菊花賞はとても早いペースで進んでいる。最初の1000mの通過タイムが58秒6であることからもそれが分かる。
スタンド前の直線を抜けて第1コーナー。ここまでくると隊列は落ち着きを見せ、熾烈な先行争いはなくなっていた。
《第1コーナーから第2コーナーへと向かっていきます。先頭を奪いましたノットアローンが先頭でペースを握ります。ノットアローンに1バ身程遅れてアグネススターチ、先行争いで先手を奪ったアグネススターチですがここは無理をする場所ではないと判断したか控えます》
《ただ、かなり早いペースですね。3番手との差が4バ身は開いています》
《そうですね。ただ、3番手スマイルジャックが追い付こうとしています。徐々に差を詰めていく。スマイルジャックの後ろ、最内を進んでホノイカヅチ。ホノイカヅチがここに位置をつけている。マークするオウケンブルースリ今日は積極的な先行策》
ホノイカヅチがスマイルジャックの後ろに付け、先行勢がその勢いを利用しペースを引き上げる。オウケンブルースリは……様子見に徹した。
(今の位置でも結構無茶してる。それに、このままついていったらアイツの思う壺だ)
オウケンブルースリは感じ取っていた。今のペースがかなり早く、同じように突っ込めば潰れると。3000mのレースを走り切ることなどできやしないことを理解する。
(ホノイカヅチ、は分かんねーけど、他の奴らは絶対に潰れる。あんなペースで持つはずがねぇ)
多少のペースダウンはしているものの、それでも相当なペースだ。下手をすれば、今の位置にいる自分さえも潰れてしまいかねない。ハイペースで展開している逃げウマ娘2人を恨みそうなほどに。
ただ、逃げウマ娘も勝算あってのこと。普通に挑んだところで負ける。だったら多少の無茶を押し通してでも逃げまくる。ただの逃げに収まらない、大逃げのレースで相手を倒す。そう覚悟を決めて突っ走っていた。
《第2コーナーでも勢いは緩まない。この勢いがどこまで続くか? 隊列は縦に長く広がっています。オウケンブルースリの後ろ、4バ身開いてミッキーチアフル、ヤマニンキングリー2人はここにいる。ヤマニンキングリーの後ろは》
ただ、流石に3000mで大逃げを決めるのは難しかったのか、少しだけペースダウンしている。11秒から12秒台で駆けていた2人は向こう正面に入る頃にペースを落とすことになる。
その間も、しっかりと感じ取っていた。後から迫ってくる、1人のウマ娘の重圧を。
(アイツ、来てやがるっ)
(姿は見えないけど、確かにいるっ!)
嫌でも意識せざるを得ない。アイツに勝たなければ勝機は万に一つもない。だからこそ、最大限警戒している。
今はスマイルジャックの陰に隠れているから見えないが……その後ろに確実にいる。クラシック二冠の世代最強が、ホノイカヅチがいる。そう感じ取る2人。
「ぐっ!」
逃げるしかなかった。無茶を押し通すと決めたからには、最後まで貫き通すと脚に力を込める。さらに差を広げようと、ノットアローンとアグネススターチはペースを緩めない。完全に掛かっていた。
ペースを上げる2人にはついていかないスマイルジャック。スマイルジャックが前にいるため、こちらも無理には動かないホノイカヅチ。前2人とは違い、こちらはかなり冷静に状況を見ている。スマイルジャックはナムラクレセントらと共に、ホノイカヅチの動き出しを警戒するように動く。
さらに離れたところ、オウケンブルースリはここにいる。しっかりと前を見据え、虎視眈々と動き出しの機会を図っている。ハイペースにつられず、周りのペースにも乱されず、トレーナーから言われたとおりに自分のレースを貫いていた。
菊花賞の展開を関係者席で見ているシンボリルドルフ達。大局を見ながらもその視線はホノイカヅチへと注がれていた。
「やっぱり普通だね~。普通に良い位置にいて、普通に良い走りをしている。うん、普通だ」
「もっと言うことあるだろシービー。例えば……あんま動じてねぇとか!」
「それもあるが、常に最内をキープしている。それに、囲みも甘い」
「油断したらビュンッ! って抜け出しちゃいそうね」
状況を俯瞰し、今のホノイカヅチが最高に近い状態にあることを察する。
「ただ、そうなると前にいる子がちょっと邪魔かな? 抜け出しに手間取りそうだ」
「問題はないだろう。少なくともウマ娘2人か3人分くらいの隙間はある。今更抜け出しに手間取るような奴でもあるまい」
冷静に分析、問題のない位置につけていることを察する。このままいけば勝てるだろう、とも。
その中で、メイヂヒカリの声が響いた。
「時にみなさん、菊花賞は最も強いウマ娘が勝つ……そう言われておりますが」
優雅に微笑む。同性でも思わず見惚れてしまうような妖しい笑みに、シンボリルドルフ達に緊張が走る。
「ここで求められる強さ、とはどのようなものを指すのでしょうね?」
不意に、唐突にそう問いかけられる。レースが向こう正面に入り、流石に落ち着きを見せ始めるだろう頃、メイヂヒカリは唐突に口にした。
最も強いウマ娘が勝つ菊花賞。その強さとは何か。
まず口を開いたのはナリタブライアン。当然ばかりに答える。
「スピードは絶対条件だ。どれだけ策を練ろうが、どんなにスタミナがあろうがスピードがなければ意味がない」
スピード。長距離に限らず、あらゆるレースにおいて求められるもの。これがなければ始まらない。
「とはいっても、スタミナも大事だぜ? 3000mの長丁場はほとんどねぇ、いくら速くてもスタミナがなければ途中で力尽きちまう」
「むっ」
カツラギエースの語るスタミナ。これもまた大事な要素だ。途中で力尽きたら意味がない。
「突き詰めたら、やっぱりシンプルな強さが求められるんじゃないかしら? 全部を兼ね備えていて、なおかつ頭もよくなければ勝てないでしょう?」
「それ言われたら身も蓋もねぇだろマルゼン~」
「でも、実際そうじゃない?」
マルゼンスキーの総合力。身も蓋もない話になるが、どちらもなければ勝つことができない。それでいて、頭もよくなければ走り切れない。
「ルドルフはどう思う? ちなみにアタシは勝ったウマ娘が強いって説を唱えるよ」
「なんだそれは……ここで語られる強さとは、私は己を律する心だと思っています。エースの言うように、3000mの長丁場になるレースはほとんどない。だからこそ気づかないウマ娘が多い……自分はいつの間にか、冷静ではないと」
シンボリルドルフは精神と答えた。走破するのに3分はかかるレース、メンタルは知らずのうちに削られているのだと。
《向こう正面を走ります各ウマ娘。ここでようやく落ち着きを見せるか。ノットアローンとアグネススターチとの差を詰めるスマイルジャック、そしてホノイカヅチ。ナムラクレセントもここにいます。2番手アグネススターチと3番手スマイルジャックの4バ身あった差が1バ身にまで縮まろうとしています》
「それも当然の話です。3分もの間、走り続けながらずっと集中することがいかに難しいか。どこかで必ず気が緩んでしまいますし、その間の隙を突かれたら最悪です」
「あー、ルドルフの意見も一理あるな。確かに、緩んだ隙に仕掛けられたら最悪だな」
「反応遅れちゃうものね。そこから焦りがさらに募って」
「最終的にはスタミナを余分に消耗する。いかに冷静でいられるかも大事ってことだね」
集中が途切れた隙を突かれたら焦る。焦りを募らせ、冷静さを奪われ、結果的にスタミナも奪われる。だからこそ精神力が重要。そう答えるシンボリルドルフ。
問いを投げかけた本人、メイヂヒカリはというと──微笑みを絶やさない。シンボリルドルフ達の議論を楽しそうに聞いている。
《まもなく第3コーナー、ここでホノイカヅチがスマイルジャックに並びます。後方ではスマートギアにダイシンプランが動いた動いた。ダイシンプランが動いている。第3コーナーの坂を上るウマ娘達、先頭はまだ変わりませんがホノイカヅチが並ぼうとしているぞ》
「まぁ、結局のところは総合力かもしれません。スピードが不足してはいけませんし、スタミナも大事。脳の疲労を考えたら、いかに冷静でいられるかも大事になるでしょう」
「そうなるよな。で、なんで今更それを?」
カツラギエースの疑問。メイヂヒカリは、恐ろしいことを口にする。
「確かに走りながら3分もの間集中し続けるのは厳しいでしょう。ですがもし仮に……それが可能だったとしたら?」
シンボリルドルフ達の表情に驚きが生まれる。いや、そんなまさかと口にしそうになる。
菊花賞を走ったからこそ分かる。メイヂヒカリの言っていることがいかに難しいことか。一切気を緩ませず、最後まで走り切ることの厳しさを。
「いやいや、流石に無理でしょ。確かにそんな子がいたらって思うけど」
「うふふ」
「……マジかよ」
ミスターシービーでさえも無理に等しいと口にする。けれども、微笑みを絶やさない姿を見て納得しかける。もしかしたら、と。カツラギエースも、思わず口から漏れてしまった。本当にそんなことがありえるのか、と。
シンボリルドルフは、疑問を投げる前にレースへと視線を向けた。弾かれたように、今の状況を目に収めようと急いで。
今の状況は。
《第3コーナーの坂を駆け上がります。ここで動くホノイカヅチ、ホノイカヅチが動きます。アグネススターチに並びました、アグネススターチを躱そうとしている。先頭を奪い返したアグネススターチ、ノットアローンを退けたと思えば今度来たのは二冠ウマ娘。ホノイカヅチが襲い掛かるアグネススターチ》
《いや、凄いタイミングで仕掛けますね。ですが、ここが》
「ここがベストタイミングっ」
口から漏れ出た言葉。その言葉に答える者はいない。ただ、シンボリルドルフは察した。
(元々、ホノイカヅチはステイヤーだとは感づいていた。日本ダービーの走りに彼女が元々持っていたものを組み合わせれば、容易に想像がつく)
この場にいる全員が辿り着いただろう。ホノイカヅチはステイヤーであり、菊花賞を走り切るのにはなんら問題がないと。よほどのことがない限りは三冠ウマ娘になると思っていただろう。
ただ、その勝ち方までは注目していなかった。予想していても、そこまで差は広がらないだろうと思っていた。
違う。それだけは違う。シンボリルドルフが辿り着いた、その可能性。いまだ差を広げようとしているホノイカヅチの走りを前に、シンボリルドルフを含めたメイヂヒカリ以外の全員が……口角を釣り上げていた。
◇
オウケンブルースリは焦った。気づいたらホノイカヅチが仕掛けており、自分の視界から消えていたことを。
(クソ、後手を踏まされた! それだけはやっちゃダメだったのに!)
急いで仕掛けようとするが……それはダメだと自制する。何故なら今自分が走っている場所は、第3コーナーの坂だからだ。
(焦るな。ここで仕掛けたらそれこそアイツの思う壺。スタミナを余分に消耗して、最後の直線に残せねぇ!)
《ホノイカヅチが先頭を奪います! さぁホノイカヅチが先頭だ、三冠に向けてホノイカヅチが先頭を奪う! ノットアローンどうにか粘るがさすがにこれは厳しい交わされた。第3コーナーの坂を上り終わり、次は第4コーナーに向けての下り坂。早々に先頭に立ったホノイカヅチ、ここからどう動くのか》
坂を上り終われば、次は下り坂。ここでもまだ仕掛けるわけにはいかない。下り坂を利用してのスパート、三冠ウマ娘ミスターシービーのような走りもあるが、自分にはできることではないと判断。オウケンブルースリはこのまま前を狙いつつ控える戦法を継続。最後の直線に全てを賭けることにした。
じっくりと溜める。末脚を、自慢の脚を解放するその時を待つ。基本に忠実に、ただただ堅実に。ホノイカヅチに勝つための準備を整える。
《第4コーナーを回って先頭はホノイカヅチだホノイカヅチだ。その差をどんどんと広げるホノイカヅチ、すでにその差がどれだけ開こうとしているか? 後続のウマ娘が必死に追いすがる、追いすがるがこれはちょっと厳しくなってきたか?》
《アグネススターチとノットアローンはかなり厳しいですね。序盤のハイペースが効いていますよ。これは他のウマ娘もそうかもしれません》
《ただ一人、ただ一人だけ悠々と走るホノイカヅチ。このペースがどこまで持つのか? まもなく最後の直線に入ります。最内をキープし続けるホノイカヅチ、最短経路で進んでいる!》
新しい空気を欲して荒くなる呼吸。必死に耐えて、残った酸素で脳に必死に働きかける。まだここじゃないと、しっかりと堪える時間だと。
(もう少し、もう少しなんだ。もう少しで、最後の直線!)
勝負所。ホノイカヅチに勝つための最後の区間、そこに入りさえすれば、この我慢の時間は終わる。全員をぶち抜いて、自分が勝つことができる。オウケンブルースリに限らず、ほとんどのウマ娘がそう思っていた。
さすがのホノイカヅチと言えど、疲労度合いは自分たちと同じ。希望的観測を抱きつつも、最後には垂れてくるだろうと誰もが予想している。
(っ! 来た、最後の直線!)
カーブを曲がるウマ娘達。第4コーナーのカーブを曲がって、目に入ってきた光景に──絶望する。
「……はっ?」
誰かの呆けたような声が聞こえる。鮮明に、走っている最中に、疲労がMAXになっている状況で。不意に聞こえた。
彼女らの目に入ってきた光景。それは。
《ホノイカヅチ独走、ホノイカヅチ独走! 全く手を緩めない、一切差が縮まらない、むしろ差が開いている!? なんだ、なんだこの末脚は!? まだ伸びる、まだまだ伸びる、どこまでも伸びていく! 圧倒的な独走態勢ホノイカヅチ菊の舞台を一人旅!》
推定10バ身は先にいるであろうホノイカヅチの姿であり……その光景は、走っているウマ娘達の心を折るには十分すぎるものだった。
◇
《ホノイカヅチが独走している! 菊の舞台を一人旅だホノイカヅチ! その差が11バ身、12バ身、もっと広がる、もっと広がる! 残り200を切ってホノイカヅチが独走している!》
《強い、あまりにも強い! これはもう文句がありません! この強さに文句をつけられる奴は誰もいない!》
《オウケンブルースリが必死に追いすがっている! しかしその差は一向に縮まらない! むしろ開いている!? ホノイカヅチ独走、ホノイカヅチ独走!》
《残り100を切りました! ホノイカヅチとの差は縮まらない! 何ということだ、こんな菊花賞が今までありましたでしょうか!? 曇天の京都に稲妻が走る菊花賞、その差は永遠に縮まらない!》
《強い、強すぎる! 圧倒的な強さを見せつけて! 今、ホノイカヅチが菊花賞を制したァァァ! 大差圧勝、大差圧勝であります! その差なんと、推定17バ身差! 17バ身差の大差でホノイカヅチが勝ちました! 京都に走った一筋の稲妻、これが【雷光】ホノイカヅチの強さだァァァ!》
《く、加えて! 圧巻のレコード勝利! メイショウサムソンを下したソングオブウインド、その記録3分2秒7を大幅に塗り替える3分0秒6のスーパーレコードを叩き出しました! まさに文句なしの強さ、これが今世代の三冠ウマ娘ホノイカヅチであります!》
まぁホノちゃんの要素を考えたらゴリゴリのステイヤーよね。というか1話にあった血統表的にステイヤー以外ないよね(メイヂヒカリ・グリーングラス・タケホープ)