皐月賞と同じ晴れ空。東京レース場本日のメインレース、日本ダービーは良バ場での開催となった。
前週開催のオークスはまたも波乱の決着。人気上位3人のウマ娘が全員掲示板外に沈む、桜花賞と同じような結末になった。クラシック三冠の盤石ぷりとは違い、ティアラ三冠は大荒れに次ぐ大荒れ。この対称的なレースの結果に、ファンはいろいろと楽しんでいた。
「オークスはまた波乱だったな~。でも、今回のダービーは!」
「これはもうホノイカヅチの勝ちで決まりでしょ! 今回も勝ってくれるわ!」
「崩すのが難しいからな~。こりゃ、他の子達はかなり厳しいぞ」
日本ダービーの1番人気はやはりホノイカヅチ。皐月賞でキャプテントゥーレを半バ身差で下し、クラシックの冠を手にしたウマ娘。
冷静で知的。普段の態度からは想像もできない冷たいレース。ギャップにやられるファンは多く、今は大勢のファンが彼女のレースを楽しみに待っているのが現状だ。
クラシック三冠も夢ではない。かの英雄に続く三冠ウマ娘、それも無敗の三冠として名を残すことになるだろう。それほどまでに期待されていた。そんなホノイカヅチは、4枠7番の出走だ。
ただ、周りのライバル達も黙ってはいない。特に今回注目されているのは、NHKマイルカップを制したディープスカイだ。
「でも、ディープスカイも楽しみだよな。大王以来の変則二冠、期待しちゃうよな~」
「前走の走りで東京は走ったからな。走ったことがないホノイカヅチに比べれば幾分か有利だ!」
「それにアグネスタキオンの弟子なんだろ? タキオンが取れなかった、走れなかったダービーの冠、取ってほしいよな」
トゥインクル・シリーズに名を残す変則二冠の大王、彼女と同じ功績を残せるか。超光速の粒子と呼ばれたアグネスタキオンの忘れ物を取り戻しに行けるか。ディープスカイにかけられる期待も大きい。本レースの2番人気、しかも絶好の1枠1番である。期待を寄せられていた。
日本ダービーで特に注目されているのはこの2人。とはいっても、ホノイカヅチが圧倒的な1番人気である。支持率で言えば、ディープスカイは大きく離されていた。
「全く、スカイ君のことを分かってないね。とはいっても、相手が相手だけにしょうがないが」
「完璧なプランニングで皐月賞を制したホノイカヅチ。それにここまで無敗だ、大きく離されるのも仕方ない」
「頑張んなさいよスカイ~!」
可愛い弟子が2番人気なことに少しだけお冠なアグネスタキオンだが、相手が悪いから仕方がないと割り切っている。ただ、この舞台で勝てばいいとも考えていた。ダイワスカーレットは体を整えているディープスカイに向かって応援の言葉を送っている。
鋭い視線を向けるアグネスタキオン。その視線はディープスカイだけではなく、ホノイカヅチにも向けられていた。ホノイカヅチはというと、静かにウォーミングアップをしていた。
(……用意は万端、ってことだね。全く、なんでそんなに変わらないのやら)
闘志は感じられない。あれほど強いのに、不思議とやる気を感じたことはない。生来の気質ゆえか、機械のような冷たさがある。
だが油断はできない。それが、ホノイカヅチというウマ娘の強さなのだから。
ファンファーレが響き渡り、ついに発走の時を迎えた。ウマ娘達がゲートへと向かい、走る準備を整える。
《晴れ空が広がります、少しずつ初夏の暑さを迎え始めてきた東京レース場。芝2400m、良バ場での開催となります。全てのウマ娘の夢ともいえる舞台日本ダービー。世代の頂点はここで決まると言ってもいいでしょう。注目を集めるのはやはり、無敗の皐月賞ウマ娘ホノイカヅチだ》
《皐月賞は見事な走りでしたからね~。ダービーではどんな走りをしてくれるのか? 非常に楽しみです。私イチオシのウマ娘ですよ》
《当然のような1番人気。続く2番人気にはNHKマイルカップからのローテ、MCローテで乗り込んできたディープスカイ。1枠1番と絶好の枠番に恵まれた彼女、どのようにレースを展開するか見ものです》
《かつての皐月賞ウマ娘、アグネスタキオンの弟子と呼ばれていますからね。師匠が走れなかった舞台で、弟子は輝くことができるのか》
最後のウマ娘がゲートに入る。観客席のざわついた喧騒は収まりを見せ、ゲートへと視線を注いでいた。
初夏の空気が支配する東京レース場。空気の支配から解き放たれるように、ウマ娘達を閉じ込めているゲートが開く。瞬間、一斉に飛び出してきた。
《最後のウマ娘がゲートに入ります。一生に一度の夢舞台日本ダービーが今ッ、スタートしました! 始まりました日本ダービー、最内枠ディープスカイは好スタートを切りました。誰がハナを取るのか? 真ん中からレッツゴーキリシマ、レッツゴーキリシマがぐいぐい押してくる。ホノイカヅチもまずまずのスタート、内を取りに行きたいところだ》
日本ダービー、開幕。誰がハナに立ってペースを握り、支配するのか。注目の一戦だ。
飛び出したのはレッツゴーキリシマ。皐月賞だけではなく、NHKマイルカップにも出走していた彼女は過密ローテでの参戦。このレースを支配するべくスタートした。
しかも、そのペースは尋常ではない。普通の逃げではなく、大逃げに分類されるようなペースで逃げていた。
《飛ばしていきますレッツゴーキリシマ。先頭を奪って勢いよく駆け抜けている。これはちょっとペースが早いんじゃないんでしょうか?》
《これはかなりのペースで飛ばしていますね。後続も離されまいと必死に追いかけています》
《第1コーナーまでの約350m、レッツゴーキリシマが早いペースで駆け抜けている。後続も必死に追いかけます、このペースで最後まで駆け抜けることができるのか?》
普段の逃げよりもさらに前へ。いつものペースよりもさらに速く。レッツゴーキリシマの頭にあるのはそのことだけだ。
(マークしたって無駄なんだ。だったら!)
無論、考え無しで走っているわけではない。これは今まで対戦してきたホノイカヅチのことを考えてのものだ。
ホノイカヅチ相手にマークをしても無意味。皐月賞で完璧に理解することができた。相手を崩すのは不可能に近いのだと。
ならば、自分の走りを貫いた方がいい。無意味なことを続けるよりも、自分の走りに注力している方がいい。勝つ可能性は後者の方がある、そう判断してのことだった。
はてにたどり着いたのが大逃げ。同じ位置での勝負よりも前で走り、追いつけないほど差を広げる。それが、レッツゴーキリシマが見出した勝利への道筋だ。
東京レース場を逃げで勝つのは難しい。でも、可能性がないわけじゃない。たとえ細い糸だとしても、賭ける価値はある。それだけの思いがあった。
他のウマ娘も同様だ。皐月賞よりもホノイカヅチのマークは緩んでおり、どちらかと言えば自分の走りに注力している子が多い。全くの0ではないが、ほとんどのウマ娘が自分のことだけに意識を割いている走りだ。
彼女らも薄々察していたのだろう。どれほどマークしようが無意味であることに、相手をすり潰すことは不可能に近いということを。これまでのレースから理解した。
相手への意識は最低限に、自分のことに思考を割く。それが、彼女達の見出した結論だ。
幸か不幸か、それはホノイカヅチに対する最善手でもある。
「ふ~ん、皐月賞よりもマークされていないね、彼女。なんでかな?」
「それは彼女の走りが受けの詰め将棋だから、だろうな。シービー」
「もっと簡単に言ってよルドルフ」
関係者が座る観覧席で、日本ダービーを観戦しているシンボリルドルフとミスターシービー。奥にはナリタブライアンがおり、歴代の三冠ウマ娘達が集結していた。
それだけではない。マルゼンスキーにカツラギエース、名だたるメンバーが集結している。やはり、ダービーというレースは特別なのだろう。彼女達も興味を惹かれてこの場で観戦している。
シービーの言葉に1つ咳払いをするルドルフ。少し考えんでいた。
「ホノイカヅチの走りは基本的に受けだ。相手の攻めに対し最善手を打ち、絡め手も何もかも封じ込めて」
「だからもっと分かりやすく言ってよ。小難しいこと言わないでさ」
「……ホノイカヅチは相手の手を見てから動くんだ。それが彼女の強みだからね」
分かりやすく説明しようとしても、どこ吹く風の相手に呆れた表情を見せるルドルフ。これが成立するのもまた、彼女達の仲の良さでもあるだろう。
「本来レースにおいて受けは不利だ。けれども、彼女は不利を覆す要素がある。それが」
「判断力の高さ、だね。彼女の判断力はトゥインクル・シリーズでもずば抜けている」
「あぁ。ホノイカヅチは取捨選択がとても上手い。どんなに自分にとって有利な状況でも、それが後に不利になるならば即座に切り捨てることができる。彼女の判断力は群を抜いているな」
「……フン」
称賛の言葉を贈る三冠ウマ娘の2人。ナリタブライアンは言葉にこそしないものの、ホノイカヅチに対して興味深そうな視線を送り、闘志を滾らせている。
そんな中、声を上げるウマ娘。カツラギエースは疑問を隠し切れない。
「つってもよぉ、あの子なんつーか、よく分からない子だよな」
「分からないって、何が? エースちゃん」
「走っててなんも感じねーんだ。冷たさ、っての? 闘志を全然感じねぇ。本当に同じウマ娘なのか疑っちまうほどに」
別にバカにしているわけではなく、貶したいわけでもない。ただ純粋に疑問なのだ。
「ホノイカヅチって子は強い。それは認める。だけど……その強さがちょっと異質っつーか」
「気持ちは分かるよ、エース。あの子の走りからは闘志を感じない、楽しいって気持ちが全然見えない」
「うーん……あたしも分かっちゃうかも。なんていうか、レース自体がそこまで好きじゃなさそうというか」
カツラギエースに同調するように、ミスターシービーとマルゼンスキーは口を開く。ホノイカヅチの強さは異質の強さであり、これまでの強いウマ娘の条件からは外れたウマ娘だと。
「関係ない。強いウマ娘はただ強い、闘争心など強い要素の1つでしかないだけだ」
「それはまぁ、そうだな。強いヤツは関係なく強い」
対するナリタブライアンは、闘志は要素の1つではなく、強いウマ娘の絶対条件ではない。あるとかなんとか関係ないと豪語する。その意見には同意するのか、3人とも頷いていた。
その中でシンボリルドルフは……静観。会話に混ざるのではなく、ホノイカヅチのレースそのものに注視している。会話は聞こえているのに、それ以上に興味を惹かれることがあるのか。
(……私ならばこの展開、後ろに控える策を取る)
そして、トレースしていた。あの場に自分がいたらどのように走るのか、彼女たち相手にどうレースを展開するかを考える。
(レッツゴーキリシマに引っ張られた先行勢はハイペースでレースを進む。これについていけば自滅は必至、最後の直線まで持たないことは自明の理)
それは、奇しくも。
(だからこそ8番手から13番手の位置。最後方には当たらない、かといって先行勢にも混ざらない絶妙な位置での勝負を仕掛ける。脚を溜め、それでいて最低限届く位置からの勝負を待つ)
現在走っているホノイカヅチ。彼女の展開しているレースと。
(差を詰めるのはバックストレッチの中盤。上り坂になることでペースが緩むこの瞬間に詰める。第4コーナーまでには5番手に浮上したい)
ほぼ、というよりは全く同じ。ホノイカヅチが思い描いている展開と同じ展開を、【皇帝】シンボリルドルフは描いていた。
《先頭は第1コーナーから第2コーナーのカーブへ入ります。レッツゴーキリシマがハイペースで逃げている。続くアグネススターチ、サクセスブロッケンにスマイルジャック。先行勢は早いペース、この先行勢にホノイカヅチの姿はありません。ホノイカヅチは前から9番手、中団に控えています。ディープスカイはその後ろ、ホノイカヅチをマークしている》
思わず笑みを零すシンボリルドルフ。同族を見つけたかのような感覚に、歓喜の感情を覚えた。
「嬉しそうな顔してるなルドルフ! ま、お前とレーススタイルが似てるからな、あの子。可愛く見えるのも分かるぜ」
「分かるわ~。ルドルフみたいだものね、ホノイカヅチちゃんは!」
「普段の態度は全然そんなことないけどね。この前会った時は子犬に嫉妬してたな~」
「……なんだそれは。どういう経緯があれば子犬に嫉妬するんだアイツは」
からかうような学友たちの言葉に、わざとらしく咳ばらいを挟むシンボリルドルフ。ただ、興味があるのは事実で可愛く思えているのも間違いじゃない。なので、強く否定はしない。
(しかし、彼女は今のレーススタイルをどこで見つけたのか。レースがそこまで好きじゃない彼女が、どのようにしてこの世界に挑もうと思ったのか……)
「気になるな、彼女が」
「──なにやら、楽しそうな話ですね」
この場にいない第三者の声。シンボリルドルフ達は弾かれたように扉の方へと目を向ける。
「ホノイカヅチの話が聞こえました。あなた方は、あの子に興味を持っているみたいですね?」
「おいおい、マジかよ……!」
「……ほう、こんなところで会えるとはな!」
カツラギエースが目を見開き、ナリタブライアンの闘争心が膨れ上がる。ミスターシービーは楽し気に、マルゼンスキーは懐かし気に笑う。かくいうシンボリルドルフもまた、驚きに目を見開いていた。
(彼女はさる名家の子とは知っていた。なら、必ずあの方と会ったことがある、とも。だがこれは)
「あの子のことならば、私が教えて差し上げましょう。あの子の走りはこの私──メイヂヒカリが叩きこみましたので」
メイヂヒカリ。ホノイカヅチにレースのイロハを教えた彼女が、関係者の観覧席へと姿を現した。
やはり特別なレースなのでね。ご当主様もウキウキで来ますよ。