転生者達の新エリー都、二足のわらじ生活   作:フライパンソルジャー

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そして!buzz_by様から支援イラスト(AI生成)を頂きました!
誠に感謝です!このご恩は絶対に忘れません!!!(土下座)


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主人公陣営 身長比較図


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全陣営集合の第五章の前に転生者陣営の誕生の経緯をちょっとだけ書かせてください!数話で終わりますので、「焦らすなよ!」と怒らず待っていただけると嬉しいです。


創設秘録
電光石火の資金集めとスタートライン


 

”エリー都”を覆う光景は少年の目にあまりにも巨大に映った。

 

「うわぁ……!すっご……」

 

高架レーンを滑るように走る無人輸送車の列は、沈黙した金属の血流のように都市の隅々へ物資を送り続けている。

 

地平を突き刺す塔群の外壁には走査線のように光の回路が脈動し、刻々と変化する情報が流れ込んでいた。

 

街路の舗装一つでさえエーテル技術が組み込まれ、歩く者の足裏に僅かな抵抗を返す。すべてが連動し、呼吸し、都市そのものが巨大な生命体として脈打っているかのようだった。

 

「やっぱここゼンゼロ世界かよ……。あれがホロウ……初めて見た……」

 

驚愕と遅れて押し寄せる興奮。それと少しの恐怖が混じる。

その声には少年が本当に知らなかった者だけが持つ、純粋な困惑が鮮明に宿っていた。

 

それも当然だった。

彼が囚われていた施設では外界の情報は厳重に遮断されていたからだ。

 

そこに収容されている子供たちには都市の映像もニュースも一切与えられなかった。

与えられるのは管理された空気、管理された食事、管理された”作業”時間だけ。

窓は曇りガラスで施設の外観を見えることすら許されなかった。

 

少年の仲間たちは少年が施設に囚われていることを知っていたが場所は徹底して秘匿されていた。

 

ただ、彼が施設内で飢えることも虐待されることもない安定した管理下にあることだけは、断片的な情報から理解していた。

そのため、無理に救出するよりも機が来るまで、少年自身が脱走する計画を少年と共有していたのだ。

 

外を知らない彼がホロウを見たのは今日が初めて。

その震えには、閉じられた檻の外へ出た者特有の生の現実に触れた感情があった。

 

繁華な大通りから一本外れれば視界の奥に黒い球体が浮かんでいるのが分かる。

 

都市の光を吸い込み、輪郭すら曖昧にしてしまう漆黒の球体、ホロウ。

 

近づくだけで肌に粘つくような圧がまとわりつき、その内部には入った者を理性なき異形へと変えてしまうエーテルが広がっている。

 

それは災厄の穴でありながら、都市全体にエネルギーを供給する皮肉な“源”でもあった。

 

繁栄と危機が同じ場所に同居し、都市の景観は矛盾そのものだった。

崩壊の上に立つ発展。

均衡ではなく、綱渡りのうえに成り立つ黄金期。

 

エリー都とはそういう場所だった。

 

「……っと、早く行かないと……」

 

少年はその街並みを見つからないように身を縮めながら歩き続けた。

 

背丈より大きい荷物運搬ドローンが横を通るたび、体は条件反射のように強張る。

 

施設での生活は常時監視を前提としていた。自由という言葉は教えられず、拒否も選択も知らず、ただ管理されることだけが日常となっていた。

 

だから逃げるという行為そのものが、少年にとっては世界の常識をひっくり返すほどの決断だった。

 

「クソ施設が……二度と戻るかよ!……ぺっ」

 

そして彼は実際に逃げた。

逃げざるを得なかった。

 

――あと数年以内で、この都市は死ぬことを理解していたから。

 

それは前世での記憶が教える未来。

零号ホロウの暴走。

黒が黒を呼び、エリー都を呑み尽くす終末。

 

仲間たちもその未来を共有していたが具体的な発生時期も規模も分からない以上、全員が動き出すための基盤だけは必要だった。

 

彼が動き出したのはこの都市を救いたかったからではない。

そんな英雄めいた願望を抱けるほど自分の価値を高く見積もっていない。

自分はちっぽけで、無力で、名前を持つ資格すらまだない存在だ。

 

それでも崩壊後の世界で生き残るためにできることをやっておきたかった。

何も持たないのなら誰よりも早く手を伸ばすしかない。

 

裏で蠢く悪意や腐食した権力者たちが気づく前に。

権益が固定化され、動きが封じられる前に。

 

エリー都がまだ“生きて”いるこの短い猶予の間に。

少年は自分の掌の小ささを知りながら、それでもその手で未来の端を掴もうとしていた。

 

 

 

 

 

「さて……まずは金だな……」

 

暗がりの中で呟いた声は幼さを宿しながらも異様に冷静だった。

少年――エレグ・マックスは自分の現状を驚くほど客観的に見ていた。

 

幼い。

身分はない。

社会的な信用も資金ない。ただの一人の孤児。それが世間から与えられる唯一の定義だった。

 

しかし今は、その定義すら贅沢に思えるほど状況は逼迫していた。

施設を脱走した彼は一文無しで、今のままでは真っ先に飢えて死ぬ。

夜の温度が少し下がるだけで身体が震え、胃の奥は空虚で、皮膚の下の生体回路がわずかに痛む。

 

「お金もねぇ、力もねぇ、お腹もそこまで空いて――……嘘だわ、滅茶苦茶空いてるわ。……って、大丈夫だ。心配性だなアンタ」

 

そんな中、意識の奥にざらついた振動が走った。

仲間のひとりが”共有された思考の領域”へと強い焦りを流し込み、自分が少年を迎えに行くべきだという切迫した内容を送ってきたのだ。

 

夜の路地に幼い少年が独り。

その事実が彼の仲間の精神を強く掻き乱しているのがわかった。彼を皮切りに仲間たちが次々にエレグを心配する。

 

「まだ直接会ったこともないのに……、なんか……照れる」

 

心配の熱が冷えた空気を一瞬だけ押し返すほど強かった。

 

「けど……、ほんとに大丈夫だから……」

 

しかしエレグはすぐにその不安を吸い取るように静寂を返した。

 

そして理由を示す。

 

旧都陥落に備えるため、仲間の中でも最も重要な位置にいる“彼”――。

 

転生特権か知らないが”異常にパワフル”な年長者だけは決して動かしてはならない。そしてそれは仲間たちも同様である。

 

その思考が共有領域に伝わった瞬間、空気がひりつくほどの緊張に包まれた。

 

もし彼が救出のために予定をずらせば準備の連鎖は一部ではなく全体へ影響し、未来のどこかで致命的な遅延が生まれる。

そしてその遅延が誰かの、あるいは全員の死へつながるかもしれない――。……まあ彼は確実に大丈夫だろうが……。

 

しかし、それは曖昧な直感ではなかった。

前世の記憶から染み出す確度の高い未来像が冷徹な光景として彼の内側に広がっていた。

 

やがて、エレグは穏やかな波のような言葉を仲間へ送り返した。

自分の役割を果たしてほしいという願い。

誰も来てほしくない、という拒絶ではなく、“今は自分のすべきことに集中してほしい”という祈りだった。

 

仲間たちのざわめきが一斉に止まる。

少年の精神に宿る異様な重さが全員の胸の中心へ突き刺さったからだ。

 

(――この程度、自分一人で十分乗り越えられる)

 

その確信が幼い肉体の奥から静かに溢れていた。

 

やがて掲示板は落ち着きを取り戻し、仲間たちはそれぞれの領域へ意識を引いていった。

 

「……”死ぬなよ”って……、はいはい、大丈夫だって」

 

最後に残った年長者の深い憂慮がゆっくりと薄れ、そして完全に消えていく。

 

「……さて――」

 

本当の意味で一人になったエレグは荒い息を整え、もう一度現状を正面から見つめて思考を再開させる。

 

やがて”自分には何があるのか”と問うたとき、彼は三つの答えにたどり着いた。

 

ひとつは断片的であれ、未来を知っていること。

仲間たちと共有し、抜け落ちたところを補い合った現時点で最も精度の高い未来。

だが、あまりに大まかで、細部は不確かなままである。

それでも結果だけは明瞭で、近い将来に必ず起きる出来事だと確信していた。

 

もうひとつは生まれながらの異質な肉体。

デンキウナギの遺伝子を組み込まれた体は刺激に応じて電流を走らせ、制御次第では指先からでも強弱自在に放電できる。

出力を誤れば自らを焼きかねない危うさを孕んでいたが、その特異性は“才能”という語を超えていた。

皮膚の下、薄い膜のような生体回路が青白く灯り、彼の意志に呼応するたびに脈打つ光が血管のように広がった。

 

そして最後にその能力の応用。世界の表面ではなく、深層の揺らぎを捉える“視点”。

都市の誰もが喧騒や繁栄に目を奪われるなかで、エレグだけはその影に潜む歪みを聴き取ることができた。

 

「………むむ」

 

エリー都は輝いていた。

高機能化された都市基盤すべてが光の糸をつなぎ、空も地も建物の内部までもが数値と電流で編まれていた。

 

しかし、繁栄の中心に混じる微細なノイズは都市の誰もが“誤差”として片づける些細な揺らぎだった。

 

そう、どんなにエリー都のインフラや技術が発展していても必ずホロウと言う変数が存在しているのだ。

 

ホロウの近傍では通信ケーブルがわずかに波打ち、GPS信号は境界付近で歪み、物流AIは数値の偏差が蓄積すると軌道を誤る。

 

完璧を謳うインフラの深層にはいつでも破綻へ繋がり得る細い亀裂が走っていた。

 

街が鈍く共鳴し、気づかれぬまま発する音の軌跡が電気を帯びた彼の皮膚の上を微細に震わせた。

脳内では無数の信号が点滅し、ノイズの裏側に潜む規則が静かに浮かび上がっていく。

 

ホロウが撒き散らすノイズは複雑で、専門機関ですら完全な解析は困難と結論づけていた。

しかしエレグには、はっきりと見えていた。

 

「……乱れているようで、乱れ方にパターンがあるな」

 

それは耳でも目でもなく、彼の“電気”そのものが捉えた真実だった。

 

ホロウ内部の異空間は依然として予測不能で彼の力でも捉えきれない。――少なくとも今はまだ。

 

そんな芸当ができるのは彼が知る破格の性能を持った四体のAIだけだろう。

 

「だが、ホロウの”外側”を計算するなら……話は別だ……」

 

ホロウが引き起こす以下の要素。

 

人々が気づかぬ揺らぎ。

企業が無視する誤差。

都市が抱えたまま見過ごしている”盲点”。

 

そこにこそ、エレグの立つ余地があった。

 

幼い。居場所もない。何者でもない。

だが、それゆえに誰の監視網にも引っかからずに裏側へ潜り込むには最適だった。

 

エレグはお金を得るための構想を練り、息を潜め、夜の街の影へと溶けていく。

都市が眠りにつこうとするその直前――均衡を揺るがす最初の一手が彼の小さな指先でそっと動き始めた。

 

 

 

 

ーーーーーーー

 

――ガサッ、ゴソッ。カツンッ。

 

そこからしばらくして彼は必死にあるものを探していた。

廃棄物がうず高く積まれ、かつての施設の残骸が風に晒された跡地。

冷たい金属片が足元で微かな音を立てるその場所で、エレグはついに“お目当て”を見つけた。

 

「あった……!」

 

拾い上げた端末はひどく古かった。

外装の角は削れ、内部の基板には企業仕様の識別痕が焼きついたまま。

技術者が更新時に捨てたものだろう。

普通の子どもなら触れもしない、いや、見向きもしないような廃棄品。

 

「へへ……転生者特有の知識ってやつだな……」

 

だがエレグには宝そのものだった。

 

彼は端末を胸の高さでくるりと回し、ひび割れた画面をそっと撫でる。

その瞬間、皮膚の下で青い閃光が震え、指先へと集まった。

 

触れた途端。火花のような電気が端末内部を走り、しばらく停止していた回路が強引に、だが確かに蘇生を始めた。

 

古い端末は硬い息を吐くように低く起動音を鳴らした。

電源の立ち上がりが鈍く、内部のどこかが擦れるような不快な響きさえ混じっている。だがエレグにとってはそれは眠っていた獣がゆっくりと目を覚ます音のようにさえ聞こえた。

 

端末の粗い画面に光が灯ると同時にエレグは手際よくコードの隙間を縫い、架空のアドレスを急造して“存在”をネットワーク上に編み上げた。

 

身元も年齢も曖昧で、辿ろうとすればするほど霧散する幽霊のようなデータ。

社会的価値のない孤児である現実と同じく、デジタル上でも取るに足らない塵として振る舞えるように作り込まれている。

 

あらゆる設定を終えた後、彼は深く息を吸った。

自分に何ができるのか。

向かうべき場所が正しいのか。

それを確かめる、初めての”実験”だった。

 

都市の巨大な情報網にとって、こうした微弱な侵入は埃のような存在でしかない。

検知の閾値にさえ触れず、記録に残ることもない。

その無視される軽さこそ、エレグには都合がよかった。

 

先程も述べた様に都市ではホロウによる影響で、どこかで小さな遅れが発生していた。

 

配送経路の最適化が一瞬だけ止まり、運搬ドローン同士の交差が数ミリ単位で狂う。

信号塔は再同期のリズムを一拍だけ取りこぼし、監視網の一角が薄い影を落としたように沈む。

都市の誰ひとりとしてその揺らぎを察することはなく、AIはそれを“許容ノイズ”として淡々と記録に分類した。

 

だが、エレグにとってそれは金鉱脈になり得る兆しだった。

 

「……試運転だな」

 

呟きと同時に指を端末へ添えるとネットワークの景色が一斉に視界へ押し寄せる。

物流AIの回線が枝葉のように広がり、その根を揺らすようにホロウ由来の乱流が渦巻いていた。

 

ノイズの“波”は荒れ、形もリズムも定まらない。

通常のAIでは処理不能な乱雑さだが、エレグの体内を走る電気はそれを”触れられる情報”として捉えた。

 

どういうわけか彼は単純に電気を発生させるよりも、複雑な“信号”として出力する方をはるかに得意としていた。生体でありながら回路のような精度で情報を送り出し、受け取ることができる。

 

「施設の奴らには黙ってたけどな。クッソ疲れるし……!」

 

彼は静かに目を閉じた。

街灯の光がまぶた越しに点滅し、神経の奥で青い光が呼応する。

 

ノイズの山脈。

抉れた谷。

都市全体に散らばる淀みと歪み。

すべてがひとつの地図のように彼の内部で形を持った。

 

一度把握してしまえば、補正は難しくない。

 

(――……ここだ)

 

エレグは指先を軽く押し込んだ。

皮膚の下で生成された電気が走り、ノイズの谷底へ正確に注ぎ込まれる。

歪みを埋め、隙間を繋ぎ、乱流の流れをそっと修正していく。

 

ただ、それだけで――、

 

物流網の誤作動は嘘のように静まった。

都市の血流に流れ込んでいた微細な毒が取り除かれたかのようにすべてのルートが滑らかに再稼働する。

 

エレグはゆっくりと目を開けた。

街灯の光は変わらず、夜風も同じ冷たさを運んでいる。

だが都市の深層は、その一瞬だけ確かに“整えられた”。

 

「――成功だ……!……お?」

 

そのとき、端末に微かな通知が走る。

救われた企業のログが揺れ、自動評価データの変動が波紋のように広がった。

誰も彼に気づかないまま、ただデータの一部だけが静かに彼の存在を反射した。

 

まだ誰にも知られない。

まだ誰にも気づかれない。

 

だがエレグは静かに理解した。

 

「……これだ。この方法で行こう……!」

 

――自分は都市が許容している揺らぎを修復できる。

そしてそれは、確かに“価値”になる。

 

ゆっくりと指を握り込みながら彼は胸の奥底でひそやかに笑った。

 

崩壊へ向かう都市の影で、少年の最初の一歩が確かに刻まれた。

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

「おい、ディニーがどこにも落ちてないじゃんか!一体、どうなってる!?」

 

その後、エレグは長い葛藤の底に沈んでいた。

自分のプランで金を増やすには、まず“元手”が必要になる。

 

だが、孤児の彼には一文の余裕すらない。

計画を走らせるための最初の歯車がどれほど小さく軽いものであっても、その一つさえ彼は持っていなかった。

 

先程自販機の下や溝を漁ったが全て空振りであった。ごみは所々捨てられていたというのにお金はどうやら例外らしい。

 

「……クソ計画変更だ。疲れるがやるしかねぇ……!」

 

そこで彼は夜の迷路のような街区を歩き回り、廃材置き場や回収されることのないゴミ捨て場、使い終わった機械が雑然と積み上げられる黒い空洞へと何度も足を運んだ。

 

雨水に濡れ、油の匂いと錆が入り混じったその場所は普通の子どもなら一歩たりとも踏み入れない。

 

だが今のエレグにとっては唯一の鉱脈だった。

 

彼は深く息を吸い、小さな胸の奥に青い火花を灯す。

皮膚の下で生まれた電気が拡散し、半径数メートルの金属反応を震わせながら拾い上げていく。

 

「人゛間゛金゛属゛探゛知゛機゛~……」

 

どこか濁声で呟き、宝探しを始めた。

 

レーダーのように周囲を舐める電流が沈んだ鉄片、銅線、基盤の欠片、機械の骨の奥に眠る希少金属までも正確に浮かび上がらせる。

 

その度にエレグは膝を折り、両手で汚泥の山を掘り返し、小さな体でどうにか引き抜こうと必死に力を込めた。

 

「うおおぉ……!このガラクタが!人間様を舐めるなよ……!」

 

特に、機械の奥深くに固く埋め込まれた希少金属は彼にとって最大の難敵だった。

固着した部品を外すためには力も持久も必要で、金属の一部が強い抵抗を見せる度に、彼の指は切れ、腕には黒い油と埃がこびりつき、肩はひどく軋んだ。

 

引き剥がす瞬間には小さな体全体が震え、息が詰まるほどの痛みが背骨を走り抜けることもあった。

 

それでも、彼は続けた。

何度も膝をつき、膝から血を滲ませ、倒れそうになりながらも、手を止めることはなかった。

 

気を失う直前の意識の縁で、かすかな電気がまだ近くの金属反応を示すと、彼はふらつきながら再び手を伸ばした。

 

「ぜぇっ、はぁっ、はぁっ……ってえな……我子どもぞ?こんな仕打ちええんか……?」

 

やがて、粗末な袋が金属の重みでずっしりと沈み込む頃、エレグはようやく息を吐いた。

これで、最初の一歩を踏み出すための“元手”ができた。

 

彼は端末を取り出し、油と埃に汚れた指で画面を操作した。

拾い集めた金属をマーケットへ出品し、電子通貨が振り込まれるのを淡々と待つ準備を整える。

端末の画面に並ぶ数値はどれも小さな額だが、孤児の彼には十分すぎるほどの資本だった。

 

そのとき、腹の奥底で鋭く空虚な痛みが走る。

忘れかけていた“飢え”が再び牙をむくように体を掴み締めた。

 

「……あ、やばい……」

 

ここ何日もろくに食べておらず、雨水で誤魔化していたが体は既に限界に近い。

疲労は頭の奥で鈍い霧となり、視界の端は何度も暗く落ちかけていた。

 

ふと視線を横に向けるとゴミ捨て場で拾ったハンバーガーがひとつ、紙袋の影に転がっていた。

冷え切り、表面は乾き、どこか色も曖昧で、本来なら口に入れる価値など絶対にない。

 

「いや、これは流石にダメだろ……!」

 

豊かな国で暮らしていた人間としての誇りが強烈な拒絶と共に胸の内で暴れた。

 

「雨水を飲んだから全然お腹空いてないし!?これは……その、観賞用に持って帰っただけだし!?」

 

誰に言い訳しているのか分からないが、これは食べるべきではないと痛いほど訴える何かが、彼の中にまだ生きていた。

 

――ぐぅ~。

 

「……っぁ!」

 

しかし、空腹は理性を容赦なく削り落としていく。

胃が軋み、足が震え、膝が崩れそうになる。

倒れれば計画はすべて終わる。

将来に備える未来すらここで潰える。

 

「うぅ~……、こんなことなら仲間たちに強がるんじゃなかった……」

 

後悔先に立たず。エレグは震える手でハンバーガーをつかんだ。

冷たく湿った紙の感触が指に嫌悪を伝える。

喉が強く閉まり、吐き気がこみ上げる。

だが生きるために彼はゆっくりと口を開いた。

 

「これはバーガー、これはバーガー、これはバーガー……うぐぅ!?」

 

一口目。

味という概念から外れたような、酸化した油と湿ったパンのざらつきが舌に触れた瞬間、全身が拒絶の痙攣を起こした。

胃が反転しそうになり、喉がえずく。

エレグは歯を食いしばり、吐き出す衝動を必死に押し殺した。

 

「~~っ!?」

 

二口目。

涙がにじみ、呼吸が乱れる。

だが、咀嚼を止めなかった。

 

「―――……」

 

三口目。

少年は顔を歪め、悶えるように肩を震わせながら、それでも飲み込んだ。

 

鋭い痛みと共に冷たい食べ物が胃の底へ落ちていく。

ほんのわずかな温もりが体へ広がるにつれ、彼は壁にもたれ、静かに目を閉じた。

 

(生き残るためには誇りよりも行動が必要だった……)

 

そう自分を納得させ、彼の小さな身体はゆっくりと沈んだ。

 

 

 

 

 

ーーーーーーー

 

 

そして数時間後――。

 

「絶対ぇ許さねえ……!もし俺が偉い人になったら、いたいけな子どもに残飯を強要するこの腐った社会をぶっ潰してやる……!」

 

エレグは胃の底に沈む、あの屈辱の味を思い返しながらゆっくりと立ち上がった。

 

あれは最初で最後だ――そう胸の奥で固く誓うように怒りにも似た熱が静かに燃え上がる。

飢えに屈し、誇りを飲み込み、冷えたハンバーガーを噛みしめた自分。

あの惨めさは二度と許さない。

 

「さっさと計画を進めよう……うぷ」

 

エレグが未だに悶えていると、古いデバイスは硬い息を吐くように低く起動音を鳴らした。

 

画面に光が灯ると同時に彼の手は迷いなく動き始めた。

躊躇が無いのは一度きりの“試運転”のおかげだ。

 

都市のノイズにわずか数秒だけ電流を流し込んだあの瞬間。

 

物流網の乱れが静まり、欠損しかけていた経路がわずかに再同期し、企業評価データがわずかに跳ねた。

ほんの誤差レベルの変動、しかしエレグにはわかった。

 

「あれは“揺らぎ”ではなく、“因果”だったな……」

 

その確信だけが彼の胸に強く残っていた。

 

今回はあの時より一歩深く入る。

 

影のIDの構築も実験として一度手を付けた経験があるため手際は早かった。

属性は曖昧、痕跡は霧散し、監視網には“価値なきデータ欠片”として埋没させる。

 

前の試運転で知ったことがある。ここエリー都はホロウと共存している。そのため都市のノイズは毎日必ず発生しており、ごく短い周期で“特定の揺れ”を生むこと。

 

その揺れの直後、株価がわずかに跳ねること。

 

「……そして、そこに介入すれば跳ね方を変えられる」

 

エレグは端末に指を添えた。

視界に流れ込むデータの奔流。

その底で波打つノイズが、前回と同じ“揺れ方”を始めつつあった。

 

一度きりの経験にもかかわらず、確信があった。

同じ波は必ず繰り返す。

都市は大きすぎ、癖は簡単には変わらない。

 

彼の指先から静かに電流が流れる。

ノイズの谷へ注ぎ込み、歪みを整え、乱流の流れを滑らかに接続していく。

“修正の感覚”は、まるで体の奥に刻まれているようだった。

 

ほどなくして、物流網の誤作動は沈黙した。

都市は気づかない。

AIも誤差として処理する。

 

だがエレグは続く展開を知っていた。

数秒後、救われた企業の評価データが揺れ、その脈動が小さく市場へ伝播する。

その直前に動けば確実に利益を掴めることも。

 

影の投資IDを起動し、わずかな元手を一気に投入する。

試運転で学んだ因果関係をそのまま実戦へ適用した。

企業の評価が跳ね上がりかけた瞬間、エレグは即座に売り抜ける。

 

「――やったぞ……!増えてる……!」

 

目の前の数字は確かに増加を示していた。

増えた金額は子供が扱うには大きすぎ、大人の投資家には小さすぎる曖昧な規模。

 

だが、エレグにとっては世界に初めて刻んだ鮮烈な“成功の証”だった。

 

確信は揺るぎない。

 

エリー都は依存したホロウにより自ら揺れ、彼が整えれば利益が生まれ、その流れは何度でも再現できる。

 

崩壊へ向かう都市の影で、少年の小さな一歩はすでに滑らかな軌道に乗り始めていた。

 

 

ーーーーーーー

 

 

違和感を気取られぬよう、エレグは慎重に何度も何度も同じ手順をなぞった。

繰り返すほどに数字は静かに増えていく。

そしてある瞬間、彼は気づく。

 

「……なんか……やり易くなった?」

 

ただノイズを“修正する”だけではない。

 

――ノイズの揺れを読むことで、“都市の未来の小さな歪み”を先に掴める。

 

物流遅延。

エネルギー負荷の偏り。

端末群の温度上昇。

小規模AIの判断跳躍。

避けられるはずの事故、火災、経路障害。

そして、それらに紐づく企業価値の微細すぎる変動。

 

それらすべてが、今の彼には”この瞬間の揺らぎ”を見ているだけで理解できた。

 

「コツを掴めたか?なんにせよ、これができるなら――裏側で、誰にも気づかれずに稼ぎ続けられる……!」

 

施設の手の者に見つかる心配もない。顔を晒さず、声を持たず、街の片隅から端末ひとつで世界へ触れる。

十歳にも満たない少年エレグの“裏稼業”はもはやひとつの完成した仕組みになりつつあった。

 

「よし、得た金は迷うことなく環境へと投資だ……!」

 

稼いだ金を前にしても、エレグは一瞬たりとも浮かれなかった。

それは生き延びるための“必要経費”でしかなく、感情の揺れを挟む余裕はどこにもない。

 

まずは最低限の服と食料。

そして――廃端末とは比較にならない処理速度と耐久を備えた、中古の上位機だ。

 

もちろん、誰かと直接会うことは決してない。

 

受け取り先には捨て住所、空き家の郵便受け、管理されていない受け取り置き場。

都市の人の目が届かない隙間をつなぎ合わせるように経路を組み、どこにもエレグ本人の痕跡が残らないよう徹底した。

 

支払い履歴は匿名化され、住所情報はすべてホロウ由来の通信揺らぎへ沈めた。追跡不可能な曖昧な影として処理される。

 

配送ドローンが人気のない廃アパート前にそっと箱を下ろし、わずか数秒で闇に消える。

そのあと、エレグは足音すら落とすように薄暗い階段を上り、廊下に置かれた箱をそっと手に取る。

 

「へへ、来た来た。ご苦労~様で~す……と」

 

持ち帰るのは本当に必要な分だけ。

 

箱の中にあるのは簡素な携帯食料。栄養を圧縮したバーと最低限の味がついた補助食パック。

だがエレグにとっては“ごちそう”に等しかった。

 

「……!」

 

包装を破った瞬間に広がる、微かな甘みと香り。

施設で与えられていた粉っぽい代用食とは比べものにならない。

齧れば、わずかにしっとりとした食感があり、噛むほどに旨味のようなものが滲む。

ただそれだけの違いが、胸の奥で強烈に響く。

 

「うめぇ……!なんだよこれ!……むぐっ!」

 

気がつけばエレグは夢中でバーを次々とかじっていた。

最初のひとかじりは驚愕で、次は感動で、そして三つ目からはもう我慢できなかった。

飢えが満たされていくにつれて胸の奥までじんわりと温かく満たされていく。

 

「うめ、うめ……!――無限に食えるわ……!!」

 

独り言とも叫びともつかない喜びが漏れた。

 

――将来、彼が嫌というほどこのバーを口にすることになる運命など知る由もない。

 

だが、今の彼にとってはこの一食こそが人生最高の贅沢だった。

 

「はぁ~……!ご馳走様でした……。もう人生のフルコースに入れてもいいな……」

 

包装を処理し終えたエレグは深く息を吐いた。

ほんの数分の食事だったが、その落ち着きは確かに身体の隅々まで染み渡り、脳という脳が研ぎ澄まされていくのを感じる。

 

「――さて、”こっち”も楽しみだな」

 

そのうえで、彼はようやく本題へ取りかかるため、床の上に置かれた“新しい端末”へゆっくりと指を伸ばす。

 

廃材の山から掘り出した壊れかけの端末とはそもそも次元が違う。

処理速度、耐久、入出力の応答性――。

どれを取っても比べること自体が侮辱になるほどの差だった。

 

金属筐体のひんやりとした感触が指先に伝わり、まるで“力”そのものに触れたような実感が走る。

 

電源ボタンを押す。

次の瞬間、端末のランプが淡く、静かに灯った。

 

そして新しい端末の電源が入った瞬間、エレグの世界はまたひとつ次の段階へ進んだ。

 

「うおおおお!?なんだこれ凄ぉ!!」

 

圧倒的だった。

 

画面の奥から押し寄せるログの流速は廃端末とは比較にならない。

情報が神経に直接触れるような鮮明さで流れ込み、都市の裏側を走る膨大なノイズがまるで網膜に描写される映像のように読めた。

 

処理速度が違う。

解像度が違う。

世界の“密度”そのものが違う。

 

この瞬間、エレグは理解した。

これまでやってきたことは本番の予行演習にすぎなかったのだと。

 

ホロウ起因ノイズの先読み修正。

街の中の誤差を拾い上げ、事前に整形して利益に変える取引。

 

それらすべてが桁違いに、圧倒的に効率化された。

 

複数のノイズ源を同時に捕捉し、別々の市場で同時に動くことも可能になった。

 

歪みを直しつつ、その未来の小さな変動を読み、最適なタイミングで張り、収益化――。

 

そこに迷いはなく、タイムラグも存在しない。

すべてが滑らかで継ぎ目がなく、歯車のように噛み合う。

 

それはもはや“作業”ではなかった。

都市の深層構造を読み取り、微細な歪みを補正し、全体の動きを整える“運営”と呼べる領域だった。

 

「分かる、分かるぞ……!今までが浅瀬で遊んでいるようなものだったということが……!」

 

新たな端末を使い始めてまだ数分だというのに、システムの全体像は掌握できている。

情報は読みやすく、修正は容易で未来の揺らぎは以前よりも鮮明に掴めるようになった。

 

その力の構造が自分の中で明確に形を取り始める。

 

“自分は都市の深層を読み、整え、そこから利益を引き出せる”

 

その事実が初めて確固たる輪郭を持って胸の奥に根を下ろした。

 

「急激なレベルアップを果たしたエレグ君だ……!今の俺の力なら予定を少々前倒しにできる!」

 

エレグは次の段階へ進む決意を固めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーー

 

 

 

 

都市は外から見れば眩い繁栄を誇る。

だがその光の下に重く沈むのは、誰の目にも触れない“腐った地層”だと、エレグは冷静に理解していた。

 

企業間の熾烈な競争。成果主義が齎す断罪の速さ。加点式評価の冷たい数値。

一度の失敗は即座に切り捨てられ、現場は数字のために押し潰される。

機械のように回る生産ラインの向こうで、人間の疲弊や犠牲が静かに積み上がっていく。

 

監査機関は存在する。だがすべてを監視しているわけではない。見ようとしないときがある。

 

都合の良い盲点があちこちに生まれ、その隙間に腐敗はゆっくりと溜まっていく。

エレグはその“見えない泥”に価値を見出した。

 

新端末に加え、自身の成長した能力と技術を以て彼は企業の内側へ慎重に侵入した。

回線の癖を読み取り、ログの折れ目をなぞり、微細な手掛かりを引き剥がしていく。

 

「うわぁ……。真っ黒……!ドブ色じゃねえか……」

 

やがて彼の前に現れたのは、都市の繁栄を支える土台を蝕む“汚泥”そのものだった。

 

給与改ざんの改行跡。

勤務時間を隠蔽するために差し込まれたスクリプト。

過負荷で限界に近づくシフト自動生成AI。

役員間で回された、不正を黙認する指示書。

 

それらは、公にされれば企業が潰しかねない致命的な証拠だった。

 

「行方不明者……って、ああ。事故死扱いにすると補償金を払わないといけないから、か……。えげつないな……」

 

エレグは一つずつ、確実に抜き取っていく。

一つ、また一つと掬い上げるたび、胸の奥では冷たい確信が静かに膨らんでいった。

 

(――これは、壊されるべきだな)

 

その思いは迷いではなく、揺らぎもない。

 

都市の光を成立させるために隠されてきた“黒さ”の実体を目の当たりにして、彼は確信したのだ。

この泥を暴き、洗い流す者が必要だと。

 

「今のうちに望ましくない企業の力を削いでおかないとな……」

 

小声で呟いたその一言は決意の輪郭を帯び始めていた。

 

もし搾取される労働者の声が力を持てば、小さな正義が積み重なり、やがては企業の横暴は徐々に摩耗するだろう。

 

だが、ただ暴露するだけでは金にもならないし、自分の生存基盤も揺らぐ。

エレグは効率を知っていた。混乱の中から確実に自分の糧を得る仕組みが必要だと。

 

「――そうだ。閃いたぞ」

 

端末の冷たい光を受けながら彼の瞳がひときわ淡く輝いた。

新しい網を張るタイミングが来たのだ。

 

狙うのは長年搾取され、声を上げたくても上げられなかった労働者層。

そこには不満も恐怖も腐るほど溜まっている。

 

ただしエレグは決して表に出ない。

 

会わない。名乗らない。

代わりに送り込むのは加工された“声”と何より決定的な“証拠”だ。

 

高性能端末の音声合成が生成するのは性別も年齢も排除した人工音声。

感情の温度を限界まで削ぎ落とし、機械的で、しかし妙に信じてしまう無機質さを纏っていた。

 

最初に接触したのは、現場で不満の蓄積が最も深い班長クラスの労働者。

逃げ道のない立場、責任だけが膨らむ層、負荷の境界にいる人間たちだ。

 

《――初めまして企業構造の犠牲となった者よ。手短に言う。君たちの企業は来月にも監査に引っかかる》

 

第一報は短く、冷たく、刺すような無機質さを帯びていた。

その一言だけで受信側の胸に氷柱が打ち込まれる。

 

すぐに何往復かの応答が始まり、警戒、不信、苛立ち、戸惑いが雑音のように混ざって返ってくる。

 

未知の声にすがるほど彼らは愚かではないし、同時に疑いきれるほど状況は甘くもない。

 

そして、ついに核心が問われる。

 

《……何度も何度も、……ただの悪戯じゃないのか?あんたは何者だ?何のためにこんな情報を俺たちに?》

 

エレグはすでに”練っていた物語”を淡々と差し出した。

 

《俺は君たちと同じ奴らの被害者だ。俺の目的は復讐だ。突然の解雇をされ、企業に家を壊された。もちろん奴らを潰すだけならこの情報をバラ撒けばいい。だが、それじゃ君たちの手には何も残らない。壊すなら、せめて利益に変えた方が合理的だろう?》

 

もちろん復讐など嘘だ。

だが、人には“筋の通った悲劇”が必要だ。

 

それはもっともらしさを生み、疑う余地を狭める。

人工音声の冷たさすら事情を抱えた同士の静かな怒りに聞こえる。

 

重い沈黙の後、労働者はようやく短く応じた。

 

《……なら、どうすればいい》

 

その一言は心のどこかが折れたのか、あるいは折れそうだからこそ伸ばした手だったのか。

どちらにせよエレグにとっては好都合だった。

 

エレグは条件を提示する。

 

監査機関に正式に不正を提出せよ。

企業には巨額の賠償が発生する。

そのうちの二割を仲介手数料として受け取る――と。

 

振込先は追跡不能に設定し、労働者たちは八割を確実に得られるようにする。

 

《二割…?安くはないな》

 

《乗らなくてもいい。ただ、知らなければ君たちはゼロのままだ》

 

短く、淡々と。

言葉を押しつけるのではなく選択として突きつける。

 

《………》

 

沈黙。

 

その沈黙の裏でエレグが送りつけた証拠の鮮明さ、改竄の跡が残らない完璧さが、じわじわと彼らの警戒心を侵食していく。

膨大なログ、隠蔽スクリプトの差し込み跡、給与改ざんの整形ミス、行方不明者処理の異常値――

どれも誤魔化しようのない“企業の病巣”だった。

 

やがて重く深い息を吐くような、諦めと覚悟を混ぜた声がようやく返ってきた。

 

《……わかった。やる》

 

続く、短く低い一言。

 

《……取引を受け入れる》

 

返答を受け取ったエレグはほとんど無音の操作で端末を閉じた。

 

どこかで長年搾取されてきた人々が今まさに“上”へと向けて拳を握り直す。

そして同時にひとつの企業の力が静かに削がれ、その歪みがエレグの懐に新しい資金の流れを生み出していく。

 

この一件を境に裏稼業は加速度的に増殖していった。

企業は多い。腐敗は深い。ノイズは絶えない。

それぞれの綻びにエレグの指先は迷いなく入り込む。

 

気づけば動かしている資金も情報も、扱っている規模も、もはや社会的地位を持たない孤児のものではなかった。

 

エレグの裏稼業はすでに個人の領域を超えた機構へと変わりつつあった。

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

ホロウによる物流ネットワークの遅延を事前に修正し、AIアルゴリズムの癖を読み、企業の損失を未然に防いで恩を売り、株価の微細な変動から莫大な利益を生む――そうした仕事を行う匿名の存在として、彼は“先視者〈プロメテウス〉”と呼ばれ始める。

 

未来の変動を読み、火を与えるように利益をもたらす存在。企業同士の密談の中で密かに生まれた渾名はやがて深層ネットの噂となって広がっていく。

 

だが同時に、別の顔も生まれた。

 

別アカウントを使い、企業が隠した不正を掘り起こし、圧政の下に置かれた労働者へと盾を差し出し、支払われるべき代価を容赦なく徴収する“報復者〈ネメシス〉”。

 

冷酷で執念深く、逃げ場のない影。その印象だけが一人歩きし、恐れとともに定着していった。

 

ネットの深層では二つの名が交差し、囁きが形を持ち始める。

 

――先視者に目をつけられた企業には、幸運が訪れる。

――報復者に目をつけられた企業には、不幸が訪れる。

 

その噂は都市の血流のように静かに広がり、感謝と恐怖が入り混じった奇妙な信仰めいた評価を生み出していた。

 

恩恵と断罪。救済と破壊。

 

エレグはそのどちらにも完全に成りきり、二足のわらじを軽々と履きこなしていた。

しかも誰一人、二つが同一人物だとは露ほども思わない。

 

そして評判は遠隔で繋がる仲間たちの間にも広がっていった。

 

遠く離れた場所でそれぞれが光のように散らばって活動しているはずなのに、エレグを中心に結ばれたかのような確かな温度を帯びていた。

 

称賛のメッセージも、軽い冗談めいた顔文字も、感情を抑えた短文も、それぞれが同じ意味を宿していた。

 

エレグ自身もその空気に押されるように高揚を隠さず、胸の奥で熱を膨らませる。

 

「はっはっは!俺の時代が来た……!」

 

噂は独り歩きし、仕事はさらに運びやすくなった。

 

噂の浸透は仕事の速度を加速させた。

企業の方から修正依頼が舞い込み、ホロウの影で動く彼の手を求めてくる。

 

一方、悪徳企業は証拠を突きつけられるだけで沈黙し、交渉はわずか数分で終わり、報酬は以前よりも正確かつ迅速にエレグの端末へ落ちていく。

 

エレグはその資金を使って環境を整備した。

端末を増強し、補助演算装置を増設し、老朽化した機材を性能の良いものへ置き換えていく。

活動拠点は一層洗練され、廃区画の地下室は次第に彼だけの領域へと変貌していった。

 

薄暗い空気の中で、冷たい金属の机が整然と並び、配線は血管のように床と壁を這う。

複数のモニタに映る青白い光が彼の頬を照らし、静寂の中で電子音だけが淡々と脈打っている。

誰も踏み入れないが、ここで研がれた刃は都市の表層を確実に切り裂いていた。

 

しかし、問題があった。

 

「だぁ!クソが!無理ゲー過ぎるだろ……!」

 

エレグは机に額をぶつける勢いで叫び、端末を睨みつけた。

 

都市の根幹を握るTOPS財政ユニオンの存在だ。

 

実質的にエリー都という巨大都市国家を運営する複合企業体。

徹底した実力主義を掲げ、結果を出せない企業は歴史がどれほど古かろうと一切容赦なく切り捨てる。

 

そこは成功か死か、ただそれだけが横たわる魔境だった。

 

当然、その傘下企業群のセキュリティはエレグがこれまで触れてきたどんな企業とも比べものにならないほど鉄壁だった。

 

彼は何度か侵入を試した。

 

しかしログイン試行の瞬間に端末は拒否を返し、深層AIの監視光がまるで生体の視線のように追いかけてくる。

 

“不正アクセスの癖”を学習し続ける追跡アルゴリズムは異常なほど洗練され、思考の揺らぎすら読まれているかのようだった。

 

この防壁を突破すること。

それは今のエレグの技量ではほぼ不可能に近かった。

 

「うぎぎぎぎ……! 子ども相手に何ムキになってんだよ……! いいか? 覚えてろよ……! 成長したら絶対……ぶっ壊してやっからな……!」

 

声は震えていた。

悔しさと怒りと認めたくない現実が混ざった震えだった。

 

その事実こそ彼にとって何より屈辱だった。

 

TOPSの内部に潜り込めなければ、都市全体の資金の流れを掴むことはできない。

世直しどころか、計画の前提すら成立しない。

 

まして正体が露見すれば少年の未来はあまりにも脆い。

治安官に拘束される程度ならまだ幸運だ。

 

実際には”裏の処理屋”が無言で彼を消し、身体も、存在も、名前すら記録から抹消される可能性の方がずっと高い。

 

子供の身体では逃げ切ることすら難しい。

重犯罪級ハッカーへの即時処分規約が発動すれば避けようのない最悪の結末が待っている。

 

このまま深入りすれば、――その未来は確実だ。

 

エレグは歯噛みし、端末に滲むエラーログをただ睨み続けた。

赤い文字列が絶え間なく流れ続ける様は、まるで自身の無力さを刻む傷跡のようだった。

 

エリー都の崩落は近い。

この都市が揺らぐ前に、自分には“立場”が必要だ。

ただの裏稼業者ではなく、正面から都市の基盤に関われる位置が。

 

「しょうがねえ……。次のフェーズに移行しよう……!」

 

深く息を吐いたその声は、先ほどよりわずかに落ち着いていた。

 

幸い、資金は十分に集まっている。

ここに至ってようやく彼は“本当のスタートライン”に立ったのだと静かに理解する。

 

エレグは椅子を押しのけ、背筋を伸ばす。

 

これから必要なのは技量ではなく、“名”と“旗”。

都市で生き残るための、確かな表の顔だ。

 

彼の決意がゆっくりと胸の奥で固まっていった。

 

ーーーーーー

 

エレグは、これまで裏で稼ぎ続けてきた資金を動かし、新たな企業体の設立準備へと踏み切っていた。

もはや表の立場を持つかどうかという選択肢は存在しない。

 

都市の深層に潜るには、TOPSという巨大で理不尽な存在に対抗するには、合法的な“顔”こそが絶対条件だった。

 

しかし、その最重要行程の前に致命的な壁が横たわった。

 

――それは年齢である。

 

法律は子どもに法人を操る権利を与えない。

天才であろうが、裏社会を揺るがそうが、行政法は一切の例外を許さなかった。

 

ならば必要なのは制度の隙間を埋める“盾”。

表で立ち、市民として認められる代行者。

すなわち代理代表という存在だった。

 

借りたホテルの一室へ戻ったエレグは冷え切った床にそのまま腰を落とし、端末を呼び出した。青白い光が彼の幼い横顔を照らし、薄闇に輪郭だけを浮かび上がらせる。

 

特権的接続ルートを開くと、都市の基幹情報はまるで水脈のように彼の意識へ流れ込んだ。指先を動かすまでもなく、都市を走る無数のデータ線が彼の感覚に触れ、目的の情報へ導いていく。

 

狙うのはただ一種類の人物だった。

子どもである自分を利用せず、支配せず、ただ助けられたときに裏切らない大人。

野心でも虚栄でもなく、生きるために働いてきた誠実な市民。

 

エレグは名簿を絞り込み、裏社会関係者を除外し、行政系の硬直した人物を切り捨てた。

残ったのは民間層――倒産寸前の個人事業者、仕事を奪われた労働者、もがく中小企業の責任者たち。

 

ひとり、またひとりとデータを読み解き、職歴と借金の数字の裏側に潜む“人間の匂い”を探っていく。

膨大な情報の波に溺れず、その核心だけを掴み取る作業が静寂の中で続いた。

 

そして――ひとつの名前が浮かび上がる。

 

ヨシダ・セイジ。

 

独立系中堅ゼネコン『東都建設』の創業者。

中年、従業員多数、しかし資金繰りは限界を迎え、銀行はすでに背を向けていた。

 

その瞬間、エレグの視線は細く鋭い光を帯びた。

 

「……これは酷いな……」

 

端末に流れる記録をさらに深く潜り、異様に偏った負債の流れを拾い上げる。

 

――これは偶然ではない。

 

明確な妨害。

大企業による意図的な圧殺。

 

事業失敗は仕組まれ、返済不能に陥るよう巧妙に罠が敷かれていた。証拠も軌跡も全てが濁った手の形を残している。

 

そして確信に至る。

 

この人なら助けられる。

助けた恩は決して踏みにじらない。

正義感で突っ走るタイプでも、虚名に溺れるタイプでもない。

ただひたむきに働き、その汗と共に沈められた側の人間。

 

代理代表として申し分ない。

 

エレグは無言のまま端末を閉じた。

 

必要なデータはすべて揃った。

裏取りも完了した。

あとは向こうに資金援助を持ち掛け、接触し交渉するだけ。

 

幼い胸の内で氷のような覚悟が形を取る。

 

そして――、彼は静かに立ち上がり、最初の一歩を踏み出した。

 

その行動こそが新たな企業、そして後に新エリー都を動かす“表の人生”の幕開けだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーー

 

 

 

ヨシダ・セイジのオフィスは、限界に押し潰される空気をまとっていた。

机上には未処理の書類が山積みとなり、端末の画面には赤字の警告が点滅している。

そのすべてが、会社『東都建設』が倒れかけている現実を物語っていた。

 

ヨシダは束の間、目を閉じた。

胸の奥では、焦燥と諦念が黒い泥のように絡まり合っている。

 

(……自分はどこで間違えたのか)

 

その問いは何度も脳裏をよぎり、もはや答えを探す気力すら削り取っていた。

 

そのとき――、

静かに、しかしこの沈みきった空間には不釣り合いなほど澄んだ音で扉が開いた。

 

「し、失礼します。ヨシダ・セイジ様ですか……?」

 

高く震える声。

思考の底に沈んでいたヨシダの意識が一気に水面へ引き戻された。

目を向けると、そこに立っていたのは十歳ほどの小柄な少年。

 

ヨシダの目が見開かれる。

 

「……子供……?……君、どこから来たんだい?」

 

少年は必死に胸を張ろうとしているのに、肩が小刻みに揺れていた。

 

「わ、私がエレグ・マックスです!あの、ここに来る前に資金提供の件で……、あの、連絡させていただきました者です!」

 

言葉が転がるように続く。

緊張が濃すぎて声が上ずる。

その不器用な必死さがかえって純粋な本気を帯びていた。

 

(……ああああ!?しまったぁぁぁ!!そういえば俺、人と直接話すの初めてだったぁぁぁ!!)

 

裏から都市を揺るがした天才、エレグであっても人とのやり取りは通信越しであり、仲間たちとのやり取りも頭の中で完結していた。

 

内心の悲鳴は、表情の端にわずかな歪みとなって浮かび、すぐに引っ込んだ。

エレグの手は微かに震え、喉も乾いたようにひくついている。

 

(人と話すのこんなに緊張したっけ!?……くっ、だが――逃げるわけにはいかない……!)

 

目の前の大人に自分の意思を伝えねばならないという使命感だけがその細い足をこの場に立たせていた。

 

エレグを見たヨシダはしばし言葉を失った。

驚愕、困惑、そして理解不能の現実が入り混じる。

 

「……資金提供者が、まさか君……子供だとは……」

 

かすれたその声には長年の苦境に押し潰され続けた男の限界が滲んでいた。

信じたいのに信じられない。

救われたいのに、それを受け取る資格が自分にあるのか分からない。

そんな迷いが瞳の奥でぐらついている。

 

「は、はい……!すいません、こちらを……!」

 

エレグは必死に平静を装い、小さくうなずいて端末を机に置く。

置く瞬間、机と端末が軽く触れ合い、カチリと乾いた音を立てた。

 

画面には膨大なログと取引痕跡、裏から流れた資金の経路――。

 

東都建設を意図的に傾かせた大企業の妨害の証拠が次々と映し出された。

 

「こ、これは!?……どういうことだ……!」

 

ヨシダは画面に食い入るように身を乗り出し、声を震わせる。

赤字の数字と不自然な資金移動の痕跡は誰の目にも明らかな事実を示していた。

 

エレグは喉を鳴らし、小さな声で説明した。

震えを押し殺し、できる限り落ち着いた口調を装って。

 

「あ、あなたの会社を潰したのは……あなたの責任じゃありません。あなたの事業は正常でした。ただ、大企業があなたの会社を“邪魔”と判断した――それだけです」

 

ヨシダの肩がわずかに震える。怒りか、悔しさか、安堵か。その区別もつかないほど、彼は限界に達していた。

 

エレグは息を吸い、続ける。

 

「私は……あなたにこの情報のすべてを渡します。もちろん資金提供の件も……。ただし――ひとつ条件があります」

 

ヨシダはゆっくりと顔を上げ、疑念と期待が交錯した目で少年を見る。

 

「……条件、かい……?」

 

エレグはさっと端末を操作し、資金の残高と入金予定のフローを画面に映す。

桁外れの数字が輝き、崩壊寸前の会社を救うには十分な額であることを示した。

 

思わずヨシダの呼吸が止まる。

 

「こ、こんな大金……君みたいな子が……」

 

エレグはうまく笑顔を作れず、代わりに情けないほどぎこちない笑みしか浮かべられなかった。

それでも彼は今できるだけの勇気を振り絞る。

 

ヨシダが沈黙し、迷いの影を落とした瞬間――、

 

エレグは勢いのまま、心の底から叫ぶように言った。

 

「そうです!わ、私は子供なんです!」

 

「………!」

 

その声は裏返り、部屋の空気を震わせた。

 

「あなたには、代理代表になってもらう必要があります!私は年齢が足りず、法律上会社を動かすことはできません!そこでどうしても表の顔となる大人が必要なんです!」

 

必死の訴えにヨシダの手が微かに震えた。

自分の名前がまだ誰かに必要とされている。その事実が重く、信じがたかった。

 

「あなたは誠実で、最後まで従業員を守ろうとした。裏の連中に染まらなかった。そんなあなたに……頼みたいんです!」

 

「………いや、しかし……私は……」

 

ヨシダの目に迷いが浮かぶ。

未来を失いかけた男が再び責任と希望を背負えるのか、そんな葛藤が胸を占める。

 

エレグは息を吸い、最後の一言を心の底から投げた。

 

「銀行はどこも諦めたでしょうけど……私はそうは思いません。あなたの会社にはまだ価値があります。そして――あなた自身にも、まだ価値がある……!」

 

「………っ!」

 

その言葉はヨシダの胸の奥で固く閉ざされていた扉をゆっくりと開いた。

 

エレグは差し出した手を震えながらも下ろさなかった。

 

「私と一緒に来てください。”新開発地区”であなたの会社を“再生”させる。そのための資金も計画も、全部用意があります!こんな未熟な私ですが、どうか信じてください……!」

 

長い沈黙。

時計の針の音すら聞こえないほど空気は張り詰めていた。

 

やがて――ヨシダはふっと肩の力を抜いた。

 

疲れ切っていたはずの顔にわずかな光が戻る。

そして、その震える手がゆっくりと少年の手を握り返した。

 

「……わかった。君がそこまで言うなら預けてみよう。私の会社も、私自身も」

 

「……!ありがとうございます!」

 

その瞬間、エレグの計画は決定打を得た。

表の人生へ踏み出すための最初の同盟者――大企業に潰された男、ヨシダ・セイジとの出会いであった。

 





折角だから、みんな出したかったのにリーダーしか出てねえぞ……どうなってんじゃこりゃ……

彼がいた施設、一体どこの施設なんだろうな(すっとぼけ)
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