(仮)豹頭王の物語の一登場人物に憑依する話。 作:Marchhatter
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(第三者(アムネリス)視点)
「姫様。──お疲れではないですか」
主だった列席者に、ひととおりの挨拶を終え。
控室にもどった女主人に水の杯を捧げながら、侍女フロリーはそう問いかけた。
扉を忠実な白騎士エクハルトが守っている。彼女が調べた限り、
「ああ、まだ大丈夫だフロリー」
彼女の女主人、黄金の髪に碧玉の目のイラナは、そう答える。
ただ、どこか彼女の心が、ここにないように、彼女の侍女には感じられた。
あれこれと貴族たちから隠れた嫌みや陳情や哀願も受けたが、おそらくそれらについて考えているせいでもなさそうだ。
(姫様は、もしかするとあのパロの色男に、──?)
敏いフロリーは、気づいていた。
アムネリスが、あの黒髪(もっとも、今宵は扮装のため銀粉をまぶしていた)の麗人に挨拶をしていて。
その途中、何かに動揺して、視線が揺らいでいたということを。
(もっとも、それはこの侍女だからこそ気づけた程度に軽微であり。
他の者はまず気づかなかったであろうし、その後のあいさつ回りでも、公女はそのときのような動揺は欠片もみせなかった。)
「もしかすると、姫様。あの婚約者さまのことですか?」
「婚約者!?」
ぱっと反応して、振り向く公女。鋭い視線が、フロリーを射抜く。
──やはりか、と侍女フロリーは確信し、言葉を継いだ。
「ええ、あの伊達男。アルド・ナリスさまのことです」
「なぜフロリー、そなたは──ああ、そちらか、クリスタル公のことか?
なかなかの色男ではないかな。フロリーは、彼が気に入ったのか?」
焦燥をひっこめ、けろりと答えた公女の様子に、嘘はない。
あの魔性の男に公女が一目で恋に落ちたのではないか、──と侍女フロリーは思ったのだが。
どうやら、見込み違いだっただろうか。
「いえ、私は姫様をお守りすることだけで今は頭がいっぱいで。
どんな美男子であろうと、心は動きません」
しかし原因が彼であろうとなかろうと、彼は危険だ。フロリーの勘は、そう告げている。
その警戒感を、公女はこのやりとりから読み取ったらしい。
「彼は私が相手しよう、──そう案ずるな、どのみち彼は私の婚約者。嫌でも顔を合わせざるを得まい。
そなたは無理に顔を合わせなくてよい。私の大事な侍女に危険なことを命じはせぬ」
「いえ、そうではありません。逆です。私を伴ってください。
それと。姫様は先ほど、ナリス公とお話しされていた間に、何かに気をとられていましたね。ナリス公でないとすれば、何でしょうか。だれか怪しい者でも、目についたのでしょうか」
「確かに、怪しい連中がいた。
──あのナリス殿の側にいた聖騎士候殿も、そうだが。
妙に逞しく、しかし慣れていない給仕が目についたな。貴族でも扮装にことよせて、真剣を具しているものがいた」
「そうでしたか!」
もちろんフロリーは気づいていたが、いかにも驚いたように反応する。
彼女は家政には有能だが、戦いなどまったく不心得の、火急のときは手をもみしぼるしか能のない侍女を装っている。敵を騙すには、まず味方から。
「ああ、もう少し周到に、それとわからぬような細工をするものかと思っていたが。
ただ当方の警備兵も、たるんでいる。あんなに見え見えの者らをすり抜けさせたのは、頂けぬな。襷を締め直させねば。
だが今は、心配するな。どうやら、今宵は
そう言って、公女は伸びをした。
「──それより、毒の心配があるからな。何も口に入れられぬ。
早く戻って、そなたの手料理でも食したいものだ。
それをたのしみに、あと一まわり挨拶してくるか。そして辞すこととしよう」
そう、公女は言ったが。
まだ立ち上がらず軽く目を閉じて、思いにふけっているようだ。
その彼女から漂う、侍女が最近感じるようになった、──見るものの目をとらえて離さぬ、匂いたつような色気、なまなましい生命のかがやき。
氷の公女と呼ばれていた、美しいが硬質な彫像のごときかつての姿からは、想像もできぬ変貌ぶりだ。
(ミアイル殿下に対しても、お優しくなられたが──何かお心を変えるきっかけが、あったのだろうか)
それは、ともかく。
公女様が動揺したのは、どうやらナリス公のことではないようだ。
だとしたら、何に気づいてああなったのだろう?
あの殺気を隠しきれていなかった、ナリスさまのそば付きの聖騎士のことでもないらしいが──。
フロリーの困惑に気づかず。
目を閉じてつかの間の安らぎを味わう公女は、これまでのことを回想していた。
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アムネリスとミアイルの母である、大公妃アンナはまだミアイルが小さいときに流行り病で没した。
そのため彼女は10を数えるあたりから、大公妃の代役として親善外交の場に出されることも多かった。
軍務が長いとはいえ、それなりに優秀な彼女は外交儀礼にも通じているし、不得意ではない。
彼女の美貌と幼いながらにじみでる
ただし彼女が、それを好んでいるわけではない。
だから今回のこの宴への参加は、あまり気の進まぬことではあった。
ただ、クリスタルの慰撫をめざすアムネリスにとって、パロの旧支配者層は敵に回すわけにいかない人々だ。
もちろんその一部は腐敗していることに、すぐに気づきはしたものの。
総じて、現在のモンゴールのクリスタル施政部よりもまともで市民の支持をとりつけてきた者たちだ──いや、現在のモンゴール駐留軍がひどすぎるだけなのだが。
そして彼女は、モンゴールの蠍の娘。
憎しみをあつめやすい地位にあるのも、たしかだが。
しかし彼女の使命達成のためには、すくなくとも彼らの消極的支持が必要だ。
そしてパロの貴族や市民の圧倒的な支持を得ている、クリージュダール(クリスタル)公アルド・ナリスとの関係構築も。
だからこそ、彼女があまり得意としない舞踏会を開こうというタイランの考えに乗ったのだ。
貴族や有力な市民たちと親しみ、婚約者の人柄にも触れる、良い機会だと思ったからだ。
(はて、うまく挨拶はできただろうか。高慢な女よ、と敵意をかきたてなかっただろうか)
侍女に扮装の着つけをしてもらい、式典係の導きで会場に入り。
列席者たちへの名乗りを終えた彼女は、座の反応を伺う。
今のところ、列席者たちに彼女への敵意はみられない。
とまどいの気配、──そして賞賛の気配すら、みてとれる。
しいて言えばちょっと静かすぎるのが、気になるくらいか。
(ちょっと入場のときに緊張して早足になりすぎたな。
挨拶も、もう少し長く話してもよかったかもしれぬ。
タイランら部下へのねぎらいは、あんなものでよかっただろうか)
そんなことを思いながら、座をぐるっと再度、ながめまわし。
(それが冷徹な、ここを戦場とみさだめる戦乙女の視線と受け取られ。
蜂起をたくらむ貴族たちへの牽制となっていたとは、そのときの彼女はまだ気づいていなかった。)
彼女は彼女の婚約者候補であるナリスのもとに向かった。
(気をつけろ、と彼が申していたな)
(言われるまでもない。本当ならあまり近づきたくはないが。
近づかねばならない以上は、肚を割ってわが心を委ねるのも一手か──)
礼をとって立ち上がる、貴賓の人々。
どこか不穏な面持ちの、隠れて武装している貴族ら、おそらくは給仕に変装したパロ側の騎士らの存在に気づき、心のなかで警戒度を上げながら。
人々の中心にいる、はっきりと目を惹く秀麗な姿に彼女は関心を移した。
この男が、クリージュダール(クリスタル)公アルド・ナリスだろう。
この仮装舞踏会という場にあわせた挨拶を投げかけると、打てば響くように機知に富む応えが返ってきた。
そしてより近づき、まずまず大過なく儀礼的とはいえ親しい会話を交わす。
クリージュダール一の伊達男、と言われるだけはある。
優男ではあり、高い教養をうかがわせる言葉選び。優美ながら、あなどれぬ威も感じさせるものごし。
レイピアでは、彼女より腕が立つのだろう。クリージュダールきっての剣士でもあるという。
(普通の女子であれば、きっと夢中になってしまうのだろうな。
ただ、私は。──同じ黒い目、黒い髪。そう、私は──)
ぼんやりと、耳に涼しい美麗な言葉を聞き流し。
婚約者になるのであろう、顔面偏差値の化け物のような男に目をのぞきこまれながらも。
彼女は、──あの荒野の夜のことを思い出してしまう。
彼女の心の宝石箱に、大切にしまい込まれた記憶。
──彼女が唇とともに心を奪われてしまった、その相手のことを。
──彼女の頬に触れた、大きな浅黒い戦士の手。
詫びるように彼女をのぞきこむ、狼のように鋭い、しかし不思議に優しい
彼女は、あのときと同じように目が潤むのを感じ、──しかし今はそんな場でないと思い出し、頬をあからめた。
いったい、私は何を考えていた?──婚約者の前で、いや、中原一の策謀家の前で。
(ちなみに罪悪感に目を逸らし、乱れかけた呼吸を整えた彼女を。
クリージュダール公は、どこか愉悦を浮かべた目で見つめていたようだったが。
そのときの彼女は、公から目を逸らしていたため、気づくことができなかった。)
気をとりなおした公女は、公の前を辞して貴賓たちへの挨拶を続け。
そして、ここに至る。
(さて、気をとりなおしていくか。
宴に来たからには、できるだけ多くの人と親しみを交わす必要があろう。
今度は、大商人たち、市民の代表たちの席になるな。また苦情や陳情を、たくさん受けることになろうか。
ここ2、3日だけだが警備を強化して、不当な略奪や暴行をなした連中をさらしたゆえ。
多少は、好意的な反応があるとよいのだが──)
そう気合を入れ直した公女は、立ちあがり。
忠実な侍女、白騎士の護衛たちとともに、また賑やかな会場に戻っていったのだった。
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(第三者視点、トーラスの下町、夜)
「大丈夫かい、シギリウスさんよ」
「──かなり良くなったよ、ありがとう。──うむ、だが、まだいかぬようだ」
トーラスの、都のかたすみ。
人の好さそうな、恰幅のいい居酒屋のおやじ然とした男は。
煮込んだスープを手に、心配そうに寝台に横たわるやせほそった男に声をかけた。
横たわっている男は、モンゴール人にしては、ややきゃしゃでひょろっとした体格。
農夫や兵士には、あまり向いていないのだろう。
そのあまり体力がありそうに思えない体には、痛々しい拷問の痕跡。
彼は感謝しつつ半身を起こそうとして、失敗し。
無理すんなや、とゴダロの息子、ダンが手を貸した。
なんとか藁を詰めたクッションに支えられて上半身を起こした彼を、親子は心配そうに見守る。
トーラスの下町の居酒屋「煙とパイプ亭」のあるじゴダロとその息子ダンは、この男のことをよく知っていた。
元気なときは、よくこの酒場に来てキタラを弾き、唄ってくれて、店もそれは繁盛したものだった。
彼は、ゴーラ、特にモンゴールでは有名な吟遊詩人だったのだ。
彼が捕縛されたのは、大公殿下の批判文を広場に書きつけようとしたからだ。
大公殿下の人気は、なお高い。
荒くれや無法者、盗賊がはびこる不毛な荒野を開拓し、発展させ、一つの国につくりあげてきたのは大公であり。
秋霜烈日の厳しさはあるものの、その統治は少なくとも公正。
ゴダロも、まだ公国が成立する前、トーラスがまだトラシウムと呼ばれ、自由国境地帯の自由都市だったころからのトーラスっ子であり。
その当時とくらべて、各段に生活は楽になったと感じている。彼に限らず、豊かさをこの地にもたらしてくれた大公に、厚い感謝の念を抱く市民は多い。
とはいえ、最近の大公殿下のなさりようについては。
ほかのトーラス市民同様、彼も思うところがないとはいえない。
厳格をとおりこし、残虐さを増す公開処刑。
ささいな過ちをとがめられ、とつぜん取り潰される貴族。
自由国境地帯への無用とも思える介入、派兵。
そしてきわめつけがパロ戦役(黒竜戦役)であり。
パロを支配したとは聞くが、なぜ遠国を征服する必要があるかも不明であり。彼らの関心は徴兵されて戻ってこない息子たちのことなのだ。
すでに、相当の血も流されている。
シギリウスの批判詩も、決して激烈なものではなく。
それなりに節度をわきまえた、大公への懇願といえる内容だったのだが──。
「ほれ、これを口に入れるんだ、シギリウスさんや。食べねば、元気にならんよ」
「ありがたく」
スープをすする、シギリウス。
階下からオリーが、ダンの助力を求めて叫んだので。
ダンは悪いね、と言って階下に降りていった。
「どれだけ感謝しても、しきれん。ただおやじさんたちに迷惑をかけたくない、歩けるようになったら出るよ」
「行く、あては?」
「はて、──」
市の城門を出ることすらかなわぬのではないか、とシギリウスは危ぶんでいる。
シギリウスは反逆人として捕らえられ、大公殿下によって架に掛けられたのだが。
死んだと誤認されて運び出され、墓を掘られている間に息を吹き返し。
墓堀人とヤヌスの司祭がこっそり彼を、顔見知りのお人良しのゴダロにかくまうように頼んだのだ。
こんど捕まれば、ゴダロたちも罪を着せられよう。
大公殿下は、最近、非常に残酷になってきている。
シギリウスのような反逆人(とはいえ、大公もほんの十数年前であれば、今回のような批判詩も笑って許す度量があったのだが)をかくまえば、一家まるごと族滅しかねない。
その事態を、シギリウスはおそれていた。
「よかったら。ちょっと田舎、いや、とてつもなく田舎になるが、最近の話題の──」
「ノスフェラスか?公女将軍が最近、遠征してきたとか。
ただ儂では、ノスフェラスの砂漠は耐えられまい」
モンゴールの公女将軍がノスフェラスに遠征し、その地の王と和議をむすび。
交易が始まるかもしれない、といううわさは燎原の火のごとくひろまり。
山師のような連中から、田舎で食い詰めた人々まで、多くの人々がわずかな元手をかきあつめ、この商機に参入しようとしていた。
公女の、トーラス市民の間の評判は悪くない。
まだ若く主に軍事面での活躍が多いが、規律を求め、配下の兵を慈しみ、無駄死にさせることがないという定評がある。
彼女の右府将軍としての施政も少なくとも公正であり、残酷な処刑もときに行うが、父大公のように理不尽ではない──族滅などはせず、罪人だけを刑するにとどめている。
人々は、口に出していうのは憚っているものの。
公女が昔の大公に似ている、と思い。彼女に代替わりすれば、現在の重苦しい空気が緩むのではないか、とひそかに期待していた。
(ミアイル公子についてはまだ年若く、また本人が病弱だということは知られていて、ケイロニアとの政略結婚が既定路線のように思われている。)
「似てはいるが、違う。──ルードの開拓村」
「ほう、ルードか。なるほど」
確かに、魑魅魍魎の出没する辺境ではある。
だが想像を超える化け物のひしめくノスフェラスより、はるかにましであるし。
特にルードともなると開拓村は半ば独立していて、中央官憲の目はほとんど届かない。
そこに潜み、大公の退位か恩赦を待てばいい。シギリウスの罪は大公の逆鱗に触れたというところが大きいから、おそらく大公が実権を失った後、トーラスに生存を知られても罪を追及されることはないだろう。
「──しかしな。伝手は、あるのか?」
「ある。それだから、シギリウスさんは今は何も心配しねえでいい。
よく食べてよく寝て、お日さまの陽をあびて、元気をとりもどすことだけ考えりゃあいいんだ」
ゴダロは、そう請け合う。
辺境との伝手。──もちろん、昔のなじみ客がそこかしこにいるが、それだと少し心もとない。
もしあれが、本当なら。そう、本当なら、シギリウスを逃がすのにうってつけだろう。
ゴダロは、すこし前に行商人の少女から受け取った、辺境からの便りを思い出す。
スタフォロス落城で命を落としたと思っていた自慢の長男、オロからの便り。
このあたりから徴兵され、スタフォロスで息子を亡くした家は多い。
ゴダロ一家も、オロが死んだと思い、そうした家とともに合同葬儀を行ったばかりのときだったので。
オロからの手紙を受け取り、驚愕したものであった。
しかしたしかに筆跡はオロのものだ、とダンは言った。
(ゴダロ自身はごくかんたんな文字しか読めないが、オロもダンも教育熱心なオリーのおかげである程度は字が読み書きできる。)
手紙には彼がトーラス落城の折に仲間とともに落ち延びたこと、現在はルードの森の中の開拓村に身を寄せていること、好きあっている娘がいること、いつか彼女を連れて会いに行きたいと思っていること、がしるされていた。
ゴダロは字が書けないが、ダンは簡単な言葉なら書ける。
家族で頭を寄せ合って返事を考え、買い求めた獣皮紙に書きつけ。
決して安くない依頼料を払って、祈るような気持ちで同じ行商人に配達を頼んだ。
オリーは息子が生きているかもしれない、と知って泣いて喜んでいたが。
実のところゴダロとダンは、まだわずかに信じきれない気持ちがある。
だからもしかすると悪質ななりすましなのかもしれないので、ちゃんとこの目で生きているのを見るまではぬか喜びするな、金なんぞ送るなよ、とゴダロとダンはオリーに言い含めている。
戦死者の出た家には、「実は生きていた」「怪我の治療と帰国の馬代に金が要る」などと言い向けて、なけなしの金をだまし取る行為が多発しているからだ。
そのいくつかは、詐欺でなく本当の話なのがやっかいだ。
大公殿下は、この手の詐欺犯が捕まると舌を抜き、肛門を鉛でふさいで街角にさらし者にするのだが。
当たると大きいのか、模倣犯は後を絶たないのだ。
それに今なお生き延びているスタフォロス兵は、脱走兵と疑われる可能性もある。
だからゴダロたちも、ごく信頼している人にしか明かしていない。
「わかった。まあ、もし命永らえたら、だな」
シギリウスは、少し安心したように笑った。
そして、その顔を少しひきしめた。
「ただ、儂の命の火は、かなり細いのだろう?
まさかのときのため。お前さんに伝えておきたい。
大公府の地下牢で、そして架の上から儂が何を見たか──いや、正確に言えば、『見なかったか』を」
居酒屋の主人でしかないゴダロには、知らぬほうがよいことなのかもしれない。
しかし。だれか、モンゴールのために。この愛する祖国のために、大公殿下の現状を伝えてほしい、──と、シギリウスは言い。
そして、その話を始めたのだった。