(仮)豹頭王の物語の一登場人物に憑依する話。   作:Marchhatter

63 / 64
(本日2回投稿の、1回目です。お読みになる順番にご注意ください。)

○ご感想をいただきました。ありがとうございました!

・きっと多重爆発に巻き込まれ、偽イシュトも満身創痍で煤けていそうです!
(原作リンダは、あまり狂気的(ヤンデレ)な感じではなかったはずなのですが、・・
 性格を変えすぎていないかなー、気を付けないと)

・偽イシュトは基本、自分は大丈夫と信じているアホの子であり。
 あちこちの沼に無遠慮に踏み込み。あれおかしいぞ、と思ううちに腰のあたりまで嵌り。
 額に青筋を浮かべたグインやスニさんに縄をかけて引き上げてもらっている状態ですね・・。

・なるほどー!やはりヴァルーサ・・
 ヴァルーサは唯一(?)、なんかグインのことを直球で好きでいてくれてる感じがいいな、と思います。
 2人目は、やっぱりシルヴィアですよねー。個人的には幸せになってほしい子です(いやグインを引き当てる強運の持ち主なのですが、60巻時点ではなんか不穏・・)。

○遅くなりました。第三者視点です。


063 砂上の楼閣

(第三者視点、クリスタル臨時施政庁舎、とある日)

 

「前回のご報告から、強盗2件。1件は駆けつけた巡検の騎士により捕縛。1件は目撃証言から犯人を特定ずみで、現在捜索中、──」

 

 槍働きには刮目すべきものがあるが、あまり文書事務は得意でない巨漢が。

 それでも役割を果たさんと、報告を述べている、──否、脳裏に刻んだ口上を暗唱している。

 それをじっと、公女と補佐の担当文官は聞き入っていた。

 

「──また孤児の窃盗団の情報があり、現在調べさせております」

 

「そうか。治安は非常に良好になった、と午前に会った市長からも聞いた。大変感謝している、とな。私も面目が立った。

 ──ひとえにそなたと忠実な部下たちの功だな」

 

「有難く、公女殿下!」

 

 目の前で、恐懼至極といわんばかりに身を縮めてみせている巨漢の働きを称え、これからも頼むぞ、と彼女が嘉すると、その表情はわかりやすく笑み崩れていた。

 

 ブルクという、この男。

 典型的な猪武者であって、あまり自分で考える能力は高いとはいえない。

 しかし上官には忠実で、命じられたことは徹底的に実行するという美点があった。

 優秀ではあるが私利私欲に走りがちなタイランや、妙な劣等感の反動で野心を抱いていそうなカースロンより、公女にとってははるかに使いやすい駒であり。

 彼女は治安維持面では、比較的信用できるこのブルクを重用していた。

(その結果、狙ったわけではないが。

 折り合いが微妙なタイランとカースロンの対立関係に加え、ブルクとタイランの間にも微妙な対抗・均衡関係が成立し。

 対公女で、モンゴール軍上層部が一枚岩になるのを防ぐという効用が生じていた。)

 

 ねぎらいの言葉に感激し、目をうるませながら退出したブルクを見送り。

 公女殿下は、ふう、とため息をついて肩を回した。

 

 ただ、その表情は明るい。

 赴任してからの睡眠不足でできていた、目の下の淡い翳も今はすっかり消えている。

 ブルクに治安の任を委譲させ、素行の悪い兵を文官働きのできる兵と入れ替え、本国に帰したこともあり。

 彼女の目的としていた、クリスタルの治安は目にみえて改善しており、それに伴ってひところは凍りついていた荷の動きも回復してきていた。

 もっともこの世情の回復には別の要素も大きい、と彼女は考えている。

 

「公女殿下。クリスタル公、アルド・ナリス殿下から文が参りました」

 

 折しも文官が走り使いの小姓から文を受け取り、じっと封蝋の印章をみて真正性を確認したのち、公女に伝える。

 この文官も、冷静で忠実。地方に赴任していたのを思い出して引き抜き、後から派遣してもらったが、我ながらよい掘り出し物だったと彼女は思っている。

 

「そうか。──三日前(さきおととい)よりロードランドに行啓されていたな。お帰りの予定は明日のはずだったが」

 

「は、そのとおりかと」

 

 彼女は文官から巻いた獣皮紙の便りを受け取り、典雅な文様の封蝋を破り。

 くるくると開けて、冒頭の一文に目を向けた。

 

”うるわしき、わが婚約者殿。

 遠く離れたこの地にて わが心は汝の星のまなざしを恋ゆるなり──”

 

 目に入った美しく流麗な書体でつづられた美文に、彼女は無言で秀麗な眉をわずかにひそめ。

 片手の親指と中指・くすり指で両方のこめかみをはさんで揉んだ。

 おそらく、詩歌の大家にでも読ませると感激するようなものなのであろうが、──彼女はひとまずそこを読み飛ばし、用件部分に目を移す。

 

”ロードランドでの、巡回裁判所での我が業務は順調。

 この地区での貴軍の徴発の被害についての補償の認定も、貴国の文官と協力してほとんど済ませてきた。

 ああ、心配しなくていい、我がうるわしきイラナよ──ルアーにかけて、公正な額、必要な額だけだ。それでも、かなりの額にはなったけどね。

 もし恨み言を言っていいのであれば、もう2旬でも貴女が早く来てくれたならば、この半分の額で済んだのだが。

 塩漬け肉(サルサメンタム)になっていた民事裁判も、あらかた和解させてきた。

 残っているものもあるが、次回の巡回裁判で判決文を発出できるだろう”

 

 そしてここわずか数日のうちになしとげた、その他のもろもろのことの記述。

 家を焼かれた人々や孤児への衣食住の提供と恤救措置、資金が途切れた中小商会への公的短期融資、パロの傷痍軍人たちを雇いあげての物流網の整備、失業者を吸収するための事業としての、アラインの水道橋の建設開始──

 

 書き綴られた美文は、数々の重要なミッションの進行状況を過不足なく伝える。

 公女は感心しながら、脳内の進行表を更新し、読みすすめる。

 

”さて、私のイラナよ。私の不在の間、貴女は孤閨をまもってくれているだろうか。

 離れてこのような俗世の塵のごとき些末なことどもに口を出し、書を読み、指示を書き綴りながらも。

 ときおり疲れに重くなる私の瞼には、出発する私を見送りにきてくれた、凛々しい白い鎧に青いサーコートの貴女の姿がやきついている──”

 

 公女は軽い疲れを感じて目を閉じ、ふたたび軽くこめかみを揉んだ。

 ここしばらく、公はあきらかに何か勘違いしている。いつか醒める、勘違いだ。

 公によって、その勘違いを向けられている対象であるところの公女は、心に重荷を感じていた。

 

 公女は若いときから父により命じられ、泥沼のごとき国内外での政治にもたずさわってきた。

 蠍の子だ、と自嘲することもある彼女は、それゆえ冷徹に利害得失を計算し、必要とあらば権謀術数を弄するだろう、一筋縄ではいかない性格ではあるのだが。

 それでも、もとは無口で頑固、仲間の友情には一途な脳筋モンゴール人。

 特に愚直なまでの忠実さがよしとされる騎士たちに伍して育ってきた彼女は、パロ人のように、くねくねとした手練手管や策謀が好きなわけではない(いや、パロ人も別に好きではないのかもしれないな、と最近の彼女は思う)。

 

 だから彼女としては、一応は()()()()()()()となったナリス公を裏切るようなことはすまい、と思っている。

 本当なら、直言して公の勘違いを覚ましてやりたい──しかし当面の間、公女にはパロ政界に多大の影響力を持つ彼の協力が必要だ。

 だから我ながら不誠実だと思いながらも、そのことを言い出しかねていて。

 彼の勘違いに成り立つ好意、つまりその好意に基づく彼の助力に甘えている。

 

「次の用務は、カシス神殿の神官だったな?半ザン後だったか」

 

「は、そのとおりです。

 流行り病の予兆について話があるとか。また医薬品の調達についての嘆願もある、と」

 

「20タルザン()だけ休もう。そなたも休憩だ、別室で楽にせよ」

 

 砂時計に目を移し、公女は次の用務との間隔を考えて休憩をとることとし。

 傍づきの文官にも休ませ、人払いをした。

 

 小姓が、既に準備してとろ火で保温されていた飲み物を杯に注ぎ彼女に恭しく供し、部屋の隅にひっこむ。

 彼女はいそいそと、その飲み物を口に含む。舌にひろがる、爽やかながら強い渋味。

 

 赤豆湯(バンカム)*1

 南方ランダーギアの大商人から輸入したというその黄褐色の飲み物は、刺激的な酸味と渋味に加え、雑味もあり。

 彼女も初めて婚約者に勧められて口にしたときは、パロの高位貴族たちに人気だと聞いても騙されているのではないかと半信半疑だった。

 

 しかし飲むと気分が爽快となり、思考が冴え疲労が癒えるという代えがたい効用を知り。

 飲みすぎを避けるよう注意され(午後に飲むと眠れなくなることがあるという。もっとも婚約者自身は飲みすぎのように思えた)、非常に高価なのもあって。

 1日には午前に小さい杯に1杯のみ、と自分で自分に厳しい決まりを課しているが。

 この1杯を飲むひとときが、最近の彼女にとって他に代えがたいやすらぎの時になりつつあった。

 

(これを奴、アルゴンのエルにも飲ませてみたいものだ)

 

 ふと、そんなことが頭によぎる。

 きっと、初見の自分と同じように。

 草の汁かよ飲めるのかこんなもん、などと目を丸くするだろうか。

 ひょっとすると既に聞き知っていて、より美味しい飲み方を指南してくれようとするだろうか。

 

 「氷の公女」の二つ名のように、常々は冷たい表情を崩さぬ彼女の頬にやわらかな笑みが浮かび。

 奥に控えた小姓は、その心酔わせる笑みに思わず目を奪われた。

 

 しかしその視線に気づきもせず、彼女はふう、と息をつき。

 今出来した手紙のこと、そしてその送り主のことに思いを戻した。

 

 ──────

 

 公女が到着した時点では、市民蜂起の気運が高まり、一触即発の状態にあった首都クリスタルが。

 ここしばらく急速に治安を回復し、人心の安定をみている直接の原因は、もちろん公女による軍規のひきしめと治安回復である。

 しかし、そもそも公女がその2つの施策に資源を集中できる体制が確立できているのは。

 パロの民衆の支持を集め、隠然とした力を有するクリスタル公アルド・ナリスの協力によるところが大きい。

 

 公が協力してくれることとなり、政治的摩擦は抑え込まれ、また的確な献策により済民面の進展も著しい。

 無理ではないか、と思っていた戦時損害の補償も進みはじめている。

 

 そして。

 パロ側の有力者との面会や細作からの情報などから知れた、市井の噂だが。

 彼ら、パロの市民たちからみると。

 ナリス公は、いまだかつてみたことがないほどに──そんなことがありうるとすれば、先王の治世下におけるより精力的に、──まさに水を得た魚のように生き生きと政務に取り組んでいる、という。

 

(公が敵国であるモンゴールに協力し、その能力を惜しみなく振るっている理由。

 そして公女がモンゴールのこれまでの野盗のごとき行動をあらためさせた、その理由は。

 公が公女にお互いに好意を持っている──もっと言えば公と公女が相思相愛だからなのではないか)

 

 そう、彼らクリスタル市民は誤解しているようなのだ。

 

 数週間前になってしまった、あの仮面舞踏会。

 ナリス公と彼女の邂逅の一幕は、風流と典雅に慣れた彼らパロの上流市民たちの目からも印象的であり。

 そう、それがまるで物語の一幕のように感じられたらしい。

 

 そしてあの場に居合わせた者たちから、口伝てで話は市井に広まり。

 公女とナリス公との恋の噂が、そこかしこでささやかれている。

 

 もちろんパロの伝統を重んじる市民たちからは、容易に受けいれられるものではなく。

 公が乱心しているとみる者や、公が公女に脅され、やむなく協力しているのだ、とみている者が多い。

 しかし公女の施策が今のところ(前と比べ)良い結果を生みつつあることもあり。

 そのような者たちにあっても、積極的にではないが肯定的に受け止める者が増えつつある。

 少なくともかつてのような、市民蜂起の危機は遠ざかっている。

 

 また、モンゴール騎士たちとクリスタル市民の関係もかなり改善されている。

 かなり珍しいとはいえ、治安維持にあたるモンゴール騎士と、地元の娘がぎこちなくもういういしく言葉を交わす場面や。

 仕事あがりのモンゴール女官(数はごく少ない)に、遊び人のパロの男(相当な強心臓のつわものである)が声を掛けるさますらもみられるようにすらなった。

 それは、ひとえに人々の支持をあつめるナリス公が、公女への好意を憚らず表明した影響だ。

 

 ──これらすべては、まあ、いいことなのだろう。

 ただ、これらの好ましい影響の出発点。

 すなわちナリス公の公女に対する好意と貢献は、なんらかの勘違いに基づくものだと彼女は考えている。

 

 こうして離れている間ですらも、ほとんど毎日、いや下手をすると一日二通。

 公から恋文とみまごう(いやここは、正直になろう。恋文にほかならない)便りが送られてくる。

 もちろん実務的にも要を得た報告、連絡となっているが、そのはしばしに、中原中央の蜂蜜(フナンガ)、北方の楓糖(アケルサカルム)、南方大陸の糖稷(サルカラ)のごとく甘い言葉がちりばめられているのだ。

 

 在京中は、語るに及ばず。

 もちろん、施政上の必要もあってのことだとはいえ。

 ナリス公は、ほとんど日参の勢いで公女に面会を求めてくるのだ。

 ──時には花を持ち、時には先の赤豆湯(バンカム)のような珍品をたずさえて。

 

 公女自身は公には敵意はもちろんなく、彼の多大の貢献には感謝もしている。

 施政上の必要もあり、彼女は公を婚約者というだけでなく、共同統治者として厚く遇することとした。

(また公女がそうして公を重視したことが、誇り高く排外的なパロの民衆の心をやわらげる効果をもたらした。

 ただしタイランら、モンゴールの反ナリス派の反発の慰撫と説得には並々ならぬ努力を要した。)

 

 ただ彼女が得たいのは、とある傭兵(アルゴンのエル)の心あるいは心臓であり。

 公に対する感謝はあれど、本当の意味で契りを結ぶつもりまではないのだ。

 中原一の貴公子とも呼ばれる公は、外見など悪魔的なまでに美しい。

 ただ公の美貌は彼女の趣味ではなく、男性としての彼に対する興味はない。

 

 それはきっと公も同じだろう、と彼女は当初思っていた。

 公の理想であるともいわれる、あの月の妖精のごとき可憐なリンダ姫とは、公女はかなり違っている。

 モンゴール人の例にもれず体格はやや大柄。馬の手綱や槍の柄に親しんだのびやかな手足には、なめらかな肌に包まれてはいるが鍛えられた筋肉。しかも氷の公女と称されるように、常々は無愛想。

 胸や腰もおそらくはパロ貴族の目からは下品なほど大きく、パロでもてはやされる柳腰のたおやかな淑女像からはほど遠い。

 

 ──きっと公は、武家の田舎娘である彼女自身になど関心はない。

 だから婚約といい結婚といっても、形だけのもの。

 白い結婚で終わって、そのうち婚約破棄なり結婚破棄なりに至るであろう、それまでのかりそめの関係だ。

 

 そう、公女は思っていたのだが。

 その予想は、少なくとも現時点では外れてしまっている。

 こうも言葉を尽くされ、事あるごとに髪をなでられうっとりとした目でのぞき込まれ歯が浮きそうな甘言を呈され唇を求められると、彼女もようやくわかりはじめた。

 公は本気だ──いや、正確に言えば──自分では本気だと思い込んでいる、と。

 

 最初は、冗談であろう、あるいは何かの謀略のつづきか、と思った。

 事実、あのヤヌスの塔で仕物にかけられた(ようなものだ)ときまでは、ナリス公は底に秘めた敵意を取り繕おうともしなかったし。

 彼の側近の聖騎士候も、刺すがごとき敵意に満ちた視線を彼女に送っていたものだ。

 彼の護衛や部下たちも、その聖騎士候ほど露骨ではないとしても、似たりよったりだった。

 

 しかし。

 何がどうころんだのか、ナリス公はあの夜から変貌し。

 妙な皮肉めいた言辞を弄することも少なくなり(ないとは言わない)、まるで彼女に恋しているかのような言動を示すのだ。

 彼の側近たち、あの聖騎士候(敵とはいえ、彼女自身は彼、ルナン候のことをパロ人にはめずらしい朴訥な人柄だと好意的に思っている)も、ナリス公の言動に振り回され、おろおろと狼狽している。

 

 その困惑と苦渋は、彼女も共有するところなのだ。

 事実、ナリスの言動に途方に暮れたおももちの聖騎士候と、同じく困惑しきった公女は、稀に視線を交わし。

 お互いに、どこか心を通じる感覚を覚えてすらいた、──頼むだれか止めてくれ、と。

 護衛や部下たちの目にうかぶとまどいも、演技には到底思えない。

 

 公の豹変の契機は、あのヤヌスの塔での対峙。

 あのときに、何があったというのだろうか?

 まだ時間があるかな、と砂時計に目をやった公女は、赤豆湯(バンカム)をもう一啜りし。

 あのときのこと、その後のことを思い返してみる。

 

 ──────

 

 彼女には今でも、あのときのナリス公の意図がつかみかねている。

 古代機械を見せられ、そして閉じ込められ、脅され、なんらかの薬を盛られたが、──

 

 ただ、そもそもあの脅しは本気ではなかったのだろう。

 彼女を本当に脅すことだけが目的なら、パロの秘中の秘である古代機械をわざわざ見せる必要はない。

 一流の剣士として知られる公の剣の腕は、おそらく公女を凌駕する。

 何らかの意図があったのは確かだが、──頭の良すぎる人の考えることは我ら凡人にはつかめぬな、と公女は自嘲混じりに思う。

 

 何やらよくわからない男女論も諭された──これは、今でも意図が不明だ。

 公が本当にそう思っていたのか、何らかの牽制だったのか。

 ただ公の言葉には、彼女の背を押してくれる内容も含まれていた。そのことに彼女は今では深く感謝している。そうそう、あの傭兵(アルゴンのエル)めの心の臓を取らねばならないのだ。

 

 そして何かの薬を用いて心の中を訊きだされてしまった──考えてみると、豹変の理由はこれなのかもしれない。

 彼女の大事なものを聞き出し、いざというときの報復を決めてそれを質に入れた。

 だから彼女が彼を裏切れないと安心でき、信頼を置くようになった、ということか?

 

(いや、それも違う)

 

 たしかに彼は、人を容易に信頼できない性質(たち)のかもしれない。

 お家騒動の敗者側である王族の子という生まれ。両親は不仲で母には愛されなかったと聞く。

 そうした、彼の生育過程で経験したであろう逆境や。

 対等に話せる相手が見出しにくいほどに秀でた頭脳のための孤立。

 そうしたことのゆえ、彼が今は皆に愛されているようでいても、そのだれも信じることができない孤独を胸に抱いている可能性がある。

 彼女自身も経緯や程度こそ異なれ、従軍暮らしが長く、同年配の同性の友人ができず孤立感を味わうこともあった。

 

 ただ、みたところ彼が本当の意味で信頼できている者(あの聖騎士候とか)もいるわけだし。

 だいたい、単に信を置くというには過ぎた行動をナリス公は公女に対して示している。

 

(何かを契機とした勘違いであろうが、──駄目だ、見当がつかぬ)

 

 あの美麗な婚約者のことを考えると眉間にしわがよりがちになる。

 公女はこめかみを片手ではさんでもみほぐしながら、またとりあえず赤豆湯(バンカム)をひと啜りし。

 婚約者の謎の豹変の理由を考えるのを諦め、古代機械の水晶の檻から彼女が解放された後のことに思いを寄せる。

 

 あのとき彼と彼女は、口頭で即席の協定を結んだ。

 ・彼と彼女は、結婚を前提に婚約する。

 ・彼と彼女は、婚約期間中、パロ統治と復興のために協力する。

 ・彼女はパロ侵略について遺憾の意を示して謝罪し、戦争被害の実質的な賠償に努力する。ただしこれはあくまで公女の一身限りの非公式なものであり、公式のものではない。

 

 協定を結んだ後、彼女は来たときと同様、一人で自分に割り当てられた邸宅に戻り。

 フロリーに迎えられて、泥のように眠った。

 たしかフロリーに問いただされた記憶がある。賭けは勝敗なしだ、自分はこうして無事に戻ってきた、そして公は確かに仕物にかけるつもりだったようだ、だが話はまとまったから手出し無用と伝えた。

 フロリーはすごい形相をしていたな、と彼女は思い出し。思わず、苦笑いを浮かべる。

 

 その後は、言うまでもない。

 ナリス公は彼女の想像を超える影響力を発揮し、わずかな期間のうちに対パロ関係での政治的な課題の多くが片付いた。

 むしろカースロン一派など、モンゴール側の緊張の方がまだ強く残っている状態。

 

 さて、あのカースロンはどう処遇すべきであろうか。

 パロ市民と接触する部署は不適任。かといって閑職に追いやるほどの余裕はないし、本人が不善を成しかねない。

 もっとも彼は、最近新しく買った女奴隷にうつつを抜かしていて。

 政務に身を入れずタイランとの確執を深めているが、その反面、積極的に良からぬ行動もしなくなっていると聞く。まあ、褒められたことではないが──

 

 ──────

 

 はて、つい思いにふけってしまった。

 公女は大型の砂時計を眺め、わずかにため息をつく。

 ヤーンの時とルアーの時の半分に至るまで、つまり次の面会の予定までは4分の1ザンほどあるが。

 休憩時間は、もうそろそろ終わりだ。

 公女は最後の赤豆湯を名残惜しげに飲み干し、仕事モードに復帰すべく姿勢を正して手紙を再度手に取り、末尾を読み返す。

 

”追伸。仮に本日ドライドンの刻までにクリスタルに戻ることができたら、貴女の姿を目にする栄誉を得たい。

 思えばこの3日間、貴女の姿をみることができず私は砂漠の旅人のごとく渇いている。できれば軽く食事など、──”

 

(そうか。食事は軽いものでよいのだろうな。

 婚約者殿は非常に小食で強い酒も肉も好まれないし、好みに合う決まったものしか食されない)

 

 そう、彼女は算段をつけ、休憩を終えて戻り、待機している文官に手配を依頼する。

 

(それにしても、このような凪の関係はいつまで続くのだろうか)

 

 お互いにパロ統治の協力関係は結婚まで、としている。

 彼女自身は、彼女の父であるヴラド大公が、結婚が成立するや否やなにか仕掛けてくるだろう、と読んでいる。

 パロ統治の正当性が手に入れば、ナリスのような策謀家を生かしておくことは危険だからだ。

 このことは彼にはまだ警告していない。彼も当然に読んでいるとは思うのだが。

 

 同時に彼女自身も、彼に暗殺される危険のあることは承知している。

 公女と結婚しモンゴール継承権を得たら、ナリスは能力的にも立場的にもミアイルの有力な対抗馬となりうる。

 ヴラドが、存命中にナリスへの大公位継承を許すことなどありえないが。

 ナリスが、ヴラドの腕の届かない立場になったとき(つまり第三国に脱走、あるいはパロ独立後)、モンゴールに対し介入する口実にできる。まして、ヴラド死後なら。

 

 さらに。

 パロ国内も、一枚岩ではない。

 ナリスはパロの人民に人気が高いが、あくまで王位継承権者としては第3位。

 第1位のレムスを支持する勢力など、対抗勢力の存在も、決して無視はできない。

 そしてナリスが勢力を拡大することは、レムスの支持者には好ましからざること。

 またモンゴールへのパロ市民の反発は弱まったとはいえ、侵略されて大きな損害を受けたのは事実。

 軍部を中心に、モンゴールからの武力闘争での独立回復、徹底的な報復を求める者たちも存在していることは想像に難くない。

 融和的な公を公女とまとめて始末しよう、などと考えることもあり得よう。

 

「受付より、カシス神殿長がご到着とのこと」

 

「5ザン後に、お通しせよ」

 

 これからの嵐を、予感しながらも。

 休憩を終えた公女は、文官に促され、次の政務に心を切替えたのだった。

 

*1
偽イシュトの中の人の前世でいえば、コーヒー豆を用いた飲料である。もっとも焙煎しないので、かなりの苦みがある。捏造設定。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。