弥生賞に向けたトレーニング。今回はアストンマーチャンと一緒にトレーニングをさせてもらっている、のだが。
「う~ん、やっぱりマーちゃんじゃちょっとキツいね~」
「いやいや! こうやってトレーニングさせてもらっているだけでも!」
「別に嫌味とかそういうのじゃないよ。適性的なお話ね。マーちゃんはどう頑張っても、マイルが限界の子だから」
距離適性の関係上、アストンマーチャンとトレーニングをするのがキツいというか、あまりよろしくない状況になってきていた。こうして手伝ってもらえるだけでもありがたいのだけれど、トレーナー側からしたらよろしくないらしい。
「適性が違うのに一緒に走っても、変な癖がついちゃうからね。特にスプリンターだから、ペース配分が狂う可能性も十分にあるわけだ」
「それは、まぁ……分かります」
「これまではマイルだからなんとかなってたけど、流石に中距離以上になるとマーちゃんじゃ厳しいかな。ごめんね?」
「いいえ! 先ほども言ったように、協力してくれるだけでもありがたいですから! いや、もう本当に! いつも助かってます!」
頭を下げて謝るマーちゃんのトレーナーさんだが、協力してもらえるだけでもありがたいことだ。文句を言う筋合いはないし、あれこれ言う権利なんてものはない。むしろ感謝してしかるべきである。
ただ、マートレさんの言うことも一理ある。アストンマーチャンにも自分のレースがあるわけで、そちらに集中する必要がある。それがG1の高松宮記念ともなればなおさらだ。
弥生賞は2000m、高松宮記念は1200m。中距離と短距離、区分が違う。通常のトレーニングをする分には構わないが、流石に併走となるとダメだろう。お互いに不利益しか被らない。
(それでもこうして手伝ってくれるのだから、本当に良い人だな)
年中着ぐるみで誰も中身を見たことがないって評判だけど。些細なこと……些細なことと思うようにしよう、うん。
とにかく、今の状況だと基礎的なトレーニングが精々で本格的なものはできない、ということだ。朝日杯までは何とかなったけど、今後距離が伸びていくにつれてできなくなっていくだろう。
三冠後は短距離路線にシフトすれば、アストンマーチャンに合わせることができる。だが、それはできない。
「そもそもの話、ホノイカヅチちゃんは短い距離が苦手そうだしね~。いつかは直面する問題だったと思うよ」
「まぁ、そうですね。マイルがなんとか、本命は中距離ってところでしょうか?」
「僕も同じ予想。長い距離もどうかな~って感じかな」
ホノイカヅチは短距離が得意ではない。これまで何度か練習で走ったことがあるが、短距離戦がてんでダメなのだ。切れ味鋭い末脚を持っているのに、これは意外な結果である。
ただ、どのウマ娘にも得意な距離と苦手な距離、バ場が存在している。こればっかりは仕方ないことだろう。むしろ、ダートは走れそうな雰囲気があるのには少し驚いた。芝とダートの二刀流なんてかなり稀なのに。
俺とマートレさんの予想では、ホノイカヅチはマイルから中距離をこなせるウマ娘で一致している。対してアストンマーチャンは短距離とマイルの純スプリンター。これから先のレースを考えると、被ることはほぼない。
着ぐるみの方からため息が聞こえる。マートレさんのものだ。
「う~ん、僕の伝手もあるにはあるんだけどね~」
「伝手、ですか?」
「うん。それこそホノイカヅチちゃんの距離区分にドンピシャな子がいるんだよ。向こうも乗り気になってくれるだろうし、こっち側に問題はないと思う」
頼れる伝手があるらしい。そこまで頼りにさせてもらうのはどうかと思うし、マートレさんにも悪いから断ろうとする。
「そんな、悪いですよ。ただでさえ今もお世話になっているのに!」
マートレさんはずっと唸っていた。問題があると言っていたが、その問題が根深いのだろうか。
ひとしきり唸った後、意を決したようにマートレさんが名前を口にする。乗り気になってくれる協力者の名前を。
「ジェンティルドンナって子なんだけどね。協力は」
「じぇじぇじぇ、ジェンティルドンナさんッ!?」
「うわっ!?」
名前が出た瞬間、それまでトレーニングしていたホノイカヅチが弾かれたようにこちらを振り向いた。表情は驚愕と怯えで染まっており、今まで見たことがないほどの青い顔でがくがくと震えている。というか、聞いたことがないような大声を出すものだから少しビビってしまった。
トレーニング中なのに、ホノイカヅチは膝をついて縮こまる。耳を塞ぎ、身を守るように丸まってしまった。いや、名前を聞いただけでそれって。
「ままま、まさか、ジェンティルドンナさんを呼ぼうとしているんですか!?」
「いや、協力してくれそうな子の名前を挙げただけなんだけど……嫌なの?」
さすがのマートレさんもこの反応は予想外だったようで、明らかに戸惑っているのが分かる。着ぐるみなのに分かるのはよっぽどだ。
嫌なの、という言葉に高速で頷くホノイカヅチ。残像が見えるほど早く振ってるってことは、よっぽど嫌なんだろう。何をされたんだろうか彼女に。
「むむむむむ、無理です無理です! 絶対に無理です! オイラとは合わないです!」
「う~ん、ジェンティルさんは悪い方じゃありませんよ? マーちゃんが保障します」
「そ、それは分かってます。分かってるんですけど……っ!」
わなわなと震え、どうして嫌なのかの理由を説明しだすホノイカヅチ。その理由というのは。
「じぇ、ジェンティルドンナさんは自分にも他人にも厳しいってもっぱら評判です! そんな人、オイラを褒めてくれないに決まってます!」
「あぁ、うん」
なんというか、ホノイカヅチらしい理由だった。
ジェンティルドンナは自分に厳しく、他人にも厳しくすると噂になっている。あくまで噂だから真偽のほどは定かではないけれど、そんな噂が立つくらいだ。トレーニングもきっと厳しいものになるだろう。
厳しいだけなら耐えられる。だが、ホノイカヅチにとっては褒められない環境というのが耐えられない。褒めてちやほやしてもらえないなら、できる限り距離を置いておきたいというのが彼女の考え、なのかもしれない。
ジェンティルドンナをよく知っているアストンマーチャンがフォローをするけど、ホノイカヅチは聞く耳持たず。
「そんなことないと思うのです。頑張ったら頑張った分だけ褒めてくれるのです」
「と、とにかく嫌です! オイラの方が先に持ちません! 絶対に嫌です!」
断固拒否の姿勢を示す。よっぽどジェンティルドンナに苦手意識を持っているのか、一緒にトレーニングは断固反対とばかりに拒否していた。
思わずマートレさんと顔を見合わせる。
「……どうします?」
「どうするもなにも、この調子じゃダメだね~。一緒にトレーニングはできても、ホノイカヅチちゃんの精神衛生上よくないよ」
「同意です。ここまで嫌がると、流石に」
揃ってため息を吐く俺とマートレさん。マートレさんが危惧していたのはこれだったんだろう。唸っていた理由も今ならば分かる。
実際に会ってみないことには分からない。もしかしたらホノイカヅチが理解を示してくれて、ジェンティルドンナとトレーニングをすることができるようになるかもしれない。
けど、そこに至るまでの道のりを考えたら首を縦には振れない。ホノイカヅチがここまで怯えているのに、無理やり合同トレーニングさせたらかえって悪影響だ。もうすぐクラシックだというのに、それは避けたい。
最終的に、ジェンティルドンナを呼ぶ案は却下。アストンマーチャンとのトレーニングを継続することで決まった。弥生賞については追々考えるということで。
「他にも伝手があればよかったんだけどね」
「本当にお気持ちだけで充分ですから、今でもかなり助かってますから」
それに、ホノイカヅチはアストンマーチャンに気を許している。これまでの付き合いか、はたまた最初からか。精神を安定させたままトレーニングができている。
(それでも、中距離に向けた対策も考えていかないと。いつまでもお世話になるわけにはいかないし)
ひとまず行動しよう。そう決意した。
◇
来るべき弥生賞に向けて、また今後のために新たな練習相手の確保に動いたわけだけど。
(同世代の子は受けてくれないよな、多分)
ホノイカヅチは現状、クラシックの最有力候補。得るものも多いだろうが、失うものもある。そんな相手との練習を受けてくれるとは思えない。なので、同世代の子達は真っ先に除外だ。
それに、ホノイカヅチ自身の問題もある。彼女でも気兼ねなく相手ができて、なおかつ押しが強すぎない子が望ましい。あまり強いと委縮してしまうから。
仲良しな相手が一番なんだけど。
(ホノイカヅチの交友関係、謎だからなぁ。同室のマリちゃんの話はたまに聞くけど、それっきりだ)
これもまた謎。ホノイカヅチ自身が話さないので分からないのが現状。聞くのも憚られるし、触れていい部分でもない。学内で見かけた時も基本1人で行動しているから余計に謎だ。
どこかにいないだろうか。ホノイカヅチと知り合いで、なおかつ中距離が得意で、仲良くしてくれそうな同期じゃない子は。
「我ながら高望みしすぎだなコレ。そんな都合の良い相手がいるわけないか」
「あ、あの~……」
「しかし、本当にどうするか? 弥生賞までもう日がないし、早い段階で何とか」
「あ、あの!」
「え? って、うわ!? い、いつの間に!」
どこからか声が聞こえたので振り向くと、1人のウマ娘が立っていたので思わずのけ反ってしまう。ま、全く気付かなかった。
さらに、声をかけてきた相手も相手だ。白いベールにセミロングの栗毛、この子は。
「あ、貴方は、ホノイカヅチさんのトレーナーさん、ですよね?」
「そうだけど、どうして君が?」
スティルインラブ。メジロラモーヌに続く2代目のトリプルティアラウマ娘であり、気づけばトゥインクル・シリーズから忽然と姿を消していた、謎多きウマ娘。そんな彼女が声をかけてきた。
どういうことだろう。ホノイカヅチのトレーナーであることを確認してきた、ということは。
「その、人伝にホノイカヅチさんの練習相手を探している、と聞きまして」
やっぱり、ホノイカヅチ関係か。それにしても、スティルインラブと面識があるなんて。
おずおずと遠慮がちな様子を見せている。それでも、覚悟を決めたとばかりにこちらを見据えて。
「私でよければ、お力添えできないかと。トレーナーさんのご了承もいただけましたし、後は貴方の判断を仰ぐだけです」
練習相手に立候補してくれた。あのトリプルティアラウマ娘が、である。
(もしかして、仲が良いのだろうか?)
正直戸惑いの方が強い。どうして君が、なにもお返しできないのになんで、と口を開きたくなる。
けれど、あれこれ理由を聞くのは後だ。今はとりあえず。
「本当に良いのか? あいにくと、こちらからお返しできるものは何もないけれど」
「はい。ホノイカヅチさんとは普段から仲良くしているので、少しでもお力添えができればと」
彼女の厚意に甘えるとしよう。理由については追々聞いていけばいい。
早速顔合わせ。スティルインラブの顔を見ると、ホノイカヅチは嬉しそうな声を上げた。
「あ、す、スティルさん……!」
「微力ながら、手伝いに来ました。私なんかがお力になれるかは分かりませんが」
「ふ、フヒヒ……! スティルさんの協力、オイラ嬉しいですっ」
かなり仲が良いらしい。スティルインラブもホノイカヅチも、お互いに握手したりして喜んでいた。
仲良しな2人をしり目に、俺はスティルインラブのトレーナーさんへと頭を下げる。
「ありがとうございます。俺じゃ何も返せないのに」
「ううん、珍しいスティルの頼みもあったからね。君が気にする必要はないよ」
サングラスをかけたスティルインラブのトレーナーは朗らかに笑っている。本当に、中央のトレーナーは良い人ばかりだ。
「クラシック三冠が目標、なんだよね? 菊花賞は無理だけど、ダービーまでなら対応できる。これからよろしく頼むよ」
「は、はい! 本当にお時間が空いてる時で大丈夫ですので!」
「うん、時間が空いてる時は手伝うよ」
お言葉に甘えさせてもらう。弥生賞はもうすぐだ。
ホノイカヅチに怖がられていることを聞いたジェンティルさんがむっとしている可能性が微粒子レベルで存在している。