転生者達の新エリー都、二足のわらじ生活 作:フライパンソルジャー
そして!今回もまた、素敵な作品を頂きました。心象映画風のファンアートですって奥様!しかもメンバー全員!buzz_by様、本当にありがとうございました!
素晴らしい出来ですね……!圧巻の一言です!
え、いつの間にヒールメンバーが実装されたんですか?(幻覚)
―転生者メンバーの心象映画風AI画像―(上からダイナ、エレグ、マオ、クロエ、ドク)
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今回から第五章に入ります。
CEO「俺、この件が片付いたら皆の誤解を解くって決めてんだ……!」
グッバイ黒幕計画始動
讃頌会とは何だろうか。
そう頭の中で問うたび、俺は説明より先にため息をつく。奴らは”無力なヒトの身を捨て、ホロウに適応した生命へと生まれ変わる”という中々前衛的な思想を教義とし、“始まりの主”と呼ばれる正体不明の存在をまるで神のように、狂気的に崇めている。奴らについての記録を遡れば、エリー都時代の文書にすでにその名は現れている。つまり、歴史だけは無駄に長い組織だ。
簡単に言えば最悪のカルト集団だ。一般人もそう認識しているし、その認識で概ね正しい。讃頌会は、自分たちが掲げる“高尚な計画”の名の下であれば非道な人体実験も、無差別に近い残酷なテロ行為も何の躊躇もなく実行できる。
讃頌会が嫌われている理由を今さら並べる気はない。評判の悪さなら周知の事実であり、議論の余地すらない。
俺が考えたいのは別のことだ。何故あれほど忌み嫌われながら、奴らは力を持ち続けているのかである。過去も現在も讃頌会は企業、裏社会、治安局、さらには政治の領域にまで触手を伸ばしている。誰が信者で、誰がそうでないのか判別できない。社会的脅威として分類されているのは、当然と言えるだろう。
信仰か?恐怖か?それとも、始まりの主という幻想そのものが人の弱さを正確に突いているからなのか。
……答えはまだ出ていない。
ただ一つ言えるのは、奴らは人間を実によく観察し、そして使い慣れているということだ。
新エリー都で権力を握るTOPSをはじめとした一部の巨大企業との関係はその最たる例だ。企業というものは理念や正義よりも利益を優先する。自分たちが得をするのであれば利益を寄こしてくれる相手が何者かなど大して気にしない。
こういった組織は決して少なくはない。その性質を讃頌会は正確に理解している。
そしてそれは一方的な利用関係ではない。讃頌会も同じく。最終的に自分たちの目的が満たされるのであれば”相手が誰であろうと”手を組む。そこには多少の不信感や危険性があっても構わないという冷淡さと、どうせこちらが主導権を握れるという妙な余裕がある。
相手の欲望を見抜き、それを餌にして動かす。そのやり口は信仰集団というより老獪な商人か、あるいは政治屋に近い。理想や狂信を前面に掲げながらも、内側では徹底的に現実的だ。
始まりの主という存在が彼らに絶対的な自信を与えているのか。それとも長い歴史の中で、人の望みと弱さを知り尽くした結果なのか。理由は定かではない。ただ確かなのは讃頌会が”利益になる限り協力を拒まない”という習性を持つ集団だということだ。
ここまで考えてきたが、結論は意外なほど単純だった。
讃頌会の組織形態は一見すると盤石に見えるが、その実、人の欲望に強く依存している。ならば逆に言えばそこには必ず綻びが生まれる。欲がある限り判断は歪み、隙は生じる。うまく誘導できれば十分につけ入る余地はある。
すでに、それとなく奴らの嗅覚に引っかかるような策は打っている。露骨すぎず、しかし無視もできない程度の情報と状況を意図的に滲ませた。讃頌会は獲物を見つけると、必ず自分たちのほうから踏み込んでくる。その性質を考えれば接触は時間の問題だろう。
後は準備を整えて待つだけだ。こちらが握っている真の切り札は伏せたまま、仮初の弱みだけを差し出す。致命的ではないが奴らから見れば十分に価値があり、利用しがいがあると思わせる程度のもの。重要なのは相手に”これは使える!”と確信させることだ。
互いに手綱を握り合っているように見せ、目指す方向も部分的には重なっていると錯覚させる。関係は対等で、表向きの損得は均衡しており、どちらかが一方的に縛られているわけではない。そう信じ込ませなければならない。
単に利害が一致したから手を組んでいるだけだという偽りの認識こそが讃頌会の警戒心を最も鈍らせるはずだ。
「お、噂をすれば。……まずは連中が動きやすい舞台を整えてやろう。俺たちが都合のいい利益を差し出せば信用も自然と手に入るはずだ」
ーーーーーーーー
郊外、ブレイズウッド――。
乾いた日差しが容赦なく降り注ぎ、外気がふくらはぎのあたりを撫でるように流れていく。風は熱を帯びているが、不快というほどではない。建物の外壁は日焼けした木材や鉄板を継ぎ合わせたものが多く、歪んだ釘跡や溶接痕がそのまま残っていた。応急処置のような補修があちこちに見えるが不思議と荒れた印象はない。それらは傷というより、この町が積み重ねてきた時間そのもののように見えた。
「……何だい、ずっと寝たきりだったわりには元気そうじゃないかい。あそこまで渋らなくてもよかったろうに、おかげで随分と時間を喰っちまったよ」
カーサはブレイズウッドの中央通りへ向かって歩き出し、隣を歩くパールマンの様子をちらりと確認すると、淡々と要点を外さない口調でこれまでの経緯を語り始めた。その足取りは落ち着いており、町の空気に完全に溶け込んでいる。
「ふんっ、目を覚ましたと思ったら状況も説明せずに突然連れ出そうとするからだ……!そもそもどこに向かっておるのだ。……く、何故私がこんな安物の服を……!」
「はぁ……やれやれ、図々しいことこの上ない。中々似合ってると思うけどね……」
パールマンは説明を聞き流しながら、身に着けている借り物の衣服に意識を向けていた。粗い布地は肌に馴染まず、動くたびにごわつく。ズボンの丈はわずかに長く、歩くたび裾が地面を擦って土埃を巻き上げた。
彼はカーサの半歩後ろを歩きながら町全体を慎重に観察していた。
荒廃はない。だが、都市に見られるような整然さもない。
砂と化石燃料特有の乾いた匂いが空気に混じっていた。
ここが都市の延長ではないことは明白だった。
――郊外だ。
間違いなく。
治安局の管轄外。
大企業の資本も、都市インフラも本格的には入り込まない独立圏。
化石燃料の採掘を基盤に必要最低限の生活機能だけを自前で維持している場所。
その定義は彼が知識として知っているもの。だからこの風景そのものに理屈としての違和感は特にない。
問題は別のところにあった。
通りの向こう側。
露店の並ぶ一角に、数人のスーツ姿の人間が立っている。
その隣には明らかに都市企業の作業服を着た者たち。
一瞬、足が止まった。
都市の人間だ。
しかも、単なる流れ者や密売人ではない。仕立てのいいスーツ、無駄のない所作、手元で操作される端末。効率と規律を身にまとった企業に属する人間特有の雰囲気がはっきりと伝わってくる。
だが、彼らは高圧的ではなかった。
郊外の住民を見下ろすこともなく、命令口調でもない。取引を急かす様子も見せない。
設備の説明をし、製品の利点を丁寧に語り、条件を提示する。
その光景はまるで都市で日常的に行われている正規の商談そのものだった。
そして何より、それが郊外の人間たちに受け入れられているということだ。
腕を組んで真剣に話を聞き、頷き、条件を吟味している。そこに拒絶も、敵意も、排他的な視線もない。
(……ありえない。何だこれは)
胸の奥で、強烈な違和感が弾けた。
郊外は企業を嫌う。
都市資本は搾取の象徴であり、介入は侵略だ。排他的で連中の特殊な文化や伝統とやらを誇りとしてきたはずの土地だ。
パールマンの思考が静かに軋み始める。
これは施しではない。かといって支配でもない。
少なくともそうは見えない。
対等だ。
あまりにも自然に互いの利を認め合っている。
(……誰が、こんな状況を作ったのだ……?)
都市企業が郊外に頭を下げる理由はない。
郊外が企業を迎え入れる理由もない。
その“ありえなさ”が喉の奥に重く沈み込んでいく。
意識不明から目覚めたばかりの身体の不調よりも、この光景の方がはるかに彼の認識を揺さぶっていた。
郊外は変わっていない。
定義も、構造も、立場も。
変わっているのはその関係性だ。
それに再度よく周囲を見ると、建物の一部が新しかったり、遠くには電線やサイレン塔が建てられている。
(郊外とは、もっと荒れ果てた場所のはず――?)
疑念が胸に浮かび、気づけば足取りがわずかに遅くなっていた。
「……やはり気になるかい?なに、変わったのはつい最近さ。知らないのも無理はない――」
その変化に気づいたのだろう。カーサは小さく息をつき、歩調を合わせながら事情を説明する。
郊外全域を巻き込むほどの大事件が起き、郊外全体の治安は一時危険なところまで傾きかけたという。混乱が最悪の形で噴き出す寸前、その流れを断ち切るように、新たな覇者陣営となったカリュドーンの子(後で知ったことだが自分を拾い上げた小娘たちがそうらしい……)が動いた。そして同時に“ある企業グループ”もまた、一斉に手を打ったのだ。
仕事の斡旋、物資の提供、治安維持への協力。あらゆる方面から支援が入り、郊外の生活はかつてないほどの安定へと向かっていったらしい。
「ある企業グループだと……?」
パールマンの胸に別種の警戒が芽生える。
企業の介入は郊外に形成された独自の経済圏や、それを牛耳る支配層の存在を理由にこれまで困難だとされてきた。仮に強引に踏み込んだとしても、それは都市企業同士の思惑や利権争いを呼び込むだけで、争いの火種にしかならないはずだった。
いったい何がこの不可能を可能にしたのか。そう思考を巡らせたその瞬間、空気を震わせる声が通りに響き渡り、パールマンの考えを強引に断ち切った。
「おや……!お久しぶりですカーサ町長!」
「!?」
聞き覚えのある――否、忘れようとしても決して忘れられない声だった。
澄んでいながら、どこか金属的な響きを帯びたその声音はパールマンの耳の奥深くに刻み込まれている。
「こ、この声は!?ま、まさか……!」
パールマンの背筋が反射的に強張る。
その声は確かに彼が知っている人物のものだった。
銀色の声が、通りのざわめきを裂くように落ちてくる。
振り向いた先に立っていたのは二人の人物。
そのうちの一人――。
背筋はまっすぐに伸び、歩みに一切の淀みがない。磨き上げられた革靴が陽光を受け、乾いた地面に静かな光を落としている。
淡く輝く銀髪はきちんと整えられ、若さに似つかわしくない落ち着きと都市特有の人工的な気品をまとっていた。
ただそこに立っているだけで周囲の景色がわずかに“都市寄り”へと歪む。
そんな錯覚を覚えさせる存在感だった。
カーサは一瞬目を瞬かせ、次いで驚きを隠しきれない様子で声を上げる。
「CEO様じゃないか……!まさか、わざわざこんな辺鄙な町まで足を運んできてくださったというのかい?そんなことをしなくてもこちらから届けに行ったのに」
すると青年は、即座に首を振った。
「いいえ!それではまるで顎で使う様で流石に申し訳が立ちません!それと、私に対して様付けは不要ですし、私はこの町、ブレイズウッドを素晴らしい場所であると認識しております!」
丁寧で、誠実。
言葉の端々からは社交辞令だけではない真意が滲んでいた。
――だが。
「………おや、パールマン元CEO。ご機嫌よう。お元気そうで何よりです」
パールマンを視界に収めた途端明らかにテンションが急降下するエレグ。
丁寧な響きがあるのに、凍てついた刃のような冷たさが宿っていた。
パールマンの胸の奥でうずく痛みが、忘れるはずもなかった感情を喚起する。
(……“ある企業”と聞いた時点で嫌な予感はしていた!だが、よりによってお前か……!)
目の前に現れたのは都市のTOPS企業『マックス・コーポレーション』の現CEO。
パールマンがCEOを務めていた『ヴィジョン・コーポレーション』が、かつて全力で進め、莫大な予算と人員を投じてまで実現させようとした公共事業。その根幹を破壊し、財政ユニオン入りを果たすための計画を瓦解させた張本人。
ヴィジョンの目的も地位も野心も、ひとつ残らず踏み潰した人物。
逆恨みだと頭のどこかでは理解している。だが、心がそれを否定する。
胸の底に黒い熱が未だ燻っている。
「エレグゥッ……!」
思わず歯の間から名前が零れた。
「ふ~む?どうかされたので?」
しかしエレグの視線はそんな男をただそこにいる物体のように冷ややかに撫でるだけだった。
感情を向ける価値すらない、と言わんばかりだ。
そして、エレグの隣に立つ少女へと柔らかに視線を向けた。
金色の髪を片側で束ねたサイドテールが揺れ、少女の瞳にはまっすぐな光が宿る。
まだ幼さの残る顔立ちながら、その立ち姿には何かしらの誇りと強さがあった。
――ルシアーナ・オクシスィース・テオドロ・デ・モンテフィーノ。通称ルーシー。
カリュドーンの子であり、組織の財務を一手に担う少女。
どうやらこの場にエレグを案内した張本人でもあるらしい。
エレグは彼女に深々と頭を下げると、丁寧に礼を述べた。
「ここまで案内してくれて感謝します、ルーシーさん。……本当に、カリュドーンの子にはお世話になってばかりですね」
その声は先ほどパールマンに向けられていた氷のような冷えをすっかり脱ぎ捨て、丁寧に磨かれた柔らかさを帯びていた。
語尾は穏やかで言葉選びも誠実そのものだ。
パールマンが立っている位置に吹き抜ける風ですら、エレグの関心の外にある。
その無視は罵倒よりもよほど残酷だった。
パールマンの胸の奥で、静かな怒りがじりじりと燃え上がった。
倒れ、命からがら郊外に流れ着いた自分とは対照的にあまりに涼しい顔をした男がそこにいる。
エレグ・マックスはまるで舞台の中心を歩く俳優のように、周りにいる町の住民の視線をものともせず立っていた。
ルーシーはエレグの礼に対し、ほんの一瞬だけ視線を揺らした。だがその揺れは感情の波ではなく、小さく抑え込まれたもので、次の瞬間には淡々とした仮面が再び整えられていた。
「……別にお礼など結構でしてよ。エレグCEO」
抑揚の欠けた声が郊外の陽光を浴びながら静かに落ちた。
その声音は丁寧ながらも、どこか遠い。
「あなた方の企業が前もって用意していたかのような郊外支援計画で、混乱はあっという間に収まりましたわ。……むしろ、お礼を申し上げるべきはこちらの方ですわ」
エレグの横を吹き抜けた風が、少女のサイドテールを揺らした。
ルーシーは眉ひとつ動かさず、ただ事実だけを淡々と述べる。
「……おお……!」
しかしエレグはそれに対して、まるで想定通りと言わんばかりに笑みを深めた。
その表情にはわずかな余裕と得体の知れない確信めいたものが漂っている。
「何と謙虚な……!ですが誤解のないようにお願いいたします。これも郊外の情報網を担う『走り屋連盟』の新たな長、あなた方カリュドーンの子が、我々を受け入れるよう郊外全域に取り計らってくれたおかげですよ!」
称賛の形を取りながら、協力関係を既成事実として組み上げていく。
まるで郊外と企業の未来すら既に掌の上に描いているかのようだった。
「つまりこれは、我々とカリュドーンの子の両陣営が手を取り合ったからこそ成し得た結果です……!」
その言葉は通りのざわめきに紛れず、はっきりと響いた。
郊外の中心にふさわしくないほど、洗練された響きで。
ルーシーはその宣言にも表情を揺らさなかった。
まぶた一つ震わせず、ただ静かに唇を開く。
「……ええ、ありがとうございますわ」
深い感情を排したその響きは礼ではなく儀礼。
必要最低限の、形式だけの言葉だった。
エレグはふと表情を和らげ、しかしその奥に計算を隠しながら、流れるような動作でルーシーの方へと身体を向けた。
「……ところでルーシーさん。数日前に私が提案した、郊外における我々の発電施設の増設の件ですが――」
「………」
その一言で、ルーシーの長いまつげがわずかに震えた。
わずかな変化だったが、彼女にとっては大きな“揺らぎ”だった。
表情はほとんど動かない。しかし、ほんの一瞬だけ眉間に影が寄る。
エレグはその反応を見逃さず、しかし追及するでもなく、さらりと続ける。
「急用ができましてね。暫く郊外から外れる必要が生じました。ですので、増設案は一旦保留にさせていただきたい」
淡々と告げたその声には、撤回でも中止でもないと暗に示す硬さがあった。
「郊外と我々の動きの管理については、ここに来る前に話した“彼ら”に任せてありますので。しばらくは、彼らとカリュドーンの子にお任せしても問題ないはずです」
“彼ら”と呼ばれた存在にルーシーは反応を見せなかった。
それが誰を指すのか、すでに理解している者の沈黙だった。
そして、特に感情を乗せることなく、静かにうなずいた。
「……了承いたしましたわ」
その声は無機質ですらあったが、決して反抗ではなく、受諾の一音だった。
エレグは満足げに微笑を返し、短く感謝の言葉を添える。
そしてついに、彼はパールマンの方へと身体を向き直した。
「さて――行きましょうか、パールマンさん」
予想もしていなかった言葉にパールマンの背筋が緊張で固まった。
喉が細く鳴り、恐る恐る問いを返す。
「……どこへ行くというんだ?」
エレグは薄く笑った。それは慈悲でも、好意でもない。
すでに始まっている筋書きを“思い出させる”ための笑みだった。
「あなたに用があるのは私だけではありませんよ。……あの日の関係者たちが待っていますので、早く来てください」
“あの日”――その言葉には、パールマンの脳裏に忌まわしい顔ぶれが浮かぶ。
背筋に冷たい汗が一筋流れる。
エレグは抵抗を許さぬ自然さでパールマンの肩に手を置き、そのまま歩き出す。
ついてこい、と言うまでもない。
「それではお二人とも、またお会いしましょう……!」
歩き出す直前、エレグは振り向いてルーシーとカーサに短い別れを告げた。
ルーシーは何かを迷っているように難しい顔をしながら軽く頭を下げ、カーサはその様子を見て、困惑に満ちた表情でエレグを見送った。
そしてパールマンは重い足を引きずるようにしてエレグに連れられ、通りの奥へと歩みを進めた。
町の外れ、乾いた風が吹き抜ける人気の少ない広場。
パールマンは説明も告げられぬまま、エレグに伴われて歩かされていた。
足元の土は陽に焼けて白く、踏むたびに細かな砂埃が舞い上がる。
どこへ向かわされているのか、何を待たされているのか……その不安だけが胸の奥で鈍く鳴っていた。
やがて、開けた場所の中央に数人の影が固まっているのが見えた。
四つの影。それぞれがバラバラの風貌を持ちながら、なぜか同じ色の空気をまとっている。
エレグはその四人の前でふと足を止め、軽く手を上げた。
「お待たせしました!邪兎屋の皆さん、パールマンを連れてきましたよ」
その呼びかけに四人は一斉にこちらを向いた。
そして目に飛び込んできたエレグの姿に全員が息を呑む。
「にゃっ……!?」
「……おおっ!?エレグCEOじゃねぇか!姉御たちに聞いてたけどマジだったとは……!郊外を支援してくれてるんだってな!ありがとよ!」
最も手前にいたのは赤いジャケットの知能機械人。
ビリーは驚きのあまり肩を跳ね上げながらエレグを凝視し、狼狽しつつも精一杯の礼を取った。
その隣では白い前髪の隙間から無表情な瞳を覗かせる少女、アンビーが小さく肩をすくめていた。
「ええ、驚いた。まさかまた会う機会があるとはね……」
感情の起伏が乏しいはずの彼女ですら、ほんのわずかに驚きが声に滲んでいる。
そして二人の後ろから、一際強気な声が響いた。
「ここで会えるなんてね!いや、でもまあ……やっぱり私って“ついてる”わよね!」
腰に手を当て、ふふんと高飛車に笑っているのは、邪兎屋の社長ニコ。
驚きと動揺を強引にねじ伏せ、“エレグに会えた私ってすごい”と言わんばかりの自尊心に満ちた笑顔を浮かべていた。
「はは……前回は大変お世話になったのにもかかわらず直接礼を言う時間を取れずに申し訳ない。ですが、こうして再び会うことができて光栄です」
「あら!ご丁寧にどうも!だけど、申し訳なく思ってるのならそうねぇ……!今後とも是非邪兎屋を御贔屓に……ってちょっと猫又?」
ここぞとばかりに自分たちの宣伝を敢行しようとするニコ。
だが、彼女の後ろにはもう一人の少女が半ば隠れるように立っていた。
瞳がこちらを見ては逸らし、ニコの肩から猫耳がちらりと覗く。
「ほら、直接話したのはあんたしかいないんだから!しっかり挨拶しなさい!これはまたとないビジネスチャンスなのよ!」
「ちょ、押さないで!しかもそれって大声で言っていいものなのか!?」
ニコが背中を押すように促すと、少女は肩をビクリと震わせた。
そして、おずおずと前に出てくる。
元赤牙組所属の猫又――、猫宮又奈。
柔らかな尻尾が風に揺れ、頬がほんのり赤みを帯びていた。
「ひ、久しぶりだぞ……」
声は上ずり、普段の勝気さがどこにもない。
その戸惑いはまるで憧れの相手を前にした子どものようだった。
エレグはその様子を優しく受け止めるように目を細めた。
「お久しぶりです、猫宮又奈さん。どうやらニコさんたちと仲良くやれているようで安心しました。お元気そうで何よりです」
その声音は都市で見せる冷徹さとはまるで別人のように柔らかく、まるで可愛い幼子を見守る大人のような眼差しだった。
「え、えへへ」
猫又はその視線に耐えられず、さらに頬を赤らめ、目を逸らしてしまう。
邪兎屋の面々とエレグ、場の空気は奇妙に温かい。
だが、それをやや遠目で見ていたパールマンの背中だけが冷たかった。
(やはり
パールマンはただ立ち尽くすしかなかった。
この再会が、そしてこれからの会話が自分にとって何を意味するのかを知らないまま。
乾いた風が吹き抜け、砂がわずかに舞った。
軽い世間話を終えた邪兎屋の四人とエレグの視線が一斉にパールマンへ向けられていた。
(ひ……!?)
その圧に耐えきれず、パールマンは喉を鳴らし、落ち着かない指先で汗を拭った。
エレグが低い声で告げる。
「……では、目を覚ましたあなた自身の口から全てを話していただけますか?あなたの後ろには一体何がいるのかを……ね?」
逃げ道はない。そう悟った瞬間、パールマンの膝がわずかに震えた。
保身のために嘘を混ぜる余裕すらない。ただ生き延びるために喉の奥から必死に言葉を絞り出す他なかった。
ーーーーーーーーー
「こ、こいつだ……!」
その後、パールマンの震える指先が傍らの古いボックステレビに向けられた。
画面には次期総監候補として華々しく報じられている男。
厳つい顔と整った治安官の格好をし、その選挙への期待を報道されているジャスティン・ブリンガーの姿。
パールマンの声が裏返る。
「ヴィ、ヴィジョン騒動の黒幕の一人……!サラの協力者で、後ろ盾となって裏で糸を引いていたのは……治安官のブリンガーなのだ!」
邪兎屋の面々が一斉に息を呑む。
ビリーの顔が引きつり、アンビーは珍しく眉を上げた。
ニコは目を丸くし、猫又は耳を震わせて固まった。
パールマンはその反応に縋るように、さらに必死に叫ぶ。
「わ、私はただ表舞台に立たされた操り人形に過ぎん!本当の悪人は奴らなのだ! 私じゃない、私は……私は違う!頼む、信じてくれぇぇ……!!」
声は哀れなほど掠れ、涙のにじむ目でエレグを見上げた。
自分を哀れなものとこれでもかと表し同情を誘うその姿。
「……パールマン元CEO、あなたは……何か勘違いをしているようだ」
だが、エレグの瞳に浮かぶ感情は冷静そのものだった。
「っ!?」
顎に手を添え、少し考えるように慄くパールマンを見据えながら確かな重みをもって口を開く。
「確かにあなたは黒幕に利用され、人身御供のように担ぎ上げられた被害者だったのかもしれません。ですがあの日、あなたが自社の利益を優先し、そこに生きていた住民たちの存在から目を背けたことまで私が忘れ去ったとお思いですか?」
その言葉は氷の刃よりも鋭かった。
「そ、それは……!?」
痛いところを突かれたというようにパールマンの身体がびくりと跳ねる。
エレグはその反応を見届けたうえで、ゆっくりと続けた。
「この件について我々に“目を背けるな”と訴え、救いを求めるのであれば条件があります。我々の協力者として、そして司法取引の当事者として――公の場であなたが知り得るすべてを包み隠さず語りなさい。逃げ道を探すことなく、自らの行いと向き合い、その責を引き受けるのです。……よろしいですね?」
静かな声なのに、逃れることのできない圧があった。
それは邪兎屋の四人すら身じろぎしないほどの確固とした威厳であった。
「……な、なんかエレグCEO滅茶苦茶怖くねえか?」
「ええ、ニコとは違って凄い圧を纏った威厳ね。でも道理よ。あの日、ヴィジョンは多くの罪のない人々を犠牲にしようとした……」
「ちょっとアンビー!まるであたしに威厳が無いように聞こえるんだけど!?」
噛みつくように抗議するニコの声。そのやり取りを横目に猫又は黙したまま、ある記憶を呼び起こしていた。
「………」
組が変わる前、ミゲルが組長として十四分街で悪事を働いた者に鉄槌を下していたあの背中。
逃げ場を与えず、だが感情で裁かない。その在り方が今目の前の男と重なった。
「やっぱり、凄いぞ……!」
思わず零れた感嘆は尊敬なのか、あるいは畏怖なのか。
紳士的な佇まいと、悪を断罪する冷酷さ。
そのギャップに猫又は胸の奥を掴まれたような感覚を覚えていた。
親のような存在に抱く感情とも違う、名付けようのない思いだった。
「わ、わかった!あの時は私もどうかしていたのだ。だから正直に答えるから助けてくれ……!」
パールマンはその場に縫い止められたように動けず、ただ震える声で続きを話すしかなかった。
「いいでしょう、契約成立ですね」
エレグはその答えに満足そうに笑みを深め、遠く鳴る風音だけが広場をすり抜けていった。
ーーーーーーー
「そうだわ!この一件にはアイツも関与してたから少し呼んでくるわね!少し席を外すわ!」
唐突に声を上げたニコが思い出したように手を叩く。
そのまま軽やかな足取りで去っていき、やがてヴィジョン事件に関わったパエトーンを連れて戻ってくると言い、今度は一人で都市へ向かう準備を始めた。
慌ただしく動く彼女をエレグは特に止めることもなく、穏やかに見送る。
「構いませんよ。お気をつけて」
出発直前、ニコはふと思い出したように足を止め、離れた場所で猫又の肩を両手でがしっと掴む。
逃げ場のない距離で真正面から瞳を覗き込んだ。
「いい?猫又……!私が戻ってくるまでにエレグCEOに邪兎屋のことをしっかり売り込んでおきなさい!なんとしてもお得意様になってもらうのよ!そうね、まずは連絡先をもらってきなさい!TOPSとのツテ、これは邪兎屋のこれからに関わるものすごく重要な任務よ!」
「えっ……そ、そんなこと急に言われても……!」
小声ではあるが必死さが伝わる迫力に猫又はと狼狽えながらニコを見返した。
だがニコは聞く耳を持たず「頼んだわよ!」とだけ言い残し、猫又が止める間もなく颯爽と歩き去ってしまった。
取り残された猫又は呆然とニコの背中を見送る。
(む、無茶言うなよ……!連絡先だなんて、ど、どうやって……!)
だが、それでも心を落ち着かせてゆっくりと振り返ると、遠くでエレグがビリーとアンビーに囲まれ、談笑している姿が目に入った。
柔らかく笑うエレグの横顔、その雰囲気に猫又の心臓は脈打ち、顔が一気に熱を帯びる。
「……っ」
思わず頬を押さえながら、猫又は深呼吸をして気持ちを整える。
(い、行くしかない……!これは任務……重要な任務だから……!!)
自分に言い聞かせるように何度も繰り返し、猫又は一歩、また一歩と彼に近づいていく。
「……エ、エレグ……」
震える声で名を呼ぶと、エレグはすぐに気づき、穏やかな微笑みで振り返った。
「おや、猫宮又奈さん。どうかされましたか?何やらニコさんと真剣に話していたようですが……?」
突然正面から向けられた穏やかな視線に猫又は一気に心臓が跳ね上がり、口の中が乾く。
「え!?ええと……その……」
頭が真っ白になる。
そもそもエレグと深く話したことなどほとんどない。趣味も好みも、何が好きで何が嫌いなのかさえわからない。ストリートで生きてきた過去の経験がまるで役に立たずに狼狽える。
「……んお?どうしたんだよ猫又。いつもと様子が――痛えっ!?」
「ビリー、ちょっとこっちに……」
全てを察したアンビーは大きなキッドを連れてその場から離脱する。内心猫又はアンビーに感謝するが彼女の生暖かい視線に気が付き、すぐに撤回した。
更にはエレグと一対一になっていることに気が付き、混乱が加速する。
(う、うわぁあ!?ど、どうするんだよあたし……何を切り出せば……!)
焦りの末、フル回転させた脳味噌で二人の共通の知人の存在を思い出し、縋るように話題を捻り出す。
「あ、ああ……えっと、その……兵士……じゃなくて……ダイナ、だっけ?ここに来るときに会ったんだけど、その……あいつ元気かぁ……?」
自分でも不自然だとわかる導入に猫又は耳まで赤くなる。しかしエレグは気にする素振りも見せず、丁寧に答えた。
「ええ、お気遣いありがとうございます。彼はとっても元気ですよ。今は郊外で私の代理として動いてもらっていますので……」
「そ、そうなのか。なんというか……意外だなぁ。あの見た目なら、どう見ても肉体労働が似合いそうな……あ! べ、別に悪い意味じゃないぞ!その……!」
語尾がしぼむ猫又を見て、エレグはくすりと上品に笑った。
「ええ、そのお気持ちは分かります。彼は本当に頼りになるので、つい任せてしまうのです。……それに、今回は猫宮又奈さんたち邪兎屋にもお世話になりそうですね」
その穏やかな笑みと声色に猫又の胸はさらに熱を帯びる。
会話が途切れそうになり、猫又は焦って次の話題を探す。そして、ダイナの横にいた女性の姿が脳裏に浮かんだ。
「あ、じゃあダイナの隣にいたあの女性は?なんか、綺麗っていうか……儚いっていうか……”顔を隠してた”けど……」
エレグは視線を少し落とし、答える。彼女についてあまり知られるのは好ましくないのでそれとなく説明する。
「ああ……彼女ですね。彼女は私の部下というわけではありませんが、現在はダイナ指揮官の補佐をお願いしているのです。彼はその見た目もあって威圧感が強いでしょう?郊外では、どうしても最初に警戒されてしまいますから……彼女にもよく助けられていますよ」
「そっか……」
その答えに猫又は小さく頷いた。
会話は途切れてはいない。
だが派手に盛り上がるわけでもない。
それでも不思議と居心地の悪さはなかった。
一言、また一言とやり取りを重ねるたびに胸の奥に何かが静かに満ちていくような感覚がある。
それが何なのか猫又自身はまだ気づいていなかった。
猫又は胸の奥をちりちりと焼く緊張を必死に押し込みながら会話の流れを探っていた。
ニコから託された連絡先をもらうという重大任務が頭の隅に居座り、落ち着きようがない。
どう自然に切り出すか。どんな理由をつければ不自然に見えないか。
邪兎屋の最近の仕事ぶりを話題にするか、郊外でのエレグたちの企業の功績を褒めてみるか……。
猫又はあれこれと理屈を組み立てながら、タイミングを見計らって口を開こうとした。
その瞬間、エレグがまるで天気の話でも始めるかのように、さらりと口を開いた。
「――ああ、そうそう。もしよろしければ私と連絡先を交換してくれませんか?」
「う、うえぇっ!?」
猫又は完全に虚を突かれ、悲鳴のような声を上げてしまった。
あまりの不意打ちに尻尾が逆立つ勢いだったが、エレグは変わらず穏やかな微笑みを浮かべている。
「もしや駄目でしたか?またあなた達に依頼を出すかもしれないと思い、つい……」
「い、いやいやいや!駄目じゃないぞ」
その柔らかな声音に耳の先まで熱くなった猫又は慌てて否定する。
「も、もちろん……いいぞ……。こちらこそ、よろしく……」
おずおずと答えながらも猫又は震える指先を必死に抑えた。
ニコから貰っていた邪兎屋のパンフを渡し、エレグはそれを受け取りながらふと表情を和らげ、付け加える。
「ありがとうございます。……そういえば従業員のお二人に聞きましたよ。ニコさんが前回の報酬をもう使い切ってしまい、生活が非常に苦しいとか……。彼女らしいと言えば、らしいですが」
「――ッ!?!?」
猫又の思考が一瞬で真っ白になり、顔に一気に熱が集まった。
耳の先まで赤くなり、喉がひくりと鳴る。
(し、知ってる……!? い、いつの間に……!)
邪兎屋の内情。しかも、できれば彼には伏せておきたかった困窮具合まで把握されている事実に、恥ずかしさと焦りが一気に押し寄せる。
思わず後ろを振り返ると、ビリーとアンビーが揃ってバッと、気まずそうに視線を逸らした。
(……あ、これ絶対あいつらだ……)
雑談の勢いで軽い愚痴として漏らしてしまったのだろう。
猫又は内心で頭を抱えながら、逃げ場のない現実を噛みしめた。
エレグはそんな彼女の反応を見逃さず、すぐに声の調子を和らげる。
追い詰める意図など微塵もないことが言葉の選び方から伝わってきた。
「まあ、孤児院への寄付もあったと伺っていますし……」
パンフレットを軽く閉じながら続ける。
「いくらか、こちらから支援を考えているのですが。いかがでしょう?」
その言葉はあくまで“提案”だった。
同情でも施しでもなく、相手の矜持を踏まえた上での配慮。
それでも猫又には自分たちの苦しい現状を真正面から突きつけられたように感じられて、胸がきゅっと締めつけられた。
(ち、違う……!お金が欲しくて近づいたんじゃ……)
気を遣わせてしまっていることに気づいた瞬間、猫又は慌てて首を横に振る。
ここで頷いてしまえば金目当てだと思われかねない。それだけはどうしても避けたかった。
「い、いいよ!いらないぞ!」
思わず少し強い口調になる。
「生活が苦しいって言っても、お給料はちゃんと出てるし!そこまで困窮してる訳じゃないから!」
必死の否定だった。
エレグはその様子を静かに見つめ、内心で小さく息を吐いた。
彼女の反応から邪兎屋が金銭的に追い詰められていることはほぼ確信できた。ニコのことだから給料面はキチンとしているだろう。
それでも、彼女が見せた拒絶は卑屈さからではなく、矜持から来るものだと認識した。
(いくら不安を覚えたからといって彼女らの事業にあれこれ口出すわけにはいかないな。“施し”ではなく、“仕事”としてなら問題ないか……?まあ、いずれにせよ”今回は無理そう”だが)
表情には一切出さず、エレグは穏やかに頷いた。
「そうですか。ではまた今度、依頼という形にさせていただきますね」
懐から用紙を取り出し、静かな手つきで連絡先を書き込んでいく。
その動作は丁寧で、隙がなく、繊細なほどに落ち着いていた。
猫又は、その横顔を見つめながら、胸の奥にふわりと広がる妙なくすぐったさを抑えきれずにいた。
恥ずかしさも、戸惑いも残っている。
けれどそれ以上に自分たちを“対等な相手”として扱おうとする、その姿勢が胸に静かに沁み込んでいった。
ーーーーーーーーー
六分街のビデオ屋『random play』―――。
波乱を呼んだ郊外の一件から幾らか時間が経った。
アキラとリンはあの時エレグが放った鋭い洞察と異様な雰囲気を未だ胸の奥で整理しきれずにいた。
アキラは端末の履歴をいくつも遡り、それより前のあの日交差した会話を反芻する。
電話口の奥に気配を感じただけで存在を察知したかのような素早さ。情報を繋ぎ合わせ、わずかな破片から全体像を推定する異常な直観。
そして、こちらが隠し持つ裏の顔に対してさえ柔らかく釘を刺すような、あの妙に人間らしい気遣いと余裕。
それらすべてがエレグという人物の輪郭をいっそう曖昧で掴みどころのないものにしていった。
二人はここ数日、あらゆる角度から情報を精査していた。
フェアリーによる分析結果は整然としていた。
まず彼がCEOを務める企業グループについてだ。
TOPSに名を連ねる企業としては珍しく、事業内容の開示範囲が広い。
表向きの成果だけでなく、事業の仕組みや意思決定の過程、市民生活に直結する領域についても可能な限り情報が公開されていた。
都市インフラ、エネルギー供給、公共サービス。
いずれも専門用語を並べるだけの形式的な説明ではなく、一般市民にも理解できるよう噛み砕かれている。
どこに資金が使われ、どの層にどのような影響が及ぶのか、その点が明確だった。
結果として情報収集は想像以上に容易だった。
隠されているからではなく、隠していないからこそ全体像が見える。
特に市民の生活に関わる分野では説明が行き届いており、企業側が一方的に与える立場に立っていないことが読み取れる。理解を得ることを前提にしており、その姿勢自体がマックスグループに対する信頼の厚さの理由を物語っていた。
アキラは画面に並ぶ資料を眺めながら、違和感とも感嘆ともつかない息を漏らす。
企業統合の軌跡。
都市再開発への貢献。
貧民地域の復興支援事業。
どの項目もまるで教科書の中の模範解答のように整っている。
影も、歪みも、決定的な瑕疵も見当たらない。
アキラは次第に眉間へわずかな違和を寄せる。
(情報が……“きれいすぎる”)
普通ならひとつくらい、敵対した企業の声や事業ミスが混じるはず。
だが蓄積された記録のどれひとつとして、マックスグループに対する批判を正面から述べてはいない。
一方、リンは別の角度から調べた。
エレグを推薦したとされる元代表のヨシダ・セイジ。マックスグループの基盤を作り上げた”創設者”の名は古い新聞のアーカイブにまで遡って確認できた。
多くの証言が彼を「人格者」「誠実」「常軌を逸した手腕」と語っている。
そのヨシダがエレグを強く推薦したという記録も確かに残っていた。
ヨシダが表舞台から退いた後、TOPSに加入したとはいえ、マックスグループは一時的な停滞を迎えると多くの評論家は予測していた。
創設者の影はあまりに大きく、後継者は必ず比較され、摩耗する、それが都市経済の常だった。
――だが、現実は違った。
エレグが正式にCEOに就任して以降、マックスグループは規模拡大ではなく”深化”を選んだ。無理な買収は避け、既存事業の再構築と技術部門の再編を断行。管理体制も一新。都市再開発では利潤率よりも持続性を優先し、結果として長期契約を次々と獲得していった。
ゲームに例えるならレベル上げではなくステータス厳選。
マックスグループは静かに、しかし確実に強度を増していった。
数字は雄弁であり、売上は緩やかに右肩上がり。トラブルは減少し、提携企業からの信頼度はむしろ上昇している。
唯一崩れたのは例のヴィジョン事件。
だがそれすら最終的には覆し、大逆転を果たしていた。
リンがフェアリーの集めたデータを見て何かに気が付く。
「……ヨシダ時代と、伸び方が似てる?」
『肯定。前提条件や運営方針が異なるため厳密な対照は困難ですが、最終的な推移には82.1%の相関が認められます』
フェアリーの報告にアキラは顎に手を添えた。
「本当かい?エレグは先代の技術を完全に継承しているのか……それとも――」
内部評価レポートには、かつてヨシダに向けられた言葉とほぼ同じ表現が並んでいる。
――判断が早すぎる。
――先を読みすぎている。
――結論に至るまでの情報量が異常。
違う点があるとすればエレグはそれをさらに静かに、目立たぬ形でやってのけているという点だった。
ヨシダが“剛”なら、エレグは“静”。
だが結果は同等、あるいはそれ以上。
ネットの反応もまた奇妙だった。
経済フォーラムでは称賛が並び、一部では熱狂すら見られる。
「エレグCEOマジで優秀過ぎwwカリスマ性も半端ないわww」
「ヨシダほどの物語性は感じないけどTOPSの中で唯一好きだわ!」
「マジで結婚してほしい無理やり襲い掛かってその完璧面を崩してそのままベッドでぐへへな――(※不適切な投稿のため削除)」
そんな書き込みが目立つ。
だが、インターノットなどの匿名掲示板では別の声が囁かれていた。
――“ヨシダ以上に危険だ”
――“常に笑顔だけど感情が読めない”
――“絶対に敵に回したくないタイプ”
否定も、暴露も、決定打は出てこない。
ただ得体の知れなさだけがじわじわと共有されている。
アキラは何度か端末を閉じかけ、そのたびに深い呼吸をして作業に戻った。
確証を求めてさらに深く潜れば潜るほど、調べれば調べるほど、疑念が砂のように指の隙間から零れ再び溢れるを繰り返す。
裏を掘っても裏がない。不穏を探っても不穏に行き着かない。しかし妙な胸騒ぎを感じる。
あの日、郊外でエレグが見せた奇妙な雰囲気の理由は単なる偶然や気配の読み過ぎ――そんな結論さえ浮かぶほどに情報は澄み切っていた。
「ああもう!わかんない!ねえお兄ちゃん、もうエレグについては十分じゃない?シーザーたちも郊外で特に困ってるって連絡も来ないし、それどころかずっと動きやすくなったって言ってたし、“悪そうな人が実は善い人でした”って映画あるあるでしょ?」
リンは疲れた様にソファに座り込む。
「リン……映画の見過ぎじゃないかい?けど、確かにいくら僕たちの身分がバレたとはいえ……証拠もなくここまで疑ってしまうのは流石に彼に失礼だし、申し訳ないな。市政選挙が終われば彼も時間ができると言っていたし、”あの約束”を守ってくれると祈る他ないか……」
アキラは端末を仕舞った。
不可解ではある。
だがその不可解さは、悪意よりも周囲に波風を立てないための配慮に見えなくもない。
アキラはリンの隣に座り、ソファに背を預け、ゆっくりと目を閉じた。
あのとき言い当てられた“パエトーン”の正体。
それは明確な切り札であり、こちらを追い詰める凶器にもなり得た。
にもかかわらず、彼はそれを振りかざすこともなく、終始礼を失わず、踏み込むべき一線を越えなかった。
最後に残されたのは、威圧でも取引でもない「ダイナと会わせることを約束する」という、奇妙なほどに真っ直ぐな言葉だった。
それは駆け引きではなく、脅しでもない。
力を持つ者があえて距離を保ち、相手の領域を尊重した上で関係を繋ごうとする姿勢。
誠実に“線を引きながらも関係を保つ意思”――そう解釈する方が、彼の一連の振る舞いには自然だった。
(そう考えると、マオを連れて行った時も……何か理由があったのか?)
断片的な出来事がゆっくりと別の意味を帯び始める。
郊外でもまた、エレグ・マックスという名に対する空気は少しずつ、確実に変わり始めていた。
郊外の住民にとって都市企業のトップは本来信用に値しない存在だ。
奪う者。条件を押し付ける者。
必要とあらば切り捨て、用が済めば忘れる。それが彼らの知る都市の論理だった。
だがエレグや彼の企業はそのどれにも当てはまらなかった。
干渉は過度すぎず、要求は明確だが一方的ではない。
そして何より、郊外の伝統や文化という重要な領域を侵すことなく、必要以上に踏み込まない。
その誠実な対応や関わることで生まれる恩恵に郊外の住民たちは信頼を築いたが、契約を結んだカリュドーンの子はそうはいかなかった。
接触してきたタイミングもそうだが、その態度は露骨な好意よりもむしろ不気味で、同時に無視できない違和感として残り続けていた。
”……敵じゃない、とは思うぜ。むしろ助けられてるわけだし、しっかりと借りは返していかねえとな!”シーザーはそう口にしながらも、完全に肩の力を抜くことはなかった。
“信用できるとは言わない。ただ、だんだん疑う理由が見当たらなくなってきた”。その距離感が今のカリュドーンの子における共通認識だった。
その中で、最も判断に迷っていたのがルーシーだった。
彼女はエレグという人物を未だ測りかねている。
郊外の中では珍しく、彼女は都市で育ち、さらに言えば“良いところ”の出だった。企業という存在を支配者や搾取者として単純化せず、その論理や振る舞いを理解する素地を持っている。効率、契約、利益、そして責任。それらが社会を回す現実であることを彼女は知識としても経験としても理解していた。
だからこそエレグの行動は奇妙だった。
理屈で考えれば納得できる部分は確かに増えている。
郊外への干渉を抑え、対価と説明を欠かさず、約束を軽々しく扱わない。むしろ模範的とさえ言える企業人だろう。
それでも、感情が追いつかない。
彼の言動は優しさとも取れるし、周到な計算とも取れてしまう。
相手を尊重しているようでいて、どこか一線を越えさせない距離感。
誠実さの裏側に意図的に伏せられた何かがあるようにも見える沈黙。
自身が知っている“企業の人間”の型に当てはめようとするたび、致命的に噛み合わない。
理解できるはずなのに判断できない。
そのズレこそがルーシーを迷わせていた。
具体的な助言を求めるわけでもなく、時々アキラたちの視点を確かめるように短い報告や、曖昧な疑問を投げかけることもあった。
カリュドーンの子にとってエレグはまだ“判断保留”の存在だ。
だが少なくとも、かつてのように過度に警戒する相手ではなくなっている。
それが単に善意の結果なのか。それとも、より高度な距離の詰め方なのか。
(――っと、もうこんな時間か)
疑念を裏付けるはずだった記憶がいつの間にか別の可能性を示唆していることに、アキラは小さく息を吐いた。
潜在的な敵意を探し続けた数日間。
警戒と推測で張り詰めていた思考は張力を失い、静かにほどけていく。
完全に消え去ったわけではない。
ただ、鋭利だった輪郭が少しずつ丸みを帯び始めていた。
エレグとは何者か。
その問いは依然として完全には晴れない。
だが同時にそこに“敵”の影を無理に描き込む必要も感じられなかった。
エレグ・マックス。
都市の誰もが称える人物。
理想的なCEO、模範的な成功者。
その実像は表に出る以上に複雑で、計算高く、そして思いのほか純粋なのかもしれない。
疑念は消えたのではない。
形を変え、意味を変え、静かに別の問いへと姿を変えつつあった。
その変化がやがて何をもたらすのか。
この時点では二人にはまだ知る由もなかった。
パールマンが目覚めたと連絡を受け、郊外からニコが迎えに来たのはその数日後のことである。
ーーーーーーーー
「戻ったわよ!」
「おや、お帰りなさい。ニコさん早かったですね」
やがて、ニコが此度の協力者、パエトーンであるアキラを伴って郊外へ戻ってきた。
アキラは現場に立つエレグの姿を見つけ、わずかに目を見開いた。
思わずニコへ問いかけるような視線を向けるが、ニコは自信に満ちた足取りでアキラの前に立つと、まるで勝利宣言のように胸を張った。
「ふふん!驚いたでしょう?黒幕に対抗できるこれ以上の戦力は存在しないでしょう?」
「ニコの親分……。店長にまるで自分の手柄みたいに説明しなくてもよ」
「ビリー静かに。恐らくニコは自身のツテを誇張して、今あるツケをまけてもらおうとしているのよ……」
鋭い従業員の指摘にニコはぎくりと視線を泳がせる。
「い、いや~?別にそんな意図はないわよ!」
ニコはそのまま言い訳するように、「さらにまだ頼れる”本当のツテ”があるんだから!」と豪語した。アキラは一先ず納得し、深くは追及しなかった。しかしどこか複雑な表情を滲ませながらエレグへ視線を向け、挨拶をする。
「……やあ、エレグCEO。また会ったね」
エレグは落ち着いた所作でアキラに歩み寄り、丁寧に挨拶を返す。
「ええ、お久しぶりですアキラさん。あなたとは何かと縁があるようで……非常に嬉しい限りです。どうぞ私のことはエレグとお呼びください。ニコさんから戦力として期待されていると聞き、正直なところ緊張しています」
一拍置いて、声色がわずかに引き締まる。
「もっとも、お察しの通り今回の件は非常にデリケートです。申し訳ありませんが企業として表立って動くことはできません。ですが……微力ながら個人として力になろうと思います」
そこには個人的な感情を押し隠した、清廉な礼節だけがあった。アキラはその姿勢を真正面から受け止め、わずかに頭を下げた。
「そうかい。でもとても心強いよ。よければ僕のこともアキラと呼んで欲しい」
短い応答の中に互いの距離を測る静かな了承が交わされた。
そしてその後――、”彼”を除くあの日の関係者全員が見守る中、パールマンがついに真相を語り始めた。
エレグの圧を含んだ言葉が深く効いたのか、彼は誤魔化しも虚偽も挟まず、最初から最後まで詳細に語り尽くした。
社内では彼が名ばかりのCEOであり、地下鉄改修プロジェクトを含む長期事業計画の実権はすべてサラの手にあったこと。
サラが危険な計画を強行できたのは、治安官ブリンガーが後ろ盾として控えていたからであること。
計画が過激化していると察したパールマンは、自衛のために重要な書類をバックアップとして印刷し、他の工事資料の束に紛れ込ませていたこと。
それらが見つかれば動かぬ証拠とまでもいかないかもしれないが、金の流れや情報のやり取りを知ることができるかもしれない。
彼はそう言い切り、救いを求めるように小さく息を吐いた。
「ふぅん?本当にそんな証拠があるって言うなら、確かに説得力あるけど……」
ニコは顎に指を添えて考え込む。
一方アキラは、ヴィジョンが失脚した後に工事を落札した企業に思い至った。
「なるほど。スキャンダルの発覚後、すぐに工事を落札したのはクレタ率いる白祇重工だ」
「ええ。流石ですね、急いで彼女たちに確認を取りましょう」
エレグもまた、自身の傘下企業が白祇重工と業務提携を結んでいることを告げる。
その言葉にパールマンは驚きを隠せない様子で二人を見つめたが、すぐに安堵の色へと変化させた。
「なんだ?あの人よりクマが、クマより機械が多い会社はお前らの知り合いなのか?それなら話が早いではないか!」
彼らが白祇重工に繋がりを持っているなら話は早い。証拠はすぐに見つかるに違いない、とパールマンはようやく開いた活路の存在に胸を撫で下ろした。
パールマンの証言が真実であるなら、この先どう動くべきか、猫又はその問いを胸に抱えたまま、真っ直ぐにエレグへ視線を向けた。
「エレグ。だるまのオッサンがホントのことを言ってるとして……これからどうするの?にゃんとかして、こいつを治安局まで連れてく?あ一でも、治安局には悪いやつもいるから……」
「そうですね、非常に難しい……。選挙期間に伴い増員された治安官たちが街の隅々まで配置されている今、こちらが大きく動けば、公的機関と企業の衝突という最悪の図式が瞬く間に形を成します。その結果、生まれるのは混乱と恐怖に巻き込まれる数多の市民でしょう……」
エレグの思考の先にある光景は猫又にも容易に想像できた。
治安局内部、それもかなりの地位にあるブリンガーが敵に回るという事実は軽々しく扱えるものではなかった。公的権力を背景にした巨大な壁が目前に立ちはだかったような感覚がこの場にいる全員の背筋を静かに冷やしていく。
「ふっふーん!みんな安心しなさい!だるまのオッサンと違って、このニコは名実ともに邪兎屋のC・E・Oなのよ!ちゃーんと対策を考えてるっての!」
その重苦しい空気を、あまりに鮮烈な自信だけが破り捨てた。
ニコは迷いを知らぬ者のように、胸を張って姿勢を正していた。あのだるまのような体型のパールマンとは異なり、誇示するような佇まいだった。
「流石ニコさんですね!同じCEOとして心強い限りです!」
エレグがわずかに目を細め、心からの敬意を示すようにニコへ頷いた。
「でしょう!!いや~伊達に新エリー都で商売してないんだから!」
ニコはその持ち上げに気を良くしたのか、ますます自信を漲らせ、ついに温めていた対策を明かす決意を示した。
「闘獣棋ってやったことあるかしら?鼠は兎に、兎は狼に、狼は虎に、虎は象に……の順番で食べられるんだけど、一周まわって、鼠は象を食べられるってヤツ!あたしが言いたいのは世の中なんにでも天敵がいるってことよ!虎の威を借りて狼を食らうのが兎の知恵……そんで虎を懲らしめたかったら、象にお出まし願えばいいんだわ!」
どうやら彼女の手札には治安局と渡り合えるだけの組織がすでに動き出しているらしい。
その言葉の真を示すように、タイミングを見計らったかのようなクラクションが空気を裂いた。
次の瞬間、空き地の土煙を巻き上げながら大型トラックが滑り込んでくる。鈍重なはずの車体は迷いなく進み、ブレーキ音とともにぴたりと止まった。
その車体に描かれた『猪突猛進』のロゴが荒々しい存在感を遠目にも放っていた。エンジンが唸りを止め、重厚なドアが開いた。
最初に地面へと降り立ったのはカリュドーンの子の走り屋、パイパーだった。先ほどまで暴風のような運転をしていたとは思えないほど肩の力を抜いた仕草で振り返り、荷台に乗っていた四人の男女へ声を掛ける。
「おうおう、時間ぴったりだなぁ。本日は猪突猛進、特別便をご利用くださり、まことにありがとうだぜい。ほーら降りた降りた~」
その声を聞き、降り立った者たちの装備はどれも実戦仕様だった。各々に最適化された武装、無駄のない動き、その瞳に宿る研ぎ澄まされた緊張感。
彼女たちはニコの要請で集められた象となる存在。ホロウ事務無害化対策局H.A.N.D.の中でも、精鋭として知られる実働部隊、対ホロウ六課である。
「うわぁ~!ここが郊外なの!?すごいねえ……お空がくるくる……地面はゆらゆら……空気のにおいでゲーしちゃいそう……!」
初めに外に降り立った鬼族の少女、蒼角が顔を青くしながら呟く。
すぐに、姉のように寄り添う柳が蒼角の手を取る。もう一方の手にはいつの間にか用意していたビニール袋が握られている。
「それは車酔いですよ、蒼角。しばらく私の手を取って休んでいてください」
そう言ってから、視線を横に移す。
「浅羽隊員、あなたは……大丈夫そうですか?」
彼女が視線を向けると口元を抑えながら蒼角に負けず劣らず顔色を青くしている悠真がいた。彼は何かを必死に探すように震える手を宙に彷徨わせている。
「と、飛ばしすぎだってぇ……し、信じらんないな、あのドライバー……あ、やばい、アレどこですか、アレ……!」
どうやらパイパーの運転は精鋭中の精鋭である六課の執行官たちにとっても、相当堪えるものだったらしい。限界が近いと判断したエレグは静かに悠真へ歩み寄ると、”溢れてしまう”前にエチケット袋を差し出した。
「大丈夫ですか、浅羽悠真執行官。どうぞこちらをお使いください」
「ああ……!どうもありが――え?」
悠真は差し出された袋に一筋の希望を見出し、礼を言おうとして顔を上げる。しかし、その言葉は途中で止まり、思わぬ人物を前に思考が固まった。
目の前にいたのはTOPSの一角を担う新エリー都屈指の大企業。そのCEO、エレグ・マックス。
遠目からその姿に気づいた柳も思わず目を見開いていた。
「あ、ヤバ……オロロロロ!」
驚きと限界が同時に訪れ、悠真は慌ててエチケット袋を活用する。
「………」
タイミング的に自分の顔を見た瞬間に吐かれたようにも思え、エレグは内心で小さくダメージを受けたが表には出さない。彼は落ち着いた動作で悠真の背中をさすり、呼吸が整うのを待った。
そのとき、場の空気を一瞬で引き締める、凛とした声が響いた。
「ほう……」
たった一言。それだけで、周囲の雑音が遠のいたかのように感じられる。
最後にトラックから降りてきた最年少の虚狩り、星見雅は、まずエレグの存在を視界に収め、次いでニコへと視線を移した。
「このような特別な日に、人目を避けて郊外まで連れ出された時は我らを欺くつもりかと思ったが……」
鋭い眼差しで探るように言葉を紡ぐ。
「どうやら、それなりの理由はあるようだな。邪兎屋のニコ」
雅の視線には警戒が宿っていたが、同時にエレグの存在がただ事ではないと察している色もあった。ニコはその空気を楽しむように胸を張って答える。
「ふふーん!当然でしょ?こちらのエレグCEOと一緒にとんでもない情報を掴んだんだから!」
そして指を突きつける。
「あんたたちも協力しなさいよ、お武家狐……!」
空き地の空気が一変する。治安局という巨大な組織に対抗しうる、別の重みが確かにこの場へと立ち上がった。
エレグの姿に六課の面々の表情が一斉に揺れる。予期しない邂逅であることは明らかだったが、当のエレグはその反応すべてを包み込むような、柔らかな笑みを浮かべていた。穏やかさと余裕、そして場の視線を自然と掌握する者だけが持つ品位がそこにはあった。
「まさか本当に対ホロウ六課がここに現れるとは……ニコさんの人脈の広さには驚かされますね!」
感嘆を隠さぬ眼差しでニコに一瞥を送り、素直な賞賛を添える。
そうして整えられた所作で六課の面々へ歩み出る。
「初めまして。対ホロウ特別行動部第六課の皆様」
穏やかにはっきりと名乗った。
「私はしがない起業家の一人、エレグ・マックスと申します。本日はこの場にお越しいただき、誠に感謝致します」
丁寧な一礼とともに、その言葉は空き地に静かに響いた。
ーーーーーーーー
その後、パールマンの身柄は一時的に六課の手へと委ねられ、即席の審問が始まる。
簡易的に作り上げられた取調室に座らされたパールマンは逃げ場のない現実に震えていた。彼の情けない笑みの混じった泣き声が響く。
六課の執行官たちは容赦がなかった。彼女ら特有の無駄のない動きで質問を投げかけ、反応の一つひとつを観察する。他者の嘘と恐怖を鋭敏に捉える者たちの眼差しはパールマンの言葉を一滴も取りこぼさず、淡々と彼の証言の輪郭を掬い上げていく。
泣きじゃくりながら必死に答える男とそれを取り囲む無機質なプロフェッショナルたち。
その異様な光景をアキラたち一同は少し離れた場所から静かに見つめていた。
「ほんとに大丈夫?だるまのオッサン、さっきから泣いたり笑ったり忙しいぞ……あ、また地面に突っ伏して泣いてる。一体どんな質問されたらあんなリアクションになるわけ……?」
猫又はその姿を遠目に見つめ、小さく心配を漏らす。
隣でアンビーが、その尋問の鮮やかすぎる手際を思い出しながら舌を巻いていた。彼女の顔には純粋な驚愕が混じる。
「防衛軍の取り調べでも似たようなものが見られるわ。けど、道具を使わずに言葉だけであんな風にするなんて……あの執行官たちは天才みたい」
「もし彼女たちにお世話になるとしたら、それはそれは恐ろしいことになりそうですねぇ……」
口々に六課の評価を零し、エレグはやや表情の硬いニコを見る。
「ええ……そうね……」
小さく返すニコ。恐らく普段アウトロー気味な彼女は自分で六課を呼び出しておきながら不安に感じている様だ。まあ不安であるのはこの場にいる全員だ。特に不味いのが二足のわらじを履いているアキラとエレグだ。
「………」
そのとき、音もなく空気がひやりと動いた。気がつくとすぐそばに六課の課長、星見雅が立っていた。
「おや?」
「いやぁーーっ!?」
影のように存在感を消していた彼女の突然の出現にニコが短い悲鳴を上げる。
彼女は慌てながらも、取り調べの結果を詰めるような声音で尋ねた。
「び、びっくりしたわ……も、もう取り調べは終わったの?早いわね~、流石は象だわ!」
少しでも心証をよくしようと相手を持ち上げるが、言葉の意味が分からず、怪訝な顔をする雅。
「象?私は狐だ」
「そこはどうでもいいのよ!それで、どうかしら?嘘じゃなかったでしょ?ヴィジョンの背後には黒幕がいて、それが何を隠そう、あのブリンガー次期総監なのよ!」
あの様子であればパールマンは嘘などついていないはず。ニコは断定するようにブリンガーの名を掲げた。勢いと自信に満ちた彼女の言葉が空気を震わせる。
だが、その宣告を受けた星見雅の表情は不思議なほど動かなかった。薄いまぶたの奥で何かが測られている気配だけがわずかに揺れる。
その面差しに違和を感じたエレグが一歩前に出て静かに声を掛けた。
「……星見雅課長、何か腑に落ちない点でも?」
「私から説明させていただきます」
雅は短く視線を動かし、その先で彼女の隣に控えていた副課長、月城柳が静かに口を開く。落ち着いた声音が空き地に淡く広がった。
「邪兎屋のニコさん、あなたはブリンガー長官が犯罪に関与していると示唆しましたが……、あの証人が司法取引を求めて提供した情報は現時点で他に主犯がいる、ということのみです。この両者には天と地ほどの開きがあります」
六課がパールマンから得た情報はあくまで可能性であり、断定ではない。“ブリンガー長官が犯罪に関与している”と明確に指し示す証拠ではない、と柳は言葉を締めた。
ニコは不満げに頬を膨らませる。勢いはあるが、論理の綱の上に立てばその指摘は痛いほど正確だった。
「あ~ら……、専門的なご高説をどうもありがと、学級委員長さん。でも、あんたの意味不明な説明じゃこれからどうしたいかってのが1mmも見えてこないわよ!」
エレグは視線を落として、柳に向けて確認するように言葉を紡ぐ。
「まあまあニコさん落ち着いて。要は今のところ証拠が不十分で、我々へ手を貸すには難しい段階だ、という話でしょう?」
「ええ……その通りです」
柳は静かに頷いた。
その横で雅がわずかに眉を伏せた。表情の変化は微細で、行動に移る前の静かな呼吸のようにも見える。
「……エレグ殿、私は彼女の判断を無条件に信じることにしている。ヴイジョン事件の背後については、もっと踏み込んだ調査が要るだろう」
その声には冷えた刃のような緊迫が宿る。
彼女の視線は鋭かった。
まるでこの場にいる誰か、あるいは“何か”を見定めるように。
静かな空気の奥底で、別の真実が息を潜めている気配だけが確かに揺れていた。
空気が張り詰めたのは、エレグが穏やかな微笑みを浮かべたまま口を開いた瞬間だった。
「そうですね。事が事ですから慎重になるのも仕方がないことでしょう。ですが、今回の一件を解決するのにあたって必要になるのは私たちとあなた方が秘密を共有する“仲間”となることです。お互い極力隠し事は無しにしましょう」
落ち着き払った声音はむしろ周囲の緊張を浮き彫りにする。
一拍だけの静寂が挟まれ、その後に続くエレグの言葉が場の色を一気に変えた。
エレグは音も立てずに前へ出ると、雅の視線を切るようにして後方の”アキラを庇う位置に立った”。
「……ですので、“彼”を連行するために、秘密裏に包囲を広げるのはやめていただけませんか?我々はあなた方六課と事を構える気はないので」
「……!」
その言葉が落ちた瞬間、空気に走った緊張は電撃に等しかった。
「え!?」
ニコが周囲に目を向けると六課の悠真と蒼角が気づけばごく自然に、しかし確実にエレグたちを囲むよう位置を変えている。
前もって察していたビリーとアンビーの手はすでに武器へと伸びていた。二人の視線は鋭く、完全に戦闘を視野に入れた構えだ。
「へぇ……鋭いね。さすがTOPSの一人、交渉事はお手の物ってわけかな?」
柔らかな笑みを浮かべながらも、悠真の瞳には研ぎ澄まされた刃のような光が宿っていた。
明らかに“場”が変質していた。
その変化に気づいたニコは雅を睨みつけ、声を荒らげる。
「ちょっとお武家狐、一体どういうつもり!あんた何企んじゃってるわけ!?」
「………」
星見雅は微動だにしない。切り出した言葉も、まるで空気の温度と無関係であるかのように静かだった。
「……先ほど述べたようにヴィジョン事件の背後についてはもっと踏み込んだ調査が要る。そして、我らが連行すべき証人はパールマンだけではない」
その視線がアキラに向けられる。
傍観者の様な立ち位置であったが、並々ならぬ状況を把握したアキラは目を見開いた。
「ん?連行って、僕もかい?」
六課はすでに彼が“プロキシ”であることを把握しているらしい。
「エレグCEOを含め、ここであなたにお会いすることも我々にとっては想定外でした。独立調査チームの責任者様、いえ……プロキシ様とお呼びすべきでしょうか?」
柳が冷ややかに説明を続ける。
パールマンの証言によれば一連の不祥事の裏側には“あるプロキシの介入”があった。
さらに六課独自の調査では白祇重工で遭遇した怪物の件、証人護送中の飛行船事故、そして郊外の催事の直後に再びアキラが現地入りしたこと――それら全ては“偶然”とは言い切れない、と。
鋭い視線がアキラを射抜いた。
アキラの表情は険しさを帯び、エレグも言い訳のしようもないなと内心ため息を零す。
ニコは震える声で、しかし必死に抗弁した。
「ぐ、ぐぐぐっ……偶然に決まってるでしょ!」
だが動揺は隠しきれていない。続けてニコは声を張り上げる。
「こいつとあたしたち邪兎屋は、それはもう昔なじみのお得意様同士なのよ!本当に事件とは無関係だわ!」
「安心して。色々調べて大丈夫だったら、普通はちゃんとシャクホーするから。だから尻尾が二つのお姉ちゃん、コワいカオしないで」
蒼角が宥めようとするが、その言葉が空気を和ませることは一切なかった。
「――新エリー都は今、極めて稀な時期にある」
雅の声は低く、鋼のように冷たい。
「要職にある方たちが一堂に会している今、何か起きれば都市運営の根幹が揺らぐ。だからこそ、全ての不確定要素は見過ごせない」
ニコも強気に返す。
実力や気迫では劣るはずなのにその声音には揺るぎない芯があった。
「もっちろん分かってるわよ!だからわざわざあんたを呼んで黒幕を探してもらおうとしたんじゃないの!どうして無関係な人間まで巻き込む必要があるのよ!?」
だが雅は淡々と返す。
「お前が我らに示したのは、いかようにも形を変え続ける陰謀の断片にすぎない。そしてお前が“真相”と称するものも、多くある可能性の一つに過ぎない」
その眼差しが鋭く細められる。
「都市の潜在的脅威は何であれ徹底的に排除する。例えこの者が悪でなくとも、“真相に繋がる何か”を持っている可能性がある」
彼女の視線はアキラへ。
そしてニコへ。
「お前がそれを遠ざけようとするほど私の疑念は確信へと傾く。我ら対ホロウ六課の支援が欲しければこちらに協力することだ。邪兎屋のニコ」
陽の光の中で六課の立ち位置は決定的に固まっていく。
武器に手をかけたビリーとアンビー、狼狽する猫又、険しい表情のアキラ。
空き地を満たす張りつめた緊張は、次の一言で決裂するかもしれないほどの濃さにまで達していた。
――バチィンッ!
「……っ!?」
突如乾いた音が空気を裂き、全員の体をびくりと震わせる。
「――そこまでです」
大きく手を叩いたのはエレグだった。唐突な制止に場の視線が一斉に向けられる。だが彼はどこ吹く風といった穏やかな表情のままだ。
「素晴らしい……!さすがは“都市の希望”と謳われる対ホロウ六課ですね。一つの情報だけに振り回されず、あらゆる最悪の事態まで視野に入れて警戒を怠らないその慎重さ、見事というほかありません!……確かに、今皆様が証言の裏付けとなる確かな情報を求めておられるのは当然の流れでしょう。こちらに六課の皆様を欺く意図は一切なく、結果として不備があり、警戒を招いてしまったことをお詫び申し上げます」
場違いなほど丁寧で落ち着いた口調で彼は六課の慎重な判断力を称え、謝罪を口にする。しかし、その直後に放たれた言葉が場の温度を一変させる。
「――ですが、どうかこの一点だけはお伝えさせてください。皆様が容疑者として疑っている彼は無実です。今回アキラが一連の事態に関与していたのは、”私が秘密裏に彼にプロキシとして依頼を出したため”であり、彼自身の意志によるものではありません」
「え?」
「ふむ……」
嘘だった。虚を突かれたアキラの目が大きく見開かれる。雅を除く六課の面々も困惑を隠せないままエレグの続きを待つ。
本来であれば、六課としては何故かこの場にいるエレグを連行したいのが本音だった。
だが、その現実性は限りなく低い。
彼はTOPSの一角、新エリー都の都市運営を担う巨大企業のCEOだ。
この場で強引に身柄を拘束すれば、引き起こされるのは事件の収束ではなく、さらなる混乱だろう。TOPS内部の政治的反発、世論の反感、最悪の場合は“都市の凶弾”すら招きかねない。
そもそも、TOPSという組織は切り捨てを常とする。
どうせ知らぬ存ぜぬで逃げ切る――それが六課の冷静な予測だった。だからこそ時間を浪費せず、アキラから直接情報を引き出す選択を取った。
だが――。
エレグはあっさりと非を認めた。
それどころか、まるで「自分を代わりに連行しろ」と言わんばかりの口調で切り出したのだ。
部下の切り捨てが常套化しているTOPSにおいて、これは非常に珍しい光景だ。
その意外性に場の全員が一瞬面食らう。
彼はそんな反応を一瞥し、わずかに間を置いてから静かに言った。
「……連行するのであれば彼に依頼をしていた私を連れて行けばよろしいかと」
その声には一切の焦りがない。
「勿論決して訴えたりはしません。都市の企業運営も、郊外での仕事も、私の代わりは”既に用意されています”。……ですが、私を連行する前にこの場で黒幕がブリンガーであるという根拠をこの場で私からも提示させてください」
自ら証言台に立つ。
そう宣言したエレグは躊躇なくパールマンへと歩み寄った。
「うがぁあ!?ちょ、貴様!いきなり何をする!?」
次の瞬間、エレグはパールマンの髪をつかみ上げた。呻き声が漏れ、いきなり何をしているのかと誰もが制止しようと動きかけた瞬間、エレグは淡々と告げた。
「皆さん。耳の後ろ、彼の生え際をご覧ください」
皆が目を向けるとそこには小さく残った傷跡。柳が息を呑み、「まさか……」と呟く。
エレグは静かに微笑んだ。
「流石、対ホロウ六課の副課長。どうやら察していただいたようで」
そして分からぬ者のために説明を続ける。
「これは”治安局が”重大事件の容疑者に埋め込む小型チップの痕跡です。位置情報を常時追跡可能なGPSタグが付属している」
淡々とした口調が、かえって事実の重さを際立たせる。
「にもかかわらず、彼が長期間郊外に滞在していた間、治安局は一切動かなかった。――不自然だとは思いませんか?」
視線が巡る。
「もし、この“状況そのもの”を意図的に作り上げた人物がいるとするなら、それは末端ではありません。相応の権限を持つ、治安局内部の人間であると考えるのが最も自然です」
一拍。
「そして、これこそが私がパールマンの証言を信用した理由の一つでもあります」
エレグの声は確信を帯びていた。
「ヴィジョンの裏で糸を引いていたのは相応の地位と権力を持つ人物――すなわち、現ヤヌス区治安総局副総監、ジャスティン・ブリンガーです。ヴィジョン事件の際、最初に現場へ展開したのは彼の指揮下にある部隊でした。さらに、白祇重工で遭遇した“怪物”の残骸が残された現場に姿を見せたのも彼。ヤヌス区治安局へ飛行船を手配し、パールマンの護送を決定したのも、すべてブリンガーの判断です……」
彼はニィっと笑みを深め、まるで犯人を追い詰める探偵のように告げる。
「――いかがでしょうか六課の皆様?あなた方がアキラを疑った時と同じ理屈で考えれば、ブリンガーもまた、偶然にしてはあまりにも一貫して事件の要所に姿を見せています。ここまで名前が浮かび続ける以上、無関係と見る方が不自然でしょう。これは、ニコさんの証言を裏付ける根拠として、十分な説得力を備えているのではありませんか?」
「………!!」
場が一瞬、息を呑んだように静まり返った。エレグの言葉は、推測ではなく“論理”としてそこに鎮座していた。
「……もし、まだ情報を精査したいのであれば――」
エレグは一度、ゆっくりと息を吸ってから言葉を継いだ。
「どこへなりとも、ついていきましょう。私がパールマンのようにあなた方から手酷い尋問を受けることになろうとも、最終的に新エリー都が無事であるのなら、それは些末なことです」
その声音には覚悟とでも呼ぶべき重さがあった。
場に、再び沈黙が落ちる。
「………」
六課の面々は言葉を失い、即座に反論も判断も下せずに押し黙った。
邪兎屋の皆は不安そうにエレグを見つめる。
アキラは自分が庇われたという事実とその理由の分からなさに、ただ困惑するばかりだった。
(――なぜ、そこまでして……)
己の利益のみを追求するTOPSに属する者の振る舞いとしてはあまりにも異質だ。
その違和感は当然、六課の警戒心を刺激する。
何か裏があるのではないか、別の狙いを隠しているのではないか――そう疑われていることをエレグ自身も過去の経験から薄々察していた。
「はぁ……」
ふっと、突然エレグの肩から力が抜けた。
困ったように眉を下げ、エレグは小さく息を吐く。
「エレグ……?」
それは、あまりにも珍しい光景だった。
彼が人前でCEOとしての仮面を脱ぎ捨てた非常に稀な瞬間であり、常に余裕と笑顔を崩さない。そんな印象を強く抱いていた者たちは思わず目を見開く。
エレグは苦笑いを浮かべ、わずかに肩をすくめた。
「……私はどうやら、その態度や仕草だけで人に誤解を与えてしまうようでして……」
自嘲気味にそう呟き、視線を地面へと落とす。
「愚かなことにその自覚を持ったのはつい最近です。郊外ではカリュドーンの子の彼女たちにも随分と迷惑をかけてしまいました」
一拍の沈黙。
そして、彼はゆっくりと顔を上げる。
そこにあったのは計算でも駆け引きでもない。
飾り気のない率直な真剣さだった。
遠くで、トラックの前に寄りかかるように立つパイパーはわずかに目を見開き、思いがけない言葉を聞いたように眉を上げた。
「だからこそ、全てを告げるべきだと判断しました。皆様、私のこの気持ちは紛れもなく本心であり、ここにはいかなる企みの影もありません」
静かに、しかしはっきりと告げると、TOPSという立場にあるはずの彼はその場で深く頭を下げた。
「どうか……新エリー都を守ってください。――お願いします」
その言葉は誰かを動かそうとする命令でも、条件付きの取引でもない。
ただ一人の人間としての切実な願いだった。
「なっ……!?」
「エ、エレグ……」
「ちょ、まじぃ……!?」
場にいた全員が言葉を失う。
その立場にある者が頭を下げる――その行為の重さだけが確かに胸の奥へと沈んでいった。
沈黙が長く続いた。
誰も言葉を発さない。
風が石を転がす音だけがやけに大きく耳に残る。
やがて……星見雅がゆっくりと口を開いた。
「……エレグ殿」
その声には先ほどまでの冷えた緊張はなかった。
鋭さを残しつつも、どこか覚悟を伴った静けさがある。
「あなたの言葉に虚偽は感じられない。少なくとも……都市を危険に晒すつもりがないことは理解した」
一瞬、間を置く。
「私は……あなたを信じようと思う」
短く、重い断定だった。
その言葉が落ちた瞬間、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
六課の面々も武器にかけていた力を抜いた。どうやら自分たちの課長の判断に異議はないようだ。
エレグは自分の説得が上手くいったことに驚いたように目を瞬かせ、それから柔らかく微笑んだ。
「……ありがとうございます、星見雅課長」
深くはないが、確かな礼。
その仕草は先ほどまでの駆け引きの延長ではなく、素直な感謝だった。
張り詰めていた糸がようやく緩み、この場が話し合いへと移行できる、そう誰もが無意識に感じたていた。
「……エレグ。君は――」
アキラが口を開く。
胸の奥に溜め込んでいたもの。
ずっと抱えてきた誤解と今ようやく形を変えた感情。
それを言葉にしようとした、その刹那――。
――ダァンッ!
誰も、何も認識できなかった。
ただ、結果だけがそこに現れた。
「……え?」
その声を漏らしたのは誰か。皆の視線がエレグに向けられた。
「……っ、ごぼ」
エレグの胸元に小さな赤い花が咲いていた。
血が一拍遅れて滲み、鮮烈な赤がシャツを染めてゆく。
エレグの口からかすれた息が零れた。
和らぎかけた空気は一瞬で凍りつく。
理解が追いつくよりも先に現実だけが容赦なく突きつけられた。
――信じると決めた、その直後だった。
誰よりも早く動いたのは雅だった。
「散れ!!」
吠えるような怒声。
直後、連続して三発、四発、五発――同時多方向から銃撃が降り注いだ。
ドッ、ドドドッ……!!
連続する乾いた銃声が空き地を雨のように叩く。
着弾と同時に土埃が舞い上がり、視界が一瞬でかき乱された。
「伏せて!!」
張り詰めた声で注意が促される。
最初の一発を除き、その後の銃撃には全員が即応した。
六課だけではない。邪兎屋も同時に動く。
ビリーとアンビーが即座に銃線を読み、射線から外れるように飛び込む。
ニコはアキラの腕を掴み、反射的に遮蔽物へと引きずり込んだ。
「こっちよ!!」
――制圧射撃。
その規則的な間隔を察した者たちは三方向からの銃線を想定し、散開する。
雅はすでに刀を抜いていた。
雷光のような一閃。
刃が弾丸を捉え、パールマンへ向かっていた銃弾を斬り落とす。
不気味な火花が散り、金属音が空気を裂いた。
全員が遮蔽物へと辿り着く。
誰も、撃たれてはいない。
――ただ一人を除いて。
「……ッ!」
地面に崩れ落ちたのはエレグだった。放心しながらも猫又が何とかしてここまでエレグを運んだが、彼は胸元を押さえたまま、力なく倒れ伏す。
彼の指の隙間から血が溢れ、止まる気配がない。
「エレグ……?」
アキラは一瞬、状況を理解できなかった。
だが次の瞬間、改めてその血の量を見て顔色が変わる。
「エレグ!」
飛び出すように駆け寄り、その身体を抱き起こした。
「エレグ、しっかりしてくれ!!」
返事はない――そう思った、その時。
エレグの唇がかすかに動いた。
「……ああ……アキラさん……」
血に濡れた胸元。
それでも彼は微笑んでいた。
震える腕が持ち上がり、何かを探すように空を彷徨う。
アキラの手に触れ、ゆっくりと指が絡む。
「……やはり……あなたは……善い人だ……。都市も……あなたのような人を……必要としています……」
「喋らないでくれ!くっ、血が……血が止まらない。まだ助かるはずだ、まだ――!」
必死な声をエレグは静かな眼差しで受け止めた。
「いえ……もう、助かりません。ほら、早く……この場所を離れて……。新エリー都を……どうか……」
最後の言葉を紡ごうとした。
だがその声は途中で途切れ、息が続かない。
呼吸が、止まった。
エレグの身体がアキラの腕の中で静かに沈む。
「……嘘だろ……」
猫又が震える声で呆然と呟いた。シリオンゆえに感覚が鋭敏な彼女だからこそ分かる。既に彼の心臓は止まってしまったのだと。
外では未だ銃撃が行われている。
この混乱の中で、確かに一人の男が都市の未来を託したまま、真の黒幕の手により命を落としたのだ。
ウワー、シンデシマッタ!ツマリカレハクロマクデハナカッタノカ!
次回、残念だったな、トリックだよ……。です!お楽しみに!