(仮)豹頭王の物語の一登場人物に憑依する話。 作:Marchhatter
〇第三者視点です。
(偽イシュト視点)
「おう兄弟。まさか杯を断るなんぞ、言わんよな?」
「お、おうよ兄弟。飲みに来たんだしな」
僕の言葉に、そう強面の男が返す。
よかった。この人が覚えてるかどうかわからないけど、さっきは路地で殺気を飛ばしちゃったしさ。悪いことをした。すまぬ。
僕の中の真イシュトヴァーンはこの人のこと嫌いみたいだけど、僕としては別に恨みはない。だって知らない人だし。友好的に行こう。
僕がじたばたしたせいか、なんとか真イシュトがひっこみ、僕がある程度コントロールできるようになった。
だから僕はちょっとソフトに対応してあげようと心がける。ただ場所が場所だけに、言動はやや真イシュト寄りで荒っぽい。でもまあ仕方ないよね。
「『俺はここに飲みに来た』、いいこと云うねェ!
仲良くやろうぜ、俺の名は、ヴァラキアのイシュトヴァーン!」
「お、おれの名はブル──こほん、あー、──ブルホーン」
「ほう。ブルホーンか。いい名前じゃねえか兄弟!」
変わった名前だなー、と思ったけどそこには突っ込まない。
ところで、仲間たちがいたよな、と視線を戸口に向ける。固唾をのんで立ち尽くすごろつきたち、だが僕が微笑みかけると、如実に顔色が悪くなったように思えた。
「そっちのお仲間さんは、どうだい」
「い、いや今日は」「また来るっす」「すんませんでした!」
仲間たちが去っていくのを、ブルホーン氏は目が飛び出しそうに見開いてみつめてる。
あー、そうだよな。盛り上がってるところに途中から参加で、知ってる人いなくて。
そのうえ仲間がいない、となるとアウェイ感あるよな。
せめて僕とグインとで、もてなしてあげないと。
さあさあさあこちらに、と壁際の、グインの横の席に安置。
本当なら3、4人掛けの席なんだがグインが2人分はとってるので、グインとブルホーン氏だけが並ぶ形になる。
厚遇をしめさなきゃな、地元の話も聞きたいし。そう、看板娘の一人、ミリア嬢のこととか。
地元の人間であろうブルホーン氏は、貴重な情報源なんだ。
──────
グイン・サーガ第12巻「紅の密使」。
正直、ミアイルの死ぬ「紅蓮の島」ほどじゃないにしてもトラウマ巻の一つだよなー。
時間軸は、おそらく今から2~3か月後くらいじゃないかと思う。
それまでの原作の流れね。再確認も入っちゃうけど。
①再確認だけど、ミアイル暗殺。アムネリスとアルド・ナリスの結婚直前だ。
なぜかナリスは弟のマリウス(アル・ディーン)にこれを命じ、マリウスがこれに逆らっている間にパロの魔道士ロルカがさくっと殺してしまう。これには間に合わせないと!
そろそろアムネリスがアストリアスをよこしてくれてるかもな、待たせないように急がなきゃ。
②次がアムネリスとアルド・ナリスの結婚。いわゆる「死の婚礼」ね。
ミアイルの暗殺とほぼ同時刻。公女アムネリスとクリスタル公ナリスは結婚するが、クリスタル公ナリスは身代わりを立てる。そしてその
なお実はモンゴール(ヴラド大公側)も
他方でリーナスらは
③レムスとリンダのアルゴス到着・滞在、レムスの出陣
レムスとリンダは、アグラーヤの助力を得て、グイン・イシュトヴァーンとともにアルゴスに到着。
イシュトとリンダはいちゃつきながら、3年後に迎えに来ると約束していったん別れることになる*3。ただリンダはこれが訣別になると予感する*4。
レムスは、アルゴスの援軍とともにマハール・オアシスから出陣。だがパロの軍政の責任者ベック公とアルゴスの黒太子スカールは2万の軍とともに姿をくらまし、パロとの間に位置する強国カウロスを突破するルートでなく、天山ウィレンと呼ばれるウィレン山脈を越えるルートを選択する。
グイン・イシュトヴァーンは、アルゴスを発つ。イシュトヴァーンは東の沿海州へ向かう。
④カースロンの裏切り
カースロンは、リナという名の女奴隷に身をやつしたリギアに籠絡され、アルド・ナリスに教唆されて裏切りを決意する*5。
⑤ヴァーレン会議とミリア死亡
アグラーヤの首都ヴァーレンで開催された沿海州の有力者たちによる会議*6。
それと並行して、モンゴールの密偵レグルスが暗躍。モンゴールと近いライゴールは、レンティア、イフリキア、トラキアの折るロック伯夫人、ヴァラキアの公弟オリー・トレヴァンらと謀って、ボルゴ・ヴァレンを暗殺し、ヴァラキアでクーデターを起こす(ロータス・トレヴァーンを幽閉し、オリー・トレヴァーンが即位する)という合意の連判状を託され、モンゴール本国に持ち帰ろうとする。
しかしレグルスは重傷を負い死亡し、旅籠で同室だったイシュトヴァーンにこの密書を託す。イシュトヴァーンは当初、言われたとおりこれをモンゴールに持ち込もうと考えるが、自分の顔が割れていることを恐れ、アルゴス経由でパロのクリスタルのアルド・ナリスに伝える。
なおうみねこ亭のミリアは、イシュトヴァーンがモンゴールの間者と疑われて逃亡する際に、馬の手配などを行ったが、お礼に渡されたモンゴールの水晶符からモンゴールの一味と疑われ、アグラーヤの兵士に殺される*7。
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さて、僕がどうにかしたいと思ってたのは⑤。いや、ヴァーレン会議なんぞどうでもいいんだ、ミリアを死なせたくない。
ただ僕はアグラーヤ人じゃない。時期的にも、ミリアの死亡時期より前。それにイシュトは過去にヴァーレンには何度も寄港したけれど、うみねこ亭の現在の事情なんかわかるわけない。
ちなみにこのミリアも、自称によればイシュトヴァーン顔負けの死亡フラグ運搬娘なんだ。でもほんまもんのイシュトに比べれば死亡フラグの積載力が足りなくて(?)、不幸になってしまう。
またもともとアグラーヤ兵に殺される前の段階でも、ブルスというたちの悪い地元のごろつきに気に入られて、なんか不幸そうな運命を予感させてた。
だからさ、このミリアさんをどうにかするために地元の人の話を聞かなきゃって思ってたんだ。その点、このブルホーン氏は理想的。
(うみねこ亭の女給さんに聞いたら、一方的な話になるし、さ?中立公正な第三者の情報は大事だよね?)
それにもしかするとブルホーン氏、ブルスを知ってるかもしれない。同じような稼業だしさ。
そしたら話が早い。もしかすると敵対してるってことかもしれないし。
だとしたら、ちょっと事情を打ち明けて協力を申し出てもいいと思う。
そういうわけで、僕は彼の目をのぞきこみ。
おそらくはグインに怯えてか外の霧雨で冷えたかで震えている彼をなだめながら、僕の狙いをつたえてみるのだった。
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(ブルス視点、アグラーヤ、ヴァーレン、うみねこ亭、夜)
「おう兄弟。まさか杯を断るなんぞ、言わんよな?」
「お、おうよ兄弟。飲みに来たんだしな」
(断ったら、どうなる?いや、断れねえよ)
ブルスは、心から後悔していた。
部下を連れて、時間をおいて訪れたうみねこ亭。
そこに、彼がもっとも会いたくない連中がいたのだ。あの、長身の水兵と、巨体の傭兵。
うみねこ亭自体は、最近見なかったほどのなかなかの繁盛ぶり。船乗りたちが来ている。
酒場部分の中央部分の卓が除けられて空間が開き。壁の一方には、乱暴に人型が書かれ、ナイフが数本突き立っている。中の一本は、稚拙に書かれた目に突き立っている。
その目の部分に当てたのは、この目の前の水兵風の男らしい。
「『俺はここに飲みに来た』、いいこと云うねェ!
仲良くやろうぜ、俺の名はヴァラキアのイシュトヴァーン!」
「お、おれの名はブル──こほん、あー、──ブルホーン」
とっさに、偽名を名乗る。その方がいい気がした。
「ほう。いい名前じゃねえか兄弟!」
相手は、ひどく機嫌が良さそうにニコニコしてる。顔だけは。
周りの荒くれた船乗りどもも、多分いい感じに酔ってるなと思ってるんだろう。
だけど、ブルスにはわかる。こいつは、全然酔ってなんかない。声の底に、殺意がある。ヤべぇ、逃げてえ。
「そっちのお仲間さんは、どうだい」
男が声をかける。明らかに、底にねっとりと殺意を秘めた声で。
気になって振り向くと、連れてきてた仲間が去っていくのがみえた。しまった、取り残された!
「ブルホーンさんよ。ちいっと話を聞きたいんだよな。
ほら俺、ここらへんのことはわかんなくてよぉ?」
「な、なんで俺に」
「ああ?ブルホーンさんよ。お前さん、この地元の男だよな?」
「まあ、そうだが」
「あいにくさ、俺たちゃあ船乗り、天下無宿の流れ者なのさ。
ほらよ、人を刺そうが殺そうが、3日3晩でみつからなきゃあ、どこぞに流れて無罪放免。風に吹かれる根無し草なんでさ──そうだよな、海の兄弟たちよ!」
「「「おうよっ、海の兄弟!」」」
その場に集まった有象無象の連中は、水兵姿の男の呼びかけにやんやと声を上げる。
こいつらも酔ってる。船乗りは気風も荒いし腕っぷしも強いやつが多い。それが結束してて、このやりとりを見守ってる。逃げられない。
「だからさ、色々教えてほしいんだよ!ブルホーンさんや。
ほらほら、ただとは言わねえ。けち臭いことは云わねぇぜ、酒はこっちもちな。ほら、壁を背にした上席に座ってくれよ。姉さん、一番強い火酒だ!そう、なみなみ注いでやんな。
──お近づきのしるしに、乾杯!」
「「「「「「乾杯!」」」」」」「お、おう、乾杯」
飲める気分ではなかったが、彼は唇を付けた。
隙をみて逃げたいが、彼は壁を背にした席にいて。
その片側はこのイシュトヴァーンと名乗る男の連れらしい巨体の男が黙然と座っていて、ふさがれている。
ブルスも体は大きいが、この男は別格だ。とても勝てるもんじゃない。
そしてもう片側は開いているのだが、イシュトヴァーンと名乗る水兵風の男がブルスの向かいでなく、退路を容易にふさげる側面の席に移ってきてしまったので。
彼は、逃げるに逃げられない状態にあった。
水兵風の男の目がじっと、ブルスが掲げた杯に口を付ける様子を見まもっている。
ダメだ、干さなかったらどんないちゃもんを付けられるかわかったものではない。
ブルスは覚悟を固め、杯を干した。喉を焼く、火酒の味。一拍遅れて、腹がかっと熱くなった。
船乗りたちが喝采し、また仲間内の雑談や食事に移り、こちらへの注意が緩んだ。ただ、イシュトヴァーンと名乗る男だけは、しつこく彼にまとわりついている。
「おお、飲めるねぇ。そんなちんまい杯じゃあ、足りねえよな!
さあさあ、俺たちもグインの兄貴と同じ奴で行くよな。な?」
フードを被ったままの巨漢は、グインという名らしい。
その手元には、ヴァシャ酒がみたされた口径20タルゴルばかりの深鉢がある。普通なら、
そっと横目でうかがいみると、フードの影から黄色い目が彼を見返した。
フードの影にけだものに似た異形を認めた気がして、ブルスは背筋が冷たくなり、またイシュトヴァーンの方に目を向けた。
「さあさあ、ブルホーンの兄い。ぐっと干して!
それでな、かの鋭きドライドンの槍先にかけて、相談したいことがあるんだ。
──全然脈がないのに、好きな女をしつこく付け回す男がいるとするよ。暴力的で、下手に断ると店を打ち壊したりするかもしれねえ。──どうする?」
「どうする、って云っても」
「ま・さ・か!無理やり自分のものにしよう、なんてこたぁ、しねえよな、ブルホーンさんなら!
でもよ、そんな奴がいるらしいんだな、これが。そして俺ァ、そんな奴が海ケムシよりも嫌いなんだ。
だからさ、そういう奴がいるって話を小耳にはさんでさ、どうしてやろうかって思っててさ」
あ、これはミリアと俺のことだ、とブルスは気づく。
聞き耳を立ててる女給たちが、ブフォッと吹き出しそうになるのを、彼は遠目に認めた。
畜生、ここを脱したら絶対あいつらにヤキいれてやる、と彼は思うが。
まずはこの窮地を逃れねばならない。
「さて、──軽くヤキを入れて思い知らせる、とか?」
「そうだよな!たださぁ、軽くで済ませるかい?
まあ、仮にだよ、仮に。
大事な俺の女に手をだし。危害など加えようもんなら。
鼻を削ぎ、耳を斬り、目をえぐり、指の爪を一本一本剥がし、──」
「あ、ああ、当然だ、当然だよイシュトヴァーン」
ブルスは、脂汗が目に入ってしみるのを覚えた。
だからひたすら愛想笑いをする。相手を肯定する。
ただそれが、わざとらしく見えたのかもしれない。相手の眼が、ちゃんと聞いているのか、といわんばかりに覗き込む。
「当然だよな、ブルホーンさんはできたお人だ、よくわかってるぜ!
まあ、すぐこの地を逃げて二度と姿をみせねえ、ってんなら。
俺も鬼じゃあないからな、追いかけてって殺すことまではしねえかな」
「そ、そうか」
「たださ。思い知らせてやるのは必要じゃないか?
とりあえず叩きのめして、体中の骨を折ってやるか、と思ってたんだ」
ぐびり、と相手も火酒を飲む。
つい気が緩みそうになったところで、イシュトヴァーンと名乗る相手は身を乗り出して顔をぐっと近づけ。
他に聞こえないくらいのささやき声で、しかし腹にずっしり来るような低音で、ブルスにささやきかける。
「もしかすると、さ。お前さん、ブルホーンさんよ。
このあたり、詳しいんだろ?知ってたら、教えてくれねえか」
「な、何をだ」
「その、俺がぶちのめしたい相手さ!居所とかさ。
たしかな、名前はブルス、だったかな。ミリアって娘にまとわりついてるとか聞いたんだ」
「ぐぉっ」
「大丈夫だ、殺しはしねぇさ。
死んだ方がマシっていう目に遭わせるだけだ──知ってるだろう?」
「あ、ああ、知ってる」
「教えてくんな。──ほら、そんな震えてどうしただブルホーンさん。
濡れて冷えちまったか?火酒をあけるといいぜ、ほら、ぐぐっと」
「あ、ありがとう。だがな、そいつも結構強いやつで」
そう言いかけて、ブルスは後悔した。
「強いのか?ハッ、おもしれえ」
黒曜石の眼が、輝いた。身のすくむような殺気が、放たれた。
「そうだな、──やっぱり決闘ってのが楽しいかもな!ほら、立会人付けて、膝を互いに縛り合わせてさ!
俺も腕試しになるし、決闘だったら合法的に堂々とぶっ殺せる。官憲も何も云えねぇ」
「そ、そうだな、お前さんはきっと勝つよ」
「当然じゃねえか!
たださ、まあ殺してもいいんだけどよ。
その前にどつきまわして、本当に悔い改めたんなら生かしてやってもいいかなって。俺、結構優しいからさ。──どう思う?」
「そ、それがいいかもな、官憲もうるさいしな」
「だがよ、官憲も迷惑してんじゃねえの?知らんけど。
ちょっと確かめてみて、悔い改めねぇクズならぶっ殺しちまうかな」
ブルホーンさんも、一緒にやんねえ?名前が似てて迷惑するだろ、と。
いかにも虫をひねりつぶすような気軽さで、イシュトヴァーンと名乗る水兵は云ったが。
その目は、ぎらぎらと光りながらブルスに据えられていた。
まちがいない。これは警告だ。
「イ、イシュトヴァーンさん」
「なんだ?ああ、呼び捨てでいいって、俺たちもうマブダチだろ、ブルホーンさんよぉ!」
「イシュトヴァーン、その、だな、──ブルスといったか、その悪い男が」
「おう」
「もし、追い払っても戻ってくるようなら?」
「そりゃなー、殺すしかねえよな。
そういう奴なのか?だったら、きっちりぶち殺す。後顧の憂いなしってやつだ」
「い、いや、そういうわけじゃない、──と思う。
やっぱり、追い払って済むと思う」
「戻って来るかもしれねえんだろう、ブルホーンさんよ」
「いや、きっと二度と戻らない。そうだ、きっとそうだと思う」
「そうかー。あー、ひょっとして、親戚か兄弟とかか?名前似てるしな。
「そ、そうなんだ。いつも迷惑うけてしりぬぐいしてるんだ。
でも仕方ねぇさ、あいつは悪い奴だし、ハハ」
「だよなー!可哀想にな、わかるぜ!
ほら、火酒だ火酒。嫌なことは、酒で忘れるに限るさ!」
無理やり、火酒を流し込まれてブルスはぐるぐる頭が回ってくるのを覚えた。
まっすぐに座って頭をあげておくのすら、困難だ。
「それでよ。迷惑かけられてんなら、やっぱ殺しといてやろっか?
俺、これでも暗殺の真似事くらいはできるんだ」
一時期、そういう仕事もしてたしな。もうやるつもりはないけど、と遠い目をして言っている。
たぶん、本当にやってたんだろう、とブルスは悟った。
「で、できるのか、すごいな。でもな、そうだな、──」
「でもな、親戚ってんならいきなり殺すのを見守れってのもなんだよなー。肉親の情ってやつがあるだろうし。
じゃあ、伝えといてくれよ!もしここらで見かけたら、ぶっ殺すって。
何か月かおきに、またマメに来るつもりだしさ。知り合いも何人かできたんだ、こっちに」
「あ、ああ」
「そうだ、言いにくい伝言頼むからには謝礼もほしいよな。ほら!これでどうだ」
「あ、ありがとう」
「いーっていーって!俺とブルホーンさんの仲じゃねえか!」
地獄だ。絶対こいつは、彼をブルスと知って嬲ってる。
幸いにも、逃げて戻らないならいいと言っていて、逃走資金をくれた。まあまあの額。
これを吞んで従えば、生命まではとらねえ、ってことだろうな。
しかし逆らったら、絶対殺される。それも、残虐に。まちがいない。
「今日は、ごひいきに!──あれ?」
店の経営者のガル爺が、盛況になってる場にあいさつに来た。こっちを見て、けげんそうにしてる。
女給どもが、また笑いを押し隠そうとしてプークスクスと漏れ笑ってる。腹や口を押えて身を曲げてる。
「おう、料理人さんか?超美味いぞめっちゃ旨いぞ、今日の料理!
そうだ、酒ばっかりじゃアレだよな。こっちのブルホーンさんにも、何か作ってくれよ!」
「あ、わかりました。でも、ブルホーンじゃなくてブル「あー!ああああー!イシュトヴァーンさん!俺、もう、その、用足しに行かなきゃ、漏れる!
それに、用事思い出して!すまねえイシュトヴァーンさん、ブルスには云っとく!また!」」
ブルスは、逃げた。
火酒を飲まされすぎて、地面が揺れて思えるが、必死に逃げた。命のために、逃げた。
金を入れた腹巻が落ちた気がしたが、もうどうでもよかった。
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──────
(第三者(偽イシュトヴァーンほか)視点)
「え?おい!ブルホーンさんや、落とし物だぜ!」
大男の行動に、イシュトヴァーンはあっけにとられ。
ぐでぐでに酔って剃りあげた頭まで赤くなった大男の背中に、よびかけるが。
大男はよほどに切羽詰まっていたのか。ふらつき、いろいろなものを落としながら、戸外に消えていく。
あー、ちょっと飲ませすぎたかな。デリケートなことを聞いたり頼んだりするから、お礼のつもりで飲ませたんだがもしかするとあんまり好みでなかったのかな、とイシュトヴァーンの中の現代人サイドの意識はすこし申し訳なく思った。
「ああ、いっちまった。よほど切羽詰まってたんだな!
またこれ、ブルホーンさんがきたら渡しといてくれっか」
「あたしが預かるわよ、イシュトヴァーン!」
女給の一人が笑いを押し隠しながら、預かる。
(ちなみにこのイシュトヴァーンについてた女給の名はミリアというのだが、たまたま名乗る機会がなく、イシュトヴァーンはそれと知らなかった。ただ、胸の形が結構好みだったので、視線は多めに向かっていた。)
──なんでかな、俺って面白いこと云ったかなー。なんで女給たち、みんな笑ってるんだろう。
あー!こういうとき落としたらそれは落とした奴がマヌケで、店のものになるのかな?
まあいい、それならそれでもいいか、とイシュトヴァーンは思い。
懸案がひとつ消えて、肩の荷が下りるのを感じ。
よし、後は楽しくやってもいいよな!と考えて、真・イシュトヴァーンに統制権をわたす。
真・イシュトヴァーンは、やはりこの雰囲気に上機嫌であり。
こんどはコロ振りでもやろうぜみんなで!と提案し、地元の旦那衆や船乗りたちに圧倒的支持を受けて熱戦をかわし、親交を深める。
そのようすをグインは、微笑ましく見守っていた。
「グイン、お前はいいか?ヤーンの野郎をしばき倒そうぜ!」
「ああ、俺はいい。楽しんでくれ」
イシュトヴァーンの誘いに、そう答えたグインは。
彼に付いてくれている、確かにちょっと彼好みの小柄な女給に小声で尋ねた。
「もし間違っていたら、教えてくれぬか。──さっきのブルホーンだが。
あれが、もしかしてブルスという男だったのではないか?」
「はい。あれがブルスです。すぐ殴る男で、私たちみんな嫌がってたんです。
ミリアさん、──あの腹帯を預かった方が、特にしつこく付きまとわれてました」
「そうか。だが、もう来そうにないな」
「そう思います。もともとは、小心者なので」
どうしてイシュトヴァーンがブルスとミリアのことを知ったのかは、わからない。
おそらく別行動をしていたときに、たまたま王宮の下級兵士とかから聞いたのだろうな。
まったくあいつは地獄耳だからな、とグインは思う。
イシュトヴァーンがコロ振りで勝利を重ね、調子に乗って唄を歌ってあまりのヘタクソさに笑われている。
「天は二物を与えず」だな、とグインは思った。ただ、自分も唄が上手いのか下手なのかよくわからない。
「グインさん、振らなくてもいいんですか」
「ああ、構わぬ」
「つまらなく、ないですか?」
「そんなことはないぞ。美味しい食事もできた、酒も悪くない。
こうして見ているだけで楽しいのだ。
──そしてそなたとも話すことができたのだし」
「あっ」
「?どうした」
春から働き始めたばかりの女給は、最初はなんとなくこの男の人大きくて怖そうと思っていたのだが、グインの言葉に胸がときめくものを感じた。
しかしブルスのことはやすやすと見抜いたグインは、この手のことには朴念仁であり。
あくまで庇護者の気分で、己に向いた矢印に気づいてもいなかったのだった。
「やったー、取ったぞ!ガルの爺さん、みんなに1杯ずつ、俺のおごりで!」
うみねこ亭の夜は、にぎやかに過ぎていった。
──────
他方。
命のためにふらつきながら逃げた彼、ブルスは、部下どもをしかりつけることもなく、有り金をまとめて逐電した。
おそらくは隣国に逃げたのだろう、彼の姿は二度とヴァーレンでは目撃されなかった。彼の部下たちも、ある者は船乗りになり、ある者は沖仲仕となり、ある者は別のごろつき集団に吸収された。
ちなみに、一説によると。
運河の傍に彼がよく頭に巻いていた巾が落ちていたことから、足を滑らせて溺れてしまったのかもしれないとも噂された。ただ、死体も出なかったので、真偽は不明である。
ともかくその後の、彼の足取りを知るものはいない。
(覚書)パロの王位継承権
パロの王位継承権は複雑怪奇なルールがあるようだ。
レムスは生きている限り唯一正当なパロの帝王であるとされている(第10巻「死の婚礼」同21頁、ヴァレリウス発言)。だが、それが意味するのが、王位継承権がもっとも高いというだけなのか、文字どおり唯一なのか、という点の記述は揺れている。特に、リンダの王位継承権については謎が多い。
①レムス「だけ」が王位継承者だ、と述べる記述として、以下のようなものがある。
「王女である《予言者》リンダと唯一の正当なパロの王位の継承者、王子レムスだった」(第2巻「荒野の戦士」88頁、地の文)、「いまやただひとりの、パロの王位継承者、世継の王子レムス」(同112頁、リンダ発言)、
②リンダが王位継承権を有すると述べる記述として、以下のようなものがある。
「いまやパロの聖王家の唯二人の継承者である、《予言者》リンダと世継の王子レムスが」(第2巻「荒野の戦士」196頁、ただしイシュトヴァーン発言)、「わたしが万一王座につくときの夫にして摂政役、王位の第三継承者たる諸侯中の諸侯」(同199頁、リンダ発言)、「第一、第二王位継承者たる双子の真珠も、行方不明」(第7巻「望郷の聖双生児」39頁、スカール発言)、「わたしは中原でもっとも古い王国パロの王女にして第二王位継承者、そして《予知者》なのよ」(第9巻「紅蓮の島」236頁、リンダ独白)、「私はパロ、聖王家の王女、第二王位継承者、リンダ・アルディア・ジェイナ」」(同242頁、リンダ発言)
③アルド・ナリスの王位継承権の順位については、第3位・第4位の異なる記述がある。どうやら亡き王妃をカウントするかどうかで第3位か第4位かと別れるようだ(第6巻「アルゴスの黒太子」57頁、ベック公発言)。
・第3位説・・「王位の第三継承者たる諸侯中の諸侯」(第2巻「荒野の戦士」同199頁、リンダ発言)、「リンダとレムスのいとこにして、パロの第三王位継承者たる、クリスタル公アルド・ナリス」第6巻「アルゴスの黒太子」148頁、地の文)、「わたしは、王位継承権からいえば、亡くなられた王妃は別にして、レムス王子、リンダ姫、ナリス公、その弟君、とつづいて、五番目ですからね」(第6巻「アルゴスの黒太子」51頁、ベック公発言)。他に、第8巻149頁、第15巻54頁(ナリス発言)。
・第4位説・・「国王の従弟にして第四位の王位継承者たる、アルド・ナリスの顔を知らぬものがいようか。」(第6巻「アルゴスの黒太子」17頁、地の文。なお『国王の従弟』と記述されているが、『国王の甥』なのではないか?)
・第2位説?・・前述の②のリンダ発言からして、リンダは単独で王位に就くことができるが、ナリスがリンダと結婚すると第一王位継承権者となるとも記述される(第10巻「死の婚礼」同21頁、ヴァレリウス発言)。意味はよくわからない。「第一と第二王位継承権をあわせることができる」(第15巻54頁、ナリス発言)、「私と彼女の結婚は、第一、第二の王位継承権をひとつにする。」(同60頁、ナリス発言)等も同様。「アルド・ナリスは、第二王位継承権者にして摂政たるクリスタル公にふさわしく」(第16巻195頁、地の文、なおレムス即位前で、その前の194頁にはレムスをさして「パロの王位継承者」とするナリス発言がある)。
④ベック公は第5位であるが、マリウス(アル・ディーン)を第5位とする記述もある。この点は、③のベック公発言のように、亡王妃を継承者として数えるかどうかによるのかもしれず、そうだとしたら矛盾はない。
・ベック公第5位説・・「わたしは、王位継承権からいえば、・・・、五番目ですからね」(第6巻「アルゴスの黒太子」51頁、ベック公発言)
・アル・ディーン第5位説・・「ナリス殿下には、一人、弟がおりました」「ひとつ違いで、むろんひとり身で――しかし、その公子は、ずいぶん前にパロを出奔してしまいました。パロにいたところで、クリスタル公になれもせず、まして第五王位継承者ではあってなきが如きもの」(第7巻「望郷の聖双生児」72-73頁、マリウス発言)
⑤ナリスと結婚した場合のアムネリスの王位継承権について
これも2説ある。ヴァレリウスは否定説、レムス・ルナン・ナリスは肯定説。王族であるレムスやナリスの情報が正しいはずだが、ヴァレリウスも博識だからなー、と考え始めるとわけわからないことになってしまう。ただアムネリスが王位継承権を得られると考える者は外野の者が多くまた初期の記述に多い。ルールの後だし変更があったのだろう。
・否定説・・「パロ王家の聖なるおきてにより、パロの国王たるものは、その王妃として、必ず血縁の姫を迎えなくてはならぬ。モンゴール公女がクリスタル公妃となれば、血縁たるアルゴス王家や沿海州の国々、あるいはケイロニアとはことなり、それだけでクリスタル公はパロ王たる資格を失われることになります」(第10巻「死の婚礼」22頁、ヴァレリウス発言)
・肯定説・・「仮にそれまでにナリスとモンゴール公女の婚礼がおこなわれてしまったところで、単にモンゴール公女はベック公と並ぶ第四王位継承者になるだけの話だ。」(第7巻「望郷の聖双生児」同202-203頁、レムス発言)、「ナリスさまと婚礼をあげてパロの王位継承権をえた上で、ナリスさまを亡きものにしあの娘をパロの女王にしたてようというモンゴールのみえすいたたくらみ」(第8巻「クリスタルの陰謀」同210頁、ルナン発言)、「おおむね、公女がパロの王位継承権を得たら」(第10巻「死の婚礼」42頁、ナリス発言)、「おまえの夫になればパロの王位継承者になれる、そいつを考えねえわけにゃいかなかった」(第11巻「草原の風雲児」47頁、イシュトヴァーン発言。血縁者でなくても王位継承者となれると誤解している?)