(仮)豹頭王の物語の一登場人物に憑依する話。   作:Marchhatter

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(※本日2話投稿します。その2話目です。読む順番にご注意ください。)

◯舞台はモンゴールの首都トーラス、時間は前話の続き、第三者(アストリアス、アムネリス)視点です。


032 心の波紋

(第三者視点、トーラス、謁見後に白騎士たちと別れた後)

 

 アムネリスはトーラス右府将軍であり、いわばトーラスの施政の共同責任者でもある。

 赤騎士からの寄騎であるアストリアスを伴ってアムネリスは総督府の執務室に行き、特に重要で緊急を要することの有無を確認し、口頭で指示を出す。アルヴォン、ツーリードと大公府との間の物資や人員の融通の精算・調整指示も、そのひとつだ。

 1ザンあまりで切り上げると、治安長官殿に会いに行くか、とアムネリスはアストリアスに言い。

 二人は別の案内人に先導されて、大理石の廊下を歩く。

 

「アストリアス。大丈夫か。顔色が悪いぞ」

 

「──!大丈夫です」

 

 その途中、人の少なくなったところで。

 ぽつり、と彼の憧れの人である公女殿下が振り返ってそう言い向けてきたので。

 さきほどからずっと心ここにあらずであったアストリアスは、びくっと反応し、威儀を正して応えた。

 

「なにか、気がかかることがあるのだな?」

 

「公女殿下。殿下のご結婚のことを聞きましたので」

 

「アストリアスは、もう知っていたであろう?」

 

 黙って頷く。そうだ。ノスフェラスですでに、知ってはいた。

 ただこうして大公殿下の口から出ると、もはやそれが変えられない重い運命である、と実感せざるを得ない。

 

 案内人の案内に従い、廊下をたどり、中庭の一つにさしかかった。

 中庭には小さい人口の泉があり、水が流れている。いざというときの給水用だと聞いた。

 

 もはや夕闇が迫っている。たそがれどきの茜色の空を、アストリアスは見上げた。覚えず、足が止まった。

 それに気づいた公女も、歩みを止めて空を見上げた。

 美しい夕焼けだ、とアストリアスは思った。

 この夕焼けを、この(ひと)とともにここでこう見上げる機会など、もう二度と訪れないだろう。

 ──今しかない。

 

「──わが心臓(ヘルト)は、公女殿下のものでありますれば」

 

 アストリアスは、勇気をふるってモンゴール古来の愛の言上の言葉を口にした。

 口にしてしまった後で、動悸が胸を破らんばかりに高まった。愚かなことをした、と後悔の念がこみあげる。

 アストリアスも馬鹿ではない。自分は公女に恋い焦がれているが、公女側にそうした感情はない、と今では知るに至っている。

 こうして弾みで口にしたことで、この先、公女の側にいられる地位すらも失うのではないか。

 

「案内人殿、しばし待たれよ。

 ──やれやれ、男心というのは謎だな、こんな女のどこが良いのやら」

 

 公女殿下は、苦笑してそう言った。

 定型的、確定的な拒絶の文言(『その心臓は未来(誰か)のために』とか)でなく、また彼がおそれていたような拒否感、嫌悪感がその顔や口調に浮かんでいないことに、アストリアスはほっとした。

 案内人を待たせ、二人はしばし中庭で空をみあげて佇む。

 

「公女殿下は、その、すべてにわたり完璧であらせられます」

 

「完璧か。そんなことが人の身にあろうはずがない。

 ──そなた、目が曇っているのだ、アストリアス」

 

「──馬鹿な男だと、お笑いになりますか」

 

「──いや。この私も同じ馬鹿仲間でな。

 人の身には手の届かぬ、高みの雲に手を伸ばしている」

 

 そう言って、公女はちぎれて空に一つ漂う雲に顎をしゃくった。

 直情径行の武人アストリアスとはいえ、貴族の端くれである。

 今の公女の答えが、彼の告白への婉曲な拒否の言葉であることくらいは、容易に理解できた。

(そして公女にとっての『雲』とは何か、彼にも推測できる気もしていた。

 だがそれはそれとして黄金の林檎(アプラーツ)の実を盗まんとしたあやつは、一度はぶん殴るぞ、とも思っているアストリアスである。)

 

 しかし望みを断たれた今、アストリアスの心は不思議に凪いでいた。悲しみはあったが、憤りはなかった。

 むしろ心の泥が冷たい湧水で洗い流されたような、清々しい気持と充足感があった。

 

「それでも。わが心臓を捧げる(想いを寄せる)ことだけは、お許しいただけますか」

 

 不躾ではあると思ったが、愁いを帯びて空を見上げる横顔を見つめる。

 視線に気づいた公女は振り向き、あきらめたように笑った。残照を映した黄金の髪が、微風になびいた。

 

「この私には返せるものがないのだぞ、アストリアス。

 そなたの心臓は、そなたのものだ。思いのままにせよ。

 最近、思うのだ。人の身はうまれつき、幾重にも目に見えぬ鎖で縛られていると。だがせめて、(思い)だけは自由であるべきだ。

 『思いに税はかけられぬ』。そうではないか?」

 

「それならば。

 私は私の勝手な想いで、わが心臓を公女殿下に捧げましょう」

 

 彼の目には完璧にみえるこの公女もまた、悩んでいるらしい。

 彼女の悩みの所在を正確に見抜いたり推測したりすることは、単純素朴な軍人である彼には難しかったが。

 公女が彼の思いに応えることはできないが、彼の思いを無下に否定するつもりはない、ということは分かった。

 それで十分だ。自分の願いは叶えられた、とアストリアスは思った。

 

 ──自分の心臓は公女に捧げた。彼女のためになら、自分は死んでもいい。

 

 軽く数タルザン()ほど、無言のままに彼らは夕焼けの空を見つめ続けた。

 

 ──────

 

 茜色の空が紺色に変わり始めたころ、行こうかアストリアス、と公女は言い。

 二人の影は、ふたたび案内人に導かれて廊下をたどり始めた。

 

 二人はものものしく手槍を持つ衛視が守る治安部に入った。

 アストリアスの父、マルクス・アストリアス治安長官と話すという口実で、多忙で不在がちな父親がアストリアスと顔を合わせる機会を設けることが公女の目的であったらしい。

 

 アストリアスの父は、彼の目には記憶にあるより年老いて見えた。

 いつも力強かった父の髪がいつのまにか白くなっていたことに、しばらく父に会っていなかったアストリアスは気づき、胸を衝かれるような思いを味わう。

 

 民兵を戦場に抜かれ、また壮丁が徴兵された農村が疲弊して流民が増えているため治安が悪化しているが、秩序は維持できているという報告を聞き、軽く談笑を交わした後で彼女たちは治安部を辞した。

 

「アストリアス。今日は実家に戻るといい。家族に、あの異郷の地のみやげ話でもしてやれ」

 

 公女の私宮からも護衛女官が来たため、アストリアスによる護衛もここまでとなった。

 もとよりアストリアスでは、男子禁制の後宮には入れない。

 

 ──ここで別れとなるな。気をつけて帰れ。

 

 そう公女は言って、アストリアスと別れた。

 案内人と手槍を持った護衛の侍女に伴われたその旅装の後ろ姿が、遠く廊下を曲がって消えていくまで。

 すこし感傷的な気分になっていたアストリアスは、不思議に澄明な感情で見つめ続けていた。

 

 そして彼は回廊を歩み去り、宮殿を出て、心知れたる白騎士たちの宴に途中参加して大歓迎され。

 多少ヴァシャ酒に酔いはしたものの、しっかりした足取りで実家の邸宅に帰り、年老いたばあや(乳母)や男爵家出身で庶民的な実母に世話を焼かれ、まだ小さい弟妹にまとわりつかれ。

 またいつになく早く帰宅してきたらしい父に目を細めて相槌を打たれながら、ノスフェラスの奇妙な風物のことなどを語り聞かせ。

 ひさびさのふかふかに柔らかい褥に入り、夢も見ず日が高くなるまで熟睡し、寝坊して起こされることとなる。

 

 ──史実と異なり、出奔する考えなど彼の頭をよぎりもしていなかった。

 

 ──────

 

 ここでアストリアスがアムネリスに求愛し、そして玉砕したものの。

 ある意味、愛を伝えるという目的を果たし、思い切りをつけたことで彼に生じた変化。

 それは一見すると小さな蝶のはばたき、さざ波に満たぬとるにたりない小さな波紋にすぎなかった。

 しかし、この波紋はその後の展開に大きなうねりのごとき変化をもたらしかねないものであった。

 

 史実どおりに進められてるぜ楽勝、楽勝ゥ!などと悦に入っている、かの傭兵(イシュトヴァーン)が。

 この変化をこの時点で仮に知ることができていたなら、頭を抱えてしまったかもしれない。

 

 しかしもとより彼は、数百タッドを隔てたノスフェラスの砂漠に在り。

 出発直前に、目を丸くし感心しきりのセムやラゴンの青年たちに対し、レムスと2人、ドヤ顔を並べてイド狩り用薬液の精製法やら紙の製造法やらの伝授(プレゼン)に勤しんでいて。

 この変化を、知るよしもなかったのだった。

 

 ──────

 

 アストリアスと別れた公女は、ほうっと深くため息をついた。──なんとなく肩が凝った気がする。

 女性の案内人が、どこか同情するようにさりげなく肩をまわす彼女をみやる。

 

「案内人殿。云うまでもなきことながら、さきほどのことは内聞に」

 

「存じております。──公女殿下も、大変であられますな」

 

 赤騎士隊長が公女殿下に告ってフラれた、などということが広まれば。

 あの真面目な青年騎士は宮廷雀の絶好の玩具にされてしまうだろう、と公女は気を回した。

 

 心得顔に頷いてみせる案内人は、おそらく騎士か下級貴族階級の家の戦争寡婦であろう。

 そうした者を優先して雇用する施策をヴラド大公は取り入れており、評判も良かった。

 この案内人も、歳を重ねてはいるが上品な顔立ちで、言葉遣いや挙措動作にも教養がかいまみえる。

 苦笑しているところをみると、おそらくいろいろな人間の愛憎劇をこの宮殿で見聞きしてきたものと思われた。

 

「はて。うまく躱すのも女の嗜みというが。

 このような経験など、これまでなかったのでな」

 

 アムネリスはまだ若いが、さまざまな戦場をめぐり、修羅場も経験してきた。

 ただ実年齢としては、わずか十八歳の小娘にすぎない。

 まして背後におそろしい父親の影が覗く彼女に、言問いしようとする蛮勇の持ち主がそうそういるわけもなく。

 白騎士たちの間では、上司である彼女はいわば誰も手を触れてはならぬ象徴、高嶺の花扱い。

 崇拝の対象でこそあるが、実際に本気で求愛されたりすることはない。

(身分を隠しての潜入任務(ミッション)では、ときに彼女をそれと知らぬ輩に迫られたりもするのだが。

 そういうときは彼女も、任務として演技してかわすだけの話である。)

 

 なので彼女は、このように真摯に思いを告げられた経験には乏しい。

 そのため今回アストリアスに対し、表面上は動じないようにみせてはいたが。

 内心はこれでよいのかと自問自答しつつ、苦慮しながら対応したのだった。

 

「公女殿下はお美しいので。そのようなことも多々あられたのでは?」

 

「まさか。私は『氷の公女』だぞ。それにまだ(フラウジョン)でなく未通娘(メディータ)にすぎぬ。

 案内人殿の方こそ、よく花祭りでは鈴を鳴らされる*1のではないか?」

 

 原作と異なり、かなり苦労人なこの世界線の公女殿下であるが。

 決して嫌いではないが、恋愛感情などは持っていないアストリアスからの求愛を。

 まあまあ角を立てずに受け流せたことに、われながら満足した気持ちになっていた。

 

 また大公殿下の査問もあまり失点なくかいくぐれた、という解放感もあり。

 自分では意識せず、あえて言えばいつもよりもわずかに多弁で陽気になっていた。

 

 そんな彼女と案内人と侍女は、ときおり軽口(グリーヴァ)も交わしながら黄昏の回廊をたどり。

 彼女らが公女のための私宮に到着したのは、もう日が沈んだ頃になっていたのだった。

 

*1
トーラスの花祭りでも名物の、言問い(ナンパ)の行動。たいてい男の子数人で女の子数人に、出店で売られている陶製の鈴を振って声をかける。捏造設定。




(覚書)
◯パロ王族の名前
 西洋の貴族や豪族の名は、領地名(のちに一族の名称となる)を示して出自を明らかにするものが多い。これはキレノア大陸でもある程度当てはまる(ヴラド大公は「ヴラド・モンゴール」、アキレウスは「アキレウス・ケイロニウス」など)。
 パロ王族の名前を見ると、「アル」という語が特徴的である。この語がおそらく王族であることを示すものではないかと推測される(レムスは『レムス・アル・ジェヌス・アルドロス』、リンダは『リンダ・アルディア・ジェイナ』)。ただこの「アル」が、その性格として①パロ王族の通字みたいなもの(初期徳川家で言えば「康」、羽柴家で言えば『秀』みたいな)なのか、②「王の」「至尊の」などの意味を示す単語なのか、③単に「〜の」を示す前置詞(ドイツの『von』、フランスの『de』など)なのか、という点は不明である。人名でない「アル・ジェニウス」で「国王陛下」だった気がするが(うろ覚え。未確認)、もしそうだとすると①はなさそうで、②③あたりだろう。
(※20260212追記)第58巻「運命のマルガ」246頁のヴァレリウス発言で「わが国王陛下(アル・ジェニウス)」とルビが振って表記されている。そうすると「ジェニウス」「ジェヌス」「ジェイナ」の「ジェン」が王を指す語幹となっているのかもしれない。ただ「私の」=「アル」とも思えない。文脈あっての意訳か。

 王族であるアルド・ナリス、アル・ディーン(マリウス)の兄弟は日本語での表記が異なり、ややイレギュラーな印象を受ける。それぞれの後に長ったらしい家名が入るのかもしれないが、個人的には、アル・ディーンはおそらくは同じ子音が短縮された形(フランス語のエリジオンみたいなもの?)ではないかと思っている。つまり「アル・ド・ディーン」などが本来なのではないか。ナリスも、もしかすると「アル・ド・ナリス」かもしれない。ただそうするとなぜ「アルド・ディーン」とか「アル・ドナリス」とかにならないのかは不明である。きっとパロ古代語の文法規則によるのだろう(ほんまかいな)。
 仮にそうだとすると、アルドロス3世はアル・ド・ロスなのか?あるいはアルドロス・アル・ジェヌス・アルドロスとかなのか(アルアル言いすぎやろ)?レムスの名前の「アルドロス」は父称(父の名、地球でも一部文化圏では姓がなく父称を用いていた)なのか?だとしたらリンダには父称がないのか?ベック公、ハブられてかわいそう?──とかいった疑問も出てくる。
 なおゾルーディアの古代のミイラの王様は「アル・ケートル」、現王様(蛸王様)は「アル・ロート」で、ひょっとするとこいつらパロ人かもしれない。地理的にもパロに近いし。──パロ人はみなスリムで美形だなんて言ってたの、誰や。
 誰もが疑問に思うところなので、未読部分や読み飛ばし部分などに創造神様(くりも○先生)の記述があるのかも(現在陰謀編を再読中、ただミアイルが不憫すぎてSAN値を削られ、読み飛ばし気味)。
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