(仮)豹頭王の物語の一登場人物に憑依する話。 作:Marchhatter
・たしかに真イシュトも気づいて、やべー、と思うのが通常なのですが。
偽イシュトの存在に気づいていなかったりなどすれば、自己肯定感の異常に高い彼のこと。
「あれ、俺ってけっこう守備範囲広かったんだなー!さす俺」などと能天気にセム娘やラゴン女子たちへの
・スニさんは、きっと中原(なのだろうか)の次代3大美女の一角なのです!
しかもエルさんの中の人は、災いを運ぶ男であるので。
きっと番狂わせを演じることで多くの賭け札を握りしめた男たちの慟哭をもたらし、アムネリス公女を見守り隊のメンバーたちに血の涙を流させることになるのだと思われます・・!
○ご評価をいただきました。ありがとうございました!
また誤字のご指摘も、ありがとうございました!
○第三者視点→偽イシュト視点です。ついつい長くなってしまいました。
あれっ、次話でなく次々話くらいまで辺境編がかかるかも、──。
(第三者視点、「大仕合」会場、某日)
雄渾な体格をほこるラゴンの勇者との死力を尽くした仕合に、いまだ熱狂の冷めやらぬ会場。
グインは対戦した相手とともに、しばしラゴンたちやセムたちと交歓した後、貴賓席に戻り。
ラゴンの勇者とともに、モンゴール軍の畏敬のこもった眼差しに見守られながら。
外交儀礼のためであろう、その首魁である敵国の公女と親しく言葉を交わしている。
人々のほとんどは、その神話の一場面のような光景に目を奪われていたのだが。
──しかし
「ねえリンダ、──リンダ!」
「っ!なによレムス」
「やっぱり、気になるの?」
「気になんか、なるわけないでしょあんな奴!
モンゴールの強者に兜の形が変わるくらいぼっこぼこに叩きのめされて、あの性根をたたき直してもらえばいいんだわ!」
口からは、思ってもいないような悪罵が出てしまう。──本当は、そんなこと言うつもりじゃなかったのに!
彼女の弟はちょっと責めるような目で彼女を見返すが、それ以上何も言わず。
この話題の続行を諦めたのか、ため息をつき、口をつぐんでじっとグインと公女のやりとりを見ている。
彼女は苦い後悔が心に広がるのを感じつつ。弟に倣い、豹頭の男と白い服の公女に目を転じた。
今しも話を終えたらしいモンゴール公女が、グインとともに対戦者2人を紹介している。
はじめに公女が見事な中原標準語でモンゴール兵らに呼びかけ、グインがその内容をセム、ラゴンに伝える。
対戦相手の赤い騎士は、「ゴーラの赤い獅子」の二つ名持ち。
クリスタルにいたときはあまり異国のことに関心がなかった彼女ですら聞いたことがある、勇猛な将軍だ。
そしてその対戦相手は、──
(
あの女、あいつのことを自分の部下、手下扱いしてるわけ?馬鹿じゃない?
違うわよ!だってあいつは、私の、私たちの──)
リンダは(おそらく方便であろう)公女の言いぐさが気が食わず。燃えあがる怒りに目を細め。
その瞋恚に尖った目を、今しも公女とグインに紹介された
たまたま彼らのいる一角からの声援に応えて剣を上げていた彼と、目がばっちり合ってしまう。
──嫌!変な顔じゃ、なかったかしら。
彼に、気づかれてなければいいけど、──。
その間にも、決闘の手順は粛々と進行する。
赤騎士は早々に対戦場に上がり、足元を確かめ、剣を振り、足を踏み鳴らしている。全身からは闘気が立ち上るようだ。いかにも準備万端な様子。
それに引き替え。
長身の黒騎士はどこか気怠げな、戦意のあまり感じられないゆっくりとした足取りで対戦場の中央に歩みを進める。どこか気が進まないように。
気のはやる悍馬、猛る闘犬の如き赤備えの若武者の覇気とは、あまりに対照的。
思考が、急に暗い方向に転がりはじめる。
(──彼、調子が悪いのかしら。
そういえば最近、彼はどこか沈んでいた。あの日、決闘に出るって言ってたときからだ。どっか悲しそうですらあった。
私が怒鳴ったりしたからだ。そう、あのときはすごく不快だった。あのモンゴールの悪魔みたいな女が、彼のことを気にいったんだ、って私にはわかったから。
でも彼も彼だ。公女のこと、性悪だけどすごい美女だとか言ってた。私にはそんなこと、言ってくれたことないのに!
その上、なんだか私に当てつけるようなこと。望みどおり今度ばかりはダメかもしれん、なんて。昔、彼のことを罵倒したことを根に持ってるんだ、なんて思ってしまって。
だってイシュトヴァーンは、グインほどじゃないけどなんでもできる。ドールの魔の森でも、ケス河でも、あの魔公女につかまった後での人質交換でも、聞いたこともないようなおとぎ話も、──
だからイシュトヴァーンなら大丈夫なのに、嫌味であてこすってるんだろう、って思ってしまって。
すごく、頭に来ちゃったんだ。
でも、頭を冷やせば分かる。そんなつもりではなかったんだって。
彼は外見はなんかすごく悪っぽい風に見える、見せてるけど、基本はお人よし。
だからスニの友達たちやお母さんたちにも人気があって、それもむかつく、──のは今は関係ない、けど。
基本、彼はこんな決闘になんか、出たくないはずだ。
気をまぎらわそうとして、ちょっと言っちゃっただけなんだろう。
だって。だいたい彼ががんばってくれてるのは、私たちのためなんだし。
はじめて彼に会ったときに罵倒して言ったこと、きっと彼は気に病んでたんだ。
今ならわかる。私はあのとき、間違ってた。
ゴーラの騎士はみんな敵だと思ってた。違う、彼はそうじゃなかったのに。あいつは、そして多分あの場にいたスタフォロスの騎士たちも、パロ戦線にはほとんど無関係。
ヴラド大公の奇襲は、彼らも知らなかったみたいだし。
ヴラド大公と、その娘のあの悪魔公女が全部悪いんだ。イシュトヴァーンなんか、そもそも流れの傭兵でモンゴール人ですらない。
少なくともあいつへの怒りが誤解だった、って分かってから、どうして素直に話せなかったんだろう。
彼が何も言わないから、そのままになっちゃってた。
でも。
彼はきっとそれを負い目に思って、だから私たちのためにこんな不利な決闘を引き受けたんだ。
地の利で善戦はできても、正面から戦えばセムはモンゴールに勝てない。
ラゴンの援軍があっても、多くの血がノスフェラスの白砂を染めることになったはず。
そしてモンゴール軍の目的はノスフェラスを支配することじゃない。
セムと敵対するのは、彼らを亡ぼしたいからじゃなくて、私たちを捕えるため。──セムにとっては、私たちは疫病神だろう。
あいつがモンゴール軍に忍び込んで時間稼ぎをしてくれなかったら。今頃ラク谷も攻撃されて大虐殺になってたかもしれない。
今でも、その危険性はある。だから彼は、決闘って形で解決してくれようとしたんだ。
──そして。
あの悪魔公女がねじ込んでこなかったら、彼もこんな闘いに出る訳がない。
だいたい、一緒に暮らしてたらわかる。彼、あんまり戦うのは好きじゃない。鍛錬は怠ってないみたいだけど。
本当はレムスと一緒に変なからくりを作ったり、木片に彫像を刻んでみたり、笛を吹いてたりするのが好きみたい。歌はヘタクソだったけど笛はすごい。
だから彼があそこであんなことをしてるのは、もとはと云えば私たちのせい。
それなのに私、彼が決闘に出る、死ぬかもしれないって聞いて泣いて。
しかもグインから、それが悪魔公女の差し金かもしれん、って聞いて、──すごく頭にきちゃったんだ。
あいつはあの悪魔公女のこと、性格は褒めてなかったけど少なくとも美人だとは思ってる。
そしてきっとあの悪魔公女も、あいつのことを気に入ったんだ。それが、そのときはすごい嫌で当たり散らしちゃった。
頭が冷えたら、それが一層の恥の上塗りになって。
逃げ回って、レムスに口止めして、──それでも彼は仲直りしたかったみたいなのに、変な意地を張っちゃって。
機を逸して、じっとみてることしかできなくて。
どうしよう。
彼、本当に勝てるんだろうか。親善試合って建前だけど、剣の先を潰してあるだけで基本は真剣勝負。
イシュトヴァーンは腕が立つ、ってグインは云ってくれた。でも彼、所詮は無名の傭兵。傭兵にしては腕が立つってこと。
でもあの対戦相手の赤騎士は、ゴーラで知られた二つ名つきのすごく強い有名な将軍。
体格は同じくらいかもしれないけど、腕は及ぶはずもない。だって将軍の、あの鬼みたいな気迫。勝てる訳、ないじゃない!
あっ。
どうしよう!?未来視が発動しちゃったかも!
無防備に体勢をくずして盾を持つ手をついた彼の首に、赤騎士が剣を振り下ろしてるのがみえる!
彼が死んで、もう二度と話せなくなったら?
クリスタルやスタフォロスで嫌になるくらいみた、死体みたいに。
あのちょっと皮肉っぽい笑みを浮かべてるけど、かっこいい顔は白く、黒曜石の目は永遠に失われて。
夢みたいな途方もない法螺話や波乱万丈の物語を私とレムスに話してくれてたあの唇は、青褪めて閉ざされて。
信じられないくらい繊細に紙を折り曲げ、木を刻んでいろんな動物や人の姿を作ったりしてくれた、ごついのに器用なあの指は、固くかたまって──。
──ああ、イシュトヴァーン!勝たなくてもいいから無事に帰ってきて!)
傍から見ても分かるほどに
モンゴール兵の間にも、いぶかしむような声が上がる。きっと賭けのレートはこの間にも急速に赤騎士側に傾いていることだろう。
ただ、さすがに王女も観戦者たちも、その原因については想像もできていなかった。
──ともあれ、時は無情に流れ。
騎士2人は、対戦場の中央に向かい合った。
「「
一閃。
赤騎士アストリアスの火の出るような一撃が、傭兵を襲った。
──────
──────
(偽イシュトヴァーン視点、大蛙岩、「大仕合」の模範仕合第2戦目)
おおっ、こりゃ不味いぜ!
僕はかろうじてのけぞるようにして、アストリアスの鋭い
さすがはアストリアス。原作だと身の振り方にぐだぐだなところが目立つ彼だが、剣の腕は屈指の強者。
躱されるのも予測の範囲だったのだろう、そのまま一回転しながら長い腕の
僕は用心深く一歩退がり、間合いを取る。モンゴール軍からは大きな野次。うるさいなー。
それから数分。
防戦に徹し、今のところは五分っていうか
がんがん攻めてくるアストリアスに、次第に僕は追い詰められている。
まあ、僕としては場外負けでもいいや、なんて思ってたんだけどさ。
ただ、それを許してくれる状況でもなさそう。巧みに、足場の悪い場所に追い込まれてる。
「ハッ、どうした、臆したか!」
「──」
アストリアスの猛攻をかろうじて紙一重で躱す。
僕は、半分上の空でやりすごしながら。危惧を抱き始める。
(──アストリアスの剣。刃先の方の潰しが、甘くないか?
しかも、僕のこの盾。なんだか妙に重いしガタつくぞ)
僕たちは、ともに手渡された、支給された装備で戦っている。
剣は長さは同じ、盾もほぼ同じ大きさ。剣は刃を潰してある、はず。
だが、なんか彼の剣、刃の潰しが甘い気がするんだ。さっき軽く盾にかすらせてみたけど、先の方が切れる状態な気がする。
(まあ、モンゴール軍の武器はどちらかというと打撃を重視してて、重厚堅牢だけど切れ味はもともとそこまでじゃないんだけどね。)
僕のは?ああ、めっちゃ丁寧に潰してあるよ。ただの鉄の棒きれ。長さは同じだけど僕のは太い
それを片手で振ってるからな、疲れもたまるよ。
僕の盾も、なんだか握りがグラついてる。なんか細工されてないか、これ。終わりまで持つかな?
そういえばリンダの怨念のこもった視線に気をとられて、武器改めを要求するのを忘れてたなー。
本物のイシュトヴァーンなら、抜け目なくこの辺は気を配っていたんだろうけどな。
運の悪いことに、なりゆきに承服しかねている気配のある
(イシュトヴァーンはアストリアスみたいな、育ちのよさげな真っ直ぐで爽やかそうな体育会系が嫌いみたいなんだ。
それプラス、公女に出場を強制されたのが何より嫌なんだと思う。あまのじゃくなところがあるんだ。もともとの性格としては戦い好きなんだと思うけど。)
ここしばらくずっと、僕は「イシュトヴァーン」を引っ込め気味にしていた。
この戦いの場では
僕の戦いぶりは、相当に消極的。専守防衛。昔の社○党が褒めてくれそうな感じになってると思う。
それでも一応は押し込まれつつも決定打を許してないのは、元のイシュトヴァーンのスペックが相当にいいからだ。
それに腕はなまらないように、節制してできるだけ毎日、剣は振ってたからね。
あと気になる点は、まだほかにもある。
審判の1人、それも肝心な審判長が、ちょっとアストリアス有利に裁定してないか?
いや、これはそこまで露骨ではないけどね。
白騎士が3人、審判に立ってる。ただ有効打いくつで勝ち、みたいなルールはないので審判の役割は場外の判定とか鍔ぜり合いでもつれ合ったときの引き離し程度。
ただ、さっきもつばぜり合いから離すときに、僕の後ろに躓きそうな石があるのを見計らって、それとなく誘導されてた気がするんだ(まあ、イシュトヴァーンは有能だからね、そのときはうまく避けた)。
ただ、そんな気を配らないといけないことが多ければ多いほど、僕には不利。
「ドールの子よ!ここまでだ!」
そんな思いに没入して、気を散らしていたからだろうか。
僕はちょっと足場の悪いくぼんだ場所に追い込まれ。アストリアスの猛攻を支えかねて。
地面の凸凹に足をとられて、転びかけて膝と片手をつくことになってしまい。
そこに、あいつの剣が振りおろされたんだ。
──────
──────
(第三者視点)
あーっ!まずいよ!
レムスは観客席で、思わず声援の声を止めて目をみひらく。
(彼らの席は、グインや公女たちとは離れている。敵味方があまりに近くにいるのは不味いだろう、ということと護衛の便利を兼ねて、セムの族長たちやラゴンの強力な戦士たちに護衛された位置にいた。)
黒騎士の装備をつけたイシュトヴァーンは、のらりくらりと立ち回り、猛虎のように襲い掛かる赤騎士に決定打を許してこなかったが。
どうみても劣勢なのはたしかで、会場ではモンゴール兵たちの歓声が大きく響いていた。
一般のモンゴール兵に対しては黒騎士はモンゴール所属だと説明されているが、アストリアスのようなわかりやすい英雄と比べてなじみがない。一部には彼が洗脳されて鞍替えした敵の密偵だと知っている者もいる。
結果、モンゴール側はほぼ9割がた、アストリアスを応援している。黒騎士を応援しているのは、そちらに賭けてしまった逆張りの連中と、顔見知りのラク族くらい。会場の3割程度もいないだろう。
そして、ついに決定的な瞬間が訪れる。
赤騎士によって足場の悪い場所に黒騎士は追いやられ、足を取られて膝と盾の手をつく。
いましも勝機、と見て取った赤騎士が大剣を振り下ろす。斜めのスラッシュ。グインがレムスに教えてくれたとおりの理想的な軌道。勢いに乗る剣先は頬当てを抜いて、確実に首を斬りとばす勢い。
(このころには、赤騎士の剣先が潰されていないことが、盾への刺さりようから観客にもわかるようになっていた。)
レムスは思わず、目を覆う。流血と惨劇を予測して。
黒騎士は明らかに、対応できるような体勢になかった。
その王子の耳に、決して大きくはないが血を吐くような悲痛な叫び声が聞こえた。
「イシュトヴァーン!ああ、イシュトヴァーン、
横にいた、彼の姉の声だ。
ここしばらく、へそをまげてイシュトヴァーンと仲違いをしていたのだが、──もう遅いじゃないか!
おそらく会場が静まり返ったのは、きっと黒騎士の首が宙を舞ったからに違いない。
そう思いながら、ぐちゃぐちゃな感情のまま彼は顔をあげ。そして見たものに顎を落としたのだった。
──────
──────
(第三者視点)
アストリアスは勝利を確信しながら、剣を振るった。
敵は彼の攻撃をかわし続け、時折反撃を試みているがあきらかにアストリアスが優勢である。
アストリアスに優位に仕組まれた小さな仕掛けをさておいても、このままアストリアスは勝ち切る自信があった。
たとえば審判の一人は、彼に有利にガイドしてくれている。それとなく気づかれぬように、相手を追い込むべき足場の悪い場所を示してくれている。
アストリアスに渡された剣も、刃の潰しが甘い。物打ちから先は刃が残してある。彼の腕なら問題なく斬撃で相手の手足を斬り飛ばすことも可能だろう。
そして相手の盾や鎧兜は弱めてある。あの盾の握り手の鋲は緩めてあるはず。鎧の胸のあたりの装甲も、抜いてある。それに重りが付けてあるのだろう、盾を持つ相手の腕が疲労でやや下がり気味になっている。
試合前に、すっと寄ってきた高位の白騎士に言い含められ。
それらがあの密偵を試合にことよせて暗殺するためのはかりごとだと知っている、アストリアスは。
正々堂々と戦うことができず、またそのままでは彼アストリアスの実力が相手の密偵に勝てるか不安だと判断された気もして、全くいい気分ではなかったが。
モンゴールのために危険な人物の排除は仕方ない、というのはそのとおりであるし。
また、何より愛する公女の周辺にまとわりつく害虫をみすごしてもおけず。
苦い思いを飲み込みながらも。それらの利を活かし、黒騎士を殺すというはかりごとに加担することにしたのだった。
そして訪れる、決定的な勝機。
審判に指示されたとおり、足場の悪い場所で黒騎士が足を取られて膝と片手をつく。
その首を狙い、袈裟切りの強打を送り込む。相手の兜の頬当ては薄い、上から切り込んで首を飛ばせる。
そのとき。
おそらくはパロの王女の声なのだろう、大歓声にまぎれて中原標準語の「生きて!」という、少女の悲痛な叫び声が聞こえた。
「なぬっ!?」
その、次の瞬間。
絶体絶命の立場にあった相手は、おそるべき速さで身を地に投げ出し、アストリアスの剣を避け。
黒豹のような勢いで猛然と立ち上がり。刺突を放ってきた。
危うく盾を間に合わせるが、委細構わず体当たり。踏みとどまり押し返そうとする勢いを上手く利用されて力を逃がされ、前につんのめってしまう。そしてそこに、空気を切り裂く音。
ぞくっとする危機感に危うく自分の大剣を宙に上げたのは、ひとえに運がよかった。
間に合っていなければ、彼自身の首が折られていただろう。
しかし力が入っていなかったアストリアスの剣は、重たい鉄塊に負けて叩き落とされてしまう。
アストリアスも自他認める強者である。すばやく体勢を立て直し、盾を構えて次の一撃に備える。
しかしそのときには、相手は10歩ほども下がっていた。
あたりは、黒騎士の豹変ぶりにあっけに取られて静まり返っている。彼を応援していた逆張り騎士や、一部のセムたちすらも。
(見逃された!?──ふざけやがって!)
相手は今、寝所から起き上がったかのように悠々と剣を持って肩を回し、軽く跳躍し、首をこきこきと曲げてみせている。
アストリアスは自分の失態に頭がくらくらするような怒りを感じながらも、落とした剣を拾い上げた。
「──『ゴーラの赤い獅子』も、この程度か?」
かすかに風に乗って聞こえた、落ち着いた声。煽るために発声したわけではなく、本当にそう思っての独り言が漏れ聞こえたようだ。
アストリアスは、目の前が赤くなるほどの羞恥と憤りを覚えた。
「ドールめ!己の地獄に帰してやる!」
しかし駆け寄って打ち込もうとした瞬間。彼はぞくり、と背筋を走った本能的な恐怖に思わずたたらを踏む。
彼の眼前、ほとんど1タルゴル(約1.5cm)もない鼻先を、鉄塊が奔り抜けた。耳に刺さる、風切り音。
潰した刃であっても、兜があっても。打たれた彼の頭が
「おっ、なかなかやるじゃねえか!
──じゃあ、これは?」
明らかにこれまでと異なる、その場を圧する覇気。人が変わったような、愉悦の声。
一見すると隙だらけに見える彼に、アストリアスはまったく打ち込める気がしなかった。
からかうような、ゆっくりした《起こり》。振り上げられた剣先を、アストリアスは必死で見つめる。普通なら振り下ろしだが、あるいは──
次の瞬間に放たれた電光のような薙ぎ払いを、彼はかろうじて盾で受け止めた。
しかし敵の剣は縁の鋲を打った鉄の補強部を破壊し、打ち抜かれた盾の木片が飛び散る。
盾を握る腕が痺れる。盾に腕を通す輪のところが強く痛む、おそらく痣ができているだろう。
(さっきからの動き、人のものとは思えん!
これは、こいつは、──アグラーヤの密偵などというものではない!そんなものであってたまるか!
ドール、ドールだ!
アストリアスは歯を食いしばり。
いまや魔王のような哄笑を響かせている彼に立ち向かうべく、汗ばむ手で剣を握り直した。
──────
──────
(偽イシュトヴァーン視点)
いやー、危なかったな。
僕としては一生懸命戦ってたんだけどさ。あの白騎士の審判の誘導もあって。
アストリアスに追い込まれて、ほんとヤバかった。マジ、死を覚悟したよ。
ただ、そこでなぜか急に元気に復活してくれた、
この前、モンゴール軍に忍び込んでマルス伯にぶっ殺されそうになったときもそうだけど、本当にヤバい、いざというときは彼が出てきてくれるのかな?
うわーマジかよ5巻退場!って思った
魔性の迅さで反撃に移り、その後の戦闘を担当してくれた。助かった。
それからは、僕のターン。
対戦相手のアストリアス、おそらく前半戦で勝負をかけるつもりで体力を消耗してたのかな。
僕の中のイシュトヴァーンに、全く対応できていない。
ほら、今しも。
「ルアーよ!」なんて叫びながら飛び込んできての一撃。
でも難なく見切れる。軽く躱し、背後に回る。僕を見失って慌てて左右をみてる、アストリアス。
その彼の隙のある背中に向かってほいっ、と潰した刃先で突きを入れてやると。
彼の体は2タールほども吹き飛び。うつ伏せに地面にたたきつけられて伏した彼は。
まるで僕が悪魔か邪神であるかのように恐怖に青ざめた顔に目を見開き、あたふたしながら身を起こして盾を構える。大げさだなー。
アストリアスの盾も、さっき僕が放った一撃を受け止めたときに半分壊れてしまってる。彼の剣先も、僕の別の一撃を受けたときに折れちゃってる。
装備が貧弱なのは僕だけじゃない、アストリアスもだったみたいだ。
なんか僕にばっかり不利に計らいやがって、って思ってたけど冤罪だった。すまぬ。
まったく壊れかけの武器を支給するなんて、さ。模範仕合だからとサボらず、ちゃんとしたのを用意すればいいのにな!彼も僕も仲良く被害者仲間だぜ。
思わずおかしみを覚えて。口から「ハハハハハッ!」と豪快な笑い声が漏れてしまう。アストリアスがびくっとしたのを見て、またお行儀悪く笑い声を立ててしまう。イシュトヴァーン、さては笑い上戸だな。
さて、ここまで来たら負ける気がしない。僕の中のイシュトヴァーンは
おそらくは疲労のせいでろくに防戦できていないアストリアスを討ち取ることも、できるかもしれない(いや、もちろんしない、僕がさせないけどね)。
きっとイシュトヴァーンの動きがいいのは、アストリアスみたいな良家のハンサム野郎が嫌いってだけじゃなく。
元のイシュトの人格としてこういう逆転劇が好きで、戦意が上がってるからなんだろうけどな*1。
原作イシュトヴァーンは、この時期にはそこまで頭抜けた強者ではない。
アストリアスには(イシュトが疲労した状態であるとはいえ)分が悪く負けかけていたし*2。
老獪な白騎士フェルドリックにも、剣技では劣るという描写がある*3。
彼が力を付けて狂戦士状態になるのは、
しかし。今の僕の中のイシュトヴァーンの体感だが。
思ったより、アストリアスは強いと感じない(さすがに疲れたからだろう)。そしてこの危機で出てきたイシュトヴァーンが、すでにそこそこ強い(まあ鍛錬を怠ってなかったってことかな)。
「ルアーよ!」
なんか悲愴な声を上げてすごい勢いで突っ込んでくるアストリアス。軽くその正面からはずれ。
すれ違いざまに、剣の平で手元を狙う。打ち下ろしじゃなくて、なぜか切り上げてすくうように打つと、気持ちがいいほど綺麗に入って空に彼の剣が舞い、「ぐあっ」なんてアストリアスが声を上げてる。
(──さてと。相手が降伏するか、審判の判定だったな)
僕がさてもう一撃、どうしてくれよう、と考えているうちに。
アストリアスが、かろうじて剣を拾い上げて構える。
ただ、さっきの小手打ちが効いてるのかな?
盾を捨て、右手だけでなく左手を剣に添えてる。防御を捨てた構え。うーん、粘るね。
僕は勝利を確信して愉悦の笑みを浮かべながら、彼の前に歩みを進め。軽く剣を振る。
彼は目を剥くようにして必死の形相で剣を合わせようとするが、途中で力の入れ方を変えた僕の剣の軌道は変わり。
両手持ちしていたにもかかわらずきれいに巻き取られた彼の剣が、再び宙を舞う。
武器を無くして瞬時、呆然と立ち尽くす奴の胸を軽く盾で
おそらく負けを悟り、審判の判断を後押ししてくれようとしたのか。彼が大げさに吹き飛んでくれたので、歩み寄って剣を首元に擬した。勝負あっただろ、審判何してる。
「くっ、──ドールめ!」
「そ、そこまで!」
そうだよな!
あー、よく働いた!この後のヴァシャ酒、美味いだろうな!
僕は充実感を覚えながら、公女たちの方に目をやったが、──。
あれ。なんで誰も喜んでくれないんだ?
会場も、しんと静まり返ってる。こわばった顔、顔、顔。
あー、アストリアスに賭けてて負けたからだな?でも僕に逆張りで賭けてた奴も絶対いるだろ、少しは。喜べ。
あ、誰かに頼んで賭け券、買ってもらっとくんだったな。痛恨だ。
それにしてもなんで、審判の腰がそんなに引けてるんだ?たしか審判が勝者の腕を上げて勝利を宣言してくれるはずだよな?
──でも審判長らしい年かさの白騎士、すごいなんかおびえた顔、引けた腰。近づいてきてくれない。
ただ、謹厳な彼のなんか絶望したような、上目づかいの様子に。
「くっくっくっ、──」と、笑い上戸の僕の中の彼が笑いだしそうになってて、っていうかもう声が漏れだしてて。
僕は必死に腹筋を引き締めて真面目な顔を取り繕い、彼に視線を合わせて頷く。
でも審判長、僕の笑みに「ひっ」なんて声を出してる。──止めろ、僕の腹筋が持たないよ!
あれ、公女の護衛たちがなぜか緊迫した様子で、公女と僕たちの間にガチャガチャ入って剣の柄に手を置いてる。
あー、たしかに打ちかかれる距離ではあるな。まあ実際は鉄の棒だけど、剣持ってるし。
アストリアスを追いつめてたときに、貴賓席の目の前にまで寄って来ちゃってたんだな。でもそんな警戒すんなよ、ヴァシャ酒をもらえれば全部OKだ。貧弱装備の恨みは水に流そう。
公女殿下も唖然とした表情。切れ長の緑の目を、驚きに瞠ってる。桜色の唇が「o」の形に開いてるじゃないか。
泰然として腕を組んでいる横のグインとの対比に、また笑いの発作を抑え込む。あー、ねえねえ今どんな気持ち?ってやりたいっ!
しかしさすがは、性悪ながらシゴデキな公女。
一瞬の呆然自失からすぐに立ち直り。きりり、と顔を引き締めると。
ややこわばった笑みながら立ち上がって手を叩く。隣のグインも悠然とそれに追随し、近習たちの緊張もゆるむ。
「アルゴンのエルよ、見事なり!
──さあ審判、勝負を宣して勝者を讃えようではないか。モンゴールの武を示す、すばらしき仕合であった!」
僕は、充実感を覚えながら恭しく彼女と、その横で頷くグインに答礼する。
ようやく近くに来た、まだへっぴり腰の審判長が僕の右腕を取って上げ。
見目形のよい侍童がおぼつかなく震える腕を延べ。兜を脱いだ頭に
あ、ようやく会場も公女に倣って、僕に拍手喝采してくれる模様だ。僕はにこやかに剣を振って答える。
遠目に、シバとサライ、そしてスニさんたちがすごく喜んでくれてるのが目に見える。手に手をとってぴょんぴょんと。よかったよかった。
その隣でレムスが、顔を覆って俯いて肩を震わせているリンダの背を撫でてる。あー、僕と同じだな。審判の様子とか、やっぱり超ウケるし。ツッコミ属性で笑い上戸だもんな、
横のレムスがこっちを見る。なんか責めてるような目は、やっぱり心配かけたからだろうな。途中までは僕主導で負け筋ルートだったからなー。やっぱり最初からイシュトに任すべきだった。すまぬ。
僕は感謝と謝罪の念を込めながら。会場を案内役の騎士に導かれて一周しつつ、彼らに剣を振ったのだった。
(覚書、ラゴンの身長、運動能力)
グインの身長は「2タール」、体重は「100スコーン」とされている(第5巻55頁)。
ドードーの身長は「3タール」、体重は120~130スコーンである。男性のラゴンの身長は、2タール以上である。
※第5巻55頁「巨人族たるラゴンからみれば、身長二タール、体重も100スコーンのグインはむしろ小柄である」(ドードーは)「慎重にして1タール、体重でも2、30スコーンはグインにまさっていた。」同56頁「ラゴンの特徴として、平均2タール以上の大男ぞろいである」。
ところが別ページでは、ラゴンの身長は2タール半、体重はウマの三歳子ほどとされている。グイン世界のウマと地球の馬とは別物だと筆者は書いているが、仮に地球の馬だと三歳子は競走馬だと450kg~550kgである。ちなみに小錦関が全盛期で身長190cm弱、300kg前後であり、ラゴンは小錦2人分くらいありそうである。
※第5巻15頁前後「身長2タール半にも及び、体重もまた、ウマの三歳子に匹敵するほどもあるだろう」
さらに別ページでは、身長2タール、体重150スコーンとされている。
※第5巻254頁前後「身長2タール、体重150スコーンという、ラゴンの巨人たち」
そして5巻後書きでは、1タール=約1.2m、1スコーン約1.75kgとされている。この換算だとラゴンの身長は2.4~3mで体重260kg、ドードーの身長は3.6m。ものすごい巨体である。
ア○ドレ・ザ・ジャイアントは、身長223cm、体重236kgとされている。写真をみると分かるが、平均的ラゴン男性はこのくらいということになる。
ちなみに力士は体重150kg前後ながら、足の速い力士だと50メートルを7秒なかばくらいで走り抜けるという。
ア○ドレ・ザ・ジャイアントの走る速度は不明である。10代(身長190cm超)のころは俊足だったと言われている(100m11秒台!?)
ドードーたちラゴンがどのくらいの速さかが気になるところで、いかに怪力で巨体(ストライドが大きい)でも、体重からみるとさすがにこれらより速いことはないだろうと思われるが・・。