(仮)豹頭王の物語の一登場人物に憑依する話。   作:Marchhatter

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 ご感想をいただきました。ありがとうございました!
 かなり早めに本筋から脱線して離れてしまいかねない気配なのですが、少しずつでも続けていきたいと思います。
 



 前話の裏、グイン視点です。
 ほとんど進んでいませんが、次回以降は途中経過が違ってくる予定ですので、もう少し進めたいです。
 後で粗い部分を修正します。

(20251030追記)誤字のご指摘、ありがとうございました!


011 奇妙な協力者

(グイン一行視点、ルードの森の避難所、朝)

 

「いや、まだ一つ方法がないでもないぞ、グイン」*1

 

 

 いきなり背後から呼びかける、陽気だが意味深な声。

 傭兵のかけた声に対して、一行は振り向き。

 警戒感にみちた無言の視線が、声の主に突き刺さる。

 

 グインの、トパーズのような目はまばたきすらもせずに、この油断ならない、(彼の考えでは、スタフォロスにセムを引き入れた犯人である、毒蛇のごとき)男に据えられていた。

 どういうわけか、グインが気づかなかったほどのひそやかさで、この男は彼らの後ろに忍びよっていたのだ。 

 

 ──聞かれた会話の内容からすれば場合によってはここで袂を分かた(手討ちにせ)ねばなるまい。

 

 そう、グインは決意した。

 

 リンダの視線にも、このモンゴールの黒騎士に対する敵対的な色が濃厚である。

 もっとも、おそらく新手のモンゴール軍が来るまで彼女たちを騙して引き留めようとしているのだろうとは邪推しつつも。

 窮地をこの男により救われたという点が気になっているのか、判じかねた迷いの色もわずかに混じっている。

 

 これに対し、傭兵は全く自然体といえばいいのか。

 グインの殺気、リンダの敵意にまるで気づかない風で、紙一枚、へらりとした笑みを浮かべている。

 

 レムスは内心おろおろとしながら、乾いて声が出ない口を湿そうとする。

 ──もっとも、声が出たとして、何を言えばいいのか?

 不敵な笑みを浮かべる傭兵と、にらみつける姉とグインの間の高まる緊張に胃を痛めつつ、両者に交互に目を移し。

 ──なぜこういう事態になったんだろう、と。

 レムスは、昨日、城を脱出してからのことを思い出していた。

 

 ──────

 

 まさかの脱出計画。それは、「黒の塔の頂上から飛び降りる」という狂人の考案したが如きものだった。

 しかし、おそらくは綿密な計算があったのだろう。飛行は成功し、城からは脱出できたものの。

 死の河とよばれる、ケス河に着水したとき。

 実のところ、レムスはこれでいよいよ人生が終わるかと覚悟していた。

 

 なにしろ、着水直後は水面下に完全に沈み、巨体のグインに縛りつけられていて体の自由がきかない。

 衣服やタペストリがまとわりつき、ろくに泳ぐどころか、息をするのも難しい状態なのに。

 澄んだ水の下に、巨大な影が透けてみえてきて。

 そしてぎゅおうぎゅおう、と彼らの周りの水が渦を巻き始めたからだ。

 何らかの水魔が、彼らに目を付けたのはあきらかだった。

 

「ちっ、厄介だな!──リンダ、レムス、俺は剣を振るわねばならん。

 すまぬが一度ベルトを外すぞ、──んっ!?」

 

 ようやく水上に浮上したグインは、あわただしく柄元近くの刃で彼らを結わえた紐を切り、戦闘態勢を整えようとする。

 そのとき、ひゅんっと空気を切り裂く音がして、まだ川面に浮いていた彼らの翼(タペストリ)に何かがからみついた。

 グインは、河岸を見やって舌打ちをする。

 

「──あいつか。この際、仕方ない!」

 

 ようやくの思いでレムスも頭を回して岸辺を見やると、背の高い黒騎士の姿。

 彼の手から、縄が一直線にこちらに伸びている。

 カギ付きの縄だ。抛ってくれたのは、彼であるらしい。

 グインが縄を握ると、黒騎士はぐいぐいと力強く縄をひっぱり、渦から彼らを軽々と脱出させてくれた。

 

 ──────

 

「──何のつもりだ」

 

 彼らが岸辺に上がると、黒騎士はいかにも予期していたと言わんばかりに、恭しく3枚の厚布を差し出す。

 ちょうど離宮での水遊びの後、侍従が拭き布を出してくれるように。

 レムスにすら知覚できる、今にも剣を抜き放ちそうな殺気を放つグインの唸るような問いかけに。

 黒騎士はまるで応えていないように、飄々として答える。

 

「濡れたら、風邪をひくだろう?

 豹頭の旦那はまあ、大丈夫かもしれないが」

 

「──そうだな」

 

 事実、春に遠い辺境の風は冷たい。

 レムスはプルプル震えながら、内心、嬉しかった。

 たとえ敵だとはいえ、心細いこの地で自分たちを気に掛けてくれる彼の親切さが。

 だから戦士と姉が彼に対して強い猜疑心と隔意を抱いているのが、どうにも居心地悪い思いがしたのだ。

 

「ありがとう」

 

 礼を言うと、「()は我が喜びにて」と黒騎士は言い、パロ風の作法ではないが貴公子のように典雅に答礼した。

 ニヤッ、と顔をあげた黒騎士が白い歯をみせて笑い返したとき。

 微風に、爽やかで高貴な香水の匂いが一瞬、レムスの鼻を()った。

 面頬を上げた目もとは、碧眼白膚のモンゴール人のそれではない。歯切れのよい口調にも、辺境訛りはない。

 ──かといって、パロの宮廷言葉(おじゃる言葉)でもない。

 

 ゴーラの騎士としては不自然でちぐはぐな、そんな彼の様子。

 それがどうにも姉とグインには怪しく、腹に一物あるように映じているらしい。

 まあ、ぶっちゃけレムスも彼のことを怪しいと思う。

 一介の兵とはいえぬほど、そう、必要以上に事情を深く知って関与している。

 彼らの脱走を使嗾する書を差し入れて手を貸したのは、まず間違いなくこの男。

 

 ──密偵だっていう、グインの見立ては正しいんだろう。

 でも、もしかするとパロとかその友好国の密偵なんじゃないかな、助けてくれたし。

 

 レムスは、そう思った。

 

 ──────

 

 イシュトヴァーンと名乗った黒騎士の強引な勧めに応じて、彼らはゴーラ軍の緊急避難所であるという洞窟に赴き、一夜の宿をとることになった。

 グインは、なおも彼に対して気を緩めていないようだったが。

 ただでさえ危険な辺境の夜のとばりが降り始めている今、しかも勝利に酔うセムの大軍が指呼の間にいるこのケス河の岸に、ろくな遮蔽物もないままとどまることの危険性は、あきらかだった。

 

 イシュトヴァーンは、精魂尽きかけていた彼ら姉弟を馬に乗せ。

 自分自身は、彼らの乗った馬を牽きながら走った。

 彼の言によると、日が暮れるとこのあたりは非常に危険なのだそうだ。

 今は彼に頼るしかない、と思ったらしいグインも、馬の後から彼らを護衛してくれる。

 

 沈みかけた陽に、傭兵は気が急いているらしい。

 委細構わず、要所では槍(脱出時にタペストリにくくりつけた槍は、グインと傭兵とが1本ずつ持っていた)を振り回して野獣を威嚇して追い払いながら。

 ときには馬の手綱をグインに譲り、先行して様子を見てくるなどしてくれている。

 彼らがそのまま逃げてしまうとは、夢にも思っていない様子。

 傭兵が先行して彼らの会話が聞こえない距離に離れたとき、リンダがグインに、そっとささやいた。

 

「(グイン。気づいた?あいつの匂い)」

 

「(ん?なんだ、香水のような匂いがしていたな。それがどうかしたか、リンダ)」

 

「(たぶん、──クムの高級香水なの)」

 

「(──クムの手先か。)」

 

「(──手先だどうだ、っていう話じゃなくて。

 この香水、たしかエマおばさまが気に入ってたんだけど。

 同じ量の銀の値段がする、って言ってた。傭兵が買えるようなものじゃない。)」

 

 そこでイシュトヴァーンが戻ってきたので、彼らのひそひそ話はそこで中断した。

 しかしグインの黄色い目は、一層の疑念を抱いて、彼の広い背を追っていたのだった。

 

 ──────

 

 それから1ザン後。

 傭兵の指示に従って湿地を抜けた彼らは、隠れ家みたいな崖の中腹の横穴にころがりこんだ。

 

 最初は、騙されたと思った。

 入り口の扉を開けて入ると、あの狂暴なセム族の1人がのんびりとした風情で、敷布に横になってヴァシャの実を齧っていたから。

 グインは今にも剣を振るいそうだったが、彼とおびえるセムとの間に、イシュトヴァーンがふらっと入る。

 彼女は(レムスは気づかなかったが、確かに女性であるらしかった)、あの黒騎士たちを虐殺しまくっていたのと同じ、猿人の蛮族ではある。

 しかし、イシュトヴァーンと名乗る傭兵によると、彼女は黒騎士たちに攫われて閉じ込められていた女の子であり、あの砦を襲撃した蛮族たちとは違う部族に属する。

 つまり、「いい蛮族」なんだそうだ。

 

 傭兵の説明に、そんなものがいるのか?と彼らは困惑しつつも。

 あっけらかんとした傭兵の態度に気勢を削がれ、受け入れざるを得なかった。

 傭兵は怪しいこと限りなかったが、彼らに危害を加える意図がないことはあきらかだったし。

 なにより双子は疲れ果てていて、ことを論うだけの体力も残ってなかったのだ。

(グインに至ってはその後、セム族と仲良くおしゃべりしてた。

 後で聞いたところによると、イシュトヴァーンの言っていることを確かめていたのだそうだ。

 ただ、その『スニ』と名乗ったセム族の少女の言うとおり、イシュトヴァーンが彼女を救ったこと、スニと砦を襲撃した蛮族たちとの間につながりがなく、むしろ敵対関係であるのは確かなようであったが。

 イシュトヴァーンが、あの城を襲撃したセム族を導き入れたのではない、とは彼女(スニ)も断言できなかったようだった。)

 

 セム族の少女、スニとの邂逅後。

 軽く食事でも、と言われ、乾果をかじりかけたところまではレムスは覚えている。

 しかし、その後、床の毛皮と暖かい備え付けの毛布の感触の心地よさに、そのまま疲れ果てていた双子は寝てしまった。

 

 朝、彼らが目を覚ますと、イシュトヴァーンと名乗る傭兵は姿を消していた。

 連絡用に使うと思われる石板に色石で「スグモドル イシュト」とルーン文字で記されていて、どうやらしばらく外に出ているということのようだ。

(あのグインたちの牢に投げ込まれた獣皮紙の指示書の筆跡と一致しているようだ。

 やはり、彼が仕組んだのであろう。)

 なお傭兵は、格式の高い伝統的表記でこのルーン文字を記していて、そこにも彼らは違和感を持った*2。)

 

「グイン、──どう思う?あの傭兵、モンゴールの援兵を連れて帰ってくるんじゃない?」

 

「そうだな、そういうことも考えられる。」

 

 グインは、リンダの問いかけにそう応える。

 そして、彼らの間で、対応が協議される。要約すると。

 

 ──あいつは怪しい、おそらくは間諜。勝機ありとはいえ、セムが城攻めをして成功したのもいぶかしい。

 自分で放火して自分で火消しの水をかけるようなもので、絵を描いたのはあの男なのではないか。

 一時の協力はするが、そのうち叩きのめして洗いざらい吐かせるのも一策。(グイン)

 

 ──良い黒騎士は、死んだ黒騎士。すぐに白黒をはっきりさせて黒なら首を叩ききるべき。

 もちろん嘘ばかりだと思うけど、ケス河に死体を放り込む前に弁明くらいは聞いてやってもいい。(リンダ)

 

 ──いろいろ助けてくれたのは、パロの友好国の人だからだと思う。

 帰ってきたらちゃんと穏当に聞いてみて、それで決めようよ。多分答えてくれないと思うけど。(レムス)

 

 そして今すぐ問答無用で切り捨てるか、あるいは叩きのめして白状させるか、それとも難所をやりすごした後で隙をみて問いただすかという選択をめぐって議論が白熱しかけていたところにかけられたのが、冒頭の言葉だったわけだ。

(残念ながら穏健派のレムスの意見は姉に鼻で笑われ、彼は憤りを覚えながらも沈黙せざるを得なかった。)

 

 しかしその場に踏み込んできた飄々とした風情の傭兵は。

 剣気をまとい、いつでも剣を抜き放てる姿勢のグインに。

 ニヤニヤと傲岸な笑みを浮かべて言い放ったのだ。

 

「話は聞いたよ。」*3

 

 

 まさにその彼に危害を加えようという会話を、立ち聞きされてしまったはずなのだが、一向に動ぜず悠然としたものである。

 傭兵の豪胆さは、あきらかになんらかの「裏の手」を仕込んでいるが故の余裕の表れとみていい。

 一行はとりあえず「すぐ切り捨てる」「すぐ締め上げる」方針を見送るとともに、改めて警戒心を高めたのだった。

 

 そしてレムスは、回想を終え。

 彼が何を言い出すのか、かたずをのんで見守る。

 

 ──────

 

「──腹ごしらえさ!」*4

 

 

 傭兵はまずは腹ごしらえが先だ、と主張し。

 全く何の緊張感もなさげに、食料を取り出した。

 ──見るなり、王子王女も、そしてグインも唾をのみ込んだ。

 昨日は夕食らしい夕食を採れなかった彼らの腹の虫は、いい声で啼いている。

 一見するとまったく無防備にみえる傭兵の様子に、グインも警戒の姿勢を一度ひっこめた。

 

 食事をしながら、朝、何をしていたかを問われて。

 傭兵は、あっさりと城の様子をみていたといい。

 そして、使えるものを略奪しに行こう、とグインを誘った。

 

 リンダが余計な口をきいた(※レムス視点で)ということはあったとしても、話はその方向でまとまりつつあった。

 

「それで、イシュトヴァーンよ。

 ──その後のことだが。」

 

 グインが、慎重に問いかける。

 この傭兵が、どのように進路を考えているかを問いただす。

 

「ケイロニアか、アルゴスに行きたいと思ってるんだろう?」

 

 傭兵は、あっさりと彼らの考えを看破した。不気味なほどに正確に。

 

「ケイロニアは少なくとも中立だし、モンゴール以上の国力がある。

 アルゴスも草原の強国だ。先日亡くなったパロ王の妹が嫁いでいる。」

 

 行先の話をしたのは、黒騎士を締め上げる算段の前だった。

 城を見に行ったというのは嘘ではなさそうだが、思ったより早く城からもどり。

 その後僕たちの会話は盗み聞きされていたのかもしれない、とレムスは思う。

 

「ルートはいろいろだ。

 ノスフェラスを越えてキタイに出る、ヴァーラスを越えて陸路ケイロニア、ケス河沿いの陸路かケス河自体を使ってロス経由、海路で沿海州やアルゴス、ケイロニア」

 

 彼はゆっくりと分かりやすく、石板に色付き石で地図を描きながら自分の意見を開陳する。

 双子は、視線を合わせる。

 この時代、地図は戦略的重要性があり、かつて中原の大部分を支配していたパロの王族でもない限り、これほど詳しく各地の様子を正確に知り得るものはいないはずなのだ。

 

「──俺も途中までは付き合おう。そこの豹頭の旦那ほどじゃないが、剣もそこそこ振れるつもりだ。

 どのルートを考えていたんだ?」

 

 黒騎士はそう言って、自分を売り込む。

 きわめて怪しい。しかし、確かに腕は立つしこれまでは助けてくれたのは事実。

 

「とにかくゴーラ領には入らず、つまり辺境を突っ切って、文明圏にたどり着きたい。

 ──そんなところだろう?」

 

 黒騎士イシュトヴァーンは、そう続ける。

 

「俺もスニさんをノスフェラスの実家に帰したら、適当なところで文明国に戻らねばならん。

 ただ、なかなか行けるところが少なくてな。」

 

 リンダは猜疑心に満ちた目で彼を見る。何をやってきたというのだろう。

 イシュトヴァーンは、ニヤッ、と悪そうに笑い返す。

 

「俺ことイシュトヴァーンはトーラスで、貴族のせがれをバラしちまったみたいでな。

 その前に、アルセイスでも賭け場を荒らしまくったらしく、怒った地回りどもからしつこく刺客を送られる身分。何人か返り討ちにしてしまって、お尋ねものになっているようだな。

 クムのルーアンでも女を寝取ってやったらしい相手と決闘騒ぎを引き起こし、そしてモンゴールにやってきたようだな。だからこの身には、ゴーラ三国領にいる限り浮かぶ瀬はない。」

 

 ──なぜ自分のことなのに、第三者のことを言うような表現をしているのだろう。

 

 そう一瞬、リンダは思ったが。

 これは彼の自分の経歴に関する「設定」でしかないからだ、と彼女の明敏な頭脳はすぐに答えにたどり着く。

 彼はやはり、グインの言うように中原列強、おそらくはケイロニアかアグラーヤあたりの密偵。

 モンゴールの辺境の砦に潜り込むにあたり、そういう「背景」「設定」をつくった。

 グインたち一行に対し、直截的には自分の真の素性や、密偵であることは言えない。

 だから自分が密偵であるが詳しいことは話せない、と、こういう表現でそれとなく伝えているわけだ。それは彼なりの誠意なのかもしれない。

 王族間の婉曲話法に慣れた自分には、その程度のことはすぐにわかる。レムスが分かっていない風なのがもどかしいわね、──と彼女は思う。

 

「──だからな、多少ほとぼりが冷めるのを待ってから、北方のケイロニアか、古代王国のハイナムあたりをめざそうと思っていたところだ。」

 

 彼はそう言って、黒曜石の目を彼らに向ける。お前らはどうだ、と言わんばかりに。

 

「わたしたちは、確かに。

 ──ケイロニアか、アルゴスに行くつもりでした。」*5

 

 

 リンダは、イシュトヴァーンをまだ完全に信用しているわけではないが、彼のそれなりの誠意を感じ。

 多少は迷ったが、結局そう打ち明けた。

 

「そうか。ならばアルゴスを勧める。

 パロ王の妹が嫁いだ、草原の国だろう?困ったときには、大いに血縁を頼るべきだ。

 ──あの武勇に名高い黒太子とやらもいることだし。

 潜伏しているナリス殿下も、そろそろ動く。

 あの神官坊主のヤンデレ娘のせいでいったん、捕まってしまうだろうが、──。」

 

「ナリスは、生きているの!?」

 

「知らん」

 

 聞きとがめたリンダの問いかけに、彼は不機嫌というか「しまった」と言わんばかりの苦々しい顔をして答えを拒み、口を閉じた。

 アルゴスとの結びつきを知っているのは、まだいい。それは周知の事実だし、この男がただのゴーラの平騎士ではないことは、彼らも承知。

 しかしナリス公の動向にまで言及したことに、さすがのレムスも異常に気付く。

 

「ねえ、あなた言いかけたわよね!ナリスがどこに「知らん!」」

 

 たかが平民であるはずの彼が、王女の再度のご下問を、きっぱりと拒絶する。しかもそこには誰にも口を挟ませない、重たい響きがあった。

 一瞬の、気まずい沈黙の後。

 

「──いずれにせよ俺には事情があって、パロやアルゴスまでは付き添えない。」

 

 これも、彼なりの婉曲な情報提供の一つなのかもしれない。

 彼はナリスの生存と、その所在を知っているらしい。それをモンゴールに告げていない、だからモンゴールの手先ではない。

 しかし、直接にナリス側の利益になるような動きもしていないようだ。つまり、中立勢力だ。

 むしろ黒太子スカールやナリスへの言及の口ぶりから、イシュトヴァーンは彼らにあまりいい印象を持っていないのではないか?とも、双子は感じた。

 

「──ただ、文明圏にたどり着かねばならないのは、俺も同じこと。

 モンゴールの追手をさておくとしても、辺境を生き延びるには一人でも人手が多い方がいい。それまでは、協力しよう。

 俺も、パロの遺臣なりアルゴスの遣いなりにつなぎをつける助けはする。ただ、パロやアルゴスへの使いは、勘弁させてくれ。

 お前たちが安全にアルゴスに到着できると確認できた段階で、袂を分かつ。」

 

 双子は目を見かわす。

 彼らの間では、この密偵の意図の一つは、彼らパロの王子たちを密偵の所属国に連れて行き、モンゴールなりアルゴスなりとの間の取引材料にすることなのでは、と推測されていた。

 しかし、少なくとも彼はそういうつもりがないようだ。 

 

「グイン、お前は自らの素性を探している。そうだな?」

 

「ああ。そういうお前は、俺のことを「知らん」」

 

 再度、傭兵は拒絶した。

 

「豹あたま、俺はお前が何者かを知らない。

 お前は豹で戦士、俺の知るかぎり最強の戦士だ。後の時代に叙事詩(サガ)に語りつがれる英雄となるだろう。

 この大陸は、お前の運命の星の下に揺れ動く。

 だがお前が誰でどこから来たのか。なぜ、どうやってここに導かれたか。それは知らない。

 それを知る手段についても、一介の傭兵である俺の言えるところではない。」

 

「──」

 

「ただ、俺の知るお前は子供を見捨てて行ける性格ではない。

 それを俺がやれば首をねじ切るくらいのことはするはずだ。そうだな?」

 

「ああ」

 

「「グイン!」」

 

「──しばらくは双子を守りながら行くがいい。その道の果てに、自分が何者かを知ることができるだろう。

 その途中までは、俺も同行して協力する。ゴーラや敵国にお前たちのことを売ったりはしない。」

 

「そうか」

 

 グインはまだ腑に落ちないようだが、イシュトヴァーンに対する隔意は鎮まったようにリンダには思えた。

 

「話はそれたが。時間が惜しい。

 アルゴスでもケイロニアでもいい。ケイロニア経由でアルゴスも、その逆でもいいだろう。

 まずは城だ。イカダを押さえる、河を降るにも渡るにも必要だ。──いいか?」

 

 イシュトヴァーンの問いかけに対し、グインはくぐもった、重々しい声で答えた。

 この一行のリーダーは彼だ。イシュトヴァーンも、何の疑いもなくそう想定しているようだった。

 

「イカダを探すなら、城。地下の穴蔵あたりからだろうな」*6

 

 

 イシュトヴァーンは我が意を得たりと膝を打った。

 グインは食事の残りを平らげ、出発準備を整えている。

 緊迫した空気を読んでおびえたように離れていたスニも寄ってきて、イシュトヴァーンも頬を緩めて頭を撫で、何やらキタイ語と思われる言葉で説明している。

 

 双子は、目を見合わせた。

 予言者の血をひく二人の目には、グインたちと異なり、等量の大きな困惑があった。

 

*1
第2巻13ページ、イシュトヴァーン発言。

*2
言わずとしれた、ヨナの功績である。

*3
第2巻17ページ、イシュトヴァーン発言。

*4
第2巻19ページ、イシュトヴァーン発言。

*5
第2巻20ページ、リンダ発言。

*6
第2巻25ページ、グイン発言。

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