「あ、見つけた!」
唐突に、後ろからそんな声が聞こえてきました。男性の低い声、学生でないことは間違いないでしょう。
思わず振り返ります。オイラじゃない、オイラじゃないと思いますけどね。振り向くだけならタダですから。もし万が一、億が一オイラだって可能性もありますからね。
振り向いた先にいたのは予想通り男性。ただ、見覚えはありませんでした。
(……スーツの襟にトレーナーバッジがある。誰かのトレーナーってところでしょうか)
となると、担当ウマ娘を偶然見かけて声をかけた。この線が濃厚ですね。顔に見覚えはありませんし、オイラでないことは確かでしょう。
なんて、思っていたのですが。
(あの、なんでオイラの下に一直線に進んでくるんです? もしかして、その視線の先に誰かいます? オイラには見えない誰かがいるんですか?)
思わず後ろを振り向きます。直線上に誰かいないか、オイラだとして間違っていたら悲しくなるから念入りに見ます。
ですが、彼が進む道にオイラ以外はおらず。そもそも周りに誰もいないですし、もし用があるとすればオイラしかいない状況でした。
い、いったい何の用なんでしょうか? このまま通り過ぎる可能性もあるけれど。
(見つけた、という言葉からそれはありません。幽霊? 幽霊でも見つけたんでしょうか?)
仮にオイラだとして、どうしてオイラを探していたのでしょうか? なにかした覚えはありませんし、誰かの恨みを買った覚えもありません。オイラのやってきたことなんて、他の方々のトンチキ具合に比べればマシな方……の、はずです。
とりあえず、一縷の望みに賭けてその場に立ち止まる。このまま通り過ぎる可能性にも考えましたが、トレーナーさん(仮)はオイラのところで立ち止まりました。あ、これはもうオイラですね。
トレーナーさん(仮)をジーっと観察する。少しばかり、気になった点がありますから。
(じんわりと汗をかいていますし、少しですが息を切らしています。よほど急いできたのか、それとも探し回っていたのか)
膝に手をつくレベルではありませんが、それでも結構な時間歩き回っていたことが推測できるくらいの状態。それだけの労力をどうしてオイラに、なんて思わずにはいられません。
落とし物の可能性? オイラは気づかないうちに何かを落としていた? それをこのトレーナーさん(仮)が届けに来てくれた。そう考えることもできます。手には何も持っていませんが、小物類なんて線もあります。
「えっと、君がホノイカヅチ、だよね?」
「ひうっ。そ、そうですけど……お、オイラに何か用ですか? 随分と探し回っていたみたいですし、見つけたって言ってましたし」
「あ、声に出ちゃってたか。嬉しくなったからつい」
果たしてオイラに何の用があるのか。も、もしやスカウトでしょうか? 選抜レースを走る前に、オイラはスカウトされたってことでしょうか!?
(ないですよねー。オイラ普通ですし、ちんちくりんですし。特段見てくれに優れているわけじゃないオイラを、スカウトなんてするはずがないでしょう)
妄想を適当にいなしつつ、目の前のトレーナーさんの目を見る……はずもなく。視線を彼の首元辺りをさ迷わせます。目を見て会話なんて難しいので。
「君に聞きたいことがあるんだ。この前の併走のことなんだけど」
「へ、併走? えっと、い、いつの話ですかね?」
「昨日の併走。実は昨日見ていたんだ。あ、昨日の併走凄かったね! 1着おめでとう!」
あ、褒められた。つまりこのトレーナーさん(仮)は良い人なのではないでしょうか?
いえ、待ってください。オイラはこの程度で絆されません。オイラはそこまで安い女じゃないですよ。
「するするっと抜け出してあっという間に差し切る末脚。アレは凄かった。他にもお手本通りのプランニングにコース取り、まさしく教科書通りの展開だったね」
「ふ、フヒ。あ、ありがとうございます」
この人良い人です! 凄く良い人です! ふへへ、もっと褒めて!
ですが、突然ハッとしたような表情を浮かべたと思うと、慌てた様子で頭を下げました。
「ごめん! 話が横道に逸れてしまった!」
「い、いえ、お気になさらず。むしろもっと褒め、ありますよね。興奮しすぎて本筋からずれること」
「あはは、お恥ずかしい限りだよ。他の人からも言われてるんだけどね」
恥ずかしそうに頬を掻くトレーナーさん(仮)。そろそろこの人が誰なのかはっきりさせないとですね。
「と、ところで、その……あ、あなたは?」
「おっと、自己紹介がまだだったね。俺は御幸、トレーナーをやっているんだ」
「御幸、トレーナー」
御幸トレーナーは自己紹介を済ませた後、話を本題に戻しました。その本題というのが、併走後のオイラのことで。
「君は勝ったのに落ち込んでいたように見えたんだ。勿論俺の気のせいだったらいいんだけど、隅の方で縮こまっていたから気になって」
レース後のオイラが落ち込んでいたように見えたそうです。併走後、ですか。
(こ、心当たりしかないです……!)
確かに落ち込んでいました。だって、教官にそこまで褒められなかったんですもの。教官はただ一言だけ、今日も良かったわよこの調子で頑張りなさい、と言ってくれました。
褒められましたけど全然足りません。そりゃ普段通りの走りをしているだけですけど、勝ったんだからもっと褒めてくれてもいいんじゃないでしょうか?
そりゃあ落ち込むというもの。褒められたらまた状況が違ったんですけど。
けど、バカ正直に話すわけにはいきません。褒められなかったから落ち込んでましたー、なんて言って、教官に迷惑がかかるのが一番ダメですから。
(かといって、なんて言えばいいんだろう? 他に理由なんてありませんし……)
良い感じの落としどころを見つけられません。頭を抱えて悩みます。
そんな私のことを察したのか、御幸トレーナーは気まずそうに顔を逸らし。
「ごめん、なにか言いにくいことだったみたいだね」
「あぅ。その、ごめんなさい……」
「いや、いいんだ。言いにくいことを聞いた俺も悪かったから」
気まずい空気が流れます。あぁ、またやってしまいました。そんなつもりはなかったのに。こう、良い感じに取り繕えればよかったんですけど。
このままでは無言の空間が形成される。またいつものように、周りの人に気を遣わせてしまう。何も成長していない、口下手な自分が生まれてしまう。
そう思った時には。
「お、思ったより褒められなかったからです!!」
「……えっ?」
気づけば口走っていました。オイラの本音を、あの時落ち込んでいた理由を。
「き、教官は、普通に褒めてくれました。この調子で頑張りなさい、とか今日も良かったわ、とか、一言だけ褒めてくれました。ですが、全然足りません!」
「どうしたの急に!? 突然何を」
「お、オイラはもっと褒められたいんです! そりゃ、普通のことしかやってませんし、普通に走って普通に勝っただけですけど……それでももっと褒められたい、ちやほやされたいんです!」
やってしまいました。思いの丈をぶちまけてしまいました。なんてことでしょうか。人生最大のやらかしをしてしまったのかもしれません。
いえ、確かにちょっとフラストレーションが溜まっていた節はあるかもしれません。思えば最近、全然褒められていませんし、話しかけてくれる優しさを無下にして自己嫌悪していました。気づかぬうちにストレスが溜まっていたのでしょう。
(けど、なにもこんなところで爆発させなくても)
それこそウロの大樹に行けばいい話。なんでここでぶちまけてしまったのでしょうか。周りに誰もいないのが不幸中の幸いです。もしいたらオイラの黒歴史確定、マリちゃんに慰められること間違いなしです。
御幸トレーナーにも幻滅された。そう思っていましたが。
「普通、か。アレが普通なら、君はとても凄いウマ娘ってことになるけれど」
「ほへっ?」
そんなことはない反応をされました。怪訝な顔つきで、オイラのことをジッと見ています。そ、その反応は予想外です。
「レースで普段通りのことをするのは凄く難しい。その日その時によって状況が違うし、メンバーも展開も変わってくる。いつも通りを発揮するのは難しいことだ」
「そ、そうです、ね。確かにそうかもしれませんけど」
「もし、アレが君のいつも通りなのだとしたら。君はとんでもないことをやっているね。自分の力を普段通りに使える、それは立派な武器だよ」
しかも、褒めてくれます。い、良いんですか?
「ふ、フヒヒ。そ、そんなことないですよ。普通です、普通」
「いやいや、その普通が凄いんだ! それに、君の末脚も見事なものだった。囲まれていたと思ったらあっという間に抜け出して……少し目を離したら消えていたみたいな、それくらい速かった!」
「フヒヒ、お、オイラの自慢です、ので。オイラの唯一、普通じゃないと自慢できるところです」
「そっか。でも、確かに自慢できる要素だよあの末脚は。あれほど見事な脚は見たことがない」
たくさん褒めてくれる御幸トレーナー。あぁ、この誉め言葉のなんと気持ちいいことでしょうか。
待て、待ちなさいホノイカヅチ。父様も母様も言っていたでしょう。
(う、上手い話には裏がある。み、御幸トレーナーは、オイラに何か要求するつもりかもしれません!)
これでも名家の端くれ、お金だけならたくさんあります。お金目当てでオイラに取り入ろうとしている、その線があるかも。
「凄いね君は。いくら併走とはいえ、普段通りの実力を普通に発揮できる、並大抵のことじゃないよ。確かに普通の勝ち方かもしれないけれど、その普通の練度が高い。もっと誇っても良いと思う!」
「ふ、フヒ、フヒヒ……っ!」
「今度の併走は決まってたりするのかな? もしそうなら次も絶対に観にいくよ! 君の走りにはそれだけのものがある! 断言してもいい!」
か、関係ありません。これだけ褒めてくれるんです。それも、心の底から!
(これでも、人間観察には自信があります。この人は全部、本心からオイラのことを褒めてくれている!)
こんなに褒めてくれる人が悪い人なはずがありません。御幸トレーナーは良い人と、オイラのノートに書き記しておかなければ。
それにしても、次のレースですか。
「つ、次は、ありません。もうすぐ、選抜レースですので」
「そっか。もうそんな時期か」
「は、はい。オイラは選抜レース、出るので。併走は昨日が最後でした」
次は選抜レース。オイラがスカウトされるための大切な場。スカウトされなければデビューはできませんし、ちやほやされる夢も夢で終わります。
やることは変わりません。普通のことを普通にやる。いつも通りに力を発揮して、いつも通りに勝利する。ただ、それだけのことです。
だけど。
「あ、そうだ。他にも聞きたいことが」
「な、なので! せ、選抜レース……ぜ、絶対に、見に来てください! お、オイラは、芝の1600mで走る予定、ですので!」
御幸トレーナーの言葉を遮り、オイラはお願いします。選抜レースを見に来てくれと、そしてあわよくばスカウトされないかな~という期待を抱きつつ。
この人にはぜひとも、オイラのレースを観に来てほしい。そして、観た上で褒めてほしい。
(走れば褒めてくれる、ちやほやしてくれる! この人には絶対に見に来てもらわなければ!)
他のトレーナーさんに褒めてもらえるかなんてわかりません。ですが、この人は確実に褒めてくれるはずです。そんな人を逃すわけにはいきません。
「ぜ、絶対、絶対に見に来てくださいね! 約束ですよ!」
「え、あ、うん。勿論観にいく予定だけど。他にもき」
「それじゃあ約束ですからねぇぇぇ!」
こ、これは是が非でも頑張らなければなりません。なんとしてでもこの人にスカウトされるために、オイラの褒められちやほやライフのために、過去一番気合いを入れて選抜レースに臨まなければ。
「行っちゃった……どうして先行気味に走るのか聞きたかったのに」
フヒ、フヒヒ。とても気合が入りますよ!
即落ちホノちゃん。