転生者達の新エリー都、二足のわらじ生活   作:フライパンソルジャー

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感想、誤字報告ありがとうございます!

ファンアートいただきました!いつもありがとうございます!この方が来るとは、作者は予想だにしていませんでした!そう、ヨシダさぁぁぁああああん!です!!
もう滅茶苦茶カッコ良くて強そう!エーテリアスぐらい問題なく倒しそうです!


ヨシダ・セイジさん

【挿絵表示】



本編で扱えなかった経済的な展開……!書いてて楽しかったです……!


企業規模の拡大と彼らの集結

 

新開発地区、後に新エリー都と呼ばれる場所。

 

未整備の道路、建設途中の建築物、エリー都に比べるとインフラが未だ未熟で外縁に位置する一帯。だが同時に巨大な可能性を孕んだ“白紙の大地”でもあった。

 

そして白紙であるがゆえに、まず最も不足するのは――建設会社。

 

交渉の後、エレグは大企業の圧力下が強い都市の中心部では会社の再生は不可能だと判断し、東都建設をエリー都外縁の”新開発区域”へ移す計画を提示していた。

 

確かに理にかなってはいたがヨシダを悩ませたのは従業員とその家族たちの存在であった。

 

「問題ありません!それも資金援助の一部ですので!」

 

もちろん織り込み済みだったエレグは移住費、生活費、住宅、教育費まですべて自分の資金で支援すると断言した。

 

その真剣さにヨシダは子どもに救われるという現実を複雑に思いながらも最終的に受け入れ感謝を述べた。

 

翌日からの動きは迅速で、エレグが用意した資料と会社の再生計画。そして元々のヨシダの人望によって従業員たちの不安は徐々に解消された。

 

会社が生き残り、家族が守られると理解した彼らはほとんどが移住を受け入れ、中には涙を流して救世主の如き謎の資金援助者に感謝する者もいた。(混乱を避けるためエレグの正体はヨシダのみが知っている)

 

こうして百人を超える人々が新区域へ向けて動き出したのだ。

 

「さあ、お仕事を始めましょう……!」

 

エレグの資金援助を受けた東都建設へ舞い込む依頼は想像以上に多かった。

廃工場の解体、小規模インフラの整備、新規住宅区の基礎打ち。

どれもが急ぎで、しかし技術と信頼を必要とする仕事ばかり。

 

ヨシダは久しぶりに端末へ届く案件一覧を見て、深く息をついた。

 

(……こんなに“必要とされている”実感は何年ぶりだろうか)

 

しかし受注が増えるほど会社は選択を迫られる。

 

立地、納期、職員の配置、資材の確保――その判断を誤れば、すぐに破綻してしまうのが建設業の常だ。

 

ヨシダが眉をひそめたその時、隣で端末を覗き込んでいた小さな影が口を開いた。

 

「――こちらの三件は優先度を落とすべきです。資材ルートが細く、コストが跳ね上がります。逆に、この丘陵地帯の案件は……」

 

軽く指を滑らせる。

すると地図が立体的に浮かび上がり、建材の搬入路、近隣の労働者人口、重機が通れる道路幅まで自動で組み込まれたルート解析が表示された。

 

ヨシダは思わず声を失う。

 

(……なんだこの完成度は……!?)

 

彼はヨシダたち同様に、この地区に初めて足を運んだと言っていた。

 

土地勘も経験もないはずの子どもがまるで何十年も建設現場を見てきた熟練技師のように、合理的で無駄のない計画を並べていく。

 

瞬時に情報を読み解き、複数の要素を統合して判断を下す。

 

(全体像を把握し、情報の取捨選択をする能力が卓越している……!やはりただ者ではない!――だが……)

 

ヨシダは気が付く、そこには“子どもらしい拙さ”も混じっていたことに。

完璧な論理の裏にどうしても現場でしか分からない感覚的な“ズレ”がある。

 

数字では拾えない生活の癖、人間関係から生じる問題、通勤感覚。

 

エレグがまだ触れたことのない、泥臭い日常の領域だ。

 

ヨシダは指摘しようとした。

 

「……っ」

 

しかし声を出す寸前で口をつぐんだ。

 

(……いや、偉そうに言える立場じゃない。こっちは一方的に助けてもらっている側なんだぞ)

 

――エレグ(救った者)とヨシダ(救われた者)は対等ではない。

 

その事実が胸につかえ、言葉を喉の奥で固めた。

 

「………むぅ」

 

だが、そのわずかな躊躇いをエレグは見逃さなかった。

端末の光から顔を上げ、驚くほど真っ直ぐな目でヨシダを見つめて言った。

 

「あの、いいですかヨシダさん?私は……あなたを部下だなんて思っていません。ここはあなたの会社です。あなたの経験がなければ成立しない計画なんです」

 

ヨシダは息を飲む。

 

「で、でも……私は――」

 

「私は人間です。間違えますし、足りないところもあります。それを自覚しないまま突き進んでしまい、学びを疎かにすれば……そこで成長は止まります」

 

言葉は静かだった。

しかしその静けさの奥には長い計画を見つめ続けてきた者の覚悟が宿っていた。

 

「だから、私はあなたの意見が欲しい。ヨシダさんが何十年と積み上げてきた“現場の感覚”が必要なんです」

 

端末の光ではなく、エレグ自身の熱がヨシダの胸に届いたようだった。

歳も経験も立場も超えて一人の人間として向き合おうとする誠意。

それがどれほど貴重なものか、痛いほどわかる。

 

(……この子は自分の力を誇っていない。ただ、目的のために最も正しい方法を選ぼうとしている……)

 

胸が熱くなる。

 

ヨシダは深く頭を下げた。

 

「……ありがとう。では、遠慮なく言わせてもらおう。この案、確かに理にかなっているが現場で使うならこうアレンジする必要がある」

 

端末を取り、エレグの計画に赤線を引いていく。

重機の動線、職人の休憩所の配置、安全管理の観点、天候リスク――。

数字では測れない“現場の匂い”を的確に拾い上げ、補正していった。

 

エレグはそれを食い入るように見つめた。

まるで乾いた土が水を吸うように、ヨシダの言葉を次々と吸収していく。

 

「ほうほう、なるほど……!その視点は私にはない……。ありがとうございます、ヨシダさん!」

 

「こちらこそ。……まったく、君みたいに小さな子に教える日が来るとはね」

 

ヨシダは笑った。

自然と肩の重荷がほんの少しだけ軽くなるのを感じた。

 

――そして、そこからの日々は目まぐるしいものだった。

 

ヨシダが現場の調整を担当し、エレグが都市情報を解析して資材の流通ルートを確保し、両者が互いの不足を補い合いながら事業は急速に形を成していった。

 

社員の誰もが不安を抱えながらも、仕事があるという確かな実感が背中を押した。

 

まだ舗装されていない地面に東都建設の車両が並ぶ。

新しい鉄骨が組み上がり、土台が固められ、街の輪郭が少しずつ形になる。

 

その中心で子どもの天才と、潰されかけた男の経験が確かな相乗効果となって動き出していた。

 

互いに学び、互いに頼り、互いに成長していく。

 

その後、東都建設はわずかな期間で事業基盤を立て直し、新開発地区において有数の建築会社として名が通るまでに急成長した。

 

新参企業の中で異例の速度で仕事を獲得し、他社からの協力依頼すら届き始めた。

従業員たちの表情にも疲れの中にかつてなかった輝きが宿り始めていた。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

「――失礼します」

 

外では、まだ工事の匂いを残す街路を新規参入企業の車両が行き交い、絶えずざわめいていた。

その喧騒を背にエレグはヨシダへ一枚の計画書を差し出す。

 

エレグの声は落ち着いていたが、どこか急ぎすぎている気配があった。

 

「……会社の規模を今よりもっと早くこの地域で引き上げたいんです。そのための案をまとめました。ヨシダさん、どう思いますか?」

 

「おや、またかい?」

 

ヨシダは資料に目を落とし、ひとつ息をつきながら思った。

 

(――数字の伸びは確かに異常だ)

 

この新開発地区ではすでに大企業に並ぶ評価を得ている。

成長速度だけ見れば、むしろ“異常に速い”と言っていい。

 

それでもエレグはなおも焦っていた。

まるで、背後から迫る影を振り切ろうとするように。

 

ヨシダはページを指で軽く叩き、ほんのわずかに口端を上げた。

 

「はは、まあ向上心があることはいいことだ。だが……ここは修正が必要だ。あとは――……!」

 

軽い冗談めいた言い方だったが、その後ページをめくる指先の動きは徐々に慎重になっていく。紙の擦れる音が静かな室内にやけに大きく響いた。

 

そして、一枚、また一枚と進むごとにヨシダの眉間には知らず皺が寄っていった。

 

最初は指摘すべき細かな改善点を探すつもりだった。だが次第に、彼の表情は驚きと緊張を湛えたものへと変わっていく。

 

どの計画書にも自分が伝えた手法が迷いなく組み込まれていた。

 

リスク分散のための資金循環の比率。

投資配分の優先順位づけ。

人的リソースの伸長率と適性配置の計算式。

 

そして何より――数値の“癖”。読み取りの視点。判断のタイミング。

 

それらが、自分が数十年かけてようやく身につけた感覚と驚くほど一致していた。

 

(この短期間で、この子はここまで吸収したのか……!?)

 

内心で驚愕が膨らんだがヨシダは穏やかな息を吐き、ページを閉じた。

 

「……問題ないよ。全体として、よく練られているよ。……はは、まったく恐れ入るよ」

 

「ほっ、良かったです」

 

その言葉を聞いた瞬間、エレグが胸の奥で抱えていた何かがほぐれるように肩を落とした。小さく安堵の息が零れ、年相応の少年らしい表情が一瞬だけ覗いた。

 

ヨシダはその様子に微笑ましくなるものの、改めて自分を救ってくれた少年に感謝を告げた。

 

「……君のおかげで、我が社の再建は十分成し遂げられた。本当にありがとう」

 

「いいえ、そんな……!?私にも学ばせていただける多くの機会があります……!こちらこそ、お礼を言わせてください!」

 

エレグは照れたように手を振り、言葉を重ねるほど頬が少し赤くなる。

 

ヨシダはその熱意を見つめながらも、表情を緩めないまま少しの間を置いて口を開いた。

 

「……そこで、聞きたいんだが」

 

声の温度がほんのわずかに低くなる。

 

「私が代理代表となった”君の”企業の事業も同じく順調のようだ。だが、それにしては規模拡大を急ぎすぎている。まるで……時間に追われているようだ。何か理由でもあるのかい?」

 

「それは……」

 

エレグは口を開きかけて、閉じた。

喉がひとつ上下し、机の上の資料へと視線が落ちる。

嘘をつくでもなく、隠すでもなく、ただ言葉を選んでいる。

 

その揺れるまなざしが何より雄弁に“理由の重さ”を物語っていた。

 

ヨシダはそこで核心を突くように言葉を落とす。

 

「やっぱり――“アレ”が原因なのか?」

 

「……!……ええ」

 

室内の空気が硬いガラス片を噛んだような緊張を帯びる。

エレグの眉がわずかに跳ねた。

 

“アレ”。

 

それはエリー都中心部の企業間、そして深層ネットで噂される”二つのアカウント”の存在であった。

 

先視者〈プロメテウス〉と報復者〈ネメシス〉。この二つの名は長らく別々に囁かれている。

 

だが最近、その両者が同じ文言を投稿したのだ。

 

――曰く、

 

『新開発地区では補助金の再配布が始まる予定。小規模事業者は優先される。家賃は本都市の三割安くなる見込み。物流ノイズが少なく、生産効率も向上する』

 

そして、問題の最後の一文。

 

『――エリー都は沈む。新開発地区はまだ安全圏だ。一刻も早い避難を……!』

 

普通であれば誰もが鼻で笑うような陰謀論。

 

だが、それらのアカウントの過去の情報精度、告発の正確さ、企業を動かした実績。

今まで積み重なった“結果”が、その言葉に重みを与えていた。

 

その一文は企業も個人も雪崩のように新開発地区へ流れ込むきっかけとなっていた。

 

 

ヨシダは資料を静かに閉じ、真正面からエレグを見据える。

エレグはようやく覚悟を決めたように口を開いた。

 

「……お察しの通り、私の焦りはその二つのアカウントが引き金となった最近の人の移動が原因です。私は、流れ込んでくる人間の“受け皿”を作りたいのです。企業も、労働者も、家族も……全部まとめて引き受けられる器を大きくしておきたかったんです」

 

そこまで言うと彼は、ヨシダから逃れるようにふっと視線を落とした。

 

――エレグが焦っていた本当の理由。

 

それは、彼がすでに“仕込み”を終えていたからだ。

 

今の自分には零号ホロウに呑まれる予定のエリー都を止める力はない。

 

直接人を救う役目は信用できる“彼”に託した。

その判断に迷いはなかった。

心配も必要もない。……悲しいことにマジでない。

 

けれど、人任せにして自分だけ逃げるだけでは何も守れない。

 

だから“やれる限りのこと”をやった。

 

陥落する都市から人々を避難させるには曖昧な噂や薄い警告では力不足だ。

 

人々が動かざるを得ない力。それが必要であった。

 

そのために使ったのはエレグが裏稼業で築き上げた匿名アカウント。

 

清廉な企業には利益を、犯罪の匂いをまとった悪徳企業には恐怖を、弱き労働者には救いを届けてきた二つの存在。

 

深層ネットで異様な影響力を持つ

〈プロメテウス〉と〈ネメシス〉。

 

その二つを、“別の目的”のために動かした。

 

最後の投稿の始めの文章はこう始まった。

 

『今日で”私はこの仕事を終える。”今から載せるのは、私が与える最後の情報だ』

 

まず注目を集め、続いて信じ込ませるための嘘を滑り込ませる。

その手順こそがこの文を爆発的に拡散させる最適解だと踏んだから。

 

そして――実際に人は動いた。

 

企業は流れ込んだ。

この地区は膨張し、移住する人々で溢れた。

 

後に新エリー都の歴史では“旧都崩壊を逃れた奇跡の集団直観”などと呼ばれることになる現象。

 

だが真実は神秘でも偶然でもない。

 

――すべては、一人の少年による操作だった。

 

計画は成功した。

あとは“受け皿”を作るだけだった。

 

 

「………」

 

黙するエレグにヨシダは苦笑のような息を漏らした。それは叱責でも呆れでもなく、長年の経験から滲む事情を察した大人のため息だった。

 

「もし、あの二つの予告が正しければ……確かに時間はないのかもしれないね。しかし、だからこそ無理に拡大して君が潰れてしまったら本末転倒じゃないかい?」

 

「……はい、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 

目を伏せるエレグにヨシダはフッと笑う。

 

「いいや、謝る必要はないさ。君が無理をするのであれば私が支える。君は全体を見ていなさい。計画の骨格は私がもっと強固にする」

 

その言葉は助け舟などではない。

揺らぎを見抜いた上でなお託す者の覚悟、“背中を預けてもいい”という信頼の証だった。

 

「……!」

 

エレグの胸に熱いものが込み上げる。

視界がにじみ、こらえていた決意が鮮やかに輪郭を取り戻していく。

 

「ヨシダさん、ありがとうございます……!」

 

震えを含んだ声は確かな光を宿していた。

 

 

 

ーーーーーーーーー

 

ーーーーーー

 

ーーー

 

 

 

 

――そして、その一月後。エリー都が零号ホロウに呑まれた。

 

都市はただ崩壊したのではない。

まるで巨大な刃物で削ぎ落とされたように、静かに、跡形もなく消えたようだった。

 

その境界線には昨日まで存在したはずのビルの断片さえ残っていない。

地形そのものが黒に取り込まれ、街区の記憶がまるごと欠落したかのようにホロウ地帯だけが広がっていた。

 

――そして、零号ホロウは”未だ止まっていない”。

 

今もなお、ゆるやかに、だが確実にその範囲を拡大し続けている。

 

一日に数メートル、時には数十メートル。

単なる地盤崩落とも、災害とも呼べない“異常現象”。

昨日より今日、今日より明日、都市の欠片がひとかけらずつ失われていく。

 

境界線付近に立ち入った観測ドローンは記録を残す間もなく無音のままホロウに呑み込まれることさえあった。

 

そのため、避難勧告は段階的ではなく、常に”今、この瞬間”が基準となって更新された。

住民は数時間単位で荷物をまとめ、さらに外側へ、外側へと退いていく。

 

避難民の列はすでに第二の新開発区の入り口を越え、郊外の仮設ルートにまで伸びている。

乳児を抱えた母親、キャリーケースを引く老人、作業服のまま戻る暇もなく押し出された工員たち。

 

誰も叫ばない。

誰も騒がない。

 

ただ、“喪失の歩幅”に合わせて移動を続けるしかなかった。

 

多くの人が大切な人を失い、仕事を失い、そして帰る場所を失った。

 

――”自分も仲間たちも例外ではなかった。”

 

今もホロウの中を駆け回っている彼は謝っていたが、謝るのはむしろ野次馬根性を働かせた自分たちなのだ。彼が気に病まないよう伝え、祈るほかなかった。

 

自分たちは今の自分にできることを精いっぱいやろうと決意した。

 

エレグは、新開発地区に設置された臨時居住区の天蓋窓からその光景を遠望していた。

遠くに位置し、淡い光に照らされる零号ホロウの縁はあまりにも静かで現実味を欠いていた。

 

 

これからはここ新エリー都で”物語”が展開されていくのだ。

 

「これから……始まるのか……」

 

そうエレグは呟く。

アカウントを捨て、人々を前もって新エリー都へ誘導したのも彼自身の判断だった。

 

それは救済のための手段であると同時に裏の自分との決別でもあった。

 

匿名の影はそこで役目を終え、ログも履歴も、遺恨すらも静かに消去された。

思い入れがなかったわけではない。自分の過去の栄光を断ち切ることは少年にしてみれば重すぎる“儀式”だった。

 

――とはいえ、それは間違いなく英断だった。

 

零号ホロウ暴走のわずか半月前。

TOPS財政ユニオンやその傘下企業が裏流通網に対し“大規模洗浄”を開始したという報道が飛び込んでいた。

 

無関係を装う公的声明の裏で実際には隠れた数字と名義が次々と消されていた。

この世界の深層に巣食う巨大組織が本格的に”掃除”を行ったということだ。

 

裏の世界にいたエレグが目障りな存在と認識されていた証拠だ。

 

敵は少年の想像以上に巨大で、理と法を武器にしながら、暴力より静かで確実な方法で“抹消”を執行できる組織だった。

 

「……危ねぇ……!俺、ナイス判断……」

 

思わず口をついた言葉に指先が震えていることに気づく。

逃げきれた安堵と背筋をなぞる生存の本能。

 

だが同時に確信もあった。

 

表の立場の確立はもはや選択肢ではない。

生き延びるための絶対条件だ。

 

少年は部屋の椅子に背を預け、深い静寂の中でつぶやいた。

 

「”計画”を進めないと……。――俺たちの戦いはこれからだ……的な?」

 

その夜。

 

薄暗い部屋の片隅で、エレグは膝を抱えた姿勢のまま端末に指を置いた。

薄青い火花が静かに、深く端末の奥へ染み込む。

 

「予想以上に何処も彼処もてんやわんやしてんな……」

 

”新エリー都”の再建事業は都市規模の混乱を孕んで始まった。

 

崩壊した旧エリー都の代替として多くの企業が新天地に本社機能を移し、同時に多くの企業が資金難で沈んでいた。

 

「チッ、中小企業に比べ、俺が心底潰れて欲しいと願っていたTOPSとその傘下は比較的無事だな……!陥落時にどうやって資金をこっちに流したのやら……。……まあいい。今は別のことに集中しないとな」

 

行政区画のデータベースはまだ信頼性が低く、統合作業中の欠損データがあちこちに散乱していたがエレグにとっては障害ではなかった。

 

彼には接続すればわかるという感覚がある。

 

ネットワークの電流が脳に流れ込み、数字や記録や動向が波形となって押し寄せる。

人間が画面越しに読む情報ではなく、彼はその流れを丸ごと掴むことができた。

 

「……おし、来た!」

 

次の瞬間、新エリー都全域の企業データベースが巨大な立体構造となってエレグの脳内に浮かび上がった。

 

企業規模、資本力、取引先、裏資本、登録されていない異常な金の流れ。すべてが光の線となり、網目のように結ばれる。

 

「さて……援助すべき企業は~……?」

 

判断基準は四つ。

 

TOPSなど、大企業の傘下ではない。

犯罪組織、宗教的カルトの手が混じっていない。

もともと中規模以上で、復帰の余地がある。

そして今は……崖っぷち。

 

「これと、これと……後これも――」

 

エレグはそれらを淡々と仕分けていった。

金の流れに濁りがあれば即座に切り捨て、支援の見込みがない企業も仕方がないが除外する。

 

最終的に残った数十社を彼独自に編み出した”未来予測モデル”に投げ込む。

 

端末内部の光がゆっくり脈動し、数字の海が変形した。

市場の回復速度、物流工程の最短化、雇用維持による内部安定性、そして需要曲線の再浮上。

すべてが彼の脳内で未来の奔流となった。

 

企業一社ごとにエレグは評価を付けた。

単なる破綻危険度ではない。

 

未来において”伸ばせる可能性”があるかどうか。

自分が介入することで最大限の利益を生む余地があるかどうか。

 

そして、その中に一つだけ異様に伸びしろのある企業があった。

 

「見つけた……これはいいぞ」

 

それは中堅の物流会社であった。

 

株価は瀕死。

資金繰りは本当に数週間で尽きる。

 

旧エリー都の配送網を失ったことで事業の基礎が丸ごと崩れ落ちたようだ。

 

しかし、エレグには未来が見えていた。

 

配送需要は必ず戻る。

サプライチェーンの完全な再配置が出来上がるのはおそらく半年後。

それまで保たせれば、物流業が真っ先に恩恵を受ける。

 

「物流系は得意分野だ……!――最初のターゲットは決まったな……!」

 

彼は息を吸い込み、ゆっくりと端末から指を離した。

新エリー都の薄明かりが彼の表情を静かに照らす。

ここから始まる。

 

”財政ユニオン入りを果たすため”の、表の世界での本当の戦いが。

 

 

ーーーーーーー

 

 

救済対象に選んだその物流会社は新エリー都の外縁部に廃工場を急ごしらえで改装しただけの本社を置く瀕死の企業だった。

 

代表者の疲弊は極限に達していた。

 

眼窩は落ちくぼみ、背広は合っていないほど痩せ、連日顔を引きつらせながら資金提供を求めて奔走していた。

 

返済不能の負債と数百名の従業員を抱え、すでに動ける余地はほとんど残っていなかった。

 

(うわぁ酷い。まあ……今の状況じゃあごく有り触れたもんだけどな……)

 

エレグは接触する前にその代表に一通のメッセージを送っていた。

 

『資金提供を希望します。条件として株式の一部譲渡と経営権の一部委任をお願いします。私は未来の需要を的確に読み取れます。御社は半年後、再び成長の波に乗るでしょう』

 

名義はもちろん、『経営統合会社、代理代表ヨシダを通じた特別顧問』。

子どもである自分の本名など今は晒す気は毛頭なかった。

 

返答は異様に早かった。

 

怪しかろうが、不可解だろうが、背水の陣に立たされた者は差し出される手を拒めない。

 

『どうかお願いします……!』

 

その短い文面には乾ききった絶望と、最後の一滴の希望がにじんでいた。

 

エレグは息を整え、即座に作業へ移る。

 

資金を流し込み、会社を苦しめる問題を取り払う。

倉庫配置の最適化。

配送ルートの再構築。

人口流入の増加地点と、道路網を掛け合わせた需要予測。

 

そして半年後の黒字化を見据え、一時的な赤字を恐れず舵を切る大胆な再建計画。

 

相手側の経営陣は最初困惑し、疑い、戸惑っていた。

 

しかし、提示された予測モデルはあまりに精緻で彼らの理解を上回っていた。

やがて浮かんだのは“疑念”ではなく、“畏怖”だった。

 

――こんな分析ができる人間が本当に存在するのか?

 

そして計画は寸分の狂いもなく的中していく。

需要回復の波はまるでエレグの合図に従うように押し寄せる。

 

倉庫再配置により運用コストは激減し、他社が旧都陥落の混乱の渦に飲まれる中、その会社は驚くほど柔軟に動けた。

 

予定された半年を待たずして、企業は見事なV字回復を果たした。

 

――その成功は、窮地に立つ企業が腐るほど存在する新エリー都全域へ”稲妻”のような速さで広がった……!

 

「奇跡的に立て直した物流会社!」

「背後に“特別顧問”がいるらしい……」

「未来を読んだとしか思えない再建劇だ……!」

 

噂は形を持たずとも確実に熱と重みを増していく。

 

だがエレグの狙いは単に企業を救うことではなかった。

 

都市を飲み込む巨大コングロマリット。TOPSに対抗するための核となる企業体を自らの手で築き上げること。

 

そのためのピースがここに嵌められただけに過ぎない。

 

東都建設に続き、二つ目の会社の救済から数日後。

 

特別顧問であるエレグの端末には途切れることなく企業からの救済依頼が届き始めていた。

 

画面が光るたびに戦場が広がっていく。

エレグは薄笑いを浮かべ、静かに椅子にもたれた。

 

「計画通り……じゃんじゃん救っていくぞぉ……!」

 

幼い声には確かな覇気が宿っていた。

 

 

ーーーーーーー

 

 

 

――資金の尽きた企業はどんなに有能な管理者でも倒れる。

 

エレグは裏稼業で積み上げた莫大な資金を惜しみなく救済対象の企業注ぎ込み、黒字化までの“延命資金”を流し込んだ。

 

だが、それは単なる慈善ではなかった。

 

資金を貸す代わりに株式と意思決定の一部を受け取り、次第に企業は自然と彼の立ち上げた経営統合会社の影響下に組み込まれていく。

 

衰退する事業にはエレグの未来予測モデルが脱皮の道を示す。

 

変換は極めて正確であり、救われた経営者たちは最初は驚き、やがて畏怖すら覚える。

 

食品会社は医療サプライへ。

解体業者は廃棄物エネルギー変換事業へ。

印刷業者はマイクロデバイス加工企業へ。

 

――まるで、未来を先取りしているかのように。

 

実際にエレグは未来を“見ていた”。

いや、正確には自身の能力で取得した膨大な情報と作り出した予測モデルにより、極めて精密な未来予測を具現化していた。

 

彼が新エリー都の通信設備やシステムから情報を取得するたびに救済対象企業の明日は少しずつ形を変え、新エリー都全体の経済の流れが彼の掌の上で滑るように踊った。

 

小さな少年の眼差しは光も闇も含む未来を正確に捕らえ、確実に支配していた。

 

そして匿名の特別顧問――すなわちエレグの存在は都市の人々にとって“偶然の天才”ではなく、“再現可能な実力”として認識され始めていた。

 

新エリー都の混乱はまだ続き、企業の倒産は毎週のように発生していた。

だが、”その経営統合会社”の手を借りた企業だけは例外なく生還する。

 

当然である。エレグは過去に力を削った悪徳企業や、再建の見込みがない企業には一切手を出していないのだから。

 

やがて救済は単なる噂ではなく、都市における“決まり事”となっていった。

 

「……十分な数の会社が再建された。そろそろ一つに纏まるときだな……。デカい企業に目を付けられないように秘密裏に、慎重に……」

 

エレグはその仕組みにひとつのルールを導入する。

 

――再建した企業は恩義としてエレグ側のグループに入る。

 

これは事実上の買収である。

しかし、反発する企業はひとつもなかった。

 

死にかけた企業にとって、再建とは“第二の命”そのものだったのだ。

 

さらに、エレグが目論んだ通り“グループ化”は安定を生む仕組みでもあった。

大企業に吸収されれば無茶な要求をされ、失敗すれば切り捨てられるが、エレグのグループは“対等”を条件とし“協力保護”を前提としている。

 

復興期の新エリー都において、中小企業が大企業に対抗するためには結束する以外に方法はなかった。

 

エレグはその構造を完全に理解していた。

 

「強い反対意見はなし!裏組織の手も入っていない!ならば!よりグループ全体を強固に、規模をデカくする……!」

 

彼の頭の中には複数企業の財務情報、流通ルート、従業員の動線までもが立体的に浮かび上がっていた。

 

それらはただの数字や線ではない。呼吸し、脈打ち、意思を持つ都市の生命活動そのものだった。

 

そして、その中心を走るのがエレグ独自のアルゴリズムである。

 

電磁ノイズを感覚として読み取り、未来のパターンを予測する能力から生まれたその計算は、既存の経営指標では捉えられない兆候を瞬時に捉えた。

 

――エレグは経験を重ねるたび、能力も技術も未曽有の速度で研ぎ澄まされていったのだ!

 

従業員の配置に走る微弱な乱れ。

需要曲線のわずかな波立ち。

仕入れ価格の揺らぐ前兆。

 

それらの兆しをいち早く捉え、再建企業の経営陣の端末へリアルタイムで提示する。

導入した企業は数週間で息を吹き返し、経営者たちは口々に“魔法だ”と評した。

 

(魔法って……ただちょっとばかしデータ取得して、いろいろ計算してるだけなんだけどね……)

 

実態はエレグという少年の能力が核心にある、極めて高精度の未来予測の結果だった。

 

「……まあいいや。――さあみんな!俺が電話対応をするから、じゃんじゃん現地でヘッドハンティングしてきてくれよ~……!労働力を集めるんだよ!」

 

零号ホロウの大災害によって職を失った者たちは数え切れない。

だがエレグは彼らを“資源”としてではなく、都市再生のための“戦力”として迎え入れた。

 

大企業では採用条件に弾かれ、または切り捨てられて行き場を失った専門職の者たち。

元エンジニア、物流管理者、医療スタッフ、製造ライン技術者。

 

旧エリー都で企業社会を支えていた“生きた専門家”たちを彼のグループはその多くを吸収した。

 

何故か戸籍を欠く者も存在したが、身辺に不正がないことを確認後、企業は秘密裏に代替戸籍を作成して雇用に至った。

 

その結果、グループ全体の基盤は一気に強化され、もはや単なる“再建支援”を超えた存在となった。

 

「――おぉしッ!勢力の拡大はこんなもんで良いだろ……!このまま土台を固め、安定を最優先だ。――はい、次ぃっ!TOPS入りを狙う以上、都市への貢献をさらに積み上げ、グループの”柱”となる事業を育てていく!」

 

そしてエレグは都市の未来を揺るがす巨大コングロマリットを築くための、次の一手を思い描いた。

 

「インフラへの介入は貢献度が抜群だ……!よし、これはヨシダさんの会社をうちの“主力事業”に据える。残るは――ははっ、察したようだな”お前ら”?医療・製薬、そして……機械・自律化だ……!」

 

口角がわずかに上がる。

 

エレグはそのままどこかにいる”仲間”に向け、メッセージを送り、情報を発信した。

 

冷静さを装った動作の内側で胸の奥がふっと温かくなる。

 

大人たちが理解できない未来を読み解き、誰よりも早く都市を動かす方法を知っていても遂に仲間に会えるとなると、年相応の少年の鼓動が隠しきれない。

 

――顔を見て直接話せる。

 

それは彼にとって、どんな取引や計画の成功よりもささやかな高揚を生んだ。

 

 

ーーーーーーー

 

 

 

 

 

そしてエレグは後日、少し躊躇しながらもヨシダに提案した。

 

「ヨシダさん。あの~……突然ですが、僕の友人たちに会ってもらえませんか?二人とも企業向けに技術提供が可能で、今後のグループ戦略に大きく関わる重要人物ですので……」

 

「えぇ!?友達!?君に!?」

 

「……?はい」

 

ヨシダは驚いた。それと同時に安心もした。

 

とても失礼なことを言ってしまったが、色々と規格外で、企業群を運営するエレグに友達がいたことに彼はどこかほっとしていた。

あれだけ非凡で計算高い少年が誰にも頼らずに孤高で動いているのではないかと、少し心配していたのだ。

 

聞けば同年代の友人だという。微笑ましく思いながらも、エレグの真剣な眼差しを見て、言葉を飲み込んだ。

 

「コホン、失礼……なるほど。勿論快く了承しよう。どんな子か楽しみだよ」

 

ヨシダは少し笑みを浮かべつつ、しかし真剣に頷いた。

 

エレグは影のように全体を取り仕切ってきた。

グループに加わり、彼に救われた企業からの感謝の言葉を自分が代わりに受け取るたびに、どこか気後れする気持ちがあった。

 

だが、今回は違う。代理であれ、重要な人物に会うという責任の重さをひしひしと肌で感じていた。

 

「ありがとう、ヨシダさん。ちょっと変わった子供ですが気にしないでいただけると助かります」

 

「それ、君が言うのかい?」

 

「それと、変に大人びていて……少し不気味に思うかもしれませんが」

 

「それも、君が言うのかい?」

 

二人の短いやり取りに、わずかな緩みが生まれた。

だが、その裏には互いの緊張と期待が確かに存在していた。

 

 

 

しかし、当日。

 

エレグはどうしても手が離せない状況に巻き込まれてしまい、予定していた合流の時間に間に合わなくなった。

 

『……すみません、ヨシダさん。迎えはお願いできますか。先に会社に通しておいてください。すぐ戻るので……!』

 

端末越しのその声は申し訳なさと、仲間に会ってほしい気持ちが入り混じっていた。

 

こうして、迎えに向かうのはヨシダ一人となった。

 

待ち合わせ場所に足を踏み入れた瞬間、ヨシダの視界は思わず静止した。そこに広がっていた光景は事前に聞いていた説明をあらゆる意味で裏切り、むしろ丹念に構図が整えられた一枚絵のように場の空気ごと切り取って見せる異質さを放っていた。

 

少女が大人の男性の足を掴み、じっと真剣に観察していた。

 

「お、大げさだ君……このくらい大したことじゃ……!」

 

男性は勿論驚き、照れ隠しに笑おうとする。

しかし少女は表情を変えず、淡々と告げた。

 

「いや、これ全然大したことある……ありますよ。まず足を引きずってる。自分で気づいていませんよね?それに――ここ、赤く腫れて熱を持っています。完全に傷口から感染していますね」

 

小さい指先は迷いなく正確に患部を触れる。

男性の顔色はみるみる青ざめ、言葉を失う。

 

少女は続けた。

 

「このまま放っておいたら骨膜まで炎症が広がって……最悪、切断です」

 

「せ、切……!?う、動かさないほうが……いいのか?」

 

男は声を裏返し、条件反射のように足を固めた。

 

少女は薬と包帯を取り出しながら、淡々とした声で言う。

 

「はい。そのままで。今消毒して固定しないと悪化しますからじっとしていてください」

 

「は、はい」

 

先ほどまでの虚勢は影も形もない。

男は青ざめたまま、まるで医者の前に座る患者のように大人しく従い始めた。

 

ヨシダはその一部始終を見つめながら、少女の年齢にまったく見合わない判断力と冷静さに言葉を失った。

 

そして、そのすぐ隣。

 

さらに幼いと思しき子供が、震えながら主人を心配しているボンプの傍にしゃがみ込んでいた。

 

中性的で、少年か少女かすら判別しづらい静かな顔立ち。

その小さな手には明らかに子供の玩具ではない本格的な工具セット。

 

「ンナンナ……(ご主人様……)」

 

「心配しなくても君の主人は大丈夫だと思うよ?……おっと?君もちょっと壊れてるね。少し我慢してね。すぐ終わるから!」

 

「ンナ……?」

 

ロボットが痛がるように身を縮める。

 

「大丈夫、大丈夫」

 

子供は断線したケーブルを確認し、内部パーツを器用に取り外して点検を始めた。

 

一切の迷いがない。

慎重なのに速く、整ったリズムを刻む熟練のメカニックの如き動き。

 

「ここが焼けてる……。うん、交換すれば大丈夫」

 

独り言のように呟きながら新しいケーブルを接続する。

カチリ、と小さな音がしてパーツが元に収まった。

 

次の瞬間、ボンプの電子音が明るくなった。

 

「ンナ?……っ!……ワタンナ!」

 

「よ~しよしよし。もう大丈夫だよ」

 

子供は優しく頭部を撫でるようにボンプをトントンと叩いた。

 

その一連の作業はたとえ技術者が見ても唖然とするであろう精密さだった。

 

ヨシダは、思わず息を呑んでその光景を眺めた。

 

(……こちらもただ者じゃない……!)

 

少女の医療的処置に続き、今度はより幼い子どもの機械修理。

この場に常識では測れない子供たちが二人もいるという現実にヨシダはただ驚愕するしかなかった。

 

「あ、ありがとう助かったよ。あ、そうだお礼を――!」

 

助けられた男性とボンプは礼を述べると、慌てて財布へと手を伸ばした。

 

だが、二人の子供は同時に小さく首を振った。

 

少女が先に口を開き、大人のようにしっかりとしたお断りを入れた。

 

「いりません。結構です。お金のためにしたわけではありませんので……!」

 

続いて中性的な子が、工具を片づけながら淡々と告げた。

 

「ボクもあなたのボンプが可愛かったから直しただけ。それにすでにお礼は貰ってるよ。ほら撫で心地が抜群でした!」

 

「……あ~……、その理屈だと、私も撫で心地が最高でしたって言って断る方が良いのか?」

 

「それは色々と誤解が生じちゃうと思うよ、マオ!?」

 

「……だろうな。やめとくわ。……兎に角、零号ホロウの暴走から今は何かと大変でしょう?困ったときはお互いさまと言うことで……」

 

軽口の応酬は漫才のようなのに、言葉の芯には揺らぎがない。

“助けたいから助けた。”それ以上でも以下でもない、まっすぐな誇り。

 

「本当にありがとう……!」

 

「ンナナ……!」

 

男性とボンプは深々と頭を下げ、去っていった。

 

手を振りながらその背を見送る二人の子供を見てヨシダは思う。

 

――純粋さと技量が同居するこの奇妙な落差。

――年齢という枠を軽々と越える異質さ。

 

(……絶対、間違いない……!この二人がエレグの友人たちだ……!)

 

ヨシダは胸の奥に確信を灯し、二人に向かって静かに歩き出した。

子供たちは片づけをしながら談笑していたがヨシダの足音に気づき、同時に顔を上げる。

 

「お……?あ!もしかしてヨシダさんですか!?」

 

ぱっと表情を明るくした少女、マオが勢いよく駆け寄ってきた。

 

「うわ~!初めまして、私マオ・ガーガンと申します!うちのエレグがいつもお世話になっております!」

 

「いや、どういう立場なのマオ?急にお母さんみたいな……ほら本人も”お前は俺のお母さんか”って突っ込んでたじゃん」

 

少し呆れた様子で言ってから、ぺこりと軽く頭を下げた。

 

「……ドーモ、ハジメマシテ。ヨシダ=サン。ドク・オークです」

 

「お前もふざけてんじゃねえか。アイサツすんな!」

 

「えー、これ一度やってみたかったんだよ。古事記にも載ってるし、格好いいじゃん?」

 

二人の掛け合いは軽妙で、遠慮というものがまるでなく、

その自然な空気にヨシダはむしろ“迎え入れられている”錯覚さえ覚えた。

 

「はは……本当に仲がいいんだね。初めまして、二人とも。今日はよろしく頼むよ」

 

ヨシダも背筋を正し、穏やかな笑みを浮かべて挨拶を返す。

 

 

そして二人はヨシダに連れられ、会社の応接室へと足を運んだ。

 

応接室に到着するとヨシダは二人を大きめのソファに座らせた。

子供だからと遠慮する様子はなく、むしろ二人のほうが慣れたように「お構いなく」とでも言いたげな余裕を漂わせている。

 

ヨシダは軽く微笑み、湯気の立つお茶を丁寧に淹れる。茶器の置かれる小さな音が室内の静けさに溶け、落ち着いた空気が漂い始めた。

 

マオがソファに座ると、わずかに身を乗り出してヨシダを見上げる。

 

「……本当に、ここまで大きい会社になるなんて思ってました?」

 

ヨシダはくすりと笑う。

 

「いや、予想外だったさ。これでまだ発展させようというのだから彼には驚かされてばかりだよ。そして、君たちが持ってきてくれるもの次第ではもっと驚くことになるのだろうね……」

 

ドクが驚嘆しながら口を開く。

 

「うわ~!?すっごい、ハードル上げてるじゃんアイツ!?ちょっと緊張してきた~……!」

 

マオも同意するように、神妙な顔で頷く。

 

「そうだな、ヨシダさんの期待は裏切れないからな……」

 

ヨシダは少し戸惑いながらも、二人の妙に真剣な視線を受け止める。

その熱を感じ取り、思わず声を低くする。

 

「そ、そうなのかい……?」

 

その瞬間、応接室の扉が静かに開いた。

 

「失礼します。お待たせしましたヨシダさん。すみませんねほんとうちの馬鹿がとんだ迷惑を――!」

 

軽やかな足音が室内へ滑り込み、次の瞬間エレグの動きが止まった。

 

視線はまっすぐソファに座る二人へ向けられ、肩がわずかに震えている。

驚きと緊張、そして言葉にならない複雑な感情が混ざった表情のまま、エレグは一瞬固まった。

 

「おー。お疲れ」

 

「や!初めまして!」

 

その二人の声にエレグは表情を緩め、幼い頃に戻ったかのような気安さで二人に歩み寄る。

肩の力が抜け、声の調子まで柔らかく弾んでいる。

 

「……ああ、初めまして。元気にしてたか?特別顧問のエレグだ。どうだ凄いだろ?一気にここまで拡大させたんだぜ?」

 

得意げに言うエレグにマオが目を輝かせ、少し興奮気味に答える。

 

「いや正直凄すぎるな!実際に見てビビったわ」

 

ドクも小さく頷きながら笑顔を浮かべた。

 

「そうそう!ほんとにTOPS入りいけるんじゃないの?」

 

エレグは軽く肩をすくめ、照れくさそうに笑う。

 

「へへ、サンキュー。でも正直まだ決め手に欠けるかな……それで、約束のものは持ってきてくれたか?」

 

「ああ、同じ施設に囚われていた者のよしみだ。ほらよ!子供ながらに代理立てずに申請するの骨が折れたんだぜ?」

 

マオは書類の束を取り出して、エレグに渡す。

 

「ありがとな。うむ、確かにいただいた。お互い無事にシャバに出てこれてよかったな」

 

「まったくだ。身動きが取れない状態で四六時中実験はまじで勘弁……」

 

「辛そ~!おまけに何もすることないしな……」

 

二人の会話に少し引き気味ながらもドクも書類を取り出しエレグに渡す。

 

「ちょ、ちょっと、その不謹慎な会話止めて……。掲示板の“施設あるある”みたいなのも正直笑えないから……!……はい、ボクの分ももどーぞ」

 

「悪い悪い」

 

エレグは二人の差し出した資料に目をやり、深く頷く。

 

「どちらも完璧に準備してくれているな……これで武器は揃った!まじでありがとう!さて、ヨシダさんも内容の確認をお願いします」

 

エレグは、和やかな雰囲気を邪魔しないように遠巻きに控えていたヨシダへ視線を向け、手招きするように近づくよう促した。

 

ヨシダはその視線を受け取りながらも、三人の間で飛び交っていた会話に軽く眉をひそめる。

 

何気ない会話の端々に社会的には口にすべきでない単語や、聞き流すには刺激が強すぎるフレーズが混ざっているように思えた。

 

しかし、今はあえて触れずにやり過ごすべき時だと直感する。

 

(……気にしてる様子もないし、あまり触れないほうが良さそうだな……)

 

「私も……いいのかい?」

 

「勿論ですよ、代表なんですから一緒にお願いします!」

 

「……分かった」

 

ヨシダは一瞬ためらったが、その必要性を理解し、静かに話の輪に入る。

 

そして机に広げられた書類を確認すると、そこに記されていたのはヨシダとエレグが率いる企業グループへ技術特許を譲渡する正式な契約内容だった。

 

まず初めはマオが独自に組み上げてきた製薬系特許の群。

 

それは既存研究のボトルネックを根本から破る構造式が連なり、理論値の向こう側に手が届いている。

臨床段階に差し込む光すら感じられる完成度であった。

 

――マオはサソリのシリオン。生まれつき背中にはサソリの尾がある。

 

その尾の先端で生み出される特殊な毒は既存の薬理学では分類すら困難な未踏領域の物質群だった。

 

彼女はそれを自ら抽出し、分析し、分解し、再構成した。

 

毒の分子構造が示す自然の設計図を読み解くことで、常識では辿りつけない薬の作用機序と反応式を手に入れたのだ。

 

そして、未だその毒は全貌が明らかになっていない。

 

続けてドクの技術資料。

 

金属疲労の限界値を再定義する加工理論。誤差を許さない寸法設計。

ミリ単位すら過剰と感じるほど細密に記された手順書。

 

だが、それらが可能であった理由もまた常識の外側にある。

 

――ドクはタコのシリオン。

背中から生えた四本の触手は指先以上の繊細さと小型アーム以上の精度を併せ持つ。

本人は無自覚のようだが、その動きは工業機械を凌駕していた。

 

触手一本で人間の熟練工が数日かける加工を一瞬でこなすことすらある。四本が同時に動けばその作業効率と精密さは桁違いだった。

 

ただの小型化ではなく、素材の限界値を見抜き、強度を保ったまま本来存在しえない構造へ削り出す。その結果生まれたパーツは、あらゆる既存部品のさらに“もう一段階先”の軽量化・小型化を達成していた。

 

軍需産業が喉から手を伸ばすほどの技術革新だった。

 

エレグ同様に体の個性を武器に変え、生かした努力。その研究結果がこの特許群に結実していた。

 

「これは……本当に凄いな……!」

 

ヨシダは書類をめくる手を思わず止め、胸の奥底から驚きが込み上げるのを抑えられなかった。

 

これほどの技術を年端もいかぬ子供たちが握っているという現実。それを手放す判断。そして差し出す相手が自分たちであるという事実。その重さに思わず息を呑んだ。

 

「……本当に大丈夫なのか、君たち」

 

ヨシダが二人に問いかけると、マオは迷いも恐れもなく微笑んだ。

 

「正直、子供がこんなものを抱えていても他企業から狙われる危険が増えるばかりで意味がないよな」

 

「そうそう、だったら信頼できるとこにぶん投げた方が得策だよね~」

 

二人は完全にエレグとその企業を信じている。それどころか、エレグの企業規模がもっと拡大することを自然に望んでいる様子だった。

 

その信頼の深さに、ヨシダは静かに息を呑むしかなかった。

 

エレグも感謝を噛みしめながら口を開く。

 

「ありがとな二人とも。二人の努力は絶対に無駄にはしない」

 

「おう。あ、そうだエレグ。薬の材料を少し手配してくれないか?最近どこも値上がりしててな……」

 

「ボクもお願い~。部品もパーツも値段上がってるしさ。まあ、エリー都があんなことになったし仕方ないんだろうけど」

 

エレグは二人の要望に頷き、表情を引き締めた。

 

「もちろんいい。ていうかさ、前に話しただろ。こっちで一緒に働いてくれれば資材だって好きなだけ使っていい」

 

「お前みたいに裏顧問扱いでか?べつに構わんけど」

 

「それと……だ。先に、今の状況を話しておく必要がある」

 

「ん?なになにどしたの?」

 

マオとドクが自然と姿勢を正す。エレグはゆっくり、しかし確実に言葉を落とした。

 

「旧エリー都が災害で消えて、新エリー都に人が押し寄せてるのは知ってるよな。街はまだ再建途中で、物資も人手も何もかも足りてない」

 

「……まあな。仮設の避難所見たけど、あれは酷かった」

 

二人の表情がわずかに曇る。

 

エレグの声がさらに低く沈む。

 

「で、本題。あいつららしいというか、いつもの悪癖というか……混乱に乗じてTOPS傘下の大企業どもが何十年も積み上げた特許と利権を使って、薬や物資の価格を釣り上げてる。結果として、困窮する市民から資金を吸い上げる構図が生まれている」

 

「は?」

 

「あ?」

 

「――っ!?」

 

二人の瞳に一瞬で怒りの色が浮かんだ。

子どもとは思えない鋭さと圧力に、ヨシダは思わず身を固くする。

部屋の温度が肌でわかるほど下がった。

 

だが、エレグは渡された書類に目を落とし、感謝と確信が混ざった笑みを浮かべる。

 

「でも……お前らの特許があればその包囲網を正面からぶっ壊せる。薬も機材も、もっと安く、もっと早く大勢に届けられる。……マジで、助かった」

 

その瞬間――、

 

「しゃあ!やったれオラー!そんなクソ企業ぶっ潰せ!!」

 

「ほんと胸クソ悪すぎ!利権で人苦しめるとか最低じゃん!焼き払っていいレベル!!」

 

エレグも負けじと拳を上げて応える。

 

「オーケー!最高だぜお前ら!俺に任せとけ!」

 

三人はまるで戦場に突撃する直前の兵士のように勢いづき、応接室は一気に熱気に満ちた。

 

……その中で、ヨシダだけはそっと一歩引いていた。

 

「……えぇ……」

 

あまりにも勢いが強すぎる。

 

子供三人が“合法的に大企業をぶち抜く算段”を立てて盛り上がっている光景に大人としてどう反応すればいいのか一瞬分からなくなる。

 

しかし、その熱狂の奥に本当に都市を救おうとしている真っすぐな意志が確かにある。

 

ヨシダはそのことを理解し、ただ静かに頷いた。

 

 

ーーーーーーー

 

 

そして、その日からエレグの企業グループのある二つの会社ではそれぞれ”特別技術顧問”が付いた。

 

勿論マオとドクである。二人の年齢を考えれば、本来なら表舞台に立つことなど到底不可能だった。

 

しかし、エレグの企業は複数の事業会社を束ねる経営統合体であり、内部には外部に公開されない“特別顧問枠”がいくつも存在する。

 

その仕組みを利用し、マオとドクは一部の人間しか知らない技術顧問として極秘裏に迎え入れられた。

 

それぞれの専門分野に応じて、彼らは自分の能力を最も発揮できる領域へ迅速に配属されていった。

 

「……うん、よし。どの製法にも被ってないし、値段も品質も同じ。これで文句ないだろう」

 

まず動き始めたのはマオの技術だった。

 

彼女の特許は巨大製薬企業が何十年もかけて築き上げた特許網の隙間を正確に突き、既存の利権構造を根本から揺るがす可能性を秘めていた。

 

実際に既存特許を迂回しつつ、製薬を実行するに至ったため、遥かに格安で高品質の薬を売ることが可能となった。

 

関係部署の研究員たちは彼女が残した数式と論文を解析し、技術として実用化するため奔走した。

 

結果はすぐに現れた。従来技術では回避できなかった制約を突破し、複数の新薬候補が短期間で開発ラインへ乗った。

 

特許の壁に阻まれていた市場領域へ一気に踏み込み、事業規模はみるみる膨らんでいく。グループ全体の売上構造まで再編し得る勢いで成長し、エレグの狙い通り、製薬部門は主力事業へと変貌を遂げつつあった。

 

 

 

一方でドクのほうは、技術そのものは革新的でありながら、必要とする設備が多岐にわたり、構築にも時間を要した。

 

微細加工装置、専用素材、異常環境下での動作を確かめるための多層試験区画――いずれも既存の工場では賄えず、専用ラインの設計から着手する必要があった。

 

技術部署は既に動き始めていたが、完成までにはかなりの準備期間がどうしても必要となる。

 

「う~ん、暫く調整が必要かな?急いだら歪むし、歪んだら全部ダメになるし。ゆっくりやるのが一番早いよ」

 

ドク自身もその状況を理解しており、拙速に成果を求めるより、土台を固めることを優先していた。

 

「いや問題ない。まずは一つの主力から成長させるとするさ」

 

エレグもまたその判断を尊重し、その分野の事業は“準備完了まで待機”という扱いになった。

 

だがその待機が、将来的な大規模な展開の前触れであることを関係者たちは誰も疑っていなかった。

 

しばらくは、すべてが滑らかに進んでいた。

 

マオの技術を核とした製薬事業は加速度的に成長し、業界の至るところでエレグの企業名が囁かれ始めた。だが、その順調さが頂点へと差し掛かった瞬間、雲の裏に潜んでいた影がそっと形を現した。

 

ある日、ヨシダの端末が急に鳴り響く。

製薬事業で顕著な成果を出していた会社の社長からだ。

 

『ヨシダ代表ですか!?大変です!』

 

「なに!?一体どうしたんだね……!?」

 

『それが……――』

 

続いた言葉に、ヨシダの呼吸が止まった。

 

「……なんだと……!?」

 

エレグたちが長年閉ざされてきた領域に踏み込んだ。そのただ一点。それだけで状況は完全に裏返った。

 

――長らく莫大な利益を吸い上げ続けてきた巨大企業がついに動き出したのだ。

 

彼らにとってこれは、看過できない“異常事態”だった。

特許で固め上げた巨大な壁。

 

その狭間を、無傷のまま新興企業が通り抜けた。驚愕を通り越し、それは明確な危機だった。

 

彼らは悟った。

これは単なる技術革新ではない。

 

――”我々の企業秩序”そのものの崩壊の始まりだ!と。

 

だが表向きには一切動じない。

笑みを保ち、友好を語り、協力を持ち出し、市場の未来を穏やかに語ってみせた。

 

しかし裏側ではまったく別の流れが静かに、だが確実に動き始めていた。

 

まず、見えない圧力が水脈に混じる毒のように広がった。

エレグは端末を前に眉をひそめる。

 

「……え?いきなり取引を解除?全部ですか?」

 

取引予定だった企業が理由を告げずに手を引き、研究材料の供給は遅延。審査書類は不自然なほど戻ってこない。

 

「折り返しても出ないな……」

 

競合企業からの問い合わせは唐突に途絶え、協業の話は白紙に戻される。

 

「いやいや!?今は絶対そんなことやってる場合じゃないでしょお!?」

 

次に、業界団体による“慎重な検討”という名の足止めが降りかかった。

市場規模の再評価、技術体系の精査、倫理審査の再確認――名目は整然としていながら、実態は妨害そのもの。

 

「クッソ、出るたびに消してるが次から次へとキリがねえ――!」

 

さらに、匿名の内部告発めいた文書がばら撒かれ、エレグのグループ周辺には薄暗い噂が漂い始めた。市場は静かに冷え、投資家は距離を取り、内部でさえ不安を微かに抱き始める。

 

すべての圧力が音もなく、しかし確実に積み重なっていった。

 

まだ誰も口にはしない。

だが、エレグも、ヨシダも、マオも、ドクも理解していた。

 

――これは、ただの牽制では終わらない。

 

巨大企業。その影は自分たちを確実に睨みつけている。

その冷たい視線がグループ全体に息苦しい緊張を染み込ませていく。

 

取引網は歪められ、流通は詰まり、審査は止まり、協力企業は沈黙した。

まるで見えない掌が経済の血管をひとつひとつ締め上げているようだった。

 

「あーはいはい、TOPS傘下さんですか、そうですか……――クッソ、セキュリティかてぇなオイッ!」

 

最大の問題は相手があまりにも巨大すぎることだった。

資金、影響力、人脈、情報網――そのどれもが規格外。

 

正攻法ではもちろん、裏の手段を使っても切り崩す隙がない。

情報の壁は厚く、データは何層もの暗号化に閉ざされている。

 

エレグの端末には連日、膨大な情報が流れ込む。

だがそのどれもが、突破口を示すものではなかった。

通信経路は無数にあるのに、敵の影に触れた瞬間、必ず道が途切れる。

 

――初めてだった。

 

経済の場でこれほどの“圧倒的な力の差”を骨の髄まで理解したのは。

 

打開のため、エレグ、ヨシダ、マオ、ドクの四人は再び会議室に集まった。

 

だが、どれだけ案をひねり出しても、すべて“実行前”に封じられた。

戦略は潰され、道は閉ざされ、最後に残ったのは沈黙だけ。

 

外の世界はホロウ災害で混乱真っただ中。

医薬品への需要は跳ね上がり、その需要を逆手に特許利権を最大限に吸い上げている巨大企業。

 

金は海のように彼らへ流れ続ける。

黙っていても利益が増える世界。

 

――その安定領域に踏み込んだのだ。反発は当然だった。

 

だが、その反撃はあまりに巨大だった。

 

今や相手はメディアへさえ手を伸ばそうとしている。

匿名の告発、偏った論評、疑惑の煽り。

 

“危険な企業”として印象操作されれば、世論は敵に回る。

そうなってしまえば終わりだ。

 

「彼らはこちらの薬に対してだけ異様なほど過敏だ……。製法が異なるだけで、成分も価格も変わらないというのに。正当な形で製造し、利益を得るという選択肢は無いのだろうか……」

 

「こっちの妨害にどんだけ資金投じてんの!?労力をかける場所、絶対そこじゃないでしょ……!」

 

「お前らが代わりに同じ値段で薬を作ってくれるんなら文句はないんだよ!いや、妨害してる時点でアウトだわ!」

 

冷えた会議室の空気の中に形のない圧力の重さだけが沈殿していく。

打つ手が尽きたという現実が四人の胸の底へゆっくり沈み込んでいった。

 

「あの時と同じだな……」

 

ヨシダは沈痛な面持ちで資料の束を睨みつける。

かつて経験した孤立感が嫌な形で蘇る。

 

そこへ、エレグが席を立ち上がった。

 

「……すみません、席を外します」

 

押し殺した息のような声だった。

エレグは椅子から降りる動作さえ重たく、床に影が落ちるのがいつもよりずっと薄く見えた。

 

「!……エレグ、あんまり気を落とさないでくれ」

 

ヨシダがそっと声を掛けると少年は振り返ることなく、しかし礼儀だけは崩さず、か細い声で「ありがとうございます」と答えた。

 

その背は普段の年齢不相応な存在感を完全に失い、ただの幼い子どものように見える。

扉が静かに閉まるまでヨシダはその小さな肩がわずかに震えていることに気づいてしまった。

 

エレグが受けた衝撃は大きい。

影響を受けているのはグループ企業の中でも製薬部門だけ。

 

実を言うとグループ化はエレグの手配で世間からは秘密裏に行われており、外から見ればただの会社間の連携にしか見えない。

 

主力事業に育てる計画は潰えるが総合的な損害は深刻ではないはずだ。

 

だが、問題はそこではなかった。

 

“力のある企業の圧力で、罪なき会社が潰されるかもしれない。”

 

それが、あの子の胸に突き刺さっているのだ。

 

ヨシダは机の上で静かに拳を握る。

かつて彼自身も味わった、強者の気まぐれひとつで消えていく理不尽さ。

 

「……エレグ。戻ってきたら、ちゃんと支えるからな」

 

誰に聞かせるでもなく、ヨシダは小さくそう呟いた。

 

「「………」」

 

けれど、エレグが出ていった後に残されたマオとドクの二人はどこか含みのある、悪戯の直前の子どものような笑みを浮かべていた。

 

ヨシダはその表情に気づくことなく、資料の山へ視線を戻してしまった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

――バタン。

 

「………」

 

エレグは自室に戻ると、扉が閉まる音を背に、重力に引かれるように机の椅子へ腰を落とした。

 

再びセキュリティの突破を試みる。

数度のアクセス、複数の迂回ルート、深層ネットを潜るための裏経路――、

 

だが、結果はすべて同じ。

 

「チッ、やっぱ駄目か……」

 

無残にも弾かれる。

画面に弾かれたログが淡々と積み上がるたび、胸の奥にわだかまる悔しさがじりじりと広がる。

 

この大企業には確実に“汚れた裏側”がある。

 

従業員への不当な扱い、内部留保の不正な操作、外部に漏れかかった噂が妙に潰されてきたこと。

エレグは経験的に悟っていた。

 

しかも妙に妨害が手慣れていたことから恐らくこの手のことは慣れっこなのだろう。

 

――この企業には、必ず世間に見せられないものがある。

 

だが、自分の力だけではその扉をこじ開けられない。

何層もの防壁はまるで少年ひとりの腕力ではびくともしない巨大な鉄扉のようだった。

 

「はぁ……」

 

溜息を吐き、机に落ちる影を震わせ項垂れる。薄闇の中で静まる彼のその眼は、

 

 

 

 

――死んではいなかった。

 

「ククッ……!」

 

むしろ、静かに、鋭く、爛々と光り始めていた。

 

相手が裏から妨害してくるのなら、自分も裏へ潜ればいい。

正面突破は限界だ。

巨大企業はすでに世論工作の準備まで済ませ、表の土俵では逆転は不可能。

 

(ならば――!)

 

反則には反則を!

影で殴られたのなら、影で殴り返す!

こちらのイメージを潰される前に、先にこっちが“潰してやる”!

 

「ふふ、馬鹿め……!データが取れないなら、最初から現場に“プロ”を送り込み、根こそぎ頂けばいいだけだろう!先に仕掛けてきたのはそちらだ!こちらも遠慮はしない!」

 

その結論に至った瞬間、胸の中の霧が晴れた。

 

エレグは息を大きく吸い込み――、

 

そして部屋いっぱいに響く声で叫んだ。

 

「何とかしてよ!クロエもーん!!」

 

幼さ全開の助けを求める叫びは、しかし裏社会を駆け巡り、世間を震撼させる”伝説の怪盗”を呼び寄せる合図でもあった。

 

 

 

 






「!――フフフ。ねぇお兄様方……ひとつ、大きな“ヤマ”に乗り出してみませんか?傲り高ぶる横暴な富裕層から奪い、その利を貧しい人々へ届ける……。そんな、誇るべき任務ですよ」


多分次の次くらいに本編に戻ります。
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