(仮)豹頭王の物語の一登場人物に憑依する話。 作:Marchhatter
○ご感想をいただきました。ありがとうございました!
・レムス、原作でも「中興の祖」のはずが、なんだかすごい悲惨な状態に・・。
ちょっとだけ救済があればなー、なんて思っています。本当は王さまって感じじゃないんですよねきっと。
ナリス公、彼は原作とは違うのですが基本すごい人なんです。きっとこれから名誉挽回が・・!
・原作を3/5知らず、本作でのあらゆる設定、特に古代機械周りはまったくの一知半解の塊でして。
おそらく既読された方から見ると、すごい間違った独自理解と想像で突っ走ってるのは確実なのです・・!
○第三者(リンダ)視点→偽イシュト視点です。
ええいっ、と進めてしまうことを決心しました。
(後で冗長部分を削るかもしれません。)
昼下がりの船。日射の厳しい時間帯で、甲板に出ているのは、最小限の数の船員たちのみ。
船乗りたちの残りや乗客は涼しい場所で
彼女は船の最後尾、だれもいない場所で水平線に目を注ぎ、思いにふけっていた。
(彼が、生死を共にしてくれると云った。私も、彼とともにありたい)
(しかしそれはダメだ、って私の直観が告げている)
思慕と拒絶。二つの思いが、まだ年端のいかない、やわらかい彼女の心を引き裂く。
彼女は不世出の予言者。そして同時に、その肉はただの少女でしかない。
そして世の不条理にいきどおる、この年頃の少年少女たちがそうであるように。
彼女もまた、身を流れる熱い血と、自らに課せられた王家の重責との相克に悩まされていた。
(思えば、いろいろなことがあった)
石造りの大都市を離れてからいままでを、彼女はぼんやりと回想する。
ひどく危険でありながら、物心ついて以来もっとも自由な日々。
突然のゴーラ兵の乱入。
ごくわずかな重臣と騎士たちだけであわただしく駆け込んだ、ヤヌスの塔。
恐慌をきたしながら震える指で古代機械を操作するリヤ大臣。
さいごに水晶の壁越しにみた、騎士たちの絶望した表情。
送り込まれた辺境地帯。
食屍鬼、粗野で野蛮なゴーラの騎士、そして豹頭の超戦士。
運命の尽きた巨城。矮人の少女との邂逅。矮人の蛮族の襲撃。
──そして謎の災いの星を負う、若き傭兵と彼女は出会った。
死の河への船出、砂漠の放浪、矮人たちの村。
急転直下で決まった大試合。ふたたびの死の河への船出、荒野。
港、海、大嵐、そして「古きもの」との邂逅、──
それからも彼女たちは冒険を経て、いつしか敵だと思っていた傭兵は彼女の心を大きく占めるようになってしまった。
(恋をすると巫女の予言の力は失われる、と習ったけれど。
完全には失われてない、それがかえって残酷ね)
いっそ予言の力が、完全に失われてしまっていれば良かった。
しかし彼女の予言能力は、彼にまつわる一部をのぞき失われてはいない。
彼女は──正確な日時までは予知できなかったし、あやふやな予言で惑わすわけにもいかなかったので誰にも言っていなかったが──近い将来の白いアグラーヤの大型船との遭遇を予知していた。
そして今、目の良いスニの叫ぶ声が遠くで聞こえている。
「アグラーヤ」「軍船だぞ」「御座船じゃないか!」といった、船員たちの叫びかわす言葉も。
リンダは、自分の少女時代の終わりを知った。
これから、戻っていくのだ。「パロの王女」としての自分は。
危険や恐怖もあったが、自由な「ただのリンダ」だった自分は、もう存在しなくなってしまう。
皆がアグラーヤの軍船に向かって歓声をあげている中、彼女はただ一人。
船の艦橋の後方で、ひとり茫漠たる水平線をみつめる。
「ここにいたか、リンダ」
そんな彼女に、背後からかけられた声。
振り向いてみえた
いつものような浮ついた様子はない。深い黒い瞳が、彼女をみつめる。
彼は疲れているのだろうか、──日焼けした精悍な顔には、どこか沈んだ翳がある。
狼のようにどこか物騒な迫力があるが、端正に整った顔がリンダに笑いかける。
大好きな、その笑顔。しかしリンダは、微笑み返しながらも目を伏せ、心を閉ざした。
(私は、本当はあなたにありがとうと云いたい、私のイシュトヴァーン。
でも、もう私とあなたの道は──)
彼女に対するイシュトヴァーンの役割は、ここで終わってしまう。
事実、彼女が戻っていくのは数千年にわたり強固に組みあがってしまった貴族社会と、国々の非情な思惑と権謀術数のからみあう国際社会。
一介の流れ者、本人曰く娼婦の息子で敵国ゴーラの元傭兵である彼の居場所などはないのだから。
自分がなすべきことについての、結論に至るまでに。
聡明な彼女は、いくつかの可能性を検討した──しかしたどりついたのは、非情な選択肢だけだった。
いぶかしげな彼に、顔の皮一枚で微笑みかけながら。
彼女は、それらの可能性を頭のなかで反芻する。
──────
第一の可能性。彼を、手元に置き続ける。
リンダは、彼を近習に指名することもできるだろう。話し相手として、用心棒として。
無理を通せば、聖騎士候は無理でも将来の栄達を望める地位にも。
パロをモンゴールの手から奪回できれば、騎士一人の程度の禄を捻出することなどパロ王室にはたやすい。
しかしこの野生の狼の本当の居場所は、そこにはない。
彼はきっと、リンダのそばに居てくれようとするだろう。
彼が意外に誠実で義理堅いことを、彼女は知っている。
しかし彼女は金銭で彼に報いることはできても、彼女自身で報いることはできない。
彼女は王室に生まれ、王族に嫁ぐ身であり、それは誰にも変えられないのだから。
彼もすぐに知るだろう、残酷な真実を。
女郎屋の女が身を金で
多忙となりゆく公務、少なくなりゆく彼との接触。
幾百、幾千もの貴族や騎士や女官たちの人の壁が、彼と彼女を遠ざける。
そして最後に、彼女自身の美しい許婚の大公も。
そしていつしか、彼の黒曜石の目の輝きは失われる。
別れを告げた友人たちのように、生きる望みを失った騎士たちのように。
まぶしいほどに燃え盛る彼の気炎は、雨に濡れてくすぶる白い煙となり。
黒い狼の毛並みは失われ、生に倦み疲れて横たわる鎖につながれた老犬が残るだけ。
いっそその生の輝きの頂点で戦いの刃に死ぬより、はるかに残酷な結末。
──駄目だ、この選択肢だけは取りたくない、とリンダは思った。
──────
第二の可能性。
大国の王女、女王、予言者としての役割を捨てる選択肢を、彼女は夢想する。
彼は見かけより聡明。彼と彼女が添い遂げられないことも承知で、彼は彼の心をささげてくれたのではないか。
彼がその誓句を借りた、魂を捧げて彼らの女王に殉じた古代の英雄たちのように。
手を取りあって、王家の運命の円環から逃れては駄目だろうか。
彼女は恋を知った。その甘さを、そしてその果てしない苦さを。
その恍惚と不安は、夜の森を馬で早駆けするのにも似ていた。
彼女は自分の乗る奔馬のゆくえに待ちうける千尋の崖を知っていた。──しかし聡明な彼女はそれでも、と心のどこかで願ってしまっていた。
いっそこの奔馬とともに、崖に身を投じたいと。
彼女の生も、いつか終わる。
ただ王家に生まれた自分の脳は回収され、記憶を消されて神官たちに処置を受け。
今の自分に先立つ自分たちと同様、ヤヌスの塔の地下の氷の棺に納められる。
それに続く、数百年の時すら刹那と思えるほどの永劫の孤独。それが彼女のさだめ。
だから彼が、古代の英雄と同様にその魂を捧げんと申し出たとき。
彼女は彼とともにある幸福、あるいは彼とともに死ぬ幸福を夢みてしまった。
おとぎ話には、ヤヌスの塔の地下か、あるいは森か、とぼかされていたが。
決められた運命を拒んだ王女たちの運命は、残酷なものだ。
地下なら、許された数か月の蜜月ののち、眠りの中で
森なら、裸足で身を守るものなく二人で放逐され、死の猟犬を放たれて、「
彼女は、猟犬に追われ、森の急流に落ちた彼女たちが。
数百タッドの下流に、奇跡的に漂着することを夢想する。
いつかグインたちと泊った、辺境地帯の粗末な開拓小屋。
あのようなあばら家に、人に知られることなく彼女と彼は暮らすのだ。
開拓地の労働は、決して楽ではないだろう。
朝は早く、かじかむ指で水をくみあるいは糸をつむぐ。
しかし陽の沈むころに彼が、森で捕らえた獲物を、あるいは川で釣り上げた魚を抱えて帰ってきてくれるのだ。
戸口での、おずおずとした接吻と抱擁。優しくのぞき込む目、傷だらけの手で撫でてくれる髪。それだけでいい。いや、やっぱり子供も欲しい。一人、いや二人。
小さな
──しかしその夢には、いつも終わりがある。
そして彼女の夢は決して実現しないことを、予言者の彼女は知っている。ただ、二つの犬に喰われた死体が転がるか、二つの脳が氷漬けになるだけ。
一時はそれもいい、などと思っていたのだが。
愛する彼の死ぬ未来を受け入れたくない彼女は、この選択肢も取りたくない、と思うに至っていた。
──────
第一の可能性は彼の魂を殺す。第二の可能性は、彼を現実に殺す。
どちらも、彼女には取れない選択肢だ。
残った、第三の可能性。
それなら彼女は彼に、別れを告げねばならない。
しかしこの選択肢にも、大いなる危険があることを彼女は予見する。
仮にここで、彼の心に彼女への未練を残してしまった場合には?
恋のためなのか、それとも彼が暗黒神の手先であるからなのかはわからないが。
彼女はなぜか、彼の運命を直接に占うことができない。
しかし、神の啓示なのだろうか、──彼女は世界が漂い、流れゆくさまを一瞬だけ神の視点からみるかのように。
ここ数日の不安な夜の夢のはざまに、かいまみることができていた。
──アグラーヤの軍船との遭遇。アグラーヤ王との会見、レムスの肩をたたく偉丈夫。
一瞬だけ見えた、ふてくされている傭兵の姿。
──次から次へとうつりゆく場面、蟻のごとくうごめく人々の姿。
荘重な会議室での、巨魁たちのせめぎあい。
──はるかなアルゴスでの、義理の叔父にあたる黒太子スカールの雄姿。
一幅の名画のような、ナリス公と公女アムネリスの対峙。そして二人の影が重なる。
そしてそこらかしこに、悲劇があった。
──アグラーヤの港町の宿屋。
商売女であろう殺された女の胸元には、モンゴールの蠍の水晶符。
──勇猛なアルゴス兵をしても抜くことができない、剽悍なカウロス兵の壁。前線で生まれる、かつて人であった肉塊。こぼれる脳漿、死体を焼く焦げた臭い。
惨状を本陣からみてわずかに眉をしかめる、みなれない冷酷さをまとうレムスの横顔。
──寝入っている、優しげな顔立ちの金髪の少年にかがみこむ黒い
(いけない、と夢の中で彼女は叫ぼうとするが、場面は残酷に暗転した。)
驚愕の面持ちでたたずむ、従兄のディーン王子の姿が一瞬だけみえた。
──無残に打ち破られるモンゴール軍。とらわれの身となる敵国の公女。
その薄ぎぬをあらあらしい手つきで剥ぐ、クムの大公の姿。
(折り合いがいいとはとても言えないが、その無残な姿に彼女は胸を衝かれるような思いを味わう)
──大国の将軍に見いだされ、出世を遂げるグイン。不実な皇女。
(皇女に対し不吉な何かを覚え、グインに何かを伝えようと夢の中の彼女は口を開きかけたが。
その声もまた、発されることも届くこともなく、むなしく虚空に失われた)
そして、このヤーンの織り成す悲喜劇の壮大な
それ自体を、燃やし尽くさんとする劫火があった。
黒い炎のような運命への憤怒をまとった、リンダ自身のかつての想い人の姿。
──死の都で貴族をなぶり殺しにする、陽気な盗賊団。
──醜悪ながら魁偉な面構えの侏儒、森の中の虐殺。
──贅をつくした宴にあって、クム、ユラニアの大貴族たちの首を刎ねていく血みどろののイシュトヴァーン。
──なぜか法廷で厳しく糾弾されているようにみえる、イシュトヴァーン。
──イシュトヴァーンによって死を賜る、幼子を抱く墨染めの衣をまとう公女。
そしてやがて。
戦乱と、吹き荒れる血の嵐。
いつしか眼下の世界の半分は、傷ついたまなざしの狼の手で血と鉄に染め上げられていた。
──壮麗な都市は地獄の獄卒のごとき軍に囲まれ、貧富貴賤、老若男女を問わず妊婦も赤子も神官も尼僧も、小動物の一匹すら逃さず殺しつくされ。
燃やし尽くされ膨大な量の塩を撒かれた都市の跡地は、壮麗な数万の頭蓋骨の丘とただ一つの石碑だけを残した荒野と変じた。
──見慣れぬからくりを備えた船に攻囲され、誇らかな大型船の艦隊はつぎつぎに燃え落ち、沈んでいく。旗に身を包み、母国の誇らかな名を叫びながら、傾いた船楼からはるかな海面に飛び降りる船長たち。
水に落ちた蜉蝣の死体のように、海面を見えづらいほどに埋め尽くす船員や兵士たちの頭上に容赦なく油が撒かれ、呪詛の絶叫は燃える炎に巻かれていった。
そのすべての中心に、酷薄な頬を緩めもしない、額に不可視の炎の冠をいただく狼の眼の男。
この第三の可能性は、前の二つの可能性に増して危険をはらむと彼女は悟った。
前の二つの選択肢にも多くの危険はある。木の微細な根のように枝分かれするそれらの
そうすれば、わずかな活路はこの第三の選択肢にしかないと彼女は思った。
──────
結局、彼と彼女には未来がないのだ。
そして彼女が、彼を生かしたままの未来を選ぶためには。
彼女の夢を終わらせ、彼の夢をも終わらせねばならない。
第三の選択肢をとりつつ、しかし彼に彼女への妄執を抱かせることのないよう、このうえなく明確に終止符を打たねばならない。
つまり彼女は、彼に告げねばならない。
彼女は彼など愛してなどいない。いや、愛したことなどなかったのだと。
一介の傭兵に情を感じたのは、気の迷いだったと。
すべては間違いで、勘違いで、彼女は今、目のくもりが取れたのだと。
彼女はずっと、許婚の美しい公爵を愛しているのだと。
そしてはじめて彼女は、彼を自由にすることができる。
ちょうど人に馴れはじめた仔狼を鞭で打ち据え、無理やりに群れに還すように。
果てなき荒野を駆けゆくこの狼に別れを告げねばならない。
彼は彼女を恨むだろう、しかしやがて傷はふさがり、狼は背中を撫でてくれた人の手を忘れる。
彼女と彼の道は、ここに分かたれ、ふたたび交差することはない。
彼女は彼女の戦場に、あの石の都に還らねばならない。
彼女は唇を舌で舐めて、目に力を入れた。
──────
──────
(偽イシュト視点)
「イシュトヴァーン」
「リンダ」
「云いたいことが、あるの」
「奇遇だな。俺も云わねえといけないことがある」
先方の船に交信旗が上がったのだろうな、右舷で船員たちが何か叫んでいる。
僕も本当なら行くべきなのだろうが、今はリンダが優先だ。
気を張って僕を昂然と見つめているリンダ。僕の目には、これまでになく美しくみえた。
リンダが微笑む。あの目の笑ってない笑顔、僕には見覚えがある。いつ、どこでだっただろう──。
「本当に気が合うのね、ヴァラキアのイシュトヴァーン!
──どちらが先に云うべきかしら?」
「そうだな。──
「じゃあ、云わせてもらうわね、イシュトヴァーン」
リンダはそう言い、息を吸い込む。
だけどおそらく本当に偶然に、僕はそれに気づいた。
彼女のいつも勝気な紫の瞳が、左右に揺れて泣きそうに潤んで。
瞬時、息がつまったように呼吸が不規則になったことに。
「イシュトヴァーン。今までありがとう。そして、さようなら」
──違う、これじゃない。
「わかってると思うけど。もう私たちは、これまでの私たちではいられない」
悪い夢のように、僕の鼓膜を彼女の声が撫ぜていく。
リンダが僕に、別れを告げている。
もう僕を愛していないのだと。いや、愛したことなどなかったのだと。
すべては気の迷いで、だから彼女はこれまでの僕の働きに謝しながらも、距離を置きたいと──。
「リンダ」
「──だから、イシュトヴァーン。もう、これからは、──」
イシュトヴァーンの体が、わずかに震えている。怒りが渦巻いているのだろう。
だが僕は、意識を集中して叫びだしそうなイシュトヴァーンの肉体を抑える、抑え込む。
これは、僕には
なぜか、って?
そう、グインとレムスが教えてくれてやっと分かったんだけど、さ?
僕、あの神の棲む島で、どうやらあの巨大蛸野郎と戦うときに、ヤバい誓言を発してたみたいなんだよね。自分の命と引き換えに聖別を乞う、みたいな。
──その誓いが生きていたらまずい。歴史上、あの言葉を吐いて数か月以上長生きした者はいない。だから、リンダとよく話しあって、撤回したほうがいいんじゃないか、みたいなことをレムスに示唆されて。
僕は、それはもう腰が抜けるくらいに驚愕して。
すっごく気が進まなかったけど、やるしかないか、と一大決心をおこしてリンダと話そうと思ってここにきていた。
(ちなみにイシュトヴァーンの肉体は、どういうわけかひどく非協力的だった。)
ちょうど今、スニさんが原作と同じように、例のアグラーヤ船を見つけてくれたみたいだ。
ここからはイシュトがリンダにできることは、もうほとんどない。
アグラーヤやアルゴスに、彼らの運命はゆだねられる。でも結末、うまくいくことを僕は知ってる。
(あ、ただ、ちょっとレムスに発破かけとかないといけないか?)
だからリンダと話しあって誓いを取り消すのには、ちょうどいいと思ったんだ。
そしたら、ちょうどリンダの方から縁切りの話を切り出してくれてるじゃないか。
これ、本当ならもうこれ以上ないくらい好都合のはず、なのだが──。
「そうか、──おうっ、うぐっ」
どうやら、この体、真イシュトヴァーンがリンダの話に衝撃を受けてしまったみたいなんだ。
それこそ、僕を弾き飛ばして体の統制権を奪い返してしまうくらいに。
「どうしたの、イシュトヴァーン、──イシュトヴァーン?」
僕はおろおろと統制権を取り戻そうとあがくが、真イシュトヴァーンが返してくれない。
ゆっくりと据わりきった凶眼をリンダに向ける、
彼女のしなやかな体に、おののきが走るのが僕には分かった。
「リンダ」
気がつくと、僕は船べりに彼女を追い詰めた姿勢で、彼女の腕をつかんでいた。
「な、なによイシュトヴァーン。放して、放してよ!」
罪悪感が浮かんでいる紫の目を、僕はのぞき込んだ。
彼女は気丈にも僕を見返す。涙が目じりににじんでいて、僕は恐慌をきたした。──おいっ、イシュトヴァーン、何のつもりだ!
しかし真・イシュトヴァーンは、僕の思いをよそに冷えきった口調で続ける。
「リンダ。それがお前が云いたいことだな?」
「ええ、悪かったわね、イシュトヴァーン!もうお払い箱ってことよ、あなたは」
僕は、彼女の腕を放し、二歩ほど下がって間合いを取り。
すらり、と腰に佩いた舶刀を抜いた。
僕の手なんてもういらない、愛してなんかいない、と言いつのっていたリンダは驚いて息をのみ。
しかしまるで思いもかけぬ素晴らしい贈り物をもらったように、晴ればれと笑った。
「ありがとう、イシュトヴァーン。──そうね、それは私には思いつかなかった!
でも私も、それを望んでいたのかもしれない。永劫は、人の身には長すぎる。あなたの手にかかるのなら──」
おい馬鹿やめろイシュトヴァーン!何をしようとしてる!殺すな、殺すんじゃねえぞ馬鹿イシュト!
体の統制を失ったまま僕は、じたばたと統制権を阿呆のイシュトヴァーンから取り戻そうとあがく。
しかし無情にも。
「イシュトヴァーン、これまでありがとう。
ごめんなさい、全部嘘。私は、やっぱりあなたが好き。大好きよ、イシュトヴァーン。でもあなたと私に、未来はないのも事実。
だから殺してイシュトヴァーン、ひと思いに──イシュトヴァーン?」
僕は抜いた舶刀を握る拳を彼女の前に、舶刀の先を僕の胸に擬した姿勢で片膝をついた。
「リンダ。──我が剣を御身に問う」
「い、イシュトヴァーン!?」
「──照覧あれ我が槍の光、耳傾けよ我が角笛の響き。
幾山河を越え、栄えある騎士たらんとして、我今ここに我が主君に剣を捧げんとす。
十の川、百の山、千の野も万の敵も我らを別つことあたわず。
みよ我が心臓は汝が手のもとに。いざ問わん、汝が信、我にあらんや」
「待ってよ!ねえあなた聞いてなかったの!?私はあなたを──!」
馬鹿で阿呆なイシュトヴァーンよ。
お前って不良のあんちゃんの分際で、一応剣の誓いができたんだな、と。
すらすらと上代のルーンの誓句を発する自分に、僕は現実逃避気味に考えた。
もうこの後のことを、考えたくない。お前自殺願望でもあるんか?もう知らんぞ勝手にやれ!
「信なくば押されよ剣を。我らが道は死により別たれん。
信あらば納めよ剣を。死が我らを別つまで、我が剣は汝のもとに。
天なるルアーよ見届けよ、剣の行方を」
剣の柄を、突きつけられ。
驚愕のあまりルーンの「
リンダみたいな美少女でもこんな間抜けな表情するんだな、と脱力しきった僕は考えていた。
──────
それから、数
リンダは、剣の柄を押せなかった。
泣きながら僕の剣に接吻し、僕の肩を横から剣の平で
僕の剣は受け入れられた──のかな?
少なくとも拒否はされなかったけど、正式な騎士叙任の形でもないが──。
しっかし、なんでこの大ガバにあたってグインたちの介入がないんだ!と思った僕は。
いつのまにか周囲のすべてが動きを止めていたのに気づいた。
(正確にいえば、周りのものがとつぜん動き出したことで、今まで時と音が止まってたことに気がついた。)
あの仮称ヤヌス(?じゃないかもしれない)の予言ハラ野郎が、余計な気をまわしたのか?
──ああもう、めちゃくちゃだよ!ややこしいことになっちまったじゃないかっ。
目を泣き腫らして、まだ片膝をつく僕をみつめるリンダ。
僕も泣きたいけど、大人だし、さ?
事態の収拾を図るべく、ない脳みそで考えたプランを実行に移す。
「まあ、なんだリンダ。お前の云うことは分かってるぜ。
別れたくはない、でも世界はそれを許さない、だから別れたいってことなんだよな?」
「え?は?あー、その、ごめんなさい、あれは、──」
「なあに、わーってるわーってるって!
気をまわしてくれたんだろう?俺のことがパロ側に知られたらまずいことになる、ぶっちゃけ消されるって。
大丈夫だ、このイシュトさまと、──あの豹あたまに任せておくんだ。子供はまだ、余計なことを考えなくていいんだ」
子ども扱いされたリンダが、ぷくんと頬を膨らませる。ちょっと調子戻ったかな?
その愛らしい様子をみつめながら、僕は続ける。
「リンダ、3年だ。俺に3年くれ。
3年たってお前の心が変わらなければ、王となった俺がお前を迎えに行く。
もしお前の心が変わったら、──気にすんな、盛大にヤケ酒でも呷って忘れるさ」
心配するな、お前にゃ自由な未来があるんだから、と僕は笑ってみせる。
言ってしまって、気が緩んだ。
いや、これ言うのに精神力が必要で。酒呷って忘れる、って言わせるのに苦労したんだ。真イシュト、血にまみれた腕でお前を奪い去る、なんて言いそうだったから。
でもこれ言ったら、イシュトもなんだかぷしゅうと緩んだ気配があったからさ、もう統制権奪われることないなと思ったんだ、──思ってたんだ。
「イシュトヴァーン、──無理よそれは!
それに!──あれ、待って──あなたの心が変わったら?」
変わらないよ、と言って一言二言、どうでもいい気休めの言葉を足そうと思ったんだ。
そこで口をすべらせた。
「吐いた唾なんざ飲まねえよ、それに変わることなどありえねえ!
だが3年といわず、困ったときにはいつでも言ってくれ。絶対に助ける。ろくでもないヤーンの薄汚い髭にかけて!
──でもな、その。ちょっとくらいの浮気と正室や側室のひとりふたりは、うわやめろリンダあぶぐゎっ」
グインあたりが教え込んだんだろう、油断してた股間への蹴りは鋭かった。僕も片膝ついてたのが致命的。
声も出せず崩れ落ちて悶える僕の頭をゲシゲシと、泣き笑いで踏む彼女を見上げながら。
あー、下履きが見えるぞやめてくれリンダ、もう許してくれ内臓が裏返って死にそう。マジこれ胃袋ターニングポイントじゃんゲロ吐くぞ、と。
僕は痛みに支配された脳の、わずかに思考に割けるすきまで考える。
いつのまにか、この騒ぎを聞きつけて集まってきてた船員や乗船客らの冷やかす声。
おい客はいいがおまえら船員、アグラーヤの船との接舷のやりとりがあるだろ大丈夫なんかコラ。
そして気づく。
人垣の向こうに、非常に困惑をきわめた表情のレムス。ちょっと怒ってないか?
そしてその脇に、すべての感情が抜け落ちたような無表情の(まあそれがデフォなんだが)グインの巨躯。
きわめつけに、帆桁と船尾をむすぶ縄にぶらさがり、こちらを射るようなまなざしでみつめるスニさんの姿。
3人の姿をみたとき、僕は全身から冷汗がぶわっと噴き出るのを感じた。
──あかん。僕、めっちゃ怒られそう。
そう僕は、リンダに加え3対6個の殺意にこもった視線を受けて。
股間の痛みとリンダの容赦のない折檻のはざまに、のたうちまわりながら思ったのだった。