ホノイカヅチは褒められたい   作:カニ漁船

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現実の菊花賞終わっちゃった。


クラシック最終戦

 ──誰かが囁く。

 

「彼女の味方であり続けろ。決して側を離れるな」

 

 彼女、が誰のことを指しているのかは分からない。けれど、すぐに理解することができた。

 

 目の前にいるのはホノイカヅチ。ただ、彼女は……随分と痩せ細っているようにも見えた。

 

(どう、したんだ? なんで、どうして笑っているんだ……ホノイカヅチ?)

 

 こちらを安心させるためなのか、ホノイカヅチは笑顔を浮かべている。その笑顔は、決して安心できるものではなかった。

 痛々しくて、我慢しているのが丸わかりで、とても胸が締め付けられる。

 ボロボロで、泣いているようにも見えて。凄く、胸が苦しい。

 

 また、声が頭に響く。

 

「彼女の味方であり続けろ」

 

 この声が誰のものかは分からない。ただ、どこか聞き覚えがあるような気がして──

 

 

「……朝、か。変な夢だな」

 

 俺は、ホテルの部屋で目を覚ました。時刻は朝の5時。いつもより起きるのが早い時間だ。

 スマホを起動して、カレンダーを見る。今日は大事な日……クラシックの最終戦、菊花賞の日だ。

 

「なんか、あまり縁起がよくないな。何か起こるのだろうか?」

 

 どことなく不安な気持ちが押し寄せてきて、夢での言葉を思い出す。

 

「ホノイカヅチの味方であり続けろ、側を離れるな……か。いったい、どういうことなんだろうか?」

 

 彼女のトレーナーである以上、俺は自分から離れる選択肢はない。ホノイカヅチの方から拒絶されたらその限りではないけど、現状離れる気はないんだけどな。

 

 ただ、思い出すのは胸が締め付けられるように苦しかったこと。何かに囚われているような、悲しい記憶がこびりついている。

 それに、夢の中のホノイカヅチの状況は見たことがない。今の彼女よりも随分と痩せているようにも見えた。ただでさえ線の細い彼女が余計に。なにかあったのだろうか?

 

「……まぁいいか。早く準備を済ませて、ホノイカヅチとミーティングをしないと」

 

 果たして無視をしていいものなのか分からない。けれど答えの出ないことについて考えても時間の無駄だと思い、俺はホノイカヅチと合流することだけを考えた。

 

 

 

 

 

 

 最も速いウマ娘が勝つ皐月賞。もっとも運のいいウマ娘が勝つ日本ダービー。そして、最も強いウマ娘が勝つ菊花賞。日本のクラシック三冠レース、その最終戦である菊花賞が今、京都レース場で開催されようとしていた。

 天気はあいにくの曇り空。しかし雨はすでに止んでおり、バ場の状態も良バ場の発表と走るのには問題なしのコンディションとなっている。

 

 京都レース場の客入りは多い方。かつての三冠ウマ娘、英雄の菊花賞よりは多くないものの、それでもかなりの数のファンが足を運んでいた。

 理由はただ一つ、ホノイカヅチのレースを見るためである。

 

「いや~、見れんのかな? 三冠ウマ娘!」

「ホノイカヅチなら大丈夫っしょ? なんせ、全くもって隙がないんだから!」

「油断もしねぇ、慢心もしない! ホノイカヅチに決まりだ!」

 

 そう口を揃えるホノイカヅチファン。他ウマ娘のファンからすれば癪に障る内容かもしれないが、それだけの実績を伴っているから否定のしようがない。

 レースにおいて一切の私情を持ち込まず、ただ淡々とレースを支配する機械。崩すことは不可能に近く、総合力で彼女に勝る以外の方法はないとまで言わしめた二冠ウマ娘。そんな彼女に勝つのは至難の業だと、全員の共通認識だ。

 

 だからこそ、今回も厳しいマークが予想されている。注目されているからこそ、一番強いと分かっているからこそ、生半可な策では通用しないからこそ。ホノイカヅチは徹底的にマークされると。

 勝てる勝てない、というよりは1%でも勝率を上げるにはやらなければならないことだ。真っ向勝負で勝つのは厳しいのだから。自分の走りを貫きつつマークをしなければならない……かなり厳しい立場に追いやられている。

 

 出走するウマ娘達の表情には緊張が見えている。大舞台というのもあるが、それ以上に緊張させる要素があるからだ。

 

「フヒ、フヒヒ……お、オイラ1番人気。ずっとずっと、1番人気……!」

 

 ホノイカヅチ。今回の1番人気であり、さらには1枠1番という最内枠を与えられた。出走者が最も警戒する相手であり、世代の最強であるウマ娘。

 彼女に勝たなければ、菊花賞の勝利はない。それがこのレースに出走するメンバーの共通認識。無意識でも警戒の視線を向けてしまう。

 

 今でこそ不気味な笑みを浮かべているホノイカヅチだが、ウォーミングアップをする段階で表情は切り替わる。

 仕事モード。ホノイカヅチがレースをする時の状態で、心を完全に凍てつかせた、レースマシーンとしての姿。ただ立っているだけで周りを威圧するような雰囲気に、ウマ娘達は飲まれそうになる。

 それでも、立つ。勝つために、ここで負けないために。ホノイカヅチを意識しながら、彼女達は発走のその時を静かに待っていた。

 

 オウケンブルースリもまたその1人である。

 

(相変わらず、あの切り替えの早さがマジでえぐい。レースはレースで割り切ってる)

 

 神戸新聞杯で味わった彼女のレース。今もなお脳裏に刻まれており、相当厳しい戦いを強いられるのを理解していた。

 いや、厳しいどころではない。勝率は1割にも満たないであろう、あまりにもか細い糸を上らなければならない勝負。それほどまでに、彼女との実力差を感じていた。

 

 だが、それで諦めるようなオウケンブルースリではない。

 

(やれるだけのことはやった。気持ちで負けていたら、アタシが勝てるもんは何もなくなっちまう。それだけはごめんだ)

 

 臆していたら勝てるものも勝てない。自らの心を奮い立たせ、強大な敵・ホノイカヅチへとしっかりと睨みつける。勝利を手繰り寄せるために、折れるわけにはいかなかった。

 そんな彼女は2番人気。前走の神戸新聞杯で好走したのが理由であり、台風の目になるのであれば彼女、というのが前評判。もっとも、その台風の目はあまりにも小さい……とも言われているが。そんなことは関係なかった。

 

「喰らいついてやる、勝ってやる。絶対に!」

 

 気合いを入れ、勝負へと臨む。十分な気合いだ。

 

 

 関係者席では、日本ダービーと同様のメンバーが集まっていた。シンボリルドルフにミスターシービー、カツラギエースにナリタブライアン、マルゼンスキーの5人だ。

 

「君達も来たんだね。シービー、ブライアン」

「エースに誘われてね。来ちゃった」

「いや、お前元から来る予定だったって言ってたろ」

 

 自由気ままなミスターシービーと呆れた表情のカツラギエース。

 

「凄いものが見れると言っていた。なら、その凄いものとやらの正体が気になる……当然のことだ」

「そうね。メイヂヒカリさんが言うくらいだもの。私たちの想像を超えるような、すごいものが見れちゃうと思うわ!」

 

 当然とばかりに返すナリタブライアンと楽しみにしているマルゼンスキー。皆一様にレースを楽しみにしているのが分かる。興味を惹かれたからこそ、こうして京都レース場に足を運んだ。当然、シンボリルドルフもその1人である。

 

 また、それだけではない。今回は最初からいるのだ。

 

「ふぅ。今回は説得に手間取りませんでした。発走前に間に合いましたね」

「お疲れ様です、メイヂヒカリさん」

「いやですねルドルフ。そこまで畏まらなくて構いませんよ」

 

 メイヂヒカリ。シンボリルドルフが恭しくお辞儀をする相手。今回は何事もなく間に合った彼女は、ホノイカヅチを視界に入れると嬉しそうに顔を綻ばせる。

 

「あらあら、もう仕事モードに入っているのねホノイカヅチ。それも、かなり深く」

「仕事モード? なにそれ?」

「ホノイカヅチがレースを走る時の状態ですよ。レースはお仕事……あの子はそう認識しているから仕事モード。私が教えた不動の精神力を発揮している状態のことです」

 

 ミスターシービーの疑問に答える。なおも嬉しそうであり、この菊花賞を相当楽しみにしていたことが分かる。

 

 そして、この場にいる全員の考えは一致していた。代表して、シンボリルドルフがメイヂヒカリへと歩み寄る。

 

「それで、メイヂヒカリさん。あの時の言葉の真意をお聞かせください」

「日本ダービーの時かしら?」

「はい。あなたは凄いものが見れる、と言いました。それはきっと、私達の想像を超えるようなものだと思うのですが……メイヂヒカリさんの予想では、どのような光景が広がっているのですか?」

 

 彼女が言った凄いもの。その正体を探るべく動く。ただ、メイヂヒカリは人差し指を立てた。静かにするように、そう言いたげに。

 

「見れば嫌でも分かりますよ。それに、おおよその見当はついているのではないですか?」

「……」

「教えてしまってはつまらないじゃないですか。もうそろそろ始まりそうですし、レースに集中しましょう? お話は、その間にでも」

 

 そう語り、メイヂヒカリはすでにゲートへと収まったウマ娘達へと注がれる。もう時間はないと悟った5人は、諦めてレースに集中することにした。

 

 一応、5人とも大体の予想はついている。この菊花賞の勝者が誰か……彼女達の想像通りならば、もう決まってるも同然のことだと。

 

(総合力があまりにも飛び抜けている。崩すことができない上に地力が圧倒的に上。他の子が勝てる可能性は万に一つもない)

「まるでルドルフみたいだもんね~。ルドルフの時と一緒じゃない? 状況が」

「そ、そこまでか? というか、私の時もそこまで酷かったのか?」

「自覚ねぇのかよルドルフ。お前の時も大概酷かっただろ」

 

 圧倒的なまでの強さで形成された一強ムード。その時と似たような状況になっていると指摘するミスターシービー。なお、ルドルフにはその自覚がなく、カツラギエースはそのことを指摘してからかっていた。

 

 

 そして、その瞬間が訪れる。

 

《クラシック最後の戦い菊花賞。京都レース場芝3000m、クラシックウマ娘達にとって未知の領域となる長距離の舞台。強くなければ勝つことが許されない、総合力が試される場です。最後の栄冠を手にするのはどのウマ娘か? 三冠か伏兵か。非常に楽しみですね》

《えぇ。クラシック二冠で三冠に王手をかけているホノイカヅチ。前走である神戸新聞杯も圧勝していますからね。もはやライバルはいない、という状態でしょう》

《圧倒的な1番人気。さらには枠番も1枠1番と絶好の最内枠をもらいました。有利不利が少ないコースとはいえ、これがどう響くかは未知数。他の子達は彼女を玉座から引きずり下ろすことができるか? 最後のウマ娘がゲートに入ります》

 

 静まり返る京都レース場。鳥のさえずり、風で木の揺れる音さえも聞こえてきそうな静寂の中で、ゲートが開く。

 

 ウマ娘達が一斉に駆け出す。静寂に包まれた世界から一転、地鳴りのような音が京都レース場を支配する。

 

《京都レース場メインレース菊花賞が今っ、スタートしました! 揃って綺麗なスタートを切ります、最内枠のホノイカヅチが好スタート。まずはどのウマ娘がハナを取るのか? 坂を上りながら先行争いが繰り広げられています》

 

 好スタートを切るホノイカヅチ。ただ、先頭を奪うつもりはないのかやや消極的な立ち回り。代わりとばかりに1人のウマ娘が上がっていく。ホノイカヅチと同様に、好スタートを切ったウマ娘が。

 

《アグネススターチだ、アグネススターチが好スタートから一気に先頭を奪いにかかります。最内枠ホノイカヅチは控える構えか? 先頭争いには加わらない様子だ》

《今回は長丁場ですからね。できる限りスタミナは温存したいところです》

《アグネススターチが宣言通りの逃げを打ちます。飛び出して逃げ出しを図ろうとしている。その後ろに2番のノットアローンそして6番のロードアリエスが続きます。先行集団この位置に混ざるホノイカヅチ、マークするように5番のナムラクレセントが外につけます。内にホノイカヅチ、外にナムラクレセント。その後ろにオウケンブルースリ、オウケンブルースリだ》

 

 1人は楽な構えで逃げようとしていた。ただ、内側から猛烈な勢いで上がってくるノットアローンにつられ、少しペースを上げる。追いつかれないようにしていた。

 

 戦局を俯瞰するシンボリルドルフ。ダービーの時と同じくシミュレートし、現在のホノイカヅチの状況と照らし合わせている。

 

(私ならばもう少し後ろの位置で勝負をするな。もっとも、完璧に同じでなくとも)

「最初の先行争いでは優位に立てている。後はどこまで冷静でいられるか、だ」

「……ウフフ」

 

 シンボリルドルフの呟きに、メイヂヒカリは妖しく笑う。菊花賞が始まった。

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