合宿も順調に進んでいたある日のこと。
「むむむ、無理です無理です! オイラには絶対無理ですゥゥゥ!」
「大丈夫ですよ、ホノちゃん。ジェンティルさんは優しい人ですから、きっとホノちゃんともすぐ仲良くなれます」
全力で嫌がるホノイカヅチを優しい顔で宥めるブエナビスタ。彼女とも親しいのか、ホノイカヅチは最初こそ嬉しそうにしていた。
ただ、それも一瞬のこと。次に見えた顔で彼女の表情は一気に絶望へと早変わりする。
ジェンティルドンナ。彼女が苦手としている、噂ではとても厳しいウマ娘が一緒に立っていた。姿が見えた瞬間、ホノイカヅチは脱兎のごとく逃げ出し、俺を盾にして隠れる。プルプル震えて、物陰から威嚇する小動物のようにジェンティルドンナを警戒していた。
そんなホノイカヅチの警戒を解こうと、ブエナビスタは試行錯誤している。優しい笑顔もそうだし、声色も落ち着かせるようなものだ。
それでもホノイカヅチは警戒を解こうとしない。
「ぶ、ブエちゃんの頼みでも厳しいです! お、オイラ、立ち直れなくなります!」
「どうしてそこまで嫌がられるのかしら、私は」
「普段の振舞いを見直せ貴婦人」
「貴方に言われたくありませんわ」
オルフェーヴルをキッと睨むジェンティルドンナ。当のオルフェーヴルはどこ吹く風である。
どうしてこんなことになったのか。というのも、ブエナビスタ側から合同トレーニングの誘いがあったのだ。
「実は今日一日、私と一緒にトレーニングしてくれる相手を探しているんです。私もデビューを控えていますし、できる限り実戦の経験を養いたくて」
そう語る彼女は、まずホノイカヅチに目をつけたらしい。姿を探して、見かけたら一目散に寄ってきた。
どうしてホノイカヅチなのか。その理由はとても単純なもの。
「ホノちゃんはいろんなデータを集めていますから。私のメイクデビューにも、きっと役立つアドバイスをくれると思ったんです」
ホノイカヅチのデータ収集は凄まじい。トレーナーである俺達ですら舌を巻くほどの出来栄えだ。そんなデータを活用できて、なおかつ普段から仲が良いのであれば、ぜひとも一緒にトレーニングしたいと思うだろう。
「それに、いつも頑張っているホノちゃんの力になりたいんです。デビュー前の私ではなんのお手伝いもできないかもですけど、少しでも力になれるのであれば!」
そう気合いを入れる彼女に許可を出した。ホノイカヅチも、ブエナビスタの姿が見えた当初は表情を緩ませていた。初対面の相手には必ず警戒するホノイカヅチが警戒しないということは、知り合いなんだなと納得。ホノイカヅチも嬉しそうだし、大丈夫かと思っていた。
しかし、次にジェンティルドンナの姿が見えた瞬間、ホノイカヅチは逃げ出してしまった。かねてより苦手と言っていた相手が、ここにきて登場したのである。
自他ともに厳しいともっぱら評判の彼女。そんな彼女の第一声は。
「あら、ホノイカヅチさんじゃありませんの」
割と普通、というよりはちょっと嬉しそうに声が弾んでいたような気がした。本当に俺の気のせいかもしれないけど。
ホノイカヅチは別。明らかに警戒心MAXであり、何を言われるのかびくびくとしている。ちょっと失礼な態度と思わざるを得ない。これはちょっと、いくら苦手意識があると言っても看過できないというか。
ホノイカヅチの精神衛生上どうなのか、と思う。ブエナビスタの誘いを断ることだってできるし、いつものメンバーでトレーニングをすることも不可能じゃない。ただでさえ通常時はストレスに弱いホノイカヅチ。断るのが正解だろう。
けど、何もやってないのに、歩み寄ろうとしてないのに。こうまでジェンティルドンナに苦手意識を持っているのはダメだ。苦手なことを苦手なことと片付けて、逃げ出してしまうのは違う。
「ほら、ホノイカヅチ。まだ何も言われてないんだから、そう警戒しなくたっていいだろ?」
「でで、でもっ」
「それに、ジェンティルドンナの表情を見て。ちょっと悲しそうに見えるだろ? ホノイカヅチに嫌われてるんじゃないかって思ってるんじゃないか?」
それに、ホノイカヅチだって成長しているんだ。だからここは1つ、彼女をさらに成長させるためにも、苦手なことの1つに取り組んでみてもいいんじゃないだろうか。
向こうだって好意的に捉えているはず。ならば、臆する理由はない。彼女を説得するんだ。
そう、俺達の力で。
「ホノイカヅチだって強くなってるんだ。君は強い子、やればできる子だ!」
「そうですホノちゃん! ホノちゃんは強い子、ジェンティルさんとだってきっと仲良くなれます!」
「貴方の成長は目覚ましい。誰が相手であろうと、貴方は臆することなく立ち向かうことができるでしょう。何故なら、貴方は強いお方ですから」
俺と、ブエナビスタと、ドリームジャーニーの力で! ホノイカヅチを褒めちぎるんだ! 周りからの視線がアレだけど構ってられるか!
「ここまで苦手意識を持たれている私は何なのでしょうか。特別彼女に何かした覚えはないのだけれど」
「気を悪くしないでほしいのです、ジェンティルさん。ホノちゃんは自分を褒めてくれなさそうな子が苦手なだけなのです」
「……少なくとも、私はそういうイメージを持たれている、というわけね」
「間違ってはなかろう」
褒める、ひたすらに褒める。俺の後ろに隠れているホノイカヅチを褒め続けて、ジェンティルドンナに立ち向かう勇気を与える。
その甲斐もあってか、ホノイカヅチはおずおずと出てきた。
「そ、そこまで言うなら……」
「よし、一歩踏み出せた! 偉いぞホノイカヅチ!」
「えらいですホノちゃん! あともう一歩、ジェンティルさんのところまで行きましょう!」
俺とブエナビスタを掴んだまま、ホノイカヅチはジェンティルドンナに相対する。覚悟を決めたように睨んでいるが、どっちかというと小動物の睨みでしかない。目の前の相手はライオンなので可愛いだけだ。
「じ、ジェンティル、ドンナ、さん!」
「なにかしら」
不敵に笑うジェンティルドンナ。優雅さを感じさせる笑みに、ホノイカヅチは震える声で告げる。
「よよよ、よろしく! お、おねが、おねがい、しますっ!」
「……」
よし、言えた。しっかりと言えたぞ。偉いぞホノイカヅチ。
ジェンティルドンナは無言。しかし、突然ふっと笑い。
「えぇ、よろしくお願いしますわ」
トレーニングの約束を取り付けることができた。こっちが受ける側だったけど、この状況ならお願いしている側に見えなくもない。今日一日だけど、増えるのは大歓迎だ。
「もっとも、私は妥協いたしません。誰であろうと、ビシバシ行きますわよ?」
「ヒィィィ!? や、やっぱりこわいですぅぅぅ!」
「もう、ジェンティルさん! ホノちゃんをイジメちゃダメですよ!」
「あら、ごめんなさい? ですが嘘を言うのもよろしくないかと思いまして」
ちょっと不安だけど、大丈夫だろう……大丈夫、だよな?
◇
ジェンティルドンナにブエナビスタが加わった今日のトレーニング。結果は何事もなく終わった。ブエナビスタがいることでホノイカヅチの調子も安定していたし、あれほど恐れていたジェンティルドンナも特に問題なく……まぁ問題なくこなすことができた。終始ビビっていたような気がするけど気のせいだろう。
一日が終わってトレーニングノートに今日の成果を書く。取り組んだ内容とそれによって得られる効果、ホノイカヅチがどこまで成長したかの予想をキッチリと。
それにしても、ブエナビスタと仲が良いのは意外だった。なんというか、接点がなさそうだから。
ホノイカヅチの交友関係も広がってきたな。いろいろと目に見えてきた。
(今回加わったドリームジャーニーとオルフェーヴル、マンハッタンカフェは除くとして、ブエナビスタとは昔からの知り合いだった。これは意外だったな)
「接点なさそうに見えたんだけどな。ホノイカヅチとブエナビスタ」
ブエナビスタが人懐っこく、誰とでも仲良くできるウマ娘というのもあるだろうけど。
彼女に関しては、ホノイカヅチの反応から察するに既知の仲だったのだろう。俺がスカウトする前から仲良くしていたのかもしれない。
そんな彼女は秋にデビューを控えている。こちらも応援の気持ちを込めて、トレーニングに付き合った。さすがに一日くらいは構わないだろう。
ジェンティルドンナに関しては、ホノイカヅチに目をつけていたらしい。凄く好意的な意見が多かった。
彼女曰く。
「王道も王道の策であらゆる敵をねじ伏せる。私が目指す理想像に最も近いですわ」
とのことらしい。確かに、ホノイカヅチのレーススタイルは王道、ジェンティルドンナの理想に近しいものがある。彼女が目指す理想の体現、その1つがホノイカヅチなんだとか。なんにせよ仲良くしてくれそうではある。
夏合宿が終われば、菊花賞はもうすぐ。その前に、神戸新聞杯か。菊花賞の前哨戦、このトライアルレースに出走する。
「もうすぐ出走メンバーも固まってくる頃合だ。マーク、しっかりしないと」
すでにホノイカヅチは目星をつけてるんだろうな。相変わらず、勤勉な子である。
先は長いようで短い。俺も、しっかり頑張らないと。
◇
夏合宿も佳境に入るトレセン学園のウマ娘達。その中でもひと際気合の入っている集団がいた。
「目指すは菊花賞! 気合い入れてけルー!」
「うおおおぉぉぉ! 頑張れアタシィィィ!」
ジャングルポケット。そんな彼女と同じチームに所属するオウケンブルースリである。おかっぱ頭に大きい白い流星がトレードマークの彼女。菊花賞を目指し日々頑張っていた。
チームにはフジキセキといったメンバーが見え、外部からの協力者としてエアシャカールがいる。当のエアシャカールは呆れた視線を2人に向けていた。
「おい、いつもあんなにうるせぇのか? アイツら」
「元気いっぱいで良いよね? シャカール」
「元気すぎんだろ……あれでやってることはロジックに基づいてるのが質悪ぃ」
オウケンブルースリが鍛えているのはスタミナ。菊花賞を走り切る上で大事なもの、さらには脚元不安が残る彼女のためにと、負担の少ない遠泳を行っている。
がむしゃらに走り込みをするわけではない。時代遅れの根性論を展開しているわけでもない。オウケンブルースリたちはしっかりと、最先端のトレーニング理論を基に最高効率で練習をしていた。
これまで脚元の不安から慎重にならざるを得なかった春のクラシック戦線。それもなくなったので、十分なトレーニングができる。遅れた分を取り戻そうと、ロジックに基づいたトレーニングをしていた。
それらに興味を持ったエアシャカールが協力を申し出、さらにはマヤノトップガンにマーベラスサンデー、マヤノトップガンに無理やり連れてこられたナリタブライアンと着いてきたビワハヤヒデと言ったメンバーも加わっている。かなり豪華な布陣で態勢を整えていた。
トレーニングを終えたオウケンブルースリ。休憩中には、次走である神戸新聞杯に向けての勉強だ。一秒たりとも無駄にしない。
「良いか、ルー。神戸新聞杯にはあのホノイカヅチが出走を表明しておる。ホノイカヅチの強さは、先の戦いで証明されている……分かっておるな?」
「はい! トレーナー! めっちゃ強いです!」
「……まぁその認識でもいいじゃろ。ホノイカヅチの強さは決してぶれない精神力にある。だから、お主もまずは不動の心を身につけるんじゃ。そのためには日々のトレーニングを」
コースへの理解を深め、相手への理解を深める。そのためには一度、ホノイカヅチの強さを体験しておく必要がある。それがトレーナーが下した決断。
さらには、ジャングルポケットからの進言もあった。一度、ホノイカヅチと戦っておいた方がいいと。
「タキオンが言ってたんス。アイツは、ホノイカヅチはガチでやべーって」
「……それは、どういう意味でだい?」
「全部含めて、だと思いますフジさん。じゃねぇと、あのタキオンが戦うことすら諦めさせるって相当だと思うんで」
アグネスタキオンのディープスカイに対する溺愛っぷりは、ジャングルポケットも知っている。いつも自分たちの方が凄いと張り合ってきたのだから。
そんなアグネスタキオンが、日本ダービーの一戦で菊花賞は諦めた。ディープスカイを最強にすると意気込んでいた彼女が、菊花賞出走を諦めさせ、天皇賞に向けて始動することを選ぶほどには。
初めはなんでと思った。次いで湧いてきたのは適性の壁。最終的には……それほどまでにホノイカヅチが強いということへの確信に変わる。
「そもそも、ディープスカイが長距離への適性がないっつーこともあるんだと思います。だけどそれ以上に……ホノイカヅチを避けなきゃなんねー強さがある」
「……そうだね。特に、日本ダービーの彼女は異次元の強さだった。ディープスカイが子ども扱いされるほどには」
「だからまぁ、俺からもルーには強く言ってます。絶対に折れんな、相手の強さに絶望すんなって。俺は、嫌って程知ってますから」
かつて戦ったことがあるからこそ分かる。アグネスタキオンという光に負けそうになっていた自分。折れそうになって、それでもなお立ち向かうことへの大切さを知っている。
だからこそ、後輩であるオウケンブルースリにも教え込んでいる。心で負けてはダメだと。最後の最後まで諦めるなと口にしていた。
自分が味わったことを後輩に教えている。ジャングルポケットの成長に、フジキセキは思わず微笑む。
「良い先輩をやってるね、ポッケ。私は嬉しいよ」
「本当っすか!? いよぉ~し、フジさんに褒められた!」
嬉しそうにするジャングルポケット。そして。
「それじゃあ復習じゃルー。芝2400m、京都レース場の特徴と言えばなんじゃ?」
「はい! 分かりません!」
「こりゃ! ここはこの前もやったところじゃろうが!」
着実に成長しているオウケンブルースリ。菊花賞に照準を合わせ、日々力を蓄えている。
春のクラシック戦線には間に合わなかった。だが、今のオウケンブルースリは条件戦を2連勝し勢いに乗っている。
次は重賞初挑戦。神戸新聞杯……世代最強と名高い、ホノイカヅチを相手にすることになる。
臆してはいない。むしろ楽しみにしていた。
(めちゃやべー奴と戦える……ポッケさんのアグネスタキオンみてぇな、そんなやべー奴と!)
「やっば、超楽しみ! 神戸新聞杯、待ってろよホノイカヅチィィィ!」
「気合いを入れる前に知識を叩きこまんか!」
来る勝負に向けて、どの陣営も気合いが入っている。夏合宿で成長するウマ娘がたくさん出てくるだろう。
レッドディザイアちゃん癖です。