転生者達の新エリー都、二足のわらじ生活 作:フライパンソルジャー
第五章も、残り二、三話で終わりそうな予感!
この章が終わったら、ちょっとコンパクトにしよう……。
最近ゼンゼロでは姉弟子ばかり使っているせいか、早く原作の展開に追いつきたい欲がどんどん高まってます……!
ブリンガーによって星見雅が連れ去られてほどなく、アキラのスマートフォンが低く震えた。
「ん、誰から……?っ、これは……!」
表示された発信元は『パエトーン』が信頼する”ある陣営”からだった。届いていたのは簡潔な報告文だったが、その内容は決定的だった。
――”すでに星見雅の現在地を特定した。その場にいる者たちに共有してくれ”。
――”現場にはこちらから人員を向かわせている。”
胸の奥に張りつめていたものが、わずかに緩む。
さらに文末には、念押しするように一文が添えられていた。
――”アキラたちは、ブリンガーの本当の狙いを探ってくれ。”
ブリンガーの標的が最初から雅であったと理解した瞬間、六課や朱鷲の面々の表情には隠しきれない焦燥が浮かんだ。
その中で、この報せは確かな救いとなった。雅の行方が完全に闇へ消えたわけではないという事実と、彼女の元へ向かっている者が既にいるという確証が、その場に安心感を与えたのだ。
その後、アキラは朱鷲の前に立ち、自らがプロキシという立場を伏せていたことについて改めて頭を下げた。疑念を抱えたまま協力関係を続けることは、これ以上許されないと悟ったからだ。
朱鷲は短い沈黙の後、その謝罪を受け入れた。両者の間に張り詰めていた緊張は、ひとまず解かれたといえる。
和解を果たした二人は、次に打つべき手としてブリンガーたちが狙っている可能性のある雅の刀に注目した。星見家に代々伝わるそれについて確かな情報を得るには、当主に直接当たるしかない。
『コホン……どなたかな?急ぎの用で私を探しているとライカン君から聞いたが?』
アキラはこれまでの伝手を使い、星見家当主――雅の父である宗一郎へとようやく通信を繋げることに成功した。
アキラが今日、刀の制御がきかなくなったことを伝えると宗一郎は顔色を変えた。
通話越しに語られたのは、星見家が長年伏せてきた秘密だった。”無尾”と呼ばれるそれは、単なる武器ではない。内に封じられている力は扱いを誤れば災厄となり得る、明確な禁忌だという。
『必ずあの刀の鞘は、完全な状態を維持している必要がある!鞘が機能していない状態で、娘が刀身に触れるようなことがあってはならない!』
焦りを滲ませながら、宗一郎は強く言い切った。
もし本当にそれが引き起こされてしまえばどうなるのか。そんな嫌な予感と理解が胸の奥で噛み合った、その直後だった。
「お兄ちゃんっ!見てコレ!会場が大変なことになってるよ!」
慌てた様子のリンが半ば割り込むようにして駆け込んできた。
彼女が投影したのは、ブリンガーの演説会場から送られてきた中継映像だった。
映像には現場に急行したヒールの二人。そして星見雅の姿が映し出されていた。
両者が映っていたのはほんの一瞬ではあったが、雅の手には狐火のような光を溢れさせる刀が握られていた。その様子はあの時と同じように明らかに常軌を逸しており、すでにブリンガーの狙いが果たされてしまったことを否応なく示していた。
直後、会場に停電でも起きたのか、映像は唐突に途切れた。
「まずい……!すでに敵は目的を果たしたようだ!急がないと!」
「ええ!会場には大勢の市民や来賓が集まっているはずです。被害が広がる前にすぐ現地へ向かいましょう!」
急ぎアキラと朱鷲は会場へと向かう。
だが、二人が辿り着いた時には、すでに会場の混乱は収拾された後だった。現場にヒールの姿も、雅の姿もない。双方はホロウの内部へと姿を消したのだと、残された者たちは口々に語った。
避難する人々で混乱の残る会場で、アキラと朱鷲の前に現れたのは、あり得ない存在だった。
「エレグ……?」
「あ、あはは……これは、困りましたね」
目の前で死んだはずの男、エレグがそこに立っていた。
その事実だけで思考が一瞬停止する。驚きと混乱を抱えたまま事情を問うた。
エレグはここに至るまでの経緯を一通り話してくれたが、何か隠しているようなそんな違和感があった。だが、その直後、彼は別の情報を投げ込んできた。
「今は私に構っている場合ではありません。先にあなた方の用件を果たしてください。たった今、星見雅執行官が医療施設へ運び込まれたようですので」
「「っ!?」」
雅が、医療施設に運び込まれたという報せ。
あまりにも唐突で、話を逸らすための方便ではないかという考えが、即座に脳裏をよぎる。
疑念はあった。だが、それを吟味する時間はなかった。アキラたちは深入りすることなく、その場所へ向かった。
雅は強い。
虚狩りということもあり、それは誰もが知っている。だが同時に、アキラは何度もヒールと共に仕事をしてきたからこそ、彼らの実力も理解している。
両者が全力でぶつかった可能性を考えれば、お互い無傷で済むはずがない。
加えて、今現在ヒールの誰とも連絡が取れない。その事実が、不安をさらに加速させていた。
エレグに教えられた病室の前で、二人はほとんど同時に足を止め、扉へと手を伸ばした。互いに顔を見合わせることもなくそのまま扉を開ける。
扉の向こうに広がっていたのは――あまりにも拍子抜けする光景だった。
「モグモグ……、やはりメロンはいつ食べても美味いな……」
「よく食べるな、雅さん。喉に詰めないようにゆっくりな……」
ベッドの上で、星見雅は上体を起こし、切り分けられたメロンを無心に口へ運んでいた。無表情のままではあるが、頭上の狐耳が忙しなく動いているのが見える。
その隣には見覚えのある三つ編みの女性が椅子に腰掛け、呆れ半分、微笑ましさ半分といった様子でその様子を見守っていた。
「雅さんに……君は、マオ?」
「ん?おお!アキラじゃないか。久しぶり」
何事もないかのように気楽に返されるその声色に、現実感が追いつくまで一拍遅れる。
「む、プロキシに朱鷲か……お前たちもどうだ?」
そう言ってメロンを差し出してくる雅。その光景を認識した瞬間、アキラと朱鷲の肩から力が抜けた。
ーーーーーーーー
その後、マオが簡潔に現状を僕たちに説明してくれた。
雅さんに対し、極度の疲労による一時的な保護措置を取っているだけだということ。
マオと”もう一人の人物”が、ホロウ内で意識を失って倒れていた雅さんを見つけ、ここまで運び込んだこと。
そして、直前に“ヒール”と雅さんが交戦していた映像がニュースやネットを通じて拡散されていることに触れ、彼女は見解を示した。
「雅さんは暴れていた時の記憶を覚えていないようだが……状況から見て、雅さんが倒れていた原因は、ほぼ間違いなく奴らだろうな」
そう締めくくったマオの言葉を受けて、雅さんは自嘲気味に息を吐いた。
「ああ……だが、恐らくあの者たちは、刀に呑まれた私が会場で暴走せぬよう食い止めてくれたのだろう。尤も、世間はそう受け取ってはいないようだが……この借りはいずれ返さなければならないな」
そう言って目を伏せる雅さんにマオは即座に言葉を返す。
「別に、気にしなくていいですよ」
「……?」
「あ、イエ、何でもないです」
雅さんが訝しげに視線を向けると、マオはわずかに言葉に詰まり、視線を逸らしていた。
「雅さん、無事で本当によかったよ。そういえば……どうしてマオたちはホロウの中に?」
ふと口にしたその疑問は、場の空気がわずかに落ち着いたからこそ浮かんだものだった。
マオは肩をすくめるようにして答える。
「……会場にいたエレグに言われたからだよ。”雅執行官がヒールに襲われて、ホロウに入ったから支援してこい”って、突然な」
「なるほど……」
どうやらエレグに連絡を入れたのはマオらしい。
それなら、彼が雅さんの状況を把握していたことにも合点がいく。
だが、その名前に雅さんが反応した。
「待て……エレグだと?」
伏せていた視線が持ち上がり、確かめるようにマオを見る。
マオは一拍だけ間を置き、軽く息を吐いてから静かに口を開いた。
「……えーと、実を言うと
それは、僕と朱鷲さんが会場でエレグ本人から聞いた話と相違なかった。
そして説明を聞くうちに、点と点が結びついていく。
エレグが口にしていた”腕のいい薬師”。それが誰を指していたのか考えるまでもなかった。彼女以上の適任者はいない。
(あの時彼の心臓は完全に止まっていた……。マオがエレグの命を救ったのか?)
僕は言葉にせずにその事実を悟った。
説明を聞き終えた雅さんは、すぐには何も言わなかった。
数秒の沈黙。その間、彼女の中で情報が整理されていくのが、空気を通して伝わってくる。
やがて、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうか。エレグ殿が……生きていた、か。それは良かった」
その一言には安堵と驚きが混じっていた。
信じがたい話ではある。だが、否定するよりも先に受け止めようとしている気配があった。
その空気を切り裂くように、通信が入った。
『プロキシさん!聞こえますか!』
緊迫した声。それは、別行動をしていた柳さんからの連絡だった。
「柳さん?どうしたんだい?」
『……ブリンガーは既に現場から逃亡しました。このままポート・エルピス付近のホロウを通過し、ヤヌス区から脱出するつもりのようです!』
「「「!」」」
一瞬で、場の空気が引き締まる。
どうやら、状況は待ってくれないようだ。
「なるほど、把握した。私も今すぐ向かうとしよう……!」
そう言って雅さんは立ち上がろうとした。だが、その動きは即座に遮られる。
「雅さん……!落ち着いてくれ、今は療養中……いや、修行中の筈だろう?」
マオの手が迷いなく彼女を制した。
『課長?そちらにいらっしゃるのですか?』
「柳さん、実は――」
通信越しの柳さんの声が一瞬遅れて状況を察した響きを帯びる。簡潔に事情を説明すると、即座に返答があった。
『……了解しました。課長はその場に待機を、体調が完全に戻るまで安静にしてください。現場対応はこちらで引き継ぎます』
耳を伏せ、悔しそうな表情を見せる雅さんに、マオは冗談めかしながらも真剣な声で告げた。
「まったく雅さん……。“見舞い品がなくなるまできちんと休む修行”、最後までやり遂げるよう”彼女”と約束したでしょう」
二方向からの明確な制止に、雅さんはついに観念したらしい。
「……そうだったな。すまないプロキシ、皆のことはお前に任せた」
「ああ、わかった、ベストを尽くすよ。雅さんには安心して休んでほしいからね。僕に任せてくれ」
「……感謝する」
彼女は手元に置かれていたメロンを一切れ取るとそのまま口に運び、その動作でようやく自分の中に折り合いをつけたようだった。
その様子を見届けながら、ふと部屋を見渡してみる。
メロンだけではない。果物、菓子、栄養飲料、花束……病室の一角には明らかに過剰とも言える量の見舞い品が積み上げられている。
(確か雅さんが運ばれたのはすぐの筈。……この短時間で誰がこんなに?)
こちらの疑問に気が付いたのか、マオが視線を向けずに答えた。
「私と、ホロウに一緒に行ったもう一人の馬鹿が置いていったんだよ。母親みたいに世話焼きやがって……。今は呼び出されていないけどな。雅さんも、まんざらでもなさそうなのは本当に勘弁して欲しい……!」
「そ、そうだったのか」
それ以上は語られなかった。
マオの不機嫌そうな気配に、これ以上踏み込むのはやめておいた。
話題を切り替えるように、マオは今後の段取りを告げる。
これから邪兎屋とカリュドーンの子のメンバーがこの場で合流すること。
雅さんは回復次第、後から追いつくつもりでいること。
実際のところ、雅さんの回復はほとんど終わっているようなものらしい。
そして、これから押しかけてくる大人数を相手にすれば、見舞い品が消えるのも時間の問題だろう、という現実的な見通しも付け加えられた。
「それなら……安心だな」
軽くそう返すと、マオはその言葉に小さく笑った。だが、すぐに気が重そうな顔をして、マオは語る。
「ただな……全員が揃ったところで、エレグについて改めて説明しなければいけないんだよ……!」
「それは……大変そうだ」
「まったくだ!気軽に頼みやがってッ!」
怒りを露わにしつつ、マオはふっと顔を伏せて僕を見る。
「ただまあ……誤解されやすいが、決して悪い奴じゃない。アキラも信用してやってくれ」
すぐには答えることが出来なかった。短い沈黙の間に、これまでの彼の言動や、今日の出来事が脳裏をよぎる。
(けど、ここまで彼女が信頼しているなら……)
「……うん。わかったよ」
やがて理解したとだけ示し、病室を後にした。
その後、会場に赴いていた六課にイアスを預け、同時にイアスとの同期を切った。
ビデオ屋からリンと共に直接現場へ向かうつもりだった。
ポート・エルピスの港へ向かう道すがら、潮の匂いと金属の擦れる音が混じり合い、胸の奥に溜まっていた緊張を静かに刺激する。
港の一角で待っていたのは、治安官の青衣だった。
「来たか店長殿。紹介させてもらおう。彼女は我ら治安局きっての潜入捜査官、ジェーン・ドゥと申す者」
「あなたはっ……!」
その紹介された人物を見た瞬間、思わず息を呑んだ。
その人物が過去に自分たちが営業するビデオ屋にふらりと現れた女性客だったからだ。
「あらぁ?これはまさかまさかの展開ね……」
悪戯めいた笑みを浮かべるジェーンさんに言葉を失う。
聞いたところ、彼女の働きにより治安局に逃亡犯が逃げ込んだとしてこの港一帯を封鎖させ、さらにはブリンガーを巧みに誘導し、位置を特定するまでに至ったという。
ここまで来れば、あとは六課と共にブリンガーの潜むホロウへ踏み込むだけである。
「店長ちゃん、彼の位置をアンタに送るわ。元副総監に”ちょっとしたサプライズ”をしてあげましょ」
「ありがとうジェーンさん。絶対に捕まえて見せるよ」
短く礼を告げ、六課の元へ向かおうと足を踏み出した、その時だった。
「――これはこれは皆さん、既にお集りのようで」
突如背後から聞き覚えのある声が響き、空気を割るような存在感が近づいてくるのを感じた。
「む?」
「………」
「エレグ……?」
振り返った先に立っていたのは、なんとエレグだった。
その背後には、統制の取れた武装兵たちが一列に並んでいる。装備、立ち姿、視線の動き――それらから彼らがマックスPMCの隊員たちであることは一目で理解できた。
悠然とした歩調で確実に周囲を制圧する圧を纏いながら、エレグはゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
「やあ、アキラ。また会いましたね。……それから治安局の青衣さん、と。そちらの方とは初対面ですね?初めまして、エレグと申します」
彼は柔和な笑顔を向け、三人に対して丁寧に一礼し、極めて友好的な、しかし決して軽くはない態度で名乗った。
「さすがは治安局に身を置く方々だ。行動が実に早い……!」
「……どうして君がここにいるのか聞いてもいいかな?」
静かに問いかけると、答えたのはエレグではなく青衣だった。
「店長殿、エレグ殿は此度の作戦における特別現場監督として足を運ばれたのだ」
「監督?けれどここは治安局の管轄じゃ……?」
エレグは小さく肩をすくめ、こちらの反応を測るように視線を巡らせた。
「色々と事情が重なったのですよ。治安局にブリンガーの不正を裏付ける証拠を提出したところ、私はブリンガーたちに明確に命を狙われた被害者となりました。死を偽装したことについては、弁解の余地はありませんが、襲撃そのものは紛れもない事実です。その時点で、私が部隊を動かすだけの正当性は成立していました。表向きの筋書きも整っており、誰かに止められる理由はない……はずだったのですが――」
一拍間が空き、青衣が低く続ける。
「我ら治安局の上層部が此度の事態を重く受け止め、エレグ殿の顔色を窺っておる。元治安局の副総監による犯罪行為、しかも要人暗殺未遂……公になれば我らの統制そのものに疑念を招く。かくして生まれる案件は、山のごとく……。TOPSとの対立を避けるための謝罪、調査、責任の所在の洗い出し。……そして世論とスポンサーへの説明のため、必ず誰かを切る必要が出てくるだろう。数名の高官だけでは済まず、現場の治安官にまで責任は降りかかると予想される」
青衣は小さく息を吐き、ジェーンさんが補足を入れてくれる。
「要するに、大勢の治安官たちの未来は、ぜーんぶCEO様の気分次第って話」
「なるほど……権力を持つがゆえに生じる歪み、というわけか」
(……流石はTOPSというべきか。ここまでくると、思わず力を持ちすぎていると感じてしまうな……)
息を呑みながら、エレグを見つめる。
「おやおや……!?皆さんが想像しているような真似を私がするはずがないでしょう……?そんな目で見ないでください。こちらとしても、実に頭の痛い話なのですよ!」
人好きの良い笑みを浮かべながら弁明するエレグだが、ふと真剣な表情になる。
「……とはいえ、私が口で気にしていないと伝えても、彼らが素直に受け取るとは思えません」
「そこで今回の逃亡犯の包囲は私の傘下企業と治安局の合同作戦という体裁を取ることにしました。これなら向こうも“誠意を尽くした”という実績を示せますし、治安局にとっても大きな安心材料になるでしょう」
一拍置き、彼は静かに息を整える。
「無論、派手に騒ぎを起こすつもりはありません。治安局とは事前に話を通し、動きはあくまで水面下に留めています。これは力を誇示するためのものではない」
エレグの視線が港の先のホロウへと向けられる。
「逃げ道を塞ぎ、確実に終わらせるためです。……”全てをね”」
その言葉の裏にある意図は、ついに誰にも読み取れなかった。
ただ彼だけが、すでに覚悟を固めた者のような重苦しい表情を湛えていた。
ーーーーーーーー
その後。アキラたちがブリンガーを捕まえるためホロウへと向かう背中を、エレグは少し離れた位置から静かに見届けていた。
彼らの姿が完全に見えなくなったのを確認すると、ようやく視線を切る。
「――さて……」
呟きは、波音とエンジン音に紛れて誰の耳にも届かない。
港には、装甲車の列が無駄のない間隔で並び、マックスPMCの隊員たちが既定の配置につき、治安局の部隊と綿密な連携を保っていた。
通信は滞りなく回り、監視網もすでに完成している。ここに至るまでの段取りは、すべて彼が描いた通りだった。
エレグは視線だけで全体を確認すると、端末を操作し、現場指揮を任せている部下へと簡潔な最終指示を送る。
港湾一帯は封鎖され逃走経路は潰されている。
逃亡犯であるブリンガーがこの包囲を抜ける可能性は限りなく低くなるどころか、内から、外からの、両方の出入りは決して容易ではないだろう。
治安局側にも短く、事務的で、それでいて要点を外さない指示連絡を入れ、歩きはじめる。
途中、すれ違った数名の治安官が揃ってエレグに敬礼をする。
形式的な所作だったが、そこには確かな信頼があった。
エレグはそれを受け止め、わずかに頷くだけで応じる。多くを語る必要はない。彼はすでにやるべきことを終えていた。
やがてエレグは、喧騒に満ちた埠頭から自然な歩調で離れ、照明の切れた裏通路へと足を向ける。
警備線の外れに設けられた業務用通路。
誰も彼を呼び止めず、理由を問う者もいなかった。
監督権限を部下に移譲した以上、彼が現場を離れることは最早作戦上なんの問題もない。
そうしてエレグ・マックスは、港の影へと溶け込むように姿を消した。
その離脱に気づいた者はなく、ましてや不審に思う者など、誰一人としていなかった。
ーーーーーーーーー
……もし仮に俺が誰にも気づかれぬまま持ち場を離れた事実を、極めて正確に観測できる存在がいたとするなら。
それはきっと、また俺が何か余計なことを仕出かすのではないかと、不安を抱くのだろう。
あの場に留まり、アキラたちがすべてを片づけてくれるのを待つという選択も確かに合理的だ。ブリンガーは問題なく倒されるだろうし、何より俺が再び疑われるようなリスクもなくなる。
だが、どうにも根本的なところで勘違いをされている気がしてならない。
確かに、いくつか予想外の出来事は起きた。偶然の邂逅からアキラに警戒されているのも勿論把握している。
だが、ここへ至るまでに俺が積み上げ、進めてきた計画は”何一つとして破綻していない”。むしろ、順調すぎるほどだ。
これまで、周囲のすべてを利用し、必要な局面では自分すらも駒として差し出しながら、俺は目的を成し遂げてきた。
最近になって、自分の行動が疑念を招いていることを自覚したのは、確かに失態だった。
けれど、それで今までの経験が無に帰すわけじゃない。すべては糧だ。だから今回も根本は変えない。
俺は自分の望む結末を狙い澄まして掴み取りに行く……!
「……ホロウに入ったことだし、そろそろ着替えるか」
ホロウの内部へと足を踏み入れた瞬間、歪んだ空間と濃密なエーテルが皮膚を撫でるようにまとわりつく。
空気の重さが変わり、世界の輪郭がわずかに歪む。
足を止め、静かに装備を切り替える。
隠していた金属スーツが展開され、分割された装甲が滑るように組み上がっていく。全身を覆う金属の表面には微細な回路が走り、淡い光を放ちながら、鼓動と同期するように低い振動を返してきた。
――裏の姿、エレクトロ。
正体を偽り、知能機械人となった俺は右手を掲げ、確かめるように指先へと意識を集中させる。
次の瞬間、軽い放電が弾けた。
「……やっぱりそうだ、間違いない」
放った電光は、これまでとは明らかに異質だった。”ホロウ内部にもかかわらず”密度は高く、立ち上がりは鋭く、何より制御が異様なほど滑らかだ。
疑いようもない。
自身の能力が、確実に底上げされている。
原因については、すでに心当たりがあった。
「口が裂けても言えないが、あの時の選択が完全な間違いだったとも言い切れないな。仮死の一手が、どうやら思いがけない恩恵をもたらしたみたいだ……」
胸の奥で、わずかな苦味を伴った感情が揺れている。
アキラ含め、みんなには悪いことをしたという思いは消えない。反省もしているし、二度と同じ真似をするつもりもない。
それでも結果だけを見れば、確かに得るものはあった。
あの時、郊外で襲撃が成功したと錯覚させるために心臓を止め、身体の機能が闇へと沈んだ、あの瞬間。
”喋らないでくれ!くっ、血が……血が止まらない。まだ助かるはずだ、まだ――!”
アキラが俺の身体を抱え、必死に呼び戻そうとしていた。
その時だ。確かに見た。彼の目が、ただの錯覚では説明できない、”神秘的な輝きを宿していた”ことを。
それが何なのかは分からない。知識としての裏付けは、もう失われている。
それでも、あの現象が俺の身体の”何か”を書き換えたのだという確信だけは揺るがなかった。
この身には、デンキウナギの遺伝子が組み込まれている。
電気を生み、操り、戦闘から制御、応用まで数々の局面で使ってきた。だが、ホロウの内と外では発揮できる性能は同一ではなかった。
ホロウ内部ではエーテルが満ちすぎているがゆえに、常にどこかで干渉が起き、能力は抑制されていたのだ。
(だが、今は違う……)
制限が外れたかのような全能感が内側から溢れ出してくる。それは、絡まり合っていた回路が正しい位置に収まり、機械が本来の性能を取り戻したような感覚だった。能力が、無理なく、無駄なく発動している。
「キャロットは念のため持ってきた……が、恐らく”必要ないな”」
俺は周囲に電磁波を放射した。それは攻撃ではなく、感覚の拡張だった。
瞬間、ホロウ内部の構造が立体的に浮かび上がる。エーテルに満ち、連続性を欠いたこの空間でさえ、もはや障害ではない。放たれた電磁波は隅々まで行き届き、壁も、裂け目も、エネルギーの流れも、まるで掌の上に置かれた模型のように把握できる。
(……凄いな。これじゃあ、まるで――、っ!エーテル活性の上昇……!)
思考を続けようとした、その刹那。
拡張された知覚の端に、大きな歪みが引っかかった。
ノイズではない、むしろ逆だ。周囲の情報量が均衡を失うほど、一点に集中して跳ね上がっている。
エーテル活性が異様なほど高い地点。
意識を集中させるまでもなく、それがブリンガーであることは理解できた。
「……確認は一先ず済んだ。早くみんなのところに行かないとな」
躊躇なく近くに生じていた裂け目に飛び込む。
空間を跨いだ次の瞬間、俺は上空にいた。
即座に電磁力を操作し、その場に滞空する。
足元では、アキラと六課がブリンガーと対峙していた。
どうやらブリンガーが薬剤を打ち込んだ直後らしく、変質の途中だった。肉体は膨張し、巨大な腕の化け物へと変貌しつつある。だからか、周囲への警戒は明らかに甘い。
アキラたちもブリンガーの変化の様子に驚き、注目しているようで、こちらの存在にはまだ誰も気が付いていない。
(チャンスだ……!偽装したとはいえ、いきなり狙撃を受けたのは事実。あの時の借りを返させてもらおうか!)
思考と同時に電磁波を全方位へと走らせる。
地形、湿度、気圧、エーテル密度、金属含有率、海流と風向き。視界に頼らない情報が重なり合い、世界が数式と回路図の集合体へと変わっていく。
解析を一瞬で終わらせ、静かに電気を周囲に、そして広範囲に発する。
それは単なる放電ではない。空間に対する”命令”だ。
環境そのものを書き換えるための操作。広範囲でありながら、誤差を許さない極限精度の電磁干渉が目に見えぬ形で世界に爪を立てる。
(ホロウの外と同等のパフォーマンスなら、”アレ”ができる!エーテルも潤沢、何より……海が近い。これなら、一瞬だな……!)
意図的に引き起こされた気圧変動が空気を揺らし、プラズマ化した帯電層が連鎖反応を起こす。空気中の微細な水分子とエーテルが反応し、上空で急速に流動を開始した。
見えない対流が幾重にも組み上がり、雲が生まれ、膨れ上がり、層を成して積み重なっていく。
――それは、積乱雲だった。
自然発生ではあり得ない速度で成長する雲の内部に膨大な電荷が雪崩のように蓄積されていく。その流れ、偏り、臨界点までもがまるで自分の掌の中にあるかのように把握できた。
俺は右手を下げ、標的を定める。
既にサクリファイスへと身を堕としたブリンガーは、召喚した巨大な白い腕の上からアキラたちを見下ろしている。歪み切った巨体は空間そのものを圧迫し、冒涜的な威容を晒していた。
だが――その巨躯はあまりにも目立ち、あまりにも鈍重だ。
「目玉を増やしたくせに余裕ぶって周囲の変化に疎かになってら。はっ……!的としては最高だな。……落ちろ」
――カッ!!
その言葉を合図に、人為的に引き起こされた自然災害が解き放たれた。
天が裂け、何者も反応することができない速度で白光が世界を塗り潰す。
それはもはや一個人から放たれる攻撃ではない。まさに裁きだ。
神罰のように雷が、下界の狂信者へと落ちた。
ーーーーーーーーーー
ホロウ内部、指定された座標。
待ち伏せていたアキラと六課は、まんまと姿を現したブリンガーを追い詰めていた。逃走経路を断ち、退路も塞いだ状況である。
「フン、流石は対ホロウ六課、足が速いな。……いいだろう。こちらとしてもこの方が好都合だ」
それでも、ブリンガーに焦りはない。むしろ余裕すら滲ませながら、こちらを見渡す視線は冷静で、獲物を値踏みする捕食者のそれだった。
「妖刀の力は手に入った。見せてやろう!ホロウの時代を先駆ける究極の姿――!」
ブリンガーは突如として薬剤の入った怪しげな注射器を取り出す。透明な容器の中で、不自然な色合いの液体がわずかに脈打つように揺れている。
アキラたちが追い詰めたはずの状況は、ブリンガー自身の選択によって根底から裏返された。彼は一切の躊躇なく、怪しげな薬を自らの腕へと打ち込む。
「ぐぅ……っ、始まりの主よ……再創をォオッ!!!」
苦悶の叫びと同時に、彼の肉体が異変を起こす。
皮膚の内側から光が滲み出し、身体全体が白熱するように包まれた。人という枠組みが内側から破壊されていく。
周囲の空気中に漂っていたエーテルが異常な速度で活性化し、次々と結晶化していく。
「エーテル活性上昇……!気を付けてくれ!」
アキラの警告が響くが、その間にも変質は止まらない。
ブリンガーの体は軋み、膨張し、悍ましいエネルギーを撒き散らしながら巨大化していく。皮膚という概念は意味を失い、骨格や筋肉といった構造そのものが再編成され、もはや個体としての輪郭すら保てていなかった。
やがて、空間に大きな裂け目が走る。
そこから白く、巨大な腕が押し出されるように展開された。その掌には、肉と一体化した巨大な目玉が埋め込まれている。視線がこちらを捉えた瞬間、背筋を冷たいものが走った。
「あの腕――!?」
その造形を目にした瞬間、H.D.Dシステム越しに、アキラとリンの思考が一瞬停止する。
忘れようとしても忘れられない、かつて目にしたことのある姿。悪夢と酷似した形状が、記憶の底から強引に引きずり出される。
「避けて!」
瞬間、巨大な腕が降り降ろされ、地面を揺るがす。アキラたちは即座に散開してこれを躱すが、変化はこれで終わらない。掌から何かが這い出してきた。
その存在の肌は巨大な腕と同じく色素を失い、白濁している。体表には、無秩序に複数の目が埋め込まれており、視線という概念そのものを暴力的に拡張したような怪物が形を成す。
それはブリンガーだった。異形の身体は、右腕はうねる触腕へと変質し、左腕は剣と一体化する。
巨大な腕の上で滞空しながら、こちらを見下ろしていた。
「ブリンガーの奴、エーテリアスに!?」
この時、皆は理解する。ブリンガーは完全に人の身を捨て去り、化け物へと堕ちたのだと。
見下ろしてくる無数の視線からは濃密で粘つく殺意だけが溢れ出していた。空間そのものが圧迫され、空気が重くなる。あらゆる存在を拒絶し、塗り潰そうとする意志が巨大な影となってアキラたちへと迫っていた。
もはや戦いは避けられない。全員が武器を構え、戦闘が始まろうとしたその時、
――パリッ。
「………?」
「何だ……?」
誰かが小さく、しかし確かに異変を察した声を漏らす。
唐突に、全員の感覚が同時に異常を訴える。
急に髪の毛が逆立ち、肌を撫でる空気が鋭さを帯びる。目に見えぬはずの電荷が、確かな質量を持って存在を主張し始めた。静電気という言葉では到底収まらないほどの電気的緊張が辺り全体を包み込んだのだ。
「わ、わ!なに!?髪の毛がキューニおかしいよっ!?」
蒼角が思わず声を上げた、その瞬間、空気が悲鳴を上げた。
――ドォオオンッ!!
閃光が戦場を切り裂くように走り、世界が白に染まる。
次の瞬間、ブリンガーの巨体は光の奔流に呑み込まれていた。
「ぐぁああああああッ!?!」
白く焼け付くような輝きがその異形の輪郭を塗り潰し、耐え難い威力の圧倒的な衝撃に晒された肉体は、悲鳴とともに制御を失って地面へと叩きつけられた。
エーテルの濃度は一瞬で乱され、増幅し続けていた圧力の流れは力任せに引き裂かれる。
アキラと六課も、尋常ではない光と轟音の余波に思わず腕で顔を覆い、その場に伏せる。
「うっ、落雷……!?」
「眩しッ!?」
突如世界を襲った災害に、現場は混乱する。
――シュゥウウーーー。
やがて光が引いていき、視界が戻った先にあったのは焦げた臭いを立ち上らせながら黒煙を吐く巨大な腕。
「ギ、ギギぃ……っ!?」
そして、地面の上でビクン、ビクンと不規則に痙攣するブリンガーの姿だった。
何が起きたのかを即座に理解できた者はいなかった。六課もアキラも、目の前で起きた現象を事実として受け止めるだけで精一杯であった。
「これは……一体?」
その混乱を嘲笑うかのように、場違いなほど軽い調子の声が戦場に落ちる。
「一般に、落雷が直撃する確率は百万分の一程度と言われているが……ずいぶん“引き”がいいじゃないか、ブリンガー次期総監。……いや、今はただの怪物だったな」
「っ!何者です!」
柳が即座に鋭い声を放つ。その瞬間、六課の面々は一斉に陣形を取り、武器と視線が同時に声の発生源へと向けられた。誰一人として油断はない。
雷という想定外の介入、そして正体不明の第三者。戦場は一気に緊張の密度を増していた。
直後、その視線の先から乾いた金属音が規則正しく響き始める。
カツン、カツン、と。
それは軽快とは言い難く、無駄のない歩調だった。重量のある何かが迷いなく、確かな意志をもって瓦礫を踏みしめている音。崩れた地面に力が伝わるたびに微細な振動が足元から伝播してくる。
やがて、闇の奥からその全貌が姿を現した。
「おっと、そう警戒しないでくれ、対ホロウ六課の諸君。知らない仲ではないだろうに。そう敵意を向けられると悲しくなる」
そこに立っていたのは、知能機械人。
全身は金属装飾に覆われ、関節部から放たれる微光が電流の走行を可視化している。外装の隙間を走る青白い放電が、周囲の静電気と共鳴するように明滅し、その場に立っているだけで、周囲の空気が張り詰め、毛髪が逆立つ。
まるで存在そのものが環境を書き換え、周囲を“自分の領域”へと引き寄せているかのようだった。
その機械人はどこか人懐こい仕草で片手を上げた。旧知の友人に再会したかのような軽い挨拶。しかし六課の誰一人として、その姿に覚えはない。
それが場の空気をさらに硬直させ、誰も言葉を発せぬまま数秒の沈黙が流れた。
その沈黙を破ったのはアキラだった。
「君は……”エレクトロ”じゃないか!」
驚愕と確信が入り混じった声で、彼は思わず叫ぶ。
「は?」
「……えぇっ!?」
六課のメンバーはまさかの名前に驚愕し、悠真と蒼角が驚きの声を上げる。
「やあ、アキラ。会えて嬉しいぞ」
エレクトロに対し、「来てくれたんだね!」と警戒も疑念も含まない、心からの歓迎を行うアキラ。
一方で、六課のメンバーは完全に言葉を失っていた。
同一人物なのか?と思うほどの大きな存在の差異。過去に接触したエレクトロはボンプの姿であり、挙動も言動も軽く、どこか落ち着きがなく、大抵ハイテンションであった。
少なくとも、今のように戦場を支配する圧を纏った存在ではなかった。
内心の混乱が六課の間を巡る中、エレクトロはそんな空気を意にも介さずに話を進める。
「改めて、久しいな六課の諸君。今回も助太刀に来たぞ」
低く、落ち着いた声。
かつての軽薄さは影を潜め、そこには状況を俯瞰する者の余裕があった。視線をずらし、地に伏す存在へと向ける。
「積もる話はあるだろうが、後でだ。まずは先にこの怪物の処遇を決めることにしよう」
「え、ええ……」
柳は一瞬の逡巡の後、一先ずアキラが信頼しているならと困惑しながらも同意する。そして、落雷に打たれ、感電して動けないでいるブリンガーへと視線を動かす。
「ギ、ギギ、ザマ等、一体、どういうごど、だ!?」
喉を震わせ、引き攣れた声を絞り出す。
ボスとしての威厳は地に落ち、誇示していた力の風格は見る影もない。全身を走る電流が未だ神経を縛り、筋肉は断続的に痙攣している。
先ほどまで場を制圧していた絶対的な威圧感は削がれ、代わりに滲み出ているのは、理解できない現実に直面した者の焦燥だった。
突然の落雷による現状もそうだが、それ以上に、目の前の光景が信じられなかった。
(……なぜだ……?こいつ等が一緒にいられるわけが……!)
深い対立関係にあるはずのヒールのエレクトロと六課。
得ていた情報が正しければ、顔を合わせた瞬間に敵意を剥き出しにして、争い始めても不思議ではない。
――それなのに、この距離感、この会話。
まるで、”最初から因縁など存在しなかったかのような”振る舞い。
バッ!と思わず視線をエレクトロに向ける。視線に気が付いたエレクトロは愉快そうに笑みを深める。
「どうした、ブリンガー?」
上から見下ろすエレクトロの半笑いの声が、その疑念を突き刺す。
「何か、極めて重要なことに気が付いたような顔をしているが」
「っ!!マ、マザガ……!」
思わず声が裏返る。
その瞬間、ブリンガーの中で点が線へと繋がった。
――間違いない。
こいつは、初めからこちらを騙していたのだ。
すべてが最悪の形で腑に落ちた瞬間、胸の奥で何かが音を立てて崩れた。積み上げてきた取引、共有したはずの利害、同じ側に立っているという前提。
それらが最初から虚構だったと理解してしまったがゆえの崩壊だった。
「ギ、ギザマァ……裏切るのかッ!」
それは非難であり、同時に、真実に辿り着いてしまった者の悲鳴だった。
電撃による痺れが神経を縛り上げ、肉体は意思に反して硬直している。
動かぬ身体の奥で憎悪だけが生々しく燃え上がり、その視線は許しがたい裏切り者へと突き刺さった。
「裏切る?ん~……一体何の話か皆目見当もつかないな」
エレクトロは首を傾げ、間延びした調子で返す。
「過去を捏造するような悪癖でもあるのか?それとも、自身の記憶が定かでない状態か。どちらにせよ、そんな状況なら口を閉じていた方が賢明だろう」
あまりにもあっさりとした否定。
弁明ですらない。ただ、知らぬ存ぜぬで押し通すという、とぼけ切った言葉。
過去そのものを、最初から存在しなかったかのように無価値化する声音がブリンガーの神経を逆撫でする。
「何ダと!?」
喉から、反射的に怒声が迸る。
だが、怒りよりも先に理解が追いついた。
――エレクトロは切り捨てに来たのだ。
自分たちとの関係を、協力を、罪を、全て”無かったこと”にするために。
六課が目の前にいる今、この場で“共犯”の痕跡を残すことは致命的だ。
だからこそ、目の前のエレクトロは全面否定しているのだと悟る。
このタイミングでアクションを起こしたということは、自分が孤立するという未来すら最初から計算済みだったのだろう。
このまま動くことのできない自分を始末し、すべての罪を押し付けるつもりか。
(……この屑がァッ!そうはいくかッ!)
「惚けるな!裏切り者め!」
内心で吐き捨てるように怒りが形を持ち、ブリンガーを突き動かした。
「私を口封じして事実を隠蔽する気だろうが、キサマ等が我々と共謀した事実は決して消えることはない……!」
「……”共謀”……?」
その発言に、わずかな困惑と動揺が波紋のように広がった。
視線が交錯し空気がざわつく。
「……黙れ」
エレクトロは冷ややかに言い放つ。
「いきなり何を言い出すかと思えば……。アキラに六課の諸君、気にしなくていい。さっさと終わらせるとしよう」
取り合わない態度。
だが、それが逆に、ブリンガーの言葉を遮ろうとしているようにも見えた。
「……ク、クク」
チャンスだと喉を鳴らし、ブリンガーは嗤う。
「しらを切るつもりのようだが、そうはいかない……!キサマ等が既にエレグ・マックスの命を狙った悪党であることは変えられない!結局、それを成し遂げられなかった無能だとしてもなッ!」
「何だって……?」
真に迫るブリンガーの発言に、先ほどよりも明らかに騒めきが大きくなる。
――エレグ・マックス。
その名を叩きつけるブリンガーの声には怒りと同時に計算が混じっていた。
この場にいる者たちの胸に疑念という種を植え付けるための言葉。
エレクトロとアキラ、そして六課の間に”取り返しのつかない溝”を作るための必死の足掻きだった。
ブリンガーは大局が見えていない訳ではない。
サクリファイス化に加えて妖刀の力を所持しているとしても、動けない今の自分が目の前にいる勢力に対して勝ち目がないことくらい理解している。その理解が、裏切り者のエレクトロに対する憎悪だけでなく、時間を稼ぎ、仲間内の対立を煽るという最後の手段へと追い込んでいた。
――そして事態はブリンガーの都合の良い方向へ進むことになる。
「……まあ、”否定はしない”。少なくとも、その事実だけを切り取るならな……」
感情の起伏を感じさせない淡々とした声をエレクトロは返した。
そして、その一言が戦場を凍らせた。
「そんな!?エレクトロ!?」
誰かの声が信じられないというような声を上げる。
予想外にも、エレクトロはブリンガーの主張を否定しなかった。その態度がそこにいる全員の思考を遅らせることとなる。
――否定しない。
それは、もう認めたも同然ではないのか。
「っ、クク……!」
ブリンガーはその隙を逃さない。
巨体の胸郭が不自然に上下し、歪んだ笑みと共に勝機を見出したかのように瞳がぎらついた。
「ほら見ろ……!やはりなァ……ッ!」
痙攣する指先が痺れとは無関係に歓喜で震える。それを必死に抑え込みながら、ブリンガーは声を張り上げた。
「エレグ・マックスは新エリー都の血管だ!あの男が束ねる企業群は多岐に渡り、都市の基盤そのものを支えているッ!」
荒い息の合間に、言葉を叩きつける。
”突如降り注いだ稲妻によって”、極めて不利な状況に追い込まれたからこそ、その声は必死だった。
「そんな男の首が飛べばどうなる?どんな影響が起きるか知らなかった訳ではないだろう!?供給は止まり、雇用は崩れ、街は不安に呑まれる!混乱は暴動を呼び、暴動は更なる死を生む!私はそんな犠牲すら覚悟し、行動した!お前は違うというのか!?」
「………」
ブリンガーは止まらない。相手が”反論してこないがゆえに”、ブリンガーはより苛烈に責め立て、さらに踏み込んでいく。
「治安維持部門への資金提供、災害時の即応インフラ……!エレグ・マックスが表に出ぬ部分でどれだけの火種を揉み消してきたと思っている!?奴が企業を束ね、裏と表を掌握しているからこそ、この新エリー都は保たれている!」
ブリンガーは対立を煽るため、ヒールが命を狙ったエレグの功績を列挙し続ける。
緊急時とはいえ、かつてのブリンガーであればあり得ない行為だった。
エレグを称揚する言葉など、口にすること自体が屈辱だったはずだ。
――だが今は違う。
己が最も信じ、敬愛する存在がエレグを特別な位置に置いているかもしれないと、”演説会場で示されたから”こそ、ブリンガーは縋るようにその価値を語った。
「エレグ・マックスが消えれば、その均衡は一気に崩れる!それを分かっていて狙ったのがキサマ等だろう!?悪を挫くヒーローを気取っておきながら、実際にやっていることは秩序の破壊だ!」
視線がエレクトロからアキラへ、そして六課へと突き刺さる。
「……聞け、六課の執行官ども!何をもって私だけを悪とする!?何も知らないキサマ等が、誰が本当の悪党か、理解できるのかっ!?」
「……っ!」
誰かが息を詰めた。
それは動揺か、反発か、あるいはほんの一瞬の迷いか。
挑発と扇動。
客観的な立場を装いながら、相手の価値観の根を揺さぶる、あまりにも古典的で、しかし有効な手法。
疑念という名の刃をそれぞれの胸に突き立てようとするかのように、ブリンガーの視線は執拗に彼らを貫いていた。
――その策が、決定的なところで破綻しているとも知らずに。
いや、正確には、最初からこの展開を誘導されていたという事実に、彼自身が最後まで気づかぬまま。
「っ、ク……クハッ……」
不意に、場違いな音が零れ落ちた。
押し殺そうとした笑いが、喉の奥から漏れ出したような、短い呼気。
「……ハハ……」
次の瞬間、それは堰を切ったような爆笑へと変わる。
「アハハハハハハッ!!」
沈黙で受け止めることすらせず、エレクトロは腹の底から込み上げてきた衝動を、そのまま吐き出した。
笑いは止まらず、金属の胸郭が上下し、戦場に不釣り合いな音が響き渡る。
それは嘲弄ではない。
虚勢でもない。
あまりにも可笑しくて、愉快で、そして……完璧すぎたのだ。
思い描いた筋書き通りに駒が動き、相手が自らこちらの願いを叶えてくれたのだから。
「エ、エレクトロ……?」
アキラの困惑した声が漏れる一方で、思わず六課は反射的に身構えた。
この状況において、笑うという行為が持つ意味をエレクトロ自身が分かっていないはずがない。
それでもなお笑うという選択。それは、”何かが決定的に覆る前触れ”に他ならなかった。
「ほら!見てみろっ!奴が本性を現したぞ……!」
ブリンガーは、その笑いを完全に誤解した。
自分の言葉がこの場を上手くかき乱した。均衡が揺らぎ、疑念が広がり、事態は都合よく拗れる直前にある。
そう信じて疑わなかった。
「ハハハハハ! ハハ……ハァーーー……全く」
やがてエレクトロは、ゆっくりと笑いを収める。
深く息を吐き、まるで余韻を楽しむかのように肩を落とした。
既に周囲の空気は最悪であり、エレクトロ自身も勿論それを認識していた。
だが、その事実すら、今の彼にとっては些事だった。
ゆっくりと、噛みしめるように言葉を零す。
その声は相変わらずエフェクト混じりの機械音声でありながら、どこか妙に柔らかく、そして異様なほど既視感のある丁寧な口調だった。
「流石はブリンガー元副総監、あなたらしく、まったくもって素晴らしい演説でした。……会場で聴くことができず、残念だと思う程に」
「え?」
思わず、間の抜けた声が誰かの口から漏れる。
あまりにも場違いな賛辞。あまりにも予想外の反応に、その場にいた全員が一瞬、思考を停止させた。
「本当に、ありがとうございます。最早、私が弁明する必要はないでしょう。あなたがすべて、語ってくれたのだから……。――私の正当性をね」
淡々と、だが確信を帯びた口調。
敵を讃えるには意図が不明であり、皮肉にしては温度が低すぎる。
突如として礼を述べるエレクトロの態度に、六課の面々はもちろん、ブリンガー自身も理解が追いつかない。
「何を言って――」
ブリンガーが疑問を口にした、その瞬間。
――ヴゥン、という低い駆動音が周囲に重く響いた。
エレクトロの全身を覆っていたスーツの装甲が順に“展開”されていく。
折り重なる金属片が滑るように開き、外装としての役割を終えた鉄が静かに後退していく。
この場に外部の視線はない。
フェアリーは既に襲撃を受け、現在は機能不全。
今の彼女に対して視覚記録を遮断し、バレないよう手を回すことなど造作もない。
ブリンガーの仲間であるサラも、未だこのホロウの中に侵入出来てはいない。周辺は治安局に加え、企業の部隊が展開し、鉄壁の警備網が敷かれている。もはやこのホロウに侵入するなど容易ではない。
つまり、これから行われる光景を目撃する資格を持つのは、この場にいる者たちだけ。
――この瞬間を、どれほど待ち望んだことか。
長く、周到に準備された舞台。
想定外を耐え抜き、数々の根回しと誘導を積み重ね、ようやく辿り着いた“最適解”。
そして今、エレクトロの顔を覆っていた最後の装甲が、”外された”。
「嘘…………」
その“中身”を目にした瞬間、この場にいた全員が言葉を失った。
鉄の仮面を脱ぎ捨てた”彼”はいつものように口角を上げ、余裕と確信に満ちた人好きの良い笑みを浮かべながら告げる。
「さあこれで……まだ、分からないなんてことはないでしょうが、答え合わせをしてあげましょう……」
穏やかで、逃げ場を与えない声音。その一言だけで場の空気が張り詰める。
目を惹く佇まい。
見慣れた輪郭。
そして新エリー都市に深く、広く刻まれた顔。
”彼”は、もはや隠す必要がなくなったかのように、ゆっくりと息を整え、口を開いた。
その所作は静かでありながら、どこか荘厳ですらあった。
エレクトロという仮面の名の裏に封じられていたその“正体”が、稲妻のように空気を裂き、場そのものを震わせる。
「
確固たる意思をもって胸元の社章を掲げ、自身の正体をこの場にいる者すべてに余すことなく晒してみせる。
「「「っ!!?」」」
息を呑む音すら、遅れて届く。
驚愕。
衝撃。
誰も、声を上げることすらできなかった。
訪れる完全な静寂。
まるで、彼以外のすべてが時を止めてしまったかのように。
――姿を現し、名乗りを上げる。
ただそれだけの、あまりにも単純な行為。
だがそれは、過去に積み重ねられた噂、誤解、警戒、疑念、そしてこの場に渦巻いていた不信のすべてを一瞬で吹き飛ばす、圧倒的な決定打だった。
凛然とした名乗りを上げた”彼”は、TOPSの一角に名を連ねる存在であり、裏で暗躍する伝説の長。
環境そのものを盤面とし、人と情報と状況を駒として操り、幾多の目的を水面下で果たしてきた策謀の体現者。
その正体を、もはや誰も疑うことはできない。
「あなたは言いましたね?ヒールが狙った人物が、新エリー都を支えていると。それを狙う者は秩序を破壊する悪党であると。あなたは、それを高らかに糾弾していました」
迷いなく右腕を上げる。
伸ばされた指先は、先ほどまで饒舌に扇動を続けていたはずの男――今や完全に静まり返り、唖然として瞠目するブリンガーへと向けられていた。
「ならば、この場において悪はあなただ。それほどまでに重要な人物を陥れ、さらには怪物に成り果てたあなたこそが、唯一の悪といえるでしょう……!」
その姿は、もはや敵を糾弾する戦士ではない。逃げ場のない結論を突きつける裁定者そのものだった。
”彼”の存在自体が、言葉以上に“何が真実で、誰が断罪されるべきか”を、否応なくこの場に突きつけていた。
「さあ、終わりにしましょう!全ての黒幕……ブリンガー!」
不敵に微笑むその男こそが、遂に本懐をここに成し遂げたエレグ・マックスその人であった。
『弁論が叶わないのなら、敵を利用すればよろしいじゃない』
――by Electro-Wanet