(仮)豹頭王の物語の一登場人物に憑依する話。   作:Marchhatter

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ご感想をいただきました。ありがとうございました!

 原作初期の雰囲気など、わずかなりと表現できているか不安だったりもしておりましたが、原作未読でも楽しめそう、と伺えてすごくうれしいです!
 もっとも原作の辺境編あたり、実は超面白いのでおすすめだったりもします(初期の原作、想像力も筆力も震えるくらいすごい・・)。


 ちなみに原作の航路からは大幅に外れそうですが、少なくともケイロニア編相当あたりまでは到達したいなー、などと思います(1巻4~5話相当だとすると、そのくらい進みたいです)。ケイロニア編の「オルフ◯ウスの窓」、好きなのです。


 原作の航路のその先を知らない筆者、いただいた情報のパワーワードを聞いて驚愕しました。ほうほう、ケモ耳っすか・・。いやいやいや、どんな進化でそうなるん・・!?


 また激励ありがとうございます。ちなみに基本構想からして「とにかくイシュトに現代人をぶち込んでグイン他を困惑させつつあちこちをハッピーエンドに!」というものなので、イシュトもこの先、無数の落とし穴にはまり続けることと思います・・。


 また、ご評価をいただきました。ありがとうございました!
(誤字のご指摘も、ありがとうございました!)


 第三者(グイン)視点→偽イシュト視点→第三者(アムネリス)視点です。
 また後で細かいところを修正するかもしれません。


019 星々の惑い

(グイン視点、狗頭山の麓、出立の翌日)

 

 グインは、よろめきながら立ち上がった。ぱらぱら、と革の丈夫な袖なし外套(マント)から礫や砂が落ちる。

 彼は、謎の種族、ラゴンを援軍を求めて訪ねる途中にノスフェラスに起きた大嵐に巻き込まれ。

 どうやら、遠く運ばれてしまったらしい。

 彼の強靭な肉体でも、このドールの大嵐に巻きこまれて無傷とはいかなかった。

 体には多くの打撲傷、擦過傷がついている。

 

 ──いや、おそらくは数十タッドから1モータッド(70~100km)ほども、飛ばされてしまったであろうことを考えると。

 これは奇跡的に無傷だ、と評すべきであろうな。

 

 彼のような巨体を舞い上げるほどの台風の力や、そしてその力で砂や石や岩や怪物たちと攪拌され、落とされたときに蒙るはずのダメージからすれば不自然だという思いが脳裏にちらつく。

(実際、グインの周囲にはいくつか彼と同様に嵐に巻き上げられ、地面にたたきつけられて無惨に潰れたり四散したりした化け物の亡骸も転がっている。)

 

 ──しかも好都合にも、目的地の近くに。天の配剤というには都合がよすぎる。

 

 なにものかの意志、超越者の作為が働いていると感じ取らぬわけにはいかない。

 原作と同様、彼はこのことに深く悩むことはやめ、苦笑して豹頭を振るにとどめた。

 ひとえに、この時代の神が神秘な実在であり、その意が理解できぬとして、いたずらに解釈しようとすること自体が冒涜とされていたからでもあるし。

 そしてまたモンゴール軍は攻勢をとっておらず、原作ほど日程が逼迫していなかったため心に余裕があったからでもあった。

 為すべきことを為すのみだ。グインは、位置を再確認する。おそらくここは、狗頭山の西の岩石原であると思われた。

 

小女王(リンダ)は、東へ向かえと言っていたな。狗頭山を越えろ、と)

 

 進路を定め、彼は歩き出す。

 その頭に渦巻きはじめる、様々な思考。

 神というべき上位存在への疑問。夢で言われた、まだ人間でない、という言葉の意味。「3人の女」をめぐる、謎めいた神託、──。

 

 彼、グインはおそらく、現実の世界では嵐に巻き上げられて遠い距離を運ばれ、その途中で意識を失い。

 夢、あるいは心象世界(あまりに現実的なあれが夢や心象世界だったりするのだろうか、と彼は一抹の疑問を覚えたが)で、不思議な体験をした。

 その体験が、彼の心に影を落としている。

 彼は岩場を進みながらも、その記憶を思い返す。

 

 ──────

 

 ──彼はその心象世界で、暗い洞窟を歩いていた。

 影の深い路を進み、分岐で道の選択を硬貨に託そうとして。

 彼は自分と見知らぬ女とが両面に刻まれた、この世に在りうべからざる硬貨に気づいた。

(そのときは疑問に思っていなかったが、硬貨を自分が持っていたこと自体に疑問がある。

 彼の装備はスタフォロス所属の黒騎士のものを借用したもので、旅にあたり絞り込んでいる。辺境では無用の硬貨など入れた覚えはない。)

 

 硬貨の刻印の記述からみて、彼とその気位の高そうな女性は皇帝と皇后であると思われた。

 彼が知らぬ過去に、彼は皇帝であり。

 この刻印の女を、皇后としていたのであろうか?

 

 さらに進み、彼は一つ目の巨大な赤子に遭遇する。赤子は謎の神託を下す。

 

”(自らの道をゆくがいい)”*1

 

”(自らの道をゆき、自らの運命にあうがよい。王冠と鎖をともに踏みにじるがよい。三人の女がお前を導くだろう)”*2

 

”(一人の女に出会って運命を──一人の女に出会って王冠を──そして一人の女に出会ってお前自身を見出すがよい)”*3

 

 そしていんいんと響く声は、憤るグインに、グインは人ではない、あるいは()()人ではなく、三人の女に出会って自分自身になるであろうと告げた。

 

 最後にグインは、3人の女の1人と思われる女のシルエットを幻視し、追いかけてその顔をみようとしたときに、意識を失ったのだった。

 

 ──────

 

 グインは、大剣を含む、多くの装備を失っていたが。

 ベルトの内側に隠した短剣、()()()の内側に入れておいた果実といくつかの道具は無事だった。なぜかイシュトヴァーンと名乗る胡乱な傭兵の助言で入れた、ヴァルドーズという妖魔よけの香水をしみこませた匂い袋も。

 

(はて、あいつは何と言っていたかな。

 途中までは有用だが、最後に不要どころか有害かもしれん、そしたら捨てろなどと言っていたな。

 よくわからん奴だな、あいつも)

 

 傭兵の、悪戯っ子のような人を喰った笑みを脳裏に思い浮かべる。

 ついでに、お土産を拾ってきてほしいという彼の要求も。

 自らの実存の意味に悩む原作とやや異なり、グインには苦笑を漏らす余裕があった。

 

 ──────

 

 古代語で「犬の頭(ウル・サーグ)」と呼ばれる、そのノスフェラス東部の岩山地帯の目印となる山を彼は登り始めた。

 イド、血吸蠅、吸血苔。そういった吸血性の有害な動物もいるが、魔物除けの高級香水はその多くから敬遠され、近づこうとするものはいない。

 さきほど見つけて倒したイワモドキのように、例外的にグイン自身が近寄ってしまうことは、あるが。

 

「グルルル・・」

 

 彼は唸った。

 岩のすき間に、これまでとは違う生き物がいる。

 赤い、鬼火のような目。砂漠オオカミだ。

 

(短剣しか持ってはおらぬ。難敵だな。数も多い)

 

 グインはそっと短剣を抜き放ち、闘争に備える。

 しかし訝しいことに、砂漠オオカミは多数集まってきて。

 鼻にしわを寄せるようにして警戒を示し、唸り声をあげて威嚇しているものの。

 一定の距離を保ち、襲撃してこようとはしない。

 

(香水の効果、か)

 

 グインの知らぬ原作では、ここからグインは砂漠オオカミと死闘を繰り広げる。

 そしてその末に、格子ほどもある巨大な純白の砂漠オオカミ、狗頭山の狼王と出会うのだが・・。

 

「これは驚いた」

 

 原作どおり、グインは狼王に出会う。

 狼の群れを統率する狼王は、彼の部下たちを「ウォルーン」という吼え声で散らしてくれはしたものの。

 グインのもとに近づくのに、ひどく気が進まない様子をみせている。

 

「お前が俺を助けてくれたのか、──なぜ逃げる」

 

 グインが手を伸ばすと、狼王はつい、と除け。

 頭を撫でようとした彼の手は、宙を切った。

 どうしてだろう。威厳に満ちた狼王の視線が、どこか胡乱というか呆れた様子というか。

 よくもまあそんなものを身につけていられるな、という憐みにも似た表情、──

 

「もしかすると、──これか?」

 

 傭兵が渡してくれた匂い袋を取り出すと、狼王も配下たち同様、鼻にしわを寄せて唸った。これらしい。

 

「すまぬな。これは我が友が用意してくれたものなのだ。

 有用ではあるのだが、──そなたたちには、毒なのだな。えいっ」

 

 放物線を描いて消えていく匂い袋に、狼王はやれやれ、やっとあの臭いものがなくなったか、と首を振るそぶりをみせた。

 近寄って、グインの差し出した手を舐めようとして、──見上げて、もう片方の手を要求する。

 ざらざらする舌が、グインの左手を舐めまわす。

 

 その間、グインは嫌われた方の手を嗅ぎ。残り香の存在を感じ取って、苦笑した。

 どうやらグインは、この匂いが消えるまでは、利き腕でない左手で狼王を撫でることになりそうだった。

 

 

 ──────

 ──────

 

(イシュトヴァーン視点、モンゴール軍の本陣、夜)

 

 思いがけず卓を共にすることになった、距離の近い公女殿下。

 まあ性格ゴミクズとわかっていても外見は美人だし頭の回転も速い、そして驕慢というわけでもない。ちょっぴり怖いところも見え隠れするけど、基本は実直というか真面目。

 何より用意してくれた食事とヴァシャ酒。食事は質素だが悪くない味だし、ひさしぶりのヴァシャ酒は口の粘膜に沁みいるほどに美味く、すっかり気が緩んでしまっていた。

 

 そういうわけで、僕は自分でも思い返すと不思議なほど、油断してしまっていたんだと思う。

 しばらく世界情勢をいい気で論じて、白騎士にマジギレされかけた後。

 手下にならないか?と公女殿下じきじきの誘いを受け。

 面倒なので「イシュトヴァーン」に、断る方向でひとつ、と任せていたら。

 思ったよりキッパリ断ったのが逆鱗に触れてしまったのだろうか、──公女殿下がついにキレた。

 

「──そして私は言っていたな。次に会ったときお前を殺す、と」

 

 重たい、死刑の宣告。広がる沈黙、やばたにえん。

 急に氷水をぶっかけられたような感覚。重力が重いっす。

 本来なら僕にいい思いなど抱いていないであろう白騎士たちまで、息をひそめている。

 

 しまった。ヤバい。まあまあ落ち着いて、とフォローしてなんとかしなきゃ。

 僕が死んだら僕が困る。あー、自分でも自分が混乱してるってわかるぞ!

 

 しかし物理的な圧力すら感じる、恐慌状態で動けない「僕」を射貫く緑の目の視線に対し。

 一時的に体の統制を代わった「イシュトヴァーン」は、動揺も見せずに平然と公女を見返した。

 

 かたり、とも物音はしない。白騎士たちも、凍りついたまま。

 爆発寸前の緊張感。

 

 しかし。僕の脈で十数拍後。

 公女は息を吐き。白騎士たちも緊張を緩めることはないが息をついた。

 

「私は、振られてしまったのだな?

 まあいい、せめて今宵限り、長い夜を楽しもうではないか。話は、楽しかったぞ。

 しばし、色直しをさせてもらう。

 エクハルト、客人にその台に寝てもらえ。くれぐれも気をつけよ。手足は厳重に縛めることだ」

 

 そう、韜晦めいた柔らかい口調に戻り、公女は言葉を継いだ。

 ──全く笑ってない、暗い碧玉の目で。

 

 ──────

 

 公女は白騎士どもに、それ以外にも何かを下知した後。

 また来る、と言い捨てて退出していった。──出ていく直前の顔を横目でかろうじて見たが、眉を顰めてどうみても御気色(みけしき)うるわしいとは言い難い様子。

 

 僕はその後、かろうじて用を足すのを認めてもらったうえで(いやー、酒飲んだら出るよね。だけど大型のおまるっていうか壺に衆人環視、どうみても羞恥プレイ)。

 どうみても、「俺、拷問台っス」という風情の殺風景な木の台にうつぶせに縛りつけられた。

 まだ使用実績がなさそうで真新しい木の匂いがしているのが、せめてもの慰めか。

 

 しまったなー、と僕は台にまな板の鯉状態で転がりながらほぞをかむ(もちろん心理的に)。

 さっきはいったん保留、と回答しておけばよかった。だめなら、受けても。

 受けておいて、この場はいったん逃げる。そして約束なんぞ踏み倒せばいい。

 それに僕が勝手に約定を受けただけ。仮に僕自身は破るわけにはいかないとしても。

 結んだ当事者は、あくまで僕でしかない。僕がノスフェラス側(?)の交渉権など持ってるわけではないので、そんなのあずかり知らないグインたちが無視しても責められるいわれはない。公女殿下が間抜けだったってことにすればいい。

 百歩譲って。条件飲んで公女殿下の配下になったとしても、グインなら双子を無事送還できるだろう。それにこっそり協力するくらいのこと、もちろん僕だってやるよ。

 

 とにかく、このままじゃ殺されそう。不味ったな。

 今更だけど、「やっぱ、いいっすよ。手下になります」とか言ってみる?言うチャンスあるかな?

 ただ彼女、思ったより武人気質っていうか。そういう心変わり自体、嫌いそうな気もする。

 それにそのまま顔も見たくねえ、殺しとけってなったら、──

 

 僕は、むっつりと黙り込んだ白騎士たちに監視されながら。

 おそれと不安を胸に、これから起きる何かを揺らめく松明の光しかない部屋で待ち受けた。

 

 ──────

 ──────

 

(第三者視点、モンゴール軍本陣の別室、夜)

 

「ガユス。──奴の言葉の真偽は?」

 

 彼との晩餐をとった部屋を出た、公女アムネリスは。

 隣の小部屋に入り。そこで卓上に水晶球を据えて見つめていた魔道士にそう問いかけた。

 重い疲労が、肩を押すのを感じる。地面が揺れるように感じ、軽く足がふらつく。かろうじて粗末な急造の椅子(スツール)に腰かけた。

 

「術が徹っているとすれば──おそらく徹っておりまするが、ほぼすべて真実ですな。

 あからさまな諧謔や皮肉めいた反語もありまするが、基本、嘘は言っておりませぬ。ただ、──」

 

 ガユスと呼ばれた年かさの魔道士が、水晶球を見つめながら言う。

 彼は、主の命令で主が怪しげな裏切者の黒騎士と食事をとっている卓のすぐ裏側の、この小部屋に侍り。

 あの謎の裏切者と主との会話を仄聞し、怪しげな術でその真偽を占っていたのだった。

 

「『ただ』?」

 

「あの者の最後の言葉。『王女など関係ない』。なぜかあの前後の言葉の真偽は、術で判じかねましたな。

 ──儂には真実ではないように、聞こえましたが」

 

「ああ、それは私にも分かった。

 ──薬も術も、果たしてどこまで効いていたのやら」

 

 慣れない酒が喉元まで上がってきて、彼女は顔を顰めた。後で、厠で吐き戻そう。頭もくらくらする。

 秘薬も上限量に近い量、摂取してしまっている。

 さっきから音がひどく雑多に脈絡なく耳に入り、なかでも軒の風音が彼女を嘲笑う声のように聞こえる。

 ただそうした体調の悪さでなく。ひとえに彼の言葉に覚えた不快感のため声が低くなってしまったのを、彼女は自覚する。

 

 彼女は、彼を自分のものにしたいと思うようになっていた。いかなる対価を払っても、──とまで。

 最初は、敵だった。殺そうと思った。

 しかしその勇気と才覚には、敵ながら感服せざるを得なかった。

 

 いつのまにか、彼のことが気になっていた。多忙な司令官としての仕事のすきま時間には、彼のことばかり考えるようになっていた。

 

 ──自分のものにしたい。仮に彼が卑賤な身分でもいい、モンゴール自体が開拓期の新興国家なのだ。立身出世の機会などいくらでも転がっているし、彼には十分な実力がある。

 ──いや、そんなことはどうでもいい。彼を奴隷にしたい。首を鎖でつなぎ、鞭であの逞しい背中に筋をつけ、無様に這わせて上に腰かけてやる。だけど。そう、誰も見ていないところでは、──。

 

 これもきっと黒蓮の秘薬か酒の弊害に違いない。

 脳裏に浮かんだ妙な考えを、頭を軽く振って公女は散らした。

 

 自称傭兵に告げたとおり、パロの王子は助命可能とアムネリスは考えていた。

 自分自身の結婚相手として強く希望し、彼女が彼を通じてパロを支配する、という形をつくるのだ。

 それなら、大公に言い訳が立つ。確実に通せる。

 

 だが、王女の場合は?

 ミアイルとの婚姻を条件とすることとなるが、それは自分ひとりで決断できる話ではない。

 それにモンゴールの王位継承権者1位のミアイルが、密偵の予測どおり謀殺されたり、パロの小女王に逆に屈服してしまったりした場合には。

 パロにモンゴールを乗っ取られるという事態が、起きかねない。大公もその危険性に当然気づいているだろう。

 

 予言者でもある小女王は、王位継承権者であるが優秀な対抗馬のいるレムスよりパロでは重視されている。パロの友好国の密偵であろう彼としても、引けないのは分かる。

 だがアムネリスには、彼女の助命を大公に進言して通せる確信がなかった。拷問と公開処刑を大公は求めていた。助命嘆願は、むしろ藪蛇になる可能性が高い。

 できる努力は尽くすが、身を危うくしないような立ち回りでは限界がある。

 あの頭の切れる密偵のことだ。その彼女の姑息な保身を見透かしたに違いない。だから拒否したのだ。とても主といえる器ではないと。

 

 そして、──認めたくないことだが。

 「自分の持ちたるすべて」を与えると言っても、彼は頷かなかった。

 それは密偵が、あのパロの王女に対し心服と呼ぶには深すぎる情を抱くに至っていて、──反面、彼女の仇である彼女(アムネリス)への深い嫌悪を抱いているからなのではないだろうか。

 自らの身を顧みないその献身と忠誠ぶりは、単なる友邦の密偵というだけでは説明できない。

 

 ──まあ私と私の軍は、あの双子の親の仇だ。恨まれてもいようし、な。

 そして私は、あの見るからに高貴なパロの小女王とは違う。予言者のごときかけがえなきものでもなく、只の一軍人。女として(かれ)に愛を抱かせるような愛らしさは、薬にしたくもないしな。

 

 と、ちょっと妙な部分で自己評価の低いアムネリスは自嘲した。

 少しは見られる顔をしていると自負していたが、(ほどなく治るだろうが)傷もついたし。

 そもそも彼には所詮彼女も「美しい猿」としか映じていないのかもしれない。クリージュダール公への彼の評価に、彼女は彼の同族嫌悪を感じとっていた。

 

 ──ただ彼女も、好きでその仇としての役回りを演じたわけではなく。

 その傷にしても、彼の為したることではあるのだが。

 彼女は、どこか不条理な思い。運命に対する、言い表しようのない憤りを感じる。

 

 氷の公女、と言われてはいても、彼女のもともとの本性は。

 遮る者を許さない「雷の大公(ソンラーツヘリデューゴ)」とも呼ばれる父に似て激情家である。

 

 しかしこの世界線での彼女は、賢明にも早々にその矯正が必要なことを自覚し。

 幼少からの訓練と苦い経験の積み重ねで、理性によって感情の奔流を抑えるすべを修得していた。

 深く息を吸って、熱い溶岩のような胸の滾りを押さえこみ。

 魔道士の、気づかわしげな視線に微笑み返す。

 

「──すまぬな、気づかいは不要だぞ、ガユス。

 まあいい。それ以外のことについて、奴は正直に答えたのであろう?──惜しいな」

 

 歴戦のマルス伯を唸らせる剣技。

 謎の知識と、深い情勢の洞察。逆鱗に触れることをおそれず直言する度胸。

 逆境にも鍛えられ、それなりの自負を抱いていた彼女にして底がはかりがたい彼に、いつか魅せられていた。

 しかし彼を手駒にはできなかった以上、残念だが殺すしかない。

 そう思うと、胸にぽっかりと大きな穴があいたような喪失感があった。

 

 ──仕方ない、これから、せめて彼との最初で最後の夜を過ごすことにしよう。親密で、残酷な夜を。

 彼に断られてよかったかもしれない、これで彼を本当に自分だけのものにできる。

 

「公女殿下。なぜ、あの者に執着される?」

 

 ガユスは水見盤をみつめながらまるで独り言のように、物騒な決意を固める主に問いかけた。

 

「有能で大気ある若者と思っただけだが、──何かみえているのか、ガユス?」

 

 公女も、問い返す。

 優秀な魔道士だった彼は、モンゴール宮廷に仕えて長い。

 公女にとっては、生まれた時から傍にいる叔父のような存在である。

 家族にも厳格というより苛烈で、また多忙で時間を取れない父よりも。

 この魔道士の方がずっと身近だったこともあり、アムネリスは多大の信を彼においていた。

 彼の方でも、身分の差をわきまえつつもこの公女をかわいがり。

 ときに自分の職分や力の限界を越えて、娘のようにすら思っているこの少女のためにその力を尽くすことも稀ではなかった。

 

「さよう、──そればかりでは、ありますまい?」

 

 何かの催眠(トランス)状態にあるかのように、ガユスは独白に似た言葉を続ける。

 深く、常世、冥界にその身を浸して霧に包まれた未来図を鳥瞰しているのだ。

 邪魔をしてはならない、と公女は直感する。

 

「かの、豹頭の男がこのうねりの兆し。豹はすなわち、獅子の一種でございましょう。

 ──この世界に重なり合う、冥界の空。獅子の宮に、多くの星が引き寄せられつつあります。

 星々の集うその中心に、一匹の巨大な肉食獣が見えまする。*4

 

 「星」と呼んでいるが、ガユスの観る常世のそれは、当然ながら現世の地上からみえる星とは違う。

 将来の在り方、可能性。それらが、ぼやけた光点のように見えると聞く。それを便宜上、星になぞらえているらしい。

 

「それは、何を意味する?」

 

「わかりませぬ。この老人すら判じたことのない、奇怪な図でありますな。

 ただ。──獅子の宮に集う星の中には、あなたさまがお生まれになったとき金蠍宮の塔の上にかかっていた、光の星も含まれておりまするぞ」*5

 

 とろんとした声。暗い蝋燭の炎。ガユスの声は神託を受けるようにいつもの声を離れている。

 その定かに見えないローブに隠されて影になっている顔、そこにこの世のものならぬ異形がうごめいた気がして、公女は息を詰めた。

 

 ──創造神に愛された存在。近づくと歪むもの。

 

 密偵の言葉を思い出す。

 自分の星、光の星が獅子の宮にあるなにものかに引きよせられたとすれば──、

 

「そうか、──ガユス、もういい。大丈夫か?」

 

「おお、これまで全く我らの知るところではなかった禍々しい火の星が、そこに。

 この獅子の宮すらも歪めんとする新しき凶星の前に、星々は濁流の中の木の葉のように乱れることでありましょう。

 この(まが)つ星は、あなた様の、──いや、違う、──ああ、なんということか、──「ガユスっ!」」

 

 何らかの異常が起きたのであろう。深い瞑想状態にあった魔道士の肩が、がくがくと震えはじめる。人のなしうる動きを超えて。

 公女は椅子を蹴って立ち上がるが、初めての事態になすすべを知らず、棒立ちになる。

 

「ガユス、しっかりしろ!すぐ薬師を呼ぶ!」

 

 公女はせめてものことと、老魔道士の背を叩き、摩る。

 秘事のことゆえ、このとき彼女は護衛を傍に寄せず、近づくことすら禁止していた。

 人を呼びに行かねばなるまい、と考える公女に、声がかかった。

 

「──公女殿下、申し訳ありませぬ。一度、()()()()を切り離し、戻ってまいりました。

 薬師はお呼びにならなくてよろしい。ちと、分不相応に長く()()()しすぎてしまいましたな」

 

 我を取り戻したガユスは、そう言って頭を垂れた。

 彼の背を摩っていた公女は、彼が戻ってきたことに胸を撫でおろした。

 

「何が起きたのかと思ったぞ。

 ──あのパロ攻略時の、敵方魔道士どもとの闘いに似たものか?」

 

「あれはお互い、代理人を用いた嫌がらせ、当てこすりのようなものでありますれば。

 ただ、今回は。はて、某は何を見、何に見られたのやら──」

 

 がくっ、と彼の体が力を失い、前に倒れかけた。

 

「──これはしたり。黒蓮の粉を摂り、休んで回復せねば。

 しばらく、そう、2日ほどの間、この老いぼれは屍同様。役立たずとなりましょう。

 公女殿下、その間はくれぐれも心懸け(注意して)くだされ。魔から身を守る術を使えませぬ。

 ──手練れをおそばに。せめて、あの護符を御身近くにお持ちくだされ」

 

 そう言い残し。老魔道士は力尽きて意識を失い、卓に上半身を完全に落とした。

 卓から転がり落ちようとする水晶球を、危うく公女はつかみとどめた。

 

 公女は介抱のための人を呼びに、あわただしく扉へ向かいながら。

 モンゴール宮廷を裏から支えてきてくれた、この忠実な魔道士の謎めいた言葉に思いを巡らせていた。

 

*1
栗本薫『ラゴンの虜囚』第2話3

*2
同上。

*3
同上。

*4
栗本薫『荒野の戦士』第2話1

*5
栗本薫『荒野の戦士』第2話1




(覚書)
○度量衡と距離感
 ラクの谷から狗頭山までの距離は判然としない。というより、そもそもノスフェラスや中原がどの程度の広さなのかも判然としない(キレノアは大陸なので、もしかするとユーラシア大陸ほども大きいのかもしれないし、あるいはオーストラリア大陸くらいなのかもしれない)。

 まず、スタフォロスからアルヴォンまでは、3モータッドだと仮定する。1モータッドは、1日に馬が進める距離だからである。
 →「仮に一番近くのアルヴォンの砦の同胞が、燃え盛るスタフォロス城の方角に異変を認めて即刻救援の兵をさしむけてくれたとしてさえ、アルヴォンからスタフォロスまではウマで三日の距離があること──」(第2巻第3話4、180頁)

 1モータッドと1タッドの関係は判然としない。1モータッドという単位自体、もしかすると「タッド」とは無関係に、文字どおり「ウマ1日分」などの意味かもしれない(つまり、沼地では10タッド程度が1モータッドであり、草原だと50タッド程度が1モータッドかもしれない※)。また、キレノア大陸できれいな10進法が使われていたという保証はない。先進国でも、未だに12進法の名残(ダースなど)がみられる。

 ただし、さすがにこれでは何も分からないので、1タッド≒1.5km、1モータッド=70kmと仮定してみる。つまり、1モータッド=50タッドである(※)。
 そうすると、スタフォロスからアルヴォンまでは約210kmであり、直線距離だと東京から新潟あたりに相当する。これはさすがに辺境だとしても砦と砦の間の距離として遠すぎる気がしないでもない。東京から新潟の火災が見えないのと同様、アルヴォンからスタフォロスの炎上も見えないだろうし。
(※追記)第4巻後書きでは、「1モータッド=100タッド、1タッド=1000タール、グインの身長が2タール40タルゴル」とされている。これに対し、第5巻後書きでは、1タール=約1.2m、1タッド=1.465kmとされている。要は1タッドは1000タールではなく、4巻後書きと5巻後書きの間でも齟齬がある。
(※追記2)モータッドとタッド、タールの関係については異説がある。「グイン・サーガ・ハンドブック2」(早川書房1999年刊行)なる公式ガイドブックがあり、これによると「1タッド=1タール」「1モータッド=1000タール」とされ、タッドは距離を、タールは高さに用いるとされている(「グイン・サーガ・ハンドブック2」244頁)。そして確かに同時期の原作では、「1モータッド」は馬が一日分に進める距離ではなく、1.2kmくらいの距離感覚で用いられているようだ。ただ、個人的にはこれは変だと思うので、本作では採らない。
 (例)「『その軍はクム・ユラニア国境を前にして、およそ横に二モータッドほども広がっております』」(第55巻『ゴーラの一番長い日』125頁)

 各巻の冒頭に掲げられている中原周辺図、特にモンゴール・クム東部をみると、スタフォロスからアルヴォンまでは街道がぐねぐねと折れ曲がり、直角三角形の直角を挟む2辺を行く感じになっている。
 とすると、直線距離だとアルヴォンースタフォロスはおおむね100~120kmくらいかもしれない(1:√2で計算+うねる曲線分を考慮)。東京から富士山の距離であるが、森林地帯であることも考慮すれば炎上に気づくこともありえる。また、スタフォロス城の偽ヴァーノン伯は、狼煙で連絡を取っていると述べているので、間には小さな砦や連絡所はあったのかもしれない。

 仮にアルヴォンースタフォロスの直線距離を100kmと仮定すると、モンゴールのケス河沿いの国境線はおおむね450~500km。ポーランドの縦の長さと同じで、かなりのスケール感はあるがまあまあいい線だと思う(モンゴールは、中欧~東欧をイメージしていると原作者も発言している)。

 このスケールだと、ケイロニアの首都サイロン(原作者は北欧をイメージしていると述べている)から南の草原の国、アルゴス(内陸でない草原地帯なので、緯度はイラン、チュニジアあたりと仮定)の首都マハールまでが2500km。これは、ノルウェイの首都オスロからチュニジアの首都チュニスが3000kmであることを考えると、一応ありうるスケール感ではある。ちなみにケイロニアが西に面するノルン海からタリア伯爵領のタリアやロスまでもおおむね同じであり、北京からバングラデシュのダッカまで約3000km、フランスのボルドーからトルコのイスタンブールまでが2500kmであるのと対比するとこれもあり得なくはない感じである。

 つまり「中原周辺部」でみる図は、おおむねヨーロッパの大きさ+αくらいかもしれない。ただ、それでいくとおそらくモンゴールはポーランドとドイツを合わせたくらいの広さであり、ゴーラやケイロニアはその3倍くらい。パロもフランスとベネルクス3国+スイスあたりを合わせた広さがありそうである。

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