メイヂヒカリ。菊花賞・天皇賞春・有馬記念などの大レースを制したトレセン学園のOG。末脚の鋭さは二代目三冠ウマ娘の【鉈の切れ味】になぞらえて、日本刀と称された名ウマ娘だ。
シンボリルドルフ達が抱いたのはまず、気品。ただ立っているだけで周りを圧倒するような、思わず美しいと言葉にしてしまうほどの容姿。無駄な箇所が1つもなく、非の打ち所がない完璧なプロポーションを誇っている。
圧倒される。かつて一時代を築いた伝説が自分の目の前にいる。その事実に、驚きと歓喜を覚えていた。
長い鹿毛の髪を揺らし、メイヂヒカリは凛とした態度でルドルフたちへと歩み寄る。視線の先にあるのは、ターフだ。
「良かったです。まだ序盤も序盤でしたか。全く、私1人でも大丈夫だというのに、お家の方は心配性なのですから」
「あ、あはは。それは仕方のないことかと。あなたは、それほどのお方なのですから」
頬を膨らませるメイヂヒカリに苦笑いを浮かべながら対応をするシンボリルドルフ。失礼のないように、対応を誤らないように慎重になっていた。
ただ、ここで動くのがミスターシービー。常識に囚われない、固定観念に縛られない自由人。
「メイヂヒカリさん。ホノイカヅチって子はどういう子なの?」
皆が聞こうと思っていたことを率先して聞きに行く。どう対応すべきか迷っていたシンボリルドルフ達は、ミスターシービーへ感謝の視線を送っていた。
シービーの言葉に悩む素振りを見せるメイヂヒカリ。どこから話したものか、と悩んでいる様子だ。
「そうですね……確実にいえるのは、とても臆病な子ということかしら?」
「臆病、ですか」
「えぇ。あの子は気が弱くて、自分を出すことが苦手なのです。いつもご両親の後ろに付いて回って、我々の顔色を窺うような……そんな子でした」
懐かしむように語りだすメイヂヒカリ。彼女の口から出てきた情報は、シンボリルドルフ達には信じがたいものだった。それは普段の態度を見たことがなく、レースでのホノイカヅチしか知らないからこそ、かもしれない。
(気弱、か)
カツラギエースはターフへと視線を向ける。向こう正面に入ったレース、ホノイカヅチは中団に位置していた。
《レッツゴーキリシマが果敢に逃げる。かなり早いペースで逃げていますレッツゴーキリシマ、最初の1000mタイムは58秒6、58秒6のタイムで駆け抜けています。先行勢が追いかけて、中団は先行勢の一番後ろアドマイヤコマンドから離れて3バ身から4バ身、この位置に7番手モンテクリスエス、そしてホノイカヅチがこの位置だ》
《早い時計ですねぇ。レッツゴーキリシマが最後まで持たせることができるかが勝負の分かれ目。先行勢も脚を残すのは相当厳しそうですがどうか》
《ホノイカヅチをマークするように内ディープスカイ。ホノイカヅチよりも内に持ち出しています。今日は経済コースを進まないホノイカヅチ、ちょっと外目につけています》
あのレースっぷりで気弱は無理がある、カツラギエースはそう判断する。逃げでも追込でもない、先行や差しで走る彼女が気弱とは到底信じられない言葉だった。
そんな胸中を察してか、メイヂヒカリは微笑みをカツラギエースへと向ける。
「気持ちは分かりますよ。あれほど堂々としているのに、気弱とは到底信じられない……でしょう?」
「あ、その……そっすね。ちょっと信じにくい、といいますか」
内心思っていたことを当てられて、気恥ずかしさのようなものを感じる。ただ、メイヂヒカリは気を悪くすることはない。
「あの子はそもそもレース向きの性格ではありません。他の子と比べても闘争心が薄く、気が弱かったわけですから」
「でも、今はこうして世代の頂点を決める戦いに身を投じている。それはどうしてですか?」
「譲れない思い、願いがあったのが1つ。そのためにいろいろとそぎ落とした結果、ですね」
レースを見ながら、メイヂヒカリはホノイカヅチに課したトレーニングを思い出す。
「まず、私はあの子の観察眼に目をつけました。人の顔色を窺うのがとても上手で、嘘か真かを見抜くが得意なんです」
「へぇ、それは凄いね」
「そうでしょうそうでしょう! それでですが、その力をどうにかレース中にも発揮できないかと思いました。ですが、メンタル的にどうしても安定せず」
語っている時のメイヂヒカリは楽し気だ。ホノイカヅチというウマ娘を気に入っているのがよく分かる。
「そのために私はメンタル強化を行いました。どんなことがあっても動じるな、全ての行動に対して最善で動けるようにと」
「……つまり今のレーススタイルは」
「その結果、ですね。ひたすらにメンタルを鍛え続け、鋼の精神を身につけた。これはあくまでレース中限定の話ですが、あの子を崩すことは不可能に近いと思った方がいいでしょう」
「どんなトレーニングをしたのかしら? 良ければ教えてもらっても」
「普通のことしかしていませんよ、マルゼンスキー。ただ、あの子は他の子にはない武器がありました。なので、メンタル強化も特段苦労することはなかったです」
その武器とは。誰が口にするまでもなく気になった内容だが、メイヂヒカリは即座に続ける。
「あの子は集中力が凄いんです。他の子がすぐに飽きてしまうようなことでも、ホノイカヅチはやるべきことと判断したら何時間でも続けられましたから」
「例えば、どのような?」
「お屋敷の掃除。他の子は1時間もしないうちに飽きてしまうのですが、あの子は止めない限り朝から晩までやるような子ですよ」
「は!?」
思わず目を見開くルドルフ達。その反応に、メイヂヒカリはとても嬉しそうな表情を浮かべている。
「凄いでしょう? ホノちゃ、ホノイカヅチは凄いでしょう! 本当にあの子は凄いんですよ? 末脚の鋭さも私の全盛期に比肩しますし、なにより副産物で手に入れた判断力もこれまた凄くて」
嬉しそうにホノイカヅチのことを語る。もはや気に入っているどころではない、溺愛している。ホノイカヅチの良いところをこれでもかというほど挙げているのだから。
ヒートアップする前に抑えなければ。そう考えたルドルフは、メイヂヒカリの前に出る。
「なるほど、溺愛しているのですね。ホノイカヅチを」
「……ハッ!? これは失礼。思わず熱く語ってしまいました。あの子は私を尊敬しているらしく、ずっと着いてきてくれたものですから……やはり可愛い子ですね」
正気に戻ったのか顔を赤くして咳払いをする。ミスターシービーは面白そうに眺めていた。
ホノイカヅチの強さについてある程度の理解を深めたルドルフ達。つまるところ、彼女の武器は大別して4つある。
「集中力・判断力・末脚・レースIQ……これら全てを高い水準で備えている、ということですか」
「つまりはそうですね。あの子の武器を挙げるとすれば、その4つになります」
「けど、闘争心がないから爆発力がない。これが弱点っつーことですね?」
「そういうことです、カツラギエース。こればっかりは仕方ないですね。あの子はそもそもレースが好きではないので」
ターフへ視線を向けるメイヂヒカリ。戦いは、第3コーナーを回ろうとしていた。
《第3コーナーを回る各ウマ娘。集団が一気に固まり始めました、ここで中団以下のウマ娘が先行集団との差を詰めにかかります。先頭は依然としてレッツゴーキリシマ、レッツゴーキリシマが逃げている。だが苦しそうだ、この第3コーナーでスタミナが尽きたか? レッツゴーキリシマは苦しそうだ、アグネススターチが差を詰めていく》
《ハイペースで崩れかけていますね。正念場ですよ!》
《ホノイカヅチは外から抜けていく。ホノイカヅチが5番手アドマイヤコマンドの外につけようとしている。外から躱すホノイカヅチ、ディープスカイはまだ動かないか》
ホノイカヅチのレースはシンボリルドルフが思い描いていた理想の展開と一緒。最善の選択を取り続け、後は結果で示すだけとなっている。
メイヂヒカリは鋭い目でレースを観察している。
「1番の子……確か、ディープスカイ、と言いましたか。あの子もなんとか頑張っていたみたいですね」
「ずっとホノイカヅチちゃんをマークしてたわね。だけど、今はもうマークを外されている」
「えぇ。さすがに、ホノイカヅチレベルになるには時間が足りなかったようです。それほどまでに難しい技術ですよ、なにか1つに徹するというのは」
見据えるのはディープスカイ。ホノイカヅチをずっとマークしていたウマ娘へと視線を向け、今後の展開を考えていた。
◇
ディープスカイは焦る。どうすればいいのか分からなくなっていた。
(ホノちゃんの様子を観察していればいいのは分かってますぅ。最適解は分かっているのにぃっ)
「頭がパンクしそうになる……こんなの、集中力が持たないっ」
自分以外に17人のウマ娘がいて、予想のつかないような行動をしてくる。それこそ、レッツゴーキリシマの逃げが良い例だ。
ハイペースで流れたレース。ここからの展開で、ホノイカヅチが中段に位置することは分かっていた。スタミナを蓄えるため、脚を溜めるために、レッツゴーキリシマのペースに流れる先行集団には混ざらないと。
予想は当たっていた。だからこそ、彼女の後ろに付いてずっとマークしていた。
最善手故に手は読みやすい。彼女の通る道筋は常に正解で、そこを通るべきだとは理解できている。
しかし、徹することはできない。ホノイカヅチのように、微塵の淀みもなく行動することはできない。改めて、彼女の恐ろしさを実感した。
(負けるわけには、行きません! ホノちゃんは最内を捨てましたぁ。このコーナーの攻防次第ではぁ、わたしに分がありますぅ!)
ディープスカイは最内を選択して抜け出しを図る。外を走るホノイカヅチとは対称的な判断だ。
ホノイカヅチが外を選択したのだから、内を通るのは間違い。その心配をしていたが……杞憂だった。スルスルと上がっていくことができる。
《内からディープスカイが伸びてくる。第4コーナーのカーブを曲がってディープスカイが内から伸びてくる。レッツゴーキリシマはまだ粘る、レッツゴーキリシマまだ粘る。外からはホノイカヅチが4番手浮上、ホノイカヅチがアドマイヤコマンドを抜かして、スマイルジャックに並ぼうとしているぞ》
少しだけ安心した。自分の判断が間違っているのではないかと思っていたから。間違いではなかったことに安心する。
(いいえ、まだ早いですぅ。決着は、まだついていない!)
気を引き締め、最内を通って上がる。最後の直線を迎える頃には、ホノイカヅチと同じ4番手に浮上しつつあった。
迎える最後の直線。スタンドの歓声がさらに大きくなり、熱を帯びていく。東京レース場は熱狂に包まれていた。
優勢なのは内から上がっているディープスカイ。大きなロスもなく、大柄な肉体を巧みに操って最後の直線に躍り出た。手ごたえは抜群であり、観客席にいるアグネスタキオンたちも思わずガッツポーズをする。
《最後の直線に入って先頭はレッツゴーキリシマ、レッツゴーキリシマとアグネススターチが先頭の叩き合いですがっ、外からホノイカヅチ急襲! ホノイカヅチが襲い掛かります、ホノイカヅチが気づけば3番手! 内にはディープスカイが控えています、スマイルジャックも来ている! ここから東京の坂、東京の坂が待ち構えているぞ。高低差2m、坂を駆け上がるウマ娘達!》
だが、外から気づけばホノイカヅチが先頭に躍り出ようとしていた。第4コーナー時点で4バ身はあったであろう先頭との差をあっという間に詰め、東京の坂に入る頃にはレッツゴーキリシマに並んでいた。
最内から懸命に上がるディープスカイ。大外から冷静に襲い掛かるホノイカヅチ。東京の坂に入り、高低差2mの坂を駆け上がる。
苦し気なディープスカイ。NHKマイルカップで経験したとはいえ、慣れるものではないと思っていた。
(き、キツ、いぃ! けど、諦めないぃ!)
ホノイカヅチは、変わらない。末脚は鈍らず、この坂でレッツゴーキリシマ達をあっという間に捉えた。
「……」
冷徹。正確無比。あらかじめここで追いつくことを決めていたような走り。焦りも淀みも一切なく、淡々とレッツゴーキリシマを追い抜いた。
《ここで先頭に躍り出ましたホノイカヅチ、ホノイカヅチ先頭だホノイカヅチ先頭だ! レッツゴーキリシマとアグネススターチに並ぶ! 躱す! 突き放す! ホノイカヅチがあっという間に突き放す! さぁギアを上げたホノイカヅチ、一気に先頭に躍り出ました!》
ディープスカイがホノイカヅチの存在に気づいたのは、ホノイカヅチが先頭に立った時。驚きに目を見開いた。
(い、いつの間に!? 外の方がロスは大きかったはずなのに!)
事は単純。ホノイカヅチは少ない完歩、歩数でトップスピードに乗ることができる。それこそ、スプリンター並の加速力を発揮することが可能だ。
最後の直線で末脚を爆発。一気に加速して先頭に躍り出る。理屈自体はシンプルだが、ディープスカイの位置からはホノイカヅチは見えなかった。分からないのも仕方がない。
追いかける対象が前にいる。焦りを募らせるディープスカイだが、むしろ目的が明確になったと切り替えた。ホノイカヅチに襲い掛かろうとする。
(坂を上り終えたぁ。脚も、しっかりと温めたぁ!)
「追い、つ、けぇぇぇ!」
最内から怒涛の勢いで上がっていくディープスカイ。外からスマイルジャックも猛烈な勢いで上がっており、この2人による熾烈な叩き合いが繰り広げられる。
どちらが先に抜け出すか。誰がホノイカヅチへの挑戦権を得るか。激しい戦いを制して、ディープスカイが前に躍り出る。
さぁ後はホノイカヅチだけだ。自分は余すことなく力を発揮した。差もきっと縮まっているはず。追い越して、このダービーを勝つ。
だが、現実は無情だ。前を走るホノイカヅチは、ディープスカイとの差をさらに広げていたのだから。
「……えっ?」
差は4バ身。残り100mではどうあがいても覆すことができない──絶望的な差だった。
《ホノイカヅチだホノイカヅチだ! 圧倒的強さ、圧倒的支配力! これがホノイカヅチの強さだ二冠達成! 2着のディープスカイに4と半バ身差をつけて周りを圧倒しましたホノイカヅチ1着! これで無敗の二冠内容も文句なし! 三冠に向けて視界は良好、秋の京都に引き継がれることとなります!》
ホノイカヅチ二冠達成。
あらやだお強い。ディープスカイは多分スタミナ切れてた。