旧理科準備室。松葉杖で身体を支えているキャプテントゥーレが、アグネスタキオンと対峙していた。キャプテントゥーレの表情には申し訳なさが、アグネスタキオンの表情には心配が色濃く出ている。
「すいません、タキオンさん。ケガには気を付けた方がいいって口酸っぱく言われてたのに、結局はこのザマです」
「……それよりも安静にするべきだ。具合は?」
「1年はかかるって、医者が。ダービーはおろか、菊花賞も年内復帰も無理です」
さらに顔つきを険しくさせるアグネスタキオン。可愛い後輩のケガ、加えて自分にはどうにもできない歯がゆさを抱えていた。
ケガの恐ろしさはよく知っている。アグネスタキオンの引退理由もまたケガだからだ。キャプテントゥーレもバツが悪そうに顔を逸らしている。
「自分なりに、頑張ったんですけどね。それでもまだ、アイツには届きませんでした」
「スタンドから見ていたよ。君の激走は見事だった、気迫は私にも伝わった。だから」
「ありがとうございます。だけど、事実届かなかったんですよ。ホノイカヅチには」
皐月賞の勝ちウマ娘。3回挑んで3回とも敗北を刻まれた、世代の最強ウマ娘の名前。
「アイツは強かったです。アタシも覚悟をもって臨んだ、絶対に負けられないって覚悟で挑みました。それでも、アイツの覚悟には届かなかった」
「……覚悟、か」
「いや、アイツからしたら覚悟でも何でもないんでしょうね。当たり前のことを当たり前にやっている、それだけなんですから」
自嘲気味な笑みを零す。けれどもどこかすっきりしたような、そんな表情だった。
ホノイカヅチはただ強かった。どれだけリスクのある選択だとしても迷うことなく突き進み、勝つためならば危険な道すら厭わない覚悟。キャプテントゥーレも負けない覚悟を持っていたつもりだったが、ホノイカヅチはさらに数段上をいく覚悟を持っていたのだ。
しかも、それは当人にとって覚悟でも何でもない。できることをやる、やらずに後悔するぐらいなら押し通す。たったそれだけの話。
「自分が甘かった。全部をかけていたつもりだったのに、アイツを見たら全然そんなことはなかったと思わされました」
「トゥーレ君」
「慰めは大丈夫です、タキオンさん。ひとまずケガを治して、リハビリして。また再出発しようと思います」
今回の敗戦を踏まえて、それでも前向きに進もうとしているキャプテントゥーレ。ならば何も言うまいと、アグネスタキオンも口をつぐんだ。
去り際。最後に忠告だけを残していく。
「スカイに伝えてください。オマエも本気で行かないとホノイカヅチに飲まれるぞ、と」
「……分かった。ちゃんと伝えておくよ」
「それじゃあタキオンさん。また、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げ、キャプテントゥーレは旧理科準備室を去る。彼女が去った後、アグネスタキオンは椅子の背もたれに体重を預けた。
(さて、どうしたものかね。ホノイカヅチ君の強さは分かっていたとはいえ)
「今のスカイ君でどこまで立ち向かえるか。次のNHKマイルカップもそうだし、考えることは山積みだ」
「……スカイさんの、ことですか」
旧理科準備室の扉が再度開けられる。入れ替わるようにこの部屋のもう一人の住人、マンハッタンカフェが入ってきた。
入室してすぐにコーヒーの準備をし、ソファへと座り込む。そんな同居人の姿を一瞥したアグネスタキオンは、すぐにPCへと視線を向けた。
「そうとも。NHKマイルからの日本ダービー、いわゆるMCローテというやつだ。スカイ君はこれに挑戦する」
「ギムレットさんが、代表的な例、ですね。それが、なにか?」
「なぁに。NHKマイルはさほど心配はしていない。初のG1だし、緊張もあるだろうが、スカイ君なら勝てると踏んでいる」
将棋ソフトを立ち上げ、COMと対戦をする。唐突に、普段はやらないようなゲームをだ。
(何故、将棋ソフトを?)
偶然PCの画面が見えたマンハッタンカフェは奇怪な目を向ける。アグネスタキオンがなにを考えているのか、分かりかねている視線だ。
そんな視線を受けてもどこ吹く風。自分のペースを崩さないアグネスタキオン。
「問題は日本ダービーだ。ダービーに関しては、勝つのがとても難しい」
「……どうして、ですか?」
「知っているだろう? ホノイカヅチ君の存在だ」
ホノイカヅチ。その名前には当然聞き覚えがあるマンハッタンカフェ。今トゥインクル・シリーズのクラシックをざわつかせている新星だ。
冷静沈着・迅速果断のレース運び。皐月賞まで5戦5勝の無敗であり、次の日本ダービーでもダントツの1番人気が予想されているウマ娘。名家の権威を復活させつつある存在。必殺仕事人とまで言われる徹底っぷりは、学園中にその名を響かせていた。
「あの方、ですか。確かに、あの方は、強いですね」
「あぁ。ホノイカヅチ君に関してはどうしようもない。現時点でスカイ君が挑んでも勝つ可能性は限りなく低い」
アグネスタキオンの言葉に目を見開く。ディープスカイを溺愛している彼女がネガティブな発言をするなど、信じられないことだった。
贔屓している後輩よりも実力は上と取れる発言。ホノイカヅチはそれだけの実力を持っている。そう思うには十分すぎる言葉。
いまだ将棋ソフトと対局を続けているアグネスタキオンに、ホノイカヅチの詳細を尋ねる。
「その、根拠は? そこまで言う、根拠は、なんでしょうか?」
「総合値が高いのもそうだが、彼女の強さを支える根幹の部分。ずば抜けた判断力だ。彼女は特にこれが優れている」
対局の片手間に言葉を返す。レベルは最高難易度だが、質問に答えるぐらいには余裕があった。
「皐月賞を見たかい? カフェ」
「……あいにくと。その日は、用事が、ありましたので」
「なら、映像を見るといい。その方が早いし、なにより分かりやすい」
なお、映像を用意する気はないのかそれ以降なにも喋らなくなったアグネスタキオン。仕方ないと思いつつも、マンハッタンカフェは自身のスマホから動画サイトを開く。
ホノイカヅチの皐月賞の動画を開き、映像を見る。目に飛び込んできた光景に、マンハッタンカフェは言葉を失った。
「ッ、凄い進路を、取りますね。ラチの上を、走っているようです」
「そうだろう? 彼女曰く、トゥーレ君が外に膨らむのを確信していたらしい。いやはや、確信していたとはいえ、普通そんな場所を走るか? と言いたくなるような場所だよ、まったく」
もっとも、マンハッタンカフェが気になったのはそこだけではない。レースの流れそのものも素晴らしい。
位置取りに一切の淀みがない。冷静に、迅速に、確実にポジションを奪い取る。動作の1つ1つが美しく、思わず感嘆の息を漏らしてしまうほどの出来。無駄が一切ない。
映像だけで理解した。なぜアグネスタキオンが勝つのが難しいと言ったのかを。
(これは、確かに、厳しいですね。あまりにも、完璧すぎる)
「皐月賞で、これですか。では、この先は」
「基礎能力が上がるから、当然これ以上の強さを発揮する。幸いにもマイル路線は狙わないらしいが、ダービーでは必ずぶつかる」
わずかなイラつきがあるのか、椅子のひじ掛けで指をトントン鳴らしている。今も必死に対策を考えているのだろう。結果は、言うまでもない。
「ホノイカヅチ君に勝つのは難しい。なぜならば、彼女は当たり前のことしかしてこないからだ」
「……感情による末脚の爆発、激しい闘争心の発揮、撹乱による乱れ。それらがない」
「そうだ。当たり前のことを当たり前にこなしてくる。おまけに彼女はメンタル強者、ここまでブレたことは一度もない」
普段のオドオドとした雰囲気とは真逆のレーススタイル。二重人格と言われても疑わない。そう語るアグネスタキオン。
ただ、マンハッタンカフェは気づいていた。それは、ホノイカヅチのとある弱点である。
「……けれども、予測はつきやすい、はずです。なぜなら、彼女は」
「あぁ、そうだとも。彼女はとても分かりやすい」
同意するように声を上げる。将棋ソフトの対局は最終局面、アグネスタキオンが詰みの状況まで持ってきていた。
「彼女のレースは常に最善手だ。最良の判断を迅速に下し、それを実行する。言い換えればそれは、次にどう行動するかが読みやすいということだ」
「……常に、最善手。リスクのある、選択を、しない。それは、とても、読みやすい」
ホノイカヅチの弱点。彼女は博打に出るような真似はしない、ゆえに手が読みやすい、ということだ。
正確無比にレースをコントロールするホノイカヅチ。ただ、そのコントロールが完璧すぎるあまり次の一手が読みやすいのがある。皐月賞は別としても、彼女の次の行動は予見しやすい。それが2人の意見だ。
「彼女のレースはAIさながらだ。正確に次の一手を打ち、リスクのある選択肢を徹底的に排除する。その結果残った最善の選択を取るからこそ、彼女の次の手は読みやすい」
「先行の、レーススタイル。本当に強いウマ娘しか、勝てない走り」
「対策をすれば対策を取る。確かにそうかもしれないが、対策され続ければキツいことは間違いない。全てが間違っているわけじゃない。だが」
対局を終えたアグネスタキオンがマンハッタンカフェへと視線を向ける。
「ここで厄介なのが、あの判断力だ。どれだけマークして攪乱しようが、彼女は今の戦略が間違っていると判断したら即座に切り捨てる。新たな最善の選択肢を一瞬で見つける」
「……弱点に、なるものを、より強固な、強みで消している」
「その通りだカフェ。ほぼほぼ隙がない、強いて言うなら闘争心の欠如によって爆発力がないが、地力が高いから関係ない」
ホノイカヅチは弱点となるものを別の強みで上書きしているのだ。完璧ゆえに次の手が読まれやすいという欠点を、ずば抜けた判断力で別の最善を即座に取るように。闘争心がないから爆発力がないという弱点を、圧倒的な地力によって帳消しにしているように。
それはつまり、ホノイカヅチには弱点となるものがほぼ存在していないことになる。
「異常だよ、本当に。ここまでの完成度になるまで、どれほどの時間を費やしたのやら」
「……でも、嫌いでは、ありませんよね? この前も、一緒に、話して、いました」
「それはそうだとも! 確かにスカイ君の強敵になるのは間違いないし目の敵にしてはいるが、彼女の理論は素晴らしい! 私としてもひっじょ~に興味があるのさ!」
楽しそうに語るアグネスタキオンに鬱陶しさを感じるマンハッタンカフェだが、内心ではホノイカヅチの強さに畏怖の念を抱いていた。
(徹底した、仕事ぶり。なにより)
「……いいえ、まだ、分からない。でも、きっと、答えはすぐに」
「何がだい、カフェ? なんの答えだい?」
「秘密です」
「え~!? 教えてくれても良いだろ~!」
ダル絡みするアグネスタキオンを引きはがしていると、また旧理科準備室の扉が開けられる。
「よーっすタキオン! いるかー?」
入ってきたのはジャングルポケットだった。興味がそちらに向いたのか、マンハッタンカフェは解放される。
「なんだいポッケ君。なにか用かい?」
「いやさ~、俺が面倒見てる後輩がようやくデビューまでこぎつけそうでよ~。ここまで長かったぜ」
「そうかい、そいつはおめでたいね。まぁウチのスカイ君はもうNHKマイルに出走しそうだけどねぇ!」
「ハッ! 今に見てろよタキオン! 秋になったら強くなるってナベさん言ってたし、そっから逆転してやらぁ!」
騒々しくなる旧理科準備室。鬱陶しさを感じつつも、マンハッタンカフェは笑みを浮かべる。
「ホノイカヅチ、さん。会って、みたいね」
2人には聞こえない声で、そう漏らした。
◇
同時刻。トレセン学園の三女神像前にて。
「ホノちゃん人形の新バージョン追加ですよー! 皐月賞制覇記念の限定バージョンですよー!」
「今ならマーちゃん人形もあるよ~。アストンマーチャンをよろしく」
皐月賞制覇記念のホノちゃん人形を手渡している御幸トレーナーの姿があった。なお、たづなさんに見つかったことで連行されていた。
マートレと関わった結果こんなことになったトレーナー。