転生者達の新エリー都、二足のわらじ生活 作:フライパンソルジャー
またまたファンアートをいただきました!エレグ・マックスです!本当にありがたい!
こんなに立て続けに貰うことができて大変嬉しいです!感謝です!
【挿絵表示】
朝から郊外の広場は熱気に包まれていた。
観客の歓声、エンジンの轟音、空気を震わせる振動。
数年に一度の祭典《ツール・ド・インフェルノ》
郊外の覇者を決める走り屋たちの戦いだ。
”トライアンフ”と”カリュドーンの子”。二大勢力の対決に人々の期待は最高潮に達していた。
ルシウスは整備場の片隅に立ち、群衆を冷めた目で眺めていた。
いつも通り無駄のない装い。表情は乏しいがその奥にかすかな笑みを湛えている。
彼の視線の先に、ただひとり――姿を見せない人物がいた。
「マオさん、今日来てないんですか?」
メンバーの一人が不安げに言った。
「ああ、聞くに……朝から体調が悪いって部屋で休んでるらしいぞ」
短い期間で随分と絆された部下どもが顔を曇らせて心配の言葉を口にする中、ルシウスだけが静かに唇の端を上げた。
(そうか、やっと効いたか……)
昨夜、自らの指示で部下に運ばせた“夕食”。
遅効性の毒は朝には起き上がれないほどの倦怠感を引き起こし、次いで痺れを、そして最後に死をもたらす。
都市の”エーテル技術を応用した”その毒はどんなに優れた薬師であろうと解けはしない。
忌々しいあの女が二度とこちらに顔を見せることはない。
この下らない祭りが終わる頃には、マオという名の薬師は静かに幕を閉じる。
後になって死体が見つかり、陣営内の信用は落ちるかもしれないが、それはどうでもいいことだ。自分にとってあの連中の生き方も誇りもすべては些細なノイズに過ぎない。
重要なのは自分の目的が果たされることだけだ。郊外全体が古臭い燃料を失い、騒ぎ立てる暇もない頃、自らの悲願が成就する。
(エーテルの力さえあれば……僕は……!)
ルシウスは胸の奥で笑い、密かに息を吐いた。
ようやく厄介な障害が消え、ついに準備は整った。――そう思った矢先。
「……あ、あの、ルシウスさん」
声をかけてきたのは昨夜、毒入りの食事を運んだ青年だった。
顔色が悪く、目が泳いでいる。
「どうした?」
ルシウスは穏やかな声を装いながら問い返す。その声は柔らかいが、どこか刃物のような冷たさを帯びていた。
「い、いえ……その、昨日の件、あの……」
青年の喉が上下に動く。恐怖が全身に滲んでいた。
ルシウスは軽く笑った。
「気にすることはない。君は“ただ夕食を運んだだけ”だ。そうだろう?」
低く落とした声。
冷たい光を帯びた視線が青年の心臓を貫く。
何か言いかけた口が閉じられ、青年は力なく頷いた。
(余計なことを口にすれば、次黙るのはお前だ)
その意を込めた視線を残し、ルシウスは踵を返した。
「まったく……せっかくの日だというのに気分の悪い話だ」
そこへ、ポンペイが姿を現した。
重い体を揺らしながら周囲を見渡す。その視線はまるで会場全体を掌握しているかのようだった。
「ええ親分、どうやら彼女は当日に体調を崩したようで。……運がなかったようです」
ルシウスは淡々と答え、わざとらしく肩をすくめた。
その一言にポンペイの表情が一瞬だけ曇る。
「……ルシウス、貴様まさか――」
何か言いたげに口を開きかけたその瞬間。
「すまない、遅くなった」
澄んだ声が喧噪を裂いた。
聞き覚えのあるその声に群衆が振り向く。郊外で彼女を知らぬ者はいない、誰もが世話となった郊外の薬師。
そこに立っていたのはいつも通りの笑顔を浮かべたマオだった。
白衣の裾を翻し、背にはいつも通りの巨大なバックパック。
足取りは軽やかで、しかし確固たる意志を感じさせた。
とても体調が悪いなんて思えない。
(………は?)
思わず目を見開くルシウス。
だがそんな彼の心情にお構いなしに、彼女の姿を見たトライアンフの面々が歓声を上げた。
「マオ!お前もう大丈夫なのかよ!?」
「ああ、ちょっと寝不足だっただけだ。今日が楽しみ過ぎて眠れなくてな……」
「何だよそれ!心配かけさせやがって!」
笑いながら答えるマオの横顔を見た瞬間、ルシウスの背筋を氷のようなものが這い上がった。
(……ありえない……!あの毒が効かないだと?)
視線が交錯する。
マオは何も言わずにただ微笑んだ。
その瞳の奥にある確かな“理解”を見てルシウスのこめかみがひくりと動く。
——まるで、彼女の方が一枚上手だと告げるように
挨拶を終え、整備班や観客たちが慌ただしく動き回る中、マオはひとりポンペイのもとへと歩み寄った。
「ポンペイさん」
彼女の声は柔らかく、それでいてよく通る。
ポンペイの厳格な顔に、心配事が杞憂だったという笑みが微かに浮かぶ。
「……マオ。今朝、貴様の体調が優れないと聞いたが……その様子を見るにもう大丈夫のようだな?」
「ええ。ご心配をおかけしました」
マオは深々と頭を下げた。
その仕草にトライアンフの面々も自然と姿勢を正す。
「短い間でしたが、本当にお世話になりました。皆には助けてもらってばかりで……感謝してもしきれません」
「気にするな、貴様が居たからこそ得た恩恵もある。むしろ感謝を告げるのはこちらの方だろう。トライアンフ内での貴様の活躍、……俺からも礼を言う」
ポンペイの言葉にマオは微笑み、ほんの少しだけ沈黙を置いた。
やがて静かに、しかしはっきりとした声で告げる。
「ええ、ありがとうございます。……ただ、その……ごめんなさい。私は今回、カリュドーンの子を応援します」
ポンペイの太い眉がわずかに上がる。
しかし次の瞬間、彼はふっと笑い、肩を竦めた。
「ははっ!相変わらず律儀な奴だ。……気にするな、俺も全力で行く。お互い悔いのない勝負にするつもりだ」
「ええ、そうですね」
マオは小さく頷く。
その横で沈黙を保っていたルシウスへ一歩前に出た。
口元には笑みを浮かべているが、目だけは笑っていない。
ほんの一瞬、しかし確かにその瞳がルシウスのものを射抜いた。
そして唇の端に静かな笑み。
挑発とも皮肉ともつかぬ微笑。
“仕方ないから見逃してやる”とでも言いたげに。
「………っ!」
ルシウスの拳が無意識に握られる。
喉の奥で言葉にならない音が漏れ、こめかみの血管が脈打つ。
「……じゃあ、行ってきますね」
マオは穏やかに言うと白衣の裾を翻し、観客席へと向かって歩き出した。
その背中は軽やかで、どこか誇らしげですらあった。
彼女の姿が人混みに紛れていく。
ルシウスはその背を見つめながら低く吐き捨てた。
「……クソ女め、調子に乗りやがって」
だが、その声には怒りよりも焦りが混じっていた。
ーーーーーーーー
会場の騒めきの中、マオは白衣の裾を翻しながら観客席の間を歩いていた。
歓声や笑い声、エンジンの轟音に混じって次々と声がかかる。
「マオさん!あのときは助けてくれて本当にありがとう!」
「マオ先生、会えて光栄です!今日はカリュドーンの子の勝利を願ってます!」
「おお、あの薬師さんか!元気そうで安心したぞ!」
郊外で彼女に助けられた人々だった。
ただ純粋に親しみと感謝の気持ちで声をかけている。
小さな子どもから年配の人、走り屋の関係者まで、どの顔も見覚えがあり、マオは自然に笑顔を返す。
「ありがとう。今日は存分にツール・ド・インフェルノを楽しませてもらうとするよ」
「おう!先生も絶対気に入るはずだぜ……!」
マオは軽く頭を下げて会釈を返しながら進む。
声をかけられるたび、心が温かくなるのを感じる。
この瞬間、彼女はただ郊外の人々に受け入れられ信頼されていることを実感していた。
ふとマオは観客席の一角に立ち止まり、見慣れた顔を見つけた。
カリュドーンの子のメンバーである観戦組、パイパーとバーニスだ。
「あっ、マオ!本当に久しぶり~!元気してた?」
「おお!二人とも、久しぶりだな。会えて嬉しいよ」
こちらに気が付きバーニスが弾む声で駆け寄ってくる。その足取りに再会を待ちわびた喜びがにじんでいた。
続いてパイパーが肩をすくめ、半ば呆れたように言う。
「全く……トライアンフに堂々と潜り込むなんて、マオ先生は相変わらず肝が据わってるぜい。おかげで本番までトライアンフの妨害はなかったから助かったけどよ」
マオは苦笑しながら答えた。
「そうでもない。思ったより、みんな悪い人たちじゃなかった。気のいい連中もいたし、仕事にも真面目だったぞ」
「へぇ〜?陣営の偉い人は裏で悪~いことしてたのに、……他のメンバーはそうでもないってことだね!」
バーニスが目を丸くしてマオの腕をつつく。
「でも、随分仲良くなったみたいだね?そんなこと言うとマオが向こう側に行っちゃいそうで寂しい~……!」
「マオ先生が向こうにヘッドハンティングされた日にゃあ、こっちにはホロウ位のドでかい穴が開きそうだぜい」
マオは軽く笑って首を振った。
「それは心配しなくていい、私は薬師だ。どっちの陣営でも怪我人が出たら助けに行く、それだけだ。それに君らは私の大事な友達だ、離れるなんてありえないさ」
「うわ〜、カッコいい!そういうところがズルいんだってば!」
バーニスが大げさに声を上げてマオの腕に抱き着く。
「そうだな。自分で言うのもなんだが、ちょっとカッコいいこと言った気もする」
パイパーが半ば呆れた声でぼやく。
「自分で言っちまうのかい」
「絶対に向こうに行かないでね!カリュドーンの子の方が楽しいよ~!」
三人の笑い声が混じり合い、周囲の喧騒に溶けていく。
束の間の再会に緊張に満ちた空気が少しだけやわらいだ。
やがてマオは小さく息を吸い、穏やかな声で言った。
「……そうだ、話しておくことがある。すまんがレースは向こうのメンバーと一緒に見ることにした」
「えーっ!?マオと一緒に見たかったのに!一緒にシーザーちゃんたちを応援したかったよ~!」
「……そっちでかぃ?監視だってんならもう十分じゃないかと思うんだけどよ」
バーニスは腕を組み、少し拗ねたように小さく足を踏み鳴らし、パイパーが頬を指で掻きながら眉を上げる。
一瞬の沈黙。
マオは気まずそうに笑い、言葉を探すように視線を伏せる。
「……悪いな。少し向こうで見ておいた方がいいことがあるんだ。事情があってね」
その声音に、二人はすぐに何かを察した。
「……仕方ないなぁ、終わったらちゃんとこっちにも顔出してね!」
「ああ、もちろん」
マオは柔らかく微笑み、ふたりに手を振った。
その横顔にはほんの少しの寂しさと、確かな覚悟が浮かんでいた。
やがて観客席を後にし、トライアンフ側のエリアへと足を向ける。
背後でバーニスの明るい声が響いた。
「勝っても負けても打ち上げを行うからね!祝杯のニトロフューエルを飲もうねー!」
マオは振り返らずに小さく笑い、答えた。
「ああ、約束だ!」
その後、二人と別れ、マオが観客席の通路を進むとトライアンフの観戦組のメンバーたちがすでに陣取っていた。
どうやら先ほど整備場にいた者たちとは別の顔ぶれらしい。
彼らはマオの姿を見つけるや否や、一斉にこちらを振り向いた。
驚きが波のようにその輪を伝っていく。
「マオさん……!本当に大丈夫なんですか?今朝、体調が悪いって……」
「そうだぜ、マオ!あんま無理すんなよ!」
一斉に心配の声が上がる。
彼らの視線には警戒よりも素朴な気遣いの色があった。
マオは小さく手を振り、微笑んで応える。
「心配をかけてしまったな。だが大丈夫だ。私はこの日を楽しみにしてたんだ」
その穏やかな声に、張りつめていた空気が少しだけ緩む。
彼女は続けた。
「それに……こうしてみんなと一緒に見られて嬉しい。ありがとな、気にかけてくれて」
「い、いえ……そんな!」
誰かが慌てて言い、周囲に小さな笑いが起きる。
「たく、お前は気の良いことばっか言いやがって!」
誰かが茶化し、笑いの輪が広がる。
マオはその輪の中に身を委ねるように腰を下ろした。
手すりの向こうでは、整備員たちが最終チェックに奔走し、轟くエンジン音が地面を震わせている。
高鳴る鼓動を抑えながら、マオは静かに目を細めた。
――この短い期間で見てきた彼らの努力と誇り。
敵味方という線引きを越えて、彼女の胸には確かな敬意が芽生えていた。
やがて前方のスタート地点に目をやるとカリュドーンの子のシーザーたち、そしてトライアンフのポンペイたちがそれぞれのバイクに跨り、静かに位置についていた。
観客席を包むざわめきが、波のようにうねりながら高まっていく。
緊張と興奮が混じり合うその中でマオは思わず立ち上がり、声を張った。胸の奥から何かがせり上がってくる。
「シーザー、ルーシー、ライトォ!ポンペイさんとモルスに勝って――覇者になれ!」
その声は、自分でも驚くほど真っ直ぐだった。
喉が焼けるように熱い。
叫び終えた瞬間、スタートラインの方でシーザーやアキラたちがこちらを見上げ、一瞬驚いた後、「おう!任せろ!」と笑顔で力強い返事を返し、手を振り返した。
その微笑ましいやり取りに観客席のあちこちからどっと笑いが起きる。
だが、その笑いの中にはルシウスの名が呼ばれなかったことに気づいた者たちの、わずかな含み笑いも混じっていた。
観客のざわめきの中でルシウスは苛立たし気に視線を逸らし、わずかに舌打ちをする。
その突如、会場のスピーカーから甲高く弾む声が響き渡る。
『なんとぉ!郊外の薬師、マオ先生の燃料のように熱き激励をいただいたところで~!』
耳を突く、その勢いが空気を切り裂いた。
『――テレビの前に!ラジオの前に!それに会場にいる、熱き燃料バカたち~!みんな大好き、ジョリー・ジョニーだよ!』
会場のスクリーンには司会のジョリーが満面の笑みで映し出された。
歯を光らせ、陽光のような明るさでカメラに向かって手を振る。
その声が会場全体を包み込み、観客の熱をさらに煽る。
まるで酸素が燃え上がるように歓声と熱狂が混じり合った。
快活なジョニーの声が会場に響き渡る。
『30年前か40年前、はたまた50年前!炎の海に落っこちた英雄が奇跡の帰還を果たした!そして、もうあと何分かしたら……新たな英雄が再び『ツール・ド・インフェルノ』で快挙を成し遂げるの!』
ツール・ド・インフェルノ――灼熱と轟音の祭典、その歴史とルールと見どころが軽快なリズムで紹介されていく。
マオは無意識に拳を握りしめた。
指先に火照った血の脈動を感じる。
ジョニーがウインクをひとつ飛ばし、マイクを掲げた。
『それでは――ツール・ド・インフェルノ、レースぅスタートぉ!!』
レースが始まり、両陣営のバイクは獣のような咆哮を上げて、勢いよく飛び出した。轟音と歓声がスタンドを揺らす。
「いいぞー!」
「行けー!!」
観客の声が次々と重なり、スタンドがまるでひとつの生き物のように揺れる。
鉄とオイルの匂い、焦げるタイヤの臭気、鼓膜を突く振動。
すべてが渦を巻き、マオの胸の奥まで叩きつけてくる。
順調にポンペイとシーザーのバイクはコースを滑るように進み、やがてホロウの闇の入口へと吸い込まれるように姿を消した。
会場の大型スクリーンにはホロウ内部の映像が投影され、障害を避けながら駆け抜ける様子が映し出される。
観客たちは息を呑んで画面を見つめ、歓声を上げながら行方を見守っていた。
マオは表面上は穏やかな笑みを浮かべながらも視線の奥では別の戦場を見ていた。
(……そろそろだ)
スクリーンの映像はすでに”フェイク映像”に切り替わっている。
ホロウ内部ではルシウスがこれから行動を起こすはずだ。だがそんな未来は認められない。
マオは席を立ち上がろうとした。
「おい?マオ、急にどうした?」
そのとき、隣に座っていたトライアンフの男が心配そうに声をかけた。
レースの最中、会場を抜け出そうとすれば不審に思われるのは当然だ。だが――
「ケホッ……すまない。また体調が悪くなったようだ。残念だが少し席を外す」
彼女には体調不良という格好の口実があった。
皮肉にも、ルシウスが用意した毒が彼女に“自由”を与えていたのだ。
マオはそっと立ち上がり、観客の喧騒の中を抜けていく。
わずかに蒼ざめた顔を見せながら、「悪い、少し気分が……」と告げて。
訳を知るトライアンフの皆は納得したように頷き、少し心配そうに視線を送ったまま、マオが通路を進むのを見守った。
途中付き添いを申し出てくれる者もいたが丁重に断り、マオは息を整えて観客席を静かに抜けていく。
背後ではまだ会場の歓声やスクリーンの映像が遠くに響いている。
外に出ると、待ち合わせの場所には一人の男が立っていた。
「来たか……」
郊外には似合わない上等なスーツ姿。その襟元には五芒星の上に重ねられた黄金の縁取り、その中心に刻まれた黒の時計紋が描かれている。それは巨大企業の威光を示す社章だった。
彼は都市の大企業のCEO、エレグ・マックスであった。
マオは静かに近づき、軽く片手を上げた。
「よおリーダー。すまん、待たせたな」
「いいよ、気にするな。いろいろお疲れさん」
エレグは穏やかな笑みを浮かべ、マオの顔を一瞥する。
その目は長い付き合いの仲間を気づかうように柔らかい。
「さて、状況は分かっているな?早いところホロウの中へ向かうぞ」
マオは小さく頷き、背中のバックパックを整える。
「作戦は聞いた通りのままか?」
二人の視線がぶつかり、わずかに笑いがこぼれる。
「ああ。ありがたいことに誰かさんのおかげで、今ホロウ内部の映像は会場のスクリーンには流れない。アキラたちは妨害を受けて予定ルートを外れた。つまり――今が最適だ。誰にも気付かれず、最短でシンダーグロー・レイクまで行ける。ドローンの映像記録自体は残るから後で証拠として回収するつもりだ」
マオはくすりと笑った。
「なるほど、さすがリーダーだな。やはり持つべきものは都市企業のCEOということか?」
彼女が軽い調子でエレグの肩を叩くと、彼は少し照れたように頭を掻いた。
「よせやい、褒めても何も出ないぞ……あー、でも今度飯を奢ろうか」
「出てんじゃねえか……!じゃあ、郊外じゃあ食えない魚料理……寿司が良いな。回らない奴で頼む」
「ほっほっほ、よかろう、いくらでも頼みなさい」
二人は短く笑い合った後、空気を引き締めるように同時に息を吐く。
「……と、いかんいかん、時間はそこまでない。とっとと行くぞ」
「了解」
二人は互いに目配せを交わすと、静かにホロウへと向かう。
風が強く吹き、冷たい空気が肌を刺す。だが胸の奥では、熱い覚悟が静かに燃えていた。
背後ではまだ、会場の歓声やスクリーンの映像が遠くに響いている。
会場にいる誰もがここから始まる本当の戦いを知る者はいない――。
ーーーーーーー
会場に映るのは加工された映像。ノイズひとつない、完璧なレースの幻。
ホロウの中では陽光が反射し、エンジン音が規則正しく響く。
観客は笑い、旗を振り、司会の声が熱を帯びていく。
だがその裏で、現実のシーザーたちは爆風に呑まれていた。
炎が舞い、粉塵が空を覆い、コースの一部はえぐられている。
彼女たちはただの事故ではないと悟っていた。
何者かの策略。そう確信し、仲間と合流し、機体を立て直しながら目的地へと急ぐ。
シンダーグロー・レイクを守るために――!
そしてホロウ内部、『ツール・ド・インフェルノ』のゴール地点――
”特に何も起きず”、順調にルートを進んでいったポンペイとルシウスは、燃え盛る火の湖《シンダーグロー・レイク》の前に立っていた。
後ろにはシーザーたちの影も見えず、圧倒的な大差で目的地へと辿り着いたのだ。
ホロウ内の空は炎で赤く滾り、湖から吹き出す熱風が髪とマントを荒々しく揺らしている。
「カリュドーンの子め。決着をつけると息巻いておきながら……なんとも退屈なレースだったな」
ポンペイの声には失望が含まれる。思わず肩が力なく揺れるのは期待していた緊張感が訪れなかったことへの微かな物足りなさからだ。
あれほど挑発的だったカリュドーンの子。だが、結果は拍子抜けするほど呆気ないものとなった。
この場にいるのはポンペイとルシウス、ただ二人。
二人だけであることの寂寥が周囲の熱を逆に冷まし、ただ灼熱の風と鉄の匂いだけがあった。
「せっかく親分が目をかけてやっていたのにシーザーめ、やる気がないにもほどがありますねぇ」
ルシウスが肩をすくめて笑う。だがその声音はどこか冷たい。彼の目には計算が宿り、今ここで何を為すべきかを既に見据えているかのようだ。
ポンペイは表情を動かさず、手にした火打石を見つめていた。
「フン、だが退屈も結構なことだ」
そう言うと彼は火打石を高く掲げ、燃える湖へと投げ入れた。
その動作は儀式めいていて、静かな決意が込められている。火打石は短い弧を描き、勢いよく火の湖へ。火花が散り、油田の炎に波紋のような揺らぎが広がる。
この儀式で火の湖の均衡は保たれ、郊外の秩序は守られる。それが覇者としての彼の役目だった。
「少なくとも数年は火の湖を心配しなくていいのだからな」
火打石が沈む。
その瞬間、空気が不気味に震えた。
「……?どういうことだ?」
眉をひそめ、ポンペイは湖面の異変に目を凝らす。
無数の光が湖底で膨張していく様を目の当たりにし、直感的に異常を悟る。
「エーテル結晶が、大量に現れたぞ……!?」
赤光が激しく脈動し、湖底から泡のように結晶が湧き上がる。
瞬く間に火の湖の表面を覆い、炎は結晶に呑まれていく。
「『エーテル重合触媒』――遊離状態のエーテル粒子の結晶化を促す代物です。都市の企業がエーテルの生産量を増やすために開発した技術ですよ。この場所の特異な環境では……さぞ効果があるでしょうねぇ」
その解説めいた台詞を発したのは、他ならぬルシウスだった。平然とした口調だがその奥には得意げな昂りが潜む。
ポンペイは振り返り、そこに立つ部下の顔を見た。信頼していたはずの男の口元に忠誠の影はなかった。代わりに薄笑が浮かんでいる。
ポンペイはその部下を信じられないものを見るような目で見た。
「ルシウス、まさか貴様――!」
「そうですよ?ポンペイの親分。あなたの火打石は、僕がすり替えておきました」
その笑みには鼻白む後ろめたさはなく、ただ目的に邁進する者の冷徹さだけが残っている。
「火の湖は間もなく完全に消滅します」
計画が成功へと傾く、その確信が彼の背筋を伸ばさせるのだ。
「な、何を考えて――うぐっ……!」
ポンペイが胸を押さえ、体に異変を覚える。その顔は瞬時に苦悶で歪んだ。
「……やれやれ、あの女が余計な真似をしてくれたものだから上手く作用するか不安だったが、……どうやら杞憂だったようですねぇ」
ルシウスが陰で何度も仕掛けていた伏線。ポンペイの飲み物に盛られた毒が今ここで結実したのだ。忠誠を盾にして近づき、信頼を利用した卑劣な策略が支配者を一挙に蝕む。
投げ入れた触媒により、付近のエーテル濃度は急激に上昇し、”エーテル適応体質異常”のポンペイの体のみに劇的な反応を引き起こした。
激しい痛みが体を貫き、膝をつきながらもルシウスを睨みつける。
「ルシウス……貴様、よくも……!」
叫びの中に裏切りへの失望が混じる。ルシウスはそれを嗤うかのように、狩人のような笑みを浮かべた。
「はは、そんな顔もできるんだ。だけど、もう遅いですよ」
彼の声は冷酷で獲物を見据える蛇のようだ。
――だが、ポンペイの本能は最後まで衰えを見せない。覇者の血が彼を動かす。
「断じて許さぬ……!」
「っ、ぐあっ!?」
ポンペイの刃が一閃、反射的に振るわれた。
その斬撃がルシウスの頬をかすめ、血飛沫が宙を舞う。
「~~……!おいおい、よくも僕の右頬に傷を増やしてくれたな。……怪物め……ここまで侵蝕が進んでいてまだこれだけのパワーがあるのか……」
ルシウスは頬の血をぬぐいながら驚きを含んだような口調で言う。侮っていた相手の底力を目の当たりにして、彼自身の計算に微かな狂いが生じる。
「……チッ、ああ!どいつもこいつも!」
怒りと焦燥が交錯し、熱風に混ざって破裂するように声が漏れた。
理性が制御しきれない激情にルシウス自身も少しだけ呆然とする。
「お前の時代は終わったんだよ!」
その叫びには抑えきれない狂気の火花が宿る。
ルシウスの瞳に憎悪と興奮が渦を巻き、周囲の炎すら揺らすかのように見えた。
「弱者も、能無しも、もうとっくに時代から見捨てられてるんだよ!エーテルの力さえあれば、僕はこの郊外に新たな秩序を築ける!僕が王になるんだ!」
その叫びは激情というより、確信だった。
数々の策略は邪魔な薬師に妨害されたのに加え、ポンペイの思わぬ反撃、予想外の連続でルシウスは遂に理性の糸を断たれた。
ポンペイは何も言わず、ただ悔し気に唇をかむ。
(こんなやつに期待していたとは……)
その時――ルシウスのスマホが鳴った。
甲高い着信音が、張り詰めた空気を切り裂く。
「……ああ、なんだ?」
『ボス、カリュドーンの子の痕跡です。奴らはもうすぐシンダーグロー・レイクに到着するかと』
電話相手はモルスからのもので、再び予想外の事態。あれだけの火薬を利用しても尚、カリュドーンの子を葬り去れなかったという。
「チッ……クソが。一先ず撤退するしかないか。この目で火の湖の消滅を拝めれば今までの苦労も消せて満点だったというのに、これじゃ50点も行かないな。……まあいい」
完全勝利目前の思いが一瞬にして水を差され、苛立ちと屈辱が胸に押し寄せる。
カリュドーンの子がここへ来れば正面からでは分が悪い。
「すみませんねぇ、ポンペイの親分」
ルシウスはナイフを抜き、ゆっくりとその首元へ歩み寄る。
その歩みには残酷な遊び心がなく、全身から殺意が滲み出ていた。
「あなたの時代の幕引きくらい、僕がしてやりますよ」
言葉は甘くも残酷で、冷静な眼差しが相手を切り裂く。
遊び心を捨て去ったその手に、躊躇は微塵もなくナイフを振り下ろす。
刃先が動けないポンペイの首筋に触れた――その瞬間、
「……おい」
「………っ!?」
ぐ、と肩を押さえつける力が走った。
まるで氷のように冷たい掌。驚くほどの力でルシウスの腕を止めた。
「……誰の時代が終わったって?」
その声を聴いた瞬間、ルシウスの体がびくりと硬直する。
空気が凍りつき、背筋を悪寒が駆け上がった。
振り返ろうとした、その刹那――
――ゴッ!
鈍い衝撃が切り裂かれた頬を打ち抜いた。
「ぐああっ!?」
視界が一瞬で反転し、地面を転がる。
砂と灰が舞い上がり、焼けた岩の破片が肌にめり込む。
呻きながら見上げたルシウスの視界に、信じられない人物が立っていた。
「な……なんで、お前が……!」
拳を下ろし、冷たい鋭い視線で彼を射抜く女性。
数々の妨害を行い、計画を幾度も狂わせた薬師――マオ。
目の奥に潜む冷徹な決意がルシウスの心臓を瞬時に締め付ける。
この場にいないはずの、今最も会いたくない存在――恐怖と憤怒が混じり胸の奥で渦を巻く。
しかし、驚きはそれだけでは終わらなかった。
その隣には完璧に仕立てられたスーツに身を包んだ男。
風に翻る服の裾、無駄のない所作、そして放たれる圧倒的な存在感。
ルシウスの理性はその瞬間、ほんの僅かに崩れた。
「……エレグ・マックス……だと?」
都市でも指折りの巨大企業『マックス・コーポレーション』のCEO。
政治にも企業にも顔が利き、TOPSの中枢に名を連ねる若き起業家。
(なぜ、こいつがここに――!?)
エレグはそんなルシウスの混乱など意に介さず、冷ややかに言葉を落とした。
「誰が“終わった”って?まだ幕は下りちゃいないとも、ルシウスさん」
その声音には嘲りも怒りもない。
ただ、底の見えない静けさがあった。
エレグはポンペイの倒れる方へ一歩進み、焦げた地面を見下ろした。
その瞳は鋭く、冷たい光を宿している。
エレグはゆっくりとポンペイのそばに歩み寄り、片膝をついた。
焦げた地面に手を当て、息の浅い彼の状態を確かめると、静かにマオへ目を向けた。
「……マオ。少しポンペイさんと話をさせてくれ」
その声音は穏やかだが、逆らう余地のない圧があった。
マオは軽く片眉を上げて、あっさりと答える。
「はい、はい。そっちはお偉いさん同士の時間ってわけだ」
そして――視線をルシウスへ。
「おら、来いお前。この野郎め」
次の瞬間、マオは軽く腕を伸ばしたかと思うとルシウスの襟首を鷲掴みにした。
「なっ――ぐぉっ!?」
首を締め上げられるような圧迫を感じたかと思うと抵抗する間もなく、ルシウスの身体は宙を舞った。
まるで獣が獲物を投げ捨てるような一撃。
その細い腕から放たれたとは思えないほどの衝撃だった。
「な、何だこの女……!」
地面を転がりながらも、ルシウスは瞬時に体勢を立て直す。
足を踏みしめ、砂煙の中から身を起こすと鋭い視線をマオに向けた。
マオの体が砂煙を裂き、ゆっくりと歩み出す。
一歩、二歩――その瞬間、彼女は地を蹴り、一直線にルシウスへと突っ込んできた。
「っ――速い!」
反応した時にはもう蹴りが迫っていた。
風を裂く音。反射的に腕を交差させて受け止める。
重い衝撃が骨に響き、踏みとどまった足が砂をえぐる。
「ぐぅっ!……チッ、舐めるなッ!」
怒声とともにルシウスはナイフを振るう。
刃が光を反射し、銀の軌跡を描く。
マオの腹部を狙っての横薙ぎ。
マオは目をわずかに見開くと、しなやかに後方へ飛び退いた。
「……へぇ、やるじゃないか」
マオは腕を組み、意外なものでも眺めるようにルシウスを見た。
その瞳の奥に宿るのは薄く光る冷たい評価の色。
「なるほど……。腐ってもポンペイさんが目をかけてた後継者だけのことはある」
口調こそ軽いが瞳は一切笑っていない。
「……時間かかりそうだな」とぼそりと呟き、面倒くさそうに息を吐いたが、足取りは一歩も引かない。
風が二人の間を抜け、焦げた匂いが漂う。
遠くではエレグが静かにポンペイへ語りかけていた。
――火の湖の赤光の中、二つの会話が交錯する。
一方は力と野心のぶつかり合い、もう一方は静かな契約の始まりだった。
ルシウスは地面に足を着けたまま、マオを鋭く睨みつけた。
「……まさか、お前があのエレグと繋がっていたとはな。今までの”デカい態度”にも納得がいく」
その声音には怒りよりも、吐き捨てるような侮蔑が混ざっていた。
マオは軽く眉をひそめ、思わずため息をつく。
「はぁ?何言ってんだお前」
口元に浮かんだのは、笑いとも嫌悪ともつかない歪な笑みだった。
一体どの口が言うのだろうと半ば呆れたマオは冷静に告げる。
「後ろ盾を得て態度を大きくしてたのは、むしろお前だろ。ポンペイさんの次は都市のエーテル企業にすり寄るのか?」
マオはわざと肩をすくめ、皮肉を込めた視線を送る。
「どのくらい面の皮が厚けりゃ、そんな真似ができるんだ?恥ずかしい奴だよ全く……」
静かな嘲りの言葉が空気をさらに刺々しくした。
ルシウスは苛立ちを隠そうともせず、低く声を荒げた。
「チッ、相変わらず癪に障る女だ……お前の目的はなんだ?ここで介入してきたのは、この油田を潰してエネルギー資源を独占するためじゃないのか?」
その問いには疑念と皮肉が交差している。
彼は知っていた――少なくとも、そう思っている。
ルシウスは以前、エレグが持ってきた話を思い起こしていた。
当時は荒唐無稽なものとして切り捨てたがエレグの企業が郊外で建設を進めているという発電施設の情報を掴んだ。彼からしてみれば別のエネルギー資源を郊外に持ち込むなど冗談ではない。
その実態を探るため慌てて部下を派遣し、徹底的に調べさせたのだ。
結果は拍子抜けだった。
設備の規模は小さく、郊外全体をまかなうどころか、一地区の灯りを保つのがやっとという程度の”施設面積”。
大企業エレグの名を掲げてはいたが採算の取れぬ玩具のような規模にしか見えなかった。
だが、訝しむルシウスの視線をマオは正面から受け止めるでもなく、ただ小さく鼻で笑った。
「はぁ……やっぱり、そういう結論にしか辿り着かないんだな。私がここに来たのは人の道を守り、筋を通す――仁義のためだって思わないのか?」
その宣言は真っ直ぐで、言葉に嘘がない。
ルシウスには滑稽に映るだろうがマオの視線は揺るがない。彼女の“仁義”は単なるお題目ではなく、行動を規定する信念だ。
それを聞いたルシウスは嘲りを込めて嗤う。
「くだらない……」
そして、彼は開き直るような嘲笑を繰り出す。
「ハハッ、どいつもこいつも馬鹿の一つ覚えみたいに……!……仁義だと?この世界で、まだそんな玩具を握りしめてるのか!?滑稽だな、まったく救えない……!」
だがマオは冷静に応じ、笑いの奥に刃を隠す。
「……滑稽なのはお前の方だろう。これまでのお前の行いをよ~く鑑みてみろ?卑劣で、浅ましいにもほどがある。それをまさか“立派”だなんて本気で思えるのか?」
その言葉にピクっとルシウスの眉がわずかに動く。
「仁義だの誇りだのを笑ってるくせに、自分は裏で小細工ばかり……。そんな卑怯な真似に命かけてるような男がよく他者を見下せるものだ」
彼女の指摘は的確で、ルシウスの周囲にあった虚飾を容赦なく剥ぎ取る。立場も、部下も、彼の“強さ”を演出する脚本に過ぎなかったのだと明かすように。
マオは肩をすくめる。口調は慎重に選ばれているが、言葉は確実に相手の心に食い込む。
「それとな、最初から分かっていたんだ。お前の仕掛けも策も、あまりに稚拙で見え透いていた。気づかないふりを続けるのに骨が折れたよ。あの毒よりよほど神経に障った。策を弄する癖があるようだが……下手の横好きってやつだ。策士を気取るには少しばかり腕が足りないんじゃないか?」
ルシウスの表情は沈み、目が冷たく細まる。だがマオはまだ止まらない——むしろ楽しげにも見えるほどに。
「人と違う生き方して自分を特別ぶるのは勝手だぞ?個人の自由だからな。……でも正直、見ていて痛々しいかな~……?トライアンフの部下たちに聞いたところ、あいつらはみんなポンペイさんの顔を立ててるだけだってさ。誰もお前を特別だなんて思っちゃあいない」
その告発は静かなナイフの鋭い一突きのようで、ルシウスには屈辱が重くのしかかる。
「それなのに自分が選ばれた人間だと信じて、他人から与えられた席に座って悦に入ってる……。哀れだよ、ほんと」
言葉は冷ややかで、しかしどこか哀れみを帯びている。マオは相手を完全に見下してはいない。むしろ、純粋に感じたことをそのまま伝えているだけだ。
「………っ」
ギリッ……!とルシウスがナイフを握る音が微かに響く。
マオはその音に気づいて、わざと声の調子を変える。
「――君は落第点だよ、ルシウス」
その一言に、場の空気が一瞬弾ける。
マオは彼が部下を採点する時の口ぶりを真似し、見下しではなく鋭い鏡を突きつけた。
「………なんだと?」
ルシウスの声が低く唸る。だがマオは気にも留めず、さらに追い打ちをかけるように続ける。
「ほら、お前の真似。物事に点数をつけるのが好きなんだろう?でもどうだ?他人から点をつけられるのは苦手なんじゃないか?……安心していい、お前みたいに無駄にプライドの高い奴は大抵そうだ。いつも“評価する側”でいないと自分の薄っぺらさに耐えられないからなぁ」
その冷徹な指摘がルシウスの内側で何かを断ち切る。沈黙が重く落ちる。
「……お前――」
思わず零れるルシウスの声、だがマオはまるで聞こえていないようにさらに追い打ちをかけた。
「ああ!そういえば――!」
軽く首をかしげ、あくまで穏やかな調子で言う。
「私たちが来る前にポンペイさんの前で夢を語ってたよな。ええと確か……」
わざとらしく指を唇に当てて、思い出すように目を細める。
その所作は完全に挑発だ。
「……ンフ、そうそう、“王になる!”だっけ?」
「!」
その一言が放たれた瞬間、ルシウスの顔が石のように固まる。赤い光の中で彼の瞳が血に染まって見える。
マオは肩を小刻みに震わせ、口元に抑えきれない笑いが溢れ出すのを堪えきれなかった。
――そして、破裂するように笑い出した。
「ははっ!あれマジで言ってたんだ!?この土地の文化も人も大層見下してたもんだから、お前がどんなステキな夢持ってるのかと思えば……“王”?ぷっ、アハハハハハ!!」
マオの笑いは冷たいガラスを叩くように鋭く、嘲弄そのものだった。
それを聞いたルシウスの表情はさらに歪む。顔の筋が跳ねるたびに彼の理性の糸が一本、また一本と切れていくのがわかる。
マオは一拍置いて、なお余韻を含んで言葉を続ける。笑いの余波に毒を混ぜるように。
「……ああ、悪い悪い。人の夢を笑うのは最低だって分かってるさ……」
そして皮肉を乗せ、さらに突き放す。
「でもすまないな。すぐ裏工作に頼るような奴が“秩序を作る”なんて、大真面目に言ったもんだから……一体何の冗談かと、クク……!」
「……~~っ!!」
その小さな笑い声が金属の刃よりも鋭くルシウスの胸を抉った。嘲笑は皮膚を裂き、言葉は骨にまで届く。
ブツン!とルシウスの中で何か黒いものが完全に切断された瞬間だった。
彼の顔は歪み、唇が引きつる。目の奥の炎は揺らぎ、代わりに深い憎悪だけが残った。
「クソ女が……!――ぶっ殺してやる……!」
完全に切れたルシウスの怒号と共にナイフが閃いた。
鋭い刃が一直線にマオの喉を狙い、貫こうとする。
――だが、その動きを遮るように乾いた金属音が空気を裂いた。
「……なっ!?」
ルシウスは目を見開く。
マオはその刃を素手で、いや、拳ごと掴み止めていたのだ。
――ギィッ――バキンッ!
ナイフが悲鳴のように軋み、次の瞬間砕け散った。
散る金属片が赤い光を反射し、ルシウスの頬をかすめる。
ルシウスはそのとき、ようやく気づく。マオの腕が”光沢を放つ鋼鉄で覆われている”ことに。
いつの間にか皮膚ではなく装甲がその腕を包んでいた。
「……いい加減、目を覚ませよ」
マオは淡々と呟く。
「都市の企業が、裏切り者であるお前を信用すると思うか?ポンペイさんが消えれば、お前は秘密を握るただの邪魔な存在。郊外を支配できる立場、そこに企業が誰を座らせるか……考えるまでもないだろう?」
金属の腕が僅かに動き、関節が軋む音が響く。
「本当に浅はかな奴だ……」
その声にはもう感情がなかった。
ただ、冷たく沈んだ確信だけが残っていた。
「それに……、私を怒りに任せて何とか出来ると思ったのは結構だが――”強きを避け、弱きを見くびる”それがお前の悪い癖だ、とポンペイさんに忠告されたろう?……どうやら彼の教えは染みついていなかったようだな」
「がっ……ぁ!?」
鋼鉄の腕がルシウスの首を締め上げる。
ルシウスは苦悶に喘ぎ、その表情には怒りと困惑が交錯する。
マオは静かに微笑んだ。
「だがまぁ、彼も少しは安心するんじゃないか?最後にお前が“勇気を出して立ち向かった”ことに。”私”にナイフ一本で挑む奴はそうそういない」
言葉と同時に、マオの身体が変化を始めた。
皮膚が金属で覆われて無機質な装甲が姿を現す。
全身が金属の光に包まれ、機械仕掛けの駆動音が辺りに響く。関節が展開し、背中に伸びる機械の尾。
「お……お前は……!」
ありえないとルシウスの声が驚きと恐怖に震える。
そこに立っていたのはもはや薬師のマオではなかった。
伝説組織『ヒール』の構成員、知能機械人――『スコーピオン』。
「……は、はは。あり、えない……嘘……だろう?……なんで、お前が?」
言葉が震えた。喉が焼けるように乾いて、うまく声にならない。
思考が追い付かない。
理解が拒絶される。
理不尽。
この一言が頭の中でこだまする。
突如現れた伝説の存在といつの間にか対峙していたのだ。
世界はあまりに冷たく、あまりに一方的だった。
「現実は酷く理不尽で抗い難いもの……だから人は団結し立ち向かうんだ。この乾いた土地で人を真に生かしてきたのは燃料じゃなく、”人との繋がり”だったと気が付くべきだったな」
その声は金属の響きを帯びながらも、不思議と優しかった。
まるで誰かを諭すように。
「……しかしもう遅い。馬鹿にはつける薬も名乗る名前もない……」
スコーピオンの拳が静かに振り抜かれた。
「じゃあな」
鋼鉄の拳が理解が追い付かず唖然としたルシウスの顔面を撃ち抜き、空気が爆ぜる。
鼻梁を砕く音が響き、ルシウスの視界が裏返る。
「ごっ!?……ぱ……」
そして、意識は深い暗闇へと沈んでいった。
この1話で4章が終わらなかった(´・ω・`)
でも、次回は早いうちに投稿できそうです……!(フラグ)