(仮)豹頭王の物語の一登場人物に憑依する話。   作:Marchhatter

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(本日3回投稿中の、3回目です)
○第三者視点です。少しだけ迷う点や冗長部分があり、後で編集するかもしれません。


060 愛犬

(第3者視点。ヤヌスの塔。夜)

 

 公女アムネリスは、意識を取り戻す。

 自分の状況がわからない。近くに人の息づかいを感じる。

 意識を取り戻したことは、おそらく悟られている。──目を開けるか。

 開けた目の至近距離に、闇色の双眸があった。

 

(エル!?──ではないな。ナリス公か)

 

 そうだ、自分は公に古代機械をみせられ、そしてその転送装置の一部にとじこめられ。

 そして奇妙な煙を吸わされて、昏倒したのだったな、と彼女は思い出す。

 頭に、軽くかすみがかかったような感覚がある。あの煙のせいだろうか。

 

「ご気分はいかがですか、アムネリス」

 

 美麗だがどこか黒い微笑をたたえた貴公子の顔が、目の前、わずか十数タルゴル(cm)の位置にある。

 彼女は距離を取ろうと思うが、背には壁を感じる。

 横目で視線を左右に送り、周囲を確認する。──水晶の壁に背中をもたれさせて、座った姿勢をとらされている。

 

 壁に寄りかかって座る彼女の、乗馬服ながら開かされた膝(片方は立て膝)の間にナリスが入り込み。

 かがみこんで彼女の顔をのぞき込んでいる状態なので、全く身動きがとれない。

 いやそもそも、手足にろくに力が入らない。まるで動き方を忘れたかのようだ。

 わずかに体をねじり、みじろぎするだけで多大の努力を要した。

 そして口元に冷たい笑みを浮かべたナリスが、彼女のその一部始終を、油をかけた昆虫がこと切れるさまを観察しているかのように見守っている。

 羞恥の念で、頬が熱くなるのを公女は感じた。

 

「これは、いかなる所存か?」

 

(私は、御身を害したりはしないと分かっているだろうに!)

 

 かろうじて自由になる視線を強め、彼女は抗議の声をあげる。

 声は普通に出たが、ややぎこちなかった。

 口元が軽くしびれて、こわばっている。

 

「良いざまですね。公女将軍ともあろうものが。

 さて、聞きたいことがいくつかあります。私に、心のなかのことを正直に云うのです」

 

 耳に快い、絹のようなナリスの声。

 ただその底には、ぞくっとするように冷酷な、非情な意志があるように公女は感じた。

 しかし身動きひとつ思うようにできない公女アムネリスは。

 わずか十数タルゴル(cm)ほどの距離の、公の魔性の美貌を見つめ返すしかない。

 

まず自白剤と術が効いているか、確かめねばならないな──あなたの名は?」

 

「アムネリス」

 

「あなたは、何です?言ってごらんなさい」

 

「トーラス右府将軍、白騎士隊長アムネリス、ヴラド・モンゴールの娘(ヴラドゥイヴァ・モンゴール)、ミアイルの姉。

 ──口さがない者は『氷の公女』とも。陰で云っている隊員どもは、そのうち殴る」

 

 なぜか、口から考えていることがそのまま漏れてしまった。

 さきほど気を失ったときに、なんらかの自制を弱める作用のある薬を含まされたのだろう。

 黒蓮ではない。黒蓮なら彼女は耐性がある。いや、黒蓮ながらその耐性を超える量を盛られたのか、──?

 

「ふふっ、効いていますね。──いい子だ」

 

 ナリスは、妖しく笑った。

 

 ──────

 

 他方、ナリスは彼女の従順な返答に安堵していた。

 自白剤と術の組み合わせは、強固な意志を有する彼女にも効いている。

 ただ、有効な時間は短い。()()を急がねばならない。

 つまり。

 それまでにこの女の大事にしているものを暴く。のちに殺して打撃を与えるのに使うためだ。

 そして彼女に、軍人としての矜持をわざと貶し、負けず嫌いの彼女の、彼への対抗心、執着心を形成する。

 そしてその執着心を、彼への恋愛感情と錯覚させるのだ。

 当初の計画よりはやや複雑で難度が高いが、基本は同じ。できないわけはない。──ナリスはさらに尋問を続けた。

 

「アムネリス。あなたは、ここへ来ることを誰かに伝えたのですか?」

 

「腹心の侍女に伝えた。私がミゲルの刻までに帰らなかったときに開封する、指示書を渡した──」

 

 用意周到だ。やはりただの小娘ではない、と公女の評価を修正しながら。

 ナリスは内心、苦虫をかみつぶす。思ったより、時間の猶予がない。

 この術と自白剤の組み合わせの効果は、強力だが短い。

 術の効果、すなわち術師の指示への受容性の向上はもうしばらく持続するが。

 彼女に用いた特殊な自白剤の方は、非常に強力なかわりに効力がごく短い。自制心の強い者については、特に。

 あと数タルザンもしないうちに、効果は切れるだろう。

 そのうえ、ミゲルの刻までにこの女を帰さねばならない。帰さなかったら、モンゴール軍が報復行動に出かねない。

 

「もういい。──あなたの役割は、何ですか」

 

「大公の剣、東部国境地帯の盾。大公の小さい剣娘(スヴェルディーナ)。クリスタル市臨時施政長官。モンゴール北東方面通商部代表。エルの飼い主──」

 

 何か妙なものが入ったが、おそらく愛馬か、お気に入りの猟犬の名前だろう。

 ひとまずは先を急ごう、とナリスは判断する。

 

「あなたにとって、大事なもの、愛しいものは?」

 

「祖国モンゴール。騎士の一分、氏族の誇り(羽根飾り)。部下の白騎士たち。亡き母上、父上、ミアイル。トーラス市民、──そして、エル」

 

「なるほど。あなたがそのなかで、もっとも失いたくないものは?──そう、騎士の誇りとかモンゴールの民とかではなく、具体的に。あなたの弟、ミアイルですか」

 

「ミアイル。不憫な奴だ。この身に代えて守ってやりたい、──だが放したくないかといえば違うな──シルヴィア姫との、あるいは別の姫君との幸せな婚姻ならば、喜んで送り出すだろう」

 

「それならば。ヴラド大公、あるいは白騎士の誰かですか」

 

「違うな、──エルだ」

 

「エル?」

 

「そうだ。あやつは、私だけのものだ。エルさえいれば、何もいらぬ、望まぬ。

 お役目を果たし終える日がきたら。ツーリードあたりの開拓村で隠棲してもいい。私は、もはやただの村女でいい。

 ガティ麦の収穫で疲れ果てた一日を終え、粗末な開拓小屋の扉を開けると、エルが飛んでくる──」

 

 突如として始まる、公女の脳内ポエムの流出。ナリスは目を瞬かせた。

 

「──そして?」

 

「戸口で私の手と、靴を舐めさせる。褒美に奴の頭を撫でてやるかな。ふふ、頬を舐めるのも許そう。

 そして私は椅子に座り、疲れた足を暖炉の前に這いつくばった奴の背に乗せ、今日一日のことを語りきかせるのだ──」

 

(なんだ、愛犬か。──まあ、人間が信じられぬ、と云う悩みは貴族の間でもよく聞く話だ)

 

 ナリスは、意外に素朴なアムネリスの夢を聞き流しながら。

 そのエルなる犬が彼女に打撃を与えるための標的となりうるか、自問する。──ならないだろう。

 

(愛情を持って可愛がってはいるのはうかがえるが、所詮は犬)

 

(だとすればミアイルだな、殺して彼女を絶望に陥れるとすれば)

 

 そろそろ、自白剤の効き目が切れたのだろう。思ったよりはるかに短い時間だ。

 現に、なぜか公女は、藁の褥にエルとともにもぐりこむさまを語ってから、言葉を止めてうつむいている。

 ならば、尋問はここまで。ここからは、彼女の鼻を折り、(ナリス)への執着を形成する時間だ。

 

「良く、聞くのです。

 "あなたは氷の公女などではない。氷の公女、イラナの女神、周囲のそんなことばにたぶらかされて、あなたはこのようにふるまわなければならぬ、と思うあまり、自らの心を殺してしまっているのだ。

 女だてらに右府将軍と武勇などたたえられて何になる。武勇と知略は、男の世界のもの──女は、美と典雅と、そして恋という、女だけのいさおしの場があるではないか"」*1

 

 村娘になろうという夢を持つくらいだ、騎士への思いなど実は深くあるまい。

 ここで知と力で敵わぬことを思い知らせ、彼への執着を形成させよう、──と彼は思った。

 

 ──────

 

(はて、完全に間違いというわけではないが──)

 

 他方。

 聞き入る公女は、ナリスの言葉に内心、戸惑いを感じた。

 公女の軍歴は、長い。

 少女のころから軍に随行し、マルス伯をはじめとした騎士たちとともに起き伏ししてきたのだ。

 

 こうして右府将軍としてふるまっているのは、大公に命じられたからであって、実のところ彼女自身がその任にあることを好んでいるわけではない。

 しかし騎士としての在り方自体は彼女にとって慣れ親しんだもので、特に無理しているという実感はない。

 

 それに新興国のモンゴールは、時まさに開拓時代。男女問わず、荒野の開拓に従事している。

 女であろうが子供であろうが、事あらば槍をにぎり弩を構え、開拓村を襲う蛮族や狼に対峙するのが彼女たちの常識。

 彼女個人の武勇は、剣ならマルス伯やリーガン、アストリアスらには及ばないし、自分でもそれは自覚している。

 それなのに「武勇など、あなたの心に沿わず無理をしている、女は恋だ」などと言われても、──という困惑の思いがある。

 

 ただ、公の言うことにも、一抹の真実がある。

 実のところ、公女も「美と典雅」に興味がないわけではない。──いや、勇気をだして認めよう。とても、ある。

 

 「美と典雅」というと、いかにも大上段だが。

 この地の女たちのお洒落な装いには、やはり関心が惹かれてしまう。

 あの仮面舞踏会に出たときに目にした、ほっそりした体格の貴婦人たちの装い。

 フリフリのレースをあしらった斬新な流行のドレス。かわいらしいティアラ、髪飾り。

 それらに、ひそかに心躍らせていたことは事実だ。

 

(ただ彼女としては、ほとんどのパロの娘たちより大柄な自分が、それらに興味があるとはなかなか気恥ずかしくて言い難く。

 ちょうど年頃の少年が、気になる少女をみつめたくても視線を向けられないように。

 目のすみで、そうした装いを見るともなく観察するにとどめていたのだ。)

 

 ああいったかわいい衣装を着て、そしてあの傭兵(アルゴンのエル)にみせてみたい。

 あの傭兵は、どういう反応を示すだろうか?

 

 あの大仕合後の表彰後にキスしたときのように、最初は目をみはり。

 次いで彼女のドレスの胸元に入った切れ込みから必死に目を逸らし、まるで少年のように「あー、その、だな。──けっこう、似合ってるぜ」などと、頬を染めてうろたえながら言うだろうか。

 

 それとも、あの大仕合開催を決めた談合のとき、渋る彼女を励ましてくれたように。

 「すげえな、マジ女神!さすがは公女様だぜ!──その服、俺の前でだけってことにしてくんねえかな?他の男に見せたら、お仕置きだぜ?──それでな、ほらよ、この胸元をこう拡げると、ぐっときちまうな!」などと。

 陽気に騒ぎ立て、盛り上がってくれるだろうか。

 

 あるいは、暗殺者から守ってくれたあの砂漠の夜。唇を奪われたときのように。

 「──綺麗だな」とだけ言われ、そのまま無言で、じっと味わいつくすようにこの姿をあの黒曜石の瞳で見つめられてしまうだろうか。

 いや、見つめられるだけではないな。そのまま、衣装の中身も味わいつくされ──

 

 ナリスの用いた謎の薬と術のせいで、ほとんど自らの思考、欲求がだだ漏れ状態の公女殿下だったが。

 傭兵と同じ黒い瞳を見つめ返しながら、ぼうっと考えをまとめることもできず思考をたゆたわせていた。

 そのせいで、けしからぬ内心が口から出なかったのは彼女にとって僥倖だったのだろう。

 

 その頬を赤らめた公女の様子を、ナリスは観察する。

 ──思ったより従順だ。じゃじゃ馬馴らしは、上手く進んでいるとみていい、と彼は判断する。

 

「”力でも、知略でも、どうせあなたはわたしにかなわぬ。私も女あいてにいくさをしようなどとは思いもせぬ。

 だが女にだっていくさはできる──人の首でなく、心をとるいくさがな・・・”」

 

 傭兵と同じ黒い瞳、しかし傭兵と違って繊細な美貌の貴公子は、たたみかけるように彼の男女論をささやいた、──彼はほぼ、成功を確信していた。

 

 ──────

 

 他方、公女は。

 

「人の心を、とるいくさ。──そうか。

 そうだ、それだな。私がしたいのは、──」

 

 公女は、ナリスの言を聞き。自分の思考を口に上せながら、考える。

 公女への自白剤の効果は、実のところ、まだかなり残っていたのだが。

 ぼんやりとして、思考がうまくまとまっていないこともあって。

 ナリスがそれとわかるように、表出することをまぬかれていた。

 ただ、しいて形にすれば。その言葉にまとまらない彼女の思考は、以下のようなものだった。

 

(ナリス公は、どうも間違っている。しかし一面においては、とても正しい)

 

(典雅とまではいわないが、すこし、お洒落な恰好はしてみたい)

 

(それで、人のこころをとりたい。人のこころ、といっても、そこらの人々のこころにあらず。

 私がとりたいのは、つまり(アルゴンのエル)の心)

 

 ──(エル)の、()をとりたい。

 美麗な装いを、そのためにしてみたい。

 

 そう、考え。(エル)と抱き合う、美しい衣装をつけた自分を想像し。

 ふわっ、と顔を赤らめた彼女の様子を、ナリスは認める。

 

 思いのほか、うまくいった。──あとは、負けず嫌いのこの娘の、自分への対抗心、執着心を恋と錯覚させるだけだ、と彼は思った。時間が気になる。彼の注意は、(その場所からは見えないのだが)瞬時、水晶の筒の外、古代機械の表示板にそれた。

 

 ──────

 

 他方で、公女はまだふわふわと思索をつむぎつづけていた。

 

 ──彼、アルゴンのエルの心を得て。

 もしすべての、しがらみがないとしたら?

 

 先ほど、なぜか口から漏れてしまったのは本音だ。

 ただの村女でいい。ひっそりと彼と二人きりで暮らしたい。

 幸いにも軍隊暮らしで、身の回りのことくらいは一人でできる。いや、二人暮らしとはいえ、子供はいてもいい。少なめ、片手の指の数くらいでもいい。

 彼に似た息子たち、彼女に似た娘たち。夜、大騒ぎしながら囲む食卓、藁布団で語りきかせる寝物語。駄法螺の名人を目指しているとかほざいていた彼は、きっと子供らの目を丸くするような話をしてくれるだろう。

 そして子供らがみな寝ついたら、こっそり目配せしあい。彼と彼女は別室にむかい、親密さを深めるのだ、──

 

 しかし、そうならないことを彼女はよく知っていた。良くも悪くも彼女は聡明で、自分の置かれた袋小路を知っていた。

 

 遠からずまきおこる、戦雲。

 パロとその友邦が勝てば、戦犯たる彼女とその一族に待つのは過酷な拷問とさらし台と斬首。

 あるいはそれより悪い運命。傭兵の予言したように、タリオ公の慰み者か娼館の客寄せだろう。

 

 モンゴールとその盟友たちが勝っても、彼女に待つのはこの目の前の美麗なパロ王族の公子との檻の中のような愛なき結婚生活。

 かりにその婚姻が短命に終わろうと、相手が今度は沿海州の有力国の王族──十中八九オリー・トレヴァーン──かクムの三公子の誰かになるだけだ。

 流れ者の傭兵と彼女が結ばれる未来は、どこにもない。

 

 どこかで、彼女と彼をつなぐ線は切れ。

 そして彼の心は、どこぞの気立てのよい、ほっそりした美人娘(なぜか彼女の頭には、あのパロの王女の姿や、彼女自身の有能な黒髪の侍女の姿が浮かんだ)に取られてしまう。

 

 ──もし、そうなってしまったら。(アルゴンのエル)の心をとれなかったら?

 

 心臓を冷たくするような、その仮定。答えはすぐにでた。

 

 ──(アルゴンのエル)の心をとれなかったら。

 もちろん、(アルゴンのエル)()()をとるまでだ。

 私の(こころ)を奪ったのだから、彼の()()を奪う権利が、私にはある。

 

 他の女に心をうつした不実な(アルゴンのエル)の肋骨の間に、短刀を叩き込み。

 血の吹き出る傷口に貫手(ぬきて)をうちこみ、まだ拍動する(アルゴンのエル)の心臓をわしづかみにしながら、こちらを信じられぬような目で見つめる彼に微笑み返す自分を想像したときに。

 彼女の口許に、凄絶な笑みが浮かび。

 ぶわっ、と、濃厚な妖気、殺気がふきあがった。

 

 ナリスは、はじかれたように公女のほうに振り向いた。

 

 ──────

 

 絶世の美貌を讃えられるアルド・ナリスは、もちろんのことパロ宮廷の寵児。

 フェリシア夫人をはじめとして、宮廷の美女たちと宮廷風恋愛で浮名を流していた。

 

 名うての女殺し(レディ・キラー)である彼にとって。

 色恋の経験などない弱冠十八歳の娘を転がすことなど、容易なはず。

 しかし、ここにきて彼は想定しない事態にみまわれていた。

 

(何が起こった?)

 

(この娘から、これまで感じたことのないほど強い、圧するような()を感じた──)

 

 どこか黒く微笑む敵国の公女から漂う、濃厚、妖艶なまでの覇気(オーラ)

 それを至近距離から浴び、彼女の碧緑の、うつろな瞳をのぞき込んだ貴公子は。

 これまであまり感じたことのない、奇妙な感覚を覚える。

 

(背筋がちりちりと冷たく感じ、体がぞくぞくと震えてしまう、未知の感覚)

 

(──いや違う、未知ではない?)

 

 歯が鳴りそうになるのを押さえながら記憶をさぐる彼は、思いあたる。

 

(遠い昔に、感じたことがある。

 少年の頃。フェリシアのもとからはじめて朝帰りした私に、リギアが激怒したときだ)

 

 あのとき同様、押さえられぬ、たかまった動悸が、胸に苦しい。

 これは、もしかすると、──?

 

(リギアに対する感覚──大事な人への感情──そしてこの、痛いほどの鼓動のたかまり、──

 ──そうか。これが、この感情がもしかすると「恋」)

 

 優美な見かけに似ず、異常者(サイコパス)と言えるまでに豪胆。

 不遇な時期こそありつつも、積んできたのは勝者としての経験。

 彼をかたちづくるナリスの記憶には、これまでなじみが薄かったその感覚──そう、真の「恐怖」。

 それは()に、錯覚を与えてしまっていた。

 

 ──────

 

 目の前には、女騎士の装いをした敵国の公女。

 彼の言葉に感銘を受けたのか。目もとを美しいバラ色に染めて、ぼうっと彼の双眸を焦点のあわない目でみつめている(そして彼の背筋を寒くするような黒い波動を発している)公女を。

 彼は強引に、なぜかわずかに震えるその手で抱き寄せた。

 はらり、と落ちかかる豪奢な金の髪を、彼は手で払って鼻筋の通った顔をあらわにさせた。

 

「ナリス公。私は、エルの──んむっ」

 

 ”ナリスの唇が、やさしく、しかし容赦なく、アムネリスの唇をふさぎ、おおいかぶさってきたのである”*2

 

 唇をふさがれたアムネリスは、まだ手足がままならなかった。

 弱弱しく上がった腕は、大柄だが特に力が強いわけでもないナリスにも抵抗できない。

 瞬時、身をかたくした彼女だったが、やがて抵抗の無駄をさとって力をぬいた。

 

「”アムネリス。──私の、光の公女”」*3

 

 ナリスは、唇をようやく離してささやいた。

 アムネリスは、ぐったりとしていたが、目を開けて彼を見返した。

 燃えるような、憎しみにも似た熱情のこもった視線──その視線に、ナリスは、さっきと同様。

 背筋が、ぞくぞくとする感覚を覚え。

 それだけでなく、彼女をもっと屈服させたいという、たまらない征服欲の衝動を感じた。

 

「ナリス殿。私は、──」

 

「”重荷を捨てなさい。モンゴールの誇りたかい公女としてでなく、十八の、美しい高貴な姫として、私の愛を受け入れなさい”」*4

 

「──いや、ナリス殿。その、だな。婚約のことなのだが、よく考えると障りが──」

 

「断固として、続けますよ。逃げることなど許しません」

 

「その、エルについてなのだが、──」

 

「姫は心配性だな。犬ごときに嫉妬などせぬ、姫の好きに愛でることだ」

 

 口を閉じ、ナリスをにらみつけていたアムネリスは。

 ナリスの言葉を聞いて、ようやく愁眉を開き、切れ長の目を伏せた。

 

「ならばナリス公。──私を、あなたのお妃にして下さいませ」*5

 

「人の()をとる、戦いに身を投じるのですね」

 

「ええ。人の()()をとる、戦いです」

 

 再度彼を見上げる、すべてを焼きこがさんばかりの、碧緑の瞳の中の炎。

 

「”やはりあなたはイラナなのだな。刃を胸につきつけるように人を愛する”」

 

 そうだ、この手足の震えや、冷水を急に掛けられたような胸の痛みは、あの戦でついに剣を折られ、敵騎士に槍を数条突きつけられた、あのときに似ているな、──と。

 怖いもの知らずの剛毅なナリス公は、自分で言いながら思いあたったのだった。

 

*1
第7巻『望郷の聖双生児』133頁

*2
同134頁。

*3
同134頁。

*4
同上。

*5
同135頁。




(覚書)
○表紙絵について

 本編でのイシュトヴァーンの表紙絵は第24巻(赤い街道の盗賊)が初出である。
 初代の加藤直之画伯の時代(本編1~19巻、外伝1~5巻)には、本編では挿絵はあるが表紙絵はない。外伝でも1回(第3巻『幽霊船』)のみ。本編に限っていえば、双子(セットで3回、レムス単独が+1回)、ナリス(3回)とスカール(3回)が多い。グイン(2回)を超える。辺境編は、加藤画伯の剛健重厚なイメージがよく似合っていると思う。

 天野喜孝画伯の時代(本編20~56巻、外伝5~9巻)はストーリーのせいもあろうが本編で12回(11回?47巻はナリスかもしれない)、外伝で2回、イシュトヴァーンが表紙絵となっている。グインは本編で7回、外伝0回。作風は、まさに繊細美麗。ただ末期になると本編の陰鬱さもあってか(?)、生気がなくなっていく。

 末弥純画伯(本編57巻~87巻、外伝10~16巻)時代には、イシュトヴァーンは本編で6回、外伝では0回だと思う(57巻「ヤーンの星の下に」のイシュトヴァーンも、すごくリアルで印象的)。グインは外伝での活躍を反映して、本編4回、外伝4回。本編ではリンダ(1回?)とレムス(2回)が少ない(60巻前後以降を読んでいないため、実は見誤っている可能性がある)。
 末弥画伯はグインなど主要登場人物でなく、それぞれの物語で主題となる人々に焦点を当ててくれることが多い。アリストートス(60巻)などもすごい。筆者には、アリはこのイメージで焼き付いてしまった。

 丹野忍画伯の作風、末弥画伯と並んですごく好みで気になるのだが、60巻過ぎで離脱したため実はよくわかっていない。表紙絵を検索してみたかぎり、空間の奥行きや背景の使い方が出色な気がする(90巻の表紙絵とか)。あと、シルヴィアがすごい綺麗(これは末弥画伯も)。女主人公(ヒロイン)力高い・・。
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