(仮)豹頭王の物語の一登場人物に憑依する話。   作:Marchhatter

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○ご感想をいただきました。ありがとうございました!

・おそらく偽イシュト、心拍数で測るとアムさんやリンダ嬢よりスニさんの横がもっとも平穏なのだと思います。それ以外が不穏で、・・。
 寄ってたかって神々の玩具にされている偽イシュトですが、きっとまともな加護は、アルフェットウ神によるものなのかもしれません・・!

・お久しぶりです!
 ロスまでの道のり、自由国境地帯の雰囲気が分からずあれこれ考えています。
 きっと、小さな領邦がたくさんあったり、中央アジアみたいな部族社会になってたりするんでしょうか。あるいはアメリカの開拓時代?いろいろ想像がふくらみます。

・パロ、やはり謎王国ですねー。種々のオーバーテクノロジーを擁していながら3000年間進歩なし(あるのかもしれませんが、一般民衆は近世レベル?)だったり、黒竜戦役初段階での外交・軍事面で対応を大失敗したり。でも、後の記述からはそれらも優秀そうだったり・・。
 きっと国政が安定している分、前例踏襲的というか部分最適化の弊害がもろに出ているということかも?と想像したりしています。魔道師や外交官が情報を掴んでも軍に流れない、とか・・。

○第三者視点です。
 ナリス公の人物像、もしかするとかなり解釈違いの方が多いかも。すまぬ。
 他の人(公女アムネリスなど)もそうなのですが、原作とは多少性格が違ったりもするパラレルワールドだとお考えください。


035 二つの都の片隅で

(第三者視点、トーラスの金蠍宮、夜)

 

「姫様、ミアイル様がお目にかかりたいと。

 供も連れず、お越しになっておられますが。

 ──応接の間にて、しばらくお待ちいただきますか?」

 

 トーラスの金蠍宮、公女の私宮。

 公女アムネリスは、ようやく広大な石の宮殿の通路を踏み分けて、自分に割り当てられた公女宮に到着し。

 目を閉じて、居間の長椅子の背もたれに身を預け、天井に顔を向けて休息を取ろうとしていた。

 朝からずっと乗馬し、トーラスに戻ってもめまぐるしく石の廊下や階段を昇り降りしてきて疲れた足腰が、やわらかく溶けそうな錯覚。

 

 彼女に仕えて長い、親戚筋の出身の侍女フロリーは。

 来客の到着を、長椅子に沈む彼女に控えめに言上し。

 一瞬意識を失いかけていた公女は、はっ、と意識を浮上させた。

 

「いや、すぐこちらに通してくれ。カラム水の杯を2つ頼む。食事を摂るかもな、簡単なものが出せるように。

 ミアイルのことだ、勝手に抜け出てきたかもしれぬ。念のため公子宮にも報せを。

 あとは呼ぶまでは、下がっていてよい」

 

 フロリーは有能な侍女である。頷いて、すぐ他の侍女に指示を伝える。

 やがて弾むような足音が近づいてきた。弟のミアイルだ。

 彼女の、悩みの種の一つである。

 

 ──────

 

 ミアイル公子は父のような剛毅さ、冷酷さを持たない。

 姉のアムネリスのような明晰さ、冷徹さも。

 歌舞音曲の才があることに教師の一人は目を止めたが、武にしか関心のない周囲の人々にはあまり評価されることもなく。

 虚弱な体は水泳にも馬術にも適さず、一人では乗馬も短時間しかできない。

 ふわふわした毛皮の小動物が好きで、音楽や舞台が好きで、甘い果物が好きで。

 要はこのモンゴールの武張った価値観では「男らしくない」などと貶される特質を備えていて。

 公女と公子の性別が逆に生まれていればよかったのに、などと陰口をきかれる。

(正直なところ、公女自身もときどきそう考えることがある。

 幼少時に、本人に一度言ったら本気で泣かれたので、それ以来決して言わないようにしているのだが。)

 

 ただ、この世界では傭兵だけが知る原作においては、普通の貴族の家に生まれていれば愛されていただろう、という記述*1があるように。

 彼は、決して暗愚ではなく、繊細な感受性を備えており。

 周囲の人々の冷たい目にもかかわらず、優しい心を失っていなかった。

 

 この残酷な世界にあって、支配者の一族にうまれつき。

 そして近親者に尖った才をもつ者ばかりがいたことが、彼の不幸であったのだろう。

 

「姉様、──」

 

 男にしては大きな目を見開き、憧憬の表情を浮かべている少年に彼女は頷きかける。

 

「ミアイル、息災か」

 

「はい、姉様!」

 

 顔が輝く。慕いよりたいのを抑えているのが分かる、そわそわした様子。

 もうお互いそれが許される子供の年齢は過ぎてしまっている、と頭では分かっているのだろう。

 弟としては、可愛い。しかし世継ぎとしては落ち着きがなく挙動不審と評せざるをえない。

 どう諭すべきか。彼女はいつもながら迷いを覚え。

 そして結局彼女は厳格な父や軍の目付役から自分が受けたような態度で、弟に接してしまう。いつものように。

 

「ミアイル、見苦しいぞ。心を鎮めよ。

 姉はどこにも行かぬ。そこに座れ」

 

「はい、姉さま」

 

 外見は、白皙の美少年である。

 目が、きらきらとした憧憬を浮かべて彼女を見つめる。

 きっと彼の目には、数倍に美化された彼女の像が映っているのだろう。

 その熱を持った目が眩しく。また、何を言っていいのかも思いつかず。

 彼女は目をそらし、唇を舐め、とりあえず頭に浮かんだことを口にした。

 

「ミアイル。背が伸びたな」

 

「姉さまが昨年秋にトーラスを離れてから、もう3タルゴル(cm)*2ばかり伸びたよ」

 

「そうか。よかったな。──剣は振っているか」

 

「──うん、言われたように一応振ってるよ。

 でも、剣術はあんまり好きじゃない」

 

「そうか。馬もときどき、試しているか」

 

「長時間でなければ。でも、半ザンもすると疲れてしまって。

 でも、馬ってすごく目が優しくて、本当にあの走る姿が美しくて、──」

 

「そうだな、馬はいいぞ。そのうち、共に遠乗りできるようになったらいいのだが。

 ルーンは覚えきったな、──では、キタイ文字は?」

 

「──ごめんなさい。あんまり」

 

 どうやら一部はさぼっていたらしい。

 うなだれてきた弟に気取られぬように、ふう、と彼女は息を吐く。

 自分で自分の並べてきた言葉を振り返り、自己嫌悪を覚える。

 

 ──心の安らかさのことも、考えてやれ。

 

 耳元にあの傭兵の声が聞こえた気がした。そうだ、弟は弟なりにがんばっている。

 彼女はのどもとまでこみあげてきた叱責の声を押さえ。自覚的に、声をやわらげた。

 

「ともかくも、久々に会えてうれしいぞ、ミアイル。

 何か、この姉に話があるのか?」

 

「いいえ、特には。──忙しかった、姉さま?」

 

 身の置きどころないように、背をまるめた姿勢。 

 しゃきっと背筋を伸ばせ、という言葉が喉元まで出たが。

 ぐっとその言葉を押さえ、しかししょぼんとした目をしている弟を扱いかねて。

 アムネリスは、窓の外に視線を転じた。

 何も用がなければ会ってはならぬというわけではない、と彼に言う機を逸してしまった。

 

 窓の外、庭つづきの公子宮が木々ごしに目に入る。灯りこそともされていたが人気はない。

 彼には歳の近い近習、傍付きがいない。

 本は好きで、放っておくといつまでも読んでいると聞く。

 しかしモンゴールは文化の都ではなく、選択肢は限られてしまう。

 また父である大公が良い顔をせず、好きな本を読めるわけでもない、と女官に聞いたこともある。

 彼はどうやって時をすごしているのだろうか。公子という立場は、本来なら無為を許さないのだが。

 

「いや、大丈夫だ。食事はまだだな?

 では、一緒にどうだ。久々に私も、まともなものが食べたくてな」

 

 公子宮には公子がこちらで食事を摂ることを連絡させ(ちなみに公子は、黙って抜け出てきたようだった)、侍女たちに簡単な食事を用意させる。

 モンゴールでも夜の宴があったりもするが、一日の主食は昼にとるものと考えられている。

 夜の食事は、庶民は火を使わぬ練り粉程度、貴族であっても最低限の火しか使わないものをとるに過ぎない。

 

 あらかじめ言いつけて置いたため、さほど待つこともなく温められた穀物粥(グルツァ)、燻製の肉の薄切り、酢漬け野菜(ポキル)凝乳(シュリジャ)(ヴルティズ)スープ(シューパ)が供される。

 燻製肉は香草を利かせて軽く焙ってあり、口中を楽しませてくれる。

 酢漬け野菜は遠征中に多少、栄養不足でできていた口内炎に沁みるが、蜂蜜をしつこくならない程度に漬け汁に入れてあるのだろう、燻製肉に添えるといくらでも食べられそうだ。

 物資の不足しがちな遠征の間、あまりろくなものも食べられていなかった公女は。

 多少優雅さをかなぐりすてて、塩味のきいた燻製肉を味わい、野菜を噛む。

 

「どうした、あまり食欲がないか?」

 

「ううん、いつもこんなものだよ」

 

 あまり野菜を食べないのを見咎めて、彼女は苦言を呈しようとしたが。

 野菜もいいものだぞ、食べないと口の中に痛いものができる、とだけ述べた。

 

 食事が終わると、すでに成人済みとされている公女は1杯だけヴァシャ酒を飲む。

 さすがヴァシャの本場モンゴールの、しかも公宮に納められるだけあって()()は良い。

 彼女はあまり酒はたしなまないのだが、任務が無事終わった夜には、疲労感を消してくれる一杯を飲むことを自分に許していた。

 ここまで高品質なものでなくてもよいが、ノスフェラスに商品として売り込むか。向こうでは貴重であろう、と舌の上で酒を転がしながら、公女はぼんやりと考える。

 ただし、何を代わりに買うか、だ。そうだ、アストリアスが戻る途中、あの傭兵が面白いものを売り込んできたと云っていたな。たしか、──

 

 そう考え込んでいて、彼女はふとミアイル公子がじっと杯を傾ける彼女をみつめているのに気づく。

 つい、自分の想念に入り込んで放置してしまっていたらしい。

 

「それ、美味しいの?」

 

「ん?ああ、美味しいのだろうな。正直、最初に飲んだときはそれほど好きでもなかったのだが」

 

「僕も早く、飲んでみたい」

 

「そうだな、もう少ししたらな」

 

 言葉が途切れる。彼女は、彼にかけてやる言葉を探す。

 

「そうだ、ミアイル。──戦棋(ボッカ)でもやるか?」

 

「姉さま、──ぼく、ボッカは先生に教わったけれど。動かし方くらいしか知らない」

 

 公子宮の侍女は駒の動かし方も知らないし。最近、ユナスおじさんも忙しそうだし。──と、しょんぼりする彼を見て。

 彼女は軽いいら立ちと、彼を放置してしまったことへの罪悪感を感じる。

 

「ああ、それはしかたない。何事にも初めてはある。

 私もそこまで上手いわけではない。いつも爺と打つと負けているぞ。

 戦略など考えず、好きに動かせ」

 

 手を打って侍女を呼び、アムネリスはボッカの盤と駒を持ってこさせて並べた。

 

「先手を打て。──そうだな、手番をつねに多く打ってよい。

 私が1回、駒を動かしたら、ミアイルは2回、駒を動かしてよい」

 

 うれしそうに透きとおるような頬を紅潮させながら、ミアイルが獣牙の駒を動かす。

 手数の差は、圧倒的である。

 さすがに素人でまともに遊んだこともないとはいえ、2回動かすことができるミアイルに対して彼女もまたたくまに劣勢になり。

 多少旅の疲れから回復した彼女は、むむ、と座り直して身を乗り出し。情勢の回復を図る。

 

「ミアイルよ。この秋で、14歳になったのだったな?」

 

「うん。あの、──パロの双子もそうなんだよね?」

 

「ああ、そうだな」

 

 双子を捕縛するのが大公殿下の命の一つ。今回、彼女は取引として敢えてそれを破った。

 この点については、今日の会見である程度の申し開きはしたが。

 後でなんらかの形で咎めがあるだろう、と彼女は読んでいた。

 

「どんな感じの子たちなの?その、パロの双子」

 

 外交は主に大公と彼女とでやっていたので、ミアイルは他国の使節の引見の場には同席することもあるが、他国の王族などには会ったことがない。

 そのことにも、彼女は哀れみを覚えた。

 

「はて。一度しか言葉は交わさなかったのでな。

 王女殿下は、──そうだな、フィオーラの花のような紫の目、銀の髪。それはもう、美しかったな」

 

 ──そして私のことを八つ裂きにしても飽き足らぬという目でみていた。

 無理もなかろう、事実、親の仇で彼女の民を剣に掛けたわけであるし。

 

 そういう不都合な言葉は、彼女は今は飲み込むことにした。

 繊細な弟を、嫌な気分にさせることでもない。

 

「姉さまよりもきれいなんてこと、ないでしょ!?

 姉さまは、世界一きれいなんだし!」

 

「ミアイル、世界は広いのだ。

 この姉など、及びもつかぬような美女もいるであろうよ」

 

 ミアイルの不満顔に苦笑しながら、彼女はそう言う。

 彼女は特に自分の美しさには大きな価値を見出していない。顔の皮一枚の美しさなど誇ってどうする。

 ただ、時には自分の面の皮も政治や外交の面では役立ててきている、得はしているのだろうなと思う。

 

「──男の子の方は?」

 

「レムス殿下か。そうだな、優しい目をしていたな。

 容姿はそっくりだったな、双子であるから当然かもしれぬが。

 姉が太陽とすれば、弟は月のようだったな」

 

 ミアイルから感じる不満が、なぜか増大した。

 はてどうしてだろうか、と彼女は不思議に思うが。

 自分の王が追い詰められているので、とりあえずは盤面に集中する。

 

「姉さま。今日、結婚のことを父さまが話してたよね。

 レムス殿下と結婚するの?」

 

「ん?いや、今のところはそういう話にはなっていない。

 だいたい、王子殿下がどこに落ち延びているかもわからぬ」

 

「じゃあ、誰と?」

 

 ミアイルが2回動かした駒で、自分の女王が盤面から取り除けられた。詰みが近い。

 女王が王より強いのはどうしてだろうか、といつものように彼女は思った。

 

「さてな、最有力の候補はパロの王族の一人、ナリス公であろう。ただ、彼はまだ行方が知れぬ。

 それに誰が相手であろうと、おそらく結婚してすぐに私は未亡人になるであろうな」

 

「えっ、」

 

「?当然であろう。パロの王位請求権をモンゴールが手にしたら、用済みとなるぞ我が夫は」

 

「殺す、ってこと?姉さまが?その、ナリスって人を?」

 

「違う、──いや、違わぬな。命じられたらそうするかもしれぬ」

 

「そんなこと、──そんなことしちゃだめだよ、姉さま!」

 

 ミアイルも彼女が将の一人としていくさに参加し、人も手にかけてきたことは知っているはずだが。

 そういう具体的な個人を殺すという生々しい話には、やはり衝撃を受けたようだ。

 ミアイルがわなわなとしているのをみて、彼女は彼の耳には入れるべきでないことを口にしてしまった、と気づく。

 

「冗談だ。私としては嫁入りすれば夫に尽くすつもりだ。夫婦仲が良く子宝に恵まれればよいのだが」

 

 目に涙を浮かべるミアイルに、自分の考えなしの言動を反省し。

 アムネリスは心にもないことを、ミアイルをなだめるためにかける。

 

「それはだめだよ。姉さまに釣り合う男なんているはずがないんだから!」

 

 今度は、怒っているようだ。いつも温和な緑の目がとがっている。

 アムネリスは軽い頭痛を覚えはじめた。どうしろと。

 

「姉さまの婿さまが決まったら、教えてね。

 ちゃんと姉さまにふさわしい男かどうか、見定めるから!」

 

 そんな不吉な宣言とともに、アムネリスの王の駒は王手を受け。

 駒を動かせる場所もなく、投了となったのだった。

 

 ──────

 

 いつもこの弟には、どうしていいかわからないもどかしさを感じる、と彼女は思う。

 ちなみにその後、手合割り(駒落ち)でも対戦し、弟は大変興じていたのだが。

 しばらくして疲れを訴え、寝椅子に横になってしまった。

 公女は侍女に命じて、彼のために毛皮の上掛けを持ってこさせる。

 

「姫様。公子様には、どなたか当番の騎士様を呼んでお帰りいただきますか?

 それとも、今日はこちらにお泊りいただきますか?」

 

 本来は男子禁制の女宮だが、未成年は別だ。

 これまでも何回か、ミアイルはこちらで寝落ちして泊って行ったことがある。

 

「そうだな、──もう寝ているようだな。

 仕方がない。フロリー、公子宮への連絡を頼めるか」

 

「はい」

 

 フロリーが持ってきてくれた上掛けの下で、すでに公子は寝息をたてはじめていた。

 モンゴール人のなかでもきわだって透きとおるように色白の頬は、ほのかに赤くなっている。

 久々の彼女の帰都がうれしかったのだろうか、寝落ちする直前はいろいろと脈絡なく話を繰り出していた弟の繊細な睫毛の長い横顔をみながら、彼女はため息をついた。

 不憫なことに、こういう興奮したときの後で彼は熱を出しやすい。

 

「私も軽く身を清め、そろそろ眠ろうと思う」

 

「はい、すぐにお湯を持ってまいります。褥も、すでに整っております」

 

 心得顔に頷くフロリーはモンゴール人に珍しい黒髪。背もあまり高くない、ほっそりとした体つき。

 体力はさほどあるとはいえないが、意志は強く有能。忠誠心は人一倍ある。

 

「フロリー、私は近くパロ、クリージュダール行きとなる。

 そなた、ついてきてくれるか?」

 

「はい、もちろんです。他の侍女たちも?」

 

「ああ、全員ではなくてよい。槍や剣の使える者がいた方がいいな。

 シグリッドだったか、この前雇い入れたのは」

 

 そんなことを話しながら、彼女は別室で髪を解き、服を脱ぎ、髪と肌を清拭してもらう。

(この金蠍宮の後宮には湯屋もあるのだが、公女はもう早く眠りたいと思っていた。)

 

 夜着に着替え、私室に入る。部屋は気が利くフロリーが、すでに温めておいてくれたらしい。

 天蓋付きのベッドに入り、久々のやわらかな褥に身を包ませ。

 彼女は、夢も見ず朝まで寝たのだった。

 

 ──────

 ──────

 

(第三者視点、パロ、クリスタル。同日頃)

 

 パロの首都クリスタル、この古い王国の闇の部分を蔵する牢獄、ランズベール塔。

 その地下3階に、潜伏先の神殿長の娘の裏切りにより、モンゴールのクリスタル駐留軍の手に囚われの身となったナリスは連行されていた。

 もちろん、繊細優美な外見にそぐわぬ剛毅な心を持つ彼が、征服者に従順であろうはずもなく。

 

「──五大騎士団のあいだには、はたからはなかなかそうと知られぬ微妙な反目が*3あるとみえるな?」

 

 クリスタルの占領軍黒騎士隊長、カースロンの言動のわずかな違和感から、その裏に潜む打算を曝きたて。

 モンゴールの内部対立の存在を指摘するなど、優秀な頭脳と舌でこの男を挑発、嘲弄し。

 そのためにむざんに痛めつけられるという対価をも、支払うこととなっていた。

 目の前の男、カースロンはナリスから受けた屈辱に怒りのあまり、顔を朱に染めている。

 

(このような大兵肥満の体格の者は、怒ると中風(卒中)になりやすいというのにな。

 ただ、まだ倒れるまでには間のある年齢のようだ)

 

 怒号するカースロンに、まるで気圧されることもなく。

 ただそう気づかれぬよう軽く伏せた瞼から、珍しい昆虫をみる学者の目で、ナリスは彼を興味深く観察する。

 

 パロの宮廷や領内の邸宅にひきこもっている貴族たちは、あまり接することのない種類の人間だ。

 ただナリスはひところ宮殿からひそかに抜け出し、市井の人々とも交わる機会があったので、この手合いに遭遇したことがないわけではない。ここまで単純に暴力的な者は、さすがに少なかったが。

 

 粗野で、生々しく、卑俗な欲望や濁った感情をそのまま露出させる様子は。

 上品なパロ宮廷の常識からは、見るに堪えない見苦しいものかもしれない。

 ただ人間的には、数枚被った仮面の下で得体のしれないものを蠢かせている宮廷人の我らよりも、裏表がなく素朴、純朴であると評すべきなのかもしれぬ、とナリスは思う。

 

 また鞭が飛んできて、ナリスの体を打ち据えた。

 そろそろ、反応を示さないのも不自然だろう。痛手が足りないと誤解されるるおそれもあるし。

 彼ら頑健な蛮族のものさしで、この身を痛めつけられると困る。

 そう考え、呻き声を口から洩らしてやると。

 怒りに顔をゆがめていたカースロンが、ようやく鬱憤を晴らしたようにあざ笑った。

 

「ふん、いいざまだ!

 中原一の貴公子も俺の鞭に怯えるとはな、なんのことはない!

 ──あの糞女も、こんな風に痛めつけてやれたらいいのに」

 

 ──守備兵らを下がらせたとはいえ、こう簡単に情報を漏らすとは。見え透いた罠か?

 いや、やはり彼はその性格同様、頭の中身も素朴なのであろうな。

 

 この程度でも野心と体力があれば、モンゴールでは隊長格にまではなれるらしい。──しかしそのモンゴールにパロ軍は一敗地に塗れている。

 能力というより出生で序列が決まってしまい、しかもそれでなんとかなると思いこんでいた自国の現状に対する憂慮と。

 その表れでもある、この戦役の敗戦の憂き目をもたらした、組織上層部で禄を食んでいた腐ったヴァシャの実(貴族)どものことが一瞬だけ頭をよぎるが。

 今はそんなことに思いを向ける時ではない、と気持ちを切り替える。

 

 この単純な男が、ぼろぼろと出してくれた情報のことを考える。

 「糞女」はおそらく行きつけの淫売宿の女などではない。

 この手の男、クムの高級娼婦であれ、カッとなれば暴力を控えるようなことはしないであろう。

 だとすれば。モンゴールの将である彼が屈辱を受け、痛めつけたい、しかしそうできない女。彼より高位の地位。

 一度、魔導師に調べさせてまとめたことのあるモンゴール軍の情報。

 思い浮かぶのは、モンゴール公女アムネリス。

 

 ──ヴラド大公の娘。モンゴール軍の誇る若き戦乙女とその名を聞くが。

 彼女の率いるのは、近衛の白騎士隊。カースロンら、辺境の守りの黒騎士たちとは関係が悪いのか?

 あるいは、カースロン個人が彼女を面白くなく思っているのか。

 宮廷はともかく、軍の中での彼女の地位もさほど確実なものではないのか。

 ここにも、付け入る()()がありそうだ。

 

 彼はさらに鞭を受けながらも、痛みに全く影響を受けず、思考をめぐらせる。

 もちろん、痛手を受けているようにみせる演技も忘れない。

 親しい者以外には決して見せぬ辛苦と鍛錬の結果、パロ屈指の剣士としても名を馳せる彼であるが。

 もともと肉体的には決して頑健なわけではない、あまりに痛手を受けてしまうと今後の計画に差し支える。

 

 ──書のやり取りを妨げ、偽奉書を偽造するなりして、モンゴール本国と駐留軍との間を(わか)つことはもともと考えていたが。

 公女とこやつらの間の離間を図るという視点で香辛料(工夫)を加えると、いっそう妙味を添えることができようか。

 アムネリス公女はあの父親に似て冷徹であり、政敵や降将の残酷な処刑を好むという噂を聞くが。

 他方で規律を尊び、麾下の軍には民や一般の捕虜への非道を禁じているという話も聞く。

 この男のように軍律を無視し、国の利益より自分の手柄を追求する手合いと反りが合うはずもない。

 とすれば、タイラン将軍などとの折り合いも推して知るべしであろう。内紛の火種は、存在する。

 さて、もっと面白い話はないのか。もうすこし、この男をつついてみるか?

 

 そう、彼は悦びを感じながら考える。

 もちろん彼は鞭の痛みを感じていないわけではなく、被虐趣味などない*4

 痛みは不快であるし、外からは見えないがほとんど傲岸とすら言えるほどに高い矜持を持つ彼は、彼を踏みにじったつもりでいい気になっているこの野卑な男に、そのうちその愚かさへの対価を支払わせるつもりである。

 ただ彼は自分の肉体の一時の苦痛の不快などより、知ること、未知を手に入れることの喜びを優先させる奇癖があり。

 こういうときだというのに、伏せた切れ長の目にはほのかな愉悦の色が宿っていたのだった。

 

*1
第9巻「紅蓮の島」第1話1?

*2
本当は1タール=300タルゴルであり、1タール≒1.2mなので、1タルゴルは4mmということになる。しかし、これはあきらかに人工的で使いにくい単位である(100進法でないのもそうだが、体のパーツで0.4mmという単位があまりないのだ)。原作の尺貫法に慣れ親しんだ方には非常に違和感があると思われるのだが、本作では1タール≒1メートル、1タール=100タルゴルという感覚で使うことが多いと思う。

*3
第6巻「アルゴスの黒太子」221ページ。

*4
ただこの点、原作では優男は女装させられたり拷問されたりという展開がありがち(ナリス、マリウス、イシュトヴァーンあたり。カースロン・アリストートス系は惨殺されるだけで、そんな目には合わない模様)。

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