(仮)豹頭王の物語の一登場人物に憑依する話。 作:Marchhatter
○ご感想をいただきました。ありがとうございました!
・ナリス公、あのそこはかとない
序盤を中心にいろいろ研究してみたいです!
・おおう、考えが至っていませんでしたが、確かにそのルートもありそうです!ミアイル少年も、いろいろ心にすきまがありそうですし・・。
身近に実在の人物像が浮かばないのですが、同級生と比べて成長が遅くて焦ってる中一少年みたいなもので、思春期の危機を乗り越えられれば彼も普通に生きれられんじゃないか、などと。意外にも弟属性仲間としてレムスと意気投合、というルートもありそう・・?
・モンゴール、建国30余年(でしたっけ)ですよねー。騎士長ヴラドが20代で伯爵位と開拓地を得て数年で大公国(!)といういかにもヤバい急成長、いろいろ歪みもありそうで、強面剛腕創業者社長の子供である柔弱文学少年ミアイル君にはまだまだ荷が重そうです・・。
1巻でのイメージではモンゴール、いかにも秩序正しい大国みたいな感じなのですが、実態は地方開拓民の寄せ集めなのでしょう(個人的には、開拓初期段階のアメリカなどを連想。黒竜戦役の背景にも、宗主国との潜在的対立があったり・・?)。
ナリス公、私の斜め読みというか誤読では、近い部下ほど本当のナリス公を誤解している可能性すらあり(人気はあるのに支持基盤の脆弱性があるのには、それも一因?)。また本人もわざとなのか何なのか、すごく分かりにくく意味深に振舞うからでもありますが・・。
・ミアイル君、たぶん普通に現代に生まれてれば楽しく教室の隅っこで仲間をつくり、嬉々として美術部でお絵かきしてるか音楽同好会(×吹奏楽部)でマンドリンでも鳴らしてるタイプですよねー。
ちょっと頼りないけど、きっと現代なら周りの人たちに愛される人柄。ひそかにボカロで作曲してネットで人気でたり。今はむしろヴラド大公やタルー殿下が割を食ったりしているのでしょうか。いやこの人たちはこの人たちでなにやらのし上がってそうですが・・。
◯ご評価をいただきました。ありがとうございました!
○原作からのかなり大きめの乖離があります(ヴラド大公の人物像、おそらくナリス公以上に原作と違っています)。少々ヴラド大公関係で残酷な描写があるのでご注意ください。苦手な方は、ミアイル公子の段が終わったら飛ばしてもいいかも(次回冒頭にあらすじをつけます)。
(第三者視点、アムネリスがトーラスに帰還した日の翌日、公女の私宮)
姉、アムネリスがトーラスに戻り、ひとときを弟とすごした、その翌日の朝。
ミアイルは、ひとりぼっちで目を覚ました。
すでに陽は昇っており、晩冬ながら暖かい陽射しが東に開いた窓から射しこんでいる。
クム製の最上級の透かし模様の
ミアイルは、いつのまにか運ばれて自分が寝入っていた、あたたかい褥に上半身を起こし。
その窓掛けがまだ冷たい風に吹かれて部屋の中にふくらみ、また後退する様子を眺めた。
「ミアイルさま、お目覚めですか?」
後ろからそっと声が掛けられる。
はっとして、振り向く。顔なじみの、黒髪の華奢な侍女だ。
ぼけっとしているところを、ずっと見られていたのかな?
彼は、頬が熱くなるのを覚えた。
ただぼく、すごく寝すごしちゃったみたいなんだけど、──
「ご予定のことなら、大丈夫ですよ?
公子宮にはお伝えして、午前のご予定を外していただいています。
アムネリス殿下が公子さまと親しく過ごしたい、という理由で」
侍女は微笑みながら、そう言う。
この人は5年くらい前から姉に仕えてて、その信頼も厚い。もう古参といえる侍女だ。
公子宮の彼付きの侍女たちと違って、彼にもとても優しい。
そして姉さまとはまた違う方向性だけど、とてもきれいな人だとミアイルは思っている。
覚えず、公子の白絹の頬が赤らむ。
「ありがとう、えーと「フロリーです」フロリーさん。
それなら姉さまは、きょうも一緒にいてくれるの?」
「いえ、残念ながら。それは、公子宮に対する口実ですね。
本日午前は公女様は、不在中の案件の処理と、在京の将軍方との面会の予定があるとうかがっています」
ちょっと茶目っ気のある笑顔を顔に浮かべて、侍女は答える。
お昼は、いっしょに食べられるのかな?*1
昨日はめずらしく、疲れていたみたいなのに姉は彼を邪険にもせず、話を辛抱強く聞いてくれた。
いつもだったら、きっとがみがみ叱られるようなこと、あったはずなのにな?と彼は思う。
「どうなさいますか。私は公女様に云われています。
できるだけミアイルさまのお好きなように取り計らうように、と」
「えーと。お昼までは、居ていい?」
午前は、たしか剣術の稽古と歴史の勉強。
剣術の先生は、公子である彼にも手心は加えない。
腫物扱いするよりはずっとましだが、ミアイルにはやっぱり苦手だ。
歴史の先生は歳をとったパロの高名な元学者でその知識自体は面白いのだが、すぐ話が脇道に逸れる。
それにモンゴールの歴史の浅さを馬鹿する。かといって母国が好きなわけでもなく、すぐ母国の人たちの悪口を言う。
全体に話を聞いてるとチクチクした気持ちになる。あまり好きじゃない。
守役のユナス叔父さんだけが気に掛けてできるだけ一緒にいてくれるのだが、本務は営繕関係だとかでミアイルのお世話だけが仕事ではないし、最近は忙しいみたいだ。
ここが、いちばん気が落ちつく。
「もちろん、そう思って午前中の予定を開けたのですよ。ゆっくりしていってください。
もし望めば、午後のご予定が調整できるか聞いてまいりましょうか?」
「ありがとう、フロリーさん。でも、それは大丈夫」
ミアイルとて、馬鹿ではない。
自分が、多くのことを望まれる立場にあること。
でもその望まれる水準には、全く達していないこと。
それくらいのことは、わかっている。
彼とて、本当は剣も振れるようになりたいし、馬にも乗れるようになりたい。──虚弱な体がそれを許さないが。
だからせめて体を使わない勉強では、父や姉を失望させないようにがんばりたい。
午後は詩歌と作法。作法の先生はすごく厳しいけど、大事なことだとミアイルも分かっている。
詩歌の先生は昔の音楽の先生と同じくらい優しいし、昔の詩を読むのも面白い。下手な詩作でも褒めてくれる。
「──でも、よかったらまた夜、来ていい?」
「姫様にご予定を伺って、後で公子宮にお伝えしておきますね」
黒髪の侍女はにっこりと笑って、そう請け合ってくれる。
午前中は、ゆっくりしてもいいのだが。
怠けている自分がちょっと恥ずかしくなって、彼は何か勉強できるものがないか、と彼女に頼むのだった。
──────
手持ち無沙汰なミアイルは結局、フロリーに世話を焼かれ、作法の勉強に1ザン半ほどつきあってもらった。
フロリーは貴族出身であるし、長く姉に付いていただけあって貴族階級の礼儀作法にも詳しい。
(もちろん、男性と女性とで作法も異なるところがあるのだが、有能なフロリーは両方を熟知していた。)
礼儀作法の先生には怖くて聞けないことを、彼女に聞き。
練習にもつきあってもらい、いままで身についていなかったところを把握して安心感を覚える。
空いた時間には、ミアイルはルーンのつづり方の練習をする。
ときおり、温めたカラム水をフロリーが持ってきてくれる。落ち着く。
10タルザンほどの休憩中に、ふう、と息をついてカラム水を啜りながら。
ふとした折々に、胸をチクチクと刺す、おそれの感情。
──ぼく、はたしてこのモンゴールという国を継いでも大丈夫なんだろうか。
際立った才こそないが、彼は虚弱な体に反してそこそこ優秀な頭脳を有している。
自分がこのモンゴールという新興国家を導いていくだけの器量がないことは、自分自身が良く知っていた。
新興国とはいえ数百万の民。自分がかじ取りを過てば、それらの人々の命や生活が失われる。
夜、絹の褥につこうとしていても眠れなくなることがある。
──剣を振ったり馬に乗ったりもできない。
つづり方は褒められるけど、それで国が動かせるわけでもない。
いったい、どうすればいいんだろう、──?
彼の憂悶を知らぬげに、窓の外では陽光が輝き、中庭の木々では鳥がさえずっていた。
──────
──────
(第三者視点、トーラス、午後)
部下の騎士たちを休日とした公女アムネリス殿下であるが、彼女自身の仕事は山積みである。
日の出前には出て、左府将軍ローザンと調整事項や懸案について打ち合わせ。
また昨日中に話を聞いていた急ぎの案件についても気になっていた点を確認させ、処理方針を片っ端から決めていく。
といっても自分でやれることは少ないので、誰がどのような方針で案件を進めるかを決めて、伝える程度。
その合間には、使いを出しておいた将軍たちとの引見。
彼女は軍の消耗を気にする。できれば、徴兵された兵は入れ替えたい。
今回、パロ行きの護衛より多めの兵を借り受けるのは、パロの占領軍のある程度を入れ替えるためだ。
彼女の見立てによると。
タイランは頭は悪くないが、品性がなく我利のために規律を都合よく無視する利己的な輩。
ブルクはやっていいことと悪いことの区別もつかぬ(それゆえ上司にとっては使い勝手がよい)猪武者。
カースロンは、自分より弱い者にはすぐ暴力を振う、野心で目を曇らせている馬鹿。
クリスタルの施政が落ち着かぬのは、この連中が兵らの規律を引き締めていないからであろう、と。
公女は──過去の彼らとの衝突の経緯からの偏見もあるが──そう考えている。
戦さにあっては人格が破綻していようが、律など踏み越えようが、勝つ将と兵こそが必要。
しかし統治段階に至れば、求められるのは規律と公平性。
要は、今のパロに求められているのは秩序を維持する警吏なのだ。
──クリスタルの民はパロの聖王家に恋着していると聞くが。
それも、聖王家がそれまで民の基本的な欲求、衣食住と安全を満たすという義務を果たせていたからにほかならぬ。
裏を返せば、モンゴールの施政府はそれをなしえていないのだろう。
そう、公女は推測し。
文官や文官の仕事をできる兵らを中心に、パロの駐留軍の1/3程度を入れ替えるつもりでいる。
モンゴールでは珍しく文治派の(しかし決して折り合いがよいわけではない)サイデンとの談合が終わると。
公女の目に入るのは、すでに午後にさしかかった陽。
昼食の機を逸した彼女は、ため息をつき、部下に求めさせたヴァシャを齧りながら。
食えない老獪な将軍たちや文官たちと渡りあい、獣皮紙に署名し。
ようやく明日は休めそうだ、という見通しをつけて公女宮に戻ったときには、陽はすでに落ちかけていた。
「戻ったぞ。──どうした?」
「姫様!」
かの傭兵が勝手に思い込んでいる理由(アムネリス=性悪女説)ではないのだが、公女アムネリスは少数の侍女しか雇っていない。
まがりなりにも貴族出身といえるのはフロリーのみ。他は、平民や場合によっては流民から取り立てている。
ひとえに地方での軍務が多く、トーラスに長居する
ただ大国モンゴールの公女という身分柄、そしてそれに加えに不在時の業務もそこそこあったり、地方での任務の中には軍務でなく侍女の随行が求められる業務もあるため、数人の侍女を雇用している。
もっとも人数は5、6人程度と最小限。彼女が在京しないときの専任は3人のみ、他は公子宮の兼任となる。
何かを話し合っていたようであった彼らの顔色が、暗く。
また彼女専任の侍女が一人欠けていることに公女は気づく。
そして、フロリーの痛切な声。
悪い事態が起きている。
「姫様、イルダが」
「姿が見えないな。何があった?流行り病いか?」
地方に出た者が病を持ち帰ることは、よくあることだ。その逆も。
ノスフェラス帰りの公女も、その可能性を頭に浮かべたのだが。
「いいえ、公女様。
さきほど突然、大公殿下の手のものが、イルダに不審ありとして、──」
イルダは、2番目に新しい侍女である。まだ少女と言える年齢、担当する任務もさほど重いものではない。
走り使いに出て、大公殿下一行に行きあい。
そして1ザンすこしほど前に大公の手の者がやってきて、罪人のように連行されていったという。
公女府にも使いをやったようだが、行き違ってしまったようだ。
「──分かった。大公殿下のもとに行って話してみよう。
ウーテ、大公殿下は今日の午後、評議員との面会があったはずだ。
もう、それを終えてご寝殿に下がられただろうか」
「たしかめてまいります。そのまま面会のご予約を?」
「ああ、至急で頼む。私の名を出せ。
あと別のもの、ギゼラがよいか。詰め所に行き、白騎士団の兵舎のヴロンに使いを。
アムネリスは今宵も兵舎に戻れぬ。急ぎの用はない、諸事裁量で計らえ、とでも」
「かしこまりました」
簡単に衣装を整えている間に、大公のもとに使いに行っていた侍女ウーテが戻ってきた。
「今から1ザン半後に、お目にかかれるとのこと」
「すぐに向かう。シグリッド、同行せよ。フロリー、留守は頼んだ」
侍女たちの中ではまだ仕えて日は浅いが、槍を使える大柄な侍女シグリッドを選び。
アムネリスは、1ザンもせぬうちに私宮を出た。
─────
もはや夕刻だが、宮殿にはまだ人々が忙しく行き来している。
しかし大公の私宮に入ると、さすがに人は減じた。
ただ護身の心得のある侍女は、どこからか彼女たちをじっと見守る視線を感じた。
「シグリッドよ。これから目にすること、耳にすることはすべて忘れよ。
わが後ろにて頭も下げおき、必要以上にあたりを見回すな。
特に大公殿下の目には、とまらぬように」
受付をすませて中に入るときに、侍女はそう、公女からささやかれた。
大公殿下の私宮、大公殿下の居室の一つに彼らは招じ入れられる。
もう晩冬の陽は落ちかけており、部屋は薄暗い。窓から遠い室内には、燭も置かれている。
香が焚かれているにもかかわらず、うっすらとどこか生臭い不快な悪臭を感じ。
侍女は不審に思ったが、主の指示どおり顔を伏せた。
「どうした、わが娘よ。急な用事と聞いたが。
こうして訪れてくれるとはな。日頃は他人行儀で、寂しい思いをしておったのだ」
暖炉には火が熾され、大公殿下はふさふさの毛の長い毛皮の室内着を羽織り、豪華な揺り椅子に座っていた。
暖炉の薪の焔の揺らめきでときおり浮かび上がるものの、大公殿下の表情の仔細は、暖炉の焔の陰になっていてあまりよく見えなかった。
ただ、彼の冷ややかな緑の目は、薄暮の暗がりの中にもあざやかに浮かび上がっており。
その威圧的な視線が彼女たちの姿に突き刺さっているのが、彼女たちにはわかった。
大公をはさむように、軽装の黒づくめの護衛が2人立っている。
体はさほど大きくないが敏捷そうで、顔は覆面に隠されている。
装いも目立たないもので、ほとんど薄暗がりに溶け込んでいた。
手練れだ、と目のすみで確認したシグリッドは感じた。
それ以外にも、広い居室には人が配置されている気配があったが。
侍女シグリッドは言いつけどおり大公殿下に礼をした後、ひたすら絨毯を見つめていた。
彼女の主である公女アムネリスは、軽く白い
片膝をつき、頭を垂れて礼を示した後、言上した。
「大公殿下におかれましては、
早速ながら、所用がございまして。
大公殿下の御手が捕えた、わが侍女を返していただきたく」
「ほう、そなたの侍女とな。
わが宮にわが娘付きの侍女など、いるわけはあるまい?」
「──いえ、殿下。おりまする、ここに。
これより架けんとする者ではないか、と。大公殿下」
うすくらがりから声がして、そこにも人がいるとは気づいていなかったシグリッドは思わずびくっ、とする。
声をかけた男はやせぎすの男。文官ではないだろうか。
その横には、大柄で屈強だが、騎士風ではない男がうっそりと佇む。
革の前掛け。肉屋のような風体、──。
その肉屋の親方のごとき男からは、どことなく血臭がする。
そしてその男たちの前に、後ろ手に縛られ、転がされている年若い女の姿をシグリッドは認めた。
イルダだ、と侍女はみてとった。口に布を噛まされ、目にも布が当てられている。
震える体が、イルダの感じている恐怖を伝えていた。
「ほう。まだ取り掛かる前だったか?」
「前のものが枯れまして。
これからゴルムに命じて取りかかるところでございました、大公殿下」
大公が目をやった部屋の一角に、侍女も顔を動かさず目の隅で視線を投げ。
そこに、大きな植木のような妙なものがあるのに気づいた。
残照の光で、それが何かということを知り。侍女はあやうく漏れそうになった声をかみ殺す。
絶命した、人間の姿だ。
暗がりでは、男女いずれとも見分けがたいが。
まるで
「そういえば、今まで架けておいた罪人がさきほど息絶えたのでな。
これから交換させようか、と思うておったところよ」
大公が嘯く。
「娘よ、その女か、そなたの侍女とやらは?
捕えられたとすれば、なんらかの咎めがあったはずだ。──そうだな、グランディス?」
尋ねられた、グランディスという名であるらしいやせぎすの文官が答える。
「はい。さきほど大公殿下がお渡りになられたとき、無礼にも頭を下げておりませんでしたな。
それで捕えて軽く詮議してみたところ、公女宮に拾われる前はいやしき花売りであったと申しますし。
雇われてからも、同僚の給金を盗んだこともあったとか」
「ほう、娘よ。罪人ではないか。これを放免せよと云うか」
侍女シグリッドは、やり取りを聞きながらひそかに唾をのんだ。
彼女自身も、もとは故郷を追われた流民あがりであり。
槍の腕に目を止められて公女に拾われる前には、けしからぬ所業で
それこそ、ここで取り沙汰されているイルダ以上に。
「大公殿下、その者はたしかに孤児上がりの身にて、働き始めて日も浅く。
当初は当宮廷のやり方に慣れず、同僚から持ち物を盗んだこともございました。
ただ、それは務めて間もなき頃のこと。その後、その者も悔い改めて二度と同じことは起きておりませぬ。
盗んだものも倍額で償われ、盗まれた者も納得しております」
「娘よ、娘よ。悪しきことに手を染める者は、許されても悔い改めたりはせぬ。
覚えておけ。許した者は、許したことで問題は霧消したと思っている。しかしそうではない。
許された者は、咎められた恨みだけを覚えているのだ」
ぱちっ、と暖炉で音がして炎がいっとき巻きあがり、部屋が一瞬明るくなる。
大公の緑の目の下に浮いたくまが、公女の目に入る。
奇妙なことだが、このモンゴールにおいて権力を総攬し、その威勢並ぶものなき支配者の目には。
その立場にまったく似つかわしくない感情が宿っているように、公女には感じられた。
強いて近いものになぞらえれば、──追い詰められた者のような切迫感。
「それにな、此度は我に対しても不敬を働いたというではないか。人の性は変わらぬ。
我が権威を認めぬ者は、その次には叛逆を企むのだ」
「その者の躾につきましては、このアムネリスの手落ちにて」
「そうか、そうか。いや、そなたに咎がないとは申さぬが。
そなたは長らく征にあったことであるし。自ら諭すことも難しかったであろうしの。
そこに別の侍女がおるな。そやつは仲間を正さなかったのだ、同じく反逆者の種とならぬとどうして言えようか」
シグリッドは、心臓が冷たい手でつかまれたような恐怖を感じた。
しかし彼女の女主人は、淡々と大公に反論する。
「その者もこの者も、そして至らぬ私自身も、いずれ大公殿下のもの。いかようにも。
ただ私の都合を申しますれば、侍女を見繕うのも大変な手間でありますし。
このシグリッドは仲間に作法を教える立場にあらず。先の者よりさらに後に雇入れましたる者、しかも槍働きも能う戦乙女にてありますれば」
「では、やはりその不敬な女盗人を架けようぞ」
「繰り返すように、むろん大公の御心のとおりとは思いますが。
この者、たまたま私の髪結い係でありまして。
今お取り上げになると、パロにての任務に支障が出かねませぬ」
俯いたシグリッドは、顔を上げようとするのを耐えた。
イルダはまだ若く新入りの、いわゆる
公女の髪結いなどという重要な任、担当したこともない。
「それも、よろしくないの。
──ただ、我への無礼は、どう償うこととしたものか」
「戻りてわが手にて厳しく罰しましょうぞ。ご寛恕をいただきたく」
そして公女は大公の前、1タールほどに進み出て膝をつき、深く頭を下げた。
大公はまたたきのない目で彼女の白いうなじを見降ろしながら、言葉を発する。
「よしとしよう、娘よ。その侍女は返す。鞭を惜しむな。
ちょうど良い折に来たことだ、そなたは残れ。
父と娘とで、このまましばし肩のこらぬ話などしようぞ。」
「はい、大公殿下のお慈悲に感謝を。
──名は忘れたが、そこな侍女。そこの不届き者の侍女を連れて先に戻れ」
公女は頭を下げたまま、シグリッドに指示をした。
名を呼ばれなかったのは、きっと大公に覚えられないようにするためだろう、と侍女シグリッドは気づく。
ゴルムという名であるらしい、革前掛けの拷問吏が不承不承、イルダの縄を解く。
シグリッドはがくがくと震えていてほとんど自力で立てないイルダに肩を貸し、大公の居室の出口に向かった。
シグリッド自身も、恐怖のあまり体の芯が溶けたような、心もとない気分であったが、責任感だけでなんとか足を動かしていた。
暗い洞窟のような大公の部屋と異なり、夕陽に照らされた金蠍宮の廊下は彼女には天にも等しく感じられた。
重たい仲間の体を支えながら、深く息をつく。空気すら、甘やかに感じられた。