカンさんがゆっくりと頷く。
「……わかりました。殿は任せます、クロエ」
低く響く声にどこか敬意がにじんでいた。
「任せたよ、クロエ!」
僕も思わず叫んでいた。
その瞬間クロエが腕を振り抜く。
ナイフが空を裂き、次々とエーテリアスのコアを正確に貫いた。
霧の中で銀の閃光が花のように咲き、進路を覆っていた影が瞬く間に崩れ落ちていく。
「皆さん、先に行ってください!」
その声が鋭く響いた。
まるで舞台の幕が切り替わる合図のように。
僕らは頷き合い、駆け抜けた。
カリンとエレンが振り返りざまに、ほんの一瞬息を呑む。
彼女たちの目に映ったのはまさに“舞う”という言葉そのものだった。
クロエの動きは流麗で無駄がなく、すべてが一筆書きのように美しかった。
その様子を見たリナさんが短く息を吐く。
「まあ……!」
その声音には純粋な感嘆がこもっていた。
「クロエ!」
僕たちがアトリウムに辿り着くと同時にシャッターが閉まり始める。
僕はシャッターの向こうで戦うクロエの姿を見た。
黒い翼が広がり光を受けて艶めく。
エーテリアスの腕が振り下ろされ、壁を抉る。
空気が震え、床が波打つ。
「ええ、只今向かいます。」
笑みを浮かべたクロエはその軌道を見切ると反射のように踏み込んだ。
エーテリアスの腕の甲に音もなく着地し、翼を大きく展げる。
羽根が爆ぜ、空気が震える。
――轟音。
黒い羽根が宙を舞い、クロエの身体は矢のように弾けた。
僕らのいる光の方へ。
だが進行方向にもう一体。
霧を裂いて現れたエーテリアスが牙を剥いて飛びかかる。
クロエは翼を半ば畳み、身体をひねった。
黒い弧を描くように旋回し、相手の攻撃を紙一重でかわす。
羽ばたきの衝撃が霧を裂き、その隙間を光が貫いた。
「……もう少し……!」
シャッターの下端が床に届く寸前。
クロエは空中で翼を畳み、身体を極限まで絞る。
――ガシャァァンッ!
鋼鉄の隙間を彼女が抜けた瞬間、背後で金属が噛み合う轟音が響いた。
残響の咆哮も、シャッターの向こうで途切れる。
白い光の中に降り立つクロエ。
その翼は戦いの熱と結晶で淡く煙っていた。
「……ふぅ。お待たせしました皆さん」
息一つ乱さず彼女は微笑んだ。
その姿を見た瞬間――誰も言葉を発せなかった。
(す、凄い……)
僕は息を詰めたままその姿を見つめていた。
あの光の中に立つ黒衣の彼女はまるで、舞台へと舞い戻った黒衣の天使のように見えた。
だがそんな安堵の中、何処からともなく金属の音が響く。
そして次の瞬間、アトリウムの中央に
エレンは脳破壊してすまん。アキラもとばっちりで申し訳ない。
どこぞの反乱軍「ちょ!?早い早い……!くそ、これでも喰らえ……!」