(仮)豹頭王の物語の一登場人物に憑依する話。   作:Marchhatter

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ご感想をいただきました。ありがとうございました!

◯いやー、この偽イシュトの場合、おそらく貴種流離譚ならぬ奇種流離譚になってしまうかと。
 中の人は、おそらく自分を常識人と固く信じこんでいて。たしかに善性の人物ではあるのですが。
 グイン世界の人々からはかなりの奇人にみえてしまい、勘違いを加速してしまうのだと思います・・。


◯たしかに、おそらく偽イシュトヴァーンのこと。
 死亡フラグをジェンガ状に積み上げ。アーチ状に支え合わせて危うい均衡を保つ下で。
 「ほら大丈夫」と余裕かまして、うっかり要石部分を蹴飛ばし、はずしてしまい。
 轟音を立ててふりそそぐ死亡フラグの雨の中を、逃げまどうことになりそうです・・!


○ご評価をいただきました。ありがとうございました!
 また誤字のご指摘も、ありがとうございました!

・偽イシュト視点です。あまり進んでいませんが、あと2、3話で辺境編フィナーレと思います。
 ちなみに辺境編(1~5巻)に続くのは本当なら陰謀編(6~10巻)なのですが。
 パロ食わず嫌いの筆者があまり読み込んでいないあたりですし、イシュトヴァーン不在のこともあり。
 あっさり目に済ませるか、待望のアンダヌス議長や紅蓮の島あたりを中心に組み立てるかもしれません。


023 談合の行方

(偽イシュトヴァーン視点、大蛙岩、昼)

 

「ああ、そなたにとっては悪い知らせでないものもある。

 私にとってはどれも悪い知らせというだけなのだ」

 

 僕の空気が警戒するように変わったのを察知したのだろう。公女殿下が軽い口調で言い添えた。

 

「この岩の周りにも、イドのような危険な生物はいるのか?──そうか。さすが婿殿、用意周到だな。

 それならば軽く歩いて一周してみよう、一見の価値ある景色ではないか」

 

 大蛙岩は、おそらくは半人工物なのではと思われる。

 数十タールの高さに及ぶ巨大な岩塊のところどころには、人の手で削った形跡があり。

 階段や踏み分け道のようなものまで、刻まれていたりもする。()の元いた世界にあれば良い観光地になっていたことだろう。

 

 (かたど)っているものが本当に蛙なのかどうかはわからない。

 ただ、ノスフェラスのオアシスにもいる蛙の一種に似ている。

 このあたりはカロイの勢力圏だったが、この岩のことはラクたちも知っていた。いつからあるのか誰も知らないくらい古いものだという。

 さすがに今はこの岩山には登らない。周囲の2、300タールを、軽く回ってみるだけだ。

 

 岩山が蛙の形の巨岩をまるく取り囲んでいて、散らばる大小の奇岩のせいもあり。

 この大蛙岩は、一種の秘境めいた、あるいは神聖な地めいた雰囲気を醸し出している。

 この巨岩をかこむ岩山は断崖絶壁。僕と彼女が入った側以外に出口はない。だから、公女の護衛たちも、公女の単独行動を認めたのだろう。

 

 大蛙岩の周辺は基本的に岩場。ところどころに乾燥に強い灌木が茂っているだけだ。

 化け物ももともと餌がないしもぐりこむ砂もないので少ないと思われるし、数日前の嵐で巻き上げられてしまったのか今日はほとんど見かけなかった。

 わずかに紛れこんでいた砂ヒルとかの雑魚連中は、僕とサライ君が下見のときにみつけて殺してある。

 

「護衛の目から外れてしまうぞ。いいのか」

 

「それが狙いだ。──あの者らに聞こえはすまいが、あの者たちの目は長い(視力はいい)からな」

 

 同陣営ではあっても、必ずしも全員が彼女個人の味方ではないということらしい。

 遠目に付き添ってきた護衛たちが立ち上がるのが見えたが、彼女が手を上げて制するとこちらには来なかった。多分彼らも、逃げ場のないこの地形を前日にでも確認していたのだろう。

 ふう、と公女がため息をつく。切れ長な目の下には、わずかに隈が浮いている。睡眠不足のようだ。

 岩角をまがり、彼らの視線から切れるのを見計らい、僕は彼女に問うた。

 

「公女殿下にとって悪い知らせとは、なんだ?

 モンゴール軍がノスフェラス各地から撤退しているので『良い知らせ』があったのかと思ったが」

 

「良い知らせなど。──タイランやカースロンといった阿呆どもがまだ収拾不能なことまではしていない、という程度か」

 

 タイランは占領軍司令官、カースロンはクリスタル施政を担当していた男だったかな?ちょっと記憶が曖昧だ。

 創造神様のディスり要素もあるが、やはり能力はともかく品性はよろしくない描写が印象的。カースロンなどは後でナリス公の乳姉弟リギアに色仕掛けで篭絡され、祖国を裏切ることになる。

 口ぶりからみて、公女は奴らをあまり評価してはいないようだ。

 

「ノスフェラス各地からの撤退は、金蠍宮が公的に認めたものではない。

 私の判断で、決戦に備え兵力消耗を避けて集中させている、──ということになる」

 

「なるほど。大公殿下にもそう伝えたのか?そして返事があったのか?」

 

「左様。そなたを送った後すぐ狼煙と鷹で大公殿下に伝えた。ノスフェラス自体からの撤退具申も。

 今朝がた、返書を鷹が持ち帰った」

 

「大公殿下は撤退を認めず。──そうだな?」

 

「いや、そうではない。条件つきで認める、と。

 もともと参謀や貴族たちの間にも、ノスフェラス進出に懐疑的な意見は根強くあったのだ。

 当地の事情を詳細に記したゆえ、大公殿下もノスフェラスを直接支配したり殺生石を兵器運用したりすることは現実的でないとご認識されたようだ」

 

「だが、──その条件とは何だ?無理とわかったら、なぜすぐ撤退しない?」

 

「阿呆らしい、と思われようが。

 ──成果なく、しかも実力も知れぬ相手に一当てもせず撤退、というのも中々難しいのだ」

 

 下手をすると虚に怯えて逃げたと言われかねない。脳筋尚武のモンゴールの気風からすれば、なおさら。

 それにモンゴール軍は、原作と違いまだ軍を率いて戦うグインを見たことがない。その想像を絶する強さを測れない。

 しかもヴラド大公は、まさに独裁者だからな。戦果なき命令撤回はノスフェラス侵攻を命令した彼の顔を潰してしまうということなのだろう。

 

「ひと当てせよ、と?」

 

「さて、そこだが。──まあ、悪い知らせはいくつかある。それを伝えた後、あらためて談合しようぞ」

 

 しばらく無言で、僕と公女は歩く。

 照りつける、真昼の日射し。岩場には黒い羽に白い頭蓋骨の模様があるルードの毒蝶、屍人斑(シビトマダラ)がひらひらと飛ぶ以外に動くものはない。

 警戒すべきとしたら、岩そっくりのイワモドキだな。僕は丸石に目を走らせる。大丈夫そうだ。

 

「他にあるのか、悪い知らせが」

 

「私にとっての悪い知らせが、な。

 ──クリージュダール公ナリス殿下の目撃情報あり。私はトーラスへの帰還命令を受けた」

 

「何?──そうか」

 

 ナリスは、確かに裏切りに遭ってクリスタルのモンゴール軍に捕縛される。

 だが、それはもう少し先のこと(巻が進んでから)ではなかったかな。

 原作ではモンゴール軍がノスフェラスで敗北してすぐ、アムネリスはクリスタルに赴けと命じられていた。

 そのときには、まだナリス公は見つかっていなかったはず。その後サラに裏切られて捕らわれたが、情報はそれ以前に多少漏れていたのか。

 

「命あらば、私の次の戦場はクリージュダールの舞踏会ということになりそうだな。

 せいぜい、見よや強げなる運歩(ステップ)でおじゃりますこと、と()の地の手弱女(たおやめ)どもに笑われてくることにしよう」

 

「俺はレイピアの運歩(ステップ)の踏める女の方が、あー、マシだと思うぜ。

 舞踏ができるだけのひらひらの粉まみれ女なんぞより、な」

 

 フォローを言いかけて。イシュト語変換が微妙だなと感じて僕は内容を修正し、眉を顰める。

 ちなみに、さっきまで舞っていた、鱗粉に幻覚成分のあるシビトマダラは。

 僕のつけてる魔よけ香水(ヴァルドーズ)を嫌ったのか、てふてふと羽ばたきながら逃げつつある。

 (こいつらが怖いのはルードの森で群れに出くわしたときだ。単独で迷いこんできた蝶には、人に幻をみせたり昏睡させたりするほどの脅威はない。)

 

「慰めてくれたのか?ふふ、婿殿は優しいな。

 ──だがな?私の得手はレイピアではない。十字槍(フェスロシュペール)だ。

 それにだ、私も別に舞踏ができないわけではないぞ。好まぬだけだ。望まれれば踊りの相手くらいはする」

 

 不満があるのだろうか顔をわずかに赤らめ、口をとがらせて少し早口で公女殿下が言う。

 まあこの性悪女、原作では無能描写が多かったがこの現実ではかなりハイスペックだからな。

 舞踏もできない不調法者などとは、思われたくないのだろう。

 

「──ああ、そしてこれも悪い知らせか。

 アルゴスの挙兵が近い。マハールの間者から報があった。既に一部地域では兵が集められ始めたとの噂」

 

 草原の強国アルゴス。僕の元の世界でなぞらえると、──烏桓とか鮮卑とか、ってとこか?

 モンゴールも騎兵戦力に優れるが、基本は重装騎兵。

 平原で戦ったら、機動力に勝る彼らに良いように翻弄されるだろう。僕の元の世界でのワールシュタットの戦いの二の舞だな。

 

「悪い知らせだな、公女殿下にとっては」

 

「良い知らせなのだろうな、そなたらにとっては」

 

 顔を見合わせて苦笑する。2つ分けの彼女の束髪(ツォパース)に、陽光がきらめく。

 まあ、あの双子は故国に戻さねばならないからな。

 ただ僕の中の彼(イシュトヴァーン)は、なぜかあまりアルゴスが好きではなさそうだ。海がないからだろうな。

 

 しばらく無言で、歩をすすめる。

 高い岩山の影も、高く上った太陽に短くなっているが。

 その貴重な日陰に入り。僕たちは歩みを止めた。

 

「悪い知らせとは、それだけか?

 どれも想定内のことのように思えるが」

 

 無条件撤退の許可、取れず。公女はナリス公との政略結婚の手駒に。アルゴス挙兵近し。

 まあどれもいい知らせではないが、そこまで決定的に悪い知らせとも言えない。

 原作よりも、まだ兵がごっそり死んでないだけマシじゃないか。

 

「──パロの双子の御命。やはり請け合えぬ」

 

「それか」

 

 ずしっ、と胃に重いものが落ちてきたような感覚。

 「イシュトヴァーン」は、部下に勧誘されたときにはこのことに固執して拒否した。

 「僕」はちょっと無理だと思っていたから、今はそこまでの怒りや驚きもないが。

 公女としては以前は請け合っていたレムスの身の安全すら大公に通せなかったことを、約を違えたと感じているわけか。

 

 詳しい話を公女が続ける。

 公女殿下は大公殿下に両名の命の保証を求めたが、大公殿下からの返事には。

 王女(リンダ)は大公が身柄を預かる、王子(レムス)はヴラドの一族の娘と将来縁組する、という条件ならば双子の身の安全を約束すると文が帰ってきたという。

 ──王女を大公が預かってどうするつもりなんだ、という点があまりにもきな臭い。だからそのまま呑める話ではないが、条件つきで認めるとは言っているわけで、そこまで悪い話でもないのではないか。

 

「もともと王女殿下(リンダ)の命の保証までは難しい、と公女殿下は言ってたよな」

 

 別に、最悪でもないじゃないか?

 王子(レムス)についてはトーラスに留まれという行動制限すら付いていないようだが、かなり寛大に思える。

 

「(いや、そうではない。私は蠍の娘。父上の考えていることが、なんとなく読める。

 両殿下の命を請け合うと言うのは虚言だ、騙されるな。大事ならば、絶対にトーラスに行かせてはならぬ)」

 

 今まで、この時代の貴族の女の慣習で必ずきっちり1タールほど開けていた距離を急に詰め。

 べったりと、ほとんど体が触れ合う距離でそう公女が僕の耳にささやいてきた。装具の革の匂いにまぎれて、ごくほのかな甘い香りが僕に届く。

 

「(王女殿下を捕えるための罠だ。王子殿下は王女殿下を離れまい、結果、二鳥を得られる。

 それに。大公殿下は王女殿下を薬漬けにして予言人形となし、その身柄を餌に反抗勢力を炙り出すくらいのことは考えているはずだ)」

 

「(──それ、俺に言っていい話なのか?)」

 

 厄介なカリスマと予言能力持ちの王女(リンダ)を、トーラスで虜囚とする。

 大公のことだ、公開処刑はしないまでも拷問や麻薬で情報を搾り取って殺した後、事故で死んだ、ということにでもするつもりではないか。

 言わずとも王子(レムス)は王女に同行するだろう。別行動を取ったら、姉を見殺しにした弟というレッテルを貼っても良し、ナリス公と主導権争いをさせても良し。

 ちなみにヴラド大公は王子(レムス)とナリス公とはうまくいかないだろうと読んでいるらしい、卓見だな。

 

 ささやきで内部情報をリークする彼女の言葉を聞きながら、僕の背筋にちりちりと嫌な寒気が走った。

 ヴラド大公としては、前王の嫡子である二人は殺しておきたい。だから味方の公女をも欺いて空手形を切り、二人を呼び寄せようとした。

 たしかに卑劣だが、この仁義なき時代にあっては騙された方も悪い。

 公女は、そのヴラド大公の武略を見抜いて僕に伝え、台無しにしている最中ってわけだ。

 

「(良いわけはあるまい。だがそなたはわが恩人。騙す真似などできぬ)」

 

「(感謝する。俺一人が勝手に懸念したということにしておこう)」

 

 彼女は黙って頷き、距離をまたもとに戻した。

 バレたら公女殿下もただでは済まない。内通と言われても仕方ないのだ、情報源は徹底秘匿せねば。

 

「──その条件で双子を引き渡せるか、検討しておこう!

 それで、最初の話に戻るが。撤退の条件とはなんだ?」

 

 思うところあって、そう声をかけ。

 いよいよ撤退の条件。ひと当てがどうのこうの、というやつについて尋ねる。

 

「大公殿下の文によれば。

 殺生石がまことにモンゴールにも他国に利用できないなら、放念してよい。

 だがパロの双子がノスフェラスのセムと結託し攻め上がることは避けよ。最悪、ノスフェラスからは追い散らせと」

 

 ノスフェラスのカロイが多少は開拓地に悪さしてくるといっても、これまで本格的な進出はなかった。

 しかし辺境の守備の要、堅城スタフォロスが落城させられたことが金蠍宮にとっては大きな衝撃だったようだ。

 城攻めには3倍程度の兵力差が常道。それをカロイは奇襲が効いたとはいえ、ほぼ対等な戦力でやってのけた。

 そしてカロイはノスフェラス最強というわけではない。剽悍で鳴るグロ、温和だが優秀な戦士ぞろいで最大人口を擁するラク、その盟友ツバイ、ルロイ、──糾合すれば大勢力だ。モンゴール軍も調査して頭を抱えただろう。

 モンゴールにとってケス河は、そこから本格的に攻められると思っていなかった死角だったのだ。

 野盗崩れや散発的なセムとの争いしか想定していない。大軍でここから攻められると対応できない。主要な城と城との間隔は2~3モータッドもある。

 ノスフェラス撤退の条件付き容認も、おそらくケス河に防衛ラインを引きなおす意味がある。

 

 ──まあ大公殿下の心配、かなりのところは杞憂なのだけれどもな。

 グインはセムたちの人心を掌握しているが、温和なラク族が中心。

 モンゴール軍がよほどなことをしない限りは、セムたちにケス河を越えての進出などまでは求めない。

 

「そのため、双子を匿っていそうなセムの氏族には使者を送り、まつろわねば攻撃せよ、とのこと。

 ここから北東方向、カナン山地南端のセムの有力氏族の谷などは有力候補だな」

 

 まじまじ、と公女の顔を見る。それってラクの谷じゃないか。

 また公女が距離を詰める。まるでキスするかのようにわずかにつま先で背伸びして、小声でささやく。

 

「(その地に『毛のない大きな人間』の子供がいたという噂を、カロイの斥候が持ち帰ってきていた。

 まだ不確かなことゆえ極秘とし、私限りで止めていたのだが、──)」

 

 カロイはケス河南岸にも出没している。公女の支配下にはいった者にはわずかながら中原標準語を理解するものもいる。

 またモンゴール側にも、ケス河沿いの開拓村を渡り歩く漂泊者(ヴァンドローナ)と呼ばれる流民がいる。彼らの一部はノスフェラスにまで彷徨いでることがあり、断片的ながらセムの言葉を話せる。

 双子がラクの谷にいるらしいってバレてるのも、不味い。リンダかレムスが哨戒中に見られたのか?

 セムの他氏族を糾合するときの談合では双子も同席していたからな、そこから洩れたってとこか。

 公女が、離れてまた距離をとった。僕は与えられた情報を反芻する。

 

「攻めれば大勢の兵が死ぬ。いいのか?」

 

「ははっ、『騎士は死ぬのも役目の一つ』だ」

 

 公女は全く面白そうではない笑い声まじりに、そう何かのことわざらしいものを口に上らせた。

 しばしの、ひどく気づまりな沈黙。

 公女の口調にはどこか偽悪的な色がある。自分の言葉の欺瞞に自覚的なのだろう。

 

「──わが族長(テウダナズ)殿。どうなされるか。

 思うにそなたと私の道は、やはりここで分かたれるようだ。

 モンゴールの流儀では、剣で語ることになるが」

 

 公女は向きなおり。腰に履いたレイピアの柄を握る。

 気づくと数歩の間合い。足も「レ」のような角度。

 レイピアの教本のように、きれいな基本位置。

 この場所も、公女の護衛たちと蛙岩をはさんでちょうど正反対で、──ん?

 

「待て公女。──こうなることが分かっていたら、なぜ一人でここに来た?なぜ俺に云う?」

 

 公女殿下のレイピアの腕はなかなかのものだが、(イシュトヴァーン)には及ばない。それは自分でも分かっているはず。

 ここで剣を抜くなど、むざむざ殺されに来たようなものだ。僕を討ち取りたいなら、あの腕利きの騎士たちで囲めばよかったのだ。

 公女の言葉や行動は、あきらかに不合理。どこかに僕にまだ言っていない理由がある。

 

「私は忘恩の徒ではない。拾われた(もの)は返すのが筋」

 

「窮屈な生き方だな。踏み倒してもいいと思うぜ、俺が云うのもなんだが」

 

「そうかもしれぬ。ただ、私はこうして生きてきたのだ、そしてそうして死ぬだろう。

 それに、勝てぬと決まったわけでもあるまい?さあ抜け、──私の()()()()族長(テウダナズ)殿」

 

 ぎらっと輝く目。外見だけは完璧な顔に浮かべた、好戦的な笑み。

 だが僕はその碧玉の目が、どこか自暴自棄のような、どす黒い色に染まっているように思えた。

 いや、待て待て待て。

 

「そうだな。試してみる価値はあるのかもな。

 ただ、公女。公女自身は?双子の首が必要か?」

 

「不要。私自身はこの戦役の結末には悲観的だ。

 パロは遠い。そして我らに一時収奪する力はあっても、長く統治する力はない。

 そなたのいう、中央集権。文官たちによってその地の(まつりごと)を中央が把握して民を安んじ、統治に不満を抱かせないようにすることなど、とうてい叶わぬ。

 我らは所詮、彼らの目には都を占領した蛮族なのだ。大軍を置いているクリージュダール近郊においてすらも、散発的に小さな反乱が起きているという。

 叶うなら、我らが有利な情勢のうちに講和しておきたい。相手はナリス公より、双子の方が良い」

 

 公女殿下は今にも剣を抜き放ちそうな姿勢を緩め、そう言った。

 さっきの蝶がひらひらと、2人の間を横切る。

 

「そうか。──双子がノスフェラスを去れば、モンゴール軍は、──?」

 

「大公殿下の望みはあくまで双子をトーラスにお連れすること。逃げられることはご本意でなかろうな。

 だが、──モンゴール本国への脅威がなければこの地からは兵を退く。そのことは確かだ。追捕の兵も割けまい。

 いたずらに兵を損することはできぬし、ノスフェラスのまとまっての反抗を誘発などすれば、モンゴールのためにならぬ」

 

 それがまさしく原作のコース。モンゴールにとっての最悪シナリオだったわけだな。

 ただ、僕は遮らずに彼女の言葉に耳を傾ける。

 

「──アルゴスが兵を挙げることがはっきりした今、クリージュダールに駐屯する兵だけではとても防衛に足りない。その事情は大公殿下もご存じだ。

 カロイあるいはその豹人王とは約を結んで港と定期市を開き、使いを交わすことになろうか。その程度だ」

 

 双子が去ったとはっきりすれば、モンゴールは撤退。これはいいニュースだ。

 問題は、「ひと当て」か。やらんといかんのだろうか。

 

「なあ、公女。ちょっと登らないか?」

 

 あえて空気を読まず。だってすごい岩だよな、と呑気そうに岩山を指しながら。

 臨戦態勢の公女殿下を、僕は誘ってみる。

 

「?まだ時間は半分以上残っている、私は構わぬが、──?」

 

「化け物はいない。風もあるからエンゼルヘアー(アンギラスハリャス)が多い程度だろう」

 

 ちょうど大蛙岩にきざまれた階段が近くにあった。僕は彼女に断り、(礼儀には沿わないが)万が一の化物の確認を兼ねて先に上る。

 もちろん公女との戦闘を避けたい一心だ。負けるとは思わないが、勝っても負けてもろくなことにならないと僕の直感(中のイシュトヴァーン)が告げている。

 こんな足場の悪いところで戦おうとは公女も思わないだろう。──事実、僕の狙いがあたったのか彼女は殺気をおさめて岩を登るのに注意を向けている。ほらね、僕の神算鬼謀の冴えを見よ。

 

 急な階段を昇り。岩の凸凹の合間をなだらかに上がるところに入ると。

 息をついて、公女が後ろから話しかけてきた。

 

「前回のそなたとの話、とても有益であった。

 この地の動植物のことなど、な。死傷者の数が劇的に減った」

 

「そうか、それはよかったな」

 

 彼女に僕がいい気になってペラペラしゃべった結果、イドをけしかけることはできなくなった。ラクは史実より不利だ。グインが間に合えば対等に戦えるが、──。

 

「あの、イドといったか。あれは面白いな」

 

「面白い?──いや、俺はどうもイドってやつとは気が合わねえんでな*1

 

「私とて、気が合うわけではないぞ」

 

 公女が笑う。敵対ムードは緩んでいる。

 

「いや、そなたの言うとおり、あれをアリカの実で遠ざけることができたのだが」

 

 九十九折になり、崖に切り込まれた道に入る。もちろん柵もなにもない、1タール程度の幅しかない道。難所だ。足を滑らせたら死ぬ。

 いや僕、これで公女殿下が滑落死したらすごい不味い立場になるんじゃないのか。──いや、大功か?

 ただ、さすがに原作の中心人物の一人がここで滑落死ってのはまずいだろう。僕は彼女に縄を渡し、お互いに腰に結わえ付けて滑落対策とする。

 

「そのアリカの実の臭い。それが、──その、そうだな」

 

 公女がちょっと困ったような口調で口ごもる。

 

「そう、尿(いばり)の臭いと同じだ、と言い出すものがいてな」

 

 アンモニア臭だからな*2。──まてよ、そうだとすれば。

 

「小便で試したか?」

 

「そのとおり。その、──採取したてのものではだめだ。

 多少容器に貯め、臭うようになったものならイドを遠ざけるのに効く。兵どもの評判は悪いが、命には代えられぬ」

 

 なるほどセムたちは小便を貯めたりはしない(そもそもあまり小便しない)からな、それは試さなかったのだろう。

 アリカの実がない時に使えるな、この情報。

 まてよ、そうだとしたら。

 

「公女殿下。その話、たしかに面白い。俺もイドと仲良くしたくなってきた!

 ちょっと試したいことがある。いい成果が出れば報告しよう」

 

 イドというのは、半液体半固体のでかいアメーバみたいな生き物なのだが。

 あのぷよぷよした、いかにも水気のありそうなイドの体が乾燥したノスフェラスで干からびないのは、体の主成分が水分でなく油分だからだ。細胞壁を油でみたし、また体内にも可燃性の油が貯めこまれてる。体脂肪率(?)は70%を超えるだろう。

 だから奴らは生きているにもかかわらず、松明以上によく燃える。

 

 そして油はアルカリで分解する(石けんで油汚れが落ちるのと同様だ)。

 アリカの実がイドに嫌われ、忌避剤として使えるのは、強アンモニア水溶液で細胞壁が溶ける危険をイドが察知しているからだろう。

 とはいえアリカの実でイドを殺せたという話は聞かないから、せいぜい火傷程度のダメージしかないのだろう。しかし、高濃度に抽出した強アルカリ液があれば。

 

「ふふ、妬けるな。だいたい私はイドと仲が良いわけではないと云っただろう。

 それにもう私はこの地にはあと数日もいないぞ。──だが成果が出れば、教えてくれ」

 

 公女は白い額の汗をぬぐい、笑いながらそう言う。

 

「セムの谷への攻撃。それは、いつのことになるのか?」

 

「さすがにそこまでは云えぬ。恩人のそなたに『塩対応』するとしても、な。」

 

「まあそうだよな。忘れてくれ」

 

 ん?「塩対応」って表現、なんか違う意味に使ってる?

 まあ僕が憑依して、全く意味とか表現が違うことわざに触れることは珍しいことじゃないので、僕はここを聞き流した。モンゴール特有の言い回しだろう。

 

「まあ、そなたにならいいか。

 云えるとすれば、私が指揮をとるのは明日を入れてあと3日間のみ。それまでに双子のことが終われば攻撃も不要。

 金蠍宮は、これは私の仕事ゆえ、私が始末をつけてこいとのこと──」

 

 つまり彼女が攻撃するってことか、と僕は言葉を濁した彼女の意を汲む。

 

 できれば公女とは戦いたくない。

 いや別にほだされたわけでもなんでもないよ。僕、しつこいからね。このクソ女に傷に塩を塗りこまれたことを覚えてる。それはいつかお返ししてやる所存。目には目を、だ。思い知らせてやる。

 

 ただ、こちらも準備不足ってのがあるし、意外に公女も有能で、グインが戦って負けはしないとは思うが味方にもかなりの損害が出そう。それが嫌、ってのと。

 ここで公女殿下の武名を落としてその発言力を落としてしまうと、公女に大公を押し切らせての講和が難しくなってしまうんじゃないかと思うんだ。

 だからモンゴール軍をぶったたいてやるとしたら、公女のトーラス帰還後がいいんだが。ただ、モンゴール側にも早く終わらせたいっていう考えがあって、アムに事態収拾を押しつけたんだろうな、──。

 

 また岩の間で道の切り替えしがあり。蛙の背中に近い部分に出た。

 もう落ちる心配はない、お互いをつないだ縄をほどいた。

 やがて、蛙の頭の部分に到達する。雄大な景色が目に飛び込んでくる。

 何かの儀式に使うのだろうか、祭壇に似た石舞台が設置されている。何かの骨(人骨もありそうだ)があるところをみると、最近まで生贄を捧げていたのだろう。もしかすると、今でも。

 

「この世界は広大だな!

 ──見よ。何の変哲もない森と荒れ野でしかないが、わが故郷のなんと美しいことか」

 

「そうだな、美しい」

 

 遠くに、ルードから続く大森林の緑。合間にある平原。

 土中の栄養素のなにか、おそらく窒素が足りず荒野のままになっているところも多いが、それでもモンゴールの緑に比べてノスフェラスの灰茶色はいかにも荒涼としてみえた。

 それでもそのところどころに、緑がみえる。オアシスだ。

 いかにも感に堪えたように四方を眺めている公女をよそに、僕はいま登ってきた道を確かめ、周囲を確認する。さっきまで感じていた、妙な気配が消えている。大丈夫だ。

 

「公女殿下。のぞき見野郎はいなくなった、──ように思える」

 

「──気づいていたか。おそるべき勘の冴えよな」

 

 公女殿下と護衛の距離からすれば、僕と公女殿下の話が聞こえる道理はない。 

 現に、相当につっこんだ話もしているが、彼女が大公殿下に関連する話をするときだけ、やはり気兼ねしたような言動をとることが僕は気になっていた。

 

「暗殺者か?」

 

「わからぬ。おそらくは、違う。

 おそらくは大公殿下による監視。身の安全までは守ってくれぬらしい。

 私が余人を交えず側近とだけ話した内容を知っているとしか思えぬ一文が、大公殿下からの便りにあった。

 漏れていたのだろう。ようやく私も今朝がた気づいた」

 

 モンゴール軍では、トーラスとの連絡に軍用の鷹を使っているらしい。

 ただ、複数羽飼っているので誰が大公にチクったのかわからないとのこと。

 

「例の暗殺騒ぎのときはなにもしなかったんなら、頼りにならねえ味方だな。

 ──いや、味方じゃねえのか、少なくとも公女殿下個人の」

 

 今日は、僕は公女殿下と会ったときから妙な気配を感じてはいた。

 ぴりっ、と僕の中の彼(イシュトヴァーン)が強く感じとったのが、例の公女殿下のリーク時。聞き取ろうとして無理をしたのか?

 岩山を上り、蛙の背中部分にきたあたりからその気配を感じなくなった。今はない。少なくとも、イシュトヴァーンの超感覚をもってしても感じ取れないくらいに気配が遠のいている。

 

「それでだ。

 兵を損じず、禍根を残さないノスフェラスからの撤退。パロの双子の退去。

 その点でなら公女殿下と俺は折り合える」

 

「私ひとりは、な。だが金蠍宮はパロの双子を求めておられるぞ」

 

「それは最善で、ってこったろう?

 最悪、ノスフェラスで双子が軍を集めなきゃいいんだろ。逃げられるのは不満だと思うが、なんとか宥めてくれ。

 どのみちベック公とナリス公は兵を起こすぞ。そこに王位継承権者が複数いた方が足並みを乱せる。

 それにここで双子を殺したら、講和の道筋はほぼなくなる」

 

 殺さなくても、講和は難しいと思うがな。ナリスに対して人質は効かないだろう、たとえリンダであろうと。

 アルゴス軍は略奪好きだ、分け前がなければ兵を引かない。そしてクムが動けばモンゴールは終わりだ。

 

「──何を考えているのだ。今更どうしようもないではないか、我が──族長殿」

 

「やりようはある。

 ──なあ、こうしないか?」

 

 時間は限られてる。僕は声を潜め、思いついた考えを公女の耳元にささやきかける。

 公女の切れ長の澄んだ碧玉の目には「?」という疑問符が浮かぶ。

 

 話を聞くにつれ、だんだんと否定の色が強くなるその目に対し。

 自分でも少々胡散臭いと思うような言葉を用い。ときには甘言を弄し、美辞麗句を並べてはげまし。

 僕は必死に、説得に(あい)努めるのだった。

*1
第3巻「ノスフェラスの戦い」51頁。

*2
第3巻「ノスフェラスの戦い」227頁。




(覚書)
○アリカの実とイド除け
 イドはアメーバのような(おそらくは単細胞の?)原生生物と描写されている。スライムみたいなものである。
 →第3巻「辺境の王者」16頁「イドはきわめて原始的な生命体である。」「それは云ってみれば、極限まで巨大化した白くただれたアメーバであり、・・・・」

 このイドは、アリカという植物の臭いを嫌う。シバたちが、アリカの実の汁をイド除けに使ったり、ツバイ族がアリカの実の汁をイドを追うのに用いる描写がある。そしてこのアリカの実の臭気は、アンモニア臭である。
 →第3巻「辺境の王者」227頁「その果汁は、息づまるようなアンモニアの匂いを、一里四方にも届こうかというほど強烈に発散したのだ。」

 イドは砂漠地帯であるのに、半流動的な体をしている。また、よく燃える描写があることから、その液体の主成分は実は水分ではなく、油分ではないかと強く疑われる。何しろ、たいまつですらよく燃えるのだ。
 →第3巻「辺境の王者」62頁「たちまちイドに包まれたすがたは、さらに炎につつまれてもえあがった。」
 
 以上のことから、イドがアンモニアを嫌うのは、強アルカリ環境を倦厭するように淘汰圧が働いたからであるという仮説が成り立つ。なお、アメーバも強アルカリ水溶液に弱い(細胞膜を構成する蛋白質や脂質が分解されて、死滅してしまう。アメーバと同じとすれば、イドはおそらくは、強酸性環境にも弱いだろう)。十分に濃度の高い強アルカリ水溶液であれば、イドを殺せると思われる。

 ただし、イドはアリカの実で死ぬわけではない。また、シバたちもイド除けにアリカの実の汁をかぶったりして苦しむが、いわゆる化学火傷を起こすほどのものではないようだ。
 →第3巻「辺境の王者」229頁「シバは、・・・。顔をひきつらせながらまたひとつアリカの実を割ってその汁をあびる。」

 したがって、化学火傷を起こさない程度のアンモニア水溶液でもイドは遠ざけられるはずである。たとえば、尿中の尿素を分解させてアンモニアが生成された状態の発酵尿などがこれにあたりうる。
 本作でのアムネリスも、この手でイド除けを製造して使用した、ということになる。
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